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石積みの少女①

著:里田和登
イラスト:先島えのき

 僕は、どこにでもいる普通の人間だ。
 人より賢いわけでもないし、とりたてて運動ができるわけでもない。
 いじめ抜かれたこともないし、誰かをいじめ抜いたこともない。
 また目の前にいじめがあって、心の中では許せない気持ちがあっても、
 何らかの手段で介入できるほどの勇気もない。
 せいぜい自分が次の生贄にならないように、それなりのスタンスを繕うくらいのものだ。
 要するに僕は、そこらへんに転がっている、一山いくらの凡人でしかない。

 10代なる時期は、自分の普通さを、なかなか受け入れられないものだ。
 普通は、そうだ。もちろん、18歳の僕だってそう。
 普通の人間だからこそ、普通であることを受け入れるまで、
 普通に時間がかかってしまうのだ。
 けれど、一度普通さを受け入れると、ずいぶんと心が楽になる。
 自分に期待をしなくなるし、他人に期待をされていないからといって、
 傷つくこともなくなる。
 起きて、食事をして、それなりに勉強をして、排泄をして、床につく。
 きっと、このくだらないサイクルを繰り返しているうちに、
 いつの間にか老いぼれているのだろう。

 そう、思い込んでいたのだけれど。

ある日の夜。
 天井の木目を眺めながら、僕はベッドの上で眠気の訪れを待っていた。
 すると、だ。
「はしごを下ろしていいですか」
 天井に丸い穴が開いたかと思えば、ひとりの少女が顔を出した。
「あの、はしごを」
 少女は続けた。僕はただただ面食らい、彼女を見つめることしかできなかった。
「その顔を見れば、分かります。わたしの言葉の使い方に、あやまりがあったのですね。
 間違っていたのは(はしご)と(下ろす)、どちらの言葉でしょうか。
 それとも、二つの言葉の組み合わせ自体に問題があったのでしょうか」
 少女はそういって、僕を悲しげに見つめた。
「たんじゅんに驚いているのです。まさか天井から人間が現れるなんて」
 僕はあお向けの状態のまま、少女にいった。
「そういった、驚きのほうでしたか。
 それならば、驚きを打ち消すために、わたし自身の説明が先ですね。
 はしごを下ろすことについては、後回しにしたいと思います」
「ええ、ぜひ」
「ここまでですが、わたしの会話に、何かおかしな点はありましたでしょうか」
「問題はありません。なさすぎるくらいです」
 なさすぎることはなかったが、なんとなく語感が良かったので、僕はそう付け加えた。
「良かった。うれしい。わたし、この世界の言葉をいっしょうけんめい勉強しました。
 だから、伝わることが、すごくうれしいです」
 少女は質の悪いからくり人形のように、笑った。
 人とはこうやって笑うらしいです――そんなふうに人づてで聞いた上に、
 一夜漬けで身につけたような、できそこないの笑い方だった。
 そんな彼女の背後には、穀粒をぶちまけたような、満天の星空が広がっていた。

「わたしは、遠い星の生きものです」
 少女は穴の縁から体を乗り出すようにして、いった。
「そうなんですか」
「驚かないのですね」
「いえ、天井に穴が開いた瞬間から、驚きの連続です」
「驚きは連続するものなのですか」
「ええ。時に驚きは連続します」
「それは、あなた独自の表現ではないと」
「はい。そういった表現は、この国の言葉でありえることです」
「とても、勉強になります。ところで」
 (ところで)の瞬間、少女の声が裏返った。
「遠い星の生きものでも、声が裏返ることがあるのですね」
「自分でも驚いています。緊張がそうさせるのかもしれません。
 実は声が裏返るのも、裏返りを指摘されるのも初めてです」
 失礼だったかもしれないと、僕は少し反省した。
「あなたの星では、声の裏返りを指摘するのは、野暮だったりするのでしょうか」
 少女は視線をふらふらさせた。僕の言葉が理解できなかったのだろうか。
「ええと、その。もちろん、不勉強ではありません。
 ですので、わたしは野暮という言葉は知っています。
 ですが、わたしは野暮という感覚を、どうしても理解できないのです。
 というのも、わたしの星には、野暮が発生することがないですから」
「そうなのですか。他人とのお付き合いについて、きっと完璧な星なんでしょうね」
 なぜか少女が笑うので、僕は気になってたずねた。
「何がおかしいのですか」
「それは、ですね。わたしは少し前に(ところで)といい、
 話の方向を修正をしようとしました。わたしには話したいことがあり、
 その目的に向かって話を展開させようとしたのです。
 ですが、わたしの声が裏返ったことをきっかけに、
 その目的とは別の方向に会話が転んでいきました。
 会話とは、こんなにもいろんな方向に散らばるものなのかと、
 わたしは驚いてしまったのです」
「はは。ちょうど生まれて初めて会話をこなした人が、そんな感想を抱きそうですね」
 僕が冗談混じりにそういうと、少女は目を丸くするのだった。
「その通りです。実はわたしは、面と向かっての会話の経験がありません。
 残念ながら、わたしの星では、会話が発生することがないですから」
「それは、本当なのですか」
「ええ、本当です。よろしければ、いらっしゃいますか。
 はしごの許可さえいただければ、すぐにわたしの星へご案内します」
 僕は天井に開いた穴の縁を、円を描くようにして見つめた。
「まさか屋根の上に、何かしらの移動手段が」
 少女は一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに何かを理解したようで、
 笑顔で僕に告げるのだった。
「この穴は、直にわたしの星につながっているのです」

 一言でいえば、そこは何もない世界だった。
「もう少し歩けば、わたしの住まいに辿り着くのですが」
 少女は灰色の荒れ地を、せかせかと進んでいった。
 地平線がわずかに弓なりになっていた。それほど大きな星ではないのだろう。
 僕はなるべく、空を見ないようにした。
 尋常ではない星の数に、気味の悪さを感じたからだ。
 一つだけ、まだらの模様までもが見て取れる星があって、
 その大きさがまた、とてつもなく、おぞましかった。
「どうして、僕の星とあなたの星がつながったのでしょうか」
 僕は恐怖を打ち消すべく、少女に話しかけた。
「わたしが、そう望んだのです」
「望んだくらいで、つながるものなのですか」
「もちろん、望んだだけではつながることはありません。
 望んでそして、行動に移したのです」
 やがて目の前に、少女の背丈ほどの物体が見えてきた。
 近づくとともに、それが大小の石が組み合わさってできていることが分かる。
「この石碑は、わたしが積み上げたものです」
 そういう少女は、どこか自慢げに見えた。
 石碑は一つだけではなく、先へと進むたびに見つかり、
 やがては避けて通らなければならない程になった。
 それらは、山型であったり、筒型であったりと、形は様々だった。
「これを全部、あなたが」
「ええ」
「いったい何のために」
 僕がそうたずねると、少女は石碑の1つを愛しそうに、なでながらいった。
「わたしは、石を積むために生まれてきたのです」
「石を、積むために」
「ええ。かつてわたしの一族の1人が、大きな罪を犯しました。
 世界の意思に背く、とても大きな罪です。
 1人で償いきれるものではありませんでした。
 そこで、刑が一族の全体に分配されることになったのです」
 少女は地べたの石の1つを拾い、すぐそばの石碑の上に乗せた。
「わたしはそのたくさんの刑のうち、この石積みの刑を担うことになりました。
 そうして、物心がつくと同時に、この星に送られてきたのです。
 あなたの世界の時間でいえば、かれこれ100年以上、
 石を積み上げていることになります」
 僕は思わず悲鳴を上げた。
「たった1人で、そうしているのですか」
「はい。わたしは罪をつぐなうために、石を積み上げ続けなければなりません」
 少女はさも当たり前といった表情でそういった。 

 しばらく歩くと、半球型のつるんとした建物が見えてきた。
 少女が指先を動かすと同時に、境目すらなかった場所に入り口が現れる。
「入り口が、音もなく現れるだなんて」
 僕は入り口のさまに、文明度のへだたりを感じた。
「あなたの星では、入り口は(がらがら)と音を立てますものね。
 とはいえ、わたしは(がらがら)を聞いたことがないので、
 どんな音かは分かりませんが」
 少女はそういって、さあお先にと手をかざした。
「どうぞ。もちろん入り口は1つです」
 少女のおかしな言い方に、僕は首をひねった。
「あえて強調をしなくても、入り口というのは、たいてい1つだと思うのですが」
「それが、そうでもないのです。
 わたしの故郷では、いにしえの時代から、
 何かを同時に行うことへのこだわりがありました。
 あいさつは できる限り同時に。
 食事の食べ始めと、食べ終わりも、できる限り同時に。
 夜とぎの絶頂も、できる限り同時に。
 そうして、同時を追求していくうちに、いつしか入り口も、
 その時の人数に合わせることが、美徳となりました」
 少女が指先を動かすと、建物に2つ目、3つ目の入り口が現れた。
「一方で、あなたの星は、それほど同時にこだわりがない文化です。
 ですから、部屋の入り口は、自信をもって1つにしたのです。
 わたし、この認識には、絶対の自信があります。
 あなたの世界のことをたくさん勉強しましたから」
 とはいえ「驚き」と「連続」の結びつきについては、不勉強でしたけどね。
 少女はそういって笑った。
「ところで、来客が20人くらいの場合は、どうするのですか。
 狭い建物だと、そんなにたくさんの入り口を作れない気がするのですが」
 僕は気になって、質問をぶつけてみた。
「その場合は、さすがに妥協をするのではないでしょうか。
 これは規則ではなく、できる限りした方がいいという、礼儀上のお話ですから。
 それに、そもそも狭い家に20人でおしかけるのは、失礼になるかと思います」
 少女にそう指摘され、はっとした。
 お互いの感覚に、違いすぎる部分があるからといって、すべてが違うとは限らないのだ。
「すいません。この質問は野暮でした。
 そうだ。この重箱の隅をつつくような質問こそ、野暮そのものです」
 僕は自戒を込めて、そういった。
「あやまらないでください。
 わたしは、あなたの世界について、まだまだ情報が足りません。
 あなたの言動のすべてが、わたしにとっての情報なのです。
 ですから、あなたの何もかもが、わたしにとっての喜びなのですよ」
 少女が笑うので、僕もつられて笑うしかなかったが、
 母親が愛する我が子に残す、今際の言葉のような全肯定に、
 僕はほんの少しだけ感動してしまった。

 部屋には(椅子のようなもの)と、(机のようなもの)があった。
 (椅子のようなもの)は、どこまでいっても(椅子のようなもの)で、
 僕の世界の(椅子そのもの)とは、似ても似つかなかったけれど、
「これは、あなたの世界でいう(椅子のようなもの)です」
 少女がそういうので、僕もそう判断せざるを得なかった。
 (机のようなもの)の上には、両手に収まるほどの石ころが置いてあった。
「わたしはこの星に来たとき、この石だけを与えられました。
 これは、特別な鉱石で、わたしの生活を支える礎です。
 宜しければ、手を乗せてみてもらえますか」
 少女は少し間を置いた後、「害はないですよ」と付け足した。
 触れてみると、鉱石はとても冷たかった。
「何かを、感じますか」
「何かが、見えます。これは、木の根でしょうか。血管のようにも見えます」
「それは、見ることを意識しすぎると生じる、閉じた現象です。
 見ようという意識は捨ててください。力を抜いて、感じるように努めてください」
 いわれた通りに、試みること数分。
 頭の中に、もやがかった何かが、浮かんできた。
 それを全力で見ようと意識すると、逆にもやが濃くなってしまう。
 僕は全身の力を抜き、くつろいだ。
「あ、これは」
 思わず声が、もれてしまう。
 足先から始まり、全身にしみ入るようにして、僕の中に鉱石への理解が広まった。
 それは、文字や音ではなかったが、僕がそういった要素を思い浮かべた瞬間、
 頭の中に、文字や音が入り込み、僕の理解を深めてくれた。
 石の役割は、とても単純なもので、その単純さから、
 少女がこの星でどんな生活をしているかも、はっきりと分かってしまった。

 ものかなしい生活だと思う。
 少女は、石碑を自分の背と同じ高さまで積み上げることで、点数を貰える。
 形がいびつであっても、整いかたが抜群でも、貰える点数は変わらない。
 くだらない石碑、1つにつき1点。
 その点数は、日々の生活に、ささやかな潤いをもたらす。
 例えば、1点を消費すれば、1巻分の物語や随筆を、
 3点の消費であれば、1巻分の歴史書や哲学書を、
 鉱石を通じて、脳に落とし込むことができる。
 家具は20点、寝具は50点、家そのものは100点が必要となる。
 鉱石に触れることで、すぐに入力ができるもの、
 つまり情報の類に関しては点数が低く、
 別の星からの取り寄せが必要なものに関しては、点数が高く設定されているようだ。
 少女は、服のすそを持ち上げながらいった。
「この服も15点を投じて、手に入れたものです」
 僕は相づちを打った。
「手に入れたのは、実は最近のことです。
 あなたがみても、違和感がない格好になっているといいのですが」
 僕は笑顔と相づちで応えた。
「わたしの体は、食事をしなくても大丈夫なように組み替えられていますが、
 食べるという経験をしたくなる時もあります。
 そういうときは、ただ10点を投じればいいのです」
 僕は相づちの頻度を落とした。
「石碑は点数を消費したぶん、崩さなければなりません。
 たくさんの消費をするときは、たくさんの石碑を崩すことになり、とても悲しいです」
 僕は相づちを打つのを止めた。
 単純に、僕のような普通の人間に、分かりうることではないからだ。
「わたしの心の支えは、1点ものの物語だけでした。
 この宇宙にある物語を、まんべんなく読んだことでしょう。
 たくさんの物語を読んでいくうちに、わたしはあなたの星に憧れるようになりました。
 あなたの星の物語は、わたしに似合っているらしく、心にとても響くのです。
 ほら、この笑い方だって、物語の登場人物をもとに、身につけたものなんですよ」
 少女はそういって、いびつに笑った。
「いつしかわたしは、あなたの星に行ってみたいと思うようになりました。
 でも、それは不可能なこと、過ぎた願いだと思い込んでいたのです。
 ですがある日、上位のなぐさめ品を確認してみたところ、
 石磨きの機械に、意思人形の派遣、特定の感情の切除などに混じって、
 任意の星との接着というものがありました」
 なんとなく、いきさつが分かった気がした。
「あなたはそれを望んで、行動に移したわけですね」
「ええ」
 鉱石に触れたままだったので、
 頭の中に、少女の発言に出てきた、なぐさめ品の詳細が流れ込んできた。
 絶句した。
 僕の星と彼女の星をつなぐちっぽけな穴は、たった7日で閉じてしまう。
 そして7日後、彼女は普段の生活へと戻り、
 505000の石碑を崩すことになるのだ。

 石磨きの機械 10100点
 意思人形の派遣(100日間) 20200点
 特定の感情の切除(悲しみは不可) 40400点
 任意の星との接着(7日間) 505000点

 1秒だって、無駄にはしたくないと思った。
 僕は星同士をつなぐ穴に飛び込むと、
 自分の部屋から上を見上げ、少女に手を差し伸べた。
「さあ、あなたも」
「緊張します。この日をずっと、待ちわびていたので」
 少女は穴の縁につかまり、ためらいがちにいったが、
 程なくはしごを伝い、僕の部屋へと降りてきた。
「どうしよう。どうしよう」
 少女は、見るからにそわそわしていた。
「気になるものが、たくさんあります。どれから質問をしよう。
 ああ、これはわかります。これは、絶対に本棚です。そうですよね」
 四段組みの本棚を指さす少女。
「ええ」
「良かった。だって、たくさんの本らしきものが、並んでいるんですもの。
 ところで、こちらを向いているのは、いわゆる本の背表紙ですよね」
「そうなります」
 僕は1冊の本を引き抜き、少女の手のひらに乗せてやった。
「背表紙と表紙は、こんなふうにつながっているのですね。
 そのことは、わたしが触れた、どの物語にも書いてはありませんでした」
 それは、あえて書くまでもないのだろう。そう思った。
 矢継ぎ早に、少女の質問が続いていく。
「これは、畳ですよね。
 差し支えがなければ、触ってもよろしいでしょうか」
 僕は無言で片手を差しだした後、
 これでは通じないかも知れないと思い、「どうぞ」と付け加えた。
 少女の反応は早く、まるで獲物を見つけた獣のように、畳に飛びつくのだった。
「ああ、畳だ。畳を見れたんだ。
 わたし、たくさんの畳の物語を読みました。
 あ、この言いかたは駄目だ。畳の物語というと、畳が主題の物語みたいだ。
 違うんです。わたしはただ、畳が登場する物語といいたいだけで。
 例えば、わたしの大好きな物語には、こうあります。
 (畳は編み目に沿うと、足がつるりと滑る一方で、
 あえて逆らおうとすると、ざらっとした抵抗を感じる不思議な床なんだ。
 そう説明をして、ようやく青い目の少年は、靴を脱いだんだとさ)
 ああ、本当に、本当に、物語の通りなんだ」
 少女はつま先で畳をなぞりながら、そういった。
 たかが畳で、大げさな。そんな言葉が喉元まで出掛かったけれど、
 逆に考えれば、たかが畳でこんなにも反応をしてしまうほど、
 少女の生活には、うるおいというものに欠けているのだろう。
「そして、この畳の色のついた部分は、いわゆる畳縁という部分です。
 そうですよね」
「え、この端の部分に、名前があるのですか」
「ええ。物語のいくつかに、そうありました。わたしの勘違いでしょうか」
「いえ、きっとそうなのだと思います。僕がただ、不勉強なだけで」
「これは、知らなくても、差し支えがない情報だと」
「差し支えがありませんが、知っていれば博学に見えるでしょうね。
 少なくとも、僕は1つ、あなたに教わりました」
「驚きです。わたし、教わる一方だと思っていましたから」
「頼りなくて、すいません。僕もできることなら、教える一方でありたかったです」
「そんな。いいかえれば、教わる一方でないということを、教わったことになります。
 それに、わたしは知らなくても差し支えがない情報と、
 知らないと恥をかく情報の、微妙な区別がつきません。
 たとえば、これ」
 少女が指を差したものは、和室と台所を断ちきる襖だった。
「これは襖ですよね。これは2つのうち、どちらの情報に属するでしょうか」
「知らないと恥をかく情報ですね」
「では、この襖についた1つ1つの唐紙はどちらの情報に属するでしょうか」
「名称については、知らなくても差し支えのない情報かと」
 少女は控えめに、両手をぱんと叩いた。
「畳と襖のお話をふまえますと、物の中にある細かな部品については、
 知らなくても差し支えがないということでしょうか」
「そうとも限りません」
 僕は襖を開け、台所を通り、玄関へと向かった。
「扉も、扉の中の部品であるドアノブも、知らないと恥をかく情報です」
「一概に決めつけられることではないのですね」
「はい。一概には決めつけられないことが、たくさんあります」
 物のついでにと、扉を開けたみた。
 そこに広がるのは、ありきたりな郊外の夜の景色。
「行ってみますか」
 きっと喜んでもらえる。そう思ったが、少女はしかめっ面で後ずさりをした。
「わたし、表情を曇らせているつもりなのですが、伝わっているでしょうか」
「ええ、拒まれていることが分かります。外に出るのは、嫌なのですか」
「いえ、願ってもないことなのですが」
「だったら、是非」
「その前に、1つ確認をさせてください。
 今の時間ですが、一体何時になるのでしょうか」
「深夜の2時を過ぎたところです」
「明日のご予定を聞かせてください」
「朝から、大学の講義があります」
「でしたら、今日は寝たほうがよろしいかと思います。
 わたし、他の星の生きものという事情にかこつけて、
 あなたの生活をくずしたくないのです」
「深夜でも、色々なお店がやっています。
 食事が出来るところ。一通りのものが揃うところ。見たくはないですか」
「ひかれます。ひかれますけれど」
「では、自動販売機なんていかがです。すぐ近くにありますよ」
「それは、ひかれすぎるほどです。
 ああ、わたし、なんてざまだ。こんなにも簡単に、決心が鈍ってしまうなんて。
 ちゃんと、迷惑をかけないって、決めてきたのに」
「あっ」
 少女は走り、はしごを一気に登ると、穴から顔をひょこりと出した。
「1日の用事が終わったら、お声を掛けてください。
 余計な気づかいは、結構です。
 異性とお泊まりをするようでしたら、次の日でも構いません。
 わたし、待っていますから」
 顔、髪の毛の順に、少女が消えた。
 半引きこもりの大学生に、彼女などいるわけがない。
 余計な気づかいは、時に人を傷つけるものだということを、
 僕は少女に教えなければと思った。
 
 眠気に抗いながら、講義を受けること数時間。
 僕は家路へと急ぐべく、8両編成の列車へと乗り込んだ。
 いつもと変わらない、色気の乏しい郊外の田園風景。
 けれど家に戻れば、非日常的への入り口があり、孤独にまみれる少女が待っている。
 僕はつり革を強く握り、心の中で、何度も何度も、時間がもったいないとつぶやいた。

 石碑の配置と足あとをたよりに、灰色の荒れ地を進んでいった。
 空は見なかった。絶対に見てはならないと思った。
 めくるめく星の海に、正気でいられる自信がなかったからだ。
 急げば急ぐほど足を取られ、何度も転びそうになった。
 僕は砂と石だけの大地を疎ましく思ったが、
 少女にはここが世界の全てなのだ、貶すのは良くはないと反省し、
 足さばきに集中することにした。
「こんにちは」
 家に入ると、少女は(椅子のようなもの)の上で、膝を抱えていた。
 どうやら眠っていたらしく、目のまわりで、手のひらを往復させる。
 僕らの世界でも、目覚めの直後によくする仕草だ。
 先天的に身についたものなのか、それとも、
 僕らの世界の物語から、学び取ったものなのか。
「来てくれたんですね。うれしいです」
 少女は唇の両端を持ち上げ、笑顔らしき表情を作った。
「こちらの世界は、いつでも星が見えるんですね」
「はい。わたしの世界では、太陽なるものが上がることありません。
 地中にしきつめられた空調と照明が、太陽の役割を行っています。
 ですから、いつでも明るさは一定で、あなたの世界のように、
 明るくなったり、暗くなったりすることがないのです」
 僕は少しだけ調子にのり、右手を手前にひるがえし、ゆっくりと頭を下げた。
「では、お嬢様。明るさを体験しに参りましょうか」
「ふふ。うれしいですわ」
 すぐさまの(ですわ口調)に、僕は舌を巻いた。
「お、やりますね。ちゃんと対応ができるのですね」
「ふふ。だって、こういうやり取りは、物語の真骨頂ですもの」
 少し深いところでやり取りができた気がして、僕はうれしくなった。
 僕と少女は、いか臭い共同住宅の一室に向かった。

 部屋に新鮮な空気が入り込む。もちろん窓を開けたからだ。
「これが、明るいという現象なんですね」
 少女は目を細めていった。
「今日は、比較的明るくない日といえるでしょう。曇りという天気にあたります」
「明るさは、これが限界ではないと。わたしには、これ以上が想像できません」
 少女の目が、少しうるんでいるように見えた。
「明るさに、感動しているのですか」
「いえ。わたしだけでしょうか。目が少しだけ痛んだのです。今はもう、平気ですが」
「それはきっと、とある現象ですね。僕らでも、よくありますよ」
 しばしの沈黙。
 やがて少女がぎこちなく、首をかたむけた。
「現象の名称を、当ててみなさい。そういうことでしょうか」
「ええ、当たりです」
「いいかえると、なぞなぞを出していると」
「当たりです。いいから、名称を当てましょう」
「まさか、(目がくらむ)ですか」
「その、まさかです」
「これが、(目がくらむ)なんですね。
 (悲しみ)ではないとは思っていたのですが、まさか当たるだなんて。
 定期的にくらんでも、体に害はないのでしょうか」
「この星の人間には、ほとんど害はありませんね。
 ですが、あなたも同じかどうかは、保証しかねます」
「そうなりますよね。うん、当然そうなる。わたし、野暮でした」
 少女のいい方には、いましめ以上の誇らしさが見て取れた。
 きっと覚え立ての(野暮)を使いこなしたことを、褒めて欲しかったのだろう。
 僕はさして鋭くもないが、決して鈍感でもないので、それが分かった。

 扉を開けると、そこに閉塞感を絵に描いたような、郊外の町並みが現れる。
 長年の努力の結果に見るものが、こんな世知辛い光景で良いのだろうか。
「202とありますね」
 少女が、部屋の扉を指差していった。
「2階の2番目の部屋という意味です」
「宿泊施設でも使われますよね。こういった形式が」
「ええ。数字、ちゃんと読めるのですね」
「どちらかといえば、喋ることよりも、読み書きのほうが自信があります」
 一方で、階段の下りには自信がないようで、少女の足下にはおぼつかないものがあった。
「そういえば、増築はしなかったんですね」
 気になって、そうたずねてみた。
 鉱石の情報によれば、確か200点で家の建て増しができたはずだ。
 そうすれば、階段ありきの生活だって送れていたかもしれない。
「はい。高価ななぐさめ品は、住まいを設けたくらいです。
 わたしは、情報さえあれば幸せでしたし、
 大きな目標がありましたから、余計なぜいたくはしないように心がけました」
 すべては、この星との7日間のために。
 暗にそういわれているようで、言葉がなくなってしまう。
「上りの段差もまた、楽しみです」
 全12段の難関を征し、少女はやりきった様子で階段を見上げた。

 いつものしみったれた住宅街と、仮初めの自由を謳歌する、遠い世界の少女。
 目まいを覚えるほどの、ちぐはぐさだ。
 そして、その二つの間を取り持つのは、一人の地味な大学生。
 あらためて思う。
 誰よりも普通である僕が、どうしてこんな状況に陥っているのだろう。
 僕の真横に並んだかと思えば、慎ましくも三歩後ろを歩いたりと、
 少女の動きには一貫性がなかった。
「何か、迷いがあるようですが」
「ええ。この星の人が二人で歩くとき、恋人同士だと横並び、
 夫と妻だと縦並びが基本ですよね。
 一方で、この星の人と、そうでない人が歩くときの並び方は、
 どの本にも書いていませんでした。
 ですので、あなたの反応を見ながら、両方を試していたのですが」
「普通に横並びでいいんじゃないでしょうか。
 夫と妻についての情報は、少し古い気がします。
 最近は、位置にこだわりを持つ人は少ないですよ」
「そうなのですか。では、お言葉に甘えまして」
 適度な距離感が分からないのだろう。少女は僕の横にぴったりついた。
「少し近づきかもしれません。これでは、あらぬ疑いをかけられてしまいます」
「位置にはこだわらなくなった一方で、距離には未だにこだわりがあるのですね」
「いえ、そうではなく、この肩と肩が触れあう距離は、男女の特権なんです」
「それなら、大丈夫です。気付かれなかったかもしれませんが、
 わたしはこの星でいうところの女性にあたりますから」
「そういう意味ではなく、その」
「そうか、そうだったんですね」
 少女は申し訳なさそうに僕を見た。話が飛躍しそうな気がした。
「わたし、髪の毛の長さや、下履きの形状から、あなたのことを男性だとばかり」
「僕はれっきとした男性です。そうではなく、こういった距離感は」
 愛し合う者だけのものです。そう告げようとして、僕は思いとどまった。
 気恥ずかしいだけではなく、よく考えたら、親子などでもありうるからだ。
「人とは、ゆっくりと距離を縮めていくものなのです」
「ゆっくり、ですか」
「はい」
「そうか。そうですよね」
 物語でもそうだったな。
 少女はそうつぶやき、下を向いたまま、大きく距離を取った。

 その後も、複雑にからむ電線のこと、空き地を覆う背の高い草こと、
 そしてその中にひそむ、うち捨てられた乗用車のこと、
 道の脇にひっそりとある、しなびた吸いがらのことなど、
 僕が普段気にも止めないものを話題に、とりとめのない会話が続いた。
「あ、小動物がいますね」
 見ると、ブロック塀の上に2匹の猫がいた。
「彼らの名前をご存じですか」
「恥をかくのは嫌なので、候補を2つあげてもいいでしょうか」
 少女は人差し指と中指で、弱々しく2のかたちをこしらえた。
 動物の名前についてだけでなく、初めてする手振りで、それ自体も自信がないのだろう。
「ええ、かまいません」
「犬か猫。いや、猫か犬、ではないでしょうか。
 小型の犬の可能性もあるとは思うのですが、
 もしあの小動物が歩いている場所が、いわゆる塀なのだとしたら、
 猫の可能性も考えられると思います。
 物語には、猫が塀の上を歩く描写がちょくちょく出てきますから」
「ええ。猫です」
「やっぱり。その、実は猫の確率が高いのではと思っていました。
 だからあえて、犬か猫を、猫か犬と、いいかえたのです」
 少女の顔は、どこかこわばっているように見えた。
「猫は、苦手ですか」
「ごめんなさい。頭の中で描いていた猫と、実際の猫が、大きくずれていて、
 少し心が不安定になっています。
 実は、猫だと確信が持てなかったのは、この心の在り方が原因だったりします。
 というのも、猫という生きものは誰しもが愛らしく思う、という認識でしたから。
 にも関わらず、わたしのなかには、不安な気持ちがうずまいている。
 ということは、この動物は塀の上を歩く類の、珍しい犬なのかもしれない。
 物語の中には、ちょくちょく犬が苦手な人が出てきますから」
「世の中には、猫が嫌いな人も、それなりにいると思いますよ」
「でも、犬が苦手という描写のほうが、圧倒的に多い気がします。
 猫を介して、自分も、愛らしく思ったり、抱きしめたくなったりという、
 心の在り方を学べると思っていたので、とても残念です」
 少女は残念という言葉に合わせ、首を地面に向かってかたむけた。
 本当にがっくりしているわけではなく、残念なときは首をがっくりさせるべきだと、
 理屈で判断しているように見えた。

 住宅の密集地を抜け、大通りにぽつんと生えた食料雑貨店へ。
「ここは」
「いわゆる何でも屋です。食べ物から生活用品まで、たいていのものは揃いますよ」
 店内はさわがしく、買いもの客でごった返していた。
 少女は圧倒されたようで、感嘆の声を上げる。
 それは、わあ、おお、といった僕たちの感嘆とは少しだけ異なっていたけれど、
 この世界の感覚に合わせよう、合わせなくちゃといった思いが薄れていた分、
 ためらいや、ぎこちなさがなく、僕には自然なもののように思えた。
 いくつもの陳列棚が、遠近法をともない、はるか後方で、ぎゅっと凝縮されている。 
 少女はそのうちの一本の棚へと近づいていく。
「わたしには、刺激がつよすぎるのかもしれません」
 ふらふらしながら戻ってきた、少女の第一声。
「どういうことでしょうか」
 そうたずねた直後、男の子2人が僕らの横を走り抜けていった。
 少女は瞳で彼らを追いかけた。わずかに、奇妙な間が生まれる。
「……階段、草木、電線、吸いがら」
「えっ」
「今日は、今まで想像することしかできなかったものを、
 たくさん目にすることができました。
 この世界には、想像以上にたくさんの物がある。そう思いました。
 そして、少しずつ物の多さになれてきたところで、この状況です。
 先ほど、はじめて猫を見たときと同じくらい、心が不安定になってしまいました」
 少女の世界には、石、砂、家など、数えられるほどしかものがない。
 物量にあてられてしまったのだろうか。
「しょうがないですよ。では、続きはまた後日にしましょう」
「ごめんなさい。次までに、ちゃんと対応ができるように、心の準備をしておきます」
 その後、僕らは部屋へと戻り、他愛のないやりとりをした。
 だんだんと外が暗くなってきましたね、とか、
 煙というものが想像ができないので、
 そのうちに見ることができたらうれしいです、といった、
 それはそれは、他愛のないやりとりだった。


石積みの少女 ②へ

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