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2014年11月

『最強勇者の弟子育成計画』第十話 流派

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 第十話 流派

 二人が風呂から上がってきた後、すぐに俺の恐れていた事態が起こった。

 カリーナから魔法について、分からないところを質問されたのだ!

 未だこの世界の文字すら読めない俺は、当然答えられるわけがない。
 だから苦し紛れに、グーと念じてバーとやる感じだと言ったら、しょっぱい顔をしたウリエルが、今日のところは代わりに勉強を教えることになった。
「これだから天才は……」とぶつぶつ文句を言っていたことからして、良い具合に勘違いしてくれたらしい。
 過去にいたであろう、本物の天才達が作った奇天烈なイメージに感謝だ。

 ウリエルは全属性を扱えるが、得意な属性は火なので、カリーナには教えやすいのだそうだ。
 これからも、屋敷に遊びに来た時限定だが、彼女に勉強を教えてもいいとも言っていた。

 それにしても、俺の代わりに勉強を教えてくれているのは有り難いのだが、ウリエルは忙しくないのだろうか?
 たしかギルド長と学院長を兼任しているのではなかったか?
 仕事がどうなっているのかちょっと気になったが、深くつっこんで、その結果帰ってしまったら困るので、何も言わないでおく。

 さて、ひとまずは化けの皮が剥がれる事態を回避できたのだが、今度は俺のやることがなくなってしまった。
 ……というか、魔法を教えられない魔法使いの師匠とか、存在する価値がない気がする。

 二つを組み合わせることで威力が上がる魔法だとか、連鎖による連携だとか、そういうゲームにあったことならいくらでも教えられるのだが……実践はともかく、基礎的な理論の部分は全然教えられないのだ。
 ゲームだと、レベルが上がったら魔法を覚えたしね。
 コントローラーを握っていただけの俺が、魔法の勉強なんてしているわけがない。

 まあ、そこらへんは追い追い何とかするとして……何とかできるかな?……特にすることがなくなってしまった俺は、アレの生産と今日の夕飯に力を入れることにした。

 ちなみにアレとは、ゲーム終盤の敵がごく稀に落としていく「〇〇の実」シリーズのことである。
 〇〇の部分に入るのは、「魔力」とか「筋力」の文字で、これにはステータスの基礎値を僅かに上昇させる力があった。
 RPGなら定番のアイテムだろう。

 それで、この「〇〇の実」シリーズ。
 実はゲームのおまけ要素である裏ダンジョンをクリアすると、「〇〇の実」を生産できる「〇〇の種」が手に入るのだ。

 キャラクターごとに成長限界が設定されており、一定以上は上げられないようになっていたものの、それでもゲームバランスを著しく破壊してしまう代物ではあった。
 まあ裏ダンジョンの最下層にいた裏ボスよりも強い敵はいないので、「〇〇の種」を手に入れた時点で、もう他には苦戦するような敵が存在しておらず、特に問題はなかったのだが。

【エレメンタル・スフィア】のアイテムは全てコンプリートしているので、俺はもちろんこの「〇〇の種」も持っている。
 そこで俺は、この「〇〇の種」を使って「〇〇の実」を量産し、メニュー画面にあった料理スキルを使ってカリーナに食べさせることを思いついたのである。

 「〇〇の実」のストックもあったので、今朝に食べさせたリゾットの中にも、魔力の実をこっそりと入れておいた。
 ゲームのステータスが、この世界だと何のステータスに反映されるのか分からないが、とりあえず万遍なく食べさせていこうと思う。

 ゲームではアイテムさえあれば無限に食べさせられたのだが、この世界ではそうもいかないだろう。
 一度に食べられる食事量には限界があるだろうし、「〇〇の実」の生産もプレイ時間では一時間に満たなくても、作中の描写では数日ぐらいかかっていたはずだ。
 まあ一気にステータスが上昇しすぎても困るだろうし、ゆっくりと上げていけばいい。

 カリーナに足りないのは、基礎的な能力だ。
 彼女はとても勤勉だが、根本的な才能の部分が致命的になかった。
 これをどうにかしない限り、彼女は弱いままだろう。

 つまり彼女が強くなれるかどうかは、この「〇〇の実」にかかっているのだ。
 俺には魔法を教えることはできないが、それよりも大事な部分を補うことができるのだ。
 だから、ウリエルの方が師匠みたいだとか、俺いなくてもいいんじゃね? とか、そういうことはないはずだ。

 俺は自分にそう言い聞かせて、張り切って「〇〇の実」の生産に着手した。
 下地になる畑は、昨晩のうちにゴーレムを使って用意させてある。
 俺はその畑の上に立って、アイテムボックスから取り出した種を地面に植えた。
 水をやった。
 ……やることが終わってしまった。

 後のことは、ゴーレムが勝手にやってくれる。
 夕飯までまだ時間があるし、とても暇だ。
 どこかに行こうにも、ウリエルにカリーナの勉強を教えてもらっておいて、自分だけ遊びに行くのは気が引ける。
 でも、何もしないでいるのはつらい。

 何か暇潰しに使えるものはなかったかと、アイテムボックスの中を探ってみた。
 するとキーアイテムの一覧で、初心者用のチュートリアルに用意された、パズルを練習するアイテムを見つける。
 選択してみると、日本で販売されていた携帯ゲーム機のようなものが出てきた。
 ボタンはなく、ゲーム機を手に持って念じることで動かし、ひたすらパズルだけをやっていくものだ。

 他にすることもないので、ファンタジーにはあまり似つかわしくないそれを、しばらくプレイする。
 ポツポツと作業のようにパズルを進めながら……ふと俺は、「どうして自分はこの世界にいるのか?」なんてことを考えた。
 どういう原理でゲームのキャラになってしまったのかは分からないし、今は考えても仕方ない。
 だがそれとは別に、何か課せられた使命のようなものがあるような気がしたのだ。

 明確な根拠はない。
 ただ、なんとなくそんな予感がしただけだ。
 カリーナと出会ったことも、本当にただの偶然だったのかと疑っている自分がいる。
 俺が、アデルとしてこの世界に来た意味。
 誰かから、何かを求められているような……そんな気がするのだ。
 俺が、もっと師匠らしくなったら分かるのだろうか?

 ならば魔法も、いずれは教えられるようにならないとな。

 つらつらとそんなことを考えていると、やがて腹を空かせたウリエルが夕飯の催促に来たのだった。


────────────────────


 夕飯は様々な具を贅沢に盛り合わせた海鮮炒飯と、スープの組み合わせにしてみた。
 三人で小さな食卓を囲み、冷めないうちに頂くことにする。

 この近辺では珍しい米料理をスプーンで頬張り、ウリエルが頬に手を当てて感嘆の声を上げた。

「ん~、相変わらず美味しいわ~」
「それはどうも」

 ランドリア王国ではパンが主食らしいので口に合うか不安だったが、彼女の反応を見る限り大丈夫のようだった。
 カリーナなどは、食べるのに夢中になって無言になっている。
 ちなみに、ステータスが上昇する実はカリーナの炒飯にしか入れていない。

 しばらく食事を楽しんでいると、ふとウリエルが何かを思い出したように手を打った。

「ああ、そうそう。ちょっと言い忘れてたんだけど──」
「なんだ?」
「ちょっと困ったことになってて~」
「ふむ?」

 言葉とは裏腹に、あまり困ってなさそうな様子のウリエルに、本当は大した話ではないのだろうと適当に聞き流しかけて──

「王都に【魔化の宝珠】が入り込んだかもしれないのよ」
「ブッ」

 危うく、口の中の炒飯を吹き出しかけた。
 俺の反応を見て不安になったのか、カリーナが食事の手を止めてウリエルに目を向ける。

「それは、どういうアイテムなんですの?」
「人の体を、魔界にいる魔族が乗っ取ってしまうアイテムよ~。人間界への侵入を目論む魔族が、時々地上に送ってくるの」

 魔族という単語が飛び出して、カリーナが頬を引き攣らせた。

「そ、それは大丈夫なんですの?」
「あまり大丈夫じゃないわね~」

 ウリエルの言う通り、【魔化の宝珠】はかなりやばいアイテムだった。
 ゲームでも度々登場した重要アイテムで、この【魔化の宝珠】によって魔王の手先が人間界に入り込み、何度も災害を引き起こしている。

 ゲームでは街が崩壊しようが、国の軍隊が壊滅しようが、「ああ、そうか」ぐらいの感想で済ませられた。
 悲劇的なイベントとしての感傷はあっても、あくまでフィクションの話だったからだ。
 でも、ここで同じことが起きてしまえば、そうもいかない。

「だから、一応気を付けておいてもらおうと思って。王都で魔族に対抗できるのは、私か貴女の師匠ぐらいだもの」
「師匠が……」

 またカリーナが、キラキラした視線を俺に向けてくる。
 ゲームでも、普通の人間では力の差がありすぎて魔族に勝てないという設定だったし、気持ちは分かる。
 でもそれは「アデル」の力が凄いだけだ。
 俺自身は単なる小市民なので、なんだか彼女を騙しているような気がしてしまい、尊敬の眼差しが心に痛かった。

 俺がひたすらカリーナの視線に耐えていると、ウリエルが話を続けた。

「大会も近いし、それまでには何とかしたいわね~」
「大会?」
「トウェーデ魔法学院の大会よ」

 ウリエルの説明によれば、トウェーデ魔法学院は夏になると、魔法使いの強さを競い合う大会を開くのだそうだ。
 学年別のトーナメント戦で、主に戦闘系の流派に入門している生徒が参加するらしい。
 同時に生産系の生徒による、自作魔道具の品評会なるものもあるらしいが、どうしても注目度ではトーナメント戦に負けてしまうとのことだった。

 その魔法大会には大陸にある様々な国が注目しており、良い成績を残せばかなりの名誉になる。
 さらには、上位に入賞した三名は学院の代表に選出され、冬に他の三つの大陸にある魔法学院の代表と戦うことになるのだ。
 ただ、他の大陸からは人間以外のエルフや獣人などの生徒が出張ってくるせいで、人間しかいない大陸のトウェーデ魔法学院出身の生徒の成績は毎回のように芳しくないらしい。

 話を聞いている限り、想像していたものよりもずっとスケールが大きくて面白そうな大会だった。

「ふむ。なら夏の大会で良い成績を残せば、カリーナは実家に帰れるようになるかもしれないな」
「……そう、ですわね」

 俺の発言に、カリーナは暗い表情で顔を俯かせる。

「でもわたくしの力では──」
「よし、優勝しよう」
「え?」

 優勝という言葉に、カリーナが衝撃から目を丸くして固まった。
 そんな彼女とは裏腹に、ウリエルは当然とばかりに頷く。

「そうね~。だってラングフォード流の弟子だもの。優勝ぐらいはしないとね~」
「えっ……ええ!?」

 ウリエルから飛び出したラングフォードという名称に、カリーナは限界まで目を見開いて立ち上がった。
 勢いよく立ったせいで、座っていた椅子が反動で後ろに倒れる。
 けっこう大きな音が鳴ったが、それどころではないカリーナは、俺に震えた声で確認してきた。

「ラ、ラングフォード流って……」
「あら、知らなかったの?」
「あ~……すまん、アキラは偽名だ。本名はアデルだ」

 気恥ずかしさで頭の後ろを掻きながらそう言うと、カリーナは皿のようになった目で俺を凝視し……気を失って、後ろに倒れ込んだのだった。


<<つづく>>


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最強勇者の弟子育成計画
栖原 依夢
宝島社
2014-11-22

 

『最強勇者の弟子育成計画』第九話 入浴

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 第九話 入浴

 魔力が極端に低いカリーナは、他の一般的な魔法使いよりも、魔法の練習に当てられる時間が少ない。
 魔法を使用するには、魔力が必要だからだ。
 カリーナの魔力では、初歩的な魔法でも少し練習しただけで尽きてしまう。
 一度魔力が空になってしまうと、後は自然と回復するまで、実践的な練習はおあずけになるのだ。

 だからカリーナは、その空いた時間を他の訓練や勉学に費やした。
 特に魔法に関する知識なら、学院の同級生どころか上級生にだって負けない自信がある。
 各流派が独自に開発している魔法の詳細までは知る術がないものの、広く開示されている魔法はだいたい覚えていたし、大会などでトップクラスの魔法使い達の戦いを観察して、誰がどのような魔法を使用していたかを、カリーナは全て覚えていた。

 だがそんな彼女でも、自分の師匠が使ってみせた魔法は見たこともなかった。
 一級魔法使いの奥義に匹敵する……いや、それ以上の強力な魔法を放って涼しい顔をしているアキラの魔力にも驚いたが、それ以上に興奮した。
 自分も同じ魔法を教えてもらえるかもしれないと思うと、気が昂ぶった。

 そしてアキラは、彼女のそんな期待を遥かに上回る場所に連れて行ってくれた。

 一冊一冊が国宝級の……どれか一冊でも外に流出したら、魔法学界に革命が起こりそうなクラスの魔法書が、大きな本棚にぎっしりと詰まっている書斎。
 そこに案内され、アキラはどれでも自由に読んでいいと言い出したのだ。

 これには流石に、目眩がした。
 自分如きに、これほどのものを与えて本当にいいのだろうか?
 自分は、これほどの厚遇に報いることはできるのだろうか?
 そんな不安を覚えるのと同時に、アキラの流派名を知らないことに罪悪感が湧いた。

 これほどの人が師範を務める流派を、どうして自分は知らなかったのだろうか?
 弟子を取るのは初めてだと言っていたが、彼ほどの人物が無名なわけがない。
 きっと自分が、どこかで見落としていたのだ。
 カリーナはそう考えた。

 だから今さら流派の名を聞くのは、「あなたの流派が何か? 聞いたこともないけれど、他になかったので弟子入りを希望しました」と白状しているようなもので、気が引けた。
 実際にその通りなのだし、自分が悪いのだが、初めて自分を評価してくれた人から熱意を疑われるかもしれないと思うと、どうしようもなく怖かった。

 だが、いつまでもこのままにしておくわけにはいかない。
 そう思うカリーナは、どうにかして話を切り出そうと苦悩していたのだが……アキラの屋敷に、とある天使が訪問してきた衝撃のせいで、頭の中から吹き飛んでしまった。
 なにせやってきた天使は、魔法使いならば誰でも知っているような有名人だったのだ。

 王都の魔法使いギルドのトップにして、トウェーデ魔法学院の学院長。
 天界でも六名しか存在しない最上位階級の熾天使。
 かつて勇者アデルと共に魔王の軍勢と戦った、生ける伝説。
 神焔のウリエル、その人だった。

「あら、誰かしら?」
「俺の弟子だ」
「カ、カリーナと申します」

 アキラから紹介され、カリーナは緊張した面持ちで頭を下げる。

 彼女がウリエルの姿を見たのは、これが初めてではない。
 だがそれは、トウェーデ魔法学院で新入生の入学を祝う催し事があった際に、挨拶に来た彼女を遠目から見たのみであった。
 当時は、絵本の中で憧れるしかなかった存在の登場に、誇張抜きで感涙しそうになったのをカリーナは覚えている。

 そんな天上人であるウリエルは、カリーナの名前を聞くと、こめかみに指を当てて考え込んだ。

「ん~、どこかでその名前を聞いたような……? ああ、思い出した!」

 ウリエルは手をポンと打つと、どこか悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「七級で、四級の依頼を受けようとしていた問題児ちゃんね~」

 そう言って上品に笑うウリエルに、顔色を青くしたカリーナは慌てて頭を下げた。

「あ、あの時は、ご迷惑をお掛けしましたわ!」
「ああ、別に責めているわけじゃないのよ~」

 宥めるようなウリエルの声に、しかしカリーナは内心で戦々恐々とする。

 もしかしたら、自分を戦闘系に入門させないよう各流派に通達したのは、彼女なのかもしれないとカリーナは思っていた。
 正直なところ、それを知った時は危うく逆恨みしそうになった。
 でも今なら、悪いのは圧倒的に自分だったと冷静に考えられる。

 天使は、地上に生きる人間や亜人の守護者だ。
 五級以下が戦闘系に入門できなかったり、ギルドが受けられる依頼を厳しく管理しているのも、ひとえに魔法使いの命を守るためである。
 自分の行いは、その気遣いを踏みにじるようなものだったと思う。

 悪いのは自分。
 それが分かっているからこそ、
咎められるのが怖かった。 今にも、「七級の生徒がどうして戦闘系の流派に入門しているのか」と言われそうで、気が気でなかった。
 そう言われてしまえば、自分はここを出て行くしかないのだから。

 だがカリーナのそんな心配は杞憂だったようで、ウリエルは特に何かを咎めることはなかった。

「ふふふ、でもちょっと意外だったわ」
「そうか?」
「そうよ~。あなたの性格なら、弟子を取るのにもっと時間がかかると思ってたもの」

 アキラとウリエルは、知り合いなのだろうか?
 どこか親しそうな二人の雰囲気に、カリーナはほんの少しだけ、胸の奥がチリッとしたような気がした。
 それが何なのか分からず、カリーナは不思議そうに首を傾げる。
 すると、いつのまにかウリエルが彼女の顔を見つめていた。

「ふ~ん?」
「あの、何か?」

 じっとりと観察するような視線に、何かを見透かされたような気がして、カリーナは落ち着かない気分になる。
 どうしていいか分からず戸惑っていると、ウリエルが名案を思いついたとばかりに、手を叩いた。

「そうだ! ねえ、カリーナさん。今ちょっと時間はあるかしら?」
「それは……」

 言い淀みながらアキラに目を向けると、彼はカリーナの言わんとしていることを察して頷く。

「ああ、今日はもう構わないぞ」

 カリーナがアキラの許可を得ると、改めてウリエルは弾んだ声を上げた。

「なら一緒に、お風呂に入りましょう」
「……………………え?」

 あまりにも唐突に思えるウリエルの提案に、カリーナは目を点にしたのだった。


────────────────────


 屋敷から少し離れた場所にある建物に、それはあった。

 王侯貴族でも見たことがないであろう、絢爛豪華な浴室。
 床から浴槽に至るまで、磨き上げられた白い大理石が敷き詰められ、天井は石造りでありながら、付与された魔法によって空を一望できるようになっている。
 広大な浴槽の傍には獅子の彫刻があり、その口からは絶えずお湯が吐き出されていた。

 どこか神殿を連想させる造りの浴場に、カリーナとウリエルは感嘆の声を上げる。

「やっぱり、あったわね~」
「やっぱり?」

 彼女の発言に首を傾げると、ウリエルは苦笑しながらも、懐かしそうに目を細めた。

「彼って、昔からお風呂が大好きだったのよ。一日に、何回も入っていたぐらいに」
「……よく知っておられるのですね」
「ん~? そりゃね~」

 またチリチリとしてきた胸の内を誤魔化すように、カリーナは浴槽に入ろうとして──

「あら、駄目よ」

 ウリエルに腕を捕まれて引き留められた。

「湯につかる前に、ちゃんと体を洗うか、かけ湯をしてから入らなきゃ。あなたのお師匠さんに見られたら、口うるさく怒られるわよ~」
「そ、そうなんですの?」

 アキラに見られるというのは別の意味で大問題になると思うが……それとは別に、聞いたことのないマナーに、カリーナは首を傾げる。

 そもそも彼女は、実家では一人で浴室に入ったことはなく、いつも侍女にされるがままだった。
 爪の先まで磨き込むのは侍女の仕事で、自分ではまともに体を洗ったことがない。

 そのことに思い至ってカリーナが戸惑っていると、彼女が元貴族の子女だと知っているウリエルは、面白い悪戯を思いついた時の子供のような笑みを浮かべた。

「もしかして、お風呂の入り方が分からないのかしら?」
「え、ええ。お恥ずかしながら……」
「ふふふ、なら私が教えてあげるわね~」

 嫌な予感を覚えるも、どうしていいか分からず、カリーナは浴場の端に備え付けられていた椅子に座らされた。
 そして手近にあった入れ物から見たこともない液状の何かを手に取ると、ウリエルはザラザラとした奇妙な布を使ってカリーナの体を洗い始める。

 珍しい布や洗剤を使っていること以外は、侍女達がやっていたことと別段変わったところはない。
 だというのに、どうしてか背筋にぞわぞわと悪寒が走った。
 体を探られるような手付きに、思わず眉を顰めてしまう。

「ん~」
「どうかしましたの?」
「子作りをするには、まだちょっとだけ成長が足りないかしら?」
「こ、こづくっ──」

 ウリエルの発言に、カリーナは思わず彼女の手から逃れるようにして、立ち上がってしまった。

「あら、どうしたの?」

 ニコニコと悪びれない笑顔に、カリーナは堪えきれずに嘆息する。
 そして、恨めしそうにウリエルの大きく実ったそれに目をやった。
 たしかに彼女のそれに比べれば、自分のものは貧相な育ち方しかしていない。

「わたくしには、まだ早いです」
「そうかしら? あと二年ぐらいで、早い人は結婚している年齢よ?」
「あと二年もありますわ」
「たった二年しかないわよ~」

 悠久の時を生きるウリエルと、まだ十三年ほどしか生きてないカリーナとでは、時間への捉え方が違っているのはしょうがない。
 カリーナはまた小さく溜息をついて、話を変えることにした。

「どうして、そんな話を?」
「ん~、優秀な子孫は沢山いた方がいいからかしら? 私じゃ、人間の子供は産めないもの」
「はあ……」

 言っていることがよく分からず、カリーナは困惑する。
 だがウリエルはそれに構わず、自分のペースで話を続けた。

「ねえ、彼のことはどう思ってるのかしら?」
「彼?」
「貴女のお師匠様のことよ~」
「素晴らしい方だと思いますわ」

 素直に思ったことを伝えると、なぜかウリエルに顔を凝視された。

「ふむ、まだ自覚はないのかしら? それとも私の勘違い?」
「……え?」
「さあ、体を洗ったら浴槽に入りましょう~」

 ウリエルはそう言うと、カリーナにはわざわざ引き留めてまで体を洗ったというのに、自分は軽くお湯をかぶっただけで浴槽に入っていった。
 なんとなく彼女の性格が掴めてきたカリーナは、釈然としないものを感じつつも、何も言わずに後に続く。

 二人が浴槽に入り、湯に肩までつかった瞬間、カリーナの体が唐突に淡い光に包まれた。
 体の奥底に眠っていた力が目覚めて滾ってくるような心地に、目を丸くする。

「あ~、この感覚、懐かしいわね~」
「何ですの? これ……」
「ふふふ、驚いた?」

 自分にまとわりつく青白い光を見て不思議そうにしているカリーナに、ウリエルが説明する。

「魔力の回復、肉体強度や感応値の一時的な上昇などなど……彼の造るお風呂は、昔から特別製だったの。便利でしょ?」
「便利って……」

 そういう次元の話じゃなかった。
 魔力が回復するお風呂があるなど、物語にあるような絵空事の中ですら聞いたことがない。
 このようなものが表に出たら、世界中の国や魔法使いが大騒ぎするのではないだろうか。

「魔力が尽きたら、何度でも入るといいわ。それなら、一日に好きなだけ魔法の練習ができるでしょう?」
「え、ええ……」

 カリーナは、わりと風呂に入ることは好きだ。
 それが、このような煌びやかで豪華な浴場となれば、尚更である。
 今日のようにウリエルに遊ばれなければ、それこそ一日何度入っても飽きないだろう。

 だからカリーナとしては、訓練でそんなに楽しい思いをしていいのかと、ちょっと不安になったのだった。


<<つづく>>


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最強勇者の弟子育成計画
栖原 依夢
宝島社
2014-11-22

 

『最強勇者の弟子育成計画』第八話 偵察

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 第八話 偵察

 俺は王都でカリーナと別れると、すぐに物陰に隠れた。
 魔法を発動した時の光が見えないように、こっそりと陰から、通行人に向けて手当たり次第に【アナライズ】をかけていく。

 途中でちょっと眩しくなってきたので、サングラス代わりに濃い色の付いた眼鏡……ゲームのおまけアイテムだ……を取り出して、顔に掛けた。

 なぜ俺がこんな不審者のような真似をしているかというと、この世界の人間が、どのくらいのステータスをしているのか調査するためだ。
 弟子の育成にも目安として使えるし、俺のステータスがどの程度なのかも分かる。

 でも白昼堂々と、他人に向けてカメラのフラッシュの如く魔法の光を放っていれば、王都の住人から白い目で見られること請け合いだ。
 だから、目立たないよう隠れた。

 でも、物陰でピカピカ光ってるのは丸分かりだったようで──

「おい貴様、そこで何をしている!」
「!」
 途中で金髪の厳つい衛兵らしき人に見つかって、追い掛けられてしまった。
 俺はただ、通りすがりの人を【アナライズ】していただけだというのに……

 幸い、眼鏡のおかげで顔は見られていなかったようだし、身体能力は俺の方が高かったので、しっかり衛兵も【アナライズ】してから撒いた。
 なぜか衛兵の人が凄く怒っていたが、俺は無罪なので気にしないでおこう。

 危ない思いをした甲斐があって、沢山の人のステータスを見ることができた。

 まず魔法使いでない者は、ほとんどの人が魔力値0だった。
 これは魔法の才能がないということなのだろう。
 たまに一桁分だけ魔力を持っている者もいたが、この数値ではまともに魔法が使えないはずだ。

 そして次に魔法使いのステータスなのだが、こちらはけっこうバラつきがあった。
 だが、カリーナほどステータスが低い魔法使いは滅多に見つからなかった。
 彼女は自分のことを劣等生だと言っていたが、やっぱりそれは謙遜でも何でもなかったようだ。
 少なくとも王都にいた魔法使いの中では、紛う方なき底辺である。

 倒れるほど努力してそれは、切なすぎるだろう……。
 あまりに不憫なので、俺がやれることは全てやって育てようと思う。

 逆に、ステータスが特に高かった魔法使いは、魔力値が二百前後ぐらいあった。
 感応値や肉体強度も似たような感じで、どれか一つでも三百にまで達している者は皆無である。
 まあ天使や魔族は別格だろうし、他の種族はまた違っているかもしれないが、少なくとも人間種の強さはこんなものなのだろう。

 次に俺は、魔法使いの装備品を売っている店を回っていった。
 どのくらいの性能を持った装備品が普通なのか、調べるためだ。
 カリーナには、一般的に出回っているものよりも、少し上ぐらいの性能の装備品を渡すつもりである。

 別にアイテムボックスの中にある最強装備を渡してもいいのだが、それを着たカリーナが表に出ると、なんとなく面倒なことになりそうな気がするからだ。
 だって、ゲームで見た装備品の説明欄には、「伝説の~」とか「神が創造した~」とか大仰な設定が付いているものばかりだったし。

 幾つか店を見て回って思ったのだが、やけに派手な装備品が多かった。
 やはり魔法使いの装備品は、派手なのが普通なのだろうか?
 もしそうなら、今の自分の装備も考え直さないといけない。

 とりあえず王都で一番広い店で目立つところに展示してあった装備品を基準にすることにした。
 これよりちょっとだけ良い装備品を渡しておけば間違いないだろう。
 俺はそこで調査を打ち切り、後は適当に王都を散策して時間を潰してから、カリーナと合流したのだった。

 俺はこの時、ステータスと装備品を調べただけで、人間の魔法使いの強さがどれくらいなのかを把握したつもりでいた。
 この世界はゲームとは違うと分かっていたつもりで、どこかゲームと同じように考えていたのだ。
 自分の認識が甘すぎたと気が付いたのは、カリーナを連れて王都を離れた後だった。

 帰り道で、ずっと何かを聞きたそうな顔をしていた彼女は、屋敷の庭先で俺の腕から降りると、すぐにこう質問してきたのである。

「あの、師匠の流──っ、……属性適性は何ですの?」
「え、何それ?」

 思わず素で答えてしまった瞬間、やってしまったと思った。
 彼女の口ぶりからして、その属性適性とやらは魔法使いの常識にある何かなのだろう。
 それを知らないとなると、変に思われてしまう。

 一瞬ヒヤリとしたが、どうやらカリーナは俺の反応に勘違いしてくれたらしい。
 彼女は深刻そうに俯いた後、小さな声で「今さら師匠の──を知らないなんて、言えないですわ……」と呟いたのが聞こえてきた。

 就職の面接に行って採用を受けたのはいいけど、実はその会社の仕事内容を知らなかったような気持ちだろうか?

 昨日できたばかりの流派の師匠だし、偽名を言っちゃったし、その属性適性とやらを知らないのが普通なんだけどね。
 都合がいいので、そのことは黙っておくことにする。
 俺はこっそりと安堵の息を吐いてから、逆に聞いてみることにした。

「カリーナの属性適性は、何なんだ?」
「わたくしは、火と風ですわ」
「他の属性は使えないのか?」
「ええ、魔法学院に入学した時にあった検査で、適性はその二つだと診断されましたわ」
「そうか……」

 どうやら、この世界の普通の魔法使いは、扱える属性が限られているらしい。
 二つの属性が使えるのは、普通と比べて多いのか少ないのか分からない。
 カリーナは成績が低いようだし、少ない方なのか?
 ……いや、属性適性だけは並以上の才能がある可能性もある。

 悩んだ末、俺は正直に答えることにした。

「俺は使えない属性がない」
「全属性を……」

 やめて、そんなキラキラした目で見ないで。
 中身はそんな大した人間じゃないんです。ただのオタクな大学生です。

「師匠の魔法を、見てみたいですわ」
「ん~、リクエストはあるか?」
「それでは、火属性か風属性の魔法を」

 カリーナは、考える素振りを見せずにその二つの属性を選んだ。
 まあ、自分の使える属性に興味を抱くのは当然か。

 危ないので、カリーナに俺の後ろにいるよう伝えてから、どんな魔法を使おうか思案する。
 最初は、何も考えずに一番強い魔法を使おうと思った。
 だがここで派手な魔法を披露してドヤ顔はちょっと恥ずかしいし、下手をすると威力が大きすぎて引かれるかもしれないので、やめておくことにする。
 かといって、弱すぎる魔法を見せても、今度はがっかりさせてしまうだろう。
 自分の師匠が弱い魔法しか使えないとなると、かなり不安になってしまうはずだ。

 ならばここは一段だけ下げて、火属性の上級魔法である【インフェルノ】や、風属性の上級魔法である【ヘルブラスト】あたりが妥当だろうか?

 ……いや、これも駄目な気がする。
 よく考えると、どちらもゲーム終盤の強敵と戦えるぐらいの威力があるのだ。
 王都にいる魔法使いぐらいの強さでは、束になっても勝負にならないであろうモンスターを、単独で撃破可能な魔法なのである。
 王城を一撃で破壊できそうな威力だと言った方が分かりやすいだろうか?
 もちろん空に向かって撃つが、余波でも土埃が酷いことになるし……

 なので結局、さらに一段下げた魔法でいくことにした。
 意識を集中し、集まってきた精霊から赤い玉を選んで五つ揃える。
 赤い光が融合して弾けると、火属性の中級魔法である【フレア】が発動した。
 地面に着弾してしまわないよう、やや斜め上に向けて、それを放つ。

 魔法を発動させた時の白い光が出た次の瞬間、鼓膜を破りそうな勢いで爆発音が連鎖し、赤い炎の花が幾つも咲き乱れた。
 辺りに衝撃波が吹き荒れ、地面の震動がその上に立つ足に伝わってくる。

 やがて放った魔法が収まると、直接火が触れたわけでもないのに、爆発が起こった空間の真下にあった雑草がぽっかりと消し飛んでしまっていた。
 想定通りの威力で発動したことに満足感を得ると、俺は自分の背後で魔法を見ていたであろうカリーナを振り返る。
 見ると彼女は、尻餅をついた姿勢で口を半開きにしていた。

「どうした?」
「……い、今の魔法は?」
「【フレア】だ」

 魔法名を教えると、カリーナは急にガバッと立ち上がって、俺に詰め寄ってきた。
 勢いに圧されて一歩下がると、彼女はさらに一歩進んで迫ってくる。

「そ、その魔法は教えて頂けるんですの!?」
「ああ……いや、ちょっと待て」

 思わず頷きかけてから、すぐに自分には魔法を教えられそうにないことを思い出した。
 ゲームにもあった、精霊の?げ方のコツや相性のいい魔法の組み合わせなどなら、教えられることもあるかもしれない。
 だが、使用する魔法自体はどう教えていいのかまるで分からないのだ。

 だから慌てて待ったをかけると、カリーナが暗い顔で肩を落としてしまった。

「そ、そうですわよね。流派の奥義かもしれない魔法を、入門したばかりの弟子が教えてもらえるわけが──」
「いや、そうじゃないから」

 カリーナの誤解を、首を横に振って否定する。
 ……否定してから、ちょっと後悔した。

「弟子になったからといって、簡単には魔法は教えない」という、教育方針っぽい理由を付けておけば、時間稼ぎになっただろうに……。
 笑顔になったカリーナから期待の眼差しを向けられると、今さら「やっぱり駄目」とは言えなかった。

 俺は短い時間、逡巡した後、ふと妙案を思いついて彼女を手招きする。

「ついてこい」
「はい」

 俺はカリーナを連れて屋敷の中へ入り、二階にある書斎へと案内した。
 中身を詳しく確認してないが……というか文字が読めないので確認しようがないが、何かそれっぽい本が沢山ある部屋だ。
 表紙に魔法陣っぽいのが描かれてあるので、きっと何らかの魔法書なのだろうと思う。
 違ってたら、謝ろう。

「この部屋にある本は、自由に読んでいい」

 俺がそう言うと、どうしてか呆けた表情をしていたカリーナは、ふらふらとした足取りで本棚へと歩み寄った。
 その中の一冊を取り出すと、目を皿のようにして一心不乱に読み始める。
 ……なんか、目が血走ってて怖い。

「できるだけ、自力で勉強すること。どうしても分からないことがあった時だけ、質問に来い」

 実際に来られたら化けの皮が剥がれそうなので、心より健闘をお祈りしております。

「ほ、本当に、ここにある全ての本を、自由に読んでいいんですの?」

 俺の声で我に返ったカリーナが、恐る恐るといった様子で確認してきた。
 本を持つ手が、ちょっと震えている気がする。

「ああ、そうだ」
「──っ、ありがとうございます!」

 頷くと、カリーナに深々と頭を下げられた。

 ……それって、そんなに凄い本なのだろうか?
 軽々しく人に読ませてしまってよかったのだろうかと、ちょっと不安になる。
 どんなことが書いてあるのか興味も湧いてきたし、これからコツコツとこの世界の文字を覚えていこうかな……と考えていたところで、部屋の外から窓を小突く者がいた。

 俺が窓を開けてやると、背中の翼を動かして宙に浮いている女性が、弾んだ声を上げて中に入ってくる。

「あ~、いたいた。本当にこんな所に住んでたのね~」

 そう言って二階の窓から直接入ってきた女性を見て、カリーナが瞠目した。
 何やら死にかけの魚のように、口をぱくぱくさせている。

「ウリエルか。何しに来た?」
「何って、遊びに来たのよ~。昨日、そう言ったじゃない」
「……そうだったな」

 昨日の別れ際、寂しそうな顔をされたのに負けて、つい住んでいる場所を教えてしまったのだ。
 たしかに「暇があったらいつでも遊びに来ていい」とは言ったが、その次の日に来るとは思わなかった。

「ウ、ウ、ウ、ウリエル様!?」
「あら、誰かしら?」

 ようやく声を絞り出したカリーナに、小首を傾げて彼女を見るウリエル。
 二人の反応を見て、俺はなんとなく面倒くさいことになりそうな予感がした。


<<つづく>>


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最強勇者の弟子育成計画
栖原 依夢
宝島社
2014-11-22

 

『最強勇者の弟子育成計画』第七話 謎の師匠


 第七話 謎の師匠



 ゆっくり寝すぎたせいか、学院に登校しなければならない時間が差し迫っていたので、これからの詳しい話は帰ってからということになった。

 てっきり、アキラの屋敷は王都の中にあると思っていたカリーナは、外に出た瞬間、目を丸くして驚いてしまう。
 王都の街並みはどこにも見当たらず、代わりに屋敷の周囲には平原が広がっていたのだ。

 遠目には、鬱蒼とした森も見える。
 あの森は、おそらく【幻幽の森】だ。
 王都の近場にある森で、どうしてか奥に入ろうとしても、いつの間にか入り口に戻されてしまう不思議な場所として有名だった。
 とある一級魔法使いが、この森から強力な結界を感知したという話もある。

 アキラの住む屋敷は、どうやらその【幻幽の森】の奥にあるようだった。

 さらに近くにある平地では、幾体ものゴーレムが忙しなく行き交い、畑を耕したり何かの建物を組み立てたりしている。
 そのゴーレムの一体一体が、土で出来ているとは思えないほど洗練された姿をしており、キビキビとした動きをしていた。

 普通の魔法使いが扱うゴーレムは、歩くたびに体から土が落ち、のっそりとした動きをしているものだ。
 たとえ腕の良い魔法使いでも、あのようなゴーレムは一体作るだけで精一杯だろう。
 アキラが魔法で召喚したのだとしたら、驚嘆すべき技量である。

 俄には信じられないいくつもの光景を目の当たりにして、カリーナは呆然と立ち尽くした。
 驚くべきことが多すぎて麻痺したのか、彼女は自分が理解できる範囲の事実を、まず最初に認識する。

「これでは、学院の授業に間に合いませんわ……」

 いくら近いといっても、【幻幽の森】と王都では徒歩で数時間以上の距離はある。
 カリーナの足ではどう頑張っても、間に合いそうになかった。

 こうなったのは、のんきに遅くまで寝込んでいた自分のせいだ。
 そう思い、仕方なく大幅な遅刻を覚悟していると、屋敷からアキラが出てきた。

「走っても駄目か?」
「……少なくとも、私には無理ですわね」

 今からだと、王都内にある実家から学院に向かって丁度いいぐらいだろう。
 王都の外にある森の奥地からだと、下手をすれば学院の授業が終わっているかもしれない。

「師匠も、王都へ行かれるんですの?」
「……そう呼ばれると、背中がむず痒いんだけど」

 どこか気恥ずかしそうに頬を掻いて、アキラは頷いた。

「追い追い、自力で通えるようになってもらうけど、しばらくは俺が王都まで送っていくな」
「え?」

 送っていくという発言に、カリーナが頭に疑問符を浮かべていると、アキラは彼女の前に立ってしゃがみ込んだ。

「乗って」
「あの、それは流石に……」

 短い間にアキラの人となりは把握していたし、別に嫌なわけではないのだが、なんとなく恥ずかしい。
 彼の背中を前にカリーナがもじもじしていると、アキラが不思議そうに首を傾げた。

「おんぶは恥ずかしいか?」
「え、ええ」
「う~ん、それもそうか」

 アキラがそう言って立ち上がったことに、
安堵の息を吐いたのも束の間。 何を思ったのか、彼はカリーナに歩み寄ると、彼女を横抱きに抱え上げた。
 軽々と自分を持ち上げたアキラに、あわあわと取り乱しながら抗議しようとして──

「舌を噛むかもしれないから、喋らないで」

 グンッと体を上に押し上げられるような感覚がして、カリーナは慌てて彼の体に捕まった。
 凄まじい速度で、視界に映っていた景色が斜め下に流れていく。

 アキラが跳躍したのだとカリーナが気づいたのは、上昇が止まって浮遊感を覚えたところだった。
 どうなったのか辺りを見回すと、目に飛び込んできた風景に息を呑む。

 二人は今、空を飛ぶ鳥と同じ高さを漂っていた。

 遠くには王都の街並みが広がっており、城壁の門から続く街道にはポツポツと商人の馬車らしきものが見える。
 人が豆粒のようであり、広いと思っていた王都が手狭な箱庭のように映った。
 あんなに小さな場所の中で、うじうじと苦悩していた自分が、ちょっと馬鹿らしく思えてしまう……とまでは言わない。
 世界にとってはどれだけ小さなことでも、眼下に見える豆粒の一つでしかない自分の心では、昨日までの重圧に今にも押し潰されそうだったのだ。
 だがそれでも、気が大きくなって少し余裕を持つことができた。

 ふとカリーナは、この位置まで跳んでみせた師の顔を見上げる。
 本当に、彼は一体何者だろうか?

 今は魔法を使って足場を作り、それを蹴って空を駆けている。
 だが最初の跳躍の時には、魔法を発動した光が見えなかったので、おそらくは魔力で強化した身体能力のみで跳んだのだろう。
 なんとも凄まじい肉体強度である。
 人間の魔法使いでこんな動きをする存在なぞ、聞いたこともない。

 魔法使いで言う肉体強度とは、体内にある魔力でどこまで体を強化できるかのことだ。
 外に放出する魔法と違って、いくら体を強化し続けても魔力を消費することはない。
 だが体内にある魔力が肉体強度の限界値を下回れば、残っている魔力分の強化しかできなくなる。

 つまりアキラは、あれだけのゴーレムを動かしておいて、まだまだ魔力に余裕があるのだ。
 彼の実力の底が、見える気がしない。

 こんなにも凄い人が自分の師匠なのだと思うと、カリーナはなんとも言えない胸の高鳴りを感じるのだった。

────────────────────

 学院には、余裕を持って到着することができた。 
 何か用事があるらしく、アキラとは王都に入ってすぐに別れている。
 二人は今日の授業が終わってから、城壁前で落ち合うことになっていた。

 いつになく上機嫌な様子でカリーナが魔法学院の校門をくぐると、昨日と同じように生徒の視線が集中する。
 胸の上にある記章の色に、誰もが信じられないといった顔をしていた。

 各々の流派から配布される記章は、上級にあたる戦闘系の流派は金色、下級にあたる生産系の流派は銀色で装飾されている。
 カリーナの胸にある記章は金色をしており、それは彼女が四級以上の魔法使いしか入れないはずの、戦闘系の流派に弟子入りしたことを示していた。

 自分とすれ違う生徒から視線を浴びるたびに、カリーナの上機嫌だった気分はどんどん萎んでいってしまう。

 昨日まで自分に向けていたものとは、違う感情の込められた生徒達の目。
 もちろん、良い意味での視線はない。
 カリーナが七級である事実は変わっていないのだから、当然だった。
 生徒の中には、戦闘系に入りたくても泣く泣く諦めた者も数多くいるのだ。

 ──どうして七級のあいつが弟子入りできて、俺はできないんだ。

 そんな、嫉妬というよりも理不尽に対する怒りのような視線を感じるたびに、カリーナは肩身が狭い思いをした。
 彼らの目から逃げるように、早足で教室へと向かう。
 すると、奇しくも昨日と同じ場所で、レベッカと顔を合わせることになった。
 彼女はカリーナの胸にある記章を見て、怪訝そうに表情を歪める。

「……ごきげんよう、カリーナさん」
「あら、レベッカさん。ごきげんよう」

 見覚えのない紋様だったことで無名どころだと判断したのか、彼女はすぐに、いつもの見下すような態度に戻った。

「まさか、本当に上級の流派に入ってしまうなんて……一体、どんな手を使ったのかしらね?」
「安心して下さいな。貴族の名を貶めるような真似はしていませんわ」
「貴族、ねぇ?」

 レベッカが、弄ぶ獲物を見つけた時の猫のような、いやらしい笑みを浮かべる。

 彼女はカリーナに目を向けたまま、首に掛かっていたアクセサリーを、少し持ち上げてみせた。
 アクアマリンにも似た、大きな青色の宝石が幾つも埋め込まれたネックレスだ。
 少し装飾過多なような気もするが、むしろ優雅な雰囲気のある彼女には、その方が合っている。

「ねえ、カリーナさん。この首飾り、私に似合っているかしら?」
「ええ、とても似合ってますわ」

 カリーナが素直に返すと、レベッカが首にあるネックレスを愛おしそうに撫でた。

「ありがとう。実はこれ、魔力値の底上げをする魔道具なのよ」

 レベッカの言葉に、カリーナは軽く目を見張った。
 魔力値や感応値といった基礎能力を上げる力を持つ魔道具は、人間の魔法使いには作れず、普通の魔道具よりもずっと稀少なのだ。
 上級の魔法使いでも、持っている者は少ない。
 魔法使いならば、誰もが憧れるような一級クラスの装備品である。

 カリーナの羨むような視線に、レベッカは自慢するように話を続けた。

「昨日、お父様からプレゼントしてもらったの。名門のマクダーモット流に入門できたご褒美ですって」
「そう……」

 この時点でカリーナは、レベッカの言葉の裏にあるものを察していた。
 彼女は、知っているのだ。
 昨日、カリーナが家から放逐されたことを。
 もう貴族の娘でも何でもない、ただの平民であることを。

「侯爵家の娘だもの。貴女にもきっと、お父様から何か贈り物があるわ」
「……」

 唇を噛んで黙り込んでしまったカリーナに、レベッカが高笑いをしながら去っていく。

 まだ癒えていない傷に、塩を塗り込まれたかのようだった。
 すぐには立ち直れず動けないでいると、背後からカリーナの肩に手が置かれる。
 見ると、いつもの眠そうな無表情を、僅かにだが心配そうに歪めたエミリアが立っていた。
 彼女の隣には、レベッカの背中に憎々しげな目を向けているヘレナもいる。

「大丈夫?」
「ええ……」
「ほんと、嫌なやつだよね~」

 ヘレナはそう言ってからカリーナに向き直り、今度は一転して弾んだ声を上げた。

「おめでとう、カリーナ! 弟子入り先が見つかったんだね」
「おめでとう」
「ありがとう、エミリア、ヘレナ」

 実家から捨てられても変わらず接してくれる二人に、カリーナは救われたような思いがする。
 ヘレナはカリーナの胸にある記章を見て、唸りながら首を傾げた。

「う~ん、私の知らない紋様だけど……なんて流派なの?」
「……あっ」

 その質問に、カリーナは自分が大切なことを失念していたことに気が付いた。

「どうした?」
「流派の名称をお聞きするのを、忘れていましたわ……」
「あはは、カリーナらしいね」

 おろおろとする彼女に苦笑した後、ヘレナは少し気まずそうにしながら、心配していたことを切り出した。

「それで、その……泊まる所はあるの? もし困ってるなら、うちに来る?」
「大丈夫ですわ。しばらくは師匠の所に泊めてもらえることになりましたの」
「へえ?」

 カリーナが二人にアキラのことについて話していくと、どうしてかヘレナは険しい表情になっていった。
 弟子が一人しかおらず、森の外れにある家で二人暮らしになることを説明したあたりで、エミリアの無表情もどこか硬くなっている。
 そんな二人の反応に、カリーナは不思議そうに首を傾げた。

「二人とも、どうなされましたの?」
「ねえ、カリーナ。そのアキラって人に、何かされてないよね?」
「ええっと……何か、とは?」

 よく分かっていない彼女に、ヘレナが周りに聞こえないよう耳打ちをする。
 その内容に、カリーナは一瞬で顔を真っ赤にした。

「し、師匠はそんなことをする人ではありませんわ!」

 まだ会って間もないはずのカリーナの断言に、ヘレナは微妙そうな表情を浮かべる。

「だってカリーナって、意外と単純……ゴホンッ、純粋で騙されやすいところがあるしな~」
「うん。だから、とても心配」
「まあ、お二人とも失礼ですわ!」

 二人の言い様に、心外だと頬を膨らませたカリーナであった。


<<つづく>>

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最強勇者の弟子育成計画
栖原 依夢
宝島社
2014-11-22

 

『最強勇者の弟子育成計画』第六話 弟子


 第六話 弟子



 その日の目覚めは驚くほどに爽快で、意識を浮上させてから、すぐに頭の中が冴え渡っていった。
 いつもの鈍い頭痛や、こみ上げてくる吐き気や、寝床に縫いつけられたのかと錯覚するほどの気怠さもない。
 久しく忘れていた疲労のない朝に、戸惑ってしまうほどだ。

 カリーナは、そんな心地よい目覚めの余韻にひたり、幸せな気分になる。
 だが次の瞬間には、昨日のことを思い出して、どん底まで気を沈ませた。

 ──お父様に捨てられた、人生最悪の日。
 昨日は、カリーナにとってそういう日だった。
 いっそ、もう目覚めなくてもよかったとさえ思ってしまう。
 なりふり構わず泣いてしまいたくなるものの、ここは恩人の家であったことを思い出して、なんとか堪えた。

 これからどうしようかと、頭を悩ませながら起き上がり……ふと寝かされていたベッドの手触りが、やけにいいことに気が付く。

(……これ、何で出来ていますの?)

 体が沈み込みそうな、それでいて適度な弾力のあるマットレスに、素材はよく分からないが高品質であることが分かるシーツ。
 昨晩は色々ありすぎて意識していなかったが、これは元実家である侯爵家にあったベッドよりも質が高いように思えた。
 ふと気になって、カリーナは自分がいる部屋の内装を見回し……驚愕に、目を見開く。

 その部屋の中にあった、調度品の数々。
 それらのほとんどが、何かしらの魔道具だったのだ。
 火を使わないランプや、傾けると中から水が湧く水瓶といった定番のものから、用途のよく分からない珍しいものまで、様々な魔道具が備え付けられてある。

 価値は質によって大きく左右されるものの、大抵の魔道具は庶民の手には届きにくい高級品だ。
 それが、この客室には数え切れないほど置かれてある。
 侯爵家の屋敷並みの……いや、それ以上の財力を窺わせる部屋だった。

(たしか、アキラ様と名乗っておられましたけど……)

 一体、何者なのだろうか?
 明らかに只者ではないのだが、少なくともカリーナの記憶の中に、アキラという名の大貴族や富豪はいない。

 それに、これだけの調度品を揃えられる財力があるのに、どうしてあんなに見窄らしい格好をしているのかも分からなかった。
 普通の魔法使いならば平民出身でもそこそこ裕福であるし、よほど能力が低くなければ、もうちょっと良い装備品を揃えられる。
 特に戦いを専門とする四級以上の魔法使いともなれば、装備品の質が生死に直結する場合もあるので、できるだけ良い装備品で身を包むのが普通だ。
 だがアキラの身につけていた装備品は、五級以下の魔法使いよりも酷いものだった。

 流派の師範になることを認められるほど優秀な魔法使いであるはずなのに、どうしてあんな格好をしているのだろうか?

 次々と浮かび上がってくる不可解な点に、カリーナが考え込んでいると、部屋の扉をノックする音が響いた。

「起きてるか?」

 その問い掛けにカリーナが返事をすると、楕円形のトレイを片手に持ったアキラが、扉を開けて中に入ってくる。
 トレイの上には皿が乗っており、白い湯気を立てていた。
 ベッドの上にいるカリーナからは、その中身までは見えない。

「体の調子はどうだ?」
「おかげさまで、調子が良いですわ」
「そうか」

 ぶっきらぼうな口調で喋るアキラが、ベッドの傍にまで来ると、カリーナは深々と頭を下げた。

「昨晩は助けてもらった上に泊めて頂き、感謝いたしますわ」
「別にいいさ」
「それで……その……」

 思わずカリーナは、続く言葉を言い淀んでしまう。
 アキラから恩を受けたものの、家から捨てられたばかりの彼女には、返せるものが何もないのだ。
 カリーナがどうやってお礼をすればいいのか悩んでいると、アキラが手に持っていたトレイを彼女に差し出した。
 皿の中にある米料理らしきものから良い匂いが漂い、カリーナの鼻腔をくすぐる。

「あの、これは?」
「朝食だ。お粥はスキルメニューにな……作れないから、リゾットにしてみた」

 カリーナがトレイを受け取った状態で呆けていると、アキラが首を傾げた。

「食欲がないのか?」
「いえ、そうではなく──」

 ただでさえ何もお礼ができないのに、朝食まで頂いてしまって良いのだろうか?
 と思ったところで、カリーナのお腹からキュルキュルと可愛らしい音が鳴った。
 昨晩は夕食前に家を飛び出したので、お腹が減っていたのだ。

「……頂きますわ」

 恥ずかしさから顔を赤くして、カリーナはトレイの上にあった匙を手に取る。
 そうして、ランドリア王国では珍しい米の料理を掬い、ゆっくりと口の中に運んだ。
 咀嚼した途端に、鬱屈としていた気分を忘れてしまうほどの衝撃を受けて、目を大きく見開く。

(──美味しいっ!)

 海鮮類とチーズが絶妙に絡み合った味が舌の上に広がる。
 今まで食べたことのないような美味に、カリーナは頬に手を当てて、うっとりと目尻を弛ませた。
 この近辺では高級食材である海の幸に、様々な調味料を惜しげもなく使った料理。
 かなりの贅を凝らした一品だが、カリーナはそんなことを考える余裕もないほどに、料理の虜にされてしまった。

 夢中になってリゾットを掬い、一口ごとにじっくりと味わう。
 カリーナが実に幸せそうな表情で料理を食べていると、途中でアキラが彼女に声を掛けた。

「そういえばさ」
「……はい」

 我に返ったカリーナは、自分がアキラの視線を忘れるほど一心不乱に食事をしていたことに気が付き、ますます顔を赤くする。

「お前、通ってた学院はどうなるんだ?」
「えっと……? 失礼、仰っている意味がよく分かりませんわ」

 カリーナがそう言うと、アキラはどこか話しづらそうに頬を掻いた。

「実家から勘当されたんだろう? 学費とかどうなるのかなって……」

 アキラの質問に、カリーナは内心で疑問符を浮かべつつ、素直に答える。

「いえ、魔法学院に学費はありませんわ。ギルド長と学院長を兼任なされているウリエル様が資金を提供しておりまして、魔法の才能がある者ならば誰でも入れるようになっていますの」
「そうか」

 頷くアキラを、カリーナは不思議そうに見つめた。
 今話したことは、ランドリア王国の魔法使いならば誰でも知っていることだ。

 仮にも流派の師範を引き受けた者が、どうしてそんなことを知らないのだろうか?

 カリーナがそう疑問に思っていると、アキラが懐から何かを取り出した。

「じゃあ、学院には通えるんだな」

 そう言って、彼は見たことのない紋様が刻まれた記章をカリーナに手渡す。
 アキラの流派に弟子入りをしたことを示すそれに、彼女は声を震わせた。

「こ、これは! どうして……」
「昨日、弟子にするって言っただろう?」
「でも、わたくしは七級で──」

 カリーナが言おうとした言葉を遮るようにして、アキラがさらに驚くべきことを言い出した。

「そうそう、家に帰れるようになるまでは、ここで寝泊まりするといい」
「えっ」
「どうせ部屋は余ってるからな」
「……」

 あまりのことに、カリーナは絶句する。

 アキラとカリーナは、昨日まで赤の他人だったはずだ。
 今も、少し会話をしたことがある程度の知人でしかない。
 とてもではないが、カリーナがそのような厚遇を受けていい関係ではないはずだ。

 思わず下心を疑ってしまいそうになるが、カリーナはすぐにその考えを否定した。
 彼女は自分の容姿にそこまで自惚れてはいないし、かといって他のことでも自分に価値があるとは思えない。
 カリーナはラッセル家から追い出されてしまったし、彼ほどの財力を持つ者を満足させるような金銭も持ち合わせていないのだ。
 強いて言うなら僅かなりとも魔法を扱える力があることだが、それも流派の師範をするほどの者にとったらゴミのようなものだろう。

 彼女が反応を返せないでいると、アキラが不安そうに声を掛けてきた。

「嫌か?」
「いえ、そういうことではなく……どうして、そこまでして下さいますの?」

 ──彼は底抜けのお人好しで、自分の身の上に同情した。
 カリーナが思いつく理由は、これぐらいだった。
 もしそうなら、アキラの善意からくる厚意に感謝しなければならない。

 そして、彼の提案を絶対に断ろうと思っていた。
 アキラが優しいのをいいことに、ただ同情を引いて自分から甘い汁を
啜ろうとするなど、他人を騙して懐を潤す輩と何ら変わらないと思ったからだ。 彼の善意につけ込んで、依存するようなことはしたくなかった。
 優しい人だからこそ、甘えてはいけないと思った。

 そんな決意を胸に、アキラの返事を待つ。
 だが彼が口にした理由は、カリーナが予想していたものとは違っていた。

「目の下に、クマがあったからだ」
「クマ……ですか?」

 戸惑うカリーナに、アキラは何かを考えながら、ゆっくりと話を続ける。

「実は、俺が誰かを弟子に取るのは初めてだ。そして俺のやり方だと、弟子の成長に普通の才能は関係ない……と思う。俺にとって、弟子のランクが一級だろうが七級だろうが関係ないんだ。だから俺は、違う部分を評価した」

 アキラはそこで一旦言葉を切ると、気恥ずかしそうに視線をカリーナから逸らした。

「俺はお前を、凄いと思った。見込みがあると思ったから、弟子にした。そして、俺の弟子だから面倒を見る。これじゃ駄目か?」

 彼の話した内容に、カリーナは体を硬直させた。
 半開きになった口から、消え入りそうな声を漏らす。

「……わたくしを、評価して下さったと?」
「そうだ。だってお前は、あんなになるまで努力を重ねてきたんだろう? よく頑張ったな」
「あ──」

 心が、震えた。
 何かを言おうとしても声が出ず、唇だけが動く。
 堪える暇もなく、涙が溢れた。

 結果の出ない努力に何の意味もないと、カリーナは重々承知している。
 だから、誰からも……父からでさえも、労いや褒め言葉はもらったことがないし、それが当然だと思っていた。
 鼻で笑われて馬鹿にされることはあっても、評価されるなんてことはなかった。

 だからだろうか。
「よく頑張ったな」という軽い一言が、心の奥底まで深く響いたのだ。
 初めての経験に、言葉では言い表せない感情が胸を熱くした。

 ふとアキラの手が、カリーナの頭を撫でる。
 その仕草は、まるで子供扱いだ。
 でもそれがとても心地よく感じられ、彼女は自分が子供であったことを思い出した。

 これまで、簡単には涙を見せたりしないと半ば意地になりながら生きてきたのだが、昨日からは泣いてばかりである。
 情けないという思いはあるものの、今はもう無理に我慢しようとは思わなくなっていた。

「……ありがとうございます」

 ようやく声が出せる程度に落ち着いたカリーナは、渡された記章を大切そうに胸に抱きながら、深く頭を下げたのだった。


<<つづく>>

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最強勇者の弟子育成計画
栖原 依夢
宝島社
2014-11-22

 

『最強勇者の弟子育成計画』第五話 現実


 第五話 現実



「どうしてこうなった」

 アデルの家にあった、幾つかの客室のうちの一つ。
 そこのベッドの上で寝息を立てている少女の姿を見て、俺は思わず頭を抱えた。

 俺がゲームのキャラであるアデル・ラングフォードとなってしまった日の翌日。
 ウリエルにおねだりされて弟子を取ることを了承してしまったものの、何をどうしていいか分からず、適当に街を彷徨っていたのだ。

 ウリエル曰く、ラングフォード流と名付けられた新しい流派の名前を出せば、弟子なんて勝手に向こうから集まってくるらしいが……正直面倒くさいので、あんまり沢山の弟子は取りたくない。
 というか、偉そうな顔をして魔法を教えられる自信がない。
 なにせ昨日までの俺は、何の取り柄もないただの大学生だったのだ。

 それに、入門希望者に受けさせる試験を作れと言われても、どんなことをやればいいのか全然分からない。
 だから試験を実施して弟子を募ることはせず、そこら辺で遊んでる生徒を適当に見繕ってスカウトしてしまおうと街を歩いていたのだが……

 偶然、男に絡まれていたところを助けた少女から、いきなり弟子にしてくれと迫られたのである。

 あまりの剣幕に思わず頷かされてしまったが、俺にとっても別に問題はなかった。
 元々弟子に取る生徒を探していたのだし、彼女がそうなっただけのことである。
 だが俺があっさり弟子入りを認めると、彼女は信じられないといった面持ちで目を見開いた後、急に気を失って倒れてしまったのだ。
 しかも、けっこうな熱を出して。

 いたいけな少女を、路上に寝かせたまま放置しておくわけにもいかない。
 かといって、まだ名前も聞いていなかったので、どこに送り届けていいのかも分からない。
 だから俺は、ひとまずこの少女をアデルの家へと運んだのだった。

 そして、空いていた客室のベッドに彼女を寝かせて今に至る。
 やってしまってから、ふと思ったのだが……これがもし現代の日本なら、俺は警察に捕まってしまうのではないだろうか?
 中学生ぐらいであろう年齢の女の子を、路上で寝ていたのをいいことに大学生の男が自宅に連れ込む。
 ……凄く、犯罪くさいです。

 向こうで実行に移していれば、ご近所さんの通報で警察に踏み込まれ、全国ニュースで「大学生の男が、少女を誘拐」と報道されていたかもしれない。
 俺の持っている同人誌やパソコンの中身から出てきたものを晒され、「これだからオタクは……」と
か囁かれ、全国にいる同志たちに申し訳ないことになっていたはずだ。

 日本ならば、俺だって普通に救急車を呼ぶという適切な対応が取れたのだろう。
 だが、ここは異世界だ。
 病院のような施設が、あるのかどうかも知らない。
 俺の行いが、異世界の人にどう受け取られるのか全然分からない。
 今になって、どうして宿の部屋を取らなかったのかという後悔の念が湧く。

 ──やってしまったかもしれない。

 そんな不安から、俺は少女の眠るベッドの傍らに座ってダラダラと冷や汗を流していた。
 できれば、心の準備ができるまで目覚めないで欲しい。
 そんな願いも虚しく、やがて少女はゆっくりと閉じていた瞼を上げた。

「……目が覚めたか?」
「ここは……?」
「俺の家だ。お前が急に倒れたから、連れてきた」

 正直に言った。
 ここで少女が悲鳴を上げようものなら、すぐにでも王都から逃げようと心に決め、ビクビクしながら彼女の反応を窺う。
 だが俺が予想していたような事態は起こらず、少女はベッドから体を起こそうとして、つらそうに表情を歪めた。

「熱がある。無理に起き上がろうとしなくていい」
「ありがとうございます」

 少女が、お礼を言いつつ体の力を抜く。
 どうやら、俺の行いは異世界的にセーフだったらしい。
 俺は内心で胸をなで下ろした。
 ちょっと考えすぎだったのかもしれない。

「もう遅い時間だし、親御さんも心配しているだろう。俺が連絡をしておくから、住んでいる場所を教えてくれないか?」
「あ……」

 俺の言葉に、少女が小さく声を上げて身を固くした。
 ……今になって、身の危険を覚えたとかじゃないよね?

「どうした?」
「わたくし、帰る家がありませんの。いえ、今日から無くなったと言うべきか……」
「どういうことだ?」

 尋ねると、少女は少し躊躇った様子を見せてから、自分の事情を話しはじめた。

 少女が、カリーナ・ラッセルという侯爵家の令嬢であったこと。
 トウェーデ魔法学院の生徒であり、七級魔法使いであること。
 そしてつい先ほど、その学院の成績が原因で、侯爵家から捨てられてしまったこと。

 悲惨に思える身の上話を聞かされ、俺はどう声を掛けてよいのか分からなくなってしまった。
 その沈黙をどう受け止めたのか、カリーナという名の少女が苦笑する。

「わたくしが七級魔法使いだと知って、失望されましたか?」
「いや……」
「気を遣わなくていいんですのよ」

 そう言って、カリーナは笑みを浮かべた。

「冷静に考えれば、今さらどこかに弟子入りできた程度で、家に帰れるようになるとは思えませんし……それにもう、疲れましたわ」
 
 草臥れた老人のようだ。
 諦観の入り交じった彼女の表情を見て、俺はそう思った。

「だから、ごめんなさい。弟子入りの話は、なかったことに──」
「帰れるさ」

 平和な国で育ったせいだろうか?
 まだ子供と言っていい年齢のカリーナの境遇にいたたまれなくなって、俺は気が付けばそんな言葉を口にしていた。

「俺の弟子になるんだ。俺がお前を、誰よりも強い魔法使いにする。お前が優秀な魔法使いだって認められれば、家にだって帰れるようになるんじゃないか?」
「ふふふ、優しいんですのね」

 俺はわりと本気で言ったのだが、カリーナは信じていない様子だった。
 でも、少しは安心できたのかもしれない。
 彼女はベッドの上で、瞼を眠たそうに瞬かせた。

「そういえば、まだお名前をお聞きしていませんでしたわ」
「うっ……」

 ちょっと言い淀んだ俺に、カリーナが不思議そうに首を傾げた。

 ここでアデルと名乗ると、なんとなく面倒なことになりそうな予感がしたのだ。
 ウリエルも、この名前が広まれば、ちょっとした騒ぎになるだろうと言っていたし……学院から弟子入り希望者が大挙して押し寄せて来そうな気がする。
 それは、非常に困る。

 なので俺は、日本での名を名乗ることにした。
 いつまでも隠しきれるものではないだろうが、ひとまず先送りである。

「アキラだ」
「アキラ様……今日という日に、貴方と会えてよかった」

 眠気で目が閉じそうになるのを懸命に堪えている彼女に、俺はできるだけ優しく見えるよう苦心しながら、笑顔を作った。

「今日はもう寝ろ。これからのことは、明日の朝にでも話せばいい」
「……ごめんなさい、お言葉に甘えさせて頂きますわ」

 カリーナはそう言うと、再び目を閉じた。
 彼女の口から、すぐに規則的な寝息が聞こえてくる。
 でも若干、苦しそうにしているのが気になった。顔色も悪いし、うっすらと汗もかいている。

 ……まさか、このまま死んだりしないよね?
 日本では、過労のせいで家で寝たまま死んでいたというニュースもあったし……

 ちょっと不安になったので、試しに回復魔法でも最上級にあたる【パーフェクト・ヒール】をかけてみた。
 すると彼女の目の下にあったクマが消えて、苦しげだった寝息が安らかなものに変わる。
 どうやら、熱も下がっているようだった。
 思った以上に、魔法って便利だ。

 最初は風邪か何かだと思っていたのだが、彼女の話を聞く限り、やはり熱の原因は過労だったのだろう。
 よく観察しないと分からないが、頬が微妙にやつれているし……相当苦労してきたのだと思う。
 貴族の家のご令嬢なのに、回復魔法は誰にもかけてもらえなかったのだろうか?

 俺は続けて、【アナライズ】という対象のステータスを分析する力のある魔法をかけてみた。
 ゲームではモンスターにしか使用できなかった魔法だが、この世界では人間相手にも問題なく発動した。

 魔力値  37
 肉体強度 15
 感応値  22

 ……これは酷い。
 人間の魔法使いの平均値がどれくらいなのかは知らないが、酷いということだけは分かる。

 肉体強度や感応値が何を示す数字なのか、確証はない。
 だが少なくとも魔力値……MPが37というのは低すぎる。
 どれくらい低いかというと、ゲーム序盤で覚える魔法を数発放つだけで尽きてしまうぐらいに低い。
 これでは、劣等生と言われてもしょうがないかもしれない。

 彼女の様子を見る限り、きっと努力を怠っていたわけではないのだろう。
 ゲームではモンスターを倒してレベルを上げれば簡単に強くなれたが、レベルという概念のないこの世界では、そう簡単な話ではないらしい。

 人並み以上の努力をして人並みの結果が出ないのなら、それは才能がないということだ。
 お前には向いていなかったんだと、冷たく突き放すことはできる。
 でもカリーナには、できれば報われて欲しいと思った。
 きっと男なら、誰でもそう思うはずだ。
 なにせ、薄幸の美少女だし。

 これでむさいオッサンが相手だったら、「ああ、そうか」としか思わなかった自信がある。
 美少女はすべからく保護されるべきだ。

「お父様……」

 寝言だろう。
 そうぽつりと呟いたかと思うと、カリーナの目尻から一粒の涙が流れ落ちた。

 なんか、キュンときた。

 俺は張り切って立ち上がると、つい先ほど思いついたことを実行するべく部屋を後にした。
 そのまま、荒れ果てた庭へと出る。

 カリーナに帰る家がないのなら、しばらく此処で暮らせばいいと思う。
 まだ本人に確認はとってないが、俺は既にそのつもりである。
 彼女が大手を振って実家に帰れるようになるまでは、面倒を見るつもりだ。

 一応、心算はある。
 たしかに俺には、魔法などの細かい理論は教えられない。
 アデルの力のおかげか、なんとなくで魔法を使うことはできるが、詳しい仕組みを理解しているわけではないのだ。

 だが代わりに俺には、ある程度までなら基礎的な能力を底上げする手段があった。
 ゲームとは違うので、どこまで上手くいくか分からないが、少なくともMPに相当する魔力は上げられるはずだ。
 他のステータスは試してみないと分からないが、恐らく大丈夫だろう。

 あとは、彼女が思う存分修行できる環境を用意したい。
 少なくとも魔法の練習をするのだから、開けた場所が必要になってくるはずだ。
 さらにはアレを育てるための畑や、もし使い魔を使役するのなら牧場も欲しい。

 だがメニュー画面には屋敷の増設などはあっても、荒れることを前提にしてないせいか、畑や牧場を修復できるような項目はなかった。
 だから、どれも普通ならすぐに用意するのは無理だろう。
 でも今の俺には、魔法があった。

「【クリエイト・ゴーレム】」

 茶色の光玉を集めて地属性の魔法を唱えると、地面の土が盛り上がって巨大な人型を形作っていく。
 簡単な命令に従って自動で動く、土人形だ。
 俺はそれをさらに数十体ほど作り出し、まずは荒れた庭を更地にするべく、人形達を動かしたのだった。


<<つづく>>


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最強勇者の弟子育成計画
栖原 依夢
宝島社
2014-11-22

 

『最強勇者の弟子育成計画』第四話 夢


 第四話 夢

 

 その日も全く成果が上がらず、カリーナは肩を落として屋敷に戻ることになった。
 これで、入門先を探せる期間は残り一日しかない。

 ──もう、諦めるしかないのだろうか?

 カリーナがそう失意の中で落ち込んでいると、今日は珍しく早い時間に帰ってきたアイザックが、今夜は夕食も家族で一緒に食べようと提案してきた。

 何やら、カリーナに大事な話があるらしい。
 朝食は毎日のように一緒にとっていたが、夕食はいつも別々だったのだ。
 久しぶりに夕食を共にできることを嬉しく思う気持ちと、今日も何の成果も上げられなかったことを告げねばならない気の重さを抱えたまま、カリーナが食卓の席に着くと……

 アイザックが、いつも通りの、にこやかな表情で言ったのである。

「カリーナ、お前をラッセルの名から解放してあげようと思う。もう学校にも、行かなくてよい。明日からは家を出て、自由に生きなさい」

 一瞬、何を言われたのか分からなかった。
 いや、理解するのを、頭が拒否した。
 信じたくなかった。

 でもアイザックの言葉は、しっかりとカリーナの耳に届いてしまっており、頭の中を何度も反響してジワジワと絶望に染め上げていく。
 口調は柔らかいのに、その内容は酷く冷たかった。

 カリーナはたった今、ラッセル家から捨てられたのだ。

 どこか遠くに軟禁されるのと、どちらがマシだったのだろうか?
 と、妙に冷えていく思考の中でそんなことを考える。

「馬鹿な!?」
「カラム、行儀が悪いぞ」

 急に立ち上がったカラムを、アイザックが窘めた。
 だがカラムは、それに構わず言葉を続ける。

「お考え直し下さい、父上! いくらなんでも、それは──」
「私としても心が痛むが、これは決まったことだ」

 アイザックはそう言うと、聞き分けのない子供を優しく諭す時のような微笑みを、カリーナに向けた。

「賢いカリーナなら、分かるね?」

 アイザックの視線に晒され、カリーナは小さく震える。

 いつも通りだ。
 いつもの、大好きな父親の、どこか安心できる穏やかな笑顔だ。
 口では悔いの言葉を並べながら、いつもと本当に何も変わらない。

 カリーナは、父のその張り付けたような笑顔に、初めて恐怖を感じた。
 そんな彼女の怯えを察したのか、カラムはカリーナの肩を掴んで、食堂の扉を指差した。

「カリーナ! お前は自室に戻っていろ!」
「こらこら、カリーナと一緒に食事できるのは今日が最後になるんだぞ。追い出したら可哀想じゃないか」

 おどけるようなアイザックの声を背に、カリーナはふらふらとした足取りで食堂を後にする。
 彼女が廊下に出ると、途端にカラムとアイザックが激しく口論する声が、扉越しに響いてきた。
 とはいっても、声を荒らげているのはカラムのみで、アイザックの声音は終始落ち着いたものだったが。

 カリーナは廊下に佇み、必死に自分を庇うカラムの声を聞く。
 あのカラムが、こんなにも自分のことを気に掛けてくれていたとは、考えもしなかった。
 家に迷惑を掛けている自分を嫌っているのだと、カリーナは勝手に思い込んでいた。

 そして逆に、父親はもっと自分を愛してくれているのだと思っていた。
 もしこのまま出来損ないでいても、あの優しい父親なら自分を捨てたりしないだろう。
 そんな吐き気がするほど甘いことを、心のどこかで考えていた自分に気が付く。

 ここにきて、ようやくカリーナの止まっていた感情が、現実に追いついてきた。
 焦燥感が胸の内から湧き上がり、居ても立ってもいられず、その場から走り出す。
 部屋に戻って学院の制服に着替えると、カリーナは急いで家の外に飛び出した。

 そのまま屋敷の敷地外に出ても、誰にも止められることはなかった。
 普段なら、こんな時間に門の外へ出ようとしたら、衛兵に止められていたはずだ。
 この屋敷で働く者達が、もうカリーナのことをラッセル家の一員と認識していないのだろう。
 そう思い知らされ、彼女の胸中で荒れ狂う焦りが、ますます膨れあがる。

 このままでは、本当に捨てられる。
 どこでもいいから、弟子入りさえ果たせれば……もしかしたら、お父様が考え直してくれるかもしれない。
 そんな思いを抱いて、カリーナは必死に足を動かす。

 屋敷を出て、貴族の邸宅が集まる地域を抜け、下町の一番近い位置にある魔法使いの家へ。
 魔灯に照らされた道を行き、流派の一つを担当している者の元へと押しかけた。

 カリーナの記憶が正しければ、成績でいうと中堅クラスの生徒が集まる流派だったはずだ。
 その家の扉を、カリーナは縋るような思いで叩いた。

「誰かいませんか!? お願いします! 誰か!」

 何度も、何度も叩く。
 彼女の行為に、近くを通りすがった人々が顔を顰めた。
 だが今のカリーナに、そんなことを気にする余裕はない。

 しつこく彼女が呼びかけているうちに、とうとう扉が荒々しく開かれた。
 カリーナの声を掻き消すように、白髪頭をした壮年の男の怒鳴り声が響く。

「誰だ、こんな遅い時間に!」
「夜分遅く、失礼しますわ。わたくしは、カリーナ・ラッセルと申します」

 カリーナが頭を下げて自分の名前を口にし……それを聞いていた男が、あからさまに嫌そうな顔をした。

「ああ、お前が件の問題児か」
「えっ……」

 不穏な雰囲気に、カリーナは嫌な予感を覚えた。
 戸惑いと不安から瞳を揺らす彼女に、男は呆れたように大きく溜息をつく。

「魔法使いギルドから、お前をうちに弟子入りさせないように通達があった。おそらく、中級以上の流派全てに同じような知らせが回っているだろう。……お前、ギルドでも騒ぎを起こしたらしいな?」
「そ、そんな……」
「そもそも、うちは五級以下の生徒を受け入れるつもりはない。いい加減、夢ではなく現実を見るんだ」

 そう言い残して、男はさっさと奥に引っ込んでしまった。
 カリーナは呆然と、閉じられてしまった扉を見つめる。
 男に言われた言葉を頭の中で反芻しながら、やがて行く当てもなく、ふらふらと歩き出した。

 夢と、現実。
 男は、夢ではなく現実を見ろと言った。
 現実とは、このどうしようもない現状のことだろう。
 では夢とは?
 自分の夢は、どこでもいいから並の流派に入門することだったか?
 父に捨てられないことだったか?

 カリーナはそこで、ふと昔のことを思い出していた。

 幼い頃。
 まだ、何も知らなかった頃。
 夜空に手を伸ばせば、暗がりに瞬く星が掴めるのだと思っていた頃。
 カリーナは、特級魔法使いになることを夢見ていたのだ。
 今も語り継がれる英雄譚を絵本で読み、憧れた。
 努力さえ怠らなければ、なれると本気で信じていた。

 夢から遠ざかりすぎて、忘れていた。
 もっと大人になれば、下らない夢だったと鼻で笑えるのだろうか?
 笑い話に、できるのだろうか?

 あの時よりは、まだ大人になったという自負はある。
 だが、今のカリーナが抱いた感情は、もっと別のものだった。

 どこをどう彷徨ったのか、いつの間にかカリーナは、薄暗い路地裏の突き当たりに立っていた。
 彼女以外に人は見当たらず、他人の視線はない。
 だからだろうか?
 カリーナは胸に湧き上がった感情を、ぽつりと吐き出していた。

「悔しいですわ……」

 言ってしまった。
 今まで胸の奥底に押し込み、封をして、見ないようにしてきた感情。
 それが、呟いてしまった一言をきっかけに、溢れ出てくる。

 同級生達から向けられる嘲笑。
 貴族達から浴びせられる侮蔑。
 知人から向けられる憐憫の眼差し。
 そして、笑って自分のことを捨てた父親の顔。

 これまで歩んできた様々な場面が、思い起こされる。
 カリーナは、その全てがどうしようもなく──

 悔しかった。

「……ひっ……ぐ……」

 嗚咽が漏れる。
 歯を食いしばっても、堪えられなかった涙が目尻からこぼれ落ちる。
 泣いてしまったことで、ますます自分が情けなく惨めに思え、そうなるともう止められなかった。

「くや…しい……くやしいっ……くやしい!」
 
 喚いたところで、どうにもならない。
 それが分かっていても、カリーナは声を吐き出さずにはいられなかった。
 子供が駄々をこねるようにして、何度も何度も同じ言葉を繰り返す。

 しばらくそうしていると、誰もいないと思っていた彼女の背に、ふと呂律の乱れた男の声が掛かった。

「こんなところで一人で泣いて、どうしたのかな~」

 酒臭い匂いを漂わせた、体格の良い男だ。
 ニヤニヤとしながら舐め回すような視線を向けられ、カリーナは悪寒でぶるりと背筋を震わせる。 
 昂ぶっていた感情が、急速に冷えていくのを感じた。

「……何でもありませんわ」

 カリーナは頬を濡らしていた涙を慌てて拭うと、男の横を通り過ぎて路地裏から出ようとした。
 しかし──

「ちょっと待てよ。心配して声を掛けてやったのに、お礼ぐらい言えねーのか?」

 男が、カリーナの腕を掴んで引き留めた。
 乱暴に引っ張られたことに顔を顰めつつも、男の言うことにも一理あると思い、素直に謝罪する。

「たしかに……そうですわね。非礼をお詫びしますわ」

 カリーナが頭を下げると男は上機嫌になり、今度は腰を掴んで引き寄せようとした。

「おう、俺が慰めてやるから、ひとまず宿の部屋で落ち着こうじゃねーか」
「そ、それは結構ですわ!」

 腕を前に出して拒絶するも、男の力は強く、離れることができない。
 見たところ魔法使いでもない、ただの酔っ払いの男に良いようにされ、カリーナは歯噛みした。
 こんな時、四級以上の……いや、せめて五級並みの力があれば、カリーナは楽に逃げおおせていただろう。
 気は進まないが、叩き伏せることも可能だったはずだ。
 だが現実のカリーナは、この男を前に、何もすることができない。

「離してっ!」
「うるせえ! 大人しく──」

 男が腕を振り上げ、カリーナはぎゅっと目を瞑って痛みに備えた。
 だがいくら待っても、予想していたような衝撃がこない。

 気になっておそるおそる目を開くと、男がゆっくりと地面に崩れ落ちていくところだった。
 代わりに、いつの間にか男の背後にいた青年が、声を掛けてくる。

「おい、大丈夫か?」

 黒髪黒目の、やけに顔立ちの整った魔法使いだ。
 目尻が鋭く冷たい印象を受けるものの、纏っている雰囲気のせいか、あまり怖くはない。

 はっきり言って、格好はとても見窄らしかった。
 魔法使いの装備品は、強い魔法が込められているものほど色合いが派手になっていく傾向がある。
 同業者の間では、装備品の質が魔法使いの優秀さを表しているように見られているので、見栄で分不相応な装備品を揃えている者はいても、その逆はあまりいない。
 だから、今カリーナの目の前にいるこの男は、大した魔法使いではない……はずなのだが。

 ローブの胸あたりに付けられた、流派の範士マスターであることを示す記章に、カリーナの視線は
釘付けになっていた。
 色は、上級を示す金色。
 四級以上の生徒を弟子に迎えている魔法使いだ。
 だがバッジに描かれた紋様は、全ての流派を把握しているはずのカリーナでも、知らない種類であった。

「おーい、聞いてるか?」

 青年の呼びかけに、カリーナは我に返った。
 そして、気が付く。
 カリーナは、全ての流派を回って頼み込んだ末、全てに断られてしまっていた。
 でも、まだ一つだけ残っていたのだ。
 自分が訪ねていない流派が。

 カリーナは、ごくりと唾を飲み込む。

 また、断られるかもしれない。
 いや、断られるのが当然なのだ。
 七級の劣等生である自分を、弟子にしてもらえるわけがない。
 期待したところで、すぐに落胆することになるのは目に見えている。

 でも川に溺れる者が、助かりたい一心で藁を掴んでしまうように、気が付けばカリーナは青年に話し掛けていた。

「あ、あの!」
「んん?」

 急に声を張り上げたせいか、目を丸くして驚いている青年に、カリーナは深々と頭を下げた。

「お願いします! わたくしを、貴方の弟子にして下さい!」
「……えぇ?」

 カリーナの叫ぶような訴えに、青年は困惑したように眉を顰めたのだった。

<<つづく>>

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最強勇者の弟子育成計画
栖原 依夢
宝島社
2014-11-22

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『最強勇者の弟子育成計画』第三話 カリーナ

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 第三話 カリーナ


 

「お嬢様、そろそろお時間です。お目覚めになって下さい」

 いつもの侍女の声に意識を浮上させたカリーナは、鉛のように重たい瞼に力を入れて見開いた。

 窓から差し込む春の日差しに照らされ、目に鋭い痛みを感じる。
 体は重く、まだまだ寝足りないと関節の節々が悲鳴を上げていた。
 このまま二度寝し、疲弊した頭や体を休ませたい欲求に駆られる。

 だが、今の自分にそんな甘えは許されないことを思い出し、カリーナはベッドから無理矢理体を起こした。
 やや切れ長の目の下には、色濃いクマができてしまっており、鼻筋の通った綺麗な顔立ちが台無しになってしまっている。
 顔色も青く、立ち上がるなり体をふらつかせて倒れそうになるも、彼女は歯を食いしばってそれを堪えた。

 カリーナが体調を崩しているのは、誰の目にも明らかだ。
 しかし彼女の世話をする侍女は興味がなさそうに黙殺し、カリーナの赤みの強い栗色の髪を手入れし始めた。
 目の下にあるクマはどうしようもないものの、それ以外はこれから朝食を共にする相手に失礼のないよう、身嗜みを整えていく。
 侍女はカリーナに華やかな衣装を着せ、腰まで届く長い髪を念入りに梳いて下ろし、両側面の髪を頭の後ろに回して一つに結んだ髪型……ハーフアップに仕上げていった。

 一般的な平民の感覚なら、気心の知れた家族との食事でするような装いではない。
 だが貴族の家……少なくとも、侯爵の位を持つラッセル家では普通の日常であった。

 カリーナが父親との会食に臨むべく部屋の外へ出ると、廊下で彼女と同じ髪色をした男と出くわした。
 今年で十三歳になるカリーナよりも、三つほど年上の青年だ。

「おはようございます、カラムお兄様」

 軽く膝を折って挨拶をする彼女の姿に、カラムと呼ばれた男は、あからさまに顔を顰めた。

「……今日も元気そうだな、妹よ」

 カラムの視線は、彼女の目の下にあるクマに向けられている。
 明らかに皮肉なのだが、カリーナは黙って微笑みを浮かべた。

 すると何が気に入らないのか、カラムは忌々しそうに舌打ちをすると、後は何も言わず彼女を置いて食堂へと向かっていく。
 行き先は同じなので、カリーナもそれに続いた。

 二人が食堂に入ってテーブルの定位置に着くと、それから少し時間を置いてやってきた壮年の男が、上座に腰掛けた。
 くすんだ金髪の、柔和そうな顔立ちをした男だ。
 名をアイザックといい、彼こそがこのラッセル家の現当主である。
 カリーナの家族は、他にも年の離れた弟と妹がいるが、二人はアイザックが所有する領地の屋敷にいるので、王都に建てた別宅である此処にはいない。

 アイザックは食事が運ばれてくる前に、にこやかな表情で二人に話し掛けた。

「二人とも、最近の調子はどうだい?」
「特に何も。いつも通りです」
「……」

 父親の問い掛けに、カラムは何でもなさそうに応え、カリーナは顔を俯かせた。
 そんな二人の反応を見比べて、アイザックは苦笑する。

「謙遜しなくてもいいよ、カラム。お前の学院での活躍は、私も聞き及んでいる。今年のトウェーデ魔法大会でも、入賞は確実だと目されているそうじゃないか。流石はラッセル家の長男だ」
「ありがとうございます」

 カラムは褒められたことで小さく頭を下げるも、自分にとってこれぐらいは当然といった態度は崩さなかった。
 対して、カリーナの表情は暗い。

「それで、カリーナは弟子入り先が見つかったのかな?」
「……」
「カリーナっ! 父上に対して失礼だぞ!」
「カラム、いいんだ」

 何も答えようとしないカリーナにカラムが叱咤するも、アイザックはそれを宥めた。

「ふむ。その様子だと、まだ見つかっていないようだね」
「はい……」

 カリーナは顔を俯かせたまま、消え入りそうな声で応える。
 肩を落として落ち込んでいる彼女に、アイザックは柔らかく微笑みかけた。

「大丈夫、きっと良い弟子入り先が見つかるよ。諦めずに、頑張りなさい」
「……ありがとうございます、お父様。今日はきっと、ご期待に応えられると思いますわ」

 アイザックの言葉に、カリーナは顔を上げて小さく笑みを浮かべた。
 決して自分の境遇を楽観視しているわけではなく、自信がありそうなところを見せて父を安心させるための、虚勢の笑みだ。
 それを見て、アイザックは満足そうに頷く。

 ラッセル家は、代々優秀な魔法使いを輩出してきた、伝統のある家だ。
 いや、ラッセル家に限らず、ランドリア王国の貴族は優秀な魔法使いの血筋を積極的に取り入れており、全体的に高い才覚を持っている。
 魔法使いとしての力量が、そのまま貴族社会でのステータスにもなるからだ。

 なので女性であれば、優秀な魔法使いほど婚姻の申し込みが多くなるし、逆に力の弱い魔法使いであれば、たとえ大貴族の娘であっても婚姻を嫌がられる傾向にある。
 あまりにも才能がなさすぎれば、家の恥として最悪捨てられることだってありえた。

 だというのに、アイザックは……カリーナの父親は、魔法学院で劣等生のレッテルを貼られてしまっている不甲斐ない娘に、怒鳴りつけたり、嫌みを言ったりしたことは一度もない。
 そんな優しい父親を喜ばせたい一心で、カリーナは何としてでも今日中に弟子入り先を見つけようと意気込んだ。

────────────────────

 トウェーデ魔法学院とは、今から百年前に天使達が作ったとされる学舎のことである。
 世界に四つある大陸に一校ずつ、各大陸の一番大きな国の首都に、その魔法学院は設けられていた。

 最初の一年間は、午前中にある通常授業と同じく、午後からの魔法の授業も共同で受ける。
 そして一年目最後の成績に応じて、魔法使いのランクである一級から七級に振り分けられると、二年目からは天使が認可した魔法使いの元で、各流派の魔法を学ぶことになっていた。

 生徒は自分の行きたい流派を選び、そこで様々な審査を受け、無事に合格できたら晴れて弟子入りが許される。
 当然、人気のある流派は競争率が高く、審査も厳しい。
 そういった人気流派の審査をいくつも受け、その全てに落選してしまう生徒も沢山いた。

 とはいっても、弟子を募っている魔法使いは多く、たとえ七級の生徒であっても、どこかの流派に入門できるように学院は配慮している。
 だから、分不相応な高望みをしなければ、誰でもすぐに師が見つかるようになっていた。
 つまりは、ひと月も師を探す期間が設けられているのに、あと二日を残してまだ弟子入り先が見つかっていないような生徒は、分不相応な高望みをしているということであり──

 午前中の通常授業を受けるために校門をくぐったカリーナに、そこかしこから嘲笑の眼差しが向けられた。

 どこかに弟子入りした者は、入門した流派を示す小さい記章が与えられる。
 だから学院の制服にそれが付いていないと、まだ弟子入り先が見つかっていないことが一目瞭然なのだ。
 それに、大貴族である侯爵家の娘でありながら七級という評価を受けてしまった彼女は、悪い意味で注目が集まりやすい。
 学院の在校生の中で、貴族でありながら五級以下の成績である者は、カリーナしか存在していないからだ。
 さらにいえば、貴族で七級という成績は史上初でもある。

 それでも、自分の力のなさを認めて相応の流派に入門していれば、他生徒から今ほど冷たい目を向けられることはなかっただろう。
 だが彼女は、高い力量を求められる流派にばかり足を運び、審査どころか門前払いを受け続けていると噂になっていた。
 力を示そうとしたのか、七級であるのに四級以上の依頼を受けようとして、魔法使いギルドに迷惑をかけたこともある。

 何も知らない他人から見れば、頭の悪い愚か者の所業にしか映らない。
 カリーナが、ほとんどの生徒から良い印象を持たれていないのも、当然だろう。
 それを自覚しているカリーナは、時折聞こえてくる侮蔑の言葉に我慢しながら、俯きそうになる顔を前に向けて歩き続けた。

 やがて、真ん中にある教壇を中心として、すり鉢状に机が並んでいる教室の前にたどり着くと、入り口付近で金髪を縦巻きにした少女とはち合わせになった。
 その胸には、名門と名高い「マクダーモット流」の記章が誇らしげに飾られている。

「あらカリーナさん、ごきげんよう」
「……ごきげんよう、レベッカさん」

 声を掛けてきたのは、カリーナと同じ高位貴族の娘である、レベッカ・ミルフォードだ。
 彼女は自慢の巻き髪を見せつけるように手でかき上げると、見下すような目で正面にいるカリーナを見据えた。

「その目の下にあるクマはどうしたのかしら? 夜更かしでもしていたの? 落ちこぼれは、自己管理もできないようね」
「ええ。思慮が足らず、お恥ずかしい限りですわ」
「それで、そろそろ弟子入り先は決まったのかしら?」
「いえ、まだですわ」

 カリーナが首を横に振ると、レベッカはわざとらしく溜息をついた。

「いい加減、貴族の品位を疑われるような真似は、やめて下さらないかしら?」
「……ええ、今日までに弟子入り先を決めてご覧に入れますわ」

 今日こそ自分が望む流派へ入門してみせると、カリーナは不敵な笑みを浮かべる。
 レベッカはそれに目を丸くした後、救いようのない馬鹿を見たとでも言いたげに、鼻で笑った。

「そう。では、精々頑張ってみなさいな。貴女に良い結果が出ることを、祈ってるわ」
「お気遣い、痛み入りますわ」

 そこで会話を打ち切り、背を向けて教室へと入っていくレベッカ。
 彼女に続いてカリーナも教室に入り、自分の席へと座る。
 すると、彼女の隣に座っている、長い黒髪を後ろの高い位置で括った少女が、声を潜ませてカリーナに話し掛けてきた。

「大丈夫? さっきレベッカ様と一緒に教室に入ってきたみたいだけど……」
「ありがとう、ヘレナ。わたくしは、大丈夫ですわ」

 自分のことを心配してくれたヘレナという名の少女に、カリーナは心から笑顔を浮かべる。
 席が隣り合ったことで親しくなった彼女は、カリーナの数少ない友人だった。

「それでさ、その……見つかったの?」
「いえ、残念ながら……」

 言葉を濁しながら聞いてくるヘレナに、カリーナは首を横に振った。

「七級でも生産系の流派なら、どこかに弟子入りできるのに……どうしても、戦闘系じゃないと駄目なの?」
「……」

 彼女のもっともな言葉に、何も言えなくなって口を閉ざす。

 トウェーデ魔法学院の生徒は、四級以上は戦いを生業とした流派に、五級以下は魔道具や魔法薬などの生産を生業とした流派に入門するのが一般的だ。
 カリーナは七級なので、生産を生業とした流派を選ぶのが普通である。
 たまに四級以上でも生産を選ぶ物好きもいるが、それは求められる能力を満たしているから可能なのであって、逆に五級以下の者が戦闘を生業とする流派に入れることはない。

 だがカリーナは、どうしても戦闘を生業とする流派に入門したかった。
 成績を上げていけば途中で流派を移ることもできるが、最初に生産系の流派に入ってしまっていると、後から移籍を希望しても同じ生産系の流派しか選べなくなるからだ。
 つまりここで戦闘系の流派に入っておかないと、もう二度と挽回のチャンスはなくなってしまうのである。

 彼女も、自分の力が足りないのは十分に理解している。
 だが今の劣等生のまま流されては、カリーナの存在はラッセル家の汚点となってしまうかもしれないのだ。
 ラッセル家の……自分を大切に育ててくれた、大好きな父の血筋が疑われることになるのだ。

 魔法使いとしての力がステータスになる貴族社会にて、最悪ともいえる七級の娘が生まれてしまった家の血となれば、自分どころか妹すら婚姻を結び難くなるだろう。
 社交界でも、家族は肩身が狭い思いをすることになる。
 それはつまり、カリーナの存在が家族に拭えない呪いをかけるということだ。
 彼女が生まれてしまったこと自体が、間違いになってしまうのだ。

 だからカリーナは、死に物狂いで努力した。
 寝る時間を極限まで削って、魔法の勉強や修練に打ち込んだ。
 若い時にしか味わえない、華やかで甘酸っぱい学生生活を送る同級生たちを尻目に、他の全てを捨てて魔法のみに時間を費やしたのだ。
 努力の量でいえば、この学院の生徒で彼女が一番だろう。

 だが、結果の伴わない努力などに意味はない。
 地獄のような一年を経た後、彼女に下されたのは七級の劣等生という現実だった。

 でもカリーナは、まだ諦めてはいない。
 いや、自分から諦めるわけにはいかなかった。
 カリーナが強く手を握りしめて黙ったことで、二人の間にどこか気まずい空気が漂う。
 だがそんな空気を破るようなタイミングで、銀髪を顎の下あたりで切り揃えた碧眼の少女が、ヘレナとは反対側になるカリーナの隣に腰を下ろした。

「二人とも、おはよう」
「エミリア、おはよう」
「おはようございますわ」

 どこか眠そうで、表情の変化に乏しい印象を受ける少女……エミリアが、近くの席の二人と挨拶を交わす。

「エミリアは、いい加減入門先を決めたの? 見たところ、記章は付けてないようだけど……」

 カリーナの時と違って、ヘレナの声が少しだけ刺々しくなった。

 エミリアも、カリーナと同じくどこの流派に入るか決まっていなかった。
 だが彼女の場合は、成績が原因で入門先が決まらないのではない。
 むしろエミリアは、魔法学院始まって以来の天才と謳われるほどの優等生だ。

 彼女が弟子入り先を決めていないのは、ただ人付き合いが面倒くさいという理由で、今まで先延ばしにしていただけの話である。
 カリーナやヘレナといった例外を除いて、エミリアは極度の人嫌いなのだ。

「うん。昨日、決まった」
「どこに決まりましたの?」
「ハイゼンベルク流」
「ええっ!?」
「まあ……」

 エミリアが口にした流派に、カリーナとヘレナは感嘆の声を上げた。
 ハイゼンベルク流といえば、ごく一部のエリートしか入れない名門中の名門として有名なのだ。

 しかも、これまで一年生で入門できた生徒は皆無だった。
 ハイゼンベルク流には、特に優秀な成績を残した上級生が学院長からの推薦を受けて、引き抜きという形で入門するのが通例だったのである。
 つまり一年生で入門してみせたのは、エミリアが史上初ということになる。

「流石は、エミリアですわ」
「凄いよねぇ……」
「まだまだ足りない。私の夢は、特級魔法使いだから」

 彼女の発言に、カリーナとヘレナは言葉を失う。

 特級魔法使いとは、一級魔法使いの上に存在するランクだ。
 その位を授かった者は、一国の王よりも強い発言力と待遇が、天使より約束されると言われている。

 特級の位にたどり着いた者は、世界中を探してもたった三人しかいない。

 魔法の扱いに長けた種族の中でも飛び抜けた力を持つ、エルフ族の女王。
 魔族でありながら地上に住み、人間側に味方して魔王と戦ったとされる吸血鬼のお姫様。
 そして人間の身でありながら天使や魔族の力を凌駕し、魔王を討ち滅ぼしたとされる伝説の魔法使い、アデル・ラングフォード。

 皆が皆、歴史に名を残すような傑物ばかりだ。
 それぐらいでないと、天使から特級の位を授かることはないのだ。
 普通なら、そんな魔法使いになると宣言しても、誰もが子供の夢だと言って笑うだろう。

 だがカリーナは、エミリアならばもしかして……と思ってしまった。
 と同時に、強い羨望と嫉妬を覚える。
 信じられないほど大きな目標を見据える友人を見ていると、人並みの貴族であることも分不相応だと罵られる自分が、どうしようもなく惨めに思えたのだ。

 ──今日こそは、せめて普通の貴族になろう。

 才気溢れる友人を眩い思いで眺めながら、カリーナは強くそう思った。
 だが、その意気込みも虚しく、その日もカリーナの弟子入り先が見つかることはなかった。


<<つづく>>

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最強勇者の弟子育成計画
栖原 依夢
宝島社
2014-11-22

 

『最強勇者の弟子育成計画』第二話 再会?とおねだり


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 第二話 再会?とおねだり


 

 翌朝、俺は森を越えた先にある王都にまでやってきた。

 徹夜で魔法の試し撃ちをしていたせいか、瞼が酷く重い。
 だが、たとえ今すぐベッドで横になったとしても、胸から湧き上がる興奮によって眠れることはないだろう。
 忙しなく行き交う人混みの中、辺境から上京してきた田舎者の如く、キョロキョロと辺りに視線をやる。

 大きな声を張り上げて客寄せをする商人。
 道の片隅に寄って、姦しく雑談している女性。
 街を巡回している騎士。
 やたらと派手な装いをした、魔法使いらしき人。
 笑いながら道を走る小さな子供達。

 何もかもが新鮮で、ワクワクした。
 時折、すれ違う人に微笑ましそうな視線を向けられるが、気にしない。
 いや、本当は気にしてるし恥ずかしいけど、はしゃいでしまう気持ちを抑えられなかった。
 たまに俺の服装を見て、見下したように鼻を鳴らす若い魔法使いがいるけど、これはよく分からない。

 ゲームと同じであれば、ここはランドリア王国の首都のはずだった。
 王都の中央にある巨大な城は、ゲームで見たものとよく似ているから間違いないだろう。
 だがどういうわけか、城以外の街並みはゲームのものとは全然違っていた。
 やはり、何もかもが一緒というわけではないらしい。

 さて、どこから見て回ろうかと悩んでいたところ……ふと肉を焼いた時の香ばしい匂いが漂ってきたせいか、ちょっと腹が減ってきた。
 なのでその匂いの発生源であった屋台にて、何かの肉を串に刺したもの……焼き鳥に似ている……を買おうとしたのだが、残念ながら断られてしまった。
 所持していたお金が使えないというわけではなく、金貨を出されても、お釣りが支払えないとのことだ。

 金貨を見せた時に驚いていたので、これ一枚でもそれなりに高額なのだろう。
 聞けばギルドに行けば両替してもらえるとのことだったので、俺はまずギルドに向かうことにした。

【エレメンタル・スフィア】でのギルドとは、天界からやってきた天使が管理している、魔法使いの集まりの場だったはずだ。
 魔界から迷い込んでくる魔物を、人間の魔法使い達に討伐させることで、地上の浄化を行っているらしい。
 ギルド内に張り出された依頼を受けて、指定された魔物の討伐に向かい、討伐証明となるものを持ち帰れば、ギルドが報酬を払ってくれるというシステムだ。

 ギルドはこの国だけでなく、世界中のあらゆる国々に存在している。
 天使が運営しているといっても、ギルドの幹部以外は天使が雇った人間達が働いているのだが、職員として雇われた人間は中立の立場として扱われ、国に所属していることにはならない。
 また、ギルドだけでなく世界中に散らばるカトラ教会を束ねる教皇や枢機卿も天使であり、実質的に地上の覇権は天界が握っていると言っても過言ではなかった。

 といってもゲームでは、魔族が関わらなければ各国の政に口を出すことは、ほとんどないという設定だった。
 王宮内で醜い権力闘争をしてようが、反乱が起ころうが、他国と戦争しようが、天使らは傍観を決め込むのだ。
 もちろん人間が天使らに牙を剥けば反撃してくるだろうが、一部の例外を除いて、天使と人間の間には逆立ちしても超えられない強さの壁があるので、基本的に人間は天使に手を出さない。
 とまあ、そんな設定を思い出しているうちに、俺は目的のギルドに着いた。

────────────────────

 街並みが変わってしまっても、王城とこのギルドだけはゲームと同じ位置にあったので助かった。
 ……まあ場所が変わっていても、王城に匹敵しそうなぐらい大きな建物なので、迷うことはなかっただろうが。

 組織としては同じでも、国の文化によってギルドの建物は全然違う装いをしている。
 この国のギルドは、どこか荘厳な雰囲気を持つ白い塔だ。
 正面の扉をくぐると、掃除の行き届いた清潔なフロアが広がっていた。
 無駄がなく機能的で、王城のような華やかさはないものの、自然と背筋が伸びてしまう落ち着きがある。

 フロアの奥にはカウンターがあり、幾人ものギルド員が、長蛇の列を作る魔法使い達に対応していた。
 それにしても、何故かやたらと派手な装いの人が多い。
 酷い人になると、金一色のギラギラとしたローブを着込んでいる人までいるし。
 目にも、精神的にも、痛々しいことこの上ない。

 俺は金貨を両替してもらうべく列に並ぶと、近場にいた魔法使い達の視線がこっちに集まった。
 背伸びした子供を見るような、生暖かい目を向ける者。
 こちらを気遣い、心配そうな目を向ける者。
 あからさまに見下して、鼻で笑う者。

 反応は様々だが、微妙に居心地が悪い。
 俺には、そんなにもお上りさん的な雰囲気が漂っているのだろうか?
 まあこの建物に入ってからも、物珍しそうに視線をあちこちに向けていたから、そう思われるのも仕方ないかもしれない。

 周囲の視線にソワソワしながら、待つこと数十分。
 ようやく自分の番が回ってきて受付の前に立つと、対応する長い黒髪の若い女性が、眼鏡の奥にある
鳶色の双眸を細めた。
 泣きぼくろが似合っていて、とても綺麗な人なんだけど……どうしてだろうか?
 視線が冷たく感じられて、とても背筋が寒いです。

「本日は、どのようなご用件でしょうか?」
「えっと、金貨の両替をして欲しいんですけど……」
「……貨幣の両替は、商業ギルドの管轄なのですが」
「えっ、何それ?」

 思わずそう返してしまってから、すぐに気が付いた。
 恐らく屋台の人から聞いた「ギルド」とは、「商業ギルド」のことだったのだろう。
 ゲームでは商業ギルドなるものはなかったから、こっちのことだと勘違いしてしまったのだ。

 俺の反応を見て何かを察したのか、受付の女性は小さく溜息をついた。

「ここは魔法使いギルドです。それも、四級以上の人のみを扱っている場所ですよ」
「あー……すみません、勘違いしてました」
「次からは、ちゃんと商業ギルドに行って下さいね。それで、何か身分を証明できる物はお持ちでしょうか?」
「え、もしかして両替してくれるのですか?」
「ええ、今回だけですよ」

 今の俺は、いわばコンビニで両替だけをお強請りするような、たちの悪い客のようなものだろう。
 さっさと追い返されても、文句は言えないのに……見た目は冷たそうだけど、どうやら優しい人のようだった。
 心なしか、態度も先ほどより軟化しているような気がする。

 後から聞いた話によると、最近は五級以下のランクしかないのに四級以上の依頼を受けようとしていた輩がいたらしく、警戒していたのだそうだ。
 魔法使いは一般的に七級から一級に分かれており、数字が低くなるほど優秀な魔法使いとなっている。
 四級以上からは危険な依頼が多く、五級以下の者には絶対に受けさせないことになっているとのことだった。

「うーん、身分証か……」

 何かあったかな?
 と、俺はアイテムボックスのリストを開いた。
 重要品の項目をスクロールしていくと、丁度「ギルド証」というものを発見する。
 ゲームの序盤でギルドに登録して手に入れていたはずなのだが、名前だけで使用することはないアイテムなので忘れていた。
 俺はアイテムボックスからそれを取り出すと、受付の女性に手渡した。

「これで大丈夫でしょうか?」
「あら、随分と古いギルド証をお持ちなのですね……」

 何気ない仕草で、受付の女性がギルド証の裏を見た。
 ──瞬間、彼女の動きが凍り付いたようにピタリと止まった。
 しばらく動きを止めた後、ゆっくりと眼鏡を外して目頭を揉み、「疲れているのかしら……」と呟きながら、またギルド証を見る。
 そして、また固まってしまう。
 何だか、このまま放置しておけば無限ループに入りそうな予感がした。

「何か問題でも?」
「ひゃいっ!」

 俺が声を掛けると、受付の女性が悲鳴のような可愛らしい声を上げた。
 うん、これがギャップ萌えというものだろうか。
 普段は真面目そうな女性にそんな声を上げられると、ちょっとキュンとしてしまう。

「す、すみません、少々お待ち下さい」

 顔を赤くしながらそう言うと、受付の女性は凄い勢いで奥へと走っていった。
 ちょっとした異変に興味を惹かれたのか、近場にいた魔法使い達がこっちを見ている。
 小心者なので、そんな風に注目されると背中がむずむずして落ち着かなかった。

 しばらくして受付の女性が戻ってくると、彼女は俺に向かって深々と頭を下げた。

「さ、先ほどは大変失礼いたしました! 奥で、ギルド長がお待ちです」

 近場にいた魔法使い達が、ざわっとなった。
「あいつは何者だ?」といった声が、ちらほらと聞こえてくる。

 魔法使いギルドの長は、人間ではなく天使である。
 普段は人間に気を遣ってか、あまり表に顔を出さない天使が、わざわざ直接会うのだという。
 そんな待遇を受ければ、注目されるのもしょうがない。

 何度も言うが、俺は小心者だ。
 内心ではガチガチに緊張しながら、俺は受付の女性の案内に従って、奥にある階段へと移動したのだった。

────────────────────

 長い長い階段を上って、塔の最上階にまでやってきた。
 日本にいた頃の俺ならばヘトヘトになっていただろうが、今は体のスペックが高いせいか、全然疲れを感じていない。
 俺を案内した受付の女性……ルアンナと名乗った彼女も疲れた様子は見せていないので、この世界ではこれぐらい普通なのだろう。

 ルアンナは短い廊下の中ほどにある、大きな扉の前に立つと、手の甲で控えめにノックをした。

「ギルド長、アデル・ラングフォード様をお連れしました」
「は~い。入ってもらって~」

 ルアンナが扉の向こうにいる者に声を掛けると、どこか間延びした言葉が返ってきた。
 上司の許可を得てルアンナが扉を開くと、俺は促されるまま部屋に足を踏み入れる。

 すると、背中に三対六枚の小さな翼を生やした天使が、満面の笑顔でこっちに駆け寄ってきた。
 長い金髪に碧眼の双眸をした、やや目尻の低いおっとりとした印象を受ける女性だ。
 興奮からか、乳白色の綺麗な翼がバサバサと動いて揺れている。
 ついでに、胸のあたりを大きく押し上げているそれも、たゆんたゆん揺れている。

 ……彼女いない歴十九年。
 女性に免疫がないので、つい目を逸らしてしまいました。
 こういう時、眼福だと素直に拝める勇気が欲しい
 彼女は俺の前に立つと、感極まった様子で、俺の手を両手で包み込むように握ってきた。

「もうアデルったら、久しぶりじゃない~」
「えっ?」
「もしかして、分からないのかしら? 私、ウリエルよ」
「え……えぇ!?」

 ウリエルという名の天使は、ゲームでも主要キャラの一人として登場していた。
 だが俺の知っているウリエルは、もっと幼い容姿をしていたのだ。
 ゲームでは彼女の翼は二枚だったし、胸部にあんな凶悪なものは実ってなかった。もっと背が小さくて、ツルペタだった。

 年齢が主人公と同じ設定だったため、てっきり合法ロリの類だと思っていたのだが……単に、天使の成長速度が遅いだけだったらしい。
 別に残念だとか、そういうことはない。
 決してない。

 彼女は上機嫌にニコニコとしながら、続けて気になる発言をした。

「ふふふ、あなたと会うのは、百六十年ぶりくらいかしら?」
「……百六十年?」
「そうよ~。どこかに隠居したらしいとは聞いていたけど、ちっとも顔を出してくれないから寂しかったわ~」

 さりげなく知らされた情報に、俺は顔に出さないよう努めながらも内心で驚いていた。
 どうやらここは、ゲームの物語があった時代から百六十年後の世界らしい。

 どうりで街並みが変わっているはずだった。
 家の庭などが荒れ放題だったのも、納得できる。
 というか、百六十年前から俺の外見が全く変わってないことに、疑問を抱かないのだろうか?

「俺が年を取ってないことに驚かないのか?」
「あら、いくら当時の私が子供だったからって、貴方が魔王を倒した時に不老の力を手に入れたことぐらい知ってるわよ」

 俺が知らなかったよ!

 いつの間に不老になんてなってたんだ……
 そういえば魔王を倒してクリアはしたものの、肝心のエンディングは寝落ちして見ていなかった気がする。
 立て続けに明らかになった新事実に、目を白黒させていると、ふとウリエルが不思議そうに首を傾げた。

「それにしても、アデルは何でそんな格好をしているのかしら?」
「え?」
「……ああ! 貴方の正体がバレると騒ぎになるものね~。アデルは昔から、目立つのが嫌いだったからね~」

 そう言って、うんうんと勝手に納得するウリエル。
 俺の服装のどこか変なのか教えて欲しいのだが、なんとなく聞きづらい雰囲気だ。
 そういえば、外でもギルドでも、随分と奇異な目で見られていた気がする。

「そうそう、ギルド証のことなんだけどね~。アデルが今持っているのって、古いタイプのギルド証で、今はもう使えないのよ」
「あ、そうなんだ」

 百六十年も経っているのだ。そういうこともあるだろうと、素直に納得する。

「それで、ギルド証を新しく発行することになるんだけどね。百年前に色々と規則が変わって、新規発行するには一つだけ条件があるの」
「ふむ?」

 ギルド証は、魔法使いがこの世界で快適に生きていくために、必要になってくるものだ。
 別にギルド証がないまま、もぐりの魔法使いとしてやっていけなくもないが……ギルドを利用できないのは、色々と不便ではあった。
 だがそのギルド証を再発行する条件は、俺にとって少々やっかいなもので……

「数日以内に誰でもいいから、弟子を取ってくれないかしら?」
「……弟子?」
「そう、弟子」

 手を握ったまま上目遣いで、何かをおねだりするような仕草をするウリエルに、俺は思わず頷いてしまったのだった。


<<つづく>>

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最強勇者の弟子育成計画
栖原 依夢
宝島社
2014-11-22

 

『最強勇者の弟子育成計画』第一話 目覚め

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 第一話 目覚め



 目を覚ますと、いつものベッドの上……ではなく、硬い机の上でうつぶせになっていた。

 頭を支えているのも、柔らかい枕ではなく自分の腕。
 けっこう長い時間眠っていたのか、ちょっと痺れている。

 腕に走るピリピリとした感覚に顔を顰めながら辺りを見回してみると、自分が住んでいる部屋ではない……だが、どこか見覚えのある内装が目に映った。

 年季の入った濃い茶色の木で造られた床や天井。
 分厚い本がギッチリと詰まった棚に、白い光の玉が浮いている不思議なランプ。
 パチパチと音を立てながら、中で火が揺らめいている暖炉。

 西洋アンティークな雰囲気の、心温まる良い感じの部屋だが……俺の部屋ではない。
 俺の部屋はもっと狭かったし、こんなにお洒落じゃなかった。

 俺が寝泊まりしていたのは、日本にならどこにでもある学生アパートの狭い部屋だったはずだ。
 壁に飾られているのは高価そうな絵画ではなく、お気に入りのアニメのポスターだった。
 棚の上に飾られているのは木彫りの芸術品ではなく、ポリ塩化ビニルとかプラスチック製のフィギュアだった。
 それが一体、どうして……?

 まだ覚醒しきっていない頭を懸命に働かせ、寝る前の記憶を掘り起こそうと試みる。
 たしか俺は、自分の部屋でゲームをしていたはずだった。
 人気RPGシリーズの最新作にハマり、通っている大学が夏休みだったこともあって、何日も徹夜でプレイしていたのだ。
 膨大な時間を使ってレベルを最大にまで上げ、あらゆるアイテムを揃え、おまけ要素も全てやり尽くしてから、ラスボスである魔王を倒しに行って──

 とそこまで思い出したところで、俺はこの部屋が、そのゲームの主人公であるアデル・ラングフォードの自室に似ていることに気が付いた。
 もちろんゲームなので、こんなにリアルには描写されていなかった。
 だがゲームを現実で再現したら、きっとこんな風になるだろうと思える。

「まさか……」

 俺はある可能性に思い至って、机の傍にある窓へと目をやった。
 今は夜なのか、外が暗いせいで瓶底のような分厚い窓ガラスに、自分の顔が映る。

「──っ、誰だよ!?」

 彫りの深いイケメン顔に、思わずそう叫んでしまった。

 いや、それが自分の顔なのは分かっている。
 だが現実の自分とはあまりにも違いすぎて、まるで見知らぬ他人が、窓の外からこの部屋を覗いているように見えたのだ。

 アデルの設定がゲーム通りなら、髪や瞳の色は日本人と同じ黒色だし、年齢も十九歳とリアルの俺とそう変わらないのだが……顔立ちは、完全に外国人のそれである。
 上背も高くなっているし、もはや元の俺の面影は欠片も残っていない。
 今は自分のものになっているアデルの顔が、どこか気味悪く思えた。

 俺はその嫌な気分を振り払うようにして、窓を開け放つ。
 月明かりの下、広い庭を挟んだ向こうにとした森が見えた。
 ここがアデルの家ならば、あれは幻幽の森と呼ばれる場所のはずである。

「マジかよ……」

 空に浮かぶ月は二つ。
 幻幽の森からチラチラと立ち上る、六色に輝く精霊の光。
 間違いない。
 ここは、自分がハマっていたゲーム、【エレメンタル・スフィア】の中の世界だ。

「……痛い」

 確認のために頬をつねってみたが、ちゃんと痛い。
 どうやら、夢ではないらしい。

 俺はとした気持ちで、椅子の背に体重を預けた。

 なぜ?
 どうして?
 一体、何が起こった?
 元の世界の俺はどうなっている?

 様々な疑問や不安が頭に浮かぶが、当然答えは出ない。
 しばらく混乱したまま椅子に座り込み、長い長い時間をかけて、ようやく俺は「何も分からない」から、「今は考えてもしょうがない」という結論に至った。

 きっと、頭の良い人間ならもっと早く割り切るのだろう。
 だが、俺は凡人なのだ。
 こんな時は、つくづくそう思う。
 追い詰められるとやたら理屈っぽくなるが、建設的なことは何一つ言えず、口から出るのはプライドを守るための屁理屈ばかり。
 俺は自分を、そんなちょっと情けない人間であると思っていた。

 自虐で危うく気分が落ち込みそうになったので、さっさと思考を切り替えることにする。
 ひとまず過去のことに結論が出たら、次に頭に浮かぶのは未来の話。
 分かりやすく言うと、「これからどうしよう?」という単純なものだ。

 油断すれば混線しそうになる思考の手綱を握るべく、考えるべきことをピックアップしてみる。
 今重要なのは、この世界で生きるための衣・食・住だろう。
 ゲームである【エレメンタル・スフィア】のことは知り尽くしているが、この世界の何もかもがゲームと一緒であるとは限らないのだ。
 一つ一つ確認していく必要がある。

 まず服はゲームでの装備品であった魔法使いのローブなどを着ているので、問題なさそうだ。
 強いて言うなら、実にゲーム的なデザインの装備品なので、ちょっと恥ずかしいということぐらいか……。
 ゲームのキャラが着ている分には、「なんか強そうで格好いい!」と素直に思えるのだが、実際にリアルで着ていると、単なる中二病のように思えてしまった。
 後で、できるだけ地味な服を探して着替えようと思う。

 次に確認するのは食。
 一人暮らしをしていたので、軽い自炊ぐらいはできる……のだが、一般的な大学生でしかなかった俺には、畑などを作って自給自足する知識はない。
 動物を狩っても、解体とかできる気がしない。
 下手に調理して、お腹を壊しても困るし。

 つまり今の俺が食べる物を手に入れるには、どこかで買い求めなければならないのだ。
 その費用のことを考えると、まとまったお金もいるだろう。

 そういえば、ゲームで貯めていたお金はどうなっているんだ?
 と、考えた瞬間、目の前に半透明なパネルのようなものが浮かび上がった。

 所持金 999999999G

 表示されたウィンドウは、ゲームと全く同じデザインをしていた。
 中に書かれてあった数字も、俺がゲームで貯め込んでいた金額そのままである。

 試しに念じてみると、手の中に金貨らしきものが一枚だけ出現して、所持金の表示が99999
9998Gになった。
 1Gにどれくらいの価値があるのか分からないが、一応金貨っぽいし、大丈夫じゃないだろうか? 流通しているお金がゲームと一緒とは限らないが……それならそれで、貨幣を交換する手段もあるだろう。多分。
 これだけあれば、近くに街さえあれば生活に困ることはなさそうだ。

 ふと所持金以外のことも気になったので、他にも何かないか色々試してみる。

 まず、アイテムボックスなるものはあった。
 中にはゲームで集めた装備品や消耗品がたっぷりとあり、出し入れ自由だ。
 どうやらクリア後の所持品が反映されているようで、レアなものから平凡なものまで、ゲームにあったものは全て取り揃えられている。

 メニュー画面からは、料理スキルも選択できるようだった。
 それに使える食材もアイテムボックスの中に入っていたが、これは腐ってしまわないか不安だ。
 今はこのまま中に入れておいて、駄目そうなら他に移すか処分するかしよう。

 あと、マップ表示もできた。
 真ん中に表示されている黒い点が俺で、今は他に何も映っていない。
 これがもしゲームと同じなら、人や魔物が近付いてきた時、敵意を持っているなら赤、味方なら緑、それ以外は灰色で表示されるはずだ。
 自分を中心として半径二十メートルぐらいの範囲しか表示されないので、今はあまり役に立たない。

 ステータスも表示されたのだが……これはゲームと違い、随分と様変わりしていた。
 HP、MP、知力、敏捷、筋力、精神といった項目が消え、代わりに魔力、肉体強度、感応値の三つが追加されていたのだ。

 魔力値  1789
 肉体強度 1421
 感応値  2300

 ……これは多いのか少ないのか判断がつかない。
 自分の記憶が正しければ、MPと魔力値の数字が同じなので、MP=魔力値なのだろう。
 他の項目は……肉体強度はともかく、感応値が何なのかよく分からない。
 これは追い追い、調べる必要がありそうだ。

 ひとまずステータスのことは置いておいて、次に俺は家の中を見て回った。
 だいたいはゲーム通りの造りをしていたが、家の中はともかく、外はめちゃくちゃ荒れていた。
 薬草などの生産に使っていた畑は、長く伸びた雑草に埋もれていたし、飼っていた家畜は全て姿を消していた。
 柵がほとんど崩れてなくなってしまっているので、逃げ出したのだろうか?

 逆に、家の中はちょっと不気味なほど綺麗だった。
 どこにも、埃一つ落ちてない。
 まるで、時間が止まってしまったかのような印象を受ける。
 もしかして、そういう魔法でもかかっているのだろうか?

 整いすぎて生活感が薄いのが気になるが、住に関しても心配することはなさそうだった。
 生きていくための全部が揃っている。
 寝床なんて、元の薄い布団なんかよりも、ずっと柔らかそうなベッドがあった。

 一通り確認して気持ちに余裕ができると、今さらながら……本当に今さらながら、胸の奥からジワジワと歓喜が湧き上がってくる。
 何せ、ファンタジーである。
 書籍でもゲームでも、俺はファンタジーが大好きだったのだ。
 しかもここは、俺がのめり込んでいた【エレメンタル・スフィア】の世界。
 もう元の世界に帰れないかもしれないという不安よりも、この世界に対するワクワクとした気持ちが勝り、俺はジッとしていられなくなった。

 まずは魔法を試してみようと、庭先に飛び出した……のだが、そこでふと気が付く。

 どうやって魔法を使えばいいのだろうか?

 ゲームなら敵と対面した時に戦闘画面に移行するのだが、念じてみてもコマンドは出てこない。
 アデル・ラングフォードは、凄腕の魔法使いという設定だ。
 だからか、身体能力の方はそれほど高くない。あくまで、魔法の力と比べたらの話だが。

 つまり魔法が使えないとなると、最大の取り柄がなくなってしまう。
 俺は、顎に手を当てて考え込み……ふと、戦闘の時にあったシステムを思い出した。

【エレメンタル・スフィア】では、主人公が魔法を使う際、ちょっとしたパズル要素があるのだ。
 それは有名な某落ちゲーに似ているもので、集まってくる六色の玉……赤、緑、青、茶、黄、黒のうち、同じ色の玉が四つ揃えば消えるというものである。

 例えば火属性の魔法が使いたければ赤の玉を、水属性の魔法が使いたければ青の玉を集める必要があり、難しい魔法であればあるほど、多くの玉が必要になってくる。
 使おうとしている魔法に必要な数を揃えられなければ魔法は失敗するし、もたもたしていると敵に反撃されたりもする。
 二属性の魔法を同時に使いたければ同時消し、連射したければ連鎖などといった小技もあった。

 ゲームの中では、それらの玉は魔法使いにしか見えない精霊だという設定だったはずだ。
 試しに俺は、その精霊を集められないか念じてみる。
 すると、どこからともなく現れた光の玉が、俺の眼前に集まり出した。

 俺は某落ちゲーも、ネット対戦で上位に入るほどにやり込んでいる。
 その気になれば長い連鎖や同時消しもやれそうだが、今回は赤い玉を四つ揃えるのみにしておいた。
 四つの赤い玉が融合し、弾けるようにして消えたところで、頭に浮かんだ火の呪文を読み上げる。

「【ファイア】」

 夜の闇の中に、ボッと明るい火が灯った。
 指先に灯ったそれに、目を見開いて凝視するも、すぐに消えてしまう。
 だが今、俺はたしかに魔法を使ったのだ。

 ……やばい、楽しい。

 もう、めちゃくちゃ興奮した。
 現実では絶対にありえなかったことが、この世界では当然のようにできるのだ。
 元々、寝る時間を惜しむほどに大好きだったこのゲーム。
 この世界で、やってみたいことがどんどん増えてくる。
 ひとまず今は、使える魔法がどんな風になっているか、順番に確認していこう。

 こうして俺は、そのまま朝を迎えるまで、様々な魔法を試していったのだった。


<<つづく>>

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最強勇者の弟子育成計画
栖原 依夢
宝島社
2014-11-22

 
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