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戦塵の魔弾少女 特別短編 ラスト・ワン 第二部

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 第二部


君がどこにもいなくなって、私は毎日、君を探した
 お空にいるよと、ママが言う 私は毎日、お空を見上げた
 大地にいるぞと、パパが言う 私は毎日、地面を探した
 でもいない。どこにもいない ねえ、君はホントはどこにいるの?
                    (マーガティの詩集『Never』より)


1 リュミエイラの作戦記録② 降伏勧告


 私は呼吸に合わせてかすかに揺れる狙撃用スコープの十字線を見ていた。
 スコープの中には、風景と呼ぶにはあまりにも小さな円形の点に切り取られたヴァレオンの風景が見えている。
 私は特別に狙撃の腕前がいいというわけではない。
 ただ、分隊で狙撃銃を任せてもらえる程度には遠距離の目標に命中させる能力があったことと、じっと黙って動かずにいることを苦としない性格だったために狙撃手を任されているというだけだ。
 主任務は後方支援だが、もちろん気を抜くようなことは出来ない。敵狙撃手への逆狙撃(カウンタースナイプ)や支援火器の無力化、狙撃を警戒させることで敵の行動を制限するなど、味方の安全に貢献できる仕事は数多い。
 狙撃用に作られた徹甲弾(てっこうだん)は射程だけでなく弾速や貫通力に優れ、遠距離からの精密射撃は装甲目標に対する攻撃手段としても優秀だ。
 ――装甲目標。
 そう、今回の作戦は敵部隊のすべてがその装甲目標だった。
 通常弾では歯が立たないほどに分厚い全身装甲を身につけているというのに、まるで軽装の兵士のように俊敏に動く。単体でも十分な脅威であるその敵が、コンピューターによって情報管理され部隊単位で作戦行動を行うというのだからその部隊の戦闘力は計り知れない。
 その脅威から、聖帝閣下の都を、帝都を守らなければならない。
 ――いたっ!
 ビルの三階から索敵を行っていた私の視界に、防弾装甲を身につけた敵兵士の姿が映る。
「こちらリュミエイラ、敵兵発見」
 私は味方に通信を入れ、視界に収めた敵兵に照準を合わせる。スコープの十字線の中心にヘルメットに覆われた敵兵の頭部を捉え――そこで異変に気付く。
引き金を引こうとして、それができなかった。
 右手の人差し指がない。
「!?」
なぜ、と脳裏を駆ける疑問を切り捨て、即座に中指を引き金にかける。再度照準を合わせ、発砲。
 命中すればヘルメットごと敵兵の頭部を撃ち抜ける九・六ミリ狙撃用徹甲弾が、ヘルメットの側面をかすめて火花を散らせた。
 ――外したっ!
 撃てば居場所を知られ、居場所を知られた狙撃手は狩る側から狩られる側になる。
「すみません、仕留め損ねました。リュミエイラ移動します」
 私は味方に通信を入れると狙撃ポイント変更のために、片膝をついた狙撃体勢――ニーリングポジションから立ち上がろうとして、転んだ。
両足の膝から下もなくなっていた。
 今度はなぜと思う間もなかった。ビルの階段を駆け上がってくる敵の足音が聞こえた。
「だ、誰か……」
 支援を求めて通信を入れるが、応答がない。
どうして? お姉ちゃんは? 分隊のみんなは? まさか、全員やられてしまったというのか?
 私は最悪の想像にぞっと血の気の引いて行く感覚を覚えたが、状況を確かめる時間も、悩む時間もなかった。敵の足音がすぐそこに迫っている。
私は腕を使って身体を起こすと、腹筋で上体を安定させ、『SR43――アーバレスト』を構えた。ボルトハンドルを操作して弾丸を薬室に送り込むと、敵兵の足音が聞こえてくる方向に銃口を向ける。
 連射性は低く、長距離射撃の精度を高めるための長い銃身は接近戦ではかえって邪魔になる。と言って、護身用に携行している『МP四八――ケルベロス』では敵の装甲を抜けない。
 出会い頭の一発を外したら私の負けだ。
 通路の向こうから敵の足音が近づいてくる。あと一つ、敵が角を曲がったら遭遇する。
 さあ、来るなら来い。
 私は接近してくる敵の足音に銃口を向けて待ち構え、敵の重装兵が通路の角から姿を見せた瞬間に引き金を引いた。
 有効射程千メートル超の狙撃用徹甲弾が防弾装甲を容易く貫通し、敵兵の左胸を撃ち抜いた。心臓に命中したのだろう、敵兵がその場に倒れて動かなくなる。
 何とか当たってくれたが、すぐに他の敵が来る。速やかに移動しなければならない。
「誰か応えて、こちらリュミエイラ、応答を」
 私は再度、支援を求める通信を入れた。しかし、返ってくるものは、ただただ沈黙。
「どうして? どうして誰も応えてくれないの?」
 私は沈黙しか返さない通信機に苛立ちつつ呼びかけ続けた。
「誰か、お姉ちゃんっ! 応えてよ!」
 私、なにもできないのに、たった一人でこれから――


「――私はっ!」
 自分の叫び声で目を覚まし、狭い樹洞の天井に頭を打った。
 一体なにが、と周囲に広がる森林の風景を見回し、狭い樹洞に身を収めている自分に気がついて、私は自分の状況を思い出した。
「……はあ」
 私はため息をついて爪を噛んだ。
帝都の戦闘はもう二カ月以上前のことなのに、あんな夢を見るなんて。
いや、こんなことを考えてはいけない。私はまだ戦闘中なのだ。
 現にもう三週間も前から、この森の周りを敵兵がうろつくようになっていた。私を探しているのだろう。
これはよくない状況だった。敵軍がこちらに部隊を割いてきたということは、それだけ帝都の状況が敵側に傾いているということだ。それとも、少なくとも敵の一部隊をこちらに引きつけていると考えるべきなのだろうか。
この森に潜伏している戦力が明らかになっていないからこそ、敵にプレッシャーを与えている可能性もある。だとすれば、軽々しく動いて一人だと知られてしまった時点でその圧力は失われる。
「お姉ちゃん、どうしたらいいと思う……?」
――あなたは脱出しなさい! これは命令ですっ!
 鮮明に記憶に残っている、お姉ちゃんの最後の声を思い出す。
この先に、具体的な命令はなにもない。自分で考えて自分で決めなければならない。
この森を出て敵と戦うべきか、まだ耐えるべきなのか。
 私はその結論を出せず、巡回に来る敵部隊への対応を決めあぐねていた。
 そして今日――この森に潜伏し帝都の監視を始めてから二カ月以上が経過した革新世紀(E・A)七二年二月二七日にも敵部隊の巡回があった。
「敵部隊を確認」
 木の上の監視ポイントから周辺の様子を探っていた私は、森に近づいてくる敵部隊を発見した。
 ヘルメットと防弾ベストをつけた兵士が八人、逆V字の隊形でこちらに近づいてくる。私は木の葉に紛れるように身を隠し、スコープで敵の装備を確認した。
「……どういうこと?」
 敵部隊の装備を確かめた私は首を傾げた。
 この三週間、森の周りを巡回していた敵兵はいずれも突撃銃(アサルトライフル)などを装備していた。だが、今日の部隊は視認できる限り、銃火器は自動拳銃(オートピストル)しか装備していない。
「戦闘をするつもりではないということ? それとも、よほど甘く見られているの?」
 敵は私を、戦闘能力皆無の敗残兵とでも思っているのだろうか。
 だとすれば、それが思い違いであることを教える必要がある。幸いこの森の地形は把握済みだし、下草や蔓を利用した原始的なトラップも仕掛けてある。『SR43――アーバレスト』は必要ない。敵部隊が踏み込んでくれば、『МP四八――ケルベロス』だけでも各個撃破する自信はあった。
 私は肉眼で視認できる距離まで敵が近付いてきたところで『アーバレスト』を下ろし、ホルスターに収めた『ケルベロス』のグリップに触れた。
 さあ来い。そんなふざけた装備で来たことを後悔させてやる。
 だが、敵は森に踏み込んでくることはなく、森から五十メートルほど離れたところで立ち止まった。
「森に潜伏しているバラトルム兵に告げる!」
 隊列の先頭に立っていた兵士が叫んだ。
「どうか冷静になって、よく聞いてほしい。ヴァレオンでの戦闘はすでに終結し、君たちのリーダー、ガエン総統もすでに倒れている。これ以上の戦闘継続は無意味だ。武装を解除して出てきてほしい。絶対に危害は加えない、身の安全は保障する。投降してくれ」
「ガエン総統が戦死された?」
 投降を呼びかけられる屈辱以上に、それは許し難い一言だった。
 偉大なる聖帝閣下が貴様たちを相手に膝をつくはずがない。投降を呼びかけるためだか知らないが、もう少しマシなウソをつくべきだ。
 忌々しい。たかが一歩兵が聖帝閣下の死を騙るなど、万死に値する無礼だ。
 私は怒りにまかせて『アーバレスト』を構えた。照準が狂っているだろうがもう構わない。とにかくあの無礼者に一発、銃弾をお見舞いしなければ気が済まない。
 敵の頭部をスコープの十字線の中心に捉えて、発砲。銃弾は敵兵の耳元を掠めて、背後の地面に着弾した。敵兵が飛び上がり、他の兵士が慌てて散開する。
「よく考えてくれ! 戦闘は終わっている」
 苦し紛れのその叫びはもう無視して木から下り、私は森の奥へと身を隠した。
「戦闘が終わった? そんなわけがないのよ」
 ここにまだ戦っているバラトルムの兵がいる。
私がいる限り、戦争は終わらないのだ。

 ◇

 翌日も敵が来た。また八人、軽装であることも同じだった。
「性懲りもなく、また投降を呼びかけに来たの?」
 私は昨日とは別の監視ポイントから、敵部隊の様子を見ていた。昨日は外してしまったが、あれでおおよそのズレは把握できた。胴を狙うなら、今日はきっと当てられる。
私はいつでも撃てるように敵兵に照準を合わせたまま、じっと敵部隊の様子を観察していた。
敵の人数分の弾はないが構わない。不審があれば、私はいつでも引き金を引く。
今日がその時だというのなら、一人でも多くの敵を道連れにするだけのこと。
「聞こえるか? 今日は君に(・・)救援物資を持ってきた! もちろん受け取りに来てくれとは言わない。置いて行くから、我々がこの場を離れ、安全だと確信できたら回収してほしい」
 ――救援物資?
 私は耳を疑った。
 敵に物資を差し出すなどあり得ない。罠か? 物資を餌におびき寄せて、私を狙い撃つつもりなのか。
馬鹿げてる。ふざけてる。こんなつまらない作戦、子供だって引っ掛かるはずがない。
「ここに置いて行く。箱の中身は食料と飲料水だ。誓って、発信器や盗聴器、爆発物などは仕掛けていない。その他にも薬や衛生用品、必要なものがあるなら提供する用意がある。我々の望みは戦闘の停止、それだけだ」
 一方的にそう伝えると、本当に箱だけを残して部隊は後退して行った。
 一つの箱だけが、ぽつんと残されている。
 敵の言い分を信じるなら中身は食料と飲料水らしいが、とても信じられない。罠に決まっている。箱を開けるか、あるいは開けずとも、私が近づけば爆発するように仕掛けがしてあるはずだ。
 気にする必要はない。あんなもの放って置けばいい。
 それよりも気かがりなのは、敵兵の言葉。
 物資は私宛だと、あの兵士ははっきり言った。敵はこの森に潜伏しているのが私一人だと知っているということだ。
 ヴァレオンの状況に変化が見えない中、敵部隊が二日連続で投降を呼びかけに来たことも気がかりだ。聖帝閣下を中心とした部隊が抵抗を続けている状況での動きとは思えない。
 悔しいが、帝都の陥落は事実だろう。
 帝都ヴァレオンは敵の支配下に落ちたのだ。
 帝都防衛作戦に参加していた『魔法強化兵部隊(レクスマギナ)』の仲間たちはどうなっただろう? 聖帝閣下は帝都を離脱されたのか?
帝都が陥落し友軍が後退したとなると、合流も難しくなってくる。
 私はどうすればいいのだろう? この命の使い道として最善の行動はなんなのだろう。いっそのこと、明日も敵部隊が投降を呼びかけに来るならばそこに突撃して華々しく散ろうか。
 つい、そんなことも考える。
 情報がない。考える材料がない。私一人が世界から取り残されているような感覚に気ばかりが焦るが、動けない。
 私はどうすることもできず、帝都と敵が残していった物資を監視し続けた。
 暗くなっても夜になっても、箱はただそこにあり続け、なにも起こらない。
「あ」
 月が夜空を飾る頃、匂いを嗅ぎつけたのか、二匹の野犬が敵の置いて行った箱を食い破って中身をあさり始めた。
 野犬が中身をむさぼり始めても爆発などは起きない。
「……本当に、ただ物資を提供しただけ?」
 私は訝りながら木の上から下りて、周囲を警戒しながら敵が置いて行った箱に近づいて行く。
 二匹の野犬は、私の存在に気がつくと逃げて行った。
 箱の中を覗く。
 中には缶入りの飲料水と、パンやチーズが入っていた。どれも、バラトルムの国内で以前から流通している物ばかりで、量もたっぷりとあった。日持ちのするものも多いし、私一人なら節約すれば一カ月は保ちそうな量だ。念のため中を確認するが、発信器の類は見当たらない。
私はその箱を抱え、尾行を警戒しながら夜陰に包まれた森の中に戻った。敵からの施しであることが不満ではあるが、久しぶりのまともな食べ物だ。
「敵の物でも食べ物は食べ物。気にするなリュミエイラ」
 私は拠点にしている樹洞のところに帰り着くと、自分にそう言い聞かせ、持ち帰った箱からパンを取り出してかぶりついた。
 飲み込むようにパンを一つ食べた後、私は改めて箱の中を確かめる。提供された食料にはパンやチーズの他に、干し肉やビスケット、キャンディーなどもあった。
 私は干し肉を一切れとキャンディー二粒、野犬に荒らされてしまった物だけを取り出し、箱を閉めた。
 悔しい限りだが、これがあればかなり助かる。
 それが、正直なところだった。
「――! 誰?」
当面の食糧を確保しほっとしたのもつかの間、不意に、近くの茂みからがさりと物音。私はホルスターの『ケルベロス』を抜き、物音を立てた茂みに向けた。
やはり罠? 敵につけられていたのか?
来るなら一人のはずがない。何人? すでに囲まれてしまったか?
 私は立ち上がり、油断なく茂みに銃口を向けたまま少しずつ近づいて行く。
「そこにいるのはわかっているのよ、出てきなさい」
 いつでも撃てるように意識を集中しながら、一歩ずつ、茂みに近づいて行く。
「……」
 汗が背筋を伝い落ちる。
「出てきなさい、早く」
 いっそ茂みに数発撃ち込んでしまうかと思った瞬間、がさり、と茂みから子ぎつねが姿を見せた。
「……はぁ」
 敵ではなかった。私は自然と止めていた息を吐いて『ケルベロス』を下ろした。元の場所に戻り、樹洞のふちに腰掛ける。
「なに? お前、一人なの?」
 子ぎつねは人間(私)を見ても逃げず、じっと、こちらを見ていた。食べ物の匂いを嗅ぎつけてきたのかもしれない。
「……今回だけだよ」
 私は野犬に齧られていたパンを子ぎつねの足元に投げてやった。すると子ぎつねが途端に駆け寄って、無心に食べ始める。
「『甘い甘―いケーキが一つ』」
 私はキャンディーを口の中にころがすと、マーガティの詩を口ずさむ。
「『ケーキの上にはイチゴが一つ、チョコのおウチと女の子。
甘いはおいしい、甘いはうれしい。
さあ、このケーキを私と食べてくれる人はどこ?』」
キャンディーの甘さを味わっていると、私がやったパンを食べ終わってしまったのか、子ぎつねがもうないのかと言いたげな顔でこちらを見ていた。
「……しょうがないな、ほら」
 私は一度閉めた箱からもう一つパンを取り出すと、半分に千切って子ぎつねに差し出した。子ぎつねは恐る恐る近づいてくると、私の手からパンをくわえ取り、一度、「そっちの半分は?」と言いたげな目で私を見た。
「そんなにワガママ言わない。これは私の」
 と言うと、言葉が通じたわけでもないだろうが、子ぎつねは私に背を向けて夜の森の中に消えていった。
私はキャンディーを食べ終えてから、子ぎつねとはんぶんこにしたパンを一人で食べた。
「『さあ、このケーキを私と食べてくれる人はどこ?』か……」
 マーガティの詩の一節を呟いて、私はくすりと笑った。
 



2 戦争の痕(あと)


 革新世紀(E・A)七二年三月九日。
朝からの雨で畑仕事が休みになった日、リッカはルーベルと二人で自室にいて、一つのベッドの上で身を寄せ合っていた。
「今日は特にすることはないから好きにしてていいってマレアさんが言ってましたけど、ルーはなにかしたいこととかありますか?」
「ううん、リッカお姉ちゃんといられたらそれでいい」
「そうですか。わたしもですよ」
「ルーと一緒?」
「一緒ですね」
 実際、二人の部屋には遊び道具や本などの娯楽はなにもない。
以前であれば作戦行動時以外は訓練や銃器の手入れ、各種装備の確認作業などがあり、休息時以外はほぼ常に何かすべきことがある状況だった。退屈を感じる暇などなく、娯楽に触れる機会などそもそもなかった。
だから、こういう手すきの時間があると、かえってどうしていいかわからず、こうして部屋でじっとして時間を過ごしてしまう。
「雨の音、静かですね」
「うん……」
リッカはしばらくの間、ルーベルと二人で屋根や窓を叩く雨の音を聞いていた。
 リッカたちの部屋の扉がノックされたのは正午過ぎ。
「のんびりしているところ、ごめんなさいね。私よ」
 二人の部屋を訪れたのはマレアだった。
「はい、なにかご用ですか?」
「これからみんなでお菓子作りをするんだけど、よかったら一緒にどうかしら?」
「お菓子作り……ですか?」
「ええ、みんなでアップルパイを作るって。ルーちゃん、リンゴは好き?」
「……」
 ルーベルはベッドの上で俯いたまま、答えない。それが答えだった。
「……そう、いいのよ。もちろん無理強いはしないわ。どのみち私は買い出しに行かないといけないし」
「それならわたし、お手伝いします。ルー、いいですよね?」
「うん、いいよ」
「いいの? こんなお天気だし、ルーちゃん一人になっちゃうけど」
「大丈夫ですよ。ね、ルー?」
「うん、一人でも平気だから」
「そう。じゃあお買い物のお手伝い、お願いしようかしら」
「はい。じゃあ少し行ってきますね、ルー」
 リッカはルーベルの柔らかなブロンドをひと撫ですると、部屋着を着替えて、マレアとともに部屋を出た。


「道も建物も、きれいになりましたね」
「そうね。みんなが毎日、一生懸命お仕事をしてくれているおかげね」
 リッカがスターリアに来てから一カ月。人々の暮らしは日に日に変わっていた。
 毎日十分な量の飲料水や食料が支給され、ひび割れていた道路の舗装や壊れていた建物の修復や撤去が進んだ。燃料や電力の不足で停止していた工場は外国の企業が入り、少しずつだが再稼働が始まっている。
発電所や送電網の整備など、大掛かりな支援事業も現地のバラトルム人を雇用して行われているというのだから、『世界平和条約機構(W・P・U)』がこの街――ひいてはバラトルム(この国)の人々にもたらしたものは果てしなく大きい。
「大きな建物ができるんですね」
 食料品店に向かう途中で、リッカは建設途中の大きな建物を見つけた。この街に来た時にはなかった建物だ。
「あれはこの街の水道事業の拠点になる水道局よ。もっとも浄水設備の稼働もこれからだし水道の整備はまだまだ先の話だけど」
「すごいですね。帝都から離れた街にも水道なんて」
「水道整備は『世界平和条約機構(W・P・U)』の支援の中心だもの。『世界平和条約機構』の支援が入って水道整備がされなかった国はないのよ」
「みんなが暮らしやすくなっていくんですよね?」
「もちろんよ」
「……」
 リッカは傘を傾けて、雨に煙る街並みを眺めた。外国企業の看板をつけた大きな工場が、煙突から煙を吐いている。
 外国企業の工場など、ガエン政権が国土を支配していた時代にはありえなかっただろう。
「あれは精肉工場かしらね。他にも食品加工や缶詰の工場が動き始めているわ。鉄道網の整備計画もあるし、いずれはこの街で作った食品や缶詰がよその町や国で売られる日が来るかもしれないわね」
 どんどん便利になって、遠くと繋がって、広がっていく。
 ――それが幸せなんでしょうか?
 リッカにとって大切なものは、手の届くところか、決して手の届かないところにしかない。会ったこともなければ話したこともない、そんな相手しかいない街と繋がることにどんな意味があるのかはよくわからない。
 ただ、よくわからないまま、ものすごく大きな力が街を、国を、どんどん変えてしまっていくことには、漠然とだが不安を感じる。
 一番辛いことは、戦争は、もう終わったはずなのに。
 ――みんな。そちらからは、今、こっちはどんなふうに見えてますか? これから素敵な世界になる、そんなふうに見えていますか?
 リッカは雨粒を落とす空を見上げた。


 小麦粉や卵、野菜、缶詰、ドライフルーツなどをひと抱えほど買い込んで施設へ戻ったのは午後三時頃。中に入ると、リンゴとパイ生地の焼ける甘く香ばしい匂いが漂っていた。
「あら、いい匂い。もう出来上がってるのかしら?」
 キッチンから漂う甘い匂いにマレアが顔をほころばせた。おいしそうな匂いに、リッカもつい空腹を覚える。
「リッカさん、買ってきた物をしまったらルーちゃんを部屋から呼んで来てもらえるかしら? みんなでお茶にしましょう」
「はい」
 リッカは買ってきた食料をしまうと、ルーベルを呼びに部屋に戻る。
「おかえり、リッカお姉ちゃん」
「ただいまです。ルー、一人で寂しくなかったですか?」
「平気だよ」
 と言いつつ、リッカが近寄ると、ルーベルの小さな手がリッカの服を掴んだ。この甘えん坊は昔からだ。
「ルー、アップルパイができたみたいですよ、食べに行きましょう」
「……」
 ルーベルはリッカの服を掴んだまま、子が親の顔色を窺うような上目づかいの視線を向けた。
「大丈夫ですよ、ちゃんとルーの分もありますから」
「ホントに?」
「もちろんですよ。マレアさんも待ってますから、行きましょう」
 リッカはルーベルのほっぺたをつんつんとつついて笑うと、肩を貸して、ベッドの上から車椅子に移動させた。
 車椅子を押して食堂に向かうとすでに全員がそろっていて、何人かはすでに食べ始めていた。
 テーブルの上には焼きたてのアップルパイが並んでいる。
「なんだ、喰う時は来るのかよ」
「エルヴィンっ!」
 悪態をついたエルヴィンをマレアが叱る。エルヴィンはいかにも反省のなさそうな態度で肩をすくめると、そっぽを向いて食べ始める。
「ごめんなさいね。これ、ルーちゃんとリッカさんの分よ」
「上手にできてますね。すごくおいしそうです」
きれいな三角形にカットされたアップルパイを見て、前に『魔法強化兵部隊(レクスマギナ)』の隊員たちと作った時の散々な出来のアップルパイを思い出し、リッカは、こういうものは当たり前に作れるものなのだろうかと考えた。
リンゴが生だ外が焦げてると散々に文句を言いながら、それでも一番たくさん食べたのはサーシャだった。あの無類の甘い物好きにとっては、胃袋に入りさえすれば、出来不出来など関係なかったのかもしれない。
 ――サーシャがここにいたら大喜びで食べそうですね。
 その様子が目に浮かび、リッカはつい、口元に笑みを浮かべた。
「ルー、どうですか?」
「甘くておいしい」
 ルーベルは小さな口でちょこちょこと食べている。
「みんなでお菓子作るの楽しかったよ」
「今度はルーベルちゃんも一緒にやろうよ」
「でも、ルー、邪魔になっちゃうから……」
「そんなことないよ」
「みんなでやった方が楽しいよ」
 施設の少女たちの多くは同性ということもあってか、ルーベルに同情的だ。どちらかと言えば、ルーベルが一方的に心を開いていない状態に近い。
「けっ」
 毛嫌いしているルーベルを包む和気あいあいとした雰囲気に嫌気がさしたのか、エルヴィンが音を立ててフォークを置くと、リモコンを掴んでテレビをつけた。
《――今年一月に保護された、フォレア村虐殺事件の唯一の生き残りの少年ですが、本人の強い希望により、現在国外移送に向けた手続きが進められています。『世界平和条約機構(W・P・U)』は現在少年の受け入れが可能な国の候補を――》
 ――フォレア村の生き残り。
 自分たちが参加した作戦で多くの命が奪われたフォレア村。そこに生き残りがいたと初めて耳にし、リッカはテレビに目を向けた。
《事件は革新世紀(E・A)七一年十月四日、バラトルム東国境付近のフォレア村で起こりました。当時、ガエン総統を最高司令官としていたバラトルム軍が突如としてフォレア村を襲撃。非戦闘員ばかりの村の住人たちを無差別に殺傷するという凄惨な事件は世界に大きな衝撃を与え、『平和維持軍(サルバトール)』の介入のきっかけと――》
 凄惨な虐殺事件。
 報道番組は、非戦闘員の民間人が無差別に殺害された事件の悲惨さを伝える。が、リッカはその内容に釈然としない気持ちになった。
 フォレア村の全員が非戦闘員だったわけではない。あの村が『不滅の盾(アイアス)』の反政府活動を支援していたことは事実で、フォレア村での作戦で『魔法強化兵部隊(レクスマギナ)』は反撃を受け死傷者を出した。
 だが、報道から伝わってくるものは虐殺の痛みばかり。正しいことをしたわけではないとわかっていてもなお、リッカはフォレア村の作戦で死んだ仲間の命を汚されたような、ひどく嫌な気分になった。
『不滅の盾(アイアス)』だってテロ行為に民間人を巻き込んでいたのに、そのことに触れず、報道がガエン政権の非道ばかりをクローズアップすることには違和感がある。少なくとも、『不滅の盾』のテロ行為がなければ、リッカたちが家族を失うことはなかったのだから。
『不滅の盾(アイアス)』の行動がきっかけとなってこの国が変わったことは事実だから、それで許されるのか。『世界平和条約機構(W・P・U)』が『不滅の盾』の行動を正しいと認めたからか。
 なら、『世界平和条約機構(W・P・U)』が本当に正しいかどうかは、誰が認めるのだろう?
 ――こんなことを考えるわたしは、間違っているのでしょうか?
 その『世界平和条約機構(W・P・U)』が管理する施設に保護されている身でこんなことを考えてしまうのは、まだ、心のどこかにバラトルムから受けた支配が残っているからなのだろうかと、リッカは自分の心に少しだけ不安を抱く。
 ぎゅっ。
 報道番組に気を取られていたリッカの腕をルーベルが掴んだ。
「ルー? ルー、大丈夫ですか?」
 ルーベルは顔を蒼白にして、目を見開いてテレビ画面を見ていた。手や唇がかすかに震えている。食べようとして落としたのか、膝の上にアップルパイが落ちていた。
 様子がおかしいと思った次の瞬間、ルーベルが嘔吐した。テーブルを囲んでいた子供たちが悲鳴を上げ、慌てて立ち上がる。
「ルー! ルーベルっ! 大丈夫ですか?」
 ルーベルは小さな背中を何度も何度も痙攣させて、食べたばかりのアップルパイを胃液とともに吐き出した。
リッカはその背中をさすってやりながら、自分のうかつさを呪った。
 フォレア村攻撃作戦の時、本隊とは別行動をしていたリッカの相手は『不滅の盾(アイアス)』の構成員で、非戦闘員は一人もいなかった。
だが、本隊に参加していたルーベルは、フォレア村攻撃作戦で多くの非戦闘員を殺害している。それも、遠距離狙撃という一方的なやり方で。
 虐殺の痛み、悲惨さを伝える報道が、ルーベルの心になんの痛みも与えないはずがなかった。
「ルー、ルー、ごめんなさい。しっかりしてください、ルー」
 リッカは懸命にルーベルの背中をさすった。やがて嘔吐が収まると、口の周りを軽く拭いてから、急いでルーベルを部屋に連れ戻した。
「休んでいて下さい。すぐに戻ってきますからね」
 ルーベルをベッドに寝かせると、すぐにルーベルが吐いた吐瀉物を片づけに戻る。
 リッカが食道に戻るとすでにそこは閑散としていて、マレアが一人で片づけをしていた。
「すみません、わたしもやります」
「こっちはいいから、一緒にいてあげた方がいいんじゃないかしら。ルーちゃんの様子は?」
「もう落ち着きましたから、大丈夫だと思います。やらせて下さい」
「そう、じゃあお願いするわ」
 リッカはマレアの横に並んで、床に飛び散った吐瀉物を片づけて行く。
「……ごめんなさいね」
「どうして謝るんですか?」
「みんな元気にしてくれているからつい忘れがちになってしまうのだけど、ここにいる子はみんな戦争で心に傷を負っている。報道がその傷に触れる可能性があることに、保護司としてもっと気を配っておくべきだったわ。保護司失格ね」
「そんなこと……わたしもルーもとってもよくしてもらってます。感謝してますから」
「ありがと、リッカさん」
 そこで会話が途切れ、あとは無言で、床をきれいに片づけた。
「それでは、わたしは部屋に戻ります」
「ええ。ルーちゃんの様子、見ててあげてね」
「はい」
 掃除道具を片づけてゴミを捨て、リッカは部屋に戻った。
「ルー、具合はどうですか?」
 部屋に入って、そっと声をかけてみるが、ベッドからの返事はない。もう寝ているのかとベッドを覗いてみると、なぜか無人だった。
「ルー?」
 ベッドにはいないが、車椅子はそのままだし、あの身体ではそう遠くへはいけないだろう。なにより今のルーベルが一人で部屋を出るとは考えにくい。
室内にいるとすれば……。
「ルー、もしかしてここですか?」
 ベッドの下を覗き込むと、ルーベルはそこにいた。覗き込むリッカに背を向ける格好で床に寝そべっている。
「ルー、床で寝ると身体が痛くなっちゃいますよ?」
 声をかけながら、リッカもベッドの下に潜り込んでいく。
「ルー?」
 ルーベルは答えない。眠っていた。
 リッカは後ろからルーベルの身体を抱いた。小さくて温かいルーベルの身体を抱いて後ろから顔を覗き込むと、目尻には涙の粒が光っている。
「大丈夫ですよ、ルーのせいじゃありません」
 リッカは涙を拭いて、何度も何度も、眠るルーベルの髪を撫でた。
「もう平気です。怖いことは全部、終わったんですから」
ルーベルが少しでも安心できるように、ルーベルの眠りが少しでも安らかになるように、リッカは声をかけ続けた。


 翌日、ルーベルはベッドの下からまったく動こうとせず、リッカの説得でなんとかベッドに横になった。
 昼を過ぎてもおやつの時間を過ぎてもルーベルはベッドから起きようとしないが、昨日のことを思えば無理に起こすこともできなかった。
 だから、今日は晴天に恵まれたがリッカは畑の手伝いには出ずに、ルーベルと一緒に部屋で過ごしていた。一つのベッドに並んで寝転んで、無言で壁を向いているルーベルの背中を温める。
「ルー、わたしはちゃんといますからね」
 返事がなくても気にしないで、リッカは時々、声をかける。自分がいることを、自分がルーベルを大切に思っていることを、少しでも伝えたかった。
「二人で一緒にいると温かいですよね」
 一つのベッドで、一枚のシーツで、身を寄せ合うようにして眠っていると、営巣地(コロニー)で暮らしていた頃のことを思い出す。営巣地はとても寒かったから少しでも温かく眠れるように、夜はよく寄り添い合っていた。
今はもう二人きりになってしまった『家族』との過去を思い出しながら浅い眠りとおぼろげな目覚めの間をさまよっていたリッカは、不意に響いたノックの音に呼び起された。もそもそとベッドを抜け、ドアを開ける。
「ごめんなさい、眠っていたところを起こしてしまったかしら?」
 見るからに寝起きの顔のリッカに微笑みを向けたのはマレアだった。
「いえ、大丈夫です」
「そう? ルーちゃんも起きてるかしら?」
「ルーベルは……たぶん半分くらいは起きてると思いますけど」
「実はね、前から余った布を使ってルーちゃんの服を作っていたのだけど、今日やっと出来上がったのよ。少しは気分が変わるかと思って持ってきたんだけど……」
 マレアは手にしていた白い服を広げて見せた。
純白の、リッカの目にはドレスのように見えるワンピースだった。
「これ、ルーに作って下さったんですか?」
 腰からふわりと広がったスカートと袖口にはたっぷりとフリルがあしらわれ、襟元にはルーベルの瞳と同じ空色のリボンが飾られている。
 どう見ても、余った材料で作った物には見えなかった。
「ええ。サイズは合ってると思うんだけど、着てくれるかしら?」
「きっと喜ぶと思います。ありがとうございます」
 リッカは中に戻ると、ベッドで寝ているルーベルに声をかけた。
「ルー、ルー。マレアさんがルーのために服を作ってくれましたよ。とってもきれいで可愛いです。着てみませんか?」
 優しく肩を揺すると、ずっと眠っていたルーベルが目を開けた。
「……服?」
 ようやくルーベルが身体を起こした。まだ涙の跡が残る顔で、眠そうに目をこする。
「入っていいかしら?」
「あ、はい、どうぞ」
 リッカが廊下で待っていたマレアを部屋に招き入れると、マレアは早速、手作りの服をルーベルの肩に当てた。
「ああ、よかった、サイズはよさそう。ね、着てみてくれないかしら?」
「……」
 ルーベルはぼんやりした瞳で、自分の肩にあてがわれた服を見下ろした。
「ルー、着替えてみましょう」
「……うん」
 ルーベルはこくりと頷くと、部屋着のボタンを一つずつ外し始めた。リッカは足が不自由なルーベルに手を貸して着替えを手伝う。
「これは上からかぶって着ればいいんですか?」
「ええ、そうよ」
「ルーベル、手を上げて下さい」
 部屋着を脱がせたルーベルに、服をかぶせるようにして着せる。袖を通して、肩と腰の位置を合わせてから、背中のチャックを閉める。
「はい、出来ましたよ」
「さあルーちゃん、鏡の前に」
 リッカが後ろから支えてルーベルを立たせると、クローゼットの扉についている鏡の前にゆっくりと移動した。
「……」
 ルーベルは鏡に映る自分の姿を、まるで、見知らぬ他人を見るような顔で見た。
「よく似合ってますよ、ルー。とっても可愛いです。お姫様みたいですね」
 姉バカ的発言をしたリッカが後ろから抱きついて、ルーベルの淡いオレンジのブロンドに頬を寄せた。
「ルーちゃん、どう? 気に入ってくれたかしら?」
「……うん、ありが、とう」
 ルーベルは顔を伏せてマレアに礼を言うと、うっすらと――本当にうっすらとだが、微笑んだ。

 ◇

 革新世紀(E・A)七二年三月十四日。
今日も、リッカはマレアに連れられて買い出しの手伝いをしていた。
「なんだか便利に使っているみたいでごめんなさいね。いつもありがとう、助かるわ」
「いえ、お役に立てて嬉しいです」
リッカが両手に抱えた荷物の多くはパンや小麦粉などの食材だ。アップルパイを作って以来、施設の子供たちはお菓子作りが気に入ったようで週に一度はお菓子作りをするようになっていた。日々の買い物にその材料や裁縫に使う布や綿などが加わったことで、今日の買い物は大荷物になっている。
「それにしてもリッカさん、いつも思うんだけど力持ちね。そんなに頑張ってくれなくてもいいのよ? 私ももう少し持つわ」
「いえ、大丈夫です」
 実際、両腕で荷物を抱えてはいるが重さとしては何ら問題なかった。魔法強化兵(マギナ)として肉体を強化されたリッカにとっては軽々と持てる重量だ。
「そう? じゃあ疲れたらいつでも言ってね」
 二人は日に日にインフラの整備が進んでいく街を歩き、児童福祉施設へ戻った。
「……?」
 玄関を開けるより早く、リッカの優れた聴覚が室内の声を聞き取る。
「リッカさん、どうかしたの?」
 荷物を抱えながらドアノブに手を伸ばしたまま動きを止めたリッカを見てマレアが首をかしげるが、屋内から聞こえた声に意識を集中していたリッカはそんなマレアには気がつかず、屋内から聞こえてくる声に耳をすませた。
 ――大体お前はよぉ。
 ――いつもいつも辛気臭ぇんだよ。
 ――んだよ、黙ってないで何とか言えよ。
 剣呑な少年の声がエルヴィンといつも一緒にいる少年たちのものであると気がついた瞬間、リッカは手にしていた荷物をかなぐり捨てるように手放し、玄関を開けた。
「なにしてるんですかっ」
 玄関に入ってすぐのところには誰もいない。リッカは声が聞こえたとおぼしき方向――キッチンへ急ぐ。
「なんだよ弱虫、文句があるなら言ってみろよ」
「言えねーなら泣いてみろよ、いつもみたいに。ゲロ吐いて、お姉ちゃん助けてって泣いてみろよ」
 普段の言動を考えれば、エルヴィンたちの攻撃的な言葉が誰に向けられたものかは聞かずとも明白だった。
「なんだよ、泣けっつってんだろ!」
「ルーっ!」
 リッカがキッチンに駆け込んだのと、エルヴィンが痺れを切らせて声を荒げたのはほぼ同時。
そしてキッチンに駆け込んだリッカが目にしたのは、ルーベルの髪を掴んでいるエルヴィンの姿だった。
「なにしてるんですか! ルーになにするんです!」
 リッカは二人に駆け寄ると、ルーベルの髪を掴んでいるエルヴィンの手首を掴み、半ば強引に、ねじり上げるようにしてその手を離させた。
「いって! なにするんだよ!」
 エルヴィンが手首の痛みに顔をしかめながら、手首を掴むリッカの手を振りほどく。
「なにするんだじゃないです! 答えて下さい、なにをしていたんですか?」
「いいだろ、別に何だって」
「よくありませんっ!」
 ここに来て初めて、リッカは声を荒げた。それは怒鳴りつけられた少年が思わずびくりと竦むほどの怒声だった。
「ルーベルに乱暴をしないで下さい」
「なんだよ」
 エルヴィンは不服そうにしながら、それでも、それ以上はなにも言えずに黙り込んだ。
「ルー、大丈夫ですか?」
「うん、平気」
 ルーベルは平然としている。
「……本当に辛いのは、こんなことじゃないから」
「こんなことぉ?」
 自分を軽んじられたと感じたのか、エルヴィンの声に怒気が混じる。だが少年に睨みつけられてもルーベルは何事もないように、
「違うの?」
「こいつ――っ!」
 まったく動じないルーベルに苛立つエルヴィンが、思わず拳を振り上げる。
「エルヴィンっ! なにをしているの?」
 リッカに続いてキッチンに駆け込んできたマレアが事態に気付き、静止の声を上げる。だが、リッカは思わず、マレアの声を制するように彼女に手のひらを向けていた。
 拳を振り上げる姿を見てもなお、しっかりとエルヴィンを見返すルーベルの目を見て、大丈夫だと、ルーベルは負けないと、そう感じた。
「ルーは、こんなことじゃ泣かない」
 ルーベルは青空の色をした瞳に強い光を宿し、はっきりと言った。そこにはエルヴィンには屈しないという明確な意思が表れている。
エルヴィンの目には、いつもなにかに怯えるように顔を伏せていたルーベルとはまるで別人のように見えただろう。
 だが、リッカは知っている。
 エルヴィンの目には弱虫に見えたかもしれない少女だが、ルーベルは決して弱くなどない。ただ傷ついているだけだ。
幼い少年の恫喝になど屈しない。
「~っ!」
 自分の言葉でも、暴力でもルーベルを屈服させることができないと知り、その歯がゆさにエルヴィンが唇を噛む。
「じゃあ、何なんだよ、お前」
 エルヴィンの目に涙がにじむ。
「お前、いつも泣いてて、足だって動かなくて、つらそうなのに」
 声にも、嗚咽が混じり始めた。
「それで、なんでそんなことを言う……言えるんだよ」
「もしかして、本当に泣きたいのは君の方じゃないですか?」
 エルヴィンの、それこそ辛そうな――今にも泣き出しそうな表情を見て、リッカはそう感じた。ルーベルに辛く当たるのも、そうすることで今にも壊れそうな自分の心を守ろうとしているのではないかと、そう思った。
「誰かを傷つけて、自分は強いから平気だって、そんなふうに思いたいんじゃないですか?」
「違う、違うっ! 俺はそんな弱虫なんかじゃない!」
 エルヴィンは必死になって否定するが、リッカの言葉はおそらく、エルヴィンの本心を射抜いている。
「……そうやって強い振りをして誰かを傷つけても、自分が楽になれるわけじゃないです。それで癒えるものは、なにもないんです」
 エルヴィンが俯いて、拳を震わせた。
「……じゃあ、じゃあどうしろって言うんだよ? 姉ちゃん、痛そうだったのに、爆弾で両足吹っ飛ばされて、すげえ痛そうだったのに、俺、なにも出来なくて、逃げるしか出来なくて……」
 エルヴィンが涙をこぼす。背中を震わせて、喉を震わせて、胸のうちに秘めていた痛みを吐きだした。
 リッカはエルヴィンが吐露した痛みに、その過去に、一瞬、言葉を失った。
エルヴィンの姉が迎えたという最期が、クラリーと重なって感じられた。あるいはそれがエルヴィンの心のどこかで、今のルーベルと重なって見えているのかもしれない。
「両足……を、ですか」
「そうだよ、そばにいた人がいきなり死体になってて、姉ちゃんの両足がなくなってて、俺、怖くなって逃げ出して、それで……」
 エルヴィンは両手で顔を覆うと、いよいよ声を上げて泣き出した。
「絶対、姉ちゃん俺のこと恨んでる。自分を置いて、見捨てて逃げたって、そんなふうに思ってる、そうに決まってるんだ」
「そんなはずないです」
 リッカは断言した。
 リッカ自身、死者に対する後ろめたさは感じていた。
生き延びてしまったことに対する罪悪感があった。
それでも、断言した。
 クラリー、ラトナ、サーシャ、シグ、『魔法強化兵部隊(レクスマギナ)』の仲間たち。
生きることのできなかった仲間たちが、今、リッカが生きていることを恨みに思うとは、リッカには考えられなかった。
 生き延びたことを罪として、自分で自分の心を押し潰しながら生きることを望んでいるとは、思えなかった。
「君がお姉さんを大切に思っているように、お姉さんも君を大切に思っていたはずです。だから、無事でよかった、逃げられてよかった、そんなふうに思ってくれているはずです」
 ――そうですよね、クラリー。
「……だからもう、自分で自分を傷つけるのは、やめて下さい」
「俺は……っ、姉ちゃん……」
 エルヴィンがその場に泣き崩れる。
「……」
 ルーベルがどうしたらいいのかわからないという顔でリッカを見上げ、袖を掴んだ。
「……マレアさん、彼をお願いできますか?」
自分の言葉がエルヴィンの心に触れたらしいと思いつつ、だが、意地っ張りな少年である。泣いているところを女の子に見られたくはないだろうと思った。
「ええ、わかったわ。ルーちゃんは平気なの?」
「はい」
 ルーベルの代わりに答えると、リッカはルーベルの車椅子を押して、部屋に戻った。
「今日は頑張りましたね、ルー。偉かったですよ」
 ルーベルをベッドに寝かせてから、リッカはルーベルの髪を撫でてやった。
「ルー、偉かったの?」
「はい、男の子に負けませんでした。ルーは強い子ですね」
「うん」
「ほら、マーヤも褒めてくれてますよ」
 リッカがクマのぬいぐる(マーヤ)みをルーベルの顔に押しつけると、ルーベルがくすぐったそうな、嬉しそうな、そんな顔をした。
 



3 リュミエイラの作戦記録③ 転進


 革新世紀(E・A)七二年三月二十日。
「今日も変化なし、か」
 敵からの食糧提供があってから三週間。食料事情が改善した以外には、私の状況はなにも変わっていなかった。
 提供された食料はまだまだ残っている。水はもともと水場を確保してあったから手をつけていないが、いつか役に立つ日が来ると思う。
 ただ、食料提供を受けてからと言うもの、一つ、困っていることがあった。
「お前、また来たの?」
 パンをやった子ぎつねが私のところに来れば餌が手に入ると学習してしまったのか、私の周りをうろつくようになってしまっていた。
 私は身を隠しているのだ。下手に近くで鳴き声でも上げられたらたまらない。だが、いくら追い払っても、また子ぎつねはやってくる。
「……今日だけだからね」
 結局、子ぎつねの物欲しそうな顔に負けて、食べ物を少しだけ分けてやる。
 私は孤独だった。
 相手が人間でなくても、言葉がわからなくても、話しかける相手が欲しかったのかもしれない。
私は帝都の監視を続けていたが、状況の変化を感じることはなかった。
 二日続けて投降を呼びかけにきた敵部隊は、食料を置いて行った数日後にまた来たが、その時は自分たちが置いて行った物を確認しただけで去っていった。
 それ以来、状況の変化を感じられないまま、時間だけが経過していく。
 私はたった一人、世界から切り離されたようにこの森に居続けている。
 一人と知られ、大した装備もないと知られ、敵の施しで胃袋を満たす日々を過ごしていると、自分がなにをしているかもわからなくなってくる。
私の行動がなにかの役にたっているのか。今ここにいることに意味があるのか。それすらもよくわからなくなってくる。
本当に、私はなにをしているんだろう。
帝都の監視を続けながら、いらいらと爪を噛む。
情報から切り離された時間が長くなり、思考力や判断力が低下しているのかもしれない。
 ただ、変化のない帝都の監視を続けることに限界を感じていることは事実だった。
 もう帝都は主戦場ではない。
 それはすでに、私の中での結論になり始めている。次の行動を考え始める頃合いなのかもしれない。この森を離れ、バラトルムの各地で反撃の機をうかがっている友軍との合流を目指すべきか。
たぶん、それが正しい。
 でも、仲間とともに死力を尽くして戦ったヴァレオンを一人で離れることにも抵抗があった。ヴァレオンで聖帝様のために戦って、大勢の仲間が命を落とした。その命に背くようなことはことだけはしたくない。
 私は国家への貢献と仲間たちへの想いとの間で揺れていた。
 もう私の周辺には何事もなく、ちょこちょこと現れる子ぎつねが食料を少しずつ持ち去っていくだけ。
 子ぎつねは毎日昼過ぎに現れると、食事の有無にかかわらず、夕方近くまで私の周りをうろついて回る。
 そのリズムを把握してからは、子ぎつねに付きまとわれないようにその時間を避けて監視行動をするようにしていたのだけど――
「……今日は来ないのかな?」
 監視行動などの間につきまとわれると困るから来るなら早く来てもらいたいのだけど、その日は、昼過ぎになっても餌をねだる子ぎつねはやってこなかった。
 仕方なくいつもの行動を開始してすぐ、私は巡回ルートの途中で子ぎつねを見つけた。
「お前……どうしたの……?」
 子ぎつねはポロ布のような姿になって地面に倒れていた。自分よりも大きななにかに襲われたようで、手足や皮を食いちぎられて血まみれになっている。
 食べ物の匂いをさせていたのが悪かったのか、それとも運が悪かったのか。
子ぎつねは、もう、息をしていなかった。
「……」
 だからなんだということではない。私には役割がある。使命がある。いつも通り、果たすべき任をこなさなければいけない。もう監視行動に行く時間は過ぎている。
 そうわかっていても、私の足は、子ぎつねの亡骸の前から動けなかった。
 涙が落ちた。
 どうして、死んでしまうんだろう。
 こんなに悲しいのに。
「痛かったろうね、ごめんね」
 私は跪いて、子ぎつねの亡骸を抱き上げた。そのまま、私が寝床にしている樹洞のところに戻る。樹の根元に穴を掘って、子ぎつねの亡骸を弔った。
 子ぎつねを埋めた場所に、墓標の代わりに『アーバレスト』を立てかける頃には、私の心は決まっていた。
 ――ここを離れよう。
私にはもう、これ以上の潜伏に意味を見出すこと出来なかった。
 ずっと愛用してきた狙撃銃――『SR43――アーバレスト』。
聖帝様からお預かりした銃器を遺棄することには罪悪感を覚えたが、この先の行動を考えればこれは邪魔になる。いつかまた必要になる日が来たら、その時はここに取りにくればいい。
 そして私は、持てるだけの食料と水、『ケルベロス』だけを持って、潜伏していた森を後にした。

<第三部に続く>

戦塵の魔弾少女 特別短編 ラスト・ワン 第一部

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 第一部


 夢を見た後はうれしい。どんな悲しいことも目覚めれば消えてくれるから。
 夢を見た後は悲しい。どんなうれしいことも目覚めれば消えてしまうから。
 でも、今見ている覚めない夢。この悲しい夢から目覚めるのはいつ?
                      (マーガティの詩集『Never』より)


1 リュミエイラの作戦記録① 最終命令


 私の名前はリュミエイラ。
 部隊の仲間たちは私のことを記録係(ミッションレコーダー)だなんて呼ぶけれど、正直に言えば、その呼び方を嬉しいと思ったことはあまりない。
 体内の法素(ほうそ)を記憶情報化して脳内に留めることで記憶力を高める。私の能力は『法素記憶変換(メモリーホルダー)』なんて呼ばれているけれど、要は、人よりもちょっと記憶力がいいというだけのこと。
 聖帝様のために戦う役割を持つ魔法強化兵(マギナ)である私にとって、そんな地味な能力(ちから)は特に誇れるような物ではなかったし、戦闘で役に立つと感じることも少ない。
 部隊の一員としては、倉庫番(ストアキーパー)の役割を受け持つことはできたけど、それも、装備品の管理に紙がいらないというだけで、私でないと出来ないということではなかった。
 クラリー部隊長のような指揮能力もなければ、よく部隊長と一緒にいるリッカさんやサーシャさんのような戦闘力も、ルーベルちゃんのような射撃の腕前もない。
 黒髪をひっつめたみつあみのお下げと、今ではもう必要のなくなったメガネくらいしか特徴のない、ただ少し記憶力がいいだけの、地味な隊員。
 分隊長リエレイナの率いる『魔法強化兵部隊(レクスマギナ)』第三分隊、狙撃担当の十四歳。
 それが私、リュミエイラ。

 ◇

 革新世紀(エボリューション・エイジ)(E・A)七一年十二月十一日。
 バラトルム聖帝国の帝都ヴァレオンは『世界平和条約機構(ワールド・ピース・ユナイテッド)(W・P・U)』の保有戦力『平和維持軍(サルバトール)』の攻撃を受け、私たち――『魔法(レく)強化兵部隊(スマギナ)』第三分隊はその防衛のため、ヴァレオン南区画で戦っていた。
「『甘い甘ーいケーキが一つ』」
 狙撃中に口を開く人間は珍しいと訓練官に言われた。だが私は、すっかり暗記し口癖になっているマーガティの詩の一節を口ずさんでいる方が不思議と集中力が高まると自覚している。
「『ケーキの上には大きなイチゴ、チョコのおウチと女の子』」
 囁くように、半ば無意識に詠いつつ、私は狙撃銃(スナイパーライフル)『SR四三――アーバレスト』の引き金を引いた。
 銃口から放たれた九・六ミリ口径の狙撃用徹甲弾(てっこうだん)がスコープの中心に捉えていた重装兵の頭部に命中し、弾芯にタングステンを使用した弾丸が高密化チタニウム製のヘルメットを貫通した。頭部を撃ち抜かれた敵の肉体が力を失ってその場に倒れる。
「こちらリュミエイラ、三体目を仕留めました」
 私は通信機を通して、三体目の殺傷(キル)を仲間に報告した。味方がすでに四人の敵を仕留めているから、合わせて七人。私の記憶が確かなら敵部隊は十六人だから、残りは九人ということになる。
 対するこちらは、十人の分隊員のうち、すでに六人が戦死か、あるいは戦闘不能、交信途絶の状態だ。
 もともとの人数差を考慮しても、戦況は芳しくない。
《了解。リュミ、すぐに移動して》
「わかってる」
 分隊長のリエレイナ(お姉ちゃん)に言われるまでもなく、私は次の狙撃ポイントを探して移動を始めていた。
 撃ったら移動。これは居場所を悟られてはならない狙撃手にとって基本中の基本だ。
《まずいよ、このままじゃこの地区を支えきれないっ!》
 通信に飛び込んでくる仲間の切迫した声を聞くまでもなく、状況が不利であることは、分隊の全員がわかっている。
 このままでは勝てない、ということも。
《分隊長、クラリー部隊長に救援の要請を》
《わたしたちがこの状況なのよ、よその分隊も状況は似たようなもののはず。支援はあてにしない方がいいわ》
《でもこのままじゃ――》
《わかってる!》
 錯綜する通信は、聞いたことがないほどに乱れていた。それもまた、隊がかつてない危機的な戦いにさらされていることを物語っている。
《ダメだよ、このままじゃ全滅する! やっ――》
 絶望の声を残して、また一つ、通信が途絶した。これで分隊の戦力は残り三人。
《畜生っ! 侵略者にこれ以上でかい顔をさせるかよっ!》
《ミレイス、無理に攻めないで! 連携を――》
《突破すりゃあいいんだろっ!》
《ミレイス!》
 もう三人しか残っていないのに互いの位置さえ把握できず、連携も取れていない。
 事実上、第三分隊(私たち)は瓦解し、南区画の防衛は崩れていた。私はなんとか味方を支援できるポイントを探していたが、
《くそっ! 畜生、畜生――》
 間に合わなかった。また一つ、交信が途絶する。
《……リュミ、聞こえる?》
「聞こえてるよ、お姉ちゃん」
《あなたは脱出しなさい》
 通信機から、信じがたい言葉が聞こえた。
「脱出? 敵前逃亡しろって言うの? 帝都を守ることが……命に代えても聖帝様の地をお守りすることが私たちの仕事でしょう? 責務を捨てて逃げるなんてできないよ」
 あり得ない、到底承服できない命令に、私は抗議した。
《だから言っているのよ! わたしたちは今日は勝てない。でも、反撃の時が必ず来る。その時に聖帝様の手足となる兵が必要なのよ。生き恥をさらしてでも、反転攻勢の時まで生きることも兵の務めよ》
「でも……」
 それは現場判断での作戦変更――命令無視であり、私たちが受けてきた教育とは違う兵の在り方だ。分隊長にそこまでの権限が与えられているなんて聞いたことがない。
《あなたは脱出しなさい! これは命令ですっ!》
「お姉ちゃん? お姉ちゃん!」
 通信機に呼びかけるが、もう通信は切れていた。反論を聞く気はないという、お姉ちゃんの意志表示だろう。
「脱出しろって……」
 ――仮に私が脱出するとして、じゃあお姉ちゃんはどうするの?
 通信機にその疑問を投げかけたかったが、あいにく通信は切られている。
「……」
 私は狙撃ポイントを探して移動していた途中の、四階建てのビルの屋上に繋がる非常階段の踊り場で立ち止まり、少しだけ考えた。
 私と分隊長(お姉ちゃん)、二人だけの戦力で南区画の防衛は不可能だ。この場で戦闘を継続しても、任された区画を守り切れずに戦死する。
 ならば、脱出してでも生き延びて次の機会を待つべきか。
 今日を生き延びて聖帝様の反転攻勢に呼応せよという命令には、相応の合理性があるように思えた。
「脱出……」
 帝都は包囲されているはずだから、それも簡単なことではないけれど。

 ◇

 妹(リュミエイラ)に一方的に脱出の命令を与えた後、リエレイナは通信機をかなぐり捨てた。
 その足元には一体、敵兵の死体がある。頭部を守っているヘルメットのフェイスガードに真正面からコンバットナイフが突き刺さっていた。
 力任せに殺傷した敵兵の死体を踏みつけてコンバットナイフを抜くと、リエレイラは血を振り払ってから鞘に戻した。
「あと……何人だっけ?」
 銃弾を浴びた腹部が焼けるように熱い。何発もらったんだろう? 出血は止まりそうにないし、弾も何発かは腹の中に残っているだろう。
「七・六ミリを十発くらいかな。……もう、長くはもたないね」
 魔法強化兵(マギナ)の肉体は常人よりも遥かに強靭で、当たりどころ次第ではあるが数発程度の銃弾で致命傷を受けることはない。だが、腹の中に残っている弾は内臓を傷つけ、体力を奪い続ける。
 彼女たちは決して、無敵でも不死身でもないのだ。
 それでも、まだ倒れるわけにはいかない。リエレイナはあえて腹部の銃創に触れると、その痛みで遠のく意識を繋ぎとめた。
「もう少し、もう少しだけ」
 ――あと数分。出来るだけ派手に暴れるんだ。道連れが多ければ多いほど、リュミが脱出できる可能性が高くなる。
 リエレイナは足元の死体から軽機関銃(ライトマシンガン)『LMG五八――ベルゼ・バブ』と腰部に固定されている弾薬ボックスをもぎ取ると、無理やり腰のベルトにくくりつけた。ついでに、戦闘用散弾銃(コンバットショットガン)『ASG六六――プルート』もいただいておく。
「さあ、おいでっ!」
 リエレイラは腹の底から叫び、ヴァレオン南区画を駆けだした。
 どうせもう助からない命だ。身を隠すつもりも、安全性を考慮した戦いをするつもりもない。ただひたすら、南区画にいる敵の注意を引きつけることだけを考える。
 可能な限り、一分でも一秒でも長く。
「もうやめろ、投降を! 命を奪いたくはない! 君は利用されているだけなんだ!」
「散々仲間を殺しておいて何をいまさらっ! 侵略者がぁっ!」
 リエレイラは投降を呼びかける敵兵に叫び返し、『ベルゼ・バブ』を片手保持で発砲した。
 機関銃は本来、片手撃ちするような代物ではなく、敵兵がそれを可能としているのはパワーアシスト機能付きの全身装甲『PA六一――エリゴル』があればこそだ。
 肉体が強化されている魔法強化兵(マギナ)もそう条件は変わらないが、リエレイラの腹部には致命的な傷がある。
 七・六ミリ弾が高密度で連射されると、その衝撃が腹部の銃創に響く。だが構わない。リエレイラは苦痛を奥歯で噛み殺し、弾をばら撒きながら装甲で銃弾を弾く敵兵に詰め寄った。重装兵の腹部の装甲に『プルート』の銃口を押し当てる。
「よせっ――」
 敵の言葉を断ち切るように、発砲。
 高密化チタニウムを多層構造に重ね合わせた装甲とて、ゼロ距離から戦闘用散弾銃(コンバットショットガン)のフルオート射撃を受ければひとたまりもない。腹部装甲が砕け、無数の散弾が臓器という臓器をズタズタに引き裂いた。
「さあ、次に死にたい奴は――」
 半ば、胴体で二つに千切れた敵兵がどっと倒れ、リエレイラが叫んだ瞬間だった。
 リエレイラは、銃弾が空気を切るひゅっという音を、確かに聞いた。
 どこを撃たれたのかもわからない。
 突然、重力から切り離されたように身体が重みを失って、己の意志に従っていたはずのすべてが途切れた。
 ぐるりと世界が回転し、ふわりと身体が浮くような感覚を覚える。
 ――これで死ぬな。
 リエレイラは未知の感覚をそう理解した。
「クラリー部隊長、ありがとうございました」
 死を理解した瞬間、リエレイラは妹(リュミエイラ)を同じ分隊に配属してくれた部隊長(クラリー)への感謝を呟いていた。
 きっと、最後の瞬間に、一分でも一秒でも妹を守れるようにしてくれたのだと思った。
「リュミ――」
 リエレイラの身体が地に倒れる。
 その時にはもう、彼女は絶命していた。

 ◇

 私はビルからビルに渡り歩きながら、帝都を脱出するためのルートを考えていた。
 帝都脱出の最大の障害はもちろん『平和維持軍(サルバトール)』の包囲網だが、もう一つ、大きな壁がある。
 文字通りの大きな壁。ヴァレオンの外周を囲う、都市の防護壁だ。
 通常ならばヴァレオンから出る場合は六方面いずれかのゲートを通行するのだが、今は封鎖されているだろう。
 狙撃銃(スナイパーライフル)と機関拳銃(マシンピストル)しか装備していない私が単独で突破できるはずがない。
 つまり、私がヴァレオンを脱出するためには、都市外周を囲っている防護壁を乗り越えるしかないのだ。
「リッカさんならこういう時、簡単なんだろうなぁ……」
 残念ながら私にそこまでの身体能力はない。とは言え、他人の能力を羨んでもどうにもならない。
 私が他人より優れていることは一つだけ、一度目にした情報は二度と忘れない記憶力だけだ。
 私はヴァレオンの地図を思い浮かべ、高い建物が防護壁近くに建設されているポイントを――防護壁を越えられそうなポイントを探す。
 すぐに三つ、候補が見つかった。私は迷わず、現在地から一番近いポイントを目指し、移動を開始する。
 帝都の外周を囲う防護壁の高さは約六メートル。
 私が見つけた防護壁近くの建築物は三階建てで、屋上の高さは八メートルくらいだろう。
 そして、都市法により防護壁から十メートルの距離にはあらゆる建築物の建設が禁止されている。
 高さの余裕は二メートルあるが、水平距離で十メートルの走り幅跳び。
 私の身体能力では、それは容易いことではない。
 でも、それをやらなければならない。
 私は背負っていた『アーバレスト』を逆さまにして、銃口部分を掴んだ。全長百十五センチの狙撃銃は、銃口からグリップまででも一メートル近くある。このグリップを防護壁にひっかけることができれば、それでいい。
「よし」
 私は呼吸を整えると、ずり落ちていたメガネの位置を直し、可能な限りの助走距離をとって走り出した。
 ――思いきって、跳べ!
 私の足が屋上のふちを蹴り、私の身体が空を舞った。
「うわああああっ!」
 身体を全力で前に押し出し、『アーバレスト』を逆さまに持った手を限界まで伸ばす。
 長い長い一瞬の無重力。
 身体が滑るように落下を始め、絶望的な高さの防護壁が眼前に迫ったその時――
 がくっ、と『アーバレスト』を掴んだ右手に衝撃。
『アーバレスト』のグリップが狙い通り、防護壁に引っ掛かっていた。
 ――やった!
 私は『アーバレスト』の銃身を手掛かりにして防護壁を乗り越えると、転げ落ちるようにして着地した。敵軍は防護壁を乗り越えての脱出を想定していなかったのか、周辺に敵兵の姿はない。
 ヴァレオンの西八百メートルほどの地点に森がある。まずはそこに潜伏し、今後の行動について考えよう。
 そこまでは平地、身を隠すものもない。
 ならば可能な限り迅速に。
「これは裏切りじゃない。来るべき、反撃の日のために……」
 お姉ちゃんや、他の分隊のみんながどうなかったのかもわからない中での戦線離脱に罪悪感がないわけではなかったから、私は、そう自分に言い聞かせた。
 それでも頬を伝い落ちる涙を止めることはできず、私は涙を拭いながら、ヴァレオン西方の森を目指し八百メートルの平地を一息に駆け抜けた。
 追跡されただろうか。だが、たとえ捕捉されていたとしてもこちらが先に身を隠したのだ。待ち伏せへの警戒を考えれば敵がこの森に踏み込んで来るまでは時間があるはずだ。
 私は息を整えながら、森の奥に踏み入っていく。ある程度は地形の把握もしておいた方がいいし、暗くなる前に落ち着いて休めそうな場所も見つけておきたい。
「けっこう深い森なんだ」
 木々の鬱蒼と生い茂った森だった。五十メートルも進むと、曇天の日中だとしても、辺りは薄暗い。私は何となく、ムーンケイブの森を思い出した。お姉ちゃんや仲間たちと訓練を重ねたあの森を。
 あの時は百人近い仲間と一緒だったが、今、私は一人きり。だが、私の闘志は揺らがない。ここからならすぐにも帝都に駆けつけることができる。来たる聖帝閣下の反撃に合わせて、敵の側面を攻める。
 もちろん私一人でどの程度の働きができるかはわからない。だが、それを気にしても仕方がない。問題はどの程度働けるかではなく、この命で出来る最善の仕事をすることだ。
 それが役割であり、お姉ちゃんに託されたことなのだから。
「そのために最も重要なことは――」
 聖帝閣下の反撃はいつか、ということ。
 あらゆる行動に置いて、最も重要なものは情報だ。ただこの森に潜伏しているだけでは味方の行動から取り残されてしまう可能性が高い。帝都の様子だけは絶えず把握しておかなければならなかった。
 私はスリングベルトで背負っていた『SR四三――アーバレスト』に触れた。壁を超える時に無茶な使い方をしてしまったから照準は狂っているはずだし、調整、試射をしなければ狙撃銃としてはあてにならないが、狙撃用のスコープは望遠鏡として使えないものではない。
 今日中に木の上かどこか、見晴らしのよさそうな場所をいくつか見つけて、明日から帝都の様子を監視する体制を整えよう。
 何日くらい続けることになるだろうか。
 数日ならまだしも、一週間を越えてくるようであれば食料の調達も考える必要がある。
 私は携行している装備品を頭の中で数えあげていく。
 携行している武器は残弾七発の『SR四三――アーバレスト』と機関拳銃(マシンピストル)『МP四八――ケルベロス』が一丁。こちらは装填済みの十五発と予備の弾倉が二つで四五発ある。
 状況にゆとりがあれば『アーバレスト』の照準を確かめておきたいところだけど、銃声を立ててしまうし、弾が七発しかないことを考えると悩ましいところだ。
 ウエストバッグの中には携行食糧が少しと小さな水筒。衛生キット、軽量の雨合羽(ポンチョ)、ツールナイフとライター、個形燃料が三つ。
「とても長持ちする装備ではないけれど、これで何とかするしかないし……」
 まずは帝都を監視するポイントの選定と、行動拠点の確保。それから水と食料の調達だ。
「さあ、仕事をしなさい、リュミエイラ」
 たとえ最後の一人になったとしても、私は『魔法強化兵部隊(レクスマギナ)』の一員であり、バラトルム聖帝国を支えるべき兵の一人なのだ。
 バラトルム聖帝国の兵として、やるべきことは無数にある。
 私はそれに没頭した。
 やるべきことがあるのはありがたいことだった。
 その間は一人になってしまったことを、お姉ちゃんがいなくなってしまったことを、感じないで済むから。


 私が帝都を望むことのできる見晴らしのよい樹上のポイントを三か所確認した時点で、雨が降り始めた。ざあざあと、葉を叩く雨粒の合唱が森の中に響く。
 雨音は気配を隠す。私にとっても、いつ来るかわからない追手にとっても、敵にも味方にもなる。この雨はどちらの味方になるだろう。
「……雨の気分をあてにはできないし、自分の力で雨を味方にしないとね」
 身体を冷やせばそれだけ体力を失う。私はバッグの中から雨合羽(ポンチョ)を取り出すと、降り始めた雨から身を守った。
「今日はここまでか。あとは休める場所を……」
 出来れば雨に濡れずに休めるところがあればいいんだけど。
 私は雨を防げる場所を探して、森の中をさまよう。
 森を歩きまわっていた私は幹に樹洞のある大木を見つけた。私が両腕を広げても端から端まで届かない太い幹に、ぽっかりと穴が空いている。
「ここでいいかな」
 私は樹洞の中を覗き込んだ。広さは膝を抱えれば私一人なら何とか入り込めるくらいで、水もたまってもいないし、虫も、住み着いている動物もいなさそうだ。
 これなら雨風を凌ぐだけなら十分そうだ。私は手近なところからきれいな葉をむしって中に敷き詰めると、洞穴の中に入った。
 少し気を緩めると頭をぶつけそうになるけど、これで雨に濡れないで休むことができる。
 私はバッグから水筒を取り出すと喉を湿らせる程度に水を飲んでから、口を開けたままにして地面に置いた。しばらく置いておけば雨水がたまるだろう。
「疲れたな……」
 とりあえず、少し眠ろう。
 雨合羽(ポンチョ)を寄せて体温を守ると、私は目を閉じた。
 パラパラと、森に雫が落ちる音だけが聞こえる。誰の声もしない。
 独りになったのだと、初めて感じた。
「寒い……」
 息が白い。手先が震えている。私は身体をできるだけ小さく寄せて、かじかむ指先を息で温める。
「『深い深い闇に沈んで目を閉じる』……」
 私はいつものようにマーガティの詩を諳(そら)んじる。
「『ここは暗い暗い海の中。
 静かで、一人。誰もいなくて、一人。
 私は潜る、ふわふわ沈む。
 冷たい冷たい、寒い寒い、真っ暗な海の底。
 でもちょっとだけほっとする、一人ぼっちの海の底』」
 私は本に載っていた写真でしか海を見たことがない。もちろん、海に入ったこともない。
 だから、海に沈んでいくという感覚は私にはわからない。でもこの詩を詠むと、いつも身体がゆっくりと深い水の底に沈んでいくような気持ちになる。
 音が消え、光が消え、身体の重さがなくなって。私は海底の柔らかい砂の上に、……とすん、と静かに横たわる。後はもう、生まれる前のような深い安らぎの中で目を閉じているだけだ。
 海の底でそうするように、私は樹洞で目を閉じた。
 深海に沈んでいくように、私の意識は落ちていった。

 ◇

 革新世紀(E・A)七一年十二月十五日。
帝都を脱出してから四日目。私は森に潜伏し、帝都の監視を続けていた。
 ヴァレオン防衛戦の日に降り始めた雨は、今日も降り続いている。
 今日までの三日間、帝都に大きな変化はなく、時折銃声がするなど小競り合いの気配は感じられるが反転攻勢といった大きな戦闘が起こっている様子はない。
 私は帝都の監視を続けながら、帝都の現状を推測する。
 聖帝様はおそらく地下施設などに身を隠し、防衛体制を整えながら進行してきた敵部隊に対するゲリラ戦に出るだろう。聖帝閣下が健在であるとなれば、敗走していた各地の部隊も士気を取り戻し、この帝都に集結してくるはずだ。
 反撃の時は必ず来る。
 私の仕事も、その時だ。
 私は監視塔として利用している木から下りると、寝床にしている木の所に戻った。この木の近くに湧き水の出ている場所も見つけたし、森を歩けば食用にできる野草や木の実なども見つけられる。しばらく潜伏するくらいなら問題はなかった。
 私は小一時間ほど森の中を歩いて、今日の分の野草とキノコ、木の実を確保した。この数日、以前に読んだ野草図鑑の記憶が思わぬ形で役に立ってくれている。
 私は石で作ったかまどに固形燃料を置くと、水筒のふたをコッヘルの代わりにして、集めた食材を煮始めた。
 何の味もないただ茹でただけの水煮だが、それでも食べれば生きられる。
 死が許されるのは、それが聖帝閣下の役に立つ時だけだ。
 わたしは固形燃料の火を消すと、水筒のふたが冷めるのを待った。コッヘルと違い取っ手がないから、加熱してすぐは素手では触れない。
「聖帝様、頂戴します」
 火傷しないくらいに冷めたことを確認すると、私は聖帝様に感謝して、その水煮を食べた。青臭いだけの葉っぱだがしつこく噛みしめているとかすかな甘みを感じられるし、キノコのつるっとした食感も悪くない。温かいお湯を飲むことで体温も上がる。十分だ。
 食事を終える頃になると、日暮れの時間が近づいていた。
 雨がやむ気配もなく、森の中はみるみる闇に包まれていく。
 また、少し眠っておこうか。
 私は樹洞にもぐりこんだ。
 食べたばかりなのにお腹が空いているけど、もう気にせずに目を閉じた。


 私が帝都を脱出して八日目――革新世紀(E・A)七一年十二月十九日の深夜。
 夕方に軽く眠った私は夜陰に紛れて森の中を移動し、帝都の様子を確かめるために監視ポイントにしている木の上に登った。
『アーバレスト』のスコープを使って帝都の様子を確かめていると――
 ずん、と、遠く離れていてもわかる爆発音が一度、響いた。
「!」
 それから数度、パラパラパラパラパラ……と断続的な銃声が聞こえた。
「交戦? 味方が反撃を始めたの?」
 私も動くべきかと考える。だが、帝都に友軍が集結してきた様子は確認できていない。戦力的な不利を覆すことはできていないはずだった。友軍が――聖帝様が反攻に出たのだとしたら、なぜ、このタイミングで?
 私は自分の持ちえる情報の限りを尽くして、現状を推測する。うかつに動いて犬死にをすることだけは避けねばならない。
「……静かになった。終わったの?」
 戦闘は私が状況を分析している間に収束したらしい。
 帝都はすぐに静かになった。
 聖帝様の部隊が本気で戦闘を仕掛けたのだとしたら、こんなに早く戦闘が終わるとは思えない。
 つまり、先ほどの戦闘は散発的に発生したものか、あるいは帝都に潜伏している味方が敵を疲弊させるために仕掛けたものなのだろう。
 つまり、私の命を使うべき乾坤一擲の一戦ではないのだ。
 その戦いは、帝都に友軍が集結してからになるはずだ。
 私は木の上から下りると、拠点に戻った。
 樹洞にもぐりこんで、私は帝都にいる聖帝様のことを考えた。自らの都を他国の軍に踏みにじられて、忸怩たる思いでおられることだろう。
 それは私も同じだ。だが血気にはやってはいけない。今は耐える時なのだ。
 その先にある勝利のために。
 だが、私は心のどこかで、恐怖を感じてもいた。
 その戦いの時は、いつなのか。
 あるいは、私が気がつかないまま、その時は過ぎ去ってしまったのではないか。
 この森に身を隠してから八日間。先ほどの爆発音は、その間で起こった最も大きな出来事には違いなかった。
 もしかしたら、私は死に時を見誤ったのではないか?
 あの爆発を確認した瞬間に、私は聖帝様の兵として帝都に馳せ参じるべきだったのではないか?
 私には到底、正解のわからない疑問がぐるぐると脳裏をめぐる。
 不安に負けてはいけない。
 戦いは、まだ続くのだ。
 私が私で居続ける限り。
 翌日、ヴァレオンの戦いの日から降り続いていた長雨が上がった。
 



2 平和の日々


 革新世紀(E・A)七二年二月二十日。
 ヴァレオンの戦いから間もなく三カ月が経過しようとしていたこの日、リッカは久しぶりにオークストラの空を見上げていた。
 記憶の中にあるオークストラの空は霞がかったくすんだ色だったが、今、オークストラの上空には透き通るような青空が広がっている。
 ――こんなに青かったでしょうか?
 空の色だけを見ていると、まるで別の場所にいるのではないかとさえ思えてくる。
 だが、足をついている大地に視線を下ろせば、一面を埋め尽くす瓦礫の山は記憶していたままでなにも変わっていない。
 対テロ作戦の一環として破壊された工場地帯の、その跡地だった。この辺りはまだ復興が始まってはいないらしい。
「あれから二年以上経ったんですね……」
 風が、短めにカットしたリッカの赤毛を揺らして吹き抜けていった。その匂いも記憶のままだ。
 クラリー、ルーベル、ラトナ、シグ。
 リッカはかつて、『家族』と呼び合った四人の仲間たちと、ここで暮らしていた。廃工場の地下で身を寄せ合い、気ままに街を駆け回りながら、力を合わせて生きていた。
 今はもう、リッカとルーベルの二人しかいない。
 リッカが久しくこの場所を訪れたのは、いなくなってしまったうちの、その一人に会うためだった。
「確かこの辺りのはずですけど……」
 リッカは記憶を頼りにシグの墓を探して、瓦礫の中を歩いた。
「あ、ここですね」
 瓦礫の山の中の開けた一角に、白いハンカチを結びつけた一本の鉄パイプが立ててあった。シグの墓の目印としてリッカたちが立てたものだ。
 あれからの月日を物語るように、ハンカチはすっかり汚れている。
「……シグ。あれからいろいろとあって、ずっと来れなくてすみませんでした」
 実を言えば、施設に入ったばかりだし、まだまだ思い通りに動ける身ではない。今日は施設職員のマレアに少しワガママを言って連れて来てもらっていた。
「寂しくないですか? クラリーとラトナは一緒ですか?」
 もし死後の世界があるのならそこでみんな一緒にいるのだろうと思うし、そうであってほしいと思う。
「クラリーとラトナ、みんなと一緒に待っていて下さい。ルーベルのことは、わたしが一緒ですから心配しないで下さいね」
 リッカは立ち上がり、もう一度空を見上げた。
 ――クラリー、ラトナ、シグ、サーシャ、みんな。
『家族』として一緒にこのオークストラで生きていた仲間のことを想う。サーシャやペリエ、『魔法強化兵部隊(レクスマギナ)』の仲間たちのことを想う。みんな一緒にいるだろうか?
「もしそうだったら、シグは女の子に囲まれて大変ですね」
 そんなことになったらシグはきっと恥ずかしがって、不機嫌そうな顔をしてばかりになるだろう。
 クラリーとラトナ、『魔法強化兵部隊(レクスマギナ)』の少女たちに囲まれているシグを想像すると、少し可笑しくて、リッカは一人でくすくす笑った。
 リッカがこうして笑えるのは生きているからで、リッカがこうして生きているのはクラリーとの約束があるから。
 リッカの今があるのは、クラリーの願いがあったからだった。
「クラリー、わたしはちゃんと生きてますよ」
 心地よい風がオークストラの郊外を吹き抜けていく。

 ◇

 検査とカウンセリング、そしてガエン政権の戦争犯罪に関しての事情聴取を主な目的とした約二カ月の入院の後、リッカとルーベルはバラトルム南西部の平原地帯にあるスターリアの町の児童福祉施設に移された。
 この児童福祉施設は『世界平和条約機構(W・P・U)』が用意したもので、リッカとルーベルはここで五人の保護司、十三人の孤児とともに共同生活のような形で暮らしている。
 魔法強化兵(マギナ)育成を目的としたバラトルム政府の児童保護施設などとは違う、本当の児童保護を目的に作られた施設だ。
 保護司たちはリッカとルーベルの事情を知らない。
 リッカとルーベルが肉体を非人道的手段で改造された魔法強化兵(マギナ)であることも、ガエン独裁政権の兵として人殺しをしていたことも、なにも聞かされていない。単に内戦で親を失い保護された戦災孤児だと思われている。
 これには『世界平和条約機構(W・P・U)』の内部的な事情も絡んでいた。
 バラトルムの独裁政権によって肉体改造を受けヴァレオン防衛戦に参加したリッカたちは、ジグマ社を筆頭に軍需産業と繋がりの深い『世界平和条約機構(W・P・U)』の強硬推進派にとっては興味深い研究対象であり、強硬派の活動を牽制したい融和政策派にとっては『平和維持軍(サルバトール)』がバラトルムで少年兵を巻き込んだ軍事作戦を展開したことを証明する生き証人である。
 どちらの陣営から見ても、リッカたちは重要性のある人物なのだ。
 そのどちらにも属さない人権派としてリッカたちを保護したノーマン・アドルソンは、リッカたちがそうした政争に巻き込まれることを嫌い、可能な限り、ただの戦災孤児として処理をした。
 リッカとルーベルが穏やかに過ごせる今は、その尽力の成果と言えた。

 革新世紀(E・A)七二年二月二三日。
 正午過ぎの青空の下に、柔らかく耕された畑が広がっていた。土の上を這うように蔓が伸び、葉もたっぷりと茂っている。
 リッカは作業用の軍手を履いた手でその蔓の根元を掴むと、力を込めて蔓を引き抜いた。
「ん――わっ」
 硬いかと思っていたら予想より簡単に抜けてしまった。勢い余ったリッカは盛大に芋を振り上げて、芋に付いていた土を背後に飛び散らせながら畑の土に尻もちをついた。
「わぶっ、なんだ?」
「リッカか? やめろよ」
「ご、ごめんなさい」
 リッカがまき散らした土を浴びた少年たちから非難の声が上がり、リッカは詫びた。どうにも、力加減が難しい。
「……でも、採れました」
 リッカの手には、蔓で繋がったたくさんの芋。
 自分の手で耕した畑に、自分の手で種芋を植え育てた芋だ。
 収穫の喜びに、リッカは表情をほころばせた。
「ルーベル、ほら、見て下さい。たくさん採れました」
 リッカは少し離れた場所で農作業に勤しむ子供たちを眺めていたルーベルに歩み寄り、採れたばかりの芋を見せた。
 ルーベルは芋を見せられても特に表情を変えることもなく、ただ、両方の側頭部で結った淡いオレンジのブロンドを不安げに揺らして、ぼんやりした瞳をリッカに向けた。
「今夜食べましょうね。ルーはなにが食べたいですか?」
「……」
 ルーベルは思案しているような返答に困っているような、そんな顔をリッカに向けた。
「まだ寒いですし、温かいシチューとか美味しそうですね」
「……うん」
 ようやくうっすらと笑みを浮かべたルーベルが、こくりと頷く。
「たくさん採れましたか?」
 リッカがルーベルと話していたら、子供たちの畑仕事を監督していた保護司のマレア・セラーが声をかけてきた。
「はい、こんなに採れました。じゃあ、わたしはもう少し作業がありますから、これはルーが持っていて下さい」
 リッカは手にしていた芋をマレアに見せてから袋に入れ、ルーベルに預けた。
「じゃあルーベル、もう少しで終わりますから待ってて下さいね」
 にこりと笑いかけてルーベルの髪を撫でようとしたリッカが泥だらけの手に気付いて苦笑した、その時だった。
「――!」
 ――襲撃!
 常人を超越した聴覚が危険を察知し、リッカは咄嗟に振り向いた。視界に触れた黒い飛来物から顔をかばうと、それはリッカの手のひらに当たって潰れた。
「ちっ、はっずれー」
「へったくそー」
 リッカの手に当たって潰れた物は、畑の土を固めた泥団子だった。
 投げたのはリッカが先ほど泥をかぶせてしまった少年たちだ。はずれと言ったところをみると、リッカの後頭部に泥団子をぶつけようとしたのだろう。
「こら! なんてことするのエルヴィン! 女の子に乱暴したらだめでしょう!」
「なんだよー、さっき泥をぶっかけられたお返しだろ!」
 マレアの叱責に口答えしつつ、エルヴィンと仲間たちは逃げて行った。
「ごめんなさいね、大丈夫?」
「――あ、はい、平気です、ただの泥ですから」
 リッカは手のひらの泥を落としながら笑った。
 そう、泥だから平気。
 ここは戦場ではないのだから、もう銃弾が飛んでくることはない。そうわかっていたはずなのに過敏に反応してしまった自分に内心で苦笑する。
「ごめんなさいね、あとで私から言っておくわね」
「いえ、もともとはわたしが土をかけてしまったせいですし」
 銃弾の雨すらかいくぐったことがある身だ。泥団子の一つや二つ、なんてこともない。
 ただ、同じ建物で寝起きしている少年から物を投げられたことが少し悲しい。
「あなたがしっかりしてくれているから私も助かるわ。ありがとね」
「しっかりなんて、してないですよ。ずっと、なにも出来なくて……」
 あの戦場で、ヴァレオンの戦いで、なにもできなかった。今、自分がここにいるのは、全部、クラリーのおかげだ。
 それはリッカの本心だった。
 強くて、優しくて、いつだって冷静で。国のために、聖帝のために死ぬのだと心を支配されていたリッカたちを生かすために全身全霊、文字通りすべてをかけてくれた人。
 それがクラリーだ。
 ――あと少しだけでも何かできていたら、クラリーの力になれていたら、クラリーは死ななくて済んだのではないでしょうか?
 胸を刺されて、両足を潰されて、雨に打たれて。そんなふうに死なないで済んだのではないか?
 それは何度繰り返したかわからない自問。
 もう、回答を得ることは永遠にかなわない問いだ。
「リッカさん……?」
 憂いを帯びたリッカの表情に、マレアが首を傾げた。
「……すみません、大丈夫です。もう採れそうな葉野菜がいくつかあったので採ってきます。ルーはマーヤと一緒に、もう少し待っていて下さいね」
 心配そうなマレアにリッカは微笑みを向け、リッカは畑に戻った。
 この施設で暮らし始めて、すべてがうまくいっているというわけではないと思う。それでもリッカは、この施設での暮らしになんの不満もなかった。
 リッカのただ一つの気がかりは、ルーベルのこと。
 入院してから一週間と経たないある日を境に両足に原因不明の脱力が起こり、歩くことが困難になってしまったのだ。今はどこに行くにも車椅子を必要とする生活である。
 いくら検査をしても外科的な要因は見つけることができず、心因性のものではないかと医師は語った。
 その説明の大部分に納得しつつ、リッカは心のどこかで不安を感じている。両足の脱力という症状は、リッカにクラリーの最期の姿を連想させる。
 落下した鉄骨に両足を潰された、痛ましい姿を。
 ルーベルはクラリーの最期の姿を見てはいないはずだ。だが、どこかでクラリーの痛みを感じているのではないか?
 そんなことあるはずがない。そう思いつつも、つい、そんなことを考えてしまう。
 リッカは青々した葉野菜をいくつか収穫すると、ルーベルのところに戻った。
「お待たせしました、わたしの今日の作業は終わりです。少し景色を眺めてから戻りましょうか?」
「……うん」
「はい。じゃあ行きましょう」
 リッカは車椅子を押して、スターリアの郊外を歩き始めた。
 これからのことを思うと、不安もないと言えばうそになる。悪夢にうなされる夜も、突然、罪悪感に襲われることも、そう珍しくない。
 ――でも、まだ生きています。
 この世界が嫌になったことも、命を投げ捨てたいと思ったこともある。
 でも、リッカにはこの世界を生きるたった一つの命しかない。
 どこにも代わりなんてないし、やり直しも出来ない。
 一回きりだ。
 だから、雨に濡れても泥にまみれても、どんな罪に汚れても、ちゃんと生きる。
 この重みと痛みを胸に抱いて、共に生きていくしかない。
 死者に報いる方法は、きっとそれしかないのだ。
 ――そうですよね? クラリー、ラトナ、サーシャ。
 リッカは真っ白い太陽の輝く青空を見上げ、もしも天国があるならばそこにいるであろう友を想った。

 ◇

 児童福祉施設では、リッカとルーベルは二人で一部屋を利用している。ベッドが二つと机が一つ、小さなクローゼットがあるだけのシンプルな部屋だ。
 机の上には封筒が一つ。リッカ宛ての手紙は検査入院とカウンセリングを終え退院した時に出したソルへの手紙の返事で、届いたのはつい先日だ。
 リッカは封筒から便箋を取り出し、開いた。
『リッカさんへ。
 お手紙ありがとうございます、ソルです。
 無事に退院されたそうで、ほっとしました。
 これからはルーベルさんと一緒に施設で暮らすことになったんですね。お二人が一緒にいられると聞いて、なんだか僕もうれしいです。
 この先も、いろいろと大変なことがあると思いますが、本当に辛いことを経験してきたお二人ならきっと乗り越えて行けると思います。
 それでも辛いと思うことがあったら、いつでもファザーフに来て下さい。
 いつまでも変わらない、なにもない村ですが、だからこそ、ここはいつでも、誰でも帰ってこれる場所なのではないかと、最近はそんなふうに感じています。
 それではどうかお元気で。ルーベルさんにもよろしくとお伝えください』
 手紙は彼らしい優しい字で書かれ、赤と黄色の小さな花で作った押し花が添えてあった。
 おそらく、リッカとルーベルの髪の色に合わせたものだろう。
 赤と黄色の花を並べると、なんだか自分とルーベルが並んでいるように見えて、リッカはそれが、ちょっと嬉しい。


 革新世紀(E・A)七二年二月二六日。
 この日の夕食はポテトグラタンとポテトフライ、サンドイッチだった。自分たちで育て、自分たちで調理した食事はまた格別な味わいがある。
「グラタンうめぇな」
「俺の芋だぞ」
「お前だけじゃないだろ、俺だって植えたぞ」
「お前のはちっちゃかった奴だろ?」
「なによ、作ったのはあたしたちでしょ」
「味付けしたのはレムなんだからね」
 美味しい食事に少年たちがはしゃぎ、調理は自分だと少女たちが胸を張る。
 無理もない。少なくとも半年前には路上で残飯をあさりながら生きてきた子供たちだ。毎日食べる物があって、ゆっくりと眠れる場所がある。安心と安全に包まれた日々が嬉しくてたまらないのだろう。
 リッカとルーベルは、その平穏に心から馴染みきれないでいる。
 路上で暮らし食いつなぐだけで精一杯だった子供たちに比べれば、衣食住という点では遥かに満たされてはいたのだ。むしろ満腹は害悪、食事は必要最小限にとどめ、いつでも動ける万全の身体を維持するようにと教えられてきた。
 いまさらそんな必要はないのだと理解してはいても、『魔法強化兵部隊(レクスマギナ)』の一員として活動していた頃の感覚はまだ残っている。リッカは物音を立てないように、細々と食事を進める。
「ルー、おいしいですか?」
 ちらりと隣に座っているルーベルの様子をうかがうと、ルーベルは膝の上にクマのぬいぐるみ(マーヤ)を乗せたままじっとしているだけで食事を始めてはいなかった。
「ルー?」
 リッカは食事の手を止めて、ルーベルの顔を覗いた。ルーベルはぼんやりと、焦点の定まらない視線を食卓に向けている。
「ルー。ほら、食べましょう」
「でも、ルーはお手伝いしてないから……」
「いいんですよ。それでも、これは全部ルーの分なんですから」
「……でも」
 ルーベルが何に逡巡を感じているのかが、リッカには手に取るようにわかる。
 ――この国のすべては聖帝閣下の所有物だ! 役立たずに食わせるものはない!
 訓練を受けていた頃から、そんなふうに何百何千と怒鳴られた。
 振り返ればあれは異常な心理状態だったとわかる今になっても、『魔法強化兵部隊(レクスマギナ)』として活動していた時に、国の役に立っていることで生きる――存在する価値を得ているのだという実感を持っていたことは否定できない事実だ。
 幸福はもちろん、食べ物も、自身の存在さえ決して無償ではない。
 戦いの中で自分の価値を証明し続けることが、生きる条件。
 そんな価値観の中で過ごしてきた時間と、その中で奪い続けてきた命。
 それを想うと、無償で与えられる糧に妙な居心地の悪さを感じてしまうのだ。
「あら、食べないの? 何か苦手な物があったかしら」
 マレアが食事の進んでいないルーベルに気がついて、様子を見に来た。
「あの、ルーはわたしが見てますから、大丈夫です」
「そう? そうね、じゃあお願いするわ」
 リッカがルーベルに手を貸そうとしたマレアに断りを入れると、ルーベルがリッカ以外に心を開いていないことを知っているマレアは他の子供の様子を見に戻っていった。
「さ、ルー。まずは一口食べてみましょう。ほら、あーんってして下さい」
「……うん」
 リッカが少量のポテトグラタンをスプーンにとって差し出すと、ルーベルが大人しく口を開けた。リッカは冷め始めているポテトグラタンをルーベルに食べさせた。
「おいしいですか?」
 ルーベルの可愛らしい口が、もくもくとポテトグラタンを咀嚼する。と、不意にその動きが止まった。
「ルー?」
 まだ口の中に残っているはず、とリッカが訝しく思った、その瞬間だった。
 ルーベルが、吐き気を催したように背中を丸めて口を押さえた。
「ルーっ」
 ルーベルは肩を震わせて吐き気をこらえると、嘔吐はなんとか堪えて、口の中に残っていた物を飲み込んだ。
「ルー、大丈夫ですか? ルー?」
 口を押さえたままルーベルは動かない。その背中をさすりながら、リッカはルーベルの顔を覗き込む。苦しげに閉じたルーベルの瞼から、ぽとりと涙の雫が落ちた。吐き気に震えた背中が、今度は嗚咽に震え始めた。
「あーあ」
 食卓を囲んでいた少年の一人――エルヴィンがまただよと言いたげに聞えよがしな声を上げた。その声に、ルーベルの背中がまた震える。
「エルヴィン」
「ふんっ」
 マレアの叱責から顔を背けると、エルヴィンはリモコンを取ってテレビを点けた。
《暫定政府は代表選挙へ向けた行程表を作成していくと発表しましたが、バラトルム各地ではいまだに旧政府軍残党によるテロが散発的に発生しております。こうした状況下で代表選挙を実施するというのは――》
《『世界平和条約機構(W・P・U)』の広報官は『平和維持軍(サルバトール)』の駐留部隊によるテロの封じ込め計画を進めているようですが――》
《――選挙は侵略者と売国奴の共謀にされた不法不当なものであり、我々はこのような暴挙を決して認めない。約四ヶ月後に迫ったバラトルム初の代表選挙に対し、バラトルム愛国戦線を名乗る旧政府軍勢力がこのように声明を――》
 エルヴィンがぽちぽちとチャンネルを回すが、複数ある局はどこも報道番組を流していて、子供向けの番組は放送していなかった。
「なんだ、つまんねーの。あっちでカードでもやろうぜ」
「こらこら、遊ぶのは食器を片づけてからよ」
「はぁーい」
 食事を終えた少年たちが食器を流しに運ぶと、ばたばたとカードゲームの置いてある部屋に移動していく。にわかににぎわいを増した風景から取り残されたように、リッカとルーベルを包む空気だけが沈んでいた。
 すがるように肩を掴んだルーベルの手から、その心の痛みが伝わってくるような気がする。リッカはそっと、ルーベルの手に自分の手を重ねた。
「ルー、お部屋に行ってもう少しだけ食べましょう? ね、そうしましょう」
「……うん」
 涙をこぼしながらも、ルーベルがこくりと頷く。リッカはルーベルの食事をトレーに移すと、ルーベルの膝に乗せた。
「マーヤを汚さないように気をつけて下さいね」
 リッカはルーベルの車椅子を押して、二人の部屋に戻った。
 それで少し落ち着いたのか、ルーベルはリッカの介添えで全量の三分の一ほどを食べた。
「美味しいですか?」
「うん」
「よかったです。もう少し食べますか?」
「ううん、もういい」
「そうですか。じゃあベッドに行きましょう」
「うん」
 食器を乗せたトレーを机に移すと、リッカは車椅子に座っていたルーベルに肩を貸して、ベッドに寝かせた。
「はい、ルーの大好きなお友達ですよ」
 枕元にクマのぬいぐるみ(マーヤ)を置くと、ルーベルの小さな手がぬいぐるみの腕を掴んだ。リッカはルーベルのさらさらのブロンドを優しく撫でると、枕元を離れた。
「食器を片づけてきますから、少しだけ待っていて下さいね」
「平気だから」
「はい、行ってきますね」
 リッカはトレーを手に、ルーベルを残して部屋を出た。
 キッチンに向かう途中、ルーベルの容体についての医師の言葉を思い出す。
 ――検査結果を見る限りでは、ルーベルさんの身体に異常はありません。
 足が動かなくなったルーベルの症状について、担当してくれた医師は外科的な処置では対応できないと言った。
 ――あまり断定的なことは言えませんが、心因性……ヒステリー性の神経麻痺のようなものかもしれません。明日にも治るかもしれませんし、一年、もしくは十年かかるかも知れません。
 リッカはため息をついた。
『不滅の盾(アイアス)』やフォレア村の人々。『平和維持軍(サルバトール)』の兵士。そして、ロイゼ。
 望んだわけでもなく、ダイラムたちに支配されていた時のことだとしても、ルーベルが奪った命はあまりにも多い。
 もちろんリッカもそれは変わらない。だが部隊配置の関係上、リッカは非武装の民間人や無抵抗の相手を殺したことはなかった。一方のルーベルは、狙撃手として抵抗すらできない相手を何人も葬ってきた。
 自分たちを救おうとしていたロイゼすら、その手にかけてしまったのだ。
「自分を許せない気持ち……でしょうか」
 ルーベル自身の自分を責める気持ちが、自分の身体を攻撃してしまっているのだろうか。
 リッカやそれ以外の誰が許すと言っても、ルーベルは自分を許せないかも知れない。
 それは、悲しいことだと思った。
 少なくとも、不幸になるためにあの戦いを生き延びたのではないはずなのだから。
「リッカさん、ルーちゃんの様子はどうかしら?」
 リッカがキッチンで食器を洗っていたら、マレアが手を貸しにきた。
「はい、ちゃんと食べてくれました。今はベッドで休んでいます」
「そう、よかったわ」
「ありがとうございます」
「お礼なんて言わないで。それよりごめんなさいね、エルヴィンにはいつも言っているのだけど」
「大丈夫です、ルーは強い子ですから」
「そう……そうね。でも、エルヴィンのこともあまり悪く思わないであげて。あの子は戦争でお姉ちゃんを亡くしているから、きっと優しいお姉ちゃんに守ってもらってるルーちゃんが羨ましいんだと思うの」
「……そうだったんですか」
 それもまた、戦争が残した傷の一つ。
 バラトルムでは、誰もが傷ついている。すべての傷が癒えるまでは長い時間がかかるだろう。あるいは、永遠に癒える日は来ないかもしれない。
「それは、悲しいです」
「ええ。だから、みんなで悲しいことを一つずつ減らしていきましょう。そうすれば、いつかきっとみんなで笑える日が来るわ」
 リッカの洗い物を手伝いながら、マレアが微笑んだ。その微笑みは少しだけ、ロイゼに似ているような気がした。
 食器を片づけてリッカが部屋に戻ると、ルーベルはもう寝息を立てていた。ぎゅっとマーヤを抱きしめて眠っている。
 そっと寝顔を確かめると、目尻が涙で濡れていた。
「おやすみなさい」
 囁きかけて、リッカは人差し指でルーベルの涙を拭い、さらさらの髪を撫でた。
 ――ルーベルがまた笑える日までは。
「ずっと一緒にいますからね、ルーベル」
 ルーベルの顔にあの天真爛漫な、リッカの大好きな笑顔が戻るまでは、絶対に離れない。
 そばにいて、守り続ける。
 クラリーが、そうしてくれたように。
 可愛らしい寝顔を見つめて、リッカは改めて誓いを立てた。

<第二部へ続く>

『最強勇者の弟子育成計画』第十二話 大会

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 第十二話 大会


 学院から帰ってきたカリーナは、やけにやる気に満ち溢れていた。
 いや、今までも十分にやる気はあったが、今日は一段と覇気が強いというべきか。
 なにせ屋敷に帰ってくるなり、彼女は地面に額が着いてしまいそうな勢いで頭を下げ、俺にこう言ったのだ。

「どんなに苦しい修行でも耐えてみせます。どうかわたくしを、次の魔法大会で勝てるようにして下さい!」
「あら~、凄いやる気ね~」

 カリーナの気迫に、ウリエルも頬に手を当てながらちょっと驚いている。
 ……そういえば、彼女は昨日から王都に帰っていないのだが、ギルドの仕事とかは大丈夫なのだろうか?
 朝も起きるのが遅く、昼近くまで爆睡していたし……
 まあ俺が心配することでもないし、あまり考えないようにしよう。

 さて、カリーナから苦しい修行とやらを所望されたわけだが……ぶっちゃけ、魔法を教えられない俺に、そんなことを言われても困る。
 多分、一番効率的なのは、毎回ご飯を限界まで食うことだ。
 いっぱい食べたら、それだけステータスが早く上がるからね。
 でも、それでは納得しない気がする。

 例えば、俺がまだ日本にいた時に「ご飯をお腹いっぱい食べてるだけで東大に受かるよ」と言われても信じなかっただろう。
 そこに科学的根拠があったとして、懇切丁寧に説明されても絶対に信じなかったと思う。

 適当にそれっぽいだけの修行をでっち上げると、ウリエルに看破されそうだし……
 俺が黙って悩んでいると、その沈黙をどう受け止めたのか、カリーナが不安そうな顔をしていた。
 なので、ついその場しのぎの言葉を口にしてしまう。

「どんなにつらい修行でもか?」
「はい!」

 物凄く良い顔をして頷かれた。
 どうしよう、大食いにでも挑戦させてみるか?
 いや、それで無理をして吐かれたら元も子もないし……

 他に思いつくのは、カリーナが扱える属性で、俺が教えられそうな応用があるぐらいだ。
 でもそれには、元になる魔法を覚えていないと話にならない。

 俺はウリエルに、カリーナが大会までにその魔法を覚えられそうかどうか聞いてみた。

「ん~……その魔法だと、あと半年は時間が欲しいわね」
「半年か……」

 夏の大会までは、残り二ヶ月とちょっとしかない。
 その約三倍も時間が必要となると、やはり無理だろうか……

 とそこまで考えたところで、俺は超有名な漫画にあった、一日で一年の修行ができる異次元空間のことを思い出した。
 流石にあれを再現することはできないが、要するに一日の修行時間を長くすればいいのではないだろうか?
【エレメンタル・スフィア】には時間に干渉できるような魔法はないので、なるべく修行以外の時間を削るようなことしかできないが、これは名案だと思った。

「よし、じゃあ今から大会前日までは寝ないで頑張ってみよう。それなら学院に行っている時以外は、ずっと魔法の練習ができるからな」
「はい! …………えっ?」

 いい返事をしてから、カリーナの表情が固まった。
 それはそうだろう。
 単に二ヶ月間ずっと寝るなというだけなら、体を壊して欠場するのがオチだ。
 だがこの世界には、俺が元いた世界では不可能だったことを可能にする魔法があった。

「ああ、体のことは心配するな。この間、お前に【パーフェクト・ヒール】をかけたら目の下にあったクマが消えたし、それで寝不足や疲労も回復できると思う」
「そんな魔法があるんですか?」
「え?」

 カリーナの反応に疑問符を浮かべると、何かを察したウリエルが苦笑した。

「【パーフェクト・ヒール】なんて、人間で使えるのはアデルと、あともう一人ぐらいよ。普通の魔法使いは、存在すら知らない人も多いわ」

 そうだったのか……。
 カリーナと初めて会った時に彼女が衰弱していたのは、てっきり嫌がらせで回復魔法をかけてもらっていなかったからだ思っていた。

 これは後になって知ったことだが、回復魔法のある光属性は扱える人間自体が稀少らしい。
 でも天使だと、逆に光属性の魔法を使えない者の方が珍しいのだとか。

 その回復魔法を使って休まず特訓するという案に、ウリエルものってきた。

「カリーナさんは座学の成績がとても優れているから、大会までは午前中にある授業も休んで大丈夫じゃないかしら? これで、一日のほとんど全てを魔法の修練に当てられるわ。ただちょっと心配なのは……」

 彼女はそこで一旦言葉を止めると、顎に指を当てて小首を傾げた。

「人間にそんなことをして、本当に大丈夫なのかしらね?」

 ……たしかに、よく考えたら色々と問題がありそうな気がする。
 あくまで気がするだけで、あまり学があるとは言えない俺には、具体的にどうなるのかは分からない。 
 いくら疲労がないといっても、生物が持つ根源的な欲求の一つを完全に封じてしまうのは、精神に何か悪い影響があったりしないだろうか?

 俺がそう迷っていると、カリーナが再度頭を下げて、後押しをしてきた。

「それでお願いしますわ」
「う~ん」

 まあ危なそうなら途中で止めたらいいか。
 そう考えて、俺は自分の思いついた方法をカリーナにやらせることにする。
 ……とそこで、俺は昨日うっかり忘れていたことを思い出した。

「あ、そうそう、本当は昨日に渡そうと思ってたんだけど──」
「え?」

 俺はアイテムボックスから、【反魔鏡のローブ】という、黒い生地に金糸で魔法陣みたいなのが縫われてある防具を取り出した。
 ちょっとだけだが各ステータスを上昇させる力があり、さらには下級魔法なら自動で反射してくれる機能が付いたものだ。
 俺がリサーチした店で展示してあったものよりも、グレードが一つ上くらいの装備である。

「お前用の、装備だ」
「──っ」

 それを無造作に手渡すと、何故かカリーナはそのまま気を失って後ろに倒れてしまった。
 いきなり寝てしまうとは、先が思いやられるな……。

 こうして、二ヶ月後の魔法大会まで、彼女の集中特訓が始まったのである。

 ちなみにカリーナに渡した装備は、ウリエルから「ちょっと、学生の大会でそれは反則よね~」とのお言葉を頂き、ひとまず一般的なレベルのローブと交換することになった。
 王都の店にあったものより、少しだけ良い装備を選んだつもりだったのだが……何かが間違っていたらしい。


────────────────────


 ランドリア王国の王都では、年に一度、数日間にわたって大きなお祭りが開かれる。
 このお祭りの間に、トウェーデ魔法学院の生徒が互いの魔法を駆使して戦う魔法大会や、制作した魔道具を披露して評価点を競い合う品評会なども開かれ、それらを見物しようと大陸中からやってきた人々によってわうのだ。
 人が集まるのを狙ってやってきた商人や旅芸人も競い合うように出店し、観光客だけでなく王都に住んでいる民衆も、この数日間は昼夜を忘れたように騒ぎ続ける。

 そんなお祭りが始まった、最初の日の朝。
 観光客による長蛇の列に並んで王都に入ったカリーナは、見慣れたはずの街並みを見回して感慨深げに目を細めた。

「ああ、王都が懐かしく思えますわ……」
「そうか」

 たった二ヶ月ぶりなのだが、今のカリーナの様子は、まるで都会に疲れて十年ぶりに故郷に帰ってきた中年のようであった。
 やはり長期間全く眠らずにいるのは、けっこう精神的にきつかったらしい。
 特に最後らへんは、性格が変わってちょっとおかしくなっていたし。
 最終日に一日使って泥のように眠ったら元に戻ったが、もう二度とやらせないでおこうと思う。

 俺達が魔法大会が行われる試合会場に向かっていると、途中でカリーナの知り合いらしい学院の生徒と出会った。
 黒髪をポニーテールにした活発そうな少女と、銀髪を顎の下あたりで切り揃えた感情の起伏が薄そうな少女だ。

 二人はカリーナの姿を見るなり、どこか焦った様子でこちらへと駆け寄ってきた。

「カリーナ、今までどこで何をしていたの!? 急に学校に来なくなったから、心配したよ」
「心配した」

 捲し立てるポニーテールの少女に追従して、銀髪の少女も頷く。
 体をペタペタと触って、どこか異常がないか確かめていく二人に、カリーナは苦笑しながら軽く頭を下げた。

「お二人とも、ご心配をお掛けしましたわ」
「それで、そっちの人は?」

 どうしてか、ポニーテールの少女から睨みつけるような視線を向けられた。
 さりげなくカリーナとの間に体を入れて、俺から彼女を守れるような位置取りをしている。
 その姿は番犬のようで、今にもグルルッと唸ってきそうな感じだ。

 俺はそんなにも不審者に見えるのだろうか?

「わたくしの師匠ですわ。師匠、こちらはわたくしの友人の、ヘレナとエミリアですわ」
「アキラだ、よろしく」

 紹介され、俺はできるだけ爽やかに見えそうな笑顔を作ってみる。

「よろしく……」

 笑顔のおかげか警戒心は和らいだ気がするが、今度は俺の服装を見つめて怪訝そうな表情を浮かべていた。
 エミリアも、俺の顔をジーっと見つめてくるが、こっちは無表情で感情が読み取れない。
 だが、ほんの僅かだけ目を見開いているような気がする。

 二人の反応に疑問符を浮かべていると、いきなり背後から少女の高笑いが響いてきた。
 振り返ると、いかにもお嬢様っぽい少女が、こちらへ向かって歩いてくる。
 金髪の縦ロールとか、こっちの世界に来てから初めて見た。

「お久しぶりね、カリーナさん。てっきり、もう王都にはいないものかと思っていたわ」
「レベッカ……」

 目に見えてカリーナの顔が強張った。
 どうやらこのレベッカという少女とは、あまり仲が良くないらしい。

「それにしても、貴女のような生徒を弟子にする物好きはどんな方なのか、以前から気になっていたのだけれど……」

 彼女はそう言いながらこっちに目を向けると、俺の服装を見てあからさまに鼻で笑った。

「なんて見窄らしいのかしら。貴女には、お似合いの師匠ね」
「──っ!」

 途端、柳眉を吊り上げたカリーナが何かを言う前に、俺は彼女の肩に手を置いて宥めた。

「ああ、俺にはお似合いの弟子だよ」
「師匠……」

 ──お前は「アデル・ラングフォード」に相応しい弟子だ。
 そんな言葉の裏にあるものを察してか、カリーナが感動したような目を向けてくる。

 そんな彼女の様子に、レベッカは面白くなさそうに眉を顰めた。

「……それではカリーナさん、ごきげんよう。大会では、よろしくお願いしますね」

 ちょっと引っ掛かる言葉を残し、踵を返して立ち去っていく。

 カリーナが勝ち上がるとは欠片も思ってなさそうなレベッカが、彼女に「よろしく」と言った。
 その意味は、試合会場の前に張り出された初戦の組み合わせを見てすぐに分かった。

「そんな、初戦からレベッカだなんて……」

 古代ローマのコロッセオにも似た造りの建物の前で、ヘレナがカリーナの隣に並んでいた名前を見て呆然と呟いた。
 聞くところによると、あのレベッカという少女は、エミリアに次いで優勝候補だと囁かれてるほどの生徒らしい。

「まあ優勝を狙うならいつ当たっても同じだろ」
「そうですわね」

 初戦から強敵と当たってしまったのに、どこか余裕のあるカリーナの態度に、ヘレナが不思議そうにしていた。
 まあ二ヶ月前の彼女しか知らないなら、しょうがない反応だろう。
 逆に、全然悲観してなさそうなエミリアの様子の方が気になる。

 俺やヘレナは、大会参加者が集う控え室までは同伴できないので、カリーナ達とは一旦ここで別れることになった。

「見ていて下さい、師匠。師匠が侮辱された分は、キッチリとお返ししてきますわ!」
「おう、その意気だ。頑張ってこい」

 パシンと拳と手のひらを打ち合わせて意気込むカリーナ。
 ちなみに彼女には、俺が日本で培った格闘技の極意を教えてある。
 ……通信空手一級だけどね。

 接近戦になってしまえば、魔法より殴った方が早いのだ。
 あくまで通信教育の知識だけど、ないよりはマシだろう……多分。

 性格が豹変していた時に教えたせいか、砂に水がしみ込むように格闘技の動きを習得していったし、今の彼女は魔力抜きでも日本にいた頃の俺よりも強いと思う。
 いや、日本の俺が貧弱すぎるんだけども。

「二人とも頑張ってね!」
「ええ、期待していて下さいな」
「行ってくる」

 ヘレナの応援に、二人が手を振りながら会場に入っていく。
 ちなみに、ヘレナは四級の成績でありながら戦闘系の流派には入っておらず、大会には参加しないそうだ。

「ヘレナも、試合を観戦していくのか?」
「はい、友達の晴れ舞台ですから、もちろんですよ。私が参加する魔道具の品評会は明日からですので、時間も余ってますし」
「そうか。だったら──」

 特別席を用意してもらってるから、そこで観戦しないか?
 と言いかけたところで、いきなり背後から何者かに抱きつかれた。
 背中に、ふにょんっと二つの幸せな感触がする。

「おはよう、アデル! 私、寂しかったわ~」
「……昨日まで屋敷で会ってただろう」

 すりすりと頬ずりをしてくるウリエルに、ヘレナは顎が外れてしまいそうなぐらいに口を開けて驚いていた。

「ウ、ウリエル様!? それに、アデルってまさか──」
「あっ」

 せっかく偽名で自己紹介したのに……
 ウリエルに抗議の目を向けると、彼女は悪びれた様子もなく、ちろっと舌を出していた。

 きっと、わざとだ。
 だが、意図が分からない。

 俺はこの時、ウリエルの視線がヘレナの腰にある小袋に向けられていることが、妙に気に掛かったのだった。


<<つづく>>


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最強勇者の弟子育成計画
栖原 依夢
宝島社
2014-11-22

  
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