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2014年12月

神様は異世界にお引越ししました 重版御礼SS

kamisama

太陽神アンバレンス(以下 あ)「いやー。増刷が決まりました。おめでとうございます」
見直された土地 土地神 赤鞘(以下 赤)「おめでとうございますー」
あ 「こうね! 増刷とかするとこう、なんかすごく良いらしいですよね!」
赤 「どう良いんだかいまいち分からないですよね、興味がないと」
あ 「分かりやすくいうとですね。元々用意して多分が足りなくなったから、追加で作る!
 ってことなんですよ」
赤 「それだけ多くの人に、『神様は異世界にお引越ししました』を、読んでいただいてるっ
てことですねぇー」
あ 「ありがたいですねー」
赤 「嬉しいですねぇー」
 「いやー、ホントありがたいですねー。もうありがたすぎて、クリスマス返上でありが
たがるレベルですよ!
(収録はクリスマス前に行っています)
赤 「ほんと、え、そう、あれ、関係なくないですか?」
 「いやぁー、もうほんとねー。クリスマスで浮かれてる奴ら爆発すれば良いのに」
赤 「え、アンバレンスさんクリスマス知ってるんですか?」
 「地球でねー、パーティーやるからってぇー、あつまったんすよぉー」
赤 「はぁはぁ。何処でやったんです?」
あ 「新宿ですよ、新宿」
赤 「新宿って、わざわざ地球でやったんですか?」
 「もうねぇー! カップルばっか! カップルばっかなの! 燃やし尽くしてやろうか
と思いましたねっ!」
 「まあ、皆さん幸せなのは良いことじゃないですかぁー」
あ 「俺のっ! 幸せがっ! ないっ! 圧倒的にないっ! 皆無! 彼女! 欲しい!」
赤 「えー。でも最高神ってモテそうじゃないですかぁー」
 「普通はそうなんでしょうけどねっ! もうね、仕事とかねっ! 他にも色々な要因が
あってね! 主に性格なんですけど! チクショウ!」
赤 「まぁまぁ、落ち着いて」
あ 「くそう! こうなったらクリスマス撃滅団を組織して地球に急襲かけてやる!」
赤 「落ち着いて! アンバレンスさん本当にやりそうなんですから! 洒落になりませんて!」
あ 「いいんだっ! サンタクロースを襲ってプレゼント強奪するんだ! そしてすべてのプレゼントに悪いカップルを八つ裂きにする絵本を入れる!」
赤 「駄目ですよそれ! 駄目なヤツですよ!」
あ 「いいんだいいんだ……! どうせ誰も隣にいないクリスマスなんて……! あ、そういえば赤鞘さんはクリスマスとかどうだったんです? 地球時代」
 「切り替えはやっ! え? ええとですね、あー。でも殆ど覚えないですねぇ」
 「え? 日本なのにですか?」
 「ほら。私ずっと農村部の小さな社にいたじゃないですか。クリスマスとかがメジャーになる頃には、大分寂さびれてきてまして。にぎやか、って感じでは無かったですねぇ」
 「へー。まあ、あの規模じゃあ、普通のお祭ならともかくって感じですか」
赤 「そうですねぇ。ああ、でも、一つ覚えてる事がありますよ」
あ 「お! どんなんです!?」
 「弟さんとお姉さんのご姉弟さんがいたんですけどね? クリスマスのプレゼントを、私の所にお願いに来たんですよ。それが、おかしくて」
 「おかしい?」
 「ええ。お姉さんは、いつも手伝いをしてくれる弟さんに。弟さんは、いつも迷惑をかけているお姉さんに。プレゼントをあげてくださいって」
あ 「へ、へぇー……」
赤 「もちろん私じゃ、そういうのは叶えてあげることはできませんけどね」
 「まあ、分野が違いますしね」
赤 「その代わり、きちんとサンタさんには伝えましたよ」
あ 「え。知り合いなんです?」
赤 「はい。一応土地を通過する許可を出す事になりますし。お二人の希望が叶ったようでしたし、本当に良かったです」
 「あ、なんか、ごめんなさい。生まれてきてごめんなさい」
 「ええ?! いや」
あ 「俺は……俺はなんて煩悩にまみれた神なのか……!」
赤 「大丈夫ですよ! 普通ですよ! 羨ましがるのはっ!」
 「赤鞘さんも羨ましがるんですか」
 「私一回死んでるので。ほら、死んでから神様になってますし。ソッチ系の欲求とは無縁なもので」
あ 「くっ! こうなったら、アレをゲットして清い心を手に入れるんだっ!」
赤 「あれですか?」
あ 「そう。そうです! 手に入れれば心が洗われるような気分になると評判の本! 『神様は異世界にお引越ししました』一巻二巻です!」
赤 「え、そうつなげるんですか!?」
 「というわけでクリスマスプレゼントにも最適な『神様は異世界にお引越ししました』、ぜひお買い上げください」
 「ええ!? あ、よろしくお願いしますー」
あ 「お年玉でもいいのよー!」

【完】

戦塵の魔弾少女 特別短編 ラスト・ワン 第三部(終章)

burret

 第三部


 私は朝の光が嫌い。すべてを照らしてしまうから
 私は夜の闇が嫌い。すべてを隠してしまうから
 私は私の目が嫌い。見たくない世界が見えてしまうから
 だから、もっと世界がきれいだったらいいのに
(マーガティの詩集『Never』より)


1 作戦立案


 ルーベルとエルヴィンの騒動から一週間が経過した、革新世紀(E・A)七二年三月二一日の正午過ぎ。
 昼食を終えたリッカとルーベルが部屋で寛いでいると、とんとんとノックの音がした。
「はい、どなたですか?」
 リッカがドアを開けると、児童福祉施設の廊下には少々不釣り合いな、スーツ姿の男性が立っていた。
「やあ、元気そうだね」
 にこやかに手を上げた男性は『世界平和条約機構(W・P・U)』大使、ノーマン・アドルソン。ヴァレオンの戦いの後、離れ離れになっていたリッカとルーベルを引き合わせる手引きをしてくれた、二人にとっては恩人と呼ぶべき相手だった。
「ノーマンさん、こんにちは」
「マレアから報告は聞いているよ、よくやってくれているみたいだね。……入ってもいいかな?」
「はい、どうぞ。ルー、ノーマンさんですよ」
 ノーマンを部屋に入れる。
「……こんにちは」
「こんにちは。ルーベルさんは、その後はどうですか?」
「大丈夫です」
「そうかい」
 ルーベルの愛葬のない受け答えに、ノーマンが微笑みを返す。
「ずいぶんきれいにしているね」
 部屋の様子を見たノーマンが、感心した様子でそう言った。もともと物が少ないことも確かだが、確かに室内はしっかりと整頓されている。
「散らかっているのは落ち着かないんです。その、物をきちんと整理しておく習慣がついているので……」
 リッカの受け答えは少し歯切れが悪い。訓練時代に、迅速な作戦行動のために物はきちんと片づけるよう徹底して仕込まれた、その名残だった。
「部屋がきれいなのはいいことだよ」
 気まずげなリッカを気遣うと、ノーマンはベッドに座ったままのルーベルに近寄り、ルーベルが抱いていたクマのぬいぐるみ(マーヤ)の頭をぽんぽんと撫でた。
「ぬいぐるみも、大切にしているみたいだね」
 ノーマンはにこりと笑った。
「あの、今日はなにかご用ですか?」
「いや、特には。様子を見せてもらおうと思ってね。でもよかったよ、僕が思っていたより、ずっとしっかりやってくれているみたいだから」
「そんなこと」
 先日も、同じ施設内の少年と諍いを起こしたばかりなのに。リッカが顔を伏せると、それも知っているよ、と言いたげな顔をしてノーマンが言った。
「みんな、辛い境遇を過ごしてきた子たちばかりだからね。やっぱり、自分の気持ちを抱えきれない子も少なくない。他の施設でも、ケンカや言い争いがないわけじゃないよ。でも、みんなちゃんとここにいてくれている。僕は、まずはそれが大事だと思ってる」
 少しくらいなら、ケンカだってお互いのことを知るきっかけにもなるしね。そう付け加えて、人の好い笑みを浮かべるノーマンである。
「ところで、ここでの生活で不便なことや困っていることはなにかないかな? 必要なものがあれば、いつでも支援はできるのだけど」
「わたしは特には。ルーベルも大丈夫だと思います」
 ルーベルの肩に手を置いてリッカが答えると、ルーベルもこくりと頷いた。
「そうなのかい。じゃあ、なにかあったら遠慮せずに保護司に相談すること、いいね?」
 むしろもっとわがままを言えと言いたげなノーマンだった。
「はい」
「じゃあ僕はそろそろ――」
 と、ノーマンが部屋を出ていこうとした、その時だった。
「ノーマン様、こちらでしたか」
 慌ただしい足音とともにやってきたボディガード風の男が廊下からノーマンを呼んだ。
「どうした?」
「今、連絡があったのですが……」
 ぼそぼそと耳打ちをする。
 ――フォレア村の少年を移送していたバスが聖帝派にジャックされたそうです。移送に関わっていた職員は殺され、少年は人質に取られたとの報告です。
 ――なんだと、本当か?
 ――はい、聖帝派は人質解放の条件として、選挙の無期限延期と収監されている軍関係者の釈放を要求してきています。
 ――とても呑める条件じゃないな。人質救出作戦は?
 ――『平和維持軍(サルバトール)』がすでに現場に向かっていますが、聖帝派は走行不能になったバスに人質を取って立てこもっているようです。爆薬が運び込まれた形跡もあり、自爆覚悟の犯行ではないかと。
 フォレア村の生き残りの男の子が人質にされた? 意図せず聞き取ってしまった二人の会話を理解した瞬間、手を置いたルーベルの肩からも緊張が伝わってきた。
「あの、ノーマンさん。今の話は本当なんですか?」
 二人の会話を聞いてしまったリッカは、話に割り込むように声をかけた。
「リッカさん? 君、今の、聞こえて――?」
 ノーマンが驚いて、すぐにそうだったと理解した顔になる。普通ならばとても聞こえない小声での会話でも、魔法強化兵(マギナ)として強化された聴力を持つリッカとルーベルにはしっかりと聞こえていた。
「……そういえばそうだったな」
 失念していた、とノーマンが額に手を当てた。
「ノーマンさん」
「ああ、『世界平和条約機構(W・P・U)』の情報だ、事実だろうね」
 聞かれた以上は隠さない方がいいと考えたのか、ノーマンは正直に認めた。ノーマンはすぐにボディガード風の男に向き直り、
「君は先に車に戻って、詳しい状況の確認をしておいてくれ。僕もすぐに戻る」
「は? しかしそれは」
「いいね」
「……了解しました」
 半ば無理やりに男を外に出した後、ノーマンが部屋のドアを閉める。
「聞こえたなら、その通りだよ。フォレア村の事件を生き残ったたった一人の少年が人質にされた。本人が遠隔地での生活を希望してね。その移送が今日だったんだが、その途中を狙われたようだ」
 ノーマンは重たげな声で言うと、深く息を吐いた。
「犯行グループは旧バラトルム軍の残党――自称バラトルム愛国戦線。我々が聖帝派と呼んでいる集団で、要求は選挙の無期延期とガエン政権の戦争犯罪にかかわった人物の釈放。現在は移送に使っていたバスに立てこもっているらしい。交渉期限は五日だ。――ああ、くそっ!」
 ノーマンが頭をかきむしって声を荒げた。
 その苛立ちを見るまでもなく、これが困難な人質救出作戦になることはリッカにも容易にわかる。犯行グループはおそらく自爆覚悟、要求が受け入れられないとなれば人質の殺害も厭わないだろう。この状況下で、バスに立てこもっている複数犯を遠距離から同時に、人質を危険にさらすことなく無力化するなどほぼ不可能だ。
「……あまり時間もないが、とにかく僕も出来ることをしないと。もう行くよ」
「時間がない? 期限は五日でも、交渉次第で引き延ばしなら――」
「事件収束まで五日はかからないよ。その前に強硬派が動く。彼らなら人質の生死は問わずにテロリストの無力化を優先するだろうね。掃討作戦を加速させるために旧バラトルム軍残党の非道を世間に見せつけることができると、むしろ、喜んで人質を見殺しにするかもしれない。そうしたいがためにわざと移送のスケジュールをもらして聖帝派をたぶらかした人間がいたとしても不思議じゃないくらいだよ。移送計画の失敗について融和政策派の責任を追及し、自分たちは残党狩りの大義名分を得る、一石二鳥さ」
「そんな……」
 リッカは絶句した。
それはまるで、彼らが討ったガエン政権のようなやり口だと感じた。
「『世界平和条約機構(W・P・U)』も一枚岩じゃないからね。加盟国が増えて、組織が大きくなりすぎた。考え方の異なる複数の勢力が権力争いをしているのが実情だよ」
 ノーマンは諦観の混じった声で言うと、じゃあ、と今度こそ部屋を出ていこうとする。
「待って下さい」
 リッカは部屋を出ていこうとしたノーマンを呼び止めた。
「わたしに、なにか手伝えることはありませんか?」
「リッカさんが?」
「フォレア村のことは私も無関係ではありませんから。たった一人でも生き残った人がいるなら、守りたいです」
「……」
 ガエン政権の戦争犯罪を解明する過程でおおよその事情を把握しているノーマンだから、フォレア村の虐殺を生き延びた少年に対してリッカが何らかの責任を感じているということはわかる。
 だとしても、子供を戦場に送るなど、彼の立場としてはありえない。が――
「……ルーも」
 きゅっと、ルーベルがリッカの服を掴んだ。
「ルーも、お手伝い、する」
「ルーベルさんまで」
 ノーマンはもうあきれてものが言えないとばかりに天井を仰いだが、少女二人の真剣な眼差しを受け、表情を引き締めた。
「返事をする前に一つだけ聞かせてほしい。これで死んでも構わないなんて、そんなことを思っていないだろうね?」
「クラリーが残してくれた命です。粗末にしたら、向こうで叱られてしまいます」
 ノーマンは長い長い沈黙の後、
「……わかった。絶対に死なないと約束してくれたら、後の責任は僕が取るよ。でも、作戦はあるのかい?」
「はい、私に考えがあります」
 リッカは少年を救出するための作戦をノーマンに伝えた。
 



 2 リュミエイラの作戦記録④ 転戦


 革新世紀(E・A)七二年三月二一日。
 潜伏していた森を離れた私は、ヴァレオンとは逆方向に進んだ。
きっと友軍はバラトルム各地に分散して、反撃の機会をうかがっている。おそらくは、地図にも載っていないような小さな村や集落を利用しているだろう。敵軍が駐留している大きな街を避けて友軍を探すべきだ。
「まずは服の調達かな……?」
 小枝に引っ掛かってほつれたり裂けたり、私の服装は三カ月以上に及んだ森林生活ですっかりぼろぼろになっている。もともと服も靴も作戦行動用の飾り気のないものだし、少なくとも私の年頃らしい服装ではない。どこに敵の目があるかわからないのだ。目立つ格好でウロウロするわけにはいかない。
 全身を一からコーディネートする必要はもちろんない。が、他人の目から見て違和感を感じられない程度の服装はしておいた方がいい。
 私はバラトルムの地図を思い浮かべて、今の居場所と近隣の都市、村落の位置を照らし合わせる。
「ここから西か」
 現在位置から西に十キロくらい先にコルデオという町があるはずだった。そこなら服と靴くらいはどうにかなるだろう。問題は、『平和維持軍(サルバトール)』の駐留が考えられることだが――
「まあ、コルデオに行ってから考えるしかないか」
 私は頭の中の地図を頼りに歩きはじめた。
 平地を二時間ほど歩き丘を一つ越えたところで、記憶していた通り、コルデオの街を見つけた。
 丘の上から石やレンガ、木材で作られた町を見下ろし、ヴァレオンは栄えていたのだなと改めて思う。ヴァレオンには三、四階建ての建物はいくらでもあったし、それ以上の物もあった。遠目に見ても、コルデオには二階建て以上の建物がない。その分、というか、落ち着いた雰囲気を感じる町だ。
「まだ陽が高いか……」
 太陽はまだ、頭上から傾き始めたばかりで、人目の多い町に行くには明るすぎる。
私はこの丘で夕方を待つことにした。
「『暗いのは嫌い。明るくなると目が眩んでしまうから』」
 私は丘に伏せ周囲を警戒しつつ、マーガティの詩の一節を諳んじる。
「『明るいのは嫌い。暗くなるとなにも見えなくなってしまうから
だから目を閉じるのが好き。明るくても暗くても同じだから』」
 私がマーガティの詩を諳んじていると、『魔法強化兵部隊(レクスマギナ)』第三分隊のみんなによく「暗い」とか「後ろ向き」だとからかわれたことを思い出す。
 ――みんな、か。
 私は空を見上げた。太陽が少しずつ、西へと流れていく。
 死後の世界が本当にあるなら、死んだら私もみんなと同じところに行くのだろうか。もしそうなら、死ぬのも悪くないと思う。
「でも、今はまだダメか」
私はまだ死ねない。お姉ちゃんが命がけでこの国のために残してくれた命だ。この国のため以外に捨てることはできない。
 ただただ、太陽が西の空に去って行くのをじっと待ち、夕闇が世界を覆い始めた頃、私は丘を下ってコルデオの町に入った。


コルデオに入ってから、私は真っ先に服屋を探した。町を歩くまでもなく、ボロボロの服でうろつくのはいかにも目立つとわかったからだ。
すれ違う人たちがいちいち私を痛ましそうに見てくる。正直いい気はしないので、上に羽織るものだけでも調達してまずは目立たない身なりを整えよう。
服屋を探していた私は、町中を歩く二人の兵隊の姿を見た。
見慣れないが、はっきりと記憶にある軍服――『平和維持軍(サルバトール)』の軍服――を着た兵士が突撃銃を下げている。二人で歩いているところを見ると、町のパトロールだろう。
「こんな小さな町にも『平和維持軍(サルバトール)』の駐留部隊が……」
それとなく身を隠した私は内心で舌を打った。私が森に身を隠していた四カ月で、想像以上に国土を敵に掌握されてしまったのだと改めて思い知る。
「なあ、移送中だった少年が拉致されたって話、マジなのかな?」
「それで動いてる部隊があるからな。でも極秘のスケジュールだったんだろ?」
「狙われるってわかりきってるんだから、そりゃあそうだろ」
「でもさ、それならなんで――」
 何事かを気楽に話しながら、二人の『平和維持軍(サルバトール)』の兵士は通りを歩いて行った。
『平和維持軍(サルバトール)』がいるとなれば絶対に騒ぎは起こせない。私は路地を曲がると薄暗い裏通りを選んで服屋を探した。
「あ、あそこは仕立て屋かな?」
裏通りにそれらしい店を見つける。まだシャッターは下りておらず、店内から明かりが漏れている。
 私は周辺に人目がないことを確認してから、そっと店内の様子をうかがった。店内は広くないが、棚やハンガーを下げるラックがいくつも置いてあり、奥のカウンターから死角になる部分は多い。
「これなら大丈夫か」
 店の奥からは話し声が聞こえている。おそらく店主と常連客だ。話が弾んでいるのか楽しげな声がする。ならば周囲に気を払ってはいないだろう、好都合だ。
 私は姿勢を低くして、足音を忍ばせて店内に忍び込む。入口に近く、だが外からもカウンターからも死角になる場所に滑りこむと、音を立てないように細心の注意を払って、ハンガーからコートを外した。
 服の隙間に身を隠して周囲の様子を確認してから元のルートを通って外へ出ると、人目の届かない裏通りの物陰へ。
「男物だったんだ……まあ贅沢は言えないね」
 拝借したコートは男性用だったが、まずはこのボロボロの服を隠すことが大切だ。裾が脛まで届いており私の身の丈には大き過ぎるのだが、今はこれがちょうどいい。
私はコートを着て、後は何食わぬ顔で歩き出した。
 もうすっかり陽が落ちた後なのに、通りの人気は少なくない。買い物の荷物を抱えている人もいれば、路上で立ち話をしている人もいる。
 国土が他国の軍隊に蹂躙されているというのに、呑気なものだ。
 私は楽しげに話している二人の中年女性の横を通り過ぎる時、その会話に聞き耳を立ててみた。
「最近は物が多くなってくれたから買い物が楽になったわねぇ」
「物騒な事件もずいぶん減って、安心して家から出られるものね」
「『世界平和条約機構(W・P・U)』が来てくれたからだってウチの夫が――」
 そんな話をしていた。
「……」
 ――この間まで聖帝様の庇護の元で生きていたくせに。
 各地の都市や帝都を守るために命をかけて戦った人間がいることも考えず、別の強者が現れたら喜んで尻尾を振る。
これが民衆かと思わずにはいられない。
「ちょっと、君」
 大衆の軽薄さに苛立ちながらコルデオの通りを歩いていたら、後ろから声をかけられた。
「はい?」
「一人かい? もう暗いぞ。こんな時間にどうしたんだい?」
 ――『平和維持軍(サルバトール)』!
 私は反射的に懐の『ケルベロス』を抜きそうになった手を、すんでのところで止めた。
「迷子か? 買い物でも頼まれたのかい?」
「は、……いえ」
 咄嗟のことに頭がついてこない。私のしどろもどろな対応に平和維持軍の兵士が気遣わしげな顔をした。
「君、どうした? 大丈夫か?」
「そうだ、お腹空いてないか? チョコレート食べるかい?」
 兵隊の一人が笑顔を作って、ポケットからチョコレートを取りだした。私の手に持たせようとしたのか、気安い手つきで私の手に触れようとし――
「触らないでっ!」
思わず手を引いて、私は声を荒げていた。
「えっ? ああ、いや、これは失礼」
 私の怒鳴り声を浴び、チョコレートを手にした兵隊がうろたえた声で詫びた。自分の厚意がなぜ拒まれたのかわからないといった顔だ。
「私に構わないでください」
 私は彼らに背を向けて歩き出した。
 そうだ。この連中と関わることはない。『平和維持軍(サルバトール)』は敵だ。聖帝様の国土を汚し、お姉ちゃんや『魔法強化兵部隊(レクスマギナ)』の仲間たちを殺した敵なのだ。
「でも、君――」
 しつこく食い下がってくる声に苛立ちが募り、私はつい足を止めた。
「……あなたたちが来なければ、お姉ちゃんは死ななかったのに」
 ぽつりと、だがはっきりとそう呟くと、背後で二人が竦み上がる気配を感じた。
 彼らが私の言葉をどう受け取ったのかはわからない。だが、少なくとも、立ち去ろうとする私の後ろ姿が怒りに震えていたことは間違いないだろう。
私が再び歩き出しても、彼らはもう追いかけてこようとはしなかった。
 私は頬を伝う涙をコートの袖で拭う。
 ――悔しい。
悔しい。ただ、悔しい。
 国土を踏み荒らし、お姉ちゃんと仲間たちを殺した軍隊が大手を振って町を歩いていることが悔しい。それを平然と受け入れている人々が見るに堪えない。だが、ここで私一人が暴発したところで出来ることは限られている。
 自分の無力さに絶望すら覚えるが、それでも出来ることを探すしかない。
 とにかく今は情報を集めつつ、友軍との合流を目指す。
 脳裏をよぎる敗戦の二文字を懸命に振り払いながら、私は夜通し、次の町を目指して歩き続けた。
 私の戦いはまだ終わらない。
 



3 救出作戦


 革新世紀(E・A)七二年三月二二日の昼前、リッカは森の中を進んでいた。
 目指す先は、スターリアよりもさらに南西に進んだ先の平野部――人質事件の起きた現場である。
 前後の道路は『平和維持軍(サルバトール)』により封鎖されているため、封鎖地点の手前でノーマンが手配してくれた車を降り、道路北側の森を通って事件現場を目指していた。
「ルーベルは大丈夫でしょうか……?」
 頬を引っかく藪を払いながら呟く。ファザーフで再会してからの約五カ月はほとんどの時間を一緒に過ごしてきた。ルーベルとの別行動は久しぶりだ。
今頃はもう現場北側の丘の上で待機しているはずだが、今のルーベルを一人にして大丈夫なのか。
ルーベルは――リッカもだが――帝都防衛戦の日からまったく銃に触れていない。銃に触れることで『魔法強化兵部隊(レクスマギナ)』のこと、フォレア村でのこと、ロイゼのことなど、思い出したくないことを思い出してしまうのではないか。
これから実行しようとしている人質救出作戦よりも、そちらの方が気になっていた。
 とはいえ、もう作戦は動き始めている。自分から手を挙げたルーベルを信じるしかない。
――今は人の心配よりも、自分のことですね。
 リッカは自分で頬を叩いて気持ちを切り替えた。この作戦でルーベルの身に危険が及ぶことはほぼあり得ない。だがリッカは一歩間違えば命を落とすのだ。
 死ぬわけにはいかない。残されることになるルーベルのためにも、生きることができなかった仲間たちのためにも、何より、すべてを投げうってリッカを救ってくれたクラリーのためにも。
 リッカが人質の少年の知り合いの振りをして聖帝派に接触すれば、聖帝派はいつでも殺せる二人目の人質としてリッカを拘束するはずだ。
人質になった振りをして聖帝派が立てこもるバスに侵入し、リッカが少年を救出。ルーベルの遠距離狙撃で聖帝派を足止めし、少年を連れて逃走する。
それがリッカの立てた作戦だった。
作戦に必要な装備、人員はノーマンが手配してくれた。どう手回しをしたのかは知らない。だが彼はすべてを一日で揃えてくれた。
もちろん、年端もいかぬ少女に装備を与え死の危険がある作戦に従事させたことが明るみに出ればノーマンは『世界平和条約機構(W・P・U)』大使の役職を失うことになるだろうが、
「まあ、大人の世界にはいろいろあるからね」
 なんて笑っていた。彼に迷惑をかけないためにも迅速に行動し、『平和維持軍(サルバトール)』とは無関係なところで作戦を完了させなければならない。
「そろそろですね」
 森の中を進んでいたリッカは藪に身を隠して、周辺の様子を確かめる。事件の現場は南西の国境から隣国へと繋がっている道の途中で、視界の通った開けた場所だ。
「……あそこですか」
 現在位置から百メートルほど先。道の真ん中に鎮座したバスと、防弾盾を構えて遠巻きにバスを取り囲む『平和維持軍(サルバトール)』の兵士たちが見えた。もちろん誰一人として、茂みに隠れているリッカには気づいていない。
 聖帝派が立てこもるために補強したのだろう、バスのすべての窓には格子状に金属板が取り付けられている。出入りに使えるのはバスの前方にある昇降口だけのようだった。その周囲には移送に関わった『世界平和条約機構(W・P・U)』職員の死体が見せつけるように放置されている。
 犯行グループの総数は把握できていないとノーマンが言っていたが、窓の隙間から見た限りでは十人前後。全員が銃や爆発物を持っていると考えたら、あのバスの中から人質を救出するのはほぼ不可能だった。
 ――どうしてでしょう。
 これからその困難に挑もうとしているというのに、リッカの心はひどく落ち着いていた。
張りつめた雰囲気、漂う緊迫感。肌で感じる戦場の空気に不思議と懐かしさに似た気持ちすら覚え、そんな自分に少し戸惑う。
 ――大丈夫。
リッカは自分に言い聞かせる。胸に手を当てて静かに呼吸を整えると、ポケットに手を入れて携行品を確認した。問題ない、ちゃんとある。
「こちらリッカ、作戦を開始します」
 仲間に通信を入れるように呟いて、リッカは行動を開始した。
森を出て一直線にバスへと近づいて行く。バスを取り囲んでいる兵士たちはバスに集中しており、背後は全く気にかけていない。
「? おい、誰だ!」
「道路は封鎖してるだろ?」
 リッカが包囲の間を抜けてバスに駆け寄って行くと、突然現れた、この場にいるはずのない少女の姿を見た兵士たちが戸惑いの声を上げた。
「こら君、待ちなさいっ! 危ないぞ!」
「あの子、私の知り合いなんですっ!」
 リッカは制止の声を振り切って、バスに向かって叫んだ。
「オスカっ! 中にいるのオスカですよね! オスカっ!」
 リッカはノーマンから聞いておいた少年の名前を呼びながら距離を詰めていく。バスの昇降口まではあと十メートル。
「オスカを傷つけないで、解放して下さいっ!」
 あと五メートル。
「オスカっ!」
 あと三メートル。
「そこで止まれ」
 バスの中からの声。リッカはその指示に従って足を止めた。昇降口から、男が一人、半身を覗かせる。
「お嬢ちゃん、こんなところになんの用だい?」
 顔はうすら笑いを浮かべているが、手にはしっかりと回転式拳銃(リボルバー)を握り、銃口をリッカに向けていた。
「オスカを傷つけないで下さい。お願いです」
「お嬢ちゃん、ガキの知り合いか? 全滅した村の、たった一人の生き残りに知り合いがいるってのはどういうことだ?」
「事件の前に、村を離れたので」
「なるほど」
 男は、まあリッカの言い分の半分くらいは信じてやってもいいか、というような相槌を打った。なにしろ公表されていない少年の名前を知っているのだ。リッカの言葉には相応の説得力がある。
「で、どっかから噂を聞きつけてガキを助けに来たってワケかい。お嬢ちゃん優しいねえ」
「私が代わりに人質になりますから、オスカを許してもらえませんか?」
「それは無理な相談だな。いいかいお嬢ちゃん? あのガキの価値は、タダのガキの命一個分じゃない。政治的に、大きな価値があるんだ。お嬢ちゃんにはまだ難しいかな?」
 とはいえ、と男は続けた。
「わざわざここまで来てもらったんだ、ただ追い返すのも忍びない。バスの中には入れてやるよ」
 男はリッカに銃口を向けたまま、こっちへこい、と顎をしゃくった。入っていいとは言ったが、外に出す気はないだろう。
「……あの」
「いいからこいっつってんだろ! 撃ち殺されてぇのか!」
 ためらう素振りを見せたら、男が怒鳴り声を上げた。リッカはびくりと肩を竦める。
 これでいい。
 今のリッカは、見知った少年を助けようとしているだけのただの少女なのだから。
脅され、怯え、逆らえない。そんなか弱い少女だと思わせておけばいい。
「さあ、早くしなお嬢ちゃん」
「……はい」
 言われるがままを装い、リッカはバスの中に足を踏み入れた。
「くそ、人質が増えちまったぞ」
「そもそもあの子はなんだ? どっから来た? 道路の封鎖はどうなってるんだ!」
 外から想定外の状況悪化に混乱する『平和維持軍(サルバトール)』の兵士たちの声が聞こえてきた。リッカは少しだけ、彼らの仕事に横やりを入れたことを申し訳なく思いつつ、素早く車内の状況を確認した。
 ――十二人、ですね。
 聖帝派の犯行グループは十二人。みな、手にはグラディエーター社製と思(おぼ)しき銃や警棒、手榴弾などを持っている。
 各座席の足元には大量の爆薬。一人が倒れてもいいように、起爆スイッチは複数あると考えるべきだろう。
人質の少年はバスの中ほどにいて、目隠しと猿轡(さるぐつわ)をされている。後ろ手に縛られ、首につけた鎖で車内の手摺に繋がれていた。エルヴィンよりも幼く見える。十歳くらいだろうか。
「ほら、奥へ進めよ」
 乱暴に背中を押され、リッカは怯えた少女の姿を装いながらニヤニヤ笑う男たちの間を進んだ。
 この先、絶対に間違えてはいけないことは、守るべき命の優先順位。
人の命を奪ってでも守るべきは、少年と自分の命だ。
それが必要になった瞬間にためらうことがないように、リッカは心構えを作る。
「ほら、感動の再会だ」
 リッカが少年の元に辿りつくと、犯行グループの一人が少年の目隠しと猿轡(さるぐつわ)を外した。ぷは、と少年が息を吐く。
「大丈夫ですか?」
 リッカはそっとポケットに手を入れつつ、顔を寄せて少年に囁きかける。
「少しだけ目を瞑って、我慢していて下さい」
「……?」
 少年が不思議そうに首を傾げて、
「……お姉ちゃん、誰?」
 と言った。
「あん?」
 不思議そうに問い返した少年に犯行グループの面々が怪訝な顔をした瞬間、リッカがポケットから取り出した発煙弾が大量の煙を噴出させた。
「うおっ! なんだ?」
「煙? くそ、外からか?」
 一気に混乱する車内。リッカは『身体過剰活性(オーバーアクティブ)』を発動すると、少年を繋いでいた鎖を掴んで力任せに引き千切り、小柄な少年を抱えあげた。
「げほっ――ガキが!」
「逃がすなっ!」
 リッカの行動に気付いた数名が車内の通路を塞ぐが、リッカは構わずに駆け出した。
「行かせてくださいっ!」
行く手を塞ぐ男たちに渾身の蹴りを放つ。通路にいた三人の男がリッカの蹴りでひとまとめに吹き飛び、補強具とフロントガラスを突き破って車外に消えた。リッカは少年を抱えたまま男たちが開けたフロントガラスの穴を通って車外に脱出する。
「くそ、ガキを逃がすな! 撃ち殺せ!」
 まとめて車外に蹴りだされたうちの一人が、地面に倒れたままリッカに回転式拳銃(リボルバー)を向けた。背中に向けられた銃口の気配を感じつつ、リッカはただ走る。
銃を向けられても、恐怖は感じなかった。
――大丈夫。
「クソガキが! 死ねっ!」
 男が真っ直ぐ走るリッカの背中を撃とうとしたその瞬間、――ギィン! と、どこからか放たれた銃弾が、男の手から回転式拳銃(リボルバー)を弾き飛ばした。
遥か彼方――六百メートル後方の丘の上からの長距離射撃だった。続けざまに放たれた数発の徹甲弾が昇降口のステップやホイールに着弾し、バスから出てリッカを追おうとした聖帝派を釘づけにする。
「くそっ、スナイパーが――!」
 ルーベルが銃を撃つのは、これで最後になって欲しい。そんなことを思う間に、バスを包囲していた『平和維持軍(サルバトール)』の兵士たちの間を駆け抜ける。
人質の脱出を理解した『平和維持軍(サルバトール)』が聖帝派と交戦を始めたのだろう。ダンダン、タンタン――と遠くなっていく銃声を背後に聞きながら、リッカは少年を連れ、現場を離れていった。
現場から十分に離れすべての追跡を振り切った時点で、リッカは少年を抱えたまま道路沿いの森に入り『身体過剰活性(オーバーアクティブ)』を解除した。長く発動させていたため、髪が背中の中ほどまで伸びていた。
「もう、大丈夫ですよ」
抱えていた少年を下ろして、腕を縛っていた縄を解いてやる。ようやく自由になった少年は赤くなった手首をさすりながら、また、不思議そうにリッカを見た。
「あ、あのぅ」
「なにも言わないで下さい。あとはこれを」
 リッカは人差し指を立てて少年の言葉を止めると、ポケットから取り出した小さな機械のスイッチを入れて、少年の手に握らせた。
「お守りです。これをもっていたら、必ずおうちに帰れますから」
 それは位置情報を送信するための発信器だった。信号を確認次第、付近で待機している回収班が少年の身柄保護に動く手筈になっている。
「それじゃあ私は行きます。お守り、絶対に放さないで下さいね」
「あ、待って――」
 立ち去ろうとしたリッカは、少年に腕を掴まれて足を止めた。
「ありがとう、助けてくれて」
「……」
 この少年は知らない。
 この少年――オスカが一人になってしまったのは、リッカたちの部隊による攻撃によるものだということを。
 その攻撃がなければ、そもそも家族を失うことも、こんな事件に巻き込まれることもなかったのだということを。
 知らないのだ。
「……」
 罪悪感。
後悔。
そんな言葉だけではとても言いつくせない気持ちがリッカの胸に満ちる。それはただただ痛みとなって、リッカの胸を突き刺した。
 ぽとりと、涙が落ちた。
「……? お姉ちゃん?」
 リッカは不思議そうに首を傾げた少年の頭を抱いた。
「……ごめんなさい、ごめんなさい。許してなんて、言えないです。ごめんなさい」
「なんで? お姉ちゃん?」
 腕の中で少年がもぞもぞと動いている。リッカは少年の髪を撫で、もう一度ごめんなさいと詫びたあと、少年を解放した。
 少年に背を向け、走り出す。
 呼び止める声を振り払って、走った。
 ルーベルの待っている場所へ。


 事件の現場から六百メートル北側にある丘の上。
 リッカがルーベルの待機している狙撃地点に到着した時、ルーベルは狙撃銃――『SR43――アーバレスト』を抱えたまま、呆然と空を見ていた。
「ルー、お待たせしました」
「リッカ……お姉ちゃん」
 リッカが声をかけると、ルーベルが『アーバレスト』を投げ捨て、満足に動かない足を引きずるようにすがりついてきた。
 リッカにすがりついたルーベルは震えて、泣いていた。
 本人が望み自ら手を挙げたことだとしても、やはり、今のルーベルには過酷なことだったかもしれない。
小さな身体を震わせるルーベルを抱きしめながら、リッカは少し後悔した。
「ごめんなさい、ルー。辛かったですよね、ごめんなさい」
 狙撃銃を構え、スコープを覗く。
 それはきっとルーベルにとって、自分の過去の行いを見せつけられることと同義だろう。
 命令だったから。
自分の意志ではなかったから。
そんな理由だけで自分を許せるはずもない。
 ルーベルは、リッカの腕の中で泣いた。
泣いて、泣いて、ひとしきり泣いた後、泣きはらした目で、自分の瞳と同じ色をした空を見上げた。
「……ねえ、リッカお姉ちゃん」
「なんですか?」
「みんな、お空にいるんだよね? クラリーお姉ちゃんも、ラトナお姉ちゃんも、みんな、みんな、お空にいるんだよね?」
 リッカも、同じように空を見上げた。
「……きっと、そうだと思います」
 リッカは腕の中に収まっているルーベルを見下ろして微笑んだ。
そうだと思うというより、そうだったらいい、そうであってほしいと思う。
「……お花」
「お花?」
「……お花を、たくさん植えたい。お空にいるみんなに、きれいな景色が見えるように」
 なにかしたいと、ルーベルが口に出すのはずいぶん久しぶりのことで、リッカは一瞬、呆気にとられた。
「……そう、ですね。じゃあ、花壇を作って、お花をいっぱい植えましょうか」
 リッカは涙ぐみながら微笑んで、ルーベルを抱きしめた。柔らかな髪に頬をすりよせ、何度も何度も、髪を撫でた。
 うれしかった。
 ルーベルが望みを、希望を口にしてくれたことが、うれしかった。
「うん」
 少しずつでいい。
 償うことも、取り戻していくものも、少しずつでいいのだ。
 リッカはそう思った。



 4 リュミエイラの作戦記録⑤ 願い


 革新世紀(E・A)七二年五月二三日。
私の戦いは、まだ続いていた。
 帝都ヴァレオンの戦いからやがて約半年、潜伏していた森を離れてから約二カ月。
私はバラトルム各地を転々と回り、友軍の捜索を続けていた。
 でも、この頃はどうしたらいいのかわからなくなることが多い。
 歩く以外に移動手段を持たない私は、町から町へ移るだけでも結構な時間を浪費してしまうし、そうして辿りついた先には必ずと言っていいほど『平和維持軍(サルバトール)』の部隊が駐留している。
また、町の人々がそれを望み、受け入れているように見えることが、私を苛立たせるのだ。
「外国企業の工場で働くなんて……」
 見覚えのない看板をつけた工場が町のあちこちにある。外国企業がバラトルム人を工員として雇い、働かせている工場だろう。
 雇用、生活の安定。そんな聞こえのいい言葉に騙されて、真綿で首を絞めるようにじわじわと生殺与奪を握られていく自分たちに、人々はなぜ気づかないのか。
もうじき国の代表を決める投票――選挙が行われるという情報も耳にしたが、それとて旧政権に関わりのある者は立候補すら許されないだろう。
新政権は『世界平和条約機構(W・P・U)』の傀儡となり、バラトルムは『世界平和条約機構(W・P・U)』の属国になり果てる。
「この町もだめか……」
 私は食料品店から失敬したレーズン入りのパンを頬張りながら、町を見回る『平和維持軍(サルバトール)』の兵士からそれとなく身を隠した。
 駐留の名目は治安維持なのだろうが、その傍らで私たち――バラトルム軍の残存戦力の殲滅を企んでいるのはまちがいない。
 幸い、今までに何度か遭遇してしまった『平和維持軍(サルバトール)』の兵士たちは私が魔法強化兵(マギナ)であることには気づかなかった。孤児を見たらああ言えこう言えとマニュアルで決められていることなのか、彼らは決まって、
『道に迷ったのか』
『親はいるのか』
『お腹は空いていないか』
『なにか困っていないか』
 などと言う。
自分が来たからにはもう大丈夫だ、安心しろと言いたげなその傲慢な態度が、すっかり聞き飽きた言葉を繰り返されることと重ねて私を苛立たせる。
いや、たぶんそれは正確じゃない。
私を苛立たせているのは、どの都市にも、どの町にも『平和維持軍(サルバトール)』が駐留しているという事実そのものだ。
それはつまり、バラトルム聖帝国は国土を維持できていないという証明に他ならない。
 友軍との合流も果たせずいたずらに時間だけが流れていく中、各地をさまよう私はそれを忸怩たる思いで眺めていることしかできない。
いよいよ、自分が生き延びたこと自体が間違いで、やはりヴァレオンで死ぬべきだったのだと思えてくる。
「君、一人で買い物かい? お母さんのおつかいかな?」
 町中を歩いていた私を『平和維持軍(サルバトール)』の兵士が呼び止めた。しまった。物思いに耽っていたせいで、周囲への警戒がおろそかになっていた。
「……」
「ん? どうした? 大丈夫だよ、怖くないから。お兄さんたちは兵隊だ」
『平和維持軍(サルバトール)』の兵士二人が、示し合わせたようにへらへらと笑う。
 私を安心させようというのなら、それは逆効果だ。
 ――どこに行っても同じなら、もうここが終点でもいいかもしれない。
 この町を最後の戦場として、聖帝閣下への忠誠を示そうか。
私はそっと、コートのポケットを探る。手に触れる鉄の感触は、護身用の機関拳銃(マシンピストル)『МP四八――ケルベロス』だ。
九ミリ弾を三発ずつ目の前の間抜け面に叩きこみ、二人を射殺。三秒もかからない。死体から武器を奪って、この町の『平和維持軍(サルバトール)』駐屯地に攻撃を仕掛ける。
 それで死ぬなら悪くない、そう思った。
私はポケットの中で『ケルベロス』のグリップを握る。
「あのぅ――」
「ん? なんだ?」
 と、『平和維持軍(サルバトール)』の兵士が首を傾げた瞬間――
 ずん、と目の前にあった工場から爆発。爆音が響き、空気を揺らした。
 ――爆発っ!
 私は爆風と飛散物から手で顔をかばいながら、反射的に周囲の状況を確認した。工場の壁が吹き飛んでいる。粉塵の立ち込める中に、瓦礫と、手足を吹き飛ばされた人間と思しき物体が転がっていた。
 ――事故? テロ?
 その瞬間に私が思い浮かべたのは、バラトルムの反政府勢力『不滅の盾(アイアス)』だった。工場を標的にしたテロは彼らの常套手段だ。
だが、
「くそっ、また聖帝派か! ここは危ないから君は避難して」
「こちら第三パトロール、テロ発生と思われます。負傷者多数の模様。至急応援を!」
 二人の『平和維持軍(サルバトール)』兵士が口々に叫びながら、爆発した工場に走って行く。
 私は凍りついたように動くことも出来ず、その背中をただ見送った。
 聖帝派(・・・)。
 兵士の一人は確かにそう言った。
 その言葉が事実なら、このテロの実行犯は聖帝閣下に従う者たち――バラトルム軍の残存勢力ということになる。
私が合流を目指していた友軍だ。
 友軍がまだ戦っているなら、目の前にその戦場があるなら、私も呼応し、敵に打撃を与えるべきだ。
 幸い、続々と集結してくる『平和維持軍(サルバトール)』の兵士たちは現場や怪我人に気を取られていて、道端に立ちつくしている少女(私)など気にも留めていない。
 敵に――侵略者に打撃を与える絶好の機会。
 頭ではそうわかっていたのに、私は動けなかった。
 怪我人を助けようと肩を貸している兵士。瓦礫の下敷きになった人を救い出そうとしている兵士。担架を運ぶ者、包帯を巻く者。彼らが助けようとしているのは、たとえ、聖帝閣下の恩を忘れた者だとしても、それがバラトルム人であることには変わりはない。
 ――それを撃つのか?
「こっちだ!」
「いたぞっ!」
「複数だぞ、気をつけろ!」
 現場付近を警戒していた数名の兵士が慌ただしい叫び声が聞こえ、騒然としていた現場に銃声が響いた。
 私は咄嗟に、銃声の聞こえた方に駆け出していた。
このテロの実行犯が誰なのかを確かめたい。その一心だった。
爆破された工場の脇を駆け抜け、叫び声と銃声を頼りにいくつかの路地を曲がる。
 そして、テロの実行犯が射殺される瞬間を見た。
「ガエン聖帝……万歳……っ!」
 絶命する男は、確かにそう叫んだ。
 かつて自分たちが取り締まる側だったはずのテロ。
 その行いに手を染めた友軍の声を聞いて、私はようやく理解した。
 私たちは戦いに負けたのだということを。
 変わりゆくバラトルムを止めることは、もうできないのだということを。
 ならば、ここを死に場所にするべきだ。
 私は再び『ケルベロス』のグリップに触れ――


 ――私は一体なんなんだろう。
なにも出来ずにその場を離れた私は、町の郊外を歩いていた。
結局、私はまた死に損なった。
 国家のお役に立てず、死ぬべき時に死ねず、ただひたすら生にしがみついている。
 これでは命をかけて私を逃がしてくれたお姉ちゃんにも、戦死した『魔法強化兵部隊(レクスマギナ)』の仲間たちにも、国土を守るために戦った同胞たちにも、聖帝閣下にも、誰にも会わせる顔がない。
 結果的に、私はみんなを裏切ってしまった。
 ――でも。
 一度ならず、何度も死に損なってしまったせいだろうか。
 死にたくない、と思った。
 死ぬなんてなにも怖くないと、国家に対する責任であり名誉だと思っていたはずなのに、まだ生きていたかった。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
 私は死者に泣いて謝りながら、町の郊外を行くあてもなく歩いた。
 やがて、景色が変わる。
 花が咲いていた。
 そこは郊外に作られた花畑だった。
 白、黄色、赤、青、紫。色とりどりの植物が、可憐に、優雅に、力強く、青い空の下にのびのびと花を咲かせている。
「きれい……」
 風に揺れる花々の美しい色彩に、自分でも意識しないまま声がこぼれた。
 その美しさを前に、ふと思った。
 ――もしかしたら、私の戦争は、私が知らないうちに終わっていたのかもしれない。
 私はこの時、初めてそう思った。
 



 5 青空


「それじゃあ行きましょうか。ルー、準備はいいですか?」
「だいじょうぶ」
「じゃあ出発です」
「うん」
一揃いの園芸道具を抱えたルーベルの車椅子を押して、リッカはスターリアの児童福祉施設を出た。
屋外に出ると、よく晴れた空の下に心地よい風が吹いていた。リッカの赤毛とルーベルの淡いブロンドが柔らかに揺れる。
「今日もいい天気ですね」
「うん」
 空を見上げながら、二人で世話をしている花畑に向かう。
 革新世紀(E・A)七二年五月二三日。
昼下がりの空は、今日も青かった。


Fin.

戦塵の魔弾少女 特別短編 ラスト・ワン 第二部

burret


 第二部


君がどこにもいなくなって、私は毎日、君を探した
 お空にいるよと、ママが言う 私は毎日、お空を見上げた
 大地にいるぞと、パパが言う 私は毎日、地面を探した
 でもいない。どこにもいない ねえ、君はホントはどこにいるの?
                    (マーガティの詩集『Never』より)


1 リュミエイラの作戦記録② 降伏勧告


 私は呼吸に合わせてかすかに揺れる狙撃用スコープの十字線を見ていた。
 スコープの中には、風景と呼ぶにはあまりにも小さな円形の点に切り取られたヴァレオンの風景が見えている。
 私は特別に狙撃の腕前がいいというわけではない。
 ただ、分隊で狙撃銃を任せてもらえる程度には遠距離の目標に命中させる能力があったことと、じっと黙って動かずにいることを苦としない性格だったために狙撃手を任されているというだけだ。
 主任務は後方支援だが、もちろん気を抜くようなことは出来ない。敵狙撃手への逆狙撃(カウンタースナイプ)や支援火器の無力化、狙撃を警戒させることで敵の行動を制限するなど、味方の安全に貢献できる仕事は数多い。
 狙撃用に作られた徹甲弾(てっこうだん)は射程だけでなく弾速や貫通力に優れ、遠距離からの精密射撃は装甲目標に対する攻撃手段としても優秀だ。
 ――装甲目標。
 そう、今回の作戦は敵部隊のすべてがその装甲目標だった。
 通常弾では歯が立たないほどに分厚い全身装甲を身につけているというのに、まるで軽装の兵士のように俊敏に動く。単体でも十分な脅威であるその敵が、コンピューターによって情報管理され部隊単位で作戦行動を行うというのだからその部隊の戦闘力は計り知れない。
 その脅威から、聖帝閣下の都を、帝都を守らなければならない。
 ――いたっ!
 ビルの三階から索敵を行っていた私の視界に、防弾装甲を身につけた敵兵士の姿が映る。
「こちらリュミエイラ、敵兵発見」
 私は味方に通信を入れ、視界に収めた敵兵に照準を合わせる。スコープの十字線の中心にヘルメットに覆われた敵兵の頭部を捉え――そこで異変に気付く。
引き金を引こうとして、それができなかった。
 右手の人差し指がない。
「!?」
なぜ、と脳裏を駆ける疑問を切り捨て、即座に中指を引き金にかける。再度照準を合わせ、発砲。
 命中すればヘルメットごと敵兵の頭部を撃ち抜ける九・六ミリ狙撃用徹甲弾が、ヘルメットの側面をかすめて火花を散らせた。
 ――外したっ!
 撃てば居場所を知られ、居場所を知られた狙撃手は狩る側から狩られる側になる。
「すみません、仕留め損ねました。リュミエイラ移動します」
 私は味方に通信を入れると狙撃ポイント変更のために、片膝をついた狙撃体勢――ニーリングポジションから立ち上がろうとして、転んだ。
両足の膝から下もなくなっていた。
 今度はなぜと思う間もなかった。ビルの階段を駆け上がってくる敵の足音が聞こえた。
「だ、誰か……」
 支援を求めて通信を入れるが、応答がない。
どうして? お姉ちゃんは? 分隊のみんなは? まさか、全員やられてしまったというのか?
 私は最悪の想像にぞっと血の気の引いて行く感覚を覚えたが、状況を確かめる時間も、悩む時間もなかった。敵の足音がすぐそこに迫っている。
私は腕を使って身体を起こすと、腹筋で上体を安定させ、『SR43――アーバレスト』を構えた。ボルトハンドルを操作して弾丸を薬室に送り込むと、敵兵の足音が聞こえてくる方向に銃口を向ける。
 連射性は低く、長距離射撃の精度を高めるための長い銃身は接近戦ではかえって邪魔になる。と言って、護身用に携行している『МP四八――ケルベロス』では敵の装甲を抜けない。
 出会い頭の一発を外したら私の負けだ。
 通路の向こうから敵の足音が近づいてくる。あと一つ、敵が角を曲がったら遭遇する。
 さあ、来るなら来い。
 私は接近してくる敵の足音に銃口を向けて待ち構え、敵の重装兵が通路の角から姿を見せた瞬間に引き金を引いた。
 有効射程千メートル超の狙撃用徹甲弾が防弾装甲を容易く貫通し、敵兵の左胸を撃ち抜いた。心臓に命中したのだろう、敵兵がその場に倒れて動かなくなる。
 何とか当たってくれたが、すぐに他の敵が来る。速やかに移動しなければならない。
「誰か応えて、こちらリュミエイラ、応答を」
 私は再度、支援を求める通信を入れた。しかし、返ってくるものは、ただただ沈黙。
「どうして? どうして誰も応えてくれないの?」
 私は沈黙しか返さない通信機に苛立ちつつ呼びかけ続けた。
「誰か、お姉ちゃんっ! 応えてよ!」
 私、なにもできないのに、たった一人でこれから――


「――私はっ!」
 自分の叫び声で目を覚まし、狭い樹洞の天井に頭を打った。
 一体なにが、と周囲に広がる森林の風景を見回し、狭い樹洞に身を収めている自分に気がついて、私は自分の状況を思い出した。
「……はあ」
 私はため息をついて爪を噛んだ。
帝都の戦闘はもう二カ月以上前のことなのに、あんな夢を見るなんて。
いや、こんなことを考えてはいけない。私はまだ戦闘中なのだ。
 現にもう三週間も前から、この森の周りを敵兵がうろつくようになっていた。私を探しているのだろう。
これはよくない状況だった。敵軍がこちらに部隊を割いてきたということは、それだけ帝都の状況が敵側に傾いているということだ。それとも、少なくとも敵の一部隊をこちらに引きつけていると考えるべきなのだろうか。
この森に潜伏している戦力が明らかになっていないからこそ、敵にプレッシャーを与えている可能性もある。だとすれば、軽々しく動いて一人だと知られてしまった時点でその圧力は失われる。
「お姉ちゃん、どうしたらいいと思う……?」
――あなたは脱出しなさい! これは命令ですっ!
 鮮明に記憶に残っている、お姉ちゃんの最後の声を思い出す。
この先に、具体的な命令はなにもない。自分で考えて自分で決めなければならない。
この森を出て敵と戦うべきか、まだ耐えるべきなのか。
 私はその結論を出せず、巡回に来る敵部隊への対応を決めあぐねていた。
 そして今日――この森に潜伏し帝都の監視を始めてから二カ月以上が経過した革新世紀(E・A)七二年二月二七日にも敵部隊の巡回があった。
「敵部隊を確認」
 木の上の監視ポイントから周辺の様子を探っていた私は、森に近づいてくる敵部隊を発見した。
 ヘルメットと防弾ベストをつけた兵士が八人、逆V字の隊形でこちらに近づいてくる。私は木の葉に紛れるように身を隠し、スコープで敵の装備を確認した。
「……どういうこと?」
 敵部隊の装備を確かめた私は首を傾げた。
 この三週間、森の周りを巡回していた敵兵はいずれも突撃銃(アサルトライフル)などを装備していた。だが、今日の部隊は視認できる限り、銃火器は自動拳銃(オートピストル)しか装備していない。
「戦闘をするつもりではないということ? それとも、よほど甘く見られているの?」
 敵は私を、戦闘能力皆無の敗残兵とでも思っているのだろうか。
 だとすれば、それが思い違いであることを教える必要がある。幸いこの森の地形は把握済みだし、下草や蔓を利用した原始的なトラップも仕掛けてある。『SR43――アーバレスト』は必要ない。敵部隊が踏み込んでくれば、『МP四八――ケルベロス』だけでも各個撃破する自信はあった。
 私は肉眼で視認できる距離まで敵が近付いてきたところで『アーバレスト』を下ろし、ホルスターに収めた『ケルベロス』のグリップに触れた。
 さあ来い。そんなふざけた装備で来たことを後悔させてやる。
 だが、敵は森に踏み込んでくることはなく、森から五十メートルほど離れたところで立ち止まった。
「森に潜伏しているバラトルム兵に告げる!」
 隊列の先頭に立っていた兵士が叫んだ。
「どうか冷静になって、よく聞いてほしい。ヴァレオンでの戦闘はすでに終結し、君たちのリーダー、ガエン総統もすでに倒れている。これ以上の戦闘継続は無意味だ。武装を解除して出てきてほしい。絶対に危害は加えない、身の安全は保障する。投降してくれ」
「ガエン総統が戦死された?」
 投降を呼びかけられる屈辱以上に、それは許し難い一言だった。
 偉大なる聖帝閣下が貴様たちを相手に膝をつくはずがない。投降を呼びかけるためだか知らないが、もう少しマシなウソをつくべきだ。
 忌々しい。たかが一歩兵が聖帝閣下の死を騙るなど、万死に値する無礼だ。
 私は怒りにまかせて『アーバレスト』を構えた。照準が狂っているだろうがもう構わない。とにかくあの無礼者に一発、銃弾をお見舞いしなければ気が済まない。
 敵の頭部をスコープの十字線の中心に捉えて、発砲。銃弾は敵兵の耳元を掠めて、背後の地面に着弾した。敵兵が飛び上がり、他の兵士が慌てて散開する。
「よく考えてくれ! 戦闘は終わっている」
 苦し紛れのその叫びはもう無視して木から下り、私は森の奥へと身を隠した。
「戦闘が終わった? そんなわけがないのよ」
 ここにまだ戦っているバラトルムの兵がいる。
私がいる限り、戦争は終わらないのだ。

 ◇

 翌日も敵が来た。また八人、軽装であることも同じだった。
「性懲りもなく、また投降を呼びかけに来たの?」
 私は昨日とは別の監視ポイントから、敵部隊の様子を見ていた。昨日は外してしまったが、あれでおおよそのズレは把握できた。胴を狙うなら、今日はきっと当てられる。
私はいつでも撃てるように敵兵に照準を合わせたまま、じっと敵部隊の様子を観察していた。
敵の人数分の弾はないが構わない。不審があれば、私はいつでも引き金を引く。
今日がその時だというのなら、一人でも多くの敵を道連れにするだけのこと。
「聞こえるか? 今日は君に(・・)救援物資を持ってきた! もちろん受け取りに来てくれとは言わない。置いて行くから、我々がこの場を離れ、安全だと確信できたら回収してほしい」
 ――救援物資?
 私は耳を疑った。
 敵に物資を差し出すなどあり得ない。罠か? 物資を餌におびき寄せて、私を狙い撃つつもりなのか。
馬鹿げてる。ふざけてる。こんなつまらない作戦、子供だって引っ掛かるはずがない。
「ここに置いて行く。箱の中身は食料と飲料水だ。誓って、発信器や盗聴器、爆発物などは仕掛けていない。その他にも薬や衛生用品、必要なものがあるなら提供する用意がある。我々の望みは戦闘の停止、それだけだ」
 一方的にそう伝えると、本当に箱だけを残して部隊は後退して行った。
 一つの箱だけが、ぽつんと残されている。
 敵の言い分を信じるなら中身は食料と飲料水らしいが、とても信じられない。罠に決まっている。箱を開けるか、あるいは開けずとも、私が近づけば爆発するように仕掛けがしてあるはずだ。
 気にする必要はない。あんなもの放って置けばいい。
 それよりも気かがりなのは、敵兵の言葉。
 物資は私宛だと、あの兵士ははっきり言った。敵はこの森に潜伏しているのが私一人だと知っているということだ。
 ヴァレオンの状況に変化が見えない中、敵部隊が二日連続で投降を呼びかけに来たことも気がかりだ。聖帝閣下を中心とした部隊が抵抗を続けている状況での動きとは思えない。
 悔しいが、帝都の陥落は事実だろう。
 帝都ヴァレオンは敵の支配下に落ちたのだ。
 帝都防衛作戦に参加していた『魔法強化兵部隊(レクスマギナ)』の仲間たちはどうなっただろう? 聖帝閣下は帝都を離脱されたのか?
帝都が陥落し友軍が後退したとなると、合流も難しくなってくる。
 私はどうすればいいのだろう? この命の使い道として最善の行動はなんなのだろう。いっそのこと、明日も敵部隊が投降を呼びかけに来るならばそこに突撃して華々しく散ろうか。
 つい、そんなことも考える。
 情報がない。考える材料がない。私一人が世界から取り残されているような感覚に気ばかりが焦るが、動けない。
 私はどうすることもできず、帝都と敵が残していった物資を監視し続けた。
 暗くなっても夜になっても、箱はただそこにあり続け、なにも起こらない。
「あ」
 月が夜空を飾る頃、匂いを嗅ぎつけたのか、二匹の野犬が敵の置いて行った箱を食い破って中身をあさり始めた。
 野犬が中身をむさぼり始めても爆発などは起きない。
「……本当に、ただ物資を提供しただけ?」
 私は訝りながら木の上から下りて、周囲を警戒しながら敵が置いて行った箱に近づいて行く。
 二匹の野犬は、私の存在に気がつくと逃げて行った。
 箱の中を覗く。
 中には缶入りの飲料水と、パンやチーズが入っていた。どれも、バラトルムの国内で以前から流通している物ばかりで、量もたっぷりとあった。日持ちのするものも多いし、私一人なら節約すれば一カ月は保ちそうな量だ。念のため中を確認するが、発信器の類は見当たらない。
私はその箱を抱え、尾行を警戒しながら夜陰に包まれた森の中に戻った。敵からの施しであることが不満ではあるが、久しぶりのまともな食べ物だ。
「敵の物でも食べ物は食べ物。気にするなリュミエイラ」
 私は拠点にしている樹洞のところに帰り着くと、自分にそう言い聞かせ、持ち帰った箱からパンを取り出してかぶりついた。
 飲み込むようにパンを一つ食べた後、私は改めて箱の中を確かめる。提供された食料にはパンやチーズの他に、干し肉やビスケット、キャンディーなどもあった。
 私は干し肉を一切れとキャンディー二粒、野犬に荒らされてしまった物だけを取り出し、箱を閉めた。
 悔しい限りだが、これがあればかなり助かる。
 それが、正直なところだった。
「――! 誰?」
当面の食糧を確保しほっとしたのもつかの間、不意に、近くの茂みからがさりと物音。私はホルスターの『ケルベロス』を抜き、物音を立てた茂みに向けた。
やはり罠? 敵につけられていたのか?
来るなら一人のはずがない。何人? すでに囲まれてしまったか?
 私は立ち上がり、油断なく茂みに銃口を向けたまま少しずつ近づいて行く。
「そこにいるのはわかっているのよ、出てきなさい」
 いつでも撃てるように意識を集中しながら、一歩ずつ、茂みに近づいて行く。
「……」
 汗が背筋を伝い落ちる。
「出てきなさい、早く」
 いっそ茂みに数発撃ち込んでしまうかと思った瞬間、がさり、と茂みから子ぎつねが姿を見せた。
「……はぁ」
 敵ではなかった。私は自然と止めていた息を吐いて『ケルベロス』を下ろした。元の場所に戻り、樹洞のふちに腰掛ける。
「なに? お前、一人なの?」
 子ぎつねは人間(私)を見ても逃げず、じっと、こちらを見ていた。食べ物の匂いを嗅ぎつけてきたのかもしれない。
「……今回だけだよ」
 私は野犬に齧られていたパンを子ぎつねの足元に投げてやった。すると子ぎつねが途端に駆け寄って、無心に食べ始める。
「『甘い甘―いケーキが一つ』」
 私はキャンディーを口の中にころがすと、マーガティの詩を口ずさむ。
「『ケーキの上にはイチゴが一つ、チョコのおウチと女の子。
甘いはおいしい、甘いはうれしい。
さあ、このケーキを私と食べてくれる人はどこ?』」
キャンディーの甘さを味わっていると、私がやったパンを食べ終わってしまったのか、子ぎつねがもうないのかと言いたげな顔でこちらを見ていた。
「……しょうがないな、ほら」
 私は一度閉めた箱からもう一つパンを取り出すと、半分に千切って子ぎつねに差し出した。子ぎつねは恐る恐る近づいてくると、私の手からパンをくわえ取り、一度、「そっちの半分は?」と言いたげな目で私を見た。
「そんなにワガママ言わない。これは私の」
 と言うと、言葉が通じたわけでもないだろうが、子ぎつねは私に背を向けて夜の森の中に消えていった。
私はキャンディーを食べ終えてから、子ぎつねとはんぶんこにしたパンを一人で食べた。
「『さあ、このケーキを私と食べてくれる人はどこ?』か……」
 マーガティの詩の一節を呟いて、私はくすりと笑った。
 



2 戦争の痕(あと)


 革新世紀(E・A)七二年三月九日。
朝からの雨で畑仕事が休みになった日、リッカはルーベルと二人で自室にいて、一つのベッドの上で身を寄せ合っていた。
「今日は特にすることはないから好きにしてていいってマレアさんが言ってましたけど、ルーはなにかしたいこととかありますか?」
「ううん、リッカお姉ちゃんといられたらそれでいい」
「そうですか。わたしもですよ」
「ルーと一緒?」
「一緒ですね」
 実際、二人の部屋には遊び道具や本などの娯楽はなにもない。
以前であれば作戦行動時以外は訓練や銃器の手入れ、各種装備の確認作業などがあり、休息時以外はほぼ常に何かすべきことがある状況だった。退屈を感じる暇などなく、娯楽に触れる機会などそもそもなかった。
だから、こういう手すきの時間があると、かえってどうしていいかわからず、こうして部屋でじっとして時間を過ごしてしまう。
「雨の音、静かですね」
「うん……」
リッカはしばらくの間、ルーベルと二人で屋根や窓を叩く雨の音を聞いていた。
 リッカたちの部屋の扉がノックされたのは正午過ぎ。
「のんびりしているところ、ごめんなさいね。私よ」
 二人の部屋を訪れたのはマレアだった。
「はい、なにかご用ですか?」
「これからみんなでお菓子作りをするんだけど、よかったら一緒にどうかしら?」
「お菓子作り……ですか?」
「ええ、みんなでアップルパイを作るって。ルーちゃん、リンゴは好き?」
「……」
 ルーベルはベッドの上で俯いたまま、答えない。それが答えだった。
「……そう、いいのよ。もちろん無理強いはしないわ。どのみち私は買い出しに行かないといけないし」
「それならわたし、お手伝いします。ルー、いいですよね?」
「うん、いいよ」
「いいの? こんなお天気だし、ルーちゃん一人になっちゃうけど」
「大丈夫ですよ。ね、ルー?」
「うん、一人でも平気だから」
「そう。じゃあお買い物のお手伝い、お願いしようかしら」
「はい。じゃあ少し行ってきますね、ルー」
 リッカはルーベルの柔らかなブロンドをひと撫ですると、部屋着を着替えて、マレアとともに部屋を出た。


「道も建物も、きれいになりましたね」
「そうね。みんなが毎日、一生懸命お仕事をしてくれているおかげね」
 リッカがスターリアに来てから一カ月。人々の暮らしは日に日に変わっていた。
 毎日十分な量の飲料水や食料が支給され、ひび割れていた道路の舗装や壊れていた建物の修復や撤去が進んだ。燃料や電力の不足で停止していた工場は外国の企業が入り、少しずつだが再稼働が始まっている。
発電所や送電網の整備など、大掛かりな支援事業も現地のバラトルム人を雇用して行われているというのだから、『世界平和条約機構(W・P・U)』がこの街――ひいてはバラトルム(この国)の人々にもたらしたものは果てしなく大きい。
「大きな建物ができるんですね」
 食料品店に向かう途中で、リッカは建設途中の大きな建物を見つけた。この街に来た時にはなかった建物だ。
「あれはこの街の水道事業の拠点になる水道局よ。もっとも浄水設備の稼働もこれからだし水道の整備はまだまだ先の話だけど」
「すごいですね。帝都から離れた街にも水道なんて」
「水道整備は『世界平和条約機構(W・P・U)』の支援の中心だもの。『世界平和条約機構』の支援が入って水道整備がされなかった国はないのよ」
「みんなが暮らしやすくなっていくんですよね?」
「もちろんよ」
「……」
 リッカは傘を傾けて、雨に煙る街並みを眺めた。外国企業の看板をつけた大きな工場が、煙突から煙を吐いている。
 外国企業の工場など、ガエン政権が国土を支配していた時代にはありえなかっただろう。
「あれは精肉工場かしらね。他にも食品加工や缶詰の工場が動き始めているわ。鉄道網の整備計画もあるし、いずれはこの街で作った食品や缶詰がよその町や国で売られる日が来るかもしれないわね」
 どんどん便利になって、遠くと繋がって、広がっていく。
 ――それが幸せなんでしょうか?
 リッカにとって大切なものは、手の届くところか、決して手の届かないところにしかない。会ったこともなければ話したこともない、そんな相手しかいない街と繋がることにどんな意味があるのかはよくわからない。
 ただ、よくわからないまま、ものすごく大きな力が街を、国を、どんどん変えてしまっていくことには、漠然とだが不安を感じる。
 一番辛いことは、戦争は、もう終わったはずなのに。
 ――みんな。そちらからは、今、こっちはどんなふうに見えてますか? これから素敵な世界になる、そんなふうに見えていますか?
 リッカは雨粒を落とす空を見上げた。


 小麦粉や卵、野菜、缶詰、ドライフルーツなどをひと抱えほど買い込んで施設へ戻ったのは午後三時頃。中に入ると、リンゴとパイ生地の焼ける甘く香ばしい匂いが漂っていた。
「あら、いい匂い。もう出来上がってるのかしら?」
 キッチンから漂う甘い匂いにマレアが顔をほころばせた。おいしそうな匂いに、リッカもつい空腹を覚える。
「リッカさん、買ってきた物をしまったらルーちゃんを部屋から呼んで来てもらえるかしら? みんなでお茶にしましょう」
「はい」
 リッカは買ってきた食料をしまうと、ルーベルを呼びに部屋に戻る。
「おかえり、リッカお姉ちゃん」
「ただいまです。ルー、一人で寂しくなかったですか?」
「平気だよ」
 と言いつつ、リッカが近寄ると、ルーベルの小さな手がリッカの服を掴んだ。この甘えん坊は昔からだ。
「ルー、アップルパイができたみたいですよ、食べに行きましょう」
「……」
 ルーベルはリッカの服を掴んだまま、子が親の顔色を窺うような上目づかいの視線を向けた。
「大丈夫ですよ、ちゃんとルーの分もありますから」
「ホントに?」
「もちろんですよ。マレアさんも待ってますから、行きましょう」
 リッカはルーベルのほっぺたをつんつんとつついて笑うと、肩を貸して、ベッドの上から車椅子に移動させた。
 車椅子を押して食堂に向かうとすでに全員がそろっていて、何人かはすでに食べ始めていた。
 テーブルの上には焼きたてのアップルパイが並んでいる。
「なんだ、喰う時は来るのかよ」
「エルヴィンっ!」
 悪態をついたエルヴィンをマレアが叱る。エルヴィンはいかにも反省のなさそうな態度で肩をすくめると、そっぽを向いて食べ始める。
「ごめんなさいね。これ、ルーちゃんとリッカさんの分よ」
「上手にできてますね。すごくおいしそうです」
きれいな三角形にカットされたアップルパイを見て、前に『魔法強化兵部隊(レクスマギナ)』の隊員たちと作った時の散々な出来のアップルパイを思い出し、リッカは、こういうものは当たり前に作れるものなのだろうかと考えた。
リンゴが生だ外が焦げてると散々に文句を言いながら、それでも一番たくさん食べたのはサーシャだった。あの無類の甘い物好きにとっては、胃袋に入りさえすれば、出来不出来など関係なかったのかもしれない。
 ――サーシャがここにいたら大喜びで食べそうですね。
 その様子が目に浮かび、リッカはつい、口元に笑みを浮かべた。
「ルー、どうですか?」
「甘くておいしい」
 ルーベルは小さな口でちょこちょこと食べている。
「みんなでお菓子作るの楽しかったよ」
「今度はルーベルちゃんも一緒にやろうよ」
「でも、ルー、邪魔になっちゃうから……」
「そんなことないよ」
「みんなでやった方が楽しいよ」
 施設の少女たちの多くは同性ということもあってか、ルーベルに同情的だ。どちらかと言えば、ルーベルが一方的に心を開いていない状態に近い。
「けっ」
 毛嫌いしているルーベルを包む和気あいあいとした雰囲気に嫌気がさしたのか、エルヴィンが音を立ててフォークを置くと、リモコンを掴んでテレビをつけた。
《――今年一月に保護された、フォレア村虐殺事件の唯一の生き残りの少年ですが、本人の強い希望により、現在国外移送に向けた手続きが進められています。『世界平和条約機構(W・P・U)』は現在少年の受け入れが可能な国の候補を――》
 ――フォレア村の生き残り。
 自分たちが参加した作戦で多くの命が奪われたフォレア村。そこに生き残りがいたと初めて耳にし、リッカはテレビに目を向けた。
《事件は革新世紀(E・A)七一年十月四日、バラトルム東国境付近のフォレア村で起こりました。当時、ガエン総統を最高司令官としていたバラトルム軍が突如としてフォレア村を襲撃。非戦闘員ばかりの村の住人たちを無差別に殺傷するという凄惨な事件は世界に大きな衝撃を与え、『平和維持軍(サルバトール)』の介入のきっかけと――》
 凄惨な虐殺事件。
 報道番組は、非戦闘員の民間人が無差別に殺害された事件の悲惨さを伝える。が、リッカはその内容に釈然としない気持ちになった。
 フォレア村の全員が非戦闘員だったわけではない。あの村が『不滅の盾(アイアス)』の反政府活動を支援していたことは事実で、フォレア村での作戦で『魔法強化兵部隊(レクスマギナ)』は反撃を受け死傷者を出した。
 だが、報道から伝わってくるものは虐殺の痛みばかり。正しいことをしたわけではないとわかっていてもなお、リッカはフォレア村の作戦で死んだ仲間の命を汚されたような、ひどく嫌な気分になった。
『不滅の盾(アイアス)』だってテロ行為に民間人を巻き込んでいたのに、そのことに触れず、報道がガエン政権の非道ばかりをクローズアップすることには違和感がある。少なくとも、『不滅の盾』のテロ行為がなければ、リッカたちが家族を失うことはなかったのだから。
『不滅の盾(アイアス)』の行動がきっかけとなってこの国が変わったことは事実だから、それで許されるのか。『世界平和条約機構(W・P・U)』が『不滅の盾』の行動を正しいと認めたからか。
 なら、『世界平和条約機構(W・P・U)』が本当に正しいかどうかは、誰が認めるのだろう?
 ――こんなことを考えるわたしは、間違っているのでしょうか?
 その『世界平和条約機構(W・P・U)』が管理する施設に保護されている身でこんなことを考えてしまうのは、まだ、心のどこかにバラトルムから受けた支配が残っているからなのだろうかと、リッカは自分の心に少しだけ不安を抱く。
 ぎゅっ。
 報道番組に気を取られていたリッカの腕をルーベルが掴んだ。
「ルー? ルー、大丈夫ですか?」
 ルーベルは顔を蒼白にして、目を見開いてテレビ画面を見ていた。手や唇がかすかに震えている。食べようとして落としたのか、膝の上にアップルパイが落ちていた。
 様子がおかしいと思った次の瞬間、ルーベルが嘔吐した。テーブルを囲んでいた子供たちが悲鳴を上げ、慌てて立ち上がる。
「ルー! ルーベルっ! 大丈夫ですか?」
 ルーベルは小さな背中を何度も何度も痙攣させて、食べたばかりのアップルパイを胃液とともに吐き出した。
リッカはその背中をさすってやりながら、自分のうかつさを呪った。
 フォレア村攻撃作戦の時、本隊とは別行動をしていたリッカの相手は『不滅の盾(アイアス)』の構成員で、非戦闘員は一人もいなかった。
だが、本隊に参加していたルーベルは、フォレア村攻撃作戦で多くの非戦闘員を殺害している。それも、遠距離狙撃という一方的なやり方で。
 虐殺の痛み、悲惨さを伝える報道が、ルーベルの心になんの痛みも与えないはずがなかった。
「ルー、ルー、ごめんなさい。しっかりしてください、ルー」
 リッカは懸命にルーベルの背中をさすった。やがて嘔吐が収まると、口の周りを軽く拭いてから、急いでルーベルを部屋に連れ戻した。
「休んでいて下さい。すぐに戻ってきますからね」
 ルーベルをベッドに寝かせると、すぐにルーベルが吐いた吐瀉物を片づけに戻る。
 リッカが食道に戻るとすでにそこは閑散としていて、マレアが一人で片づけをしていた。
「すみません、わたしもやります」
「こっちはいいから、一緒にいてあげた方がいいんじゃないかしら。ルーちゃんの様子は?」
「もう落ち着きましたから、大丈夫だと思います。やらせて下さい」
「そう、じゃあお願いするわ」
 リッカはマレアの横に並んで、床に飛び散った吐瀉物を片づけて行く。
「……ごめんなさいね」
「どうして謝るんですか?」
「みんな元気にしてくれているからつい忘れがちになってしまうのだけど、ここにいる子はみんな戦争で心に傷を負っている。報道がその傷に触れる可能性があることに、保護司としてもっと気を配っておくべきだったわ。保護司失格ね」
「そんなこと……わたしもルーもとってもよくしてもらってます。感謝してますから」
「ありがと、リッカさん」
 そこで会話が途切れ、あとは無言で、床をきれいに片づけた。
「それでは、わたしは部屋に戻ります」
「ええ。ルーちゃんの様子、見ててあげてね」
「はい」
 掃除道具を片づけてゴミを捨て、リッカは部屋に戻った。
「ルー、具合はどうですか?」
 部屋に入って、そっと声をかけてみるが、ベッドからの返事はない。もう寝ているのかとベッドを覗いてみると、なぜか無人だった。
「ルー?」
 ベッドにはいないが、車椅子はそのままだし、あの身体ではそう遠くへはいけないだろう。なにより今のルーベルが一人で部屋を出るとは考えにくい。
室内にいるとすれば……。
「ルー、もしかしてここですか?」
 ベッドの下を覗き込むと、ルーベルはそこにいた。覗き込むリッカに背を向ける格好で床に寝そべっている。
「ルー、床で寝ると身体が痛くなっちゃいますよ?」
 声をかけながら、リッカもベッドの下に潜り込んでいく。
「ルー?」
 ルーベルは答えない。眠っていた。
 リッカは後ろからルーベルの身体を抱いた。小さくて温かいルーベルの身体を抱いて後ろから顔を覗き込むと、目尻には涙の粒が光っている。
「大丈夫ですよ、ルーのせいじゃありません」
 リッカは涙を拭いて、何度も何度も、眠るルーベルの髪を撫でた。
「もう平気です。怖いことは全部、終わったんですから」
ルーベルが少しでも安心できるように、ルーベルの眠りが少しでも安らかになるように、リッカは声をかけ続けた。


 翌日、ルーベルはベッドの下からまったく動こうとせず、リッカの説得でなんとかベッドに横になった。
 昼を過ぎてもおやつの時間を過ぎてもルーベルはベッドから起きようとしないが、昨日のことを思えば無理に起こすこともできなかった。
 だから、今日は晴天に恵まれたがリッカは畑の手伝いには出ずに、ルーベルと一緒に部屋で過ごしていた。一つのベッドに並んで寝転んで、無言で壁を向いているルーベルの背中を温める。
「ルー、わたしはちゃんといますからね」
 返事がなくても気にしないで、リッカは時々、声をかける。自分がいることを、自分がルーベルを大切に思っていることを、少しでも伝えたかった。
「二人で一緒にいると温かいですよね」
 一つのベッドで、一枚のシーツで、身を寄せ合うようにして眠っていると、営巣地(コロニー)で暮らしていた頃のことを思い出す。営巣地はとても寒かったから少しでも温かく眠れるように、夜はよく寄り添い合っていた。
今はもう二人きりになってしまった『家族』との過去を思い出しながら浅い眠りとおぼろげな目覚めの間をさまよっていたリッカは、不意に響いたノックの音に呼び起された。もそもそとベッドを抜け、ドアを開ける。
「ごめんなさい、眠っていたところを起こしてしまったかしら?」
 見るからに寝起きの顔のリッカに微笑みを向けたのはマレアだった。
「いえ、大丈夫です」
「そう? ルーちゃんも起きてるかしら?」
「ルーベルは……たぶん半分くらいは起きてると思いますけど」
「実はね、前から余った布を使ってルーちゃんの服を作っていたのだけど、今日やっと出来上がったのよ。少しは気分が変わるかと思って持ってきたんだけど……」
 マレアは手にしていた白い服を広げて見せた。
純白の、リッカの目にはドレスのように見えるワンピースだった。
「これ、ルーに作って下さったんですか?」
 腰からふわりと広がったスカートと袖口にはたっぷりとフリルがあしらわれ、襟元にはルーベルの瞳と同じ空色のリボンが飾られている。
 どう見ても、余った材料で作った物には見えなかった。
「ええ。サイズは合ってると思うんだけど、着てくれるかしら?」
「きっと喜ぶと思います。ありがとうございます」
 リッカは中に戻ると、ベッドで寝ているルーベルに声をかけた。
「ルー、ルー。マレアさんがルーのために服を作ってくれましたよ。とってもきれいで可愛いです。着てみませんか?」
 優しく肩を揺すると、ずっと眠っていたルーベルが目を開けた。
「……服?」
 ようやくルーベルが身体を起こした。まだ涙の跡が残る顔で、眠そうに目をこする。
「入っていいかしら?」
「あ、はい、どうぞ」
 リッカが廊下で待っていたマレアを部屋に招き入れると、マレアは早速、手作りの服をルーベルの肩に当てた。
「ああ、よかった、サイズはよさそう。ね、着てみてくれないかしら?」
「……」
 ルーベルはぼんやりした瞳で、自分の肩にあてがわれた服を見下ろした。
「ルー、着替えてみましょう」
「……うん」
 ルーベルはこくりと頷くと、部屋着のボタンを一つずつ外し始めた。リッカは足が不自由なルーベルに手を貸して着替えを手伝う。
「これは上からかぶって着ればいいんですか?」
「ええ、そうよ」
「ルーベル、手を上げて下さい」
 部屋着を脱がせたルーベルに、服をかぶせるようにして着せる。袖を通して、肩と腰の位置を合わせてから、背中のチャックを閉める。
「はい、出来ましたよ」
「さあルーちゃん、鏡の前に」
 リッカが後ろから支えてルーベルを立たせると、クローゼットの扉についている鏡の前にゆっくりと移動した。
「……」
 ルーベルは鏡に映る自分の姿を、まるで、見知らぬ他人を見るような顔で見た。
「よく似合ってますよ、ルー。とっても可愛いです。お姫様みたいですね」
 姉バカ的発言をしたリッカが後ろから抱きついて、ルーベルの淡いオレンジのブロンドに頬を寄せた。
「ルーちゃん、どう? 気に入ってくれたかしら?」
「……うん、ありが、とう」
 ルーベルは顔を伏せてマレアに礼を言うと、うっすらと――本当にうっすらとだが、微笑んだ。

 ◇

 革新世紀(E・A)七二年三月十四日。
今日も、リッカはマレアに連れられて買い出しの手伝いをしていた。
「なんだか便利に使っているみたいでごめんなさいね。いつもありがとう、助かるわ」
「いえ、お役に立てて嬉しいです」
リッカが両手に抱えた荷物の多くはパンや小麦粉などの食材だ。アップルパイを作って以来、施設の子供たちはお菓子作りが気に入ったようで週に一度はお菓子作りをするようになっていた。日々の買い物にその材料や裁縫に使う布や綿などが加わったことで、今日の買い物は大荷物になっている。
「それにしてもリッカさん、いつも思うんだけど力持ちね。そんなに頑張ってくれなくてもいいのよ? 私ももう少し持つわ」
「いえ、大丈夫です」
 実際、両腕で荷物を抱えてはいるが重さとしては何ら問題なかった。魔法強化兵(マギナ)として肉体を強化されたリッカにとっては軽々と持てる重量だ。
「そう? じゃあ疲れたらいつでも言ってね」
 二人は日に日にインフラの整備が進んでいく街を歩き、児童福祉施設へ戻った。
「……?」
 玄関を開けるより早く、リッカの優れた聴覚が室内の声を聞き取る。
「リッカさん、どうかしたの?」
 荷物を抱えながらドアノブに手を伸ばしたまま動きを止めたリッカを見てマレアが首をかしげるが、屋内から聞こえた声に意識を集中していたリッカはそんなマレアには気がつかず、屋内から聞こえてくる声に耳をすませた。
 ――大体お前はよぉ。
 ――いつもいつも辛気臭ぇんだよ。
 ――んだよ、黙ってないで何とか言えよ。
 剣呑な少年の声がエルヴィンといつも一緒にいる少年たちのものであると気がついた瞬間、リッカは手にしていた荷物をかなぐり捨てるように手放し、玄関を開けた。
「なにしてるんですかっ」
 玄関に入ってすぐのところには誰もいない。リッカは声が聞こえたとおぼしき方向――キッチンへ急ぐ。
「なんだよ弱虫、文句があるなら言ってみろよ」
「言えねーなら泣いてみろよ、いつもみたいに。ゲロ吐いて、お姉ちゃん助けてって泣いてみろよ」
 普段の言動を考えれば、エルヴィンたちの攻撃的な言葉が誰に向けられたものかは聞かずとも明白だった。
「なんだよ、泣けっつってんだろ!」
「ルーっ!」
 リッカがキッチンに駆け込んだのと、エルヴィンが痺れを切らせて声を荒げたのはほぼ同時。
そしてキッチンに駆け込んだリッカが目にしたのは、ルーベルの髪を掴んでいるエルヴィンの姿だった。
「なにしてるんですか! ルーになにするんです!」
 リッカは二人に駆け寄ると、ルーベルの髪を掴んでいるエルヴィンの手首を掴み、半ば強引に、ねじり上げるようにしてその手を離させた。
「いって! なにするんだよ!」
 エルヴィンが手首の痛みに顔をしかめながら、手首を掴むリッカの手を振りほどく。
「なにするんだじゃないです! 答えて下さい、なにをしていたんですか?」
「いいだろ、別に何だって」
「よくありませんっ!」
 ここに来て初めて、リッカは声を荒げた。それは怒鳴りつけられた少年が思わずびくりと竦むほどの怒声だった。
「ルーベルに乱暴をしないで下さい」
「なんだよ」
 エルヴィンは不服そうにしながら、それでも、それ以上はなにも言えずに黙り込んだ。
「ルー、大丈夫ですか?」
「うん、平気」
 ルーベルは平然としている。
「……本当に辛いのは、こんなことじゃないから」
「こんなことぉ?」
 自分を軽んじられたと感じたのか、エルヴィンの声に怒気が混じる。だが少年に睨みつけられてもルーベルは何事もないように、
「違うの?」
「こいつ――っ!」
 まったく動じないルーベルに苛立つエルヴィンが、思わず拳を振り上げる。
「エルヴィンっ! なにをしているの?」
 リッカに続いてキッチンに駆け込んできたマレアが事態に気付き、静止の声を上げる。だが、リッカは思わず、マレアの声を制するように彼女に手のひらを向けていた。
 拳を振り上げる姿を見てもなお、しっかりとエルヴィンを見返すルーベルの目を見て、大丈夫だと、ルーベルは負けないと、そう感じた。
「ルーは、こんなことじゃ泣かない」
 ルーベルは青空の色をした瞳に強い光を宿し、はっきりと言った。そこにはエルヴィンには屈しないという明確な意思が表れている。
エルヴィンの目には、いつもなにかに怯えるように顔を伏せていたルーベルとはまるで別人のように見えただろう。
 だが、リッカは知っている。
 エルヴィンの目には弱虫に見えたかもしれない少女だが、ルーベルは決して弱くなどない。ただ傷ついているだけだ。
幼い少年の恫喝になど屈しない。
「~っ!」
 自分の言葉でも、暴力でもルーベルを屈服させることができないと知り、その歯がゆさにエルヴィンが唇を噛む。
「じゃあ、何なんだよ、お前」
 エルヴィンの目に涙がにじむ。
「お前、いつも泣いてて、足だって動かなくて、つらそうなのに」
 声にも、嗚咽が混じり始めた。
「それで、なんでそんなことを言う……言えるんだよ」
「もしかして、本当に泣きたいのは君の方じゃないですか?」
 エルヴィンの、それこそ辛そうな――今にも泣き出しそうな表情を見て、リッカはそう感じた。ルーベルに辛く当たるのも、そうすることで今にも壊れそうな自分の心を守ろうとしているのではないかと、そう思った。
「誰かを傷つけて、自分は強いから平気だって、そんなふうに思いたいんじゃないですか?」
「違う、違うっ! 俺はそんな弱虫なんかじゃない!」
 エルヴィンは必死になって否定するが、リッカの言葉はおそらく、エルヴィンの本心を射抜いている。
「……そうやって強い振りをして誰かを傷つけても、自分が楽になれるわけじゃないです。それで癒えるものは、なにもないんです」
 エルヴィンが俯いて、拳を震わせた。
「……じゃあ、じゃあどうしろって言うんだよ? 姉ちゃん、痛そうだったのに、爆弾で両足吹っ飛ばされて、すげえ痛そうだったのに、俺、なにも出来なくて、逃げるしか出来なくて……」
 エルヴィンが涙をこぼす。背中を震わせて、喉を震わせて、胸のうちに秘めていた痛みを吐きだした。
 リッカはエルヴィンが吐露した痛みに、その過去に、一瞬、言葉を失った。
エルヴィンの姉が迎えたという最期が、クラリーと重なって感じられた。あるいはそれがエルヴィンの心のどこかで、今のルーベルと重なって見えているのかもしれない。
「両足……を、ですか」
「そうだよ、そばにいた人がいきなり死体になってて、姉ちゃんの両足がなくなってて、俺、怖くなって逃げ出して、それで……」
 エルヴィンは両手で顔を覆うと、いよいよ声を上げて泣き出した。
「絶対、姉ちゃん俺のこと恨んでる。自分を置いて、見捨てて逃げたって、そんなふうに思ってる、そうに決まってるんだ」
「そんなはずないです」
 リッカは断言した。
 リッカ自身、死者に対する後ろめたさは感じていた。
生き延びてしまったことに対する罪悪感があった。
それでも、断言した。
 クラリー、ラトナ、サーシャ、シグ、『魔法強化兵部隊(レクスマギナ)』の仲間たち。
生きることのできなかった仲間たちが、今、リッカが生きていることを恨みに思うとは、リッカには考えられなかった。
 生き延びたことを罪として、自分で自分の心を押し潰しながら生きることを望んでいるとは、思えなかった。
「君がお姉さんを大切に思っているように、お姉さんも君を大切に思っていたはずです。だから、無事でよかった、逃げられてよかった、そんなふうに思ってくれているはずです」
 ――そうですよね、クラリー。
「……だからもう、自分で自分を傷つけるのは、やめて下さい」
「俺は……っ、姉ちゃん……」
 エルヴィンがその場に泣き崩れる。
「……」
 ルーベルがどうしたらいいのかわからないという顔でリッカを見上げ、袖を掴んだ。
「……マレアさん、彼をお願いできますか?」
自分の言葉がエルヴィンの心に触れたらしいと思いつつ、だが、意地っ張りな少年である。泣いているところを女の子に見られたくはないだろうと思った。
「ええ、わかったわ。ルーちゃんは平気なの?」
「はい」
 ルーベルの代わりに答えると、リッカはルーベルの車椅子を押して、部屋に戻った。
「今日は頑張りましたね、ルー。偉かったですよ」
 ルーベルをベッドに寝かせてから、リッカはルーベルの髪を撫でてやった。
「ルー、偉かったの?」
「はい、男の子に負けませんでした。ルーは強い子ですね」
「うん」
「ほら、マーヤも褒めてくれてますよ」
 リッカがクマのぬいぐる(マーヤ)みをルーベルの顔に押しつけると、ルーベルがくすぐったそうな、嬉しそうな、そんな顔をした。
 



3 リュミエイラの作戦記録③ 転進


 革新世紀(E・A)七二年三月二十日。
「今日も変化なし、か」
 敵からの食糧提供があってから三週間。食料事情が改善した以外には、私の状況はなにも変わっていなかった。
 提供された食料はまだまだ残っている。水はもともと水場を確保してあったから手をつけていないが、いつか役に立つ日が来ると思う。
 ただ、食料提供を受けてからと言うもの、一つ、困っていることがあった。
「お前、また来たの?」
 パンをやった子ぎつねが私のところに来れば餌が手に入ると学習してしまったのか、私の周りをうろつくようになってしまっていた。
 私は身を隠しているのだ。下手に近くで鳴き声でも上げられたらたまらない。だが、いくら追い払っても、また子ぎつねはやってくる。
「……今日だけだからね」
 結局、子ぎつねの物欲しそうな顔に負けて、食べ物を少しだけ分けてやる。
 私は孤独だった。
 相手が人間でなくても、言葉がわからなくても、話しかける相手が欲しかったのかもしれない。
私は帝都の監視を続けていたが、状況の変化を感じることはなかった。
 二日続けて投降を呼びかけにきた敵部隊は、食料を置いて行った数日後にまた来たが、その時は自分たちが置いて行った物を確認しただけで去っていった。
 それ以来、状況の変化を感じられないまま、時間だけが経過していく。
 私はたった一人、世界から切り離されたようにこの森に居続けている。
 一人と知られ、大した装備もないと知られ、敵の施しで胃袋を満たす日々を過ごしていると、自分がなにをしているかもわからなくなってくる。
私の行動がなにかの役にたっているのか。今ここにいることに意味があるのか。それすらもよくわからなくなってくる。
本当に、私はなにをしているんだろう。
帝都の監視を続けながら、いらいらと爪を噛む。
情報から切り離された時間が長くなり、思考力や判断力が低下しているのかもしれない。
 ただ、変化のない帝都の監視を続けることに限界を感じていることは事実だった。
 もう帝都は主戦場ではない。
 それはすでに、私の中での結論になり始めている。次の行動を考え始める頃合いなのかもしれない。この森を離れ、バラトルムの各地で反撃の機をうかがっている友軍との合流を目指すべきか。
たぶん、それが正しい。
 でも、仲間とともに死力を尽くして戦ったヴァレオンを一人で離れることにも抵抗があった。ヴァレオンで聖帝様のために戦って、大勢の仲間が命を落とした。その命に背くようなことはことだけはしたくない。
 私は国家への貢献と仲間たちへの想いとの間で揺れていた。
 もう私の周辺には何事もなく、ちょこちょこと現れる子ぎつねが食料を少しずつ持ち去っていくだけ。
 子ぎつねは毎日昼過ぎに現れると、食事の有無にかかわらず、夕方近くまで私の周りをうろついて回る。
 そのリズムを把握してからは、子ぎつねに付きまとわれないようにその時間を避けて監視行動をするようにしていたのだけど――
「……今日は来ないのかな?」
 監視行動などの間につきまとわれると困るから来るなら早く来てもらいたいのだけど、その日は、昼過ぎになっても餌をねだる子ぎつねはやってこなかった。
 仕方なくいつもの行動を開始してすぐ、私は巡回ルートの途中で子ぎつねを見つけた。
「お前……どうしたの……?」
 子ぎつねはポロ布のような姿になって地面に倒れていた。自分よりも大きななにかに襲われたようで、手足や皮を食いちぎられて血まみれになっている。
 食べ物の匂いをさせていたのが悪かったのか、それとも運が悪かったのか。
子ぎつねは、もう、息をしていなかった。
「……」
 だからなんだということではない。私には役割がある。使命がある。いつも通り、果たすべき任をこなさなければいけない。もう監視行動に行く時間は過ぎている。
 そうわかっていても、私の足は、子ぎつねの亡骸の前から動けなかった。
 涙が落ちた。
 どうして、死んでしまうんだろう。
 こんなに悲しいのに。
「痛かったろうね、ごめんね」
 私は跪いて、子ぎつねの亡骸を抱き上げた。そのまま、私が寝床にしている樹洞のところに戻る。樹の根元に穴を掘って、子ぎつねの亡骸を弔った。
 子ぎつねを埋めた場所に、墓標の代わりに『アーバレスト』を立てかける頃には、私の心は決まっていた。
 ――ここを離れよう。
私にはもう、これ以上の潜伏に意味を見出すこと出来なかった。
 ずっと愛用してきた狙撃銃――『SR43――アーバレスト』。
聖帝様からお預かりした銃器を遺棄することには罪悪感を覚えたが、この先の行動を考えればこれは邪魔になる。いつかまた必要になる日が来たら、その時はここに取りにくればいい。
 そして私は、持てるだけの食料と水、『ケルベロス』だけを持って、潜伏していた森を後にした。

<第三部に続く>

戦塵の魔弾少女 特別短編 ラスト・ワン 第一部

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 第一部


 夢を見た後はうれしい。どんな悲しいことも目覚めれば消えてくれるから。
 夢を見た後は悲しい。どんなうれしいことも目覚めれば消えてしまうから。
 でも、今見ている覚めない夢。この悲しい夢から目覚めるのはいつ?
                      (マーガティの詩集『Never』より)


1 リュミエイラの作戦記録① 最終命令


 私の名前はリュミエイラ。
 部隊の仲間たちは私のことを記録係(ミッションレコーダー)だなんて呼ぶけれど、正直に言えば、その呼び方を嬉しいと思ったことはあまりない。
 体内の法素(ほうそ)を記憶情報化して脳内に留めることで記憶力を高める。私の能力は『法素記憶変換(メモリーホルダー)』なんて呼ばれているけれど、要は、人よりもちょっと記憶力がいいというだけのこと。
 聖帝様のために戦う役割を持つ魔法強化兵(マギナ)である私にとって、そんな地味な能力(ちから)は特に誇れるような物ではなかったし、戦闘で役に立つと感じることも少ない。
 部隊の一員としては、倉庫番(ストアキーパー)の役割を受け持つことはできたけど、それも、装備品の管理に紙がいらないというだけで、私でないと出来ないということではなかった。
 クラリー部隊長のような指揮能力もなければ、よく部隊長と一緒にいるリッカさんやサーシャさんのような戦闘力も、ルーベルちゃんのような射撃の腕前もない。
 黒髪をひっつめたみつあみのお下げと、今ではもう必要のなくなったメガネくらいしか特徴のない、ただ少し記憶力がいいだけの、地味な隊員。
 分隊長リエレイナの率いる『魔法強化兵部隊(レクスマギナ)』第三分隊、狙撃担当の十四歳。
 それが私、リュミエイラ。

 ◇

 革新世紀(エボリューション・エイジ)(E・A)七一年十二月十一日。
 バラトルム聖帝国の帝都ヴァレオンは『世界平和条約機構(ワールド・ピース・ユナイテッド)(W・P・U)』の保有戦力『平和維持軍(サルバトール)』の攻撃を受け、私たち――『魔法(レく)強化兵部隊(スマギナ)』第三分隊はその防衛のため、ヴァレオン南区画で戦っていた。
「『甘い甘ーいケーキが一つ』」
 狙撃中に口を開く人間は珍しいと訓練官に言われた。だが私は、すっかり暗記し口癖になっているマーガティの詩の一節を口ずさんでいる方が不思議と集中力が高まると自覚している。
「『ケーキの上には大きなイチゴ、チョコのおウチと女の子』」
 囁くように、半ば無意識に詠いつつ、私は狙撃銃(スナイパーライフル)『SR四三――アーバレスト』の引き金を引いた。
 銃口から放たれた九・六ミリ口径の狙撃用徹甲弾(てっこうだん)がスコープの中心に捉えていた重装兵の頭部に命中し、弾芯にタングステンを使用した弾丸が高密化チタニウム製のヘルメットを貫通した。頭部を撃ち抜かれた敵の肉体が力を失ってその場に倒れる。
「こちらリュミエイラ、三体目を仕留めました」
 私は通信機を通して、三体目の殺傷(キル)を仲間に報告した。味方がすでに四人の敵を仕留めているから、合わせて七人。私の記憶が確かなら敵部隊は十六人だから、残りは九人ということになる。
 対するこちらは、十人の分隊員のうち、すでに六人が戦死か、あるいは戦闘不能、交信途絶の状態だ。
 もともとの人数差を考慮しても、戦況は芳しくない。
《了解。リュミ、すぐに移動して》
「わかってる」
 分隊長のリエレイナ(お姉ちゃん)に言われるまでもなく、私は次の狙撃ポイントを探して移動を始めていた。
 撃ったら移動。これは居場所を悟られてはならない狙撃手にとって基本中の基本だ。
《まずいよ、このままじゃこの地区を支えきれないっ!》
 通信に飛び込んでくる仲間の切迫した声を聞くまでもなく、状況が不利であることは、分隊の全員がわかっている。
 このままでは勝てない、ということも。
《分隊長、クラリー部隊長に救援の要請を》
《わたしたちがこの状況なのよ、よその分隊も状況は似たようなもののはず。支援はあてにしない方がいいわ》
《でもこのままじゃ――》
《わかってる!》
 錯綜する通信は、聞いたことがないほどに乱れていた。それもまた、隊がかつてない危機的な戦いにさらされていることを物語っている。
《ダメだよ、このままじゃ全滅する! やっ――》
 絶望の声を残して、また一つ、通信が途絶した。これで分隊の戦力は残り三人。
《畜生っ! 侵略者にこれ以上でかい顔をさせるかよっ!》
《ミレイス、無理に攻めないで! 連携を――》
《突破すりゃあいいんだろっ!》
《ミレイス!》
 もう三人しか残っていないのに互いの位置さえ把握できず、連携も取れていない。
 事実上、第三分隊(私たち)は瓦解し、南区画の防衛は崩れていた。私はなんとか味方を支援できるポイントを探していたが、
《くそっ! 畜生、畜生――》
 間に合わなかった。また一つ、交信が途絶する。
《……リュミ、聞こえる?》
「聞こえてるよ、お姉ちゃん」
《あなたは脱出しなさい》
 通信機から、信じがたい言葉が聞こえた。
「脱出? 敵前逃亡しろって言うの? 帝都を守ることが……命に代えても聖帝様の地をお守りすることが私たちの仕事でしょう? 責務を捨てて逃げるなんてできないよ」
 あり得ない、到底承服できない命令に、私は抗議した。
《だから言っているのよ! わたしたちは今日は勝てない。でも、反撃の時が必ず来る。その時に聖帝様の手足となる兵が必要なのよ。生き恥をさらしてでも、反転攻勢の時まで生きることも兵の務めよ》
「でも……」
 それは現場判断での作戦変更――命令無視であり、私たちが受けてきた教育とは違う兵の在り方だ。分隊長にそこまでの権限が与えられているなんて聞いたことがない。
《あなたは脱出しなさい! これは命令ですっ!》
「お姉ちゃん? お姉ちゃん!」
 通信機に呼びかけるが、もう通信は切れていた。反論を聞く気はないという、お姉ちゃんの意志表示だろう。
「脱出しろって……」
 ――仮に私が脱出するとして、じゃあお姉ちゃんはどうするの?
 通信機にその疑問を投げかけたかったが、あいにく通信は切られている。
「……」
 私は狙撃ポイントを探して移動していた途中の、四階建てのビルの屋上に繋がる非常階段の踊り場で立ち止まり、少しだけ考えた。
 私と分隊長(お姉ちゃん)、二人だけの戦力で南区画の防衛は不可能だ。この場で戦闘を継続しても、任された区画を守り切れずに戦死する。
 ならば、脱出してでも生き延びて次の機会を待つべきか。
 今日を生き延びて聖帝様の反転攻勢に呼応せよという命令には、相応の合理性があるように思えた。
「脱出……」
 帝都は包囲されているはずだから、それも簡単なことではないけれど。

 ◇

 妹(リュミエイラ)に一方的に脱出の命令を与えた後、リエレイナは通信機をかなぐり捨てた。
 その足元には一体、敵兵の死体がある。頭部を守っているヘルメットのフェイスガードに真正面からコンバットナイフが突き刺さっていた。
 力任せに殺傷した敵兵の死体を踏みつけてコンバットナイフを抜くと、リエレイラは血を振り払ってから鞘に戻した。
「あと……何人だっけ?」
 銃弾を浴びた腹部が焼けるように熱い。何発もらったんだろう? 出血は止まりそうにないし、弾も何発かは腹の中に残っているだろう。
「七・六ミリを十発くらいかな。……もう、長くはもたないね」
 魔法強化兵(マギナ)の肉体は常人よりも遥かに強靭で、当たりどころ次第ではあるが数発程度の銃弾で致命傷を受けることはない。だが、腹の中に残っている弾は内臓を傷つけ、体力を奪い続ける。
 彼女たちは決して、無敵でも不死身でもないのだ。
 それでも、まだ倒れるわけにはいかない。リエレイナはあえて腹部の銃創に触れると、その痛みで遠のく意識を繋ぎとめた。
「もう少し、もう少しだけ」
 ――あと数分。出来るだけ派手に暴れるんだ。道連れが多ければ多いほど、リュミが脱出できる可能性が高くなる。
 リエレイナは足元の死体から軽機関銃(ライトマシンガン)『LMG五八――ベルゼ・バブ』と腰部に固定されている弾薬ボックスをもぎ取ると、無理やり腰のベルトにくくりつけた。ついでに、戦闘用散弾銃(コンバットショットガン)『ASG六六――プルート』もいただいておく。
「さあ、おいでっ!」
 リエレイラは腹の底から叫び、ヴァレオン南区画を駆けだした。
 どうせもう助からない命だ。身を隠すつもりも、安全性を考慮した戦いをするつもりもない。ただひたすら、南区画にいる敵の注意を引きつけることだけを考える。
 可能な限り、一分でも一秒でも長く。
「もうやめろ、投降を! 命を奪いたくはない! 君は利用されているだけなんだ!」
「散々仲間を殺しておいて何をいまさらっ! 侵略者がぁっ!」
 リエレイラは投降を呼びかける敵兵に叫び返し、『ベルゼ・バブ』を片手保持で発砲した。
 機関銃は本来、片手撃ちするような代物ではなく、敵兵がそれを可能としているのはパワーアシスト機能付きの全身装甲『PA六一――エリゴル』があればこそだ。
 肉体が強化されている魔法強化兵(マギナ)もそう条件は変わらないが、リエレイラの腹部には致命的な傷がある。
 七・六ミリ弾が高密度で連射されると、その衝撃が腹部の銃創に響く。だが構わない。リエレイラは苦痛を奥歯で噛み殺し、弾をばら撒きながら装甲で銃弾を弾く敵兵に詰め寄った。重装兵の腹部の装甲に『プルート』の銃口を押し当てる。
「よせっ――」
 敵の言葉を断ち切るように、発砲。
 高密化チタニウムを多層構造に重ね合わせた装甲とて、ゼロ距離から戦闘用散弾銃(コンバットショットガン)のフルオート射撃を受ければひとたまりもない。腹部装甲が砕け、無数の散弾が臓器という臓器をズタズタに引き裂いた。
「さあ、次に死にたい奴は――」
 半ば、胴体で二つに千切れた敵兵がどっと倒れ、リエレイラが叫んだ瞬間だった。
 リエレイラは、銃弾が空気を切るひゅっという音を、確かに聞いた。
 どこを撃たれたのかもわからない。
 突然、重力から切り離されたように身体が重みを失って、己の意志に従っていたはずのすべてが途切れた。
 ぐるりと世界が回転し、ふわりと身体が浮くような感覚を覚える。
 ――これで死ぬな。
 リエレイラは未知の感覚をそう理解した。
「クラリー部隊長、ありがとうございました」
 死を理解した瞬間、リエレイラは妹(リュミエイラ)を同じ分隊に配属してくれた部隊長(クラリー)への感謝を呟いていた。
 きっと、最後の瞬間に、一分でも一秒でも妹を守れるようにしてくれたのだと思った。
「リュミ――」
 リエレイラの身体が地に倒れる。
 その時にはもう、彼女は絶命していた。

 ◇

 私はビルからビルに渡り歩きながら、帝都を脱出するためのルートを考えていた。
 帝都脱出の最大の障害はもちろん『平和維持軍(サルバトール)』の包囲網だが、もう一つ、大きな壁がある。
 文字通りの大きな壁。ヴァレオンの外周を囲う、都市の防護壁だ。
 通常ならばヴァレオンから出る場合は六方面いずれかのゲートを通行するのだが、今は封鎖されているだろう。
 狙撃銃(スナイパーライフル)と機関拳銃(マシンピストル)しか装備していない私が単独で突破できるはずがない。
 つまり、私がヴァレオンを脱出するためには、都市外周を囲っている防護壁を乗り越えるしかないのだ。
「リッカさんならこういう時、簡単なんだろうなぁ……」
 残念ながら私にそこまでの身体能力はない。とは言え、他人の能力を羨んでもどうにもならない。
 私が他人より優れていることは一つだけ、一度目にした情報は二度と忘れない記憶力だけだ。
 私はヴァレオンの地図を思い浮かべ、高い建物が防護壁近くに建設されているポイントを――防護壁を越えられそうなポイントを探す。
 すぐに三つ、候補が見つかった。私は迷わず、現在地から一番近いポイントを目指し、移動を開始する。
 帝都の外周を囲う防護壁の高さは約六メートル。
 私が見つけた防護壁近くの建築物は三階建てで、屋上の高さは八メートルくらいだろう。
 そして、都市法により防護壁から十メートルの距離にはあらゆる建築物の建設が禁止されている。
 高さの余裕は二メートルあるが、水平距離で十メートルの走り幅跳び。
 私の身体能力では、それは容易いことではない。
 でも、それをやらなければならない。
 私は背負っていた『アーバレスト』を逆さまにして、銃口部分を掴んだ。全長百十五センチの狙撃銃は、銃口からグリップまででも一メートル近くある。このグリップを防護壁にひっかけることができれば、それでいい。
「よし」
 私は呼吸を整えると、ずり落ちていたメガネの位置を直し、可能な限りの助走距離をとって走り出した。
 ――思いきって、跳べ!
 私の足が屋上のふちを蹴り、私の身体が空を舞った。
「うわああああっ!」
 身体を全力で前に押し出し、『アーバレスト』を逆さまに持った手を限界まで伸ばす。
 長い長い一瞬の無重力。
 身体が滑るように落下を始め、絶望的な高さの防護壁が眼前に迫ったその時――
 がくっ、と『アーバレスト』を掴んだ右手に衝撃。
『アーバレスト』のグリップが狙い通り、防護壁に引っ掛かっていた。
 ――やった!
 私は『アーバレスト』の銃身を手掛かりにして防護壁を乗り越えると、転げ落ちるようにして着地した。敵軍は防護壁を乗り越えての脱出を想定していなかったのか、周辺に敵兵の姿はない。
 ヴァレオンの西八百メートルほどの地点に森がある。まずはそこに潜伏し、今後の行動について考えよう。
 そこまでは平地、身を隠すものもない。
 ならば可能な限り迅速に。
「これは裏切りじゃない。来るべき、反撃の日のために……」
 お姉ちゃんや、他の分隊のみんながどうなかったのかもわからない中での戦線離脱に罪悪感がないわけではなかったから、私は、そう自分に言い聞かせた。
 それでも頬を伝い落ちる涙を止めることはできず、私は涙を拭いながら、ヴァレオン西方の森を目指し八百メートルの平地を一息に駆け抜けた。
 追跡されただろうか。だが、たとえ捕捉されていたとしてもこちらが先に身を隠したのだ。待ち伏せへの警戒を考えれば敵がこの森に踏み込んで来るまでは時間があるはずだ。
 私は息を整えながら、森の奥に踏み入っていく。ある程度は地形の把握もしておいた方がいいし、暗くなる前に落ち着いて休めそうな場所も見つけておきたい。
「けっこう深い森なんだ」
 木々の鬱蒼と生い茂った森だった。五十メートルも進むと、曇天の日中だとしても、辺りは薄暗い。私は何となく、ムーンケイブの森を思い出した。お姉ちゃんや仲間たちと訓練を重ねたあの森を。
 あの時は百人近い仲間と一緒だったが、今、私は一人きり。だが、私の闘志は揺らがない。ここからならすぐにも帝都に駆けつけることができる。来たる聖帝閣下の反撃に合わせて、敵の側面を攻める。
 もちろん私一人でどの程度の働きができるかはわからない。だが、それを気にしても仕方がない。問題はどの程度働けるかではなく、この命で出来る最善の仕事をすることだ。
 それが役割であり、お姉ちゃんに託されたことなのだから。
「そのために最も重要なことは――」
 聖帝閣下の反撃はいつか、ということ。
 あらゆる行動に置いて、最も重要なものは情報だ。ただこの森に潜伏しているだけでは味方の行動から取り残されてしまう可能性が高い。帝都の様子だけは絶えず把握しておかなければならなかった。
 私はスリングベルトで背負っていた『SR四三――アーバレスト』に触れた。壁を超える時に無茶な使い方をしてしまったから照準は狂っているはずだし、調整、試射をしなければ狙撃銃としてはあてにならないが、狙撃用のスコープは望遠鏡として使えないものではない。
 今日中に木の上かどこか、見晴らしのよさそうな場所をいくつか見つけて、明日から帝都の様子を監視する体制を整えよう。
 何日くらい続けることになるだろうか。
 数日ならまだしも、一週間を越えてくるようであれば食料の調達も考える必要がある。
 私は携行している装備品を頭の中で数えあげていく。
 携行している武器は残弾七発の『SR四三――アーバレスト』と機関拳銃(マシンピストル)『МP四八――ケルベロス』が一丁。こちらは装填済みの十五発と予備の弾倉が二つで四五発ある。
 状況にゆとりがあれば『アーバレスト』の照準を確かめておきたいところだけど、銃声を立ててしまうし、弾が七発しかないことを考えると悩ましいところだ。
 ウエストバッグの中には携行食糧が少しと小さな水筒。衛生キット、軽量の雨合羽(ポンチョ)、ツールナイフとライター、個形燃料が三つ。
「とても長持ちする装備ではないけれど、これで何とかするしかないし……」
 まずは帝都を監視するポイントの選定と、行動拠点の確保。それから水と食料の調達だ。
「さあ、仕事をしなさい、リュミエイラ」
 たとえ最後の一人になったとしても、私は『魔法強化兵部隊(レクスマギナ)』の一員であり、バラトルム聖帝国を支えるべき兵の一人なのだ。
 バラトルム聖帝国の兵として、やるべきことは無数にある。
 私はそれに没頭した。
 やるべきことがあるのはありがたいことだった。
 その間は一人になってしまったことを、お姉ちゃんがいなくなってしまったことを、感じないで済むから。


 私が帝都を望むことのできる見晴らしのよい樹上のポイントを三か所確認した時点で、雨が降り始めた。ざあざあと、葉を叩く雨粒の合唱が森の中に響く。
 雨音は気配を隠す。私にとっても、いつ来るかわからない追手にとっても、敵にも味方にもなる。この雨はどちらの味方になるだろう。
「……雨の気分をあてにはできないし、自分の力で雨を味方にしないとね」
 身体を冷やせばそれだけ体力を失う。私はバッグの中から雨合羽(ポンチョ)を取り出すと、降り始めた雨から身を守った。
「今日はここまでか。あとは休める場所を……」
 出来れば雨に濡れずに休めるところがあればいいんだけど。
 私は雨を防げる場所を探して、森の中をさまよう。
 森を歩きまわっていた私は幹に樹洞のある大木を見つけた。私が両腕を広げても端から端まで届かない太い幹に、ぽっかりと穴が空いている。
「ここでいいかな」
 私は樹洞の中を覗き込んだ。広さは膝を抱えれば私一人なら何とか入り込めるくらいで、水もたまってもいないし、虫も、住み着いている動物もいなさそうだ。
 これなら雨風を凌ぐだけなら十分そうだ。私は手近なところからきれいな葉をむしって中に敷き詰めると、洞穴の中に入った。
 少し気を緩めると頭をぶつけそうになるけど、これで雨に濡れないで休むことができる。
 私はバッグから水筒を取り出すと喉を湿らせる程度に水を飲んでから、口を開けたままにして地面に置いた。しばらく置いておけば雨水がたまるだろう。
「疲れたな……」
 とりあえず、少し眠ろう。
 雨合羽(ポンチョ)を寄せて体温を守ると、私は目を閉じた。
 パラパラと、森に雫が落ちる音だけが聞こえる。誰の声もしない。
 独りになったのだと、初めて感じた。
「寒い……」
 息が白い。手先が震えている。私は身体をできるだけ小さく寄せて、かじかむ指先を息で温める。
「『深い深い闇に沈んで目を閉じる』……」
 私はいつものようにマーガティの詩を諳(そら)んじる。
「『ここは暗い暗い海の中。
 静かで、一人。誰もいなくて、一人。
 私は潜る、ふわふわ沈む。
 冷たい冷たい、寒い寒い、真っ暗な海の底。
 でもちょっとだけほっとする、一人ぼっちの海の底』」
 私は本に載っていた写真でしか海を見たことがない。もちろん、海に入ったこともない。
 だから、海に沈んでいくという感覚は私にはわからない。でもこの詩を詠むと、いつも身体がゆっくりと深い水の底に沈んでいくような気持ちになる。
 音が消え、光が消え、身体の重さがなくなって。私は海底の柔らかい砂の上に、……とすん、と静かに横たわる。後はもう、生まれる前のような深い安らぎの中で目を閉じているだけだ。
 海の底でそうするように、私は樹洞で目を閉じた。
 深海に沈んでいくように、私の意識は落ちていった。

 ◇

 革新世紀(E・A)七一年十二月十五日。
帝都を脱出してから四日目。私は森に潜伏し、帝都の監視を続けていた。
 ヴァレオン防衛戦の日に降り始めた雨は、今日も降り続いている。
 今日までの三日間、帝都に大きな変化はなく、時折銃声がするなど小競り合いの気配は感じられるが反転攻勢といった大きな戦闘が起こっている様子はない。
 私は帝都の監視を続けながら、帝都の現状を推測する。
 聖帝様はおそらく地下施設などに身を隠し、防衛体制を整えながら進行してきた敵部隊に対するゲリラ戦に出るだろう。聖帝閣下が健在であるとなれば、敗走していた各地の部隊も士気を取り戻し、この帝都に集結してくるはずだ。
 反撃の時は必ず来る。
 私の仕事も、その時だ。
 私は監視塔として利用している木から下りると、寝床にしている木の所に戻った。この木の近くに湧き水の出ている場所も見つけたし、森を歩けば食用にできる野草や木の実なども見つけられる。しばらく潜伏するくらいなら問題はなかった。
 私は小一時間ほど森の中を歩いて、今日の分の野草とキノコ、木の実を確保した。この数日、以前に読んだ野草図鑑の記憶が思わぬ形で役に立ってくれている。
 私は石で作ったかまどに固形燃料を置くと、水筒のふたをコッヘルの代わりにして、集めた食材を煮始めた。
 何の味もないただ茹でただけの水煮だが、それでも食べれば生きられる。
 死が許されるのは、それが聖帝閣下の役に立つ時だけだ。
 わたしは固形燃料の火を消すと、水筒のふたが冷めるのを待った。コッヘルと違い取っ手がないから、加熱してすぐは素手では触れない。
「聖帝様、頂戴します」
 火傷しないくらいに冷めたことを確認すると、私は聖帝様に感謝して、その水煮を食べた。青臭いだけの葉っぱだがしつこく噛みしめているとかすかな甘みを感じられるし、キノコのつるっとした食感も悪くない。温かいお湯を飲むことで体温も上がる。十分だ。
 食事を終える頃になると、日暮れの時間が近づいていた。
 雨がやむ気配もなく、森の中はみるみる闇に包まれていく。
 また、少し眠っておこうか。
 私は樹洞にもぐりこんだ。
 食べたばかりなのにお腹が空いているけど、もう気にせずに目を閉じた。


 私が帝都を脱出して八日目――革新世紀(E・A)七一年十二月十九日の深夜。
 夕方に軽く眠った私は夜陰に紛れて森の中を移動し、帝都の様子を確かめるために監視ポイントにしている木の上に登った。
『アーバレスト』のスコープを使って帝都の様子を確かめていると――
 ずん、と、遠く離れていてもわかる爆発音が一度、響いた。
「!」
 それから数度、パラパラパラパラパラ……と断続的な銃声が聞こえた。
「交戦? 味方が反撃を始めたの?」
 私も動くべきかと考える。だが、帝都に友軍が集結してきた様子は確認できていない。戦力的な不利を覆すことはできていないはずだった。友軍が――聖帝様が反攻に出たのだとしたら、なぜ、このタイミングで?
 私は自分の持ちえる情報の限りを尽くして、現状を推測する。うかつに動いて犬死にをすることだけは避けねばならない。
「……静かになった。終わったの?」
 戦闘は私が状況を分析している間に収束したらしい。
 帝都はすぐに静かになった。
 聖帝様の部隊が本気で戦闘を仕掛けたのだとしたら、こんなに早く戦闘が終わるとは思えない。
 つまり、先ほどの戦闘は散発的に発生したものか、あるいは帝都に潜伏している味方が敵を疲弊させるために仕掛けたものなのだろう。
 つまり、私の命を使うべき乾坤一擲の一戦ではないのだ。
 その戦いは、帝都に友軍が集結してからになるはずだ。
 私は木の上から下りると、拠点に戻った。
 樹洞にもぐりこんで、私は帝都にいる聖帝様のことを考えた。自らの都を他国の軍に踏みにじられて、忸怩たる思いでおられることだろう。
 それは私も同じだ。だが血気にはやってはいけない。今は耐える時なのだ。
 その先にある勝利のために。
 だが、私は心のどこかで、恐怖を感じてもいた。
 その戦いの時は、いつなのか。
 あるいは、私が気がつかないまま、その時は過ぎ去ってしまったのではないか。
 この森に身を隠してから八日間。先ほどの爆発音は、その間で起こった最も大きな出来事には違いなかった。
 もしかしたら、私は死に時を見誤ったのではないか?
 あの爆発を確認した瞬間に、私は聖帝様の兵として帝都に馳せ参じるべきだったのではないか?
 私には到底、正解のわからない疑問がぐるぐると脳裏をめぐる。
 不安に負けてはいけない。
 戦いは、まだ続くのだ。
 私が私で居続ける限り。
 翌日、ヴァレオンの戦いの日から降り続いていた長雨が上がった。
 



2 平和の日々


 革新世紀(E・A)七二年二月二十日。
 ヴァレオンの戦いから間もなく三カ月が経過しようとしていたこの日、リッカは久しぶりにオークストラの空を見上げていた。
 記憶の中にあるオークストラの空は霞がかったくすんだ色だったが、今、オークストラの上空には透き通るような青空が広がっている。
 ――こんなに青かったでしょうか?
 空の色だけを見ていると、まるで別の場所にいるのではないかとさえ思えてくる。
 だが、足をついている大地に視線を下ろせば、一面を埋め尽くす瓦礫の山は記憶していたままでなにも変わっていない。
 対テロ作戦の一環として破壊された工場地帯の、その跡地だった。この辺りはまだ復興が始まってはいないらしい。
「あれから二年以上経ったんですね……」
 風が、短めにカットしたリッカの赤毛を揺らして吹き抜けていった。その匂いも記憶のままだ。
 クラリー、ルーベル、ラトナ、シグ。
 リッカはかつて、『家族』と呼び合った四人の仲間たちと、ここで暮らしていた。廃工場の地下で身を寄せ合い、気ままに街を駆け回りながら、力を合わせて生きていた。
 今はもう、リッカとルーベルの二人しかいない。
 リッカが久しくこの場所を訪れたのは、いなくなってしまったうちの、その一人に会うためだった。
「確かこの辺りのはずですけど……」
 リッカは記憶を頼りにシグの墓を探して、瓦礫の中を歩いた。
「あ、ここですね」
 瓦礫の山の中の開けた一角に、白いハンカチを結びつけた一本の鉄パイプが立ててあった。シグの墓の目印としてリッカたちが立てたものだ。
 あれからの月日を物語るように、ハンカチはすっかり汚れている。
「……シグ。あれからいろいろとあって、ずっと来れなくてすみませんでした」
 実を言えば、施設に入ったばかりだし、まだまだ思い通りに動ける身ではない。今日は施設職員のマレアに少しワガママを言って連れて来てもらっていた。
「寂しくないですか? クラリーとラトナは一緒ですか?」
 もし死後の世界があるのならそこでみんな一緒にいるのだろうと思うし、そうであってほしいと思う。
「クラリーとラトナ、みんなと一緒に待っていて下さい。ルーベルのことは、わたしが一緒ですから心配しないで下さいね」
 リッカは立ち上がり、もう一度空を見上げた。
 ――クラリー、ラトナ、シグ、サーシャ、みんな。
『家族』として一緒にこのオークストラで生きていた仲間のことを想う。サーシャやペリエ、『魔法強化兵部隊(レクスマギナ)』の仲間たちのことを想う。みんな一緒にいるだろうか?
「もしそうだったら、シグは女の子に囲まれて大変ですね」
 そんなことになったらシグはきっと恥ずかしがって、不機嫌そうな顔をしてばかりになるだろう。
 クラリーとラトナ、『魔法強化兵部隊(レクスマギナ)』の少女たちに囲まれているシグを想像すると、少し可笑しくて、リッカは一人でくすくす笑った。
 リッカがこうして笑えるのは生きているからで、リッカがこうして生きているのはクラリーとの約束があるから。
 リッカの今があるのは、クラリーの願いがあったからだった。
「クラリー、わたしはちゃんと生きてますよ」
 心地よい風がオークストラの郊外を吹き抜けていく。

 ◇

 検査とカウンセリング、そしてガエン政権の戦争犯罪に関しての事情聴取を主な目的とした約二カ月の入院の後、リッカとルーベルはバラトルム南西部の平原地帯にあるスターリアの町の児童福祉施設に移された。
 この児童福祉施設は『世界平和条約機構(W・P・U)』が用意したもので、リッカとルーベルはここで五人の保護司、十三人の孤児とともに共同生活のような形で暮らしている。
 魔法強化兵(マギナ)育成を目的としたバラトルム政府の児童保護施設などとは違う、本当の児童保護を目的に作られた施設だ。
 保護司たちはリッカとルーベルの事情を知らない。
 リッカとルーベルが肉体を非人道的手段で改造された魔法強化兵(マギナ)であることも、ガエン独裁政権の兵として人殺しをしていたことも、なにも聞かされていない。単に内戦で親を失い保護された戦災孤児だと思われている。
 これには『世界平和条約機構(W・P・U)』の内部的な事情も絡んでいた。
 バラトルムの独裁政権によって肉体改造を受けヴァレオン防衛戦に参加したリッカたちは、ジグマ社を筆頭に軍需産業と繋がりの深い『世界平和条約機構(W・P・U)』の強硬推進派にとっては興味深い研究対象であり、強硬派の活動を牽制したい融和政策派にとっては『平和維持軍(サルバトール)』がバラトルムで少年兵を巻き込んだ軍事作戦を展開したことを証明する生き証人である。
 どちらの陣営から見ても、リッカたちは重要性のある人物なのだ。
 そのどちらにも属さない人権派としてリッカたちを保護したノーマン・アドルソンは、リッカたちがそうした政争に巻き込まれることを嫌い、可能な限り、ただの戦災孤児として処理をした。
 リッカとルーベルが穏やかに過ごせる今は、その尽力の成果と言えた。

 革新世紀(E・A)七二年二月二三日。
 正午過ぎの青空の下に、柔らかく耕された畑が広がっていた。土の上を這うように蔓が伸び、葉もたっぷりと茂っている。
 リッカは作業用の軍手を履いた手でその蔓の根元を掴むと、力を込めて蔓を引き抜いた。
「ん――わっ」
 硬いかと思っていたら予想より簡単に抜けてしまった。勢い余ったリッカは盛大に芋を振り上げて、芋に付いていた土を背後に飛び散らせながら畑の土に尻もちをついた。
「わぶっ、なんだ?」
「リッカか? やめろよ」
「ご、ごめんなさい」
 リッカがまき散らした土を浴びた少年たちから非難の声が上がり、リッカは詫びた。どうにも、力加減が難しい。
「……でも、採れました」
 リッカの手には、蔓で繋がったたくさんの芋。
 自分の手で耕した畑に、自分の手で種芋を植え育てた芋だ。
 収穫の喜びに、リッカは表情をほころばせた。
「ルーベル、ほら、見て下さい。たくさん採れました」
 リッカは少し離れた場所で農作業に勤しむ子供たちを眺めていたルーベルに歩み寄り、採れたばかりの芋を見せた。
 ルーベルは芋を見せられても特に表情を変えることもなく、ただ、両方の側頭部で結った淡いオレンジのブロンドを不安げに揺らして、ぼんやりした瞳をリッカに向けた。
「今夜食べましょうね。ルーはなにが食べたいですか?」
「……」
 ルーベルは思案しているような返答に困っているような、そんな顔をリッカに向けた。
「まだ寒いですし、温かいシチューとか美味しそうですね」
「……うん」
 ようやくうっすらと笑みを浮かべたルーベルが、こくりと頷く。
「たくさん採れましたか?」
 リッカがルーベルと話していたら、子供たちの畑仕事を監督していた保護司のマレア・セラーが声をかけてきた。
「はい、こんなに採れました。じゃあ、わたしはもう少し作業がありますから、これはルーが持っていて下さい」
 リッカは手にしていた芋をマレアに見せてから袋に入れ、ルーベルに預けた。
「じゃあルーベル、もう少しで終わりますから待ってて下さいね」
 にこりと笑いかけてルーベルの髪を撫でようとしたリッカが泥だらけの手に気付いて苦笑した、その時だった。
「――!」
 ――襲撃!
 常人を超越した聴覚が危険を察知し、リッカは咄嗟に振り向いた。視界に触れた黒い飛来物から顔をかばうと、それはリッカの手のひらに当たって潰れた。
「ちっ、はっずれー」
「へったくそー」
 リッカの手に当たって潰れた物は、畑の土を固めた泥団子だった。
 投げたのはリッカが先ほど泥をかぶせてしまった少年たちだ。はずれと言ったところをみると、リッカの後頭部に泥団子をぶつけようとしたのだろう。
「こら! なんてことするのエルヴィン! 女の子に乱暴したらだめでしょう!」
「なんだよー、さっき泥をぶっかけられたお返しだろ!」
 マレアの叱責に口答えしつつ、エルヴィンと仲間たちは逃げて行った。
「ごめんなさいね、大丈夫?」
「――あ、はい、平気です、ただの泥ですから」
 リッカは手のひらの泥を落としながら笑った。
 そう、泥だから平気。
 ここは戦場ではないのだから、もう銃弾が飛んでくることはない。そうわかっていたはずなのに過敏に反応してしまった自分に内心で苦笑する。
「ごめんなさいね、あとで私から言っておくわね」
「いえ、もともとはわたしが土をかけてしまったせいですし」
 銃弾の雨すらかいくぐったことがある身だ。泥団子の一つや二つ、なんてこともない。
 ただ、同じ建物で寝起きしている少年から物を投げられたことが少し悲しい。
「あなたがしっかりしてくれているから私も助かるわ。ありがとね」
「しっかりなんて、してないですよ。ずっと、なにも出来なくて……」
 あの戦場で、ヴァレオンの戦いで、なにもできなかった。今、自分がここにいるのは、全部、クラリーのおかげだ。
 それはリッカの本心だった。
 強くて、優しくて、いつだって冷静で。国のために、聖帝のために死ぬのだと心を支配されていたリッカたちを生かすために全身全霊、文字通りすべてをかけてくれた人。
 それがクラリーだ。
 ――あと少しだけでも何かできていたら、クラリーの力になれていたら、クラリーは死ななくて済んだのではないでしょうか?
 胸を刺されて、両足を潰されて、雨に打たれて。そんなふうに死なないで済んだのではないか?
 それは何度繰り返したかわからない自問。
 もう、回答を得ることは永遠にかなわない問いだ。
「リッカさん……?」
 憂いを帯びたリッカの表情に、マレアが首を傾げた。
「……すみません、大丈夫です。もう採れそうな葉野菜がいくつかあったので採ってきます。ルーはマーヤと一緒に、もう少し待っていて下さいね」
 心配そうなマレアにリッカは微笑みを向け、リッカは畑に戻った。
 この施設で暮らし始めて、すべてがうまくいっているというわけではないと思う。それでもリッカは、この施設での暮らしになんの不満もなかった。
 リッカのただ一つの気がかりは、ルーベルのこと。
 入院してから一週間と経たないある日を境に両足に原因不明の脱力が起こり、歩くことが困難になってしまったのだ。今はどこに行くにも車椅子を必要とする生活である。
 いくら検査をしても外科的な要因は見つけることができず、心因性のものではないかと医師は語った。
 その説明の大部分に納得しつつ、リッカは心のどこかで不安を感じている。両足の脱力という症状は、リッカにクラリーの最期の姿を連想させる。
 落下した鉄骨に両足を潰された、痛ましい姿を。
 ルーベルはクラリーの最期の姿を見てはいないはずだ。だが、どこかでクラリーの痛みを感じているのではないか?
 そんなことあるはずがない。そう思いつつも、つい、そんなことを考えてしまう。
 リッカは青々した葉野菜をいくつか収穫すると、ルーベルのところに戻った。
「お待たせしました、わたしの今日の作業は終わりです。少し景色を眺めてから戻りましょうか?」
「……うん」
「はい。じゃあ行きましょう」
 リッカは車椅子を押して、スターリアの郊外を歩き始めた。
 これからのことを思うと、不安もないと言えばうそになる。悪夢にうなされる夜も、突然、罪悪感に襲われることも、そう珍しくない。
 ――でも、まだ生きています。
 この世界が嫌になったことも、命を投げ捨てたいと思ったこともある。
 でも、リッカにはこの世界を生きるたった一つの命しかない。
 どこにも代わりなんてないし、やり直しも出来ない。
 一回きりだ。
 だから、雨に濡れても泥にまみれても、どんな罪に汚れても、ちゃんと生きる。
 この重みと痛みを胸に抱いて、共に生きていくしかない。
 死者に報いる方法は、きっとそれしかないのだ。
 ――そうですよね? クラリー、ラトナ、サーシャ。
 リッカは真っ白い太陽の輝く青空を見上げ、もしも天国があるならばそこにいるであろう友を想った。

 ◇

 児童福祉施設では、リッカとルーベルは二人で一部屋を利用している。ベッドが二つと机が一つ、小さなクローゼットがあるだけのシンプルな部屋だ。
 机の上には封筒が一つ。リッカ宛ての手紙は検査入院とカウンセリングを終え退院した時に出したソルへの手紙の返事で、届いたのはつい先日だ。
 リッカは封筒から便箋を取り出し、開いた。
『リッカさんへ。
 お手紙ありがとうございます、ソルです。
 無事に退院されたそうで、ほっとしました。
 これからはルーベルさんと一緒に施設で暮らすことになったんですね。お二人が一緒にいられると聞いて、なんだか僕もうれしいです。
 この先も、いろいろと大変なことがあると思いますが、本当に辛いことを経験してきたお二人ならきっと乗り越えて行けると思います。
 それでも辛いと思うことがあったら、いつでもファザーフに来て下さい。
 いつまでも変わらない、なにもない村ですが、だからこそ、ここはいつでも、誰でも帰ってこれる場所なのではないかと、最近はそんなふうに感じています。
 それではどうかお元気で。ルーベルさんにもよろしくとお伝えください』
 手紙は彼らしい優しい字で書かれ、赤と黄色の小さな花で作った押し花が添えてあった。
 おそらく、リッカとルーベルの髪の色に合わせたものだろう。
 赤と黄色の花を並べると、なんだか自分とルーベルが並んでいるように見えて、リッカはそれが、ちょっと嬉しい。


 革新世紀(E・A)七二年二月二六日。
 この日の夕食はポテトグラタンとポテトフライ、サンドイッチだった。自分たちで育て、自分たちで調理した食事はまた格別な味わいがある。
「グラタンうめぇな」
「俺の芋だぞ」
「お前だけじゃないだろ、俺だって植えたぞ」
「お前のはちっちゃかった奴だろ?」
「なによ、作ったのはあたしたちでしょ」
「味付けしたのはレムなんだからね」
 美味しい食事に少年たちがはしゃぎ、調理は自分だと少女たちが胸を張る。
 無理もない。少なくとも半年前には路上で残飯をあさりながら生きてきた子供たちだ。毎日食べる物があって、ゆっくりと眠れる場所がある。安心と安全に包まれた日々が嬉しくてたまらないのだろう。
 リッカとルーベルは、その平穏に心から馴染みきれないでいる。
 路上で暮らし食いつなぐだけで精一杯だった子供たちに比べれば、衣食住という点では遥かに満たされてはいたのだ。むしろ満腹は害悪、食事は必要最小限にとどめ、いつでも動ける万全の身体を維持するようにと教えられてきた。
 いまさらそんな必要はないのだと理解してはいても、『魔法強化兵部隊(レクスマギナ)』の一員として活動していた頃の感覚はまだ残っている。リッカは物音を立てないように、細々と食事を進める。
「ルー、おいしいですか?」
 ちらりと隣に座っているルーベルの様子をうかがうと、ルーベルは膝の上にクマのぬいぐるみ(マーヤ)を乗せたままじっとしているだけで食事を始めてはいなかった。
「ルー?」
 リッカは食事の手を止めて、ルーベルの顔を覗いた。ルーベルはぼんやりと、焦点の定まらない視線を食卓に向けている。
「ルー。ほら、食べましょう」
「でも、ルーはお手伝いしてないから……」
「いいんですよ。それでも、これは全部ルーの分なんですから」
「……でも」
 ルーベルが何に逡巡を感じているのかが、リッカには手に取るようにわかる。
 ――この国のすべては聖帝閣下の所有物だ! 役立たずに食わせるものはない!
 訓練を受けていた頃から、そんなふうに何百何千と怒鳴られた。
 振り返ればあれは異常な心理状態だったとわかる今になっても、『魔法強化兵部隊(レクスマギナ)』として活動していた時に、国の役に立っていることで生きる――存在する価値を得ているのだという実感を持っていたことは否定できない事実だ。
 幸福はもちろん、食べ物も、自身の存在さえ決して無償ではない。
 戦いの中で自分の価値を証明し続けることが、生きる条件。
 そんな価値観の中で過ごしてきた時間と、その中で奪い続けてきた命。
 それを想うと、無償で与えられる糧に妙な居心地の悪さを感じてしまうのだ。
「あら、食べないの? 何か苦手な物があったかしら」
 マレアが食事の進んでいないルーベルに気がついて、様子を見に来た。
「あの、ルーはわたしが見てますから、大丈夫です」
「そう? そうね、じゃあお願いするわ」
 リッカがルーベルに手を貸そうとしたマレアに断りを入れると、ルーベルがリッカ以外に心を開いていないことを知っているマレアは他の子供の様子を見に戻っていった。
「さ、ルー。まずは一口食べてみましょう。ほら、あーんってして下さい」
「……うん」
 リッカが少量のポテトグラタンをスプーンにとって差し出すと、ルーベルが大人しく口を開けた。リッカは冷め始めているポテトグラタンをルーベルに食べさせた。
「おいしいですか?」
 ルーベルの可愛らしい口が、もくもくとポテトグラタンを咀嚼する。と、不意にその動きが止まった。
「ルー?」
 まだ口の中に残っているはず、とリッカが訝しく思った、その瞬間だった。
 ルーベルが、吐き気を催したように背中を丸めて口を押さえた。
「ルーっ」
 ルーベルは肩を震わせて吐き気をこらえると、嘔吐はなんとか堪えて、口の中に残っていた物を飲み込んだ。
「ルー、大丈夫ですか? ルー?」
 口を押さえたままルーベルは動かない。その背中をさすりながら、リッカはルーベルの顔を覗き込む。苦しげに閉じたルーベルの瞼から、ぽとりと涙の雫が落ちた。吐き気に震えた背中が、今度は嗚咽に震え始めた。
「あーあ」
 食卓を囲んでいた少年の一人――エルヴィンがまただよと言いたげに聞えよがしな声を上げた。その声に、ルーベルの背中がまた震える。
「エルヴィン」
「ふんっ」
 マレアの叱責から顔を背けると、エルヴィンはリモコンを取ってテレビを点けた。
《暫定政府は代表選挙へ向けた行程表を作成していくと発表しましたが、バラトルム各地ではいまだに旧政府軍残党によるテロが散発的に発生しております。こうした状況下で代表選挙を実施するというのは――》
《『世界平和条約機構(W・P・U)』の広報官は『平和維持軍(サルバトール)』の駐留部隊によるテロの封じ込め計画を進めているようですが――》
《――選挙は侵略者と売国奴の共謀にされた不法不当なものであり、我々はこのような暴挙を決して認めない。約四ヶ月後に迫ったバラトルム初の代表選挙に対し、バラトルム愛国戦線を名乗る旧政府軍勢力がこのように声明を――》
 エルヴィンがぽちぽちとチャンネルを回すが、複数ある局はどこも報道番組を流していて、子供向けの番組は放送していなかった。
「なんだ、つまんねーの。あっちでカードでもやろうぜ」
「こらこら、遊ぶのは食器を片づけてからよ」
「はぁーい」
 食事を終えた少年たちが食器を流しに運ぶと、ばたばたとカードゲームの置いてある部屋に移動していく。にわかににぎわいを増した風景から取り残されたように、リッカとルーベルを包む空気だけが沈んでいた。
 すがるように肩を掴んだルーベルの手から、その心の痛みが伝わってくるような気がする。リッカはそっと、ルーベルの手に自分の手を重ねた。
「ルー、お部屋に行ってもう少しだけ食べましょう? ね、そうしましょう」
「……うん」
 涙をこぼしながらも、ルーベルがこくりと頷く。リッカはルーベルの食事をトレーに移すと、ルーベルの膝に乗せた。
「マーヤを汚さないように気をつけて下さいね」
 リッカはルーベルの車椅子を押して、二人の部屋に戻った。
 それで少し落ち着いたのか、ルーベルはリッカの介添えで全量の三分の一ほどを食べた。
「美味しいですか?」
「うん」
「よかったです。もう少し食べますか?」
「ううん、もういい」
「そうですか。じゃあベッドに行きましょう」
「うん」
 食器を乗せたトレーを机に移すと、リッカは車椅子に座っていたルーベルに肩を貸して、ベッドに寝かせた。
「はい、ルーの大好きなお友達ですよ」
 枕元にクマのぬいぐるみ(マーヤ)を置くと、ルーベルの小さな手がぬいぐるみの腕を掴んだ。リッカはルーベルのさらさらのブロンドを優しく撫でると、枕元を離れた。
「食器を片づけてきますから、少しだけ待っていて下さいね」
「平気だから」
「はい、行ってきますね」
 リッカはトレーを手に、ルーベルを残して部屋を出た。
 キッチンに向かう途中、ルーベルの容体についての医師の言葉を思い出す。
 ――検査結果を見る限りでは、ルーベルさんの身体に異常はありません。
 足が動かなくなったルーベルの症状について、担当してくれた医師は外科的な処置では対応できないと言った。
 ――あまり断定的なことは言えませんが、心因性……ヒステリー性の神経麻痺のようなものかもしれません。明日にも治るかもしれませんし、一年、もしくは十年かかるかも知れません。
 リッカはため息をついた。
『不滅の盾(アイアス)』やフォレア村の人々。『平和維持軍(サルバトール)』の兵士。そして、ロイゼ。
 望んだわけでもなく、ダイラムたちに支配されていた時のことだとしても、ルーベルが奪った命はあまりにも多い。
 もちろんリッカもそれは変わらない。だが部隊配置の関係上、リッカは非武装の民間人や無抵抗の相手を殺したことはなかった。一方のルーベルは、狙撃手として抵抗すらできない相手を何人も葬ってきた。
 自分たちを救おうとしていたロイゼすら、その手にかけてしまったのだ。
「自分を許せない気持ち……でしょうか」
 ルーベル自身の自分を責める気持ちが、自分の身体を攻撃してしまっているのだろうか。
 リッカやそれ以外の誰が許すと言っても、ルーベルは自分を許せないかも知れない。
 それは、悲しいことだと思った。
 少なくとも、不幸になるためにあの戦いを生き延びたのではないはずなのだから。
「リッカさん、ルーちゃんの様子はどうかしら?」
 リッカがキッチンで食器を洗っていたら、マレアが手を貸しにきた。
「はい、ちゃんと食べてくれました。今はベッドで休んでいます」
「そう、よかったわ」
「ありがとうございます」
「お礼なんて言わないで。それよりごめんなさいね、エルヴィンにはいつも言っているのだけど」
「大丈夫です、ルーは強い子ですから」
「そう……そうね。でも、エルヴィンのこともあまり悪く思わないであげて。あの子は戦争でお姉ちゃんを亡くしているから、きっと優しいお姉ちゃんに守ってもらってるルーちゃんが羨ましいんだと思うの」
「……そうだったんですか」
 それもまた、戦争が残した傷の一つ。
 バラトルムでは、誰もが傷ついている。すべての傷が癒えるまでは長い時間がかかるだろう。あるいは、永遠に癒える日は来ないかもしれない。
「それは、悲しいです」
「ええ。だから、みんなで悲しいことを一つずつ減らしていきましょう。そうすれば、いつかきっとみんなで笑える日が来るわ」
 リッカの洗い物を手伝いながら、マレアが微笑んだ。その微笑みは少しだけ、ロイゼに似ているような気がした。
 食器を片づけてリッカが部屋に戻ると、ルーベルはもう寝息を立てていた。ぎゅっとマーヤを抱きしめて眠っている。
 そっと寝顔を確かめると、目尻が涙で濡れていた。
「おやすみなさい」
 囁きかけて、リッカは人差し指でルーベルの涙を拭い、さらさらの髪を撫でた。
 ――ルーベルがまた笑える日までは。
「ずっと一緒にいますからね、ルーベル」
 ルーベルの顔にあの天真爛漫な、リッカの大好きな笑顔が戻るまでは、絶対に離れない。
 そばにいて、守り続ける。
 クラリーが、そうしてくれたように。
 可愛らしい寝顔を見つめて、リッカは改めて誓いを立てた。

<第二部へ続く>

『最強勇者の弟子育成計画』第十二話 大会

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 第十二話 大会


 学院から帰ってきたカリーナは、やけにやる気に満ち溢れていた。
 いや、今までも十分にやる気はあったが、今日は一段と覇気が強いというべきか。
 なにせ屋敷に帰ってくるなり、彼女は地面に額が着いてしまいそうな勢いで頭を下げ、俺にこう言ったのだ。

「どんなに苦しい修行でも耐えてみせます。どうかわたくしを、次の魔法大会で勝てるようにして下さい!」
「あら~、凄いやる気ね~」

 カリーナの気迫に、ウリエルも頬に手を当てながらちょっと驚いている。
 ……そういえば、彼女は昨日から王都に帰っていないのだが、ギルドの仕事とかは大丈夫なのだろうか?
 朝も起きるのが遅く、昼近くまで爆睡していたし……
 まあ俺が心配することでもないし、あまり考えないようにしよう。

 さて、カリーナから苦しい修行とやらを所望されたわけだが……ぶっちゃけ、魔法を教えられない俺に、そんなことを言われても困る。
 多分、一番効率的なのは、毎回ご飯を限界まで食うことだ。
 いっぱい食べたら、それだけステータスが早く上がるからね。
 でも、それでは納得しない気がする。

 例えば、俺がまだ日本にいた時に「ご飯をお腹いっぱい食べてるだけで東大に受かるよ」と言われても信じなかっただろう。
 そこに科学的根拠があったとして、懇切丁寧に説明されても絶対に信じなかったと思う。

 適当にそれっぽいだけの修行をでっち上げると、ウリエルに看破されそうだし……
 俺が黙って悩んでいると、その沈黙をどう受け止めたのか、カリーナが不安そうな顔をしていた。
 なので、ついその場しのぎの言葉を口にしてしまう。

「どんなにつらい修行でもか?」
「はい!」

 物凄く良い顔をして頷かれた。
 どうしよう、大食いにでも挑戦させてみるか?
 いや、それで無理をして吐かれたら元も子もないし……

 他に思いつくのは、カリーナが扱える属性で、俺が教えられそうな応用があるぐらいだ。
 でもそれには、元になる魔法を覚えていないと話にならない。

 俺はウリエルに、カリーナが大会までにその魔法を覚えられそうかどうか聞いてみた。

「ん~……その魔法だと、あと半年は時間が欲しいわね」
「半年か……」

 夏の大会までは、残り二ヶ月とちょっとしかない。
 その約三倍も時間が必要となると、やはり無理だろうか……

 とそこまで考えたところで、俺は超有名な漫画にあった、一日で一年の修行ができる異次元空間のことを思い出した。
 流石にあれを再現することはできないが、要するに一日の修行時間を長くすればいいのではないだろうか?
【エレメンタル・スフィア】には時間に干渉できるような魔法はないので、なるべく修行以外の時間を削るようなことしかできないが、これは名案だと思った。

「よし、じゃあ今から大会前日までは寝ないで頑張ってみよう。それなら学院に行っている時以外は、ずっと魔法の練習ができるからな」
「はい! …………えっ?」

 いい返事をしてから、カリーナの表情が固まった。
 それはそうだろう。
 単に二ヶ月間ずっと寝るなというだけなら、体を壊して欠場するのがオチだ。
 だがこの世界には、俺が元いた世界では不可能だったことを可能にする魔法があった。

「ああ、体のことは心配するな。この間、お前に【パーフェクト・ヒール】をかけたら目の下にあったクマが消えたし、それで寝不足や疲労も回復できると思う」
「そんな魔法があるんですか?」
「え?」

 カリーナの反応に疑問符を浮かべると、何かを察したウリエルが苦笑した。

「【パーフェクト・ヒール】なんて、人間で使えるのはアデルと、あともう一人ぐらいよ。普通の魔法使いは、存在すら知らない人も多いわ」

 そうだったのか……。
 カリーナと初めて会った時に彼女が衰弱していたのは、てっきり嫌がらせで回復魔法をかけてもらっていなかったからだ思っていた。

 これは後になって知ったことだが、回復魔法のある光属性は扱える人間自体が稀少らしい。
 でも天使だと、逆に光属性の魔法を使えない者の方が珍しいのだとか。

 その回復魔法を使って休まず特訓するという案に、ウリエルものってきた。

「カリーナさんは座学の成績がとても優れているから、大会までは午前中にある授業も休んで大丈夫じゃないかしら? これで、一日のほとんど全てを魔法の修練に当てられるわ。ただちょっと心配なのは……」

 彼女はそこで一旦言葉を止めると、顎に指を当てて小首を傾げた。

「人間にそんなことをして、本当に大丈夫なのかしらね?」

 ……たしかに、よく考えたら色々と問題がありそうな気がする。
 あくまで気がするだけで、あまり学があるとは言えない俺には、具体的にどうなるのかは分からない。 
 いくら疲労がないといっても、生物が持つ根源的な欲求の一つを完全に封じてしまうのは、精神に何か悪い影響があったりしないだろうか?

 俺がそう迷っていると、カリーナが再度頭を下げて、後押しをしてきた。

「それでお願いしますわ」
「う~ん」

 まあ危なそうなら途中で止めたらいいか。
 そう考えて、俺は自分の思いついた方法をカリーナにやらせることにする。
 ……とそこで、俺は昨日うっかり忘れていたことを思い出した。

「あ、そうそう、本当は昨日に渡そうと思ってたんだけど──」
「え?」

 俺はアイテムボックスから、【反魔鏡のローブ】という、黒い生地に金糸で魔法陣みたいなのが縫われてある防具を取り出した。
 ちょっとだけだが各ステータスを上昇させる力があり、さらには下級魔法なら自動で反射してくれる機能が付いたものだ。
 俺がリサーチした店で展示してあったものよりも、グレードが一つ上くらいの装備である。

「お前用の、装備だ」
「──っ」

 それを無造作に手渡すと、何故かカリーナはそのまま気を失って後ろに倒れてしまった。
 いきなり寝てしまうとは、先が思いやられるな……。

 こうして、二ヶ月後の魔法大会まで、彼女の集中特訓が始まったのである。

 ちなみにカリーナに渡した装備は、ウリエルから「ちょっと、学生の大会でそれは反則よね~」とのお言葉を頂き、ひとまず一般的なレベルのローブと交換することになった。
 王都の店にあったものより、少しだけ良い装備を選んだつもりだったのだが……何かが間違っていたらしい。


────────────────────


 ランドリア王国の王都では、年に一度、数日間にわたって大きなお祭りが開かれる。
 このお祭りの間に、トウェーデ魔法学院の生徒が互いの魔法を駆使して戦う魔法大会や、制作した魔道具を披露して評価点を競い合う品評会なども開かれ、それらを見物しようと大陸中からやってきた人々によってわうのだ。
 人が集まるのを狙ってやってきた商人や旅芸人も競い合うように出店し、観光客だけでなく王都に住んでいる民衆も、この数日間は昼夜を忘れたように騒ぎ続ける。

 そんなお祭りが始まった、最初の日の朝。
 観光客による長蛇の列に並んで王都に入ったカリーナは、見慣れたはずの街並みを見回して感慨深げに目を細めた。

「ああ、王都が懐かしく思えますわ……」
「そうか」

 たった二ヶ月ぶりなのだが、今のカリーナの様子は、まるで都会に疲れて十年ぶりに故郷に帰ってきた中年のようであった。
 やはり長期間全く眠らずにいるのは、けっこう精神的にきつかったらしい。
 特に最後らへんは、性格が変わってちょっとおかしくなっていたし。
 最終日に一日使って泥のように眠ったら元に戻ったが、もう二度とやらせないでおこうと思う。

 俺達が魔法大会が行われる試合会場に向かっていると、途中でカリーナの知り合いらしい学院の生徒と出会った。
 黒髪をポニーテールにした活発そうな少女と、銀髪を顎の下あたりで切り揃えた感情の起伏が薄そうな少女だ。

 二人はカリーナの姿を見るなり、どこか焦った様子でこちらへと駆け寄ってきた。

「カリーナ、今までどこで何をしていたの!? 急に学校に来なくなったから、心配したよ」
「心配した」

 捲し立てるポニーテールの少女に追従して、銀髪の少女も頷く。
 体をペタペタと触って、どこか異常がないか確かめていく二人に、カリーナは苦笑しながら軽く頭を下げた。

「お二人とも、ご心配をお掛けしましたわ」
「それで、そっちの人は?」

 どうしてか、ポニーテールの少女から睨みつけるような視線を向けられた。
 さりげなくカリーナとの間に体を入れて、俺から彼女を守れるような位置取りをしている。
 その姿は番犬のようで、今にもグルルッと唸ってきそうな感じだ。

 俺はそんなにも不審者に見えるのだろうか?

「わたくしの師匠ですわ。師匠、こちらはわたくしの友人の、ヘレナとエミリアですわ」
「アキラだ、よろしく」

 紹介され、俺はできるだけ爽やかに見えそうな笑顔を作ってみる。

「よろしく……」

 笑顔のおかげか警戒心は和らいだ気がするが、今度は俺の服装を見つめて怪訝そうな表情を浮かべていた。
 エミリアも、俺の顔をジーっと見つめてくるが、こっちは無表情で感情が読み取れない。
 だが、ほんの僅かだけ目を見開いているような気がする。

 二人の反応に疑問符を浮かべていると、いきなり背後から少女の高笑いが響いてきた。
 振り返ると、いかにもお嬢様っぽい少女が、こちらへ向かって歩いてくる。
 金髪の縦ロールとか、こっちの世界に来てから初めて見た。

「お久しぶりね、カリーナさん。てっきり、もう王都にはいないものかと思っていたわ」
「レベッカ……」

 目に見えてカリーナの顔が強張った。
 どうやらこのレベッカという少女とは、あまり仲が良くないらしい。

「それにしても、貴女のような生徒を弟子にする物好きはどんな方なのか、以前から気になっていたのだけれど……」

 彼女はそう言いながらこっちに目を向けると、俺の服装を見てあからさまに鼻で笑った。

「なんて見窄らしいのかしら。貴女には、お似合いの師匠ね」
「──っ!」

 途端、柳眉を吊り上げたカリーナが何かを言う前に、俺は彼女の肩に手を置いて宥めた。

「ああ、俺にはお似合いの弟子だよ」
「師匠……」

 ──お前は「アデル・ラングフォード」に相応しい弟子だ。
 そんな言葉の裏にあるものを察してか、カリーナが感動したような目を向けてくる。

 そんな彼女の様子に、レベッカは面白くなさそうに眉を顰めた。

「……それではカリーナさん、ごきげんよう。大会では、よろしくお願いしますね」

 ちょっと引っ掛かる言葉を残し、踵を返して立ち去っていく。

 カリーナが勝ち上がるとは欠片も思ってなさそうなレベッカが、彼女に「よろしく」と言った。
 その意味は、試合会場の前に張り出された初戦の組み合わせを見てすぐに分かった。

「そんな、初戦からレベッカだなんて……」

 古代ローマのコロッセオにも似た造りの建物の前で、ヘレナがカリーナの隣に並んでいた名前を見て呆然と呟いた。
 聞くところによると、あのレベッカという少女は、エミリアに次いで優勝候補だと囁かれてるほどの生徒らしい。

「まあ優勝を狙うならいつ当たっても同じだろ」
「そうですわね」

 初戦から強敵と当たってしまったのに、どこか余裕のあるカリーナの態度に、ヘレナが不思議そうにしていた。
 まあ二ヶ月前の彼女しか知らないなら、しょうがない反応だろう。
 逆に、全然悲観してなさそうなエミリアの様子の方が気になる。

 俺やヘレナは、大会参加者が集う控え室までは同伴できないので、カリーナ達とは一旦ここで別れることになった。

「見ていて下さい、師匠。師匠が侮辱された分は、キッチリとお返ししてきますわ!」
「おう、その意気だ。頑張ってこい」

 パシンと拳と手のひらを打ち合わせて意気込むカリーナ。
 ちなみに彼女には、俺が日本で培った格闘技の極意を教えてある。
 ……通信空手一級だけどね。

 接近戦になってしまえば、魔法より殴った方が早いのだ。
 あくまで通信教育の知識だけど、ないよりはマシだろう……多分。

 性格が豹変していた時に教えたせいか、砂に水がしみ込むように格闘技の動きを習得していったし、今の彼女は魔力抜きでも日本にいた頃の俺よりも強いと思う。
 いや、日本の俺が貧弱すぎるんだけども。

「二人とも頑張ってね!」
「ええ、期待していて下さいな」
「行ってくる」

 ヘレナの応援に、二人が手を振りながら会場に入っていく。
 ちなみに、ヘレナは四級の成績でありながら戦闘系の流派には入っておらず、大会には参加しないそうだ。

「ヘレナも、試合を観戦していくのか?」
「はい、友達の晴れ舞台ですから、もちろんですよ。私が参加する魔道具の品評会は明日からですので、時間も余ってますし」
「そうか。だったら──」

 特別席を用意してもらってるから、そこで観戦しないか?
 と言いかけたところで、いきなり背後から何者かに抱きつかれた。
 背中に、ふにょんっと二つの幸せな感触がする。

「おはよう、アデル! 私、寂しかったわ~」
「……昨日まで屋敷で会ってただろう」

 すりすりと頬ずりをしてくるウリエルに、ヘレナは顎が外れてしまいそうなぐらいに口を開けて驚いていた。

「ウ、ウリエル様!? それに、アデルってまさか──」
「あっ」

 せっかく偽名で自己紹介したのに……
 ウリエルに抗議の目を向けると、彼女は悪びれた様子もなく、ちろっと舌を出していた。

 きっと、わざとだ。
 だが、意図が分からない。

 俺はこの時、ウリエルの視線がヘレナの腰にある小袋に向けられていることが、妙に気に掛かったのだった。


<<つづく>>


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最強勇者の弟子育成計画
栖原 依夢
宝島社
2014-11-22

  

『最強勇者の弟子育成計画』第十一話 能力測定

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 第十一話 能力測定


 自分の師匠は、あの伝説のアデル・ラングフォードだった。
 そんな衝撃の事実を聞かされた次の日、カリーナはふらふらとした足取りで学院にまで来ると、ぼんやりとした様子で自分の席に座っていた。

 世界中の誰もが知っている、人類最強の魔法使い。
 そんな人が身近にいて、カリーナの弟子入りを認めてくれている。
 数日前の自分が聞けば、とうとう頭がおかしくなったのかと、哀憐の情を抱くことだろう。

 どこか現実味が薄すぎて、今も明晰夢を見ているような気分だった。
 次の瞬間に実家のベッドで目が覚めて、今までのことが夢だったとしても、カリーナはあっさりと受け入れてしまう自信がある。
 「ああ、良い夢だったな」と、寂しくはあっても、いつもより機嫌良く一日を過ごせるだろう。

 昨日の衝撃が未だに抜けようとせず、ふわふわと雲の合間を漂っているかのような心地だった。

 近くに座っているエミリアが何を言っても、半ば思考が止まっているカリーナには届かない。
 ひたすら虚ろな目を前に向けて、座っている。
 やがて、いつもより少し遅れてやってきたヘレナが、ご機嫌な様子でそんな彼女の肩を叩いた。

「おっはよー、カリーナ! ちょっと昨日さ~、市場ですっごい掘り出し物見つけちゃって」
「……はあ」

 ヘレナは持ってきた小袋から、手のひら大の真っ黒な宝珠らしきものを取り出すと、見せびらかすようにして掲げる。

「ジャーン! 【常闇の宝珠】だって! 店の人によると、夜の力が封じ込められてるとかなんとか。魔道具のわりには格安だったんで買っちゃった」
「……はあ」
「ほら、ここを擦ると黒い煙っぽいのが出てくるんだよ。なんか闇っぽくない?」
「ヘレナ、それ騙されてる」
「えっ」

 エミリアの忠告に、ヘレナはそれがどういう意味なのかを訊ねようとして──

「……はあ」

 そこでようやく、カリーナの様子が変であることに気がついた。
 怪しげな煙を立ち上らせている宝珠を片手に持ったまま、空いた方の手を彼女の目の前で振ってみる。

「おーい」
「……はあ」

 カリーナの瞳が自分の手を追っていないことを確認すると、ヘレナは宝珠を袋にしまいながら、怪訝そうな顔でエミリアに目を向けた。

「カリーナ、どうしちゃったの?」
「知らない」
「ん~……まさかっ!?」

 寸秒ほど思案した後、ハッと何かを察したような表情を浮かべたヘレナは、カリーナの両肩に手を置いて切迫した声を上げた。

「カリーナ! しっかりして!」
「え? え? 何ですの?」

 肩を激しく揺さぶられて、ようやく我に返ったカリーナが、どうしてか深刻そうな雰囲気を漂わせている友人を不思議そうに眺める。
 ヘレナはそんな彼女に、沈痛な面持ちで話を続けた。

「初めてをこんなことで散らしちゃったのがショックなのは分かるよ。でも、絶対に泣き寝入りしちゃ駄目。私も一緒に行くから、しっかりと魔法使いギルドに事の顛末を報告して、そのド腐れ師匠に抗議を──」
「何の話ですの?」

 戸惑う彼女に、ヘレナは大きい声で話すに
は憚れるようなことを、小声で耳打ちをする。
 その内容を理解すると、カリーナは耳の端まで茹で上がったように赤面した。

「──っ! だから師匠は、そんなことをする人ではありませんわ!」
「なら一体、どうしたのさ?」
「そ、それは──……」

 ヘレナに聞かれ、カリーナは思わず言い淀んだ。

「師匠の正体がアデル・ラングフォードだったことに動揺していた」と馬鹿正直に喋りそうになったところを、口をつぐんで堪える。

 実はそのアデルから、騒ぎになるのを避けたいから本名は黙っておいてくれと頼まれていたのだ。
 師匠の名誉を守りたい思いはあるが、それ以上に約束を破ることはできない。

「い、言えませんわ……」

 そう言って悔しそうに目を逸らしたカリーナに、ヘレナとエミリアは顔を見合わせた後、今度は本気で心配しだした。

「ほ、本当に何もなかったんだよね?」
「怪しい」

 どうしてかしつこくなった二人の追及にカリーナが戸惑っていると、丁度そこで教師らしき魔法使いが、数人ほど教室に入ってきた。
 彼らが一抱えほどもある水晶玉を運んでいるのを見て、ヘレナが今思い出したように声を上げる。

「あ、そういえば昨日が期限だっけ?」

 彼女が言う期限とは、学院の生徒が弟子入り先を選ぶことができる最後の日のことである。
 そして今日は、自分が入門した流派を学院に報告するのと同時に、各々の基礎能力を測定することになっていた。

 教師の呼びかけに、生徒が席を立って中央に置かれた水晶玉……基礎能力を測定する魔道具に集まり始める。
 カリーナは、さらに追及してくる二人から逃げるようにして、水晶玉の前に並び始めた生徒に交ざったのだった。


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 測定した基礎能力が書かれた札を手に、ヘレナが自分の席に戻ってくると、彼女はどこか浮かない顔でエミリアに結果を聞いた。

「どうだった?」
「魔力値203、肉体強度119、感応値189」

 エミリアが自分の札を見せながらそう言うと、ヘレナが軽く口笛を吹いて称賛する。

「流石はエミリア。基礎能力だけなら、もう一級魔法使い以上じゃない?」
「それは大袈裟。ヘレナはどうだった?」
「上から104、70、91。前回からあんまり伸びなかったな~」

 ちょっと悔しそうにそう言うと、次に自分の札を凝視して固まっているカリーナに顔を向ける。
 ヘレナは少し迷う素振りをした後、彼女にも声を掛けた。

「カリーナは、どうだったの?」
「いえ、それが……」

 カリーナが自分の札を二人に見せると、中に書かれていた数字にヘレナが驚きの声を上げた。

「46、23、31……って、いくら何でも短期間で伸びすぎじゃない?」
「ええ。わたくしも、そう思いますわ」

 ひと月ほど前に測定した時は、カリーナはたしかに七級クラスの基礎能力しかなかった。
 なのに今は、六級の中堅クラスぐらいの数字はある。
 これは測定した教師が、魔道具の誤作動を疑うほどにありえない成長だった。
 実際、何度も測り直しをしたほどである。

「へ~、こういうこともあるんだねぇ」
「でも、よかった」

 エミリアの言葉に、ヘレナも頷く。

「そうだよね。おめでとう、カリーナ」
「二人とも、ありがとう」

 まるで自分のことのように喜んでくれる二人に、カリーナは頬を弛ませる。
 とそこで、教室の中央から生徒のざわめきが広がった。
 水晶玉の置かれている場所から、金髪を縦巻きにした少女……レベッカが、取り巻きを引き連れて出てくる。

 彼女は自分の席に戻る際に、一度カリーナの席の前で立ち止まった。

「あらカリーナさん、ごきげんよう」
「……ごきげんよう。これは、何の騒ぎかしら?」
「ああ、あれは私の基礎能力値を見た生徒が、勝手に騒いでいるだけよ」

 そう言って、レベッカが自分の札を見せる。
 そこに書かれてあった数字に、カリーナは驚いた声を上げた。

「146、97、137……」
「別に、大した数字ではないでしょう?」

 レベッカはそう言うが、同学年の中では二番目に高い数字である。
 たしかにエミリアとは差があるが、それはエミリアが異常なだけだ。
 レベッカの能力値も、本来なら十分に天才と呼べる領域のものである。

 だがカリーナやレベッカを知る生徒が驚いたのは、その数字の高さではなかった。

 レベッカはたしか、前の測定では魔力値123、肉体強度85、感応値118といった数字だったはずなのだ。
 それが今日の測定では、大幅に数字を伸ばしている。
 カリーナの成長もおかしかったが、レベッカの成長はそれをさらに上回っていたのだ。

「ところでカリーナさんは、夏の魔法大会には出場するのかしら?」
「ええ、そのつもりですわ」
「まぁ、辞退なさらないなんて勇気があるのね」
「……」

 明らかな嫌みに、カリーナが押し黙る。
 隣のヘレナが何かを言おうとしたが、それはエミリアが彼女の口を塞いで押し止めた。
 ヘレナは平民なので、ここで下手なことを言って貴族のレベッカと揉めると、ヘレナの身が危ないからだ。

「カリーナさんとは、是非とも最初に戦いたいわね。だって魔力を温存できるもの」
「……それはどうも」
「それでは、私はこれで」

 言いたいことを言って、満足そうにレベッカが立ち去る。
 そんな彼女の背中に刺々しい目を向けていたヘレナは、エミリアの手から解放されるとしゅんと肩を落とした。

「うう、庇ってあげられなくてごめん……」
「ヘレナ、気になさらないで。仕方がありませんわ」

 落ち込むヘレナを慰めていると、エミリアがカリーナの肩をつついて、教室の入り口を指差した。

「カリーナ、あれ」
「え? ──あっ」

 そこに立っていた人物に、カリーナは慌てて席から立ち上がると、駆け寄って行った。
 まだ生徒達の測定は終わっておらず、今日の授業は始まっていないので、彼女の行動を咎める者はいない。

 カリーナは、あれからたった数日しか経っていないのに、随分と長い間会っていなかった気がする家族……自分の兄にあたる、カラム・ラッセルの前に立った。
 険しい顔をしている兄の迫力に、思わず目を逸らして俯いてしまう。

「カラムお兄様……」
「カリーナ。一体、今までどこに?」
「入門した流派の家に、お世話になっておりました」
「弟子入り先が見つかったのか」

 声がちょっと弾んだような気がして顔を上げてみると、カラムはどこか嬉しそうな表情を浮かべていた。
 今まで兄が見せたことのなかった表情に、カリーナは目を丸くする。
 そんな彼女の様子に気が付いたカラムは、何かを誤魔化すように咳払いをした後、表情を引き締めた。

「すまない、カリーナ。俺では父上の決定を、覆すことはできなかった。今のあの屋敷に、お前の帰る場所はない」
「……お兄様が謝ることではありませんわ」

 カリーナがそう言うと、カラムは彼女の肩に手を置き、膝を折って視線の高さを合わせた。

「いいか、よく聞くんだカリーナ。父上は、お前が何か大きな功績……例えば学院の魔法大会で入賞するなどすれば、ラッセル家に呼び戻してもいいと言っていた」
「そうですの……」

 奇しくもそれは、昨日アデルが言っていたことと同じだった。
 魔法大会で良い成績を残せば、実家に帰ることができる。
 そんな話が、現実味を帯びてくる。

「だが正直、お前の力では厳しいと俺は思っている。それどころか、もし七級のまま成長できなければ、将来的に魔法使いとして生きていくことも苦しくなってしまうだろう」

 カラムの言う通り、以前のカリーナがあれ以上成長できないようであれば、魔法使いとして働いていくことは無理だっただろう。魔法に関する仕事をさせようにも、魔力値や感応値が低すぎて使い物にならなかったはずだ。
 それほどに、彼女の能力は低かった。

「お前がもし魔法学院をやめたいと言うなら、俺も一緒にお前の住む場所や働き口を探そう。贅沢な暮らしはできないが、きっと今よりは穏やかに過ごせるはずだ。……お前には、その方が幸せかもしれない」
「……」
「お前は、これからどうする?」

 カラムにそう問われ、カリーナは瞼を閉じてしばし考え込んだ。
 兄の言葉に甘えて、新しい道を探すのも悪くないかもしれない。
 ただしその場合は、魔法使いの道を諦めることになるだろう。

 自分の弟子入りを認めてくれたアデルや、短い時間だが自分に魔法を教えてくれたウリエルの顔が、脳裏に浮かぶ。
 提示された選択に、迷うことはなかった。

「ありがとうございます、お兄様。でも、ここに残りますわ」

 思えば、自分の師匠のことを……ラングフォード流に弟子入りしたことを伝えれば、今すぐにでも戻ることができるかもしれない。
 アデルの名前には、それだけの力がある。
 だが、それは嫌だとカリーナは思った。
 自分の力で、認めさせたかった。

 人によっては、子供の意地だと笑うかもしれない。
 でもこのままで終わるのは、あまりにも悔しい。
 そう、カリーナは思ったのだ。

「わたくしは必ず、お父様を見返してみせます」
「……そうか」

 カリーナの答えに、カラムは重々しく頷いたのだった。


<<つづく>>


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最強勇者の弟子育成計画
栖原 依夢
宝島社
2014-11-22

  
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