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戦塵の魔弾少女 特別短編 ラスト・ワン 第一部

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 第一部


 夢を見た後はうれしい。どんな悲しいことも目覚めれば消えてくれるから。
 夢を見た後は悲しい。どんなうれしいことも目覚めれば消えてしまうから。
 でも、今見ている覚めない夢。この悲しい夢から目覚めるのはいつ?
                      (マーガティの詩集『Never』より)


1 リュミエイラの作戦記録① 最終命令


 私の名前はリュミエイラ。
 部隊の仲間たちは私のことを記録係(ミッションレコーダー)だなんて呼ぶけれど、正直に言えば、その呼び方を嬉しいと思ったことはあまりない。
 体内の法素(ほうそ)を記憶情報化して脳内に留めることで記憶力を高める。私の能力は『法素記憶変換(メモリーホルダー)』なんて呼ばれているけれど、要は、人よりもちょっと記憶力がいいというだけのこと。
 聖帝様のために戦う役割を持つ魔法強化兵(マギナ)である私にとって、そんな地味な能力(ちから)は特に誇れるような物ではなかったし、戦闘で役に立つと感じることも少ない。
 部隊の一員としては、倉庫番(ストアキーパー)の役割を受け持つことはできたけど、それも、装備品の管理に紙がいらないというだけで、私でないと出来ないということではなかった。
 クラリー部隊長のような指揮能力もなければ、よく部隊長と一緒にいるリッカさんやサーシャさんのような戦闘力も、ルーベルちゃんのような射撃の腕前もない。
 黒髪をひっつめたみつあみのお下げと、今ではもう必要のなくなったメガネくらいしか特徴のない、ただ少し記憶力がいいだけの、地味な隊員。
 分隊長リエレイナの率いる『魔法強化兵部隊(レクスマギナ)』第三分隊、狙撃担当の十四歳。
 それが私、リュミエイラ。

 ◇

 革新世紀(エボリューション・エイジ)(E・A)七一年十二月十一日。
 バラトルム聖帝国の帝都ヴァレオンは『世界平和条約機構(ワールド・ピース・ユナイテッド)(W・P・U)』の保有戦力『平和維持軍(サルバトール)』の攻撃を受け、私たち――『魔法(レく)強化兵部隊(スマギナ)』第三分隊はその防衛のため、ヴァレオン南区画で戦っていた。
「『甘い甘ーいケーキが一つ』」
 狙撃中に口を開く人間は珍しいと訓練官に言われた。だが私は、すっかり暗記し口癖になっているマーガティの詩の一節を口ずさんでいる方が不思議と集中力が高まると自覚している。
「『ケーキの上には大きなイチゴ、チョコのおウチと女の子』」
 囁くように、半ば無意識に詠いつつ、私は狙撃銃(スナイパーライフル)『SR四三――アーバレスト』の引き金を引いた。
 銃口から放たれた九・六ミリ口径の狙撃用徹甲弾(てっこうだん)がスコープの中心に捉えていた重装兵の頭部に命中し、弾芯にタングステンを使用した弾丸が高密化チタニウム製のヘルメットを貫通した。頭部を撃ち抜かれた敵の肉体が力を失ってその場に倒れる。
「こちらリュミエイラ、三体目を仕留めました」
 私は通信機を通して、三体目の殺傷(キル)を仲間に報告した。味方がすでに四人の敵を仕留めているから、合わせて七人。私の記憶が確かなら敵部隊は十六人だから、残りは九人ということになる。
 対するこちらは、十人の分隊員のうち、すでに六人が戦死か、あるいは戦闘不能、交信途絶の状態だ。
 もともとの人数差を考慮しても、戦況は芳しくない。
《了解。リュミ、すぐに移動して》
「わかってる」
 分隊長のリエレイナ(お姉ちゃん)に言われるまでもなく、私は次の狙撃ポイントを探して移動を始めていた。
 撃ったら移動。これは居場所を悟られてはならない狙撃手にとって基本中の基本だ。
《まずいよ、このままじゃこの地区を支えきれないっ!》
 通信に飛び込んでくる仲間の切迫した声を聞くまでもなく、状況が不利であることは、分隊の全員がわかっている。
 このままでは勝てない、ということも。
《分隊長、クラリー部隊長に救援の要請を》
《わたしたちがこの状況なのよ、よその分隊も状況は似たようなもののはず。支援はあてにしない方がいいわ》
《でもこのままじゃ――》
《わかってる!》
 錯綜する通信は、聞いたことがないほどに乱れていた。それもまた、隊がかつてない危機的な戦いにさらされていることを物語っている。
《ダメだよ、このままじゃ全滅する! やっ――》
 絶望の声を残して、また一つ、通信が途絶した。これで分隊の戦力は残り三人。
《畜生っ! 侵略者にこれ以上でかい顔をさせるかよっ!》
《ミレイス、無理に攻めないで! 連携を――》
《突破すりゃあいいんだろっ!》
《ミレイス!》
 もう三人しか残っていないのに互いの位置さえ把握できず、連携も取れていない。
 事実上、第三分隊(私たち)は瓦解し、南区画の防衛は崩れていた。私はなんとか味方を支援できるポイントを探していたが、
《くそっ! 畜生、畜生――》
 間に合わなかった。また一つ、交信が途絶する。
《……リュミ、聞こえる?》
「聞こえてるよ、お姉ちゃん」
《あなたは脱出しなさい》
 通信機から、信じがたい言葉が聞こえた。
「脱出? 敵前逃亡しろって言うの? 帝都を守ることが……命に代えても聖帝様の地をお守りすることが私たちの仕事でしょう? 責務を捨てて逃げるなんてできないよ」
 あり得ない、到底承服できない命令に、私は抗議した。
《だから言っているのよ! わたしたちは今日は勝てない。でも、反撃の時が必ず来る。その時に聖帝様の手足となる兵が必要なのよ。生き恥をさらしてでも、反転攻勢の時まで生きることも兵の務めよ》
「でも……」
 それは現場判断での作戦変更――命令無視であり、私たちが受けてきた教育とは違う兵の在り方だ。分隊長にそこまでの権限が与えられているなんて聞いたことがない。
《あなたは脱出しなさい! これは命令ですっ!》
「お姉ちゃん? お姉ちゃん!」
 通信機に呼びかけるが、もう通信は切れていた。反論を聞く気はないという、お姉ちゃんの意志表示だろう。
「脱出しろって……」
 ――仮に私が脱出するとして、じゃあお姉ちゃんはどうするの?
 通信機にその疑問を投げかけたかったが、あいにく通信は切られている。
「……」
 私は狙撃ポイントを探して移動していた途中の、四階建てのビルの屋上に繋がる非常階段の踊り場で立ち止まり、少しだけ考えた。
 私と分隊長(お姉ちゃん)、二人だけの戦力で南区画の防衛は不可能だ。この場で戦闘を継続しても、任された区画を守り切れずに戦死する。
 ならば、脱出してでも生き延びて次の機会を待つべきか。
 今日を生き延びて聖帝様の反転攻勢に呼応せよという命令には、相応の合理性があるように思えた。
「脱出……」
 帝都は包囲されているはずだから、それも簡単なことではないけれど。

 ◇

 妹(リュミエイラ)に一方的に脱出の命令を与えた後、リエレイナは通信機をかなぐり捨てた。
 その足元には一体、敵兵の死体がある。頭部を守っているヘルメットのフェイスガードに真正面からコンバットナイフが突き刺さっていた。
 力任せに殺傷した敵兵の死体を踏みつけてコンバットナイフを抜くと、リエレイラは血を振り払ってから鞘に戻した。
「あと……何人だっけ?」
 銃弾を浴びた腹部が焼けるように熱い。何発もらったんだろう? 出血は止まりそうにないし、弾も何発かは腹の中に残っているだろう。
「七・六ミリを十発くらいかな。……もう、長くはもたないね」
 魔法強化兵(マギナ)の肉体は常人よりも遥かに強靭で、当たりどころ次第ではあるが数発程度の銃弾で致命傷を受けることはない。だが、腹の中に残っている弾は内臓を傷つけ、体力を奪い続ける。
 彼女たちは決して、無敵でも不死身でもないのだ。
 それでも、まだ倒れるわけにはいかない。リエレイナはあえて腹部の銃創に触れると、その痛みで遠のく意識を繋ぎとめた。
「もう少し、もう少しだけ」
 ――あと数分。出来るだけ派手に暴れるんだ。道連れが多ければ多いほど、リュミが脱出できる可能性が高くなる。
 リエレイナは足元の死体から軽機関銃(ライトマシンガン)『LMG五八――ベルゼ・バブ』と腰部に固定されている弾薬ボックスをもぎ取ると、無理やり腰のベルトにくくりつけた。ついでに、戦闘用散弾銃(コンバットショットガン)『ASG六六――プルート』もいただいておく。
「さあ、おいでっ!」
 リエレイラは腹の底から叫び、ヴァレオン南区画を駆けだした。
 どうせもう助からない命だ。身を隠すつもりも、安全性を考慮した戦いをするつもりもない。ただひたすら、南区画にいる敵の注意を引きつけることだけを考える。
 可能な限り、一分でも一秒でも長く。
「もうやめろ、投降を! 命を奪いたくはない! 君は利用されているだけなんだ!」
「散々仲間を殺しておいて何をいまさらっ! 侵略者がぁっ!」
 リエレイラは投降を呼びかける敵兵に叫び返し、『ベルゼ・バブ』を片手保持で発砲した。
 機関銃は本来、片手撃ちするような代物ではなく、敵兵がそれを可能としているのはパワーアシスト機能付きの全身装甲『PA六一――エリゴル』があればこそだ。
 肉体が強化されている魔法強化兵(マギナ)もそう条件は変わらないが、リエレイラの腹部には致命的な傷がある。
 七・六ミリ弾が高密度で連射されると、その衝撃が腹部の銃創に響く。だが構わない。リエレイラは苦痛を奥歯で噛み殺し、弾をばら撒きながら装甲で銃弾を弾く敵兵に詰め寄った。重装兵の腹部の装甲に『プルート』の銃口を押し当てる。
「よせっ――」
 敵の言葉を断ち切るように、発砲。
 高密化チタニウムを多層構造に重ね合わせた装甲とて、ゼロ距離から戦闘用散弾銃(コンバットショットガン)のフルオート射撃を受ければひとたまりもない。腹部装甲が砕け、無数の散弾が臓器という臓器をズタズタに引き裂いた。
「さあ、次に死にたい奴は――」
 半ば、胴体で二つに千切れた敵兵がどっと倒れ、リエレイラが叫んだ瞬間だった。
 リエレイラは、銃弾が空気を切るひゅっという音を、確かに聞いた。
 どこを撃たれたのかもわからない。
 突然、重力から切り離されたように身体が重みを失って、己の意志に従っていたはずのすべてが途切れた。
 ぐるりと世界が回転し、ふわりと身体が浮くような感覚を覚える。
 ――これで死ぬな。
 リエレイラは未知の感覚をそう理解した。
「クラリー部隊長、ありがとうございました」
 死を理解した瞬間、リエレイラは妹(リュミエイラ)を同じ分隊に配属してくれた部隊長(クラリー)への感謝を呟いていた。
 きっと、最後の瞬間に、一分でも一秒でも妹を守れるようにしてくれたのだと思った。
「リュミ――」
 リエレイラの身体が地に倒れる。
 その時にはもう、彼女は絶命していた。

 ◇

 私はビルからビルに渡り歩きながら、帝都を脱出するためのルートを考えていた。
 帝都脱出の最大の障害はもちろん『平和維持軍(サルバトール)』の包囲網だが、もう一つ、大きな壁がある。
 文字通りの大きな壁。ヴァレオンの外周を囲う、都市の防護壁だ。
 通常ならばヴァレオンから出る場合は六方面いずれかのゲートを通行するのだが、今は封鎖されているだろう。
 狙撃銃(スナイパーライフル)と機関拳銃(マシンピストル)しか装備していない私が単独で突破できるはずがない。
 つまり、私がヴァレオンを脱出するためには、都市外周を囲っている防護壁を乗り越えるしかないのだ。
「リッカさんならこういう時、簡単なんだろうなぁ……」
 残念ながら私にそこまでの身体能力はない。とは言え、他人の能力を羨んでもどうにもならない。
 私が他人より優れていることは一つだけ、一度目にした情報は二度と忘れない記憶力だけだ。
 私はヴァレオンの地図を思い浮かべ、高い建物が防護壁近くに建設されているポイントを――防護壁を越えられそうなポイントを探す。
 すぐに三つ、候補が見つかった。私は迷わず、現在地から一番近いポイントを目指し、移動を開始する。
 帝都の外周を囲う防護壁の高さは約六メートル。
 私が見つけた防護壁近くの建築物は三階建てで、屋上の高さは八メートルくらいだろう。
 そして、都市法により防護壁から十メートルの距離にはあらゆる建築物の建設が禁止されている。
 高さの余裕は二メートルあるが、水平距離で十メートルの走り幅跳び。
 私の身体能力では、それは容易いことではない。
 でも、それをやらなければならない。
 私は背負っていた『アーバレスト』を逆さまにして、銃口部分を掴んだ。全長百十五センチの狙撃銃は、銃口からグリップまででも一メートル近くある。このグリップを防護壁にひっかけることができれば、それでいい。
「よし」
 私は呼吸を整えると、ずり落ちていたメガネの位置を直し、可能な限りの助走距離をとって走り出した。
 ――思いきって、跳べ!
 私の足が屋上のふちを蹴り、私の身体が空を舞った。
「うわああああっ!」
 身体を全力で前に押し出し、『アーバレスト』を逆さまに持った手を限界まで伸ばす。
 長い長い一瞬の無重力。
 身体が滑るように落下を始め、絶望的な高さの防護壁が眼前に迫ったその時――
 がくっ、と『アーバレスト』を掴んだ右手に衝撃。
『アーバレスト』のグリップが狙い通り、防護壁に引っ掛かっていた。
 ――やった!
 私は『アーバレスト』の銃身を手掛かりにして防護壁を乗り越えると、転げ落ちるようにして着地した。敵軍は防護壁を乗り越えての脱出を想定していなかったのか、周辺に敵兵の姿はない。
 ヴァレオンの西八百メートルほどの地点に森がある。まずはそこに潜伏し、今後の行動について考えよう。
 そこまでは平地、身を隠すものもない。
 ならば可能な限り迅速に。
「これは裏切りじゃない。来るべき、反撃の日のために……」
 お姉ちゃんや、他の分隊のみんながどうなかったのかもわからない中での戦線離脱に罪悪感がないわけではなかったから、私は、そう自分に言い聞かせた。
 それでも頬を伝い落ちる涙を止めることはできず、私は涙を拭いながら、ヴァレオン西方の森を目指し八百メートルの平地を一息に駆け抜けた。
 追跡されただろうか。だが、たとえ捕捉されていたとしてもこちらが先に身を隠したのだ。待ち伏せへの警戒を考えれば敵がこの森に踏み込んで来るまでは時間があるはずだ。
 私は息を整えながら、森の奥に踏み入っていく。ある程度は地形の把握もしておいた方がいいし、暗くなる前に落ち着いて休めそうな場所も見つけておきたい。
「けっこう深い森なんだ」
 木々の鬱蒼と生い茂った森だった。五十メートルも進むと、曇天の日中だとしても、辺りは薄暗い。私は何となく、ムーンケイブの森を思い出した。お姉ちゃんや仲間たちと訓練を重ねたあの森を。
 あの時は百人近い仲間と一緒だったが、今、私は一人きり。だが、私の闘志は揺らがない。ここからならすぐにも帝都に駆けつけることができる。来たる聖帝閣下の反撃に合わせて、敵の側面を攻める。
 もちろん私一人でどの程度の働きができるかはわからない。だが、それを気にしても仕方がない。問題はどの程度働けるかではなく、この命で出来る最善の仕事をすることだ。
 それが役割であり、お姉ちゃんに託されたことなのだから。
「そのために最も重要なことは――」
 聖帝閣下の反撃はいつか、ということ。
 あらゆる行動に置いて、最も重要なものは情報だ。ただこの森に潜伏しているだけでは味方の行動から取り残されてしまう可能性が高い。帝都の様子だけは絶えず把握しておかなければならなかった。
 私はスリングベルトで背負っていた『SR四三――アーバレスト』に触れた。壁を超える時に無茶な使い方をしてしまったから照準は狂っているはずだし、調整、試射をしなければ狙撃銃としてはあてにならないが、狙撃用のスコープは望遠鏡として使えないものではない。
 今日中に木の上かどこか、見晴らしのよさそうな場所をいくつか見つけて、明日から帝都の様子を監視する体制を整えよう。
 何日くらい続けることになるだろうか。
 数日ならまだしも、一週間を越えてくるようであれば食料の調達も考える必要がある。
 私は携行している装備品を頭の中で数えあげていく。
 携行している武器は残弾七発の『SR四三――アーバレスト』と機関拳銃(マシンピストル)『МP四八――ケルベロス』が一丁。こちらは装填済みの十五発と予備の弾倉が二つで四五発ある。
 状況にゆとりがあれば『アーバレスト』の照準を確かめておきたいところだけど、銃声を立ててしまうし、弾が七発しかないことを考えると悩ましいところだ。
 ウエストバッグの中には携行食糧が少しと小さな水筒。衛生キット、軽量の雨合羽(ポンチョ)、ツールナイフとライター、個形燃料が三つ。
「とても長持ちする装備ではないけれど、これで何とかするしかないし……」
 まずは帝都を監視するポイントの選定と、行動拠点の確保。それから水と食料の調達だ。
「さあ、仕事をしなさい、リュミエイラ」
 たとえ最後の一人になったとしても、私は『魔法強化兵部隊(レクスマギナ)』の一員であり、バラトルム聖帝国を支えるべき兵の一人なのだ。
 バラトルム聖帝国の兵として、やるべきことは無数にある。
 私はそれに没頭した。
 やるべきことがあるのはありがたいことだった。
 その間は一人になってしまったことを、お姉ちゃんがいなくなってしまったことを、感じないで済むから。


 私が帝都を望むことのできる見晴らしのよい樹上のポイントを三か所確認した時点で、雨が降り始めた。ざあざあと、葉を叩く雨粒の合唱が森の中に響く。
 雨音は気配を隠す。私にとっても、いつ来るかわからない追手にとっても、敵にも味方にもなる。この雨はどちらの味方になるだろう。
「……雨の気分をあてにはできないし、自分の力で雨を味方にしないとね」
 身体を冷やせばそれだけ体力を失う。私はバッグの中から雨合羽(ポンチョ)を取り出すと、降り始めた雨から身を守った。
「今日はここまでか。あとは休める場所を……」
 出来れば雨に濡れずに休めるところがあればいいんだけど。
 私は雨を防げる場所を探して、森の中をさまよう。
 森を歩きまわっていた私は幹に樹洞のある大木を見つけた。私が両腕を広げても端から端まで届かない太い幹に、ぽっかりと穴が空いている。
「ここでいいかな」
 私は樹洞の中を覗き込んだ。広さは膝を抱えれば私一人なら何とか入り込めるくらいで、水もたまってもいないし、虫も、住み着いている動物もいなさそうだ。
 これなら雨風を凌ぐだけなら十分そうだ。私は手近なところからきれいな葉をむしって中に敷き詰めると、洞穴の中に入った。
 少し気を緩めると頭をぶつけそうになるけど、これで雨に濡れないで休むことができる。
 私はバッグから水筒を取り出すと喉を湿らせる程度に水を飲んでから、口を開けたままにして地面に置いた。しばらく置いておけば雨水がたまるだろう。
「疲れたな……」
 とりあえず、少し眠ろう。
 雨合羽(ポンチョ)を寄せて体温を守ると、私は目を閉じた。
 パラパラと、森に雫が落ちる音だけが聞こえる。誰の声もしない。
 独りになったのだと、初めて感じた。
「寒い……」
 息が白い。手先が震えている。私は身体をできるだけ小さく寄せて、かじかむ指先を息で温める。
「『深い深い闇に沈んで目を閉じる』……」
 私はいつものようにマーガティの詩を諳(そら)んじる。
「『ここは暗い暗い海の中。
 静かで、一人。誰もいなくて、一人。
 私は潜る、ふわふわ沈む。
 冷たい冷たい、寒い寒い、真っ暗な海の底。
 でもちょっとだけほっとする、一人ぼっちの海の底』」
 私は本に載っていた写真でしか海を見たことがない。もちろん、海に入ったこともない。
 だから、海に沈んでいくという感覚は私にはわからない。でもこの詩を詠むと、いつも身体がゆっくりと深い水の底に沈んでいくような気持ちになる。
 音が消え、光が消え、身体の重さがなくなって。私は海底の柔らかい砂の上に、……とすん、と静かに横たわる。後はもう、生まれる前のような深い安らぎの中で目を閉じているだけだ。
 海の底でそうするように、私は樹洞で目を閉じた。
 深海に沈んでいくように、私の意識は落ちていった。

 ◇

 革新世紀(E・A)七一年十二月十五日。
帝都を脱出してから四日目。私は森に潜伏し、帝都の監視を続けていた。
 ヴァレオン防衛戦の日に降り始めた雨は、今日も降り続いている。
 今日までの三日間、帝都に大きな変化はなく、時折銃声がするなど小競り合いの気配は感じられるが反転攻勢といった大きな戦闘が起こっている様子はない。
 私は帝都の監視を続けながら、帝都の現状を推測する。
 聖帝様はおそらく地下施設などに身を隠し、防衛体制を整えながら進行してきた敵部隊に対するゲリラ戦に出るだろう。聖帝閣下が健在であるとなれば、敗走していた各地の部隊も士気を取り戻し、この帝都に集結してくるはずだ。
 反撃の時は必ず来る。
 私の仕事も、その時だ。
 私は監視塔として利用している木から下りると、寝床にしている木の所に戻った。この木の近くに湧き水の出ている場所も見つけたし、森を歩けば食用にできる野草や木の実なども見つけられる。しばらく潜伏するくらいなら問題はなかった。
 私は小一時間ほど森の中を歩いて、今日の分の野草とキノコ、木の実を確保した。この数日、以前に読んだ野草図鑑の記憶が思わぬ形で役に立ってくれている。
 私は石で作ったかまどに固形燃料を置くと、水筒のふたをコッヘルの代わりにして、集めた食材を煮始めた。
 何の味もないただ茹でただけの水煮だが、それでも食べれば生きられる。
 死が許されるのは、それが聖帝閣下の役に立つ時だけだ。
 わたしは固形燃料の火を消すと、水筒のふたが冷めるのを待った。コッヘルと違い取っ手がないから、加熱してすぐは素手では触れない。
「聖帝様、頂戴します」
 火傷しないくらいに冷めたことを確認すると、私は聖帝様に感謝して、その水煮を食べた。青臭いだけの葉っぱだがしつこく噛みしめているとかすかな甘みを感じられるし、キノコのつるっとした食感も悪くない。温かいお湯を飲むことで体温も上がる。十分だ。
 食事を終える頃になると、日暮れの時間が近づいていた。
 雨がやむ気配もなく、森の中はみるみる闇に包まれていく。
 また、少し眠っておこうか。
 私は樹洞にもぐりこんだ。
 食べたばかりなのにお腹が空いているけど、もう気にせずに目を閉じた。


 私が帝都を脱出して八日目――革新世紀(E・A)七一年十二月十九日の深夜。
 夕方に軽く眠った私は夜陰に紛れて森の中を移動し、帝都の様子を確かめるために監視ポイントにしている木の上に登った。
『アーバレスト』のスコープを使って帝都の様子を確かめていると――
 ずん、と、遠く離れていてもわかる爆発音が一度、響いた。
「!」
 それから数度、パラパラパラパラパラ……と断続的な銃声が聞こえた。
「交戦? 味方が反撃を始めたの?」
 私も動くべきかと考える。だが、帝都に友軍が集結してきた様子は確認できていない。戦力的な不利を覆すことはできていないはずだった。友軍が――聖帝様が反攻に出たのだとしたら、なぜ、このタイミングで?
 私は自分の持ちえる情報の限りを尽くして、現状を推測する。うかつに動いて犬死にをすることだけは避けねばならない。
「……静かになった。終わったの?」
 戦闘は私が状況を分析している間に収束したらしい。
 帝都はすぐに静かになった。
 聖帝様の部隊が本気で戦闘を仕掛けたのだとしたら、こんなに早く戦闘が終わるとは思えない。
 つまり、先ほどの戦闘は散発的に発生したものか、あるいは帝都に潜伏している味方が敵を疲弊させるために仕掛けたものなのだろう。
 つまり、私の命を使うべき乾坤一擲の一戦ではないのだ。
 その戦いは、帝都に友軍が集結してからになるはずだ。
 私は木の上から下りると、拠点に戻った。
 樹洞にもぐりこんで、私は帝都にいる聖帝様のことを考えた。自らの都を他国の軍に踏みにじられて、忸怩たる思いでおられることだろう。
 それは私も同じだ。だが血気にはやってはいけない。今は耐える時なのだ。
 その先にある勝利のために。
 だが、私は心のどこかで、恐怖を感じてもいた。
 その戦いの時は、いつなのか。
 あるいは、私が気がつかないまま、その時は過ぎ去ってしまったのではないか。
 この森に身を隠してから八日間。先ほどの爆発音は、その間で起こった最も大きな出来事には違いなかった。
 もしかしたら、私は死に時を見誤ったのではないか?
 あの爆発を確認した瞬間に、私は聖帝様の兵として帝都に馳せ参じるべきだったのではないか?
 私には到底、正解のわからない疑問がぐるぐると脳裏をめぐる。
 不安に負けてはいけない。
 戦いは、まだ続くのだ。
 私が私で居続ける限り。
 翌日、ヴァレオンの戦いの日から降り続いていた長雨が上がった。
 



2 平和の日々


 革新世紀(E・A)七二年二月二十日。
 ヴァレオンの戦いから間もなく三カ月が経過しようとしていたこの日、リッカは久しぶりにオークストラの空を見上げていた。
 記憶の中にあるオークストラの空は霞がかったくすんだ色だったが、今、オークストラの上空には透き通るような青空が広がっている。
 ――こんなに青かったでしょうか?
 空の色だけを見ていると、まるで別の場所にいるのではないかとさえ思えてくる。
 だが、足をついている大地に視線を下ろせば、一面を埋め尽くす瓦礫の山は記憶していたままでなにも変わっていない。
 対テロ作戦の一環として破壊された工場地帯の、その跡地だった。この辺りはまだ復興が始まってはいないらしい。
「あれから二年以上経ったんですね……」
 風が、短めにカットしたリッカの赤毛を揺らして吹き抜けていった。その匂いも記憶のままだ。
 クラリー、ルーベル、ラトナ、シグ。
 リッカはかつて、『家族』と呼び合った四人の仲間たちと、ここで暮らしていた。廃工場の地下で身を寄せ合い、気ままに街を駆け回りながら、力を合わせて生きていた。
 今はもう、リッカとルーベルの二人しかいない。
 リッカが久しくこの場所を訪れたのは、いなくなってしまったうちの、その一人に会うためだった。
「確かこの辺りのはずですけど……」
 リッカは記憶を頼りにシグの墓を探して、瓦礫の中を歩いた。
「あ、ここですね」
 瓦礫の山の中の開けた一角に、白いハンカチを結びつけた一本の鉄パイプが立ててあった。シグの墓の目印としてリッカたちが立てたものだ。
 あれからの月日を物語るように、ハンカチはすっかり汚れている。
「……シグ。あれからいろいろとあって、ずっと来れなくてすみませんでした」
 実を言えば、施設に入ったばかりだし、まだまだ思い通りに動ける身ではない。今日は施設職員のマレアに少しワガママを言って連れて来てもらっていた。
「寂しくないですか? クラリーとラトナは一緒ですか?」
 もし死後の世界があるのならそこでみんな一緒にいるのだろうと思うし、そうであってほしいと思う。
「クラリーとラトナ、みんなと一緒に待っていて下さい。ルーベルのことは、わたしが一緒ですから心配しないで下さいね」
 リッカは立ち上がり、もう一度空を見上げた。
 ――クラリー、ラトナ、シグ、サーシャ、みんな。
『家族』として一緒にこのオークストラで生きていた仲間のことを想う。サーシャやペリエ、『魔法強化兵部隊(レクスマギナ)』の仲間たちのことを想う。みんな一緒にいるだろうか?
「もしそうだったら、シグは女の子に囲まれて大変ですね」
 そんなことになったらシグはきっと恥ずかしがって、不機嫌そうな顔をしてばかりになるだろう。
 クラリーとラトナ、『魔法強化兵部隊(レクスマギナ)』の少女たちに囲まれているシグを想像すると、少し可笑しくて、リッカは一人でくすくす笑った。
 リッカがこうして笑えるのは生きているからで、リッカがこうして生きているのはクラリーとの約束があるから。
 リッカの今があるのは、クラリーの願いがあったからだった。
「クラリー、わたしはちゃんと生きてますよ」
 心地よい風がオークストラの郊外を吹き抜けていく。

 ◇

 検査とカウンセリング、そしてガエン政権の戦争犯罪に関しての事情聴取を主な目的とした約二カ月の入院の後、リッカとルーベルはバラトルム南西部の平原地帯にあるスターリアの町の児童福祉施設に移された。
 この児童福祉施設は『世界平和条約機構(W・P・U)』が用意したもので、リッカとルーベルはここで五人の保護司、十三人の孤児とともに共同生活のような形で暮らしている。
 魔法強化兵(マギナ)育成を目的としたバラトルム政府の児童保護施設などとは違う、本当の児童保護を目的に作られた施設だ。
 保護司たちはリッカとルーベルの事情を知らない。
 リッカとルーベルが肉体を非人道的手段で改造された魔法強化兵(マギナ)であることも、ガエン独裁政権の兵として人殺しをしていたことも、なにも聞かされていない。単に内戦で親を失い保護された戦災孤児だと思われている。
 これには『世界平和条約機構(W・P・U)』の内部的な事情も絡んでいた。
 バラトルムの独裁政権によって肉体改造を受けヴァレオン防衛戦に参加したリッカたちは、ジグマ社を筆頭に軍需産業と繋がりの深い『世界平和条約機構(W・P・U)』の強硬推進派にとっては興味深い研究対象であり、強硬派の活動を牽制したい融和政策派にとっては『平和維持軍(サルバトール)』がバラトルムで少年兵を巻き込んだ軍事作戦を展開したことを証明する生き証人である。
 どちらの陣営から見ても、リッカたちは重要性のある人物なのだ。
 そのどちらにも属さない人権派としてリッカたちを保護したノーマン・アドルソンは、リッカたちがそうした政争に巻き込まれることを嫌い、可能な限り、ただの戦災孤児として処理をした。
 リッカとルーベルが穏やかに過ごせる今は、その尽力の成果と言えた。

 革新世紀(E・A)七二年二月二三日。
 正午過ぎの青空の下に、柔らかく耕された畑が広がっていた。土の上を這うように蔓が伸び、葉もたっぷりと茂っている。
 リッカは作業用の軍手を履いた手でその蔓の根元を掴むと、力を込めて蔓を引き抜いた。
「ん――わっ」
 硬いかと思っていたら予想より簡単に抜けてしまった。勢い余ったリッカは盛大に芋を振り上げて、芋に付いていた土を背後に飛び散らせながら畑の土に尻もちをついた。
「わぶっ、なんだ?」
「リッカか? やめろよ」
「ご、ごめんなさい」
 リッカがまき散らした土を浴びた少年たちから非難の声が上がり、リッカは詫びた。どうにも、力加減が難しい。
「……でも、採れました」
 リッカの手には、蔓で繋がったたくさんの芋。
 自分の手で耕した畑に、自分の手で種芋を植え育てた芋だ。
 収穫の喜びに、リッカは表情をほころばせた。
「ルーベル、ほら、見て下さい。たくさん採れました」
 リッカは少し離れた場所で農作業に勤しむ子供たちを眺めていたルーベルに歩み寄り、採れたばかりの芋を見せた。
 ルーベルは芋を見せられても特に表情を変えることもなく、ただ、両方の側頭部で結った淡いオレンジのブロンドを不安げに揺らして、ぼんやりした瞳をリッカに向けた。
「今夜食べましょうね。ルーはなにが食べたいですか?」
「……」
 ルーベルは思案しているような返答に困っているような、そんな顔をリッカに向けた。
「まだ寒いですし、温かいシチューとか美味しそうですね」
「……うん」
 ようやくうっすらと笑みを浮かべたルーベルが、こくりと頷く。
「たくさん採れましたか?」
 リッカがルーベルと話していたら、子供たちの畑仕事を監督していた保護司のマレア・セラーが声をかけてきた。
「はい、こんなに採れました。じゃあ、わたしはもう少し作業がありますから、これはルーが持っていて下さい」
 リッカは手にしていた芋をマレアに見せてから袋に入れ、ルーベルに預けた。
「じゃあルーベル、もう少しで終わりますから待ってて下さいね」
 にこりと笑いかけてルーベルの髪を撫でようとしたリッカが泥だらけの手に気付いて苦笑した、その時だった。
「――!」
 ――襲撃!
 常人を超越した聴覚が危険を察知し、リッカは咄嗟に振り向いた。視界に触れた黒い飛来物から顔をかばうと、それはリッカの手のひらに当たって潰れた。
「ちっ、はっずれー」
「へったくそー」
 リッカの手に当たって潰れた物は、畑の土を固めた泥団子だった。
 投げたのはリッカが先ほど泥をかぶせてしまった少年たちだ。はずれと言ったところをみると、リッカの後頭部に泥団子をぶつけようとしたのだろう。
「こら! なんてことするのエルヴィン! 女の子に乱暴したらだめでしょう!」
「なんだよー、さっき泥をぶっかけられたお返しだろ!」
 マレアの叱責に口答えしつつ、エルヴィンと仲間たちは逃げて行った。
「ごめんなさいね、大丈夫?」
「――あ、はい、平気です、ただの泥ですから」
 リッカは手のひらの泥を落としながら笑った。
 そう、泥だから平気。
 ここは戦場ではないのだから、もう銃弾が飛んでくることはない。そうわかっていたはずなのに過敏に反応してしまった自分に内心で苦笑する。
「ごめんなさいね、あとで私から言っておくわね」
「いえ、もともとはわたしが土をかけてしまったせいですし」
 銃弾の雨すらかいくぐったことがある身だ。泥団子の一つや二つ、なんてこともない。
 ただ、同じ建物で寝起きしている少年から物を投げられたことが少し悲しい。
「あなたがしっかりしてくれているから私も助かるわ。ありがとね」
「しっかりなんて、してないですよ。ずっと、なにも出来なくて……」
 あの戦場で、ヴァレオンの戦いで、なにもできなかった。今、自分がここにいるのは、全部、クラリーのおかげだ。
 それはリッカの本心だった。
 強くて、優しくて、いつだって冷静で。国のために、聖帝のために死ぬのだと心を支配されていたリッカたちを生かすために全身全霊、文字通りすべてをかけてくれた人。
 それがクラリーだ。
 ――あと少しだけでも何かできていたら、クラリーの力になれていたら、クラリーは死ななくて済んだのではないでしょうか?
 胸を刺されて、両足を潰されて、雨に打たれて。そんなふうに死なないで済んだのではないか?
 それは何度繰り返したかわからない自問。
 もう、回答を得ることは永遠にかなわない問いだ。
「リッカさん……?」
 憂いを帯びたリッカの表情に、マレアが首を傾げた。
「……すみません、大丈夫です。もう採れそうな葉野菜がいくつかあったので採ってきます。ルーはマーヤと一緒に、もう少し待っていて下さいね」
 心配そうなマレアにリッカは微笑みを向け、リッカは畑に戻った。
 この施設で暮らし始めて、すべてがうまくいっているというわけではないと思う。それでもリッカは、この施設での暮らしになんの不満もなかった。
 リッカのただ一つの気がかりは、ルーベルのこと。
 入院してから一週間と経たないある日を境に両足に原因不明の脱力が起こり、歩くことが困難になってしまったのだ。今はどこに行くにも車椅子を必要とする生活である。
 いくら検査をしても外科的な要因は見つけることができず、心因性のものではないかと医師は語った。
 その説明の大部分に納得しつつ、リッカは心のどこかで不安を感じている。両足の脱力という症状は、リッカにクラリーの最期の姿を連想させる。
 落下した鉄骨に両足を潰された、痛ましい姿を。
 ルーベルはクラリーの最期の姿を見てはいないはずだ。だが、どこかでクラリーの痛みを感じているのではないか?
 そんなことあるはずがない。そう思いつつも、つい、そんなことを考えてしまう。
 リッカは青々した葉野菜をいくつか収穫すると、ルーベルのところに戻った。
「お待たせしました、わたしの今日の作業は終わりです。少し景色を眺めてから戻りましょうか?」
「……うん」
「はい。じゃあ行きましょう」
 リッカは車椅子を押して、スターリアの郊外を歩き始めた。
 これからのことを思うと、不安もないと言えばうそになる。悪夢にうなされる夜も、突然、罪悪感に襲われることも、そう珍しくない。
 ――でも、まだ生きています。
 この世界が嫌になったことも、命を投げ捨てたいと思ったこともある。
 でも、リッカにはこの世界を生きるたった一つの命しかない。
 どこにも代わりなんてないし、やり直しも出来ない。
 一回きりだ。
 だから、雨に濡れても泥にまみれても、どんな罪に汚れても、ちゃんと生きる。
 この重みと痛みを胸に抱いて、共に生きていくしかない。
 死者に報いる方法は、きっとそれしかないのだ。
 ――そうですよね? クラリー、ラトナ、サーシャ。
 リッカは真っ白い太陽の輝く青空を見上げ、もしも天国があるならばそこにいるであろう友を想った。

 ◇

 児童福祉施設では、リッカとルーベルは二人で一部屋を利用している。ベッドが二つと机が一つ、小さなクローゼットがあるだけのシンプルな部屋だ。
 机の上には封筒が一つ。リッカ宛ての手紙は検査入院とカウンセリングを終え退院した時に出したソルへの手紙の返事で、届いたのはつい先日だ。
 リッカは封筒から便箋を取り出し、開いた。
『リッカさんへ。
 お手紙ありがとうございます、ソルです。
 無事に退院されたそうで、ほっとしました。
 これからはルーベルさんと一緒に施設で暮らすことになったんですね。お二人が一緒にいられると聞いて、なんだか僕もうれしいです。
 この先も、いろいろと大変なことがあると思いますが、本当に辛いことを経験してきたお二人ならきっと乗り越えて行けると思います。
 それでも辛いと思うことがあったら、いつでもファザーフに来て下さい。
 いつまでも変わらない、なにもない村ですが、だからこそ、ここはいつでも、誰でも帰ってこれる場所なのではないかと、最近はそんなふうに感じています。
 それではどうかお元気で。ルーベルさんにもよろしくとお伝えください』
 手紙は彼らしい優しい字で書かれ、赤と黄色の小さな花で作った押し花が添えてあった。
 おそらく、リッカとルーベルの髪の色に合わせたものだろう。
 赤と黄色の花を並べると、なんだか自分とルーベルが並んでいるように見えて、リッカはそれが、ちょっと嬉しい。


 革新世紀(E・A)七二年二月二六日。
 この日の夕食はポテトグラタンとポテトフライ、サンドイッチだった。自分たちで育て、自分たちで調理した食事はまた格別な味わいがある。
「グラタンうめぇな」
「俺の芋だぞ」
「お前だけじゃないだろ、俺だって植えたぞ」
「お前のはちっちゃかった奴だろ?」
「なによ、作ったのはあたしたちでしょ」
「味付けしたのはレムなんだからね」
 美味しい食事に少年たちがはしゃぎ、調理は自分だと少女たちが胸を張る。
 無理もない。少なくとも半年前には路上で残飯をあさりながら生きてきた子供たちだ。毎日食べる物があって、ゆっくりと眠れる場所がある。安心と安全に包まれた日々が嬉しくてたまらないのだろう。
 リッカとルーベルは、その平穏に心から馴染みきれないでいる。
 路上で暮らし食いつなぐだけで精一杯だった子供たちに比べれば、衣食住という点では遥かに満たされてはいたのだ。むしろ満腹は害悪、食事は必要最小限にとどめ、いつでも動ける万全の身体を維持するようにと教えられてきた。
 いまさらそんな必要はないのだと理解してはいても、『魔法強化兵部隊(レクスマギナ)』の一員として活動していた頃の感覚はまだ残っている。リッカは物音を立てないように、細々と食事を進める。
「ルー、おいしいですか?」
 ちらりと隣に座っているルーベルの様子をうかがうと、ルーベルは膝の上にクマのぬいぐるみ(マーヤ)を乗せたままじっとしているだけで食事を始めてはいなかった。
「ルー?」
 リッカは食事の手を止めて、ルーベルの顔を覗いた。ルーベルはぼんやりと、焦点の定まらない視線を食卓に向けている。
「ルー。ほら、食べましょう」
「でも、ルーはお手伝いしてないから……」
「いいんですよ。それでも、これは全部ルーの分なんですから」
「……でも」
 ルーベルが何に逡巡を感じているのかが、リッカには手に取るようにわかる。
 ――この国のすべては聖帝閣下の所有物だ! 役立たずに食わせるものはない!
 訓練を受けていた頃から、そんなふうに何百何千と怒鳴られた。
 振り返ればあれは異常な心理状態だったとわかる今になっても、『魔法強化兵部隊(レクスマギナ)』として活動していた時に、国の役に立っていることで生きる――存在する価値を得ているのだという実感を持っていたことは否定できない事実だ。
 幸福はもちろん、食べ物も、自身の存在さえ決して無償ではない。
 戦いの中で自分の価値を証明し続けることが、生きる条件。
 そんな価値観の中で過ごしてきた時間と、その中で奪い続けてきた命。
 それを想うと、無償で与えられる糧に妙な居心地の悪さを感じてしまうのだ。
「あら、食べないの? 何か苦手な物があったかしら」
 マレアが食事の進んでいないルーベルに気がついて、様子を見に来た。
「あの、ルーはわたしが見てますから、大丈夫です」
「そう? そうね、じゃあお願いするわ」
 リッカがルーベルに手を貸そうとしたマレアに断りを入れると、ルーベルがリッカ以外に心を開いていないことを知っているマレアは他の子供の様子を見に戻っていった。
「さ、ルー。まずは一口食べてみましょう。ほら、あーんってして下さい」
「……うん」
 リッカが少量のポテトグラタンをスプーンにとって差し出すと、ルーベルが大人しく口を開けた。リッカは冷め始めているポテトグラタンをルーベルに食べさせた。
「おいしいですか?」
 ルーベルの可愛らしい口が、もくもくとポテトグラタンを咀嚼する。と、不意にその動きが止まった。
「ルー?」
 まだ口の中に残っているはず、とリッカが訝しく思った、その瞬間だった。
 ルーベルが、吐き気を催したように背中を丸めて口を押さえた。
「ルーっ」
 ルーベルは肩を震わせて吐き気をこらえると、嘔吐はなんとか堪えて、口の中に残っていた物を飲み込んだ。
「ルー、大丈夫ですか? ルー?」
 口を押さえたままルーベルは動かない。その背中をさすりながら、リッカはルーベルの顔を覗き込む。苦しげに閉じたルーベルの瞼から、ぽとりと涙の雫が落ちた。吐き気に震えた背中が、今度は嗚咽に震え始めた。
「あーあ」
 食卓を囲んでいた少年の一人――エルヴィンがまただよと言いたげに聞えよがしな声を上げた。その声に、ルーベルの背中がまた震える。
「エルヴィン」
「ふんっ」
 マレアの叱責から顔を背けると、エルヴィンはリモコンを取ってテレビを点けた。
《暫定政府は代表選挙へ向けた行程表を作成していくと発表しましたが、バラトルム各地ではいまだに旧政府軍残党によるテロが散発的に発生しております。こうした状況下で代表選挙を実施するというのは――》
《『世界平和条約機構(W・P・U)』の広報官は『平和維持軍(サルバトール)』の駐留部隊によるテロの封じ込め計画を進めているようですが――》
《――選挙は侵略者と売国奴の共謀にされた不法不当なものであり、我々はこのような暴挙を決して認めない。約四ヶ月後に迫ったバラトルム初の代表選挙に対し、バラトルム愛国戦線を名乗る旧政府軍勢力がこのように声明を――》
 エルヴィンがぽちぽちとチャンネルを回すが、複数ある局はどこも報道番組を流していて、子供向けの番組は放送していなかった。
「なんだ、つまんねーの。あっちでカードでもやろうぜ」
「こらこら、遊ぶのは食器を片づけてからよ」
「はぁーい」
 食事を終えた少年たちが食器を流しに運ぶと、ばたばたとカードゲームの置いてある部屋に移動していく。にわかににぎわいを増した風景から取り残されたように、リッカとルーベルを包む空気だけが沈んでいた。
 すがるように肩を掴んだルーベルの手から、その心の痛みが伝わってくるような気がする。リッカはそっと、ルーベルの手に自分の手を重ねた。
「ルー、お部屋に行ってもう少しだけ食べましょう? ね、そうしましょう」
「……うん」
 涙をこぼしながらも、ルーベルがこくりと頷く。リッカはルーベルの食事をトレーに移すと、ルーベルの膝に乗せた。
「マーヤを汚さないように気をつけて下さいね」
 リッカはルーベルの車椅子を押して、二人の部屋に戻った。
 それで少し落ち着いたのか、ルーベルはリッカの介添えで全量の三分の一ほどを食べた。
「美味しいですか?」
「うん」
「よかったです。もう少し食べますか?」
「ううん、もういい」
「そうですか。じゃあベッドに行きましょう」
「うん」
 食器を乗せたトレーを机に移すと、リッカは車椅子に座っていたルーベルに肩を貸して、ベッドに寝かせた。
「はい、ルーの大好きなお友達ですよ」
 枕元にクマのぬいぐるみ(マーヤ)を置くと、ルーベルの小さな手がぬいぐるみの腕を掴んだ。リッカはルーベルのさらさらのブロンドを優しく撫でると、枕元を離れた。
「食器を片づけてきますから、少しだけ待っていて下さいね」
「平気だから」
「はい、行ってきますね」
 リッカはトレーを手に、ルーベルを残して部屋を出た。
 キッチンに向かう途中、ルーベルの容体についての医師の言葉を思い出す。
 ――検査結果を見る限りでは、ルーベルさんの身体に異常はありません。
 足が動かなくなったルーベルの症状について、担当してくれた医師は外科的な処置では対応できないと言った。
 ――あまり断定的なことは言えませんが、心因性……ヒステリー性の神経麻痺のようなものかもしれません。明日にも治るかもしれませんし、一年、もしくは十年かかるかも知れません。
 リッカはため息をついた。
『不滅の盾(アイアス)』やフォレア村の人々。『平和維持軍(サルバトール)』の兵士。そして、ロイゼ。
 望んだわけでもなく、ダイラムたちに支配されていた時のことだとしても、ルーベルが奪った命はあまりにも多い。
 もちろんリッカもそれは変わらない。だが部隊配置の関係上、リッカは非武装の民間人や無抵抗の相手を殺したことはなかった。一方のルーベルは、狙撃手として抵抗すらできない相手を何人も葬ってきた。
 自分たちを救おうとしていたロイゼすら、その手にかけてしまったのだ。
「自分を許せない気持ち……でしょうか」
 ルーベル自身の自分を責める気持ちが、自分の身体を攻撃してしまっているのだろうか。
 リッカやそれ以外の誰が許すと言っても、ルーベルは自分を許せないかも知れない。
 それは、悲しいことだと思った。
 少なくとも、不幸になるためにあの戦いを生き延びたのではないはずなのだから。
「リッカさん、ルーちゃんの様子はどうかしら?」
 リッカがキッチンで食器を洗っていたら、マレアが手を貸しにきた。
「はい、ちゃんと食べてくれました。今はベッドで休んでいます」
「そう、よかったわ」
「ありがとうございます」
「お礼なんて言わないで。それよりごめんなさいね、エルヴィンにはいつも言っているのだけど」
「大丈夫です、ルーは強い子ですから」
「そう……そうね。でも、エルヴィンのこともあまり悪く思わないであげて。あの子は戦争でお姉ちゃんを亡くしているから、きっと優しいお姉ちゃんに守ってもらってるルーちゃんが羨ましいんだと思うの」
「……そうだったんですか」
 それもまた、戦争が残した傷の一つ。
 バラトルムでは、誰もが傷ついている。すべての傷が癒えるまでは長い時間がかかるだろう。あるいは、永遠に癒える日は来ないかもしれない。
「それは、悲しいです」
「ええ。だから、みんなで悲しいことを一つずつ減らしていきましょう。そうすれば、いつかきっとみんなで笑える日が来るわ」
 リッカの洗い物を手伝いながら、マレアが微笑んだ。その微笑みは少しだけ、ロイゼに似ているような気がした。
 食器を片づけてリッカが部屋に戻ると、ルーベルはもう寝息を立てていた。ぎゅっとマーヤを抱きしめて眠っている。
 そっと寝顔を確かめると、目尻が涙で濡れていた。
「おやすみなさい」
 囁きかけて、リッカは人差し指でルーベルの涙を拭い、さらさらの髪を撫でた。
 ――ルーベルがまた笑える日までは。
「ずっと一緒にいますからね、ルーベル」
 ルーベルの顔にあの天真爛漫な、リッカの大好きな笑顔が戻るまでは、絶対に離れない。
 そばにいて、守り続ける。
 クラリーが、そうしてくれたように。
 可愛らしい寝顔を見つめて、リッカは改めて誓いを立てた。

<第二部へ続く>

『最強勇者の弟子育成計画』第十二話 大会

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 第十二話 大会


 学院から帰ってきたカリーナは、やけにやる気に満ち溢れていた。
 いや、今までも十分にやる気はあったが、今日は一段と覇気が強いというべきか。
 なにせ屋敷に帰ってくるなり、彼女は地面に額が着いてしまいそうな勢いで頭を下げ、俺にこう言ったのだ。

「どんなに苦しい修行でも耐えてみせます。どうかわたくしを、次の魔法大会で勝てるようにして下さい!」
「あら~、凄いやる気ね~」

 カリーナの気迫に、ウリエルも頬に手を当てながらちょっと驚いている。
 ……そういえば、彼女は昨日から王都に帰っていないのだが、ギルドの仕事とかは大丈夫なのだろうか?
 朝も起きるのが遅く、昼近くまで爆睡していたし……
 まあ俺が心配することでもないし、あまり考えないようにしよう。

 さて、カリーナから苦しい修行とやらを所望されたわけだが……ぶっちゃけ、魔法を教えられない俺に、そんなことを言われても困る。
 多分、一番効率的なのは、毎回ご飯を限界まで食うことだ。
 いっぱい食べたら、それだけステータスが早く上がるからね。
 でも、それでは納得しない気がする。

 例えば、俺がまだ日本にいた時に「ご飯をお腹いっぱい食べてるだけで東大に受かるよ」と言われても信じなかっただろう。
 そこに科学的根拠があったとして、懇切丁寧に説明されても絶対に信じなかったと思う。

 適当にそれっぽいだけの修行をでっち上げると、ウリエルに看破されそうだし……
 俺が黙って悩んでいると、その沈黙をどう受け止めたのか、カリーナが不安そうな顔をしていた。
 なので、ついその場しのぎの言葉を口にしてしまう。

「どんなにつらい修行でもか?」
「はい!」

 物凄く良い顔をして頷かれた。
 どうしよう、大食いにでも挑戦させてみるか?
 いや、それで無理をして吐かれたら元も子もないし……

 他に思いつくのは、カリーナが扱える属性で、俺が教えられそうな応用があるぐらいだ。
 でもそれには、元になる魔法を覚えていないと話にならない。

 俺はウリエルに、カリーナが大会までにその魔法を覚えられそうかどうか聞いてみた。

「ん~……その魔法だと、あと半年は時間が欲しいわね」
「半年か……」

 夏の大会までは、残り二ヶ月とちょっとしかない。
 その約三倍も時間が必要となると、やはり無理だろうか……

 とそこまで考えたところで、俺は超有名な漫画にあった、一日で一年の修行ができる異次元空間のことを思い出した。
 流石にあれを再現することはできないが、要するに一日の修行時間を長くすればいいのではないだろうか?
【エレメンタル・スフィア】には時間に干渉できるような魔法はないので、なるべく修行以外の時間を削るようなことしかできないが、これは名案だと思った。

「よし、じゃあ今から大会前日までは寝ないで頑張ってみよう。それなら学院に行っている時以外は、ずっと魔法の練習ができるからな」
「はい! …………えっ?」

 いい返事をしてから、カリーナの表情が固まった。
 それはそうだろう。
 単に二ヶ月間ずっと寝るなというだけなら、体を壊して欠場するのがオチだ。
 だがこの世界には、俺が元いた世界では不可能だったことを可能にする魔法があった。

「ああ、体のことは心配するな。この間、お前に【パーフェクト・ヒール】をかけたら目の下にあったクマが消えたし、それで寝不足や疲労も回復できると思う」
「そんな魔法があるんですか?」
「え?」

 カリーナの反応に疑問符を浮かべると、何かを察したウリエルが苦笑した。

「【パーフェクト・ヒール】なんて、人間で使えるのはアデルと、あともう一人ぐらいよ。普通の魔法使いは、存在すら知らない人も多いわ」

 そうだったのか……。
 カリーナと初めて会った時に彼女が衰弱していたのは、てっきり嫌がらせで回復魔法をかけてもらっていなかったからだ思っていた。

 これは後になって知ったことだが、回復魔法のある光属性は扱える人間自体が稀少らしい。
 でも天使だと、逆に光属性の魔法を使えない者の方が珍しいのだとか。

 その回復魔法を使って休まず特訓するという案に、ウリエルものってきた。

「カリーナさんは座学の成績がとても優れているから、大会までは午前中にある授業も休んで大丈夫じゃないかしら? これで、一日のほとんど全てを魔法の修練に当てられるわ。ただちょっと心配なのは……」

 彼女はそこで一旦言葉を止めると、顎に指を当てて小首を傾げた。

「人間にそんなことをして、本当に大丈夫なのかしらね?」

 ……たしかに、よく考えたら色々と問題がありそうな気がする。
 あくまで気がするだけで、あまり学があるとは言えない俺には、具体的にどうなるのかは分からない。 
 いくら疲労がないといっても、生物が持つ根源的な欲求の一つを完全に封じてしまうのは、精神に何か悪い影響があったりしないだろうか?

 俺がそう迷っていると、カリーナが再度頭を下げて、後押しをしてきた。

「それでお願いしますわ」
「う~ん」

 まあ危なそうなら途中で止めたらいいか。
 そう考えて、俺は自分の思いついた方法をカリーナにやらせることにする。
 ……とそこで、俺は昨日うっかり忘れていたことを思い出した。

「あ、そうそう、本当は昨日に渡そうと思ってたんだけど──」
「え?」

 俺はアイテムボックスから、【反魔鏡のローブ】という、黒い生地に金糸で魔法陣みたいなのが縫われてある防具を取り出した。
 ちょっとだけだが各ステータスを上昇させる力があり、さらには下級魔法なら自動で反射してくれる機能が付いたものだ。
 俺がリサーチした店で展示してあったものよりも、グレードが一つ上くらいの装備である。

「お前用の、装備だ」
「──っ」

 それを無造作に手渡すと、何故かカリーナはそのまま気を失って後ろに倒れてしまった。
 いきなり寝てしまうとは、先が思いやられるな……。

 こうして、二ヶ月後の魔法大会まで、彼女の集中特訓が始まったのである。

 ちなみにカリーナに渡した装備は、ウリエルから「ちょっと、学生の大会でそれは反則よね~」とのお言葉を頂き、ひとまず一般的なレベルのローブと交換することになった。
 王都の店にあったものより、少しだけ良い装備を選んだつもりだったのだが……何かが間違っていたらしい。


────────────────────


 ランドリア王国の王都では、年に一度、数日間にわたって大きなお祭りが開かれる。
 このお祭りの間に、トウェーデ魔法学院の生徒が互いの魔法を駆使して戦う魔法大会や、制作した魔道具を披露して評価点を競い合う品評会なども開かれ、それらを見物しようと大陸中からやってきた人々によってわうのだ。
 人が集まるのを狙ってやってきた商人や旅芸人も競い合うように出店し、観光客だけでなく王都に住んでいる民衆も、この数日間は昼夜を忘れたように騒ぎ続ける。

 そんなお祭りが始まった、最初の日の朝。
 観光客による長蛇の列に並んで王都に入ったカリーナは、見慣れたはずの街並みを見回して感慨深げに目を細めた。

「ああ、王都が懐かしく思えますわ……」
「そうか」

 たった二ヶ月ぶりなのだが、今のカリーナの様子は、まるで都会に疲れて十年ぶりに故郷に帰ってきた中年のようであった。
 やはり長期間全く眠らずにいるのは、けっこう精神的にきつかったらしい。
 特に最後らへんは、性格が変わってちょっとおかしくなっていたし。
 最終日に一日使って泥のように眠ったら元に戻ったが、もう二度とやらせないでおこうと思う。

 俺達が魔法大会が行われる試合会場に向かっていると、途中でカリーナの知り合いらしい学院の生徒と出会った。
 黒髪をポニーテールにした活発そうな少女と、銀髪を顎の下あたりで切り揃えた感情の起伏が薄そうな少女だ。

 二人はカリーナの姿を見るなり、どこか焦った様子でこちらへと駆け寄ってきた。

「カリーナ、今までどこで何をしていたの!? 急に学校に来なくなったから、心配したよ」
「心配した」

 捲し立てるポニーテールの少女に追従して、銀髪の少女も頷く。
 体をペタペタと触って、どこか異常がないか確かめていく二人に、カリーナは苦笑しながら軽く頭を下げた。

「お二人とも、ご心配をお掛けしましたわ」
「それで、そっちの人は?」

 どうしてか、ポニーテールの少女から睨みつけるような視線を向けられた。
 さりげなくカリーナとの間に体を入れて、俺から彼女を守れるような位置取りをしている。
 その姿は番犬のようで、今にもグルルッと唸ってきそうな感じだ。

 俺はそんなにも不審者に見えるのだろうか?

「わたくしの師匠ですわ。師匠、こちらはわたくしの友人の、ヘレナとエミリアですわ」
「アキラだ、よろしく」

 紹介され、俺はできるだけ爽やかに見えそうな笑顔を作ってみる。

「よろしく……」

 笑顔のおかげか警戒心は和らいだ気がするが、今度は俺の服装を見つめて怪訝そうな表情を浮かべていた。
 エミリアも、俺の顔をジーっと見つめてくるが、こっちは無表情で感情が読み取れない。
 だが、ほんの僅かだけ目を見開いているような気がする。

 二人の反応に疑問符を浮かべていると、いきなり背後から少女の高笑いが響いてきた。
 振り返ると、いかにもお嬢様っぽい少女が、こちらへ向かって歩いてくる。
 金髪の縦ロールとか、こっちの世界に来てから初めて見た。

「お久しぶりね、カリーナさん。てっきり、もう王都にはいないものかと思っていたわ」
「レベッカ……」

 目に見えてカリーナの顔が強張った。
 どうやらこのレベッカという少女とは、あまり仲が良くないらしい。

「それにしても、貴女のような生徒を弟子にする物好きはどんな方なのか、以前から気になっていたのだけれど……」

 彼女はそう言いながらこっちに目を向けると、俺の服装を見てあからさまに鼻で笑った。

「なんて見窄らしいのかしら。貴女には、お似合いの師匠ね」
「──っ!」

 途端、柳眉を吊り上げたカリーナが何かを言う前に、俺は彼女の肩に手を置いて宥めた。

「ああ、俺にはお似合いの弟子だよ」
「師匠……」

 ──お前は「アデル・ラングフォード」に相応しい弟子だ。
 そんな言葉の裏にあるものを察してか、カリーナが感動したような目を向けてくる。

 そんな彼女の様子に、レベッカは面白くなさそうに眉を顰めた。

「……それではカリーナさん、ごきげんよう。大会では、よろしくお願いしますね」

 ちょっと引っ掛かる言葉を残し、踵を返して立ち去っていく。

 カリーナが勝ち上がるとは欠片も思ってなさそうなレベッカが、彼女に「よろしく」と言った。
 その意味は、試合会場の前に張り出された初戦の組み合わせを見てすぐに分かった。

「そんな、初戦からレベッカだなんて……」

 古代ローマのコロッセオにも似た造りの建物の前で、ヘレナがカリーナの隣に並んでいた名前を見て呆然と呟いた。
 聞くところによると、あのレベッカという少女は、エミリアに次いで優勝候補だと囁かれてるほどの生徒らしい。

「まあ優勝を狙うならいつ当たっても同じだろ」
「そうですわね」

 初戦から強敵と当たってしまったのに、どこか余裕のあるカリーナの態度に、ヘレナが不思議そうにしていた。
 まあ二ヶ月前の彼女しか知らないなら、しょうがない反応だろう。
 逆に、全然悲観してなさそうなエミリアの様子の方が気になる。

 俺やヘレナは、大会参加者が集う控え室までは同伴できないので、カリーナ達とは一旦ここで別れることになった。

「見ていて下さい、師匠。師匠が侮辱された分は、キッチリとお返ししてきますわ!」
「おう、その意気だ。頑張ってこい」

 パシンと拳と手のひらを打ち合わせて意気込むカリーナ。
 ちなみに彼女には、俺が日本で培った格闘技の極意を教えてある。
 ……通信空手一級だけどね。

 接近戦になってしまえば、魔法より殴った方が早いのだ。
 あくまで通信教育の知識だけど、ないよりはマシだろう……多分。

 性格が豹変していた時に教えたせいか、砂に水がしみ込むように格闘技の動きを習得していったし、今の彼女は魔力抜きでも日本にいた頃の俺よりも強いと思う。
 いや、日本の俺が貧弱すぎるんだけども。

「二人とも頑張ってね!」
「ええ、期待していて下さいな」
「行ってくる」

 ヘレナの応援に、二人が手を振りながら会場に入っていく。
 ちなみに、ヘレナは四級の成績でありながら戦闘系の流派には入っておらず、大会には参加しないそうだ。

「ヘレナも、試合を観戦していくのか?」
「はい、友達の晴れ舞台ですから、もちろんですよ。私が参加する魔道具の品評会は明日からですので、時間も余ってますし」
「そうか。だったら──」

 特別席を用意してもらってるから、そこで観戦しないか?
 と言いかけたところで、いきなり背後から何者かに抱きつかれた。
 背中に、ふにょんっと二つの幸せな感触がする。

「おはよう、アデル! 私、寂しかったわ~」
「……昨日まで屋敷で会ってただろう」

 すりすりと頬ずりをしてくるウリエルに、ヘレナは顎が外れてしまいそうなぐらいに口を開けて驚いていた。

「ウ、ウリエル様!? それに、アデルってまさか──」
「あっ」

 せっかく偽名で自己紹介したのに……
 ウリエルに抗議の目を向けると、彼女は悪びれた様子もなく、ちろっと舌を出していた。

 きっと、わざとだ。
 だが、意図が分からない。

 俺はこの時、ウリエルの視線がヘレナの腰にある小袋に向けられていることが、妙に気に掛かったのだった。


<<つづく>>


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最強勇者の弟子育成計画
栖原 依夢
宝島社
2014-11-22

  

『最強勇者の弟子育成計画』第十一話 能力測定

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 第十一話 能力測定


 自分の師匠は、あの伝説のアデル・ラングフォードだった。
 そんな衝撃の事実を聞かされた次の日、カリーナはふらふらとした足取りで学院にまで来ると、ぼんやりとした様子で自分の席に座っていた。

 世界中の誰もが知っている、人類最強の魔法使い。
 そんな人が身近にいて、カリーナの弟子入りを認めてくれている。
 数日前の自分が聞けば、とうとう頭がおかしくなったのかと、哀憐の情を抱くことだろう。

 どこか現実味が薄すぎて、今も明晰夢を見ているような気分だった。
 次の瞬間に実家のベッドで目が覚めて、今までのことが夢だったとしても、カリーナはあっさりと受け入れてしまう自信がある。
 「ああ、良い夢だったな」と、寂しくはあっても、いつもより機嫌良く一日を過ごせるだろう。

 昨日の衝撃が未だに抜けようとせず、ふわふわと雲の合間を漂っているかのような心地だった。

 近くに座っているエミリアが何を言っても、半ば思考が止まっているカリーナには届かない。
 ひたすら虚ろな目を前に向けて、座っている。
 やがて、いつもより少し遅れてやってきたヘレナが、ご機嫌な様子でそんな彼女の肩を叩いた。

「おっはよー、カリーナ! ちょっと昨日さ~、市場ですっごい掘り出し物見つけちゃって」
「……はあ」

 ヘレナは持ってきた小袋から、手のひら大の真っ黒な宝珠らしきものを取り出すと、見せびらかすようにして掲げる。

「ジャーン! 【常闇の宝珠】だって! 店の人によると、夜の力が封じ込められてるとかなんとか。魔道具のわりには格安だったんで買っちゃった」
「……はあ」
「ほら、ここを擦ると黒い煙っぽいのが出てくるんだよ。なんか闇っぽくない?」
「ヘレナ、それ騙されてる」
「えっ」

 エミリアの忠告に、ヘレナはそれがどういう意味なのかを訊ねようとして──

「……はあ」

 そこでようやく、カリーナの様子が変であることに気がついた。
 怪しげな煙を立ち上らせている宝珠を片手に持ったまま、空いた方の手を彼女の目の前で振ってみる。

「おーい」
「……はあ」

 カリーナの瞳が自分の手を追っていないことを確認すると、ヘレナは宝珠を袋にしまいながら、怪訝そうな顔でエミリアに目を向けた。

「カリーナ、どうしちゃったの?」
「知らない」
「ん~……まさかっ!?」

 寸秒ほど思案した後、ハッと何かを察したような表情を浮かべたヘレナは、カリーナの両肩に手を置いて切迫した声を上げた。

「カリーナ! しっかりして!」
「え? え? 何ですの?」

 肩を激しく揺さぶられて、ようやく我に返ったカリーナが、どうしてか深刻そうな雰囲気を漂わせている友人を不思議そうに眺める。
 ヘレナはそんな彼女に、沈痛な面持ちで話を続けた。

「初めてをこんなことで散らしちゃったのがショックなのは分かるよ。でも、絶対に泣き寝入りしちゃ駄目。私も一緒に行くから、しっかりと魔法使いギルドに事の顛末を報告して、そのド腐れ師匠に抗議を──」
「何の話ですの?」

 戸惑う彼女に、ヘレナは大きい声で話すに
は憚れるようなことを、小声で耳打ちをする。
 その内容を理解すると、カリーナは耳の端まで茹で上がったように赤面した。

「──っ! だから師匠は、そんなことをする人ではありませんわ!」
「なら一体、どうしたのさ?」
「そ、それは──……」

 ヘレナに聞かれ、カリーナは思わず言い淀んだ。

「師匠の正体がアデル・ラングフォードだったことに動揺していた」と馬鹿正直に喋りそうになったところを、口をつぐんで堪える。

 実はそのアデルから、騒ぎになるのを避けたいから本名は黙っておいてくれと頼まれていたのだ。
 師匠の名誉を守りたい思いはあるが、それ以上に約束を破ることはできない。

「い、言えませんわ……」

 そう言って悔しそうに目を逸らしたカリーナに、ヘレナとエミリアは顔を見合わせた後、今度は本気で心配しだした。

「ほ、本当に何もなかったんだよね?」
「怪しい」

 どうしてかしつこくなった二人の追及にカリーナが戸惑っていると、丁度そこで教師らしき魔法使いが、数人ほど教室に入ってきた。
 彼らが一抱えほどもある水晶玉を運んでいるのを見て、ヘレナが今思い出したように声を上げる。

「あ、そういえば昨日が期限だっけ?」

 彼女が言う期限とは、学院の生徒が弟子入り先を選ぶことができる最後の日のことである。
 そして今日は、自分が入門した流派を学院に報告するのと同時に、各々の基礎能力を測定することになっていた。

 教師の呼びかけに、生徒が席を立って中央に置かれた水晶玉……基礎能力を測定する魔道具に集まり始める。
 カリーナは、さらに追及してくる二人から逃げるようにして、水晶玉の前に並び始めた生徒に交ざったのだった。


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 測定した基礎能力が書かれた札を手に、ヘレナが自分の席に戻ってくると、彼女はどこか浮かない顔でエミリアに結果を聞いた。

「どうだった?」
「魔力値203、肉体強度119、感応値189」

 エミリアが自分の札を見せながらそう言うと、ヘレナが軽く口笛を吹いて称賛する。

「流石はエミリア。基礎能力だけなら、もう一級魔法使い以上じゃない?」
「それは大袈裟。ヘレナはどうだった?」
「上から104、70、91。前回からあんまり伸びなかったな~」

 ちょっと悔しそうにそう言うと、次に自分の札を凝視して固まっているカリーナに顔を向ける。
 ヘレナは少し迷う素振りをした後、彼女にも声を掛けた。

「カリーナは、どうだったの?」
「いえ、それが……」

 カリーナが自分の札を二人に見せると、中に書かれていた数字にヘレナが驚きの声を上げた。

「46、23、31……って、いくら何でも短期間で伸びすぎじゃない?」
「ええ。わたくしも、そう思いますわ」

 ひと月ほど前に測定した時は、カリーナはたしかに七級クラスの基礎能力しかなかった。
 なのに今は、六級の中堅クラスぐらいの数字はある。
 これは測定した教師が、魔道具の誤作動を疑うほどにありえない成長だった。
 実際、何度も測り直しをしたほどである。

「へ~、こういうこともあるんだねぇ」
「でも、よかった」

 エミリアの言葉に、ヘレナも頷く。

「そうだよね。おめでとう、カリーナ」
「二人とも、ありがとう」

 まるで自分のことのように喜んでくれる二人に、カリーナは頬を弛ませる。
 とそこで、教室の中央から生徒のざわめきが広がった。
 水晶玉の置かれている場所から、金髪を縦巻きにした少女……レベッカが、取り巻きを引き連れて出てくる。

 彼女は自分の席に戻る際に、一度カリーナの席の前で立ち止まった。

「あらカリーナさん、ごきげんよう」
「……ごきげんよう。これは、何の騒ぎかしら?」
「ああ、あれは私の基礎能力値を見た生徒が、勝手に騒いでいるだけよ」

 そう言って、レベッカが自分の札を見せる。
 そこに書かれてあった数字に、カリーナは驚いた声を上げた。

「146、97、137……」
「別に、大した数字ではないでしょう?」

 レベッカはそう言うが、同学年の中では二番目に高い数字である。
 たしかにエミリアとは差があるが、それはエミリアが異常なだけだ。
 レベッカの能力値も、本来なら十分に天才と呼べる領域のものである。

 だがカリーナやレベッカを知る生徒が驚いたのは、その数字の高さではなかった。

 レベッカはたしか、前の測定では魔力値123、肉体強度85、感応値118といった数字だったはずなのだ。
 それが今日の測定では、大幅に数字を伸ばしている。
 カリーナの成長もおかしかったが、レベッカの成長はそれをさらに上回っていたのだ。

「ところでカリーナさんは、夏の魔法大会には出場するのかしら?」
「ええ、そのつもりですわ」
「まぁ、辞退なさらないなんて勇気があるのね」
「……」

 明らかな嫌みに、カリーナが押し黙る。
 隣のヘレナが何かを言おうとしたが、それはエミリアが彼女の口を塞いで押し止めた。
 ヘレナは平民なので、ここで下手なことを言って貴族のレベッカと揉めると、ヘレナの身が危ないからだ。

「カリーナさんとは、是非とも最初に戦いたいわね。だって魔力を温存できるもの」
「……それはどうも」
「それでは、私はこれで」

 言いたいことを言って、満足そうにレベッカが立ち去る。
 そんな彼女の背中に刺々しい目を向けていたヘレナは、エミリアの手から解放されるとしゅんと肩を落とした。

「うう、庇ってあげられなくてごめん……」
「ヘレナ、気になさらないで。仕方がありませんわ」

 落ち込むヘレナを慰めていると、エミリアがカリーナの肩をつついて、教室の入り口を指差した。

「カリーナ、あれ」
「え? ──あっ」

 そこに立っていた人物に、カリーナは慌てて席から立ち上がると、駆け寄って行った。
 まだ生徒達の測定は終わっておらず、今日の授業は始まっていないので、彼女の行動を咎める者はいない。

 カリーナは、あれからたった数日しか経っていないのに、随分と長い間会っていなかった気がする家族……自分の兄にあたる、カラム・ラッセルの前に立った。
 険しい顔をしている兄の迫力に、思わず目を逸らして俯いてしまう。

「カラムお兄様……」
「カリーナ。一体、今までどこに?」
「入門した流派の家に、お世話になっておりました」
「弟子入り先が見つかったのか」

 声がちょっと弾んだような気がして顔を上げてみると、カラムはどこか嬉しそうな表情を浮かべていた。
 今まで兄が見せたことのなかった表情に、カリーナは目を丸くする。
 そんな彼女の様子に気が付いたカラムは、何かを誤魔化すように咳払いをした後、表情を引き締めた。

「すまない、カリーナ。俺では父上の決定を、覆すことはできなかった。今のあの屋敷に、お前の帰る場所はない」
「……お兄様が謝ることではありませんわ」

 カリーナがそう言うと、カラムは彼女の肩に手を置き、膝を折って視線の高さを合わせた。

「いいか、よく聞くんだカリーナ。父上は、お前が何か大きな功績……例えば学院の魔法大会で入賞するなどすれば、ラッセル家に呼び戻してもいいと言っていた」
「そうですの……」

 奇しくもそれは、昨日アデルが言っていたことと同じだった。
 魔法大会で良い成績を残せば、実家に帰ることができる。
 そんな話が、現実味を帯びてくる。

「だが正直、お前の力では厳しいと俺は思っている。それどころか、もし七級のまま成長できなければ、将来的に魔法使いとして生きていくことも苦しくなってしまうだろう」

 カラムの言う通り、以前のカリーナがあれ以上成長できないようであれば、魔法使いとして働いていくことは無理だっただろう。魔法に関する仕事をさせようにも、魔力値や感応値が低すぎて使い物にならなかったはずだ。
 それほどに、彼女の能力は低かった。

「お前がもし魔法学院をやめたいと言うなら、俺も一緒にお前の住む場所や働き口を探そう。贅沢な暮らしはできないが、きっと今よりは穏やかに過ごせるはずだ。……お前には、その方が幸せかもしれない」
「……」
「お前は、これからどうする?」

 カラムにそう問われ、カリーナは瞼を閉じてしばし考え込んだ。
 兄の言葉に甘えて、新しい道を探すのも悪くないかもしれない。
 ただしその場合は、魔法使いの道を諦めることになるだろう。

 自分の弟子入りを認めてくれたアデルや、短い時間だが自分に魔法を教えてくれたウリエルの顔が、脳裏に浮かぶ。
 提示された選択に、迷うことはなかった。

「ありがとうございます、お兄様。でも、ここに残りますわ」

 思えば、自分の師匠のことを……ラングフォード流に弟子入りしたことを伝えれば、今すぐにでも戻ることができるかもしれない。
 アデルの名前には、それだけの力がある。
 だが、それは嫌だとカリーナは思った。
 自分の力で、認めさせたかった。

 人によっては、子供の意地だと笑うかもしれない。
 でもこのままで終わるのは、あまりにも悔しい。
 そう、カリーナは思ったのだ。

「わたくしは必ず、お父様を見返してみせます」
「……そうか」

 カリーナの答えに、カラムは重々しく頷いたのだった。


<<つづく>>


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最強勇者の弟子育成計画
栖原 依夢
宝島社
2014-11-22

  
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