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『最強勇者の弟子育成計画』第六話 弟子


 第六話 弟子



 その日の目覚めは驚くほどに爽快で、意識を浮上させてから、すぐに頭の中が冴え渡っていった。
 いつもの鈍い頭痛や、こみ上げてくる吐き気や、寝床に縫いつけられたのかと錯覚するほどの気怠さもない。
 久しく忘れていた疲労のない朝に、戸惑ってしまうほどだ。

 カリーナは、そんな心地よい目覚めの余韻にひたり、幸せな気分になる。
 だが次の瞬間には、昨日のことを思い出して、どん底まで気を沈ませた。

 ──お父様に捨てられた、人生最悪の日。
 昨日は、カリーナにとってそういう日だった。
 いっそ、もう目覚めなくてもよかったとさえ思ってしまう。
 なりふり構わず泣いてしまいたくなるものの、ここは恩人の家であったことを思い出して、なんとか堪えた。

 これからどうしようかと、頭を悩ませながら起き上がり……ふと寝かされていたベッドの手触りが、やけにいいことに気が付く。

(……これ、何で出来ていますの?)

 体が沈み込みそうな、それでいて適度な弾力のあるマットレスに、素材はよく分からないが高品質であることが分かるシーツ。
 昨晩は色々ありすぎて意識していなかったが、これは元実家である侯爵家にあったベッドよりも質が高いように思えた。
 ふと気になって、カリーナは自分がいる部屋の内装を見回し……驚愕に、目を見開く。

 その部屋の中にあった、調度品の数々。
 それらのほとんどが、何かしらの魔道具だったのだ。
 火を使わないランプや、傾けると中から水が湧く水瓶といった定番のものから、用途のよく分からない珍しいものまで、様々な魔道具が備え付けられてある。

 価値は質によって大きく左右されるものの、大抵の魔道具は庶民の手には届きにくい高級品だ。
 それが、この客室には数え切れないほど置かれてある。
 侯爵家の屋敷並みの……いや、それ以上の財力を窺わせる部屋だった。

(たしか、アキラ様と名乗っておられましたけど……)

 一体、何者なのだろうか?
 明らかに只者ではないのだが、少なくともカリーナの記憶の中に、アキラという名の大貴族や富豪はいない。

 それに、これだけの調度品を揃えられる財力があるのに、どうしてあんなに見窄らしい格好をしているのかも分からなかった。
 普通の魔法使いならば平民出身でもそこそこ裕福であるし、よほど能力が低くなければ、もうちょっと良い装備品を揃えられる。
 特に戦いを専門とする四級以上の魔法使いともなれば、装備品の質が生死に直結する場合もあるので、できるだけ良い装備品で身を包むのが普通だ。
 だがアキラの身につけていた装備品は、五級以下の魔法使いよりも酷いものだった。

 流派の師範になることを認められるほど優秀な魔法使いであるはずなのに、どうしてあんな格好をしているのだろうか?

 次々と浮かび上がってくる不可解な点に、カリーナが考え込んでいると、部屋の扉をノックする音が響いた。

「起きてるか?」

 その問い掛けにカリーナが返事をすると、楕円形のトレイを片手に持ったアキラが、扉を開けて中に入ってくる。
 トレイの上には皿が乗っており、白い湯気を立てていた。
 ベッドの上にいるカリーナからは、その中身までは見えない。

「体の調子はどうだ?」
「おかげさまで、調子が良いですわ」
「そうか」

 ぶっきらぼうな口調で喋るアキラが、ベッドの傍にまで来ると、カリーナは深々と頭を下げた。

「昨晩は助けてもらった上に泊めて頂き、感謝いたしますわ」
「別にいいさ」
「それで……その……」

 思わずカリーナは、続く言葉を言い淀んでしまう。
 アキラから恩を受けたものの、家から捨てられたばかりの彼女には、返せるものが何もないのだ。
 カリーナがどうやってお礼をすればいいのか悩んでいると、アキラが手に持っていたトレイを彼女に差し出した。
 皿の中にある米料理らしきものから良い匂いが漂い、カリーナの鼻腔をくすぐる。

「あの、これは?」
「朝食だ。お粥はスキルメニューにな……作れないから、リゾットにしてみた」

 カリーナがトレイを受け取った状態で呆けていると、アキラが首を傾げた。

「食欲がないのか?」
「いえ、そうではなく──」

 ただでさえ何もお礼ができないのに、朝食まで頂いてしまって良いのだろうか?
 と思ったところで、カリーナのお腹からキュルキュルと可愛らしい音が鳴った。
 昨晩は夕食前に家を飛び出したので、お腹が減っていたのだ。

「……頂きますわ」

 恥ずかしさから顔を赤くして、カリーナはトレイの上にあった匙を手に取る。
 そうして、ランドリア王国では珍しい米の料理を掬い、ゆっくりと口の中に運んだ。
 咀嚼した途端に、鬱屈としていた気分を忘れてしまうほどの衝撃を受けて、目を大きく見開く。

(──美味しいっ!)

 海鮮類とチーズが絶妙に絡み合った味が舌の上に広がる。
 今まで食べたことのないような美味に、カリーナは頬に手を当てて、うっとりと目尻を弛ませた。
 この近辺では高級食材である海の幸に、様々な調味料を惜しげもなく使った料理。
 かなりの贅を凝らした一品だが、カリーナはそんなことを考える余裕もないほどに、料理の虜にされてしまった。

 夢中になってリゾットを掬い、一口ごとにじっくりと味わう。
 カリーナが実に幸せそうな表情で料理を食べていると、途中でアキラが彼女に声を掛けた。

「そういえばさ」
「……はい」

 我に返ったカリーナは、自分がアキラの視線を忘れるほど一心不乱に食事をしていたことに気が付き、ますます顔を赤くする。

「お前、通ってた学院はどうなるんだ?」
「えっと……? 失礼、仰っている意味がよく分かりませんわ」

 カリーナがそう言うと、アキラはどこか話しづらそうに頬を掻いた。

「実家から勘当されたんだろう? 学費とかどうなるのかなって……」

 アキラの質問に、カリーナは内心で疑問符を浮かべつつ、素直に答える。

「いえ、魔法学院に学費はありませんわ。ギルド長と学院長を兼任なされているウリエル様が資金を提供しておりまして、魔法の才能がある者ならば誰でも入れるようになっていますの」
「そうか」

 頷くアキラを、カリーナは不思議そうに見つめた。
 今話したことは、ランドリア王国の魔法使いならば誰でも知っていることだ。

 仮にも流派の師範を引き受けた者が、どうしてそんなことを知らないのだろうか?

 カリーナがそう疑問に思っていると、アキラが懐から何かを取り出した。

「じゃあ、学院には通えるんだな」

 そう言って、彼は見たことのない紋様が刻まれた記章をカリーナに手渡す。
 アキラの流派に弟子入りをしたことを示すそれに、彼女は声を震わせた。

「こ、これは! どうして……」
「昨日、弟子にするって言っただろう?」
「でも、わたくしは七級で──」

 カリーナが言おうとした言葉を遮るようにして、アキラがさらに驚くべきことを言い出した。

「そうそう、家に帰れるようになるまでは、ここで寝泊まりするといい」
「えっ」
「どうせ部屋は余ってるからな」
「……」

 あまりのことに、カリーナは絶句する。

 アキラとカリーナは、昨日まで赤の他人だったはずだ。
 今も、少し会話をしたことがある程度の知人でしかない。
 とてもではないが、カリーナがそのような厚遇を受けていい関係ではないはずだ。

 思わず下心を疑ってしまいそうになるが、カリーナはすぐにその考えを否定した。
 彼女は自分の容姿にそこまで自惚れてはいないし、かといって他のことでも自分に価値があるとは思えない。
 カリーナはラッセル家から追い出されてしまったし、彼ほどの財力を持つ者を満足させるような金銭も持ち合わせていないのだ。
 強いて言うなら僅かなりとも魔法を扱える力があることだが、それも流派の師範をするほどの者にとったらゴミのようなものだろう。

 彼女が反応を返せないでいると、アキラが不安そうに声を掛けてきた。

「嫌か?」
「いえ、そういうことではなく……どうして、そこまでして下さいますの?」

 ──彼は底抜けのお人好しで、自分の身の上に同情した。
 カリーナが思いつく理由は、これぐらいだった。
 もしそうなら、アキラの善意からくる厚意に感謝しなければならない。

 そして、彼の提案を絶対に断ろうと思っていた。
 アキラが優しいのをいいことに、ただ同情を引いて自分から甘い汁を
啜ろうとするなど、他人を騙して懐を潤す輩と何ら変わらないと思ったからだ。 彼の善意につけ込んで、依存するようなことはしたくなかった。
 優しい人だからこそ、甘えてはいけないと思った。

 そんな決意を胸に、アキラの返事を待つ。
 だが彼が口にした理由は、カリーナが予想していたものとは違っていた。

「目の下に、クマがあったからだ」
「クマ……ですか?」

 戸惑うカリーナに、アキラは何かを考えながら、ゆっくりと話を続ける。

「実は、俺が誰かを弟子に取るのは初めてだ。そして俺のやり方だと、弟子の成長に普通の才能は関係ない……と思う。俺にとって、弟子のランクが一級だろうが七級だろうが関係ないんだ。だから俺は、違う部分を評価した」

 アキラはそこで一旦言葉を切ると、気恥ずかしそうに視線をカリーナから逸らした。

「俺はお前を、凄いと思った。見込みがあると思ったから、弟子にした。そして、俺の弟子だから面倒を見る。これじゃ駄目か?」

 彼の話した内容に、カリーナは体を硬直させた。
 半開きになった口から、消え入りそうな声を漏らす。

「……わたくしを、評価して下さったと?」
「そうだ。だってお前は、あんなになるまで努力を重ねてきたんだろう? よく頑張ったな」
「あ──」

 心が、震えた。
 何かを言おうとしても声が出ず、唇だけが動く。
 堪える暇もなく、涙が溢れた。

 結果の出ない努力に何の意味もないと、カリーナは重々承知している。
 だから、誰からも……父からでさえも、労いや褒め言葉はもらったことがないし、それが当然だと思っていた。
 鼻で笑われて馬鹿にされることはあっても、評価されるなんてことはなかった。

 だからだろうか。
「よく頑張ったな」という軽い一言が、心の奥底まで深く響いたのだ。
 初めての経験に、言葉では言い表せない感情が胸を熱くした。

 ふとアキラの手が、カリーナの頭を撫でる。
 その仕草は、まるで子供扱いだ。
 でもそれがとても心地よく感じられ、彼女は自分が子供であったことを思い出した。

 これまで、簡単には涙を見せたりしないと半ば意地になりながら生きてきたのだが、昨日からは泣いてばかりである。
 情けないという思いはあるものの、今はもう無理に我慢しようとは思わなくなっていた。

「……ありがとうございます」

 ようやく声が出せる程度に落ち着いたカリーナは、渡された記章を大切そうに胸に抱きながら、深く頭を下げたのだった。


<<つづく>>

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最強勇者の弟子育成計画
栖原 依夢
宝島社
2014-11-22

 

『最強勇者の弟子育成計画』第五話 現実


 第五話 現実



「どうしてこうなった」

 アデルの家にあった、幾つかの客室のうちの一つ。
 そこのベッドの上で寝息を立てている少女の姿を見て、俺は思わず頭を抱えた。

 俺がゲームのキャラであるアデル・ラングフォードとなってしまった日の翌日。
 ウリエルにおねだりされて弟子を取ることを了承してしまったものの、何をどうしていいか分からず、適当に街を彷徨っていたのだ。

 ウリエル曰く、ラングフォード流と名付けられた新しい流派の名前を出せば、弟子なんて勝手に向こうから集まってくるらしいが……正直面倒くさいので、あんまり沢山の弟子は取りたくない。
 というか、偉そうな顔をして魔法を教えられる自信がない。
 なにせ昨日までの俺は、何の取り柄もないただの大学生だったのだ。

 それに、入門希望者に受けさせる試験を作れと言われても、どんなことをやればいいのか全然分からない。
 だから試験を実施して弟子を募ることはせず、そこら辺で遊んでる生徒を適当に見繕ってスカウトしてしまおうと街を歩いていたのだが……

 偶然、男に絡まれていたところを助けた少女から、いきなり弟子にしてくれと迫られたのである。

 あまりの剣幕に思わず頷かされてしまったが、俺にとっても別に問題はなかった。
 元々弟子に取る生徒を探していたのだし、彼女がそうなっただけのことである。
 だが俺があっさり弟子入りを認めると、彼女は信じられないといった面持ちで目を見開いた後、急に気を失って倒れてしまったのだ。
 しかも、けっこうな熱を出して。

 いたいけな少女を、路上に寝かせたまま放置しておくわけにもいかない。
 かといって、まだ名前も聞いていなかったので、どこに送り届けていいのかも分からない。
 だから俺は、ひとまずこの少女をアデルの家へと運んだのだった。

 そして、空いていた客室のベッドに彼女を寝かせて今に至る。
 やってしまってから、ふと思ったのだが……これがもし現代の日本なら、俺は警察に捕まってしまうのではないだろうか?
 中学生ぐらいであろう年齢の女の子を、路上で寝ていたのをいいことに大学生の男が自宅に連れ込む。
 ……凄く、犯罪くさいです。

 向こうで実行に移していれば、ご近所さんの通報で警察に踏み込まれ、全国ニュースで「大学生の男が、少女を誘拐」と報道されていたかもしれない。
 俺の持っている同人誌やパソコンの中身から出てきたものを晒され、「これだからオタクは……」と
か囁かれ、全国にいる同志たちに申し訳ないことになっていたはずだ。

 日本ならば、俺だって普通に救急車を呼ぶという適切な対応が取れたのだろう。
 だが、ここは異世界だ。
 病院のような施設が、あるのかどうかも知らない。
 俺の行いが、異世界の人にどう受け取られるのか全然分からない。
 今になって、どうして宿の部屋を取らなかったのかという後悔の念が湧く。

 ──やってしまったかもしれない。

 そんな不安から、俺は少女の眠るベッドの傍らに座ってダラダラと冷や汗を流していた。
 できれば、心の準備ができるまで目覚めないで欲しい。
 そんな願いも虚しく、やがて少女はゆっくりと閉じていた瞼を上げた。

「……目が覚めたか?」
「ここは……?」
「俺の家だ。お前が急に倒れたから、連れてきた」

 正直に言った。
 ここで少女が悲鳴を上げようものなら、すぐにでも王都から逃げようと心に決め、ビクビクしながら彼女の反応を窺う。
 だが俺が予想していたような事態は起こらず、少女はベッドから体を起こそうとして、つらそうに表情を歪めた。

「熱がある。無理に起き上がろうとしなくていい」
「ありがとうございます」

 少女が、お礼を言いつつ体の力を抜く。
 どうやら、俺の行いは異世界的にセーフだったらしい。
 俺は内心で胸をなで下ろした。
 ちょっと考えすぎだったのかもしれない。

「もう遅い時間だし、親御さんも心配しているだろう。俺が連絡をしておくから、住んでいる場所を教えてくれないか?」
「あ……」

 俺の言葉に、少女が小さく声を上げて身を固くした。
 ……今になって、身の危険を覚えたとかじゃないよね?

「どうした?」
「わたくし、帰る家がありませんの。いえ、今日から無くなったと言うべきか……」
「どういうことだ?」

 尋ねると、少女は少し躊躇った様子を見せてから、自分の事情を話しはじめた。

 少女が、カリーナ・ラッセルという侯爵家の令嬢であったこと。
 トウェーデ魔法学院の生徒であり、七級魔法使いであること。
 そしてつい先ほど、その学院の成績が原因で、侯爵家から捨てられてしまったこと。

 悲惨に思える身の上話を聞かされ、俺はどう声を掛けてよいのか分からなくなってしまった。
 その沈黙をどう受け止めたのか、カリーナという名の少女が苦笑する。

「わたくしが七級魔法使いだと知って、失望されましたか?」
「いや……」
「気を遣わなくていいんですのよ」

 そう言って、カリーナは笑みを浮かべた。

「冷静に考えれば、今さらどこかに弟子入りできた程度で、家に帰れるようになるとは思えませんし……それにもう、疲れましたわ」
 
 草臥れた老人のようだ。
 諦観の入り交じった彼女の表情を見て、俺はそう思った。

「だから、ごめんなさい。弟子入りの話は、なかったことに──」
「帰れるさ」

 平和な国で育ったせいだろうか?
 まだ子供と言っていい年齢のカリーナの境遇にいたたまれなくなって、俺は気が付けばそんな言葉を口にしていた。

「俺の弟子になるんだ。俺がお前を、誰よりも強い魔法使いにする。お前が優秀な魔法使いだって認められれば、家にだって帰れるようになるんじゃないか?」
「ふふふ、優しいんですのね」

 俺はわりと本気で言ったのだが、カリーナは信じていない様子だった。
 でも、少しは安心できたのかもしれない。
 彼女はベッドの上で、瞼を眠たそうに瞬かせた。

「そういえば、まだお名前をお聞きしていませんでしたわ」
「うっ……」

 ちょっと言い淀んだ俺に、カリーナが不思議そうに首を傾げた。

 ここでアデルと名乗ると、なんとなく面倒なことになりそうな予感がしたのだ。
 ウリエルも、この名前が広まれば、ちょっとした騒ぎになるだろうと言っていたし……学院から弟子入り希望者が大挙して押し寄せて来そうな気がする。
 それは、非常に困る。

 なので俺は、日本での名を名乗ることにした。
 いつまでも隠しきれるものではないだろうが、ひとまず先送りである。

「アキラだ」
「アキラ様……今日という日に、貴方と会えてよかった」

 眠気で目が閉じそうになるのを懸命に堪えている彼女に、俺はできるだけ優しく見えるよう苦心しながら、笑顔を作った。

「今日はもう寝ろ。これからのことは、明日の朝にでも話せばいい」
「……ごめんなさい、お言葉に甘えさせて頂きますわ」

 カリーナはそう言うと、再び目を閉じた。
 彼女の口から、すぐに規則的な寝息が聞こえてくる。
 でも若干、苦しそうにしているのが気になった。顔色も悪いし、うっすらと汗もかいている。

 ……まさか、このまま死んだりしないよね?
 日本では、過労のせいで家で寝たまま死んでいたというニュースもあったし……

 ちょっと不安になったので、試しに回復魔法でも最上級にあたる【パーフェクト・ヒール】をかけてみた。
 すると彼女の目の下にあったクマが消えて、苦しげだった寝息が安らかなものに変わる。
 どうやら、熱も下がっているようだった。
 思った以上に、魔法って便利だ。

 最初は風邪か何かだと思っていたのだが、彼女の話を聞く限り、やはり熱の原因は過労だったのだろう。
 よく観察しないと分からないが、頬が微妙にやつれているし……相当苦労してきたのだと思う。
 貴族の家のご令嬢なのに、回復魔法は誰にもかけてもらえなかったのだろうか?

 俺は続けて、【アナライズ】という対象のステータスを分析する力のある魔法をかけてみた。
 ゲームではモンスターにしか使用できなかった魔法だが、この世界では人間相手にも問題なく発動した。

 魔力値  37
 肉体強度 15
 感応値  22

 ……これは酷い。
 人間の魔法使いの平均値がどれくらいなのかは知らないが、酷いということだけは分かる。

 肉体強度や感応値が何を示す数字なのか、確証はない。
 だが少なくとも魔力値……MPが37というのは低すぎる。
 どれくらい低いかというと、ゲーム序盤で覚える魔法を数発放つだけで尽きてしまうぐらいに低い。
 これでは、劣等生と言われてもしょうがないかもしれない。

 彼女の様子を見る限り、きっと努力を怠っていたわけではないのだろう。
 ゲームではモンスターを倒してレベルを上げれば簡単に強くなれたが、レベルという概念のないこの世界では、そう簡単な話ではないらしい。

 人並み以上の努力をして人並みの結果が出ないのなら、それは才能がないということだ。
 お前には向いていなかったんだと、冷たく突き放すことはできる。
 でもカリーナには、できれば報われて欲しいと思った。
 きっと男なら、誰でもそう思うはずだ。
 なにせ、薄幸の美少女だし。

 これでむさいオッサンが相手だったら、「ああ、そうか」としか思わなかった自信がある。
 美少女はすべからく保護されるべきだ。

「お父様……」

 寝言だろう。
 そうぽつりと呟いたかと思うと、カリーナの目尻から一粒の涙が流れ落ちた。

 なんか、キュンときた。

 俺は張り切って立ち上がると、つい先ほど思いついたことを実行するべく部屋を後にした。
 そのまま、荒れ果てた庭へと出る。

 カリーナに帰る家がないのなら、しばらく此処で暮らせばいいと思う。
 まだ本人に確認はとってないが、俺は既にそのつもりである。
 彼女が大手を振って実家に帰れるようになるまでは、面倒を見るつもりだ。

 一応、心算はある。
 たしかに俺には、魔法などの細かい理論は教えられない。
 アデルの力のおかげか、なんとなくで魔法を使うことはできるが、詳しい仕組みを理解しているわけではないのだ。

 だが代わりに俺には、ある程度までなら基礎的な能力を底上げする手段があった。
 ゲームとは違うので、どこまで上手くいくか分からないが、少なくともMPに相当する魔力は上げられるはずだ。
 他のステータスは試してみないと分からないが、恐らく大丈夫だろう。

 あとは、彼女が思う存分修行できる環境を用意したい。
 少なくとも魔法の練習をするのだから、開けた場所が必要になってくるはずだ。
 さらにはアレを育てるための畑や、もし使い魔を使役するのなら牧場も欲しい。

 だがメニュー画面には屋敷の増設などはあっても、荒れることを前提にしてないせいか、畑や牧場を修復できるような項目はなかった。
 だから、どれも普通ならすぐに用意するのは無理だろう。
 でも今の俺には、魔法があった。

「【クリエイト・ゴーレム】」

 茶色の光玉を集めて地属性の魔法を唱えると、地面の土が盛り上がって巨大な人型を形作っていく。
 簡単な命令に従って自動で動く、土人形だ。
 俺はそれをさらに数十体ほど作り出し、まずは荒れた庭を更地にするべく、人形達を動かしたのだった。


<<つづく>>


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最強勇者の弟子育成計画
栖原 依夢
宝島社
2014-11-22

 

『最強勇者の弟子育成計画』第四話 夢


 第四話 夢

 

 その日も全く成果が上がらず、カリーナは肩を落として屋敷に戻ることになった。
 これで、入門先を探せる期間は残り一日しかない。

 ──もう、諦めるしかないのだろうか?

 カリーナがそう失意の中で落ち込んでいると、今日は珍しく早い時間に帰ってきたアイザックが、今夜は夕食も家族で一緒に食べようと提案してきた。

 何やら、カリーナに大事な話があるらしい。
 朝食は毎日のように一緒にとっていたが、夕食はいつも別々だったのだ。
 久しぶりに夕食を共にできることを嬉しく思う気持ちと、今日も何の成果も上げられなかったことを告げねばならない気の重さを抱えたまま、カリーナが食卓の席に着くと……

 アイザックが、いつも通りの、にこやかな表情で言ったのである。

「カリーナ、お前をラッセルの名から解放してあげようと思う。もう学校にも、行かなくてよい。明日からは家を出て、自由に生きなさい」

 一瞬、何を言われたのか分からなかった。
 いや、理解するのを、頭が拒否した。
 信じたくなかった。

 でもアイザックの言葉は、しっかりとカリーナの耳に届いてしまっており、頭の中を何度も反響してジワジワと絶望に染め上げていく。
 口調は柔らかいのに、その内容は酷く冷たかった。

 カリーナはたった今、ラッセル家から捨てられたのだ。

 どこか遠くに軟禁されるのと、どちらがマシだったのだろうか?
 と、妙に冷えていく思考の中でそんなことを考える。

「馬鹿な!?」
「カラム、行儀が悪いぞ」

 急に立ち上がったカラムを、アイザックが窘めた。
 だがカラムは、それに構わず言葉を続ける。

「お考え直し下さい、父上! いくらなんでも、それは──」
「私としても心が痛むが、これは決まったことだ」

 アイザックはそう言うと、聞き分けのない子供を優しく諭す時のような微笑みを、カリーナに向けた。

「賢いカリーナなら、分かるね?」

 アイザックの視線に晒され、カリーナは小さく震える。

 いつも通りだ。
 いつもの、大好きな父親の、どこか安心できる穏やかな笑顔だ。
 口では悔いの言葉を並べながら、いつもと本当に何も変わらない。

 カリーナは、父のその張り付けたような笑顔に、初めて恐怖を感じた。
 そんな彼女の怯えを察したのか、カラムはカリーナの肩を掴んで、食堂の扉を指差した。

「カリーナ! お前は自室に戻っていろ!」
「こらこら、カリーナと一緒に食事できるのは今日が最後になるんだぞ。追い出したら可哀想じゃないか」

 おどけるようなアイザックの声を背に、カリーナはふらふらとした足取りで食堂を後にする。
 彼女が廊下に出ると、途端にカラムとアイザックが激しく口論する声が、扉越しに響いてきた。
 とはいっても、声を荒らげているのはカラムのみで、アイザックの声音は終始落ち着いたものだったが。

 カリーナは廊下に佇み、必死に自分を庇うカラムの声を聞く。
 あのカラムが、こんなにも自分のことを気に掛けてくれていたとは、考えもしなかった。
 家に迷惑を掛けている自分を嫌っているのだと、カリーナは勝手に思い込んでいた。

 そして逆に、父親はもっと自分を愛してくれているのだと思っていた。
 もしこのまま出来損ないでいても、あの優しい父親なら自分を捨てたりしないだろう。
 そんな吐き気がするほど甘いことを、心のどこかで考えていた自分に気が付く。

 ここにきて、ようやくカリーナの止まっていた感情が、現実に追いついてきた。
 焦燥感が胸の内から湧き上がり、居ても立ってもいられず、その場から走り出す。
 部屋に戻って学院の制服に着替えると、カリーナは急いで家の外に飛び出した。

 そのまま屋敷の敷地外に出ても、誰にも止められることはなかった。
 普段なら、こんな時間に門の外へ出ようとしたら、衛兵に止められていたはずだ。
 この屋敷で働く者達が、もうカリーナのことをラッセル家の一員と認識していないのだろう。
 そう思い知らされ、彼女の胸中で荒れ狂う焦りが、ますます膨れあがる。

 このままでは、本当に捨てられる。
 どこでもいいから、弟子入りさえ果たせれば……もしかしたら、お父様が考え直してくれるかもしれない。
 そんな思いを抱いて、カリーナは必死に足を動かす。

 屋敷を出て、貴族の邸宅が集まる地域を抜け、下町の一番近い位置にある魔法使いの家へ。
 魔灯に照らされた道を行き、流派の一つを担当している者の元へと押しかけた。

 カリーナの記憶が正しければ、成績でいうと中堅クラスの生徒が集まる流派だったはずだ。
 その家の扉を、カリーナは縋るような思いで叩いた。

「誰かいませんか!? お願いします! 誰か!」

 何度も、何度も叩く。
 彼女の行為に、近くを通りすがった人々が顔を顰めた。
 だが今のカリーナに、そんなことを気にする余裕はない。

 しつこく彼女が呼びかけているうちに、とうとう扉が荒々しく開かれた。
 カリーナの声を掻き消すように、白髪頭をした壮年の男の怒鳴り声が響く。

「誰だ、こんな遅い時間に!」
「夜分遅く、失礼しますわ。わたくしは、カリーナ・ラッセルと申します」

 カリーナが頭を下げて自分の名前を口にし……それを聞いていた男が、あからさまに嫌そうな顔をした。

「ああ、お前が件の問題児か」
「えっ……」

 不穏な雰囲気に、カリーナは嫌な予感を覚えた。
 戸惑いと不安から瞳を揺らす彼女に、男は呆れたように大きく溜息をつく。

「魔法使いギルドから、お前をうちに弟子入りさせないように通達があった。おそらく、中級以上の流派全てに同じような知らせが回っているだろう。……お前、ギルドでも騒ぎを起こしたらしいな?」
「そ、そんな……」
「そもそも、うちは五級以下の生徒を受け入れるつもりはない。いい加減、夢ではなく現実を見るんだ」

 そう言い残して、男はさっさと奥に引っ込んでしまった。
 カリーナは呆然と、閉じられてしまった扉を見つめる。
 男に言われた言葉を頭の中で反芻しながら、やがて行く当てもなく、ふらふらと歩き出した。

 夢と、現実。
 男は、夢ではなく現実を見ろと言った。
 現実とは、このどうしようもない現状のことだろう。
 では夢とは?
 自分の夢は、どこでもいいから並の流派に入門することだったか?
 父に捨てられないことだったか?

 カリーナはそこで、ふと昔のことを思い出していた。

 幼い頃。
 まだ、何も知らなかった頃。
 夜空に手を伸ばせば、暗がりに瞬く星が掴めるのだと思っていた頃。
 カリーナは、特級魔法使いになることを夢見ていたのだ。
 今も語り継がれる英雄譚を絵本で読み、憧れた。
 努力さえ怠らなければ、なれると本気で信じていた。

 夢から遠ざかりすぎて、忘れていた。
 もっと大人になれば、下らない夢だったと鼻で笑えるのだろうか?
 笑い話に、できるのだろうか?

 あの時よりは、まだ大人になったという自負はある。
 だが、今のカリーナが抱いた感情は、もっと別のものだった。

 どこをどう彷徨ったのか、いつの間にかカリーナは、薄暗い路地裏の突き当たりに立っていた。
 彼女以外に人は見当たらず、他人の視線はない。
 だからだろうか?
 カリーナは胸に湧き上がった感情を、ぽつりと吐き出していた。

「悔しいですわ……」

 言ってしまった。
 今まで胸の奥底に押し込み、封をして、見ないようにしてきた感情。
 それが、呟いてしまった一言をきっかけに、溢れ出てくる。

 同級生達から向けられる嘲笑。
 貴族達から浴びせられる侮蔑。
 知人から向けられる憐憫の眼差し。
 そして、笑って自分のことを捨てた父親の顔。

 これまで歩んできた様々な場面が、思い起こされる。
 カリーナは、その全てがどうしようもなく──

 悔しかった。

「……ひっ……ぐ……」

 嗚咽が漏れる。
 歯を食いしばっても、堪えられなかった涙が目尻からこぼれ落ちる。
 泣いてしまったことで、ますます自分が情けなく惨めに思え、そうなるともう止められなかった。

「くや…しい……くやしいっ……くやしい!」
 
 喚いたところで、どうにもならない。
 それが分かっていても、カリーナは声を吐き出さずにはいられなかった。
 子供が駄々をこねるようにして、何度も何度も同じ言葉を繰り返す。

 しばらくそうしていると、誰もいないと思っていた彼女の背に、ふと呂律の乱れた男の声が掛かった。

「こんなところで一人で泣いて、どうしたのかな~」

 酒臭い匂いを漂わせた、体格の良い男だ。
 ニヤニヤとしながら舐め回すような視線を向けられ、カリーナは悪寒でぶるりと背筋を震わせる。 
 昂ぶっていた感情が、急速に冷えていくのを感じた。

「……何でもありませんわ」

 カリーナは頬を濡らしていた涙を慌てて拭うと、男の横を通り過ぎて路地裏から出ようとした。
 しかし──

「ちょっと待てよ。心配して声を掛けてやったのに、お礼ぐらい言えねーのか?」

 男が、カリーナの腕を掴んで引き留めた。
 乱暴に引っ張られたことに顔を顰めつつも、男の言うことにも一理あると思い、素直に謝罪する。

「たしかに……そうですわね。非礼をお詫びしますわ」

 カリーナが頭を下げると男は上機嫌になり、今度は腰を掴んで引き寄せようとした。

「おう、俺が慰めてやるから、ひとまず宿の部屋で落ち着こうじゃねーか」
「そ、それは結構ですわ!」

 腕を前に出して拒絶するも、男の力は強く、離れることができない。
 見たところ魔法使いでもない、ただの酔っ払いの男に良いようにされ、カリーナは歯噛みした。
 こんな時、四級以上の……いや、せめて五級並みの力があれば、カリーナは楽に逃げおおせていただろう。
 気は進まないが、叩き伏せることも可能だったはずだ。
 だが現実のカリーナは、この男を前に、何もすることができない。

「離してっ!」
「うるせえ! 大人しく──」

 男が腕を振り上げ、カリーナはぎゅっと目を瞑って痛みに備えた。
 だがいくら待っても、予想していたような衝撃がこない。

 気になっておそるおそる目を開くと、男がゆっくりと地面に崩れ落ちていくところだった。
 代わりに、いつの間にか男の背後にいた青年が、声を掛けてくる。

「おい、大丈夫か?」

 黒髪黒目の、やけに顔立ちの整った魔法使いだ。
 目尻が鋭く冷たい印象を受けるものの、纏っている雰囲気のせいか、あまり怖くはない。

 はっきり言って、格好はとても見窄らしかった。
 魔法使いの装備品は、強い魔法が込められているものほど色合いが派手になっていく傾向がある。
 同業者の間では、装備品の質が魔法使いの優秀さを表しているように見られているので、見栄で分不相応な装備品を揃えている者はいても、その逆はあまりいない。
 だから、今カリーナの目の前にいるこの男は、大した魔法使いではない……はずなのだが。

 ローブの胸あたりに付けられた、流派の範士マスターであることを示す記章に、カリーナの視線は
釘付けになっていた。
 色は、上級を示す金色。
 四級以上の生徒を弟子に迎えている魔法使いだ。
 だがバッジに描かれた紋様は、全ての流派を把握しているはずのカリーナでも、知らない種類であった。

「おーい、聞いてるか?」

 青年の呼びかけに、カリーナは我に返った。
 そして、気が付く。
 カリーナは、全ての流派を回って頼み込んだ末、全てに断られてしまっていた。
 でも、まだ一つだけ残っていたのだ。
 自分が訪ねていない流派が。

 カリーナは、ごくりと唾を飲み込む。

 また、断られるかもしれない。
 いや、断られるのが当然なのだ。
 七級の劣等生である自分を、弟子にしてもらえるわけがない。
 期待したところで、すぐに落胆することになるのは目に見えている。

 でも川に溺れる者が、助かりたい一心で藁を掴んでしまうように、気が付けばカリーナは青年に話し掛けていた。

「あ、あの!」
「んん?」

 急に声を張り上げたせいか、目を丸くして驚いている青年に、カリーナは深々と頭を下げた。

「お願いします! わたくしを、貴方の弟子にして下さい!」
「……えぇ?」

 カリーナの叫ぶような訴えに、青年は困惑したように眉を顰めたのだった。

<<つづく>>

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最強勇者の弟子育成計画
栖原 依夢
宝島社
2014-11-22

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