石積みの少女②
著:里田和登
イラスト:先島えのき
翌日。僕は大学での用事を片付け、少女の星へと向かった。
ところが、味気ない半球型の住まいに、なぜか彼女の姿が見当たらない。
それにしてもだ。見回してみて、あらためて思うのが、
本当に何もない部屋だということ。
だが、過剰に(何もない)を意識させるわけでもなく、
この(何もない)状態が、むしろ自然であるような気もしてくる。
ふと(机のようなもの)の上にある、鉱石が目に入った。
以前は(机のようなもの)の中央にあったそれが、少し左にずれている。
何か目的があったわけではない。そうするのもいいかなと思い、僕は鉱石に触れた。
この前より、扱いが上手くなっているような気がする。
なぐさめ品の一覧は、僕が並んだ状態で見たいと思えば、
期待通りに、箇条書きになってくれるし、そうしたいと望めば、
ばらばらに散らすことも、点数順に並べることも出来た。
やがて、一覧とたわむれることにも飽きてしまい、
僕は視界の外れにあった(よくわからないもの)とたわむれることにした。
(よくわからないもの)は、視界の外れにあり、なんだかごちゃごちゃとしていた。
そういえば、昨日も同じ場所にあったかもしれない。
頭の中でいじろうとすると、一瞬だけ2つに分かれ、
すぐにまた、ごちゃごちゃとした何かに戻ってしまう。
ふと、星との接着を終えた後、少女が次に何を求めるのか知りたくなった。
するとだ。
(よくわからないもの)が、少しずつほどけていくではないか。
(ほどく)を過剰に意識せずにいると、情報は自然とばらけていく。
現れたのは、2つのなぐさめ品だった。
石化 303000点
死 909000点
石化については、よく意味が分からなかった。
脳をばらばらにして、鉱石にふりかけるような認識が降りてきた。
どうやら、体が石になるわけではなさそうだ。
気にはなったが、僕はそのことについて、深く考えるのをやめた。
そんなことよりも、もう1つの項目が気になったからだ。
死――。死とは、いったいなんだろう。
僕らの世界でいう、死そのものを差すのだろうか。
仮にそうだとしたら、自らの可能性を閉ざす行為に、
どうしてこんなにも高い点数が設定されているのだろう。
そもそも、なぜこの2つのなぐさめ品が、急に思い浮かんだのだろうか。
僕は直前、少女が次に求めるなぐさめ品を知りたいと思った。
そしてこの鉱石は、僕がそう望めば、
なぐさめ品を一覧のように並び替えることも、ばらばらに散らすこともできる。
つまり、だ。
「いらっしゃっていたのですね」
背後から少女の声。僕は慌てて鉱石から手を離した。
「はい。いらっしゃってました」
しどろもどろになる僕に対し、少女は大きく首をかしげた。
「いらっしゃいましたの使い方……」
おかしいと、いいたいのだろう。
あえて指摘をしないのは、きっぱりと告げるのが失礼だと思ったか、
それとも自分がこういった使い方を知らないだけで、
実は使い方としてありだという可能性を考えたのか。
いずれにせよ、僕には少女の秘密を勝手にのぞいてしまったというやましさがあり、
上手く反応することができなかった。
2人で街を歩く。よく晴れた日だったが、僕の気持ちはどんよりとしていた。
少女は空のよりいっそうの明るさに、心底驚いたらしく、
「さすがに、これ以上はないですよね」
僕にそう問いかけるのだった。
「ええ、さすがにこれ以上の明るさはありません」
「良かった。ところで、昨日のお店のことなのですが」
少女は、食料雑貨店への意気込みを僕に語りはじめた。
僕は彼女の話に耳をかたむけつつも、頭の中では別のことを考えていた。
もちろん、まさかとは思う。
でも、そのまさかが頭から離れず、少女の話に集中できない。
まさか、今回の往来を、最後の思い出に。
「あの」
上の空だったが、少女の声で我に返る。
「わたし、肝心なことを聞き忘れていたのですが」
「はい」
「名前を教えていただけますか。
名前は、生きて行く上で重要なものなのですよね。わたし、すっかり忘れていました」
「あなたには」
あまり重要ではないのですか。そう聞こうとして、止めた。
1人で生活をする少女には、名前はそれほど重要ではないのだろう。
僕は自分の名前を告げ、彼女にもたずねてみた。
「ちなみに、あなたの名前はなんというのですか」
「ごめんなさい。忘れてしまいました」
素早い返答だった。
「もともとは、名前があったということでしょうか」
「ええ。あの星に送り込まれた直後は、わたしは自分の名前を覚えていて、
自分はその名前なんだと、つよく意識しながら生きていたような気がします」
「僕には、あなたの生活がうまく想像ができません。
ですから、うまく想像ができないからこそ、こういうことを考えるかもしれないですし、
ものすごく失礼なことを申し上げているかもしれません。
ですが、いくら他の人に名乗る機会がないとはいえ、
100年ほどで、自分の名前を忘れてしまうものなのでしょうか」
本当は、名前を名乗れないなどの、何らかの事情があるのかもしれない。
僕はそう思い、的外れかもしれないと自覚しつつ、かまをかけてみた。
するとだ。少女は無様な笑顔でいうのだった。
「さすがです。わたしは嘘をつきました。まずはそれを謝りたいと思います」
「どういう、ことでしょうか」
「本当のことをいうと同情をされると思ったので、嘘をついていました。
わたしはかれこれ、1000年以上、石を積み上げています。
名前も400年くらいは覚えていたと思うのですが、
500年目あたりからあやふやになっていき、今ではもう思い出すことができません。
なんとなく、こうだったかな、こんな感じだったかなという候補はあるのですが、
正しいかどうか、あまり自信がないのです」
僕はあまりの年月に気圧されつつも、間髪をいれず質問をつなげた。
そうしないと、その後にやってくる沈黙に、押しつぶされてしまいそうだったから。
「そんなに長く生きているのですか。その割に、ずいぶんお若いのですね」
少女はうれしそうに、若さの秘けつを話しはじめた。
聞けば彼女は、永遠のつぐないを実現するために、
肉体の多くが、人工の器官に置き換えられているとのこと。
僕は単純に、わあ、あこがれの永遠の命だ、すてきだなあと思った。
そうやって、頭の中で皮肉を組み立て、わきあがる怒りを抑えようとしたのだ。
けれどそれは、まったく長続きせず、
こんな××××の星で、永遠に石を積むことを強いるだなんて、
考えたやつは、ひどく感傷的で、少女趣味で、くそやろうだと思った。
とはいえ、自覚している。僕は普通の人間だ。
彼女の境遇を深く理解できるほどの想像力もなければ、
浅い理解のまま、自分の価値観だけで、同情を寄せてしまうほど愚かでもない。
彼女は、彼女なりに、誇りをもって生きているかもしれないのだ。
それを、僕みたいな一山いくらの、道ばたの石と変わらない人間が、
なんてかわいそうなんだとか、君の故郷は間違っているとか、
安易に否定をしていいものじゃない。
だから、僕は痛む心をそのままに、話を変えることにした。
「もうすぐ、お店ですね。何か欲しいものがあれば、遠慮なくおっしゃってください」
「買っていただけるということですか。でも、それはいけません」
「遠方からのお客様を、手ぶらで帰すわけにはいきません。
お願いです。僕のためだと思って、何かを受け取ってください」
少女は頭を下げた。
「うれしいです。ですが、何かを持ち帰るのは禁止なので」
「では、食べてみたいものはありませんか。
食べ物であれば、こちらで消費してしまうことができます」
「でも」
「僕と半分ずつにするのはどうでしょうか。実はちょうど、お腹が減っていたのです。
それに、この店の食べ物はおいしくて、いつも目移りしてしまうのです。
ですから、あなたに選んでいただけると、すごく助かります」
「ええと、それなら」
少女が一瞬、戸惑ったような気がした。
気づかいがあからさますぎて、悟られてしまったのかもしれない。
だが、語らいの絶対量が少ない彼女が、会話の妙をくみ取れるものなのだろうか。
「わたし、実は前々から食べてみたかったものがあって」
少女はそういって、陳列棚の方へ向かっていった。
買いもの中の女性が、いぶかしげに僕らを見る。
2人の動きや会話、関係性に、怪しげなところがあったのかもしれない。
でも、だからといって、そんな顔をしないでください。
僕は心の中でそうつぶやき、ゆっくりと少女の後を追った。
その後も、平坦な時間が過ぎていく。
僕らは公園で、1袋の即席めんを半分に割った。
「どうして、あえて生のままで食べたいと」
僕はめんに粉末をふりかけながら、たずねた。
「物語にそういう描写があって、憧れていたんです」
味の感想は、かたくて、しょっぱい、それだけだった。
「まるで、石をかじっているみたい」
「え、なんですか」
「なんでもありませんわ」
少女は嬉しそうな顔をこしらえる。
もしかして、物語に登場する台詞なのだろうか。
けったいな食事をしながら、僕らは公園の長椅子で語り合った。
「遊具が1つもない公園ですいません」
「そんなこと」
やがて西日がかたむき、少女は赤茶けていく世界に、息をのんだ。
「これが、誰もが美しいという、夕日」
「あなたはどう感じますか」
少女が、答えを口にすることはなかった。
僕らは無言のまま、夕焼けが沈みきるまで、空をぼんやりと眺め続けた。
翌日。透明人間に向かって喋り続ける教授の授業が終わり、僕は家路についた。
扉を開けた瞬間、それがすぐに目に入る。
天井の穴から、少女が顔を出していた。
「その体勢は、苦しいでしょう。中でくつろいでくださって結構ですよ」
はしごを下りる少女に、僕は買ってきた飲み物の缶を手渡した。
「やさしさですね。うれしいです」
少女はそういって、放った単語と同じ表情をあつらえた。
「炭酸です。開け方は分かりますよね」
うなずき、指先に力を込める少女。
彼女は昨日、公園の自動販売機で買ったお茶で、すでに缶の開け方を習得している。
「ところで、どこか行きたい場所はありませんか」
炭酸の味に驚いたのだろうか、少女は目を白黒させながら答えた。
「ないことはないのですが、もう外の世界は大丈夫です」
「えっ」
「わたしに残された時間は、ほんの少しです。
多くのことを望めば、この世界のことを、1つも理解できずに終わるでしょう。
ですから残りの時間は、1つのものを深く掘り下げる形で使いたいのです」
「1つのものとは」
「そうですね」
少女は部屋を見回し、わずかな沈黙をもうけた。
「ところで、あなたから見て、わたしはどのように映りますか」
「どのように、とは」
「例えるなら、わたしのことを文章で描写する場合、
見た目や、性格などは、どんなふうに書くことになるでしょうか。
とはいえ」
少女は一拍おいて、続けた。
「物語によると、年頃の少女というものは、傷つきやすいものだといいます。
だからこそ、家族が悲しみの引き金を引かないよう、
気をつかうといった描写も出てきます。
ちなみに、この悲しみの引き金というのは、とある小説そのままの表現です。
分かりますでしょうか。比喩というものですよね」
「わかります」
「良かった。
また、話がずれましたね。とにかく、わたしが申し上げたいのは、
わたしに年頃の少女のための気づかいは、必要ないということです。
あなたの偽りのないご意見をもらいたいのです」
少女の断りに、僕は心が痛んだ。
やはり彼女は、昨日の余計な気づかいを察知していたのだろう。
彼女は時間のない中で、
お世辞や気づかいのない、等身大のやりとりがしたいのかもしれない。
「では、お言葉に甘えまして」
僕は1つ、咳払いをした。
「お言葉に甘えましての後の、咳払いですね。物語でよくある、すてきな状況です」
僕は空笑いの後に、少女がそう願うならと、小さな恥を打ち捨てて、いった。
「まず、見た目ですが、あなたはとても、かわいらしい人だと思います」
「どのように、かわいらしいですか」
少女がにじりよってきた。
「そうですね。近寄られると、しどろもどろになってしまうくらい、かわいらしいです」
「それは少し抽象的なので、具体的なものも欲しいです」
「やけに、積極的ですね。そうだな。ええと」
「射精をしたくなりますか」
単純に、びっくりした。
「いきなり、何を。そういう性的なことは、いきなりいうことではありません」
「でも、生物にとっては、性交はもっとも重要なことですし、
物語の中では、ちょくちょく主人公たちが、性的なやりとりをするものです」
「確かにそういった表現がある、小粋な物語もあります。
ですが物語は、あえてその時代の平均とは違う、過激で、
格好のよいやり取りをするものなのです。
またそういった、すらっとした性のやり取りは、性的な経験が多く、
余裕がある人たちのものです。
僕のような普通の人間には、すこし荷が重いかもしれません」
ぎりぎりの線で体裁を整えながら、僕は心の中で叫ぶのだった。
ええ、射精をしたくなる。したくなりますとも。
君みたいなかわいらしい人が現れて、どれだけ緊張をしたことか。
僕は、きみのことを欲望をもった目でみてはいけないと、
きみの星へと向かう前に、一度体液を抜いてから行くくらいなのだ。
なぜ、そんなことをするかって。そりゃあ、君の境遇が悲しすぎるからだ。
あまりに悲しすぎるから、この星の代表として、少しでもいい思いをしてもらいたくて、
せめていい思い出をもって欲しくて、死にものぐるいで体裁を整えている。
でも結局、僕は人並みにみにくく、人並みにいやらしい普通の人間で。
だから、万が一にも君に飛びつかないように、一度義務的に体液を放つ。
でも、しょうがないんだ。
僕は普通の人間で、物語のように美しくふるまうのは、荷が重すぎるんだよ――。
僕はくそったれな内面がばれぬよう、すてきな笑顔を貼り付けていった。
「つづいて性格ですが、あなたは、ずばぬけて賢い人だと思います。
会話の内容も大きくずれたところがないですし、
会話に自信がないときは、あらかじめ自信がないと前置きすらしてきます。
これは、すごいことだと思います。
この世界のことを、たくさん勉強をしたのだと思います」
少女は目を丸くしていった。
「わたし、大きくずれてはいないのですね」
「ええ、あなたは大きくずれてはいません」
「すごくうれしいです。勉強したかいがありました」
少女は理屈で笑顔を作り、
「物語では、うれしさが極まると、涙が出るといいます。
ですが、わたしの場合は、駄目みたいですね」
そののち、少し悲しげな顔をした。
その悲しげな顔には、理屈がないように思えた。
いつの間にか、夜になっていた。
話が一段落すると、少女は一度手をぱんと叩いた。
「少しずつ、深い話が増えてきましたよね」
「そうですね」
「人はこうやって、距離をちぢめていくのですよね」
「ええ」
「進み具合は、少し急でしょうか。でも時間がないので、そこは許してくださいね」
続けて少女は、さらっといった。
「なんせ、明日のお昼で、お別れになるのですから」
寝耳になんとかとはこのことで、僕は呆気にとられた。
「確か期間は、7日間だったはず。まだまだ、折り返し地点ではないのですか」
「それは、鉱石から得た情報ですね。
しかし、その7日間とは、わたしの星でいうところの7日であって、
あなたの世界でいうところの7日ではないのです。
わたしの星はこの星よりも小さく、日が経つのが早いですから」
僕は衝動的になってしまい、分をわきまえずいった。
「あの」
「はい」
「このまま、この星に住みませんか」
少女の顔色をうかがうことなく、僕は思いの丈をぶちまけた。
「僕は人からよく普通といわれるからこそ、何が普通でないかを考えます。
例えば、自分が普通だと思っていることが、別の国では異常なことだったりする。
結局、何が普通かなんて、主観的な判断にしか過ぎないのです。
だからこそ、自分の価値観で、他人を正しいとか、異常だとかを、強く決めつけない。
自分が決めつけられてきたからこそ、他人には絶対にしたくないのです」
「はい。それはよくわかっています。だからこそ」
「だからこそ」
「いえ。何でもありません。お話を続けてください」
「はい、では。今の話と同じように、あなたのことも、
僕の価値観でだけで考えてよい話ではないと思います。
僕は、あなたの一族が、どんな罪をおかしたかも知りませんが、
あなたの星では、それはとても大きな罪なのでしょう。
でも今回だけは、この星の平凡な一市民であることにかこつけて、
あえて、ぶっきらぼうにいわせてもらいます。
いくらなんでも、あなたが罪をかぶるのは、理不尽すぎると思います。
いや、もし仮に罪があったとしても、
もう十分すぎるほど、つぐなったと思うのです」
少女はうつむいて、そしていった。
「うれしい。心が救われる思いです」
冷蔵庫の低いうなり声が、僕の耳に届いた。
「わたしは、その言葉が欲しくて、この世界の人なら、
そういうふうに考えてくれるのではないかと思って、
少し期待していたところもあります。でも」
少女は、大きめの「でも」で、僕のさらなる言葉をけん制した。
「わたしは、自分の星に戻ります」
「なぜ」
「7日間。それが規則ですから。
わたしが規則をやぶれば、きっと世界のどこかで罪をつぐなっている、
一族の他の人たちに、量刑が科せられることでしょう。
それに、わたしには長い間、石とともに生きてきました。
石だけの世界のほうが安らぎますし、
この世界の物の多さには、心が疲れてしまうのです」
「そうですか」
僕は自分の無力さをかみしめつつ、それでも閉口させられるのは悔しくて、
1つ質問をぶつけてみた。
「ちなみに、聞いてもいいでしょうか。
あなたの一族が犯した罪とは、どんなものだったのでしょう」
少女の顔がこわばった気がした。
「すいません、忘れてください」
折れそうな心を立て直し、僕は笑顔でいった。
僕らは語り明かし、やがて空が白んできた。
最後くらいは、いい気持ちでいてもらいたいと、
死についての話は、絶対に出さないよう心がけた。
僕のような凡人に、どうにかできる問題ではないのだ。
表情では、完璧な笑顔をまといつつ、それでも、心の中では強く思う。
僕のような普通の人間の元ではなく、もっと飛び抜けた人のところに、
2つの世界がつながる穴ができれば、良かったのになあ、と。
少女が石を積むところを見て欲しいというので、
僕らは最後の時を、少女の星で過ごすことにした。
そこは、石碑が一列に建ち並ぶ場所で、
歩いても、歩いても、石碑が途絶えることはなかった。
「最近だと、この群れが1番のお気に入りです」
少女は石碑の1つに近づき、頂きを撫でながらいった。
「すごいですね。この列は、どこまで続くのですか」
「もう少しで先頭が見えてきます」
少女のいうとおり、やがて先頭の石碑が見えてきた。
彼女はその石碑に、石を積み上げはじめる。
「最近は、こうやって一列に並べるのが楽しくて」
残念ながら、僕には少しも楽しそうに見えなかった。
「いつかこの列で、星を一周できたらと思います」
少女の表情が変わる。
口角が上部につり上がったから、きっと笑顔を表現しているのだろう。
遠くの方に1つだけ、ぽつんと石碑があった。
「なんだか、仲間はずれのやつがいますね」
「それって、擬人法ですね」
「はい」
「見てくださいますか、彼のことを」
近づいてみるとよくわかる。
石碑はほかの完成したものよりいびつで、今にも倒れそうな形をしていた。
「絶妙な形をしていますね」
僕は言葉を選ぶ。
「はい。思い出深いです。思い出深いですし、
わたしには未だに必要な情報なので覚えています。
記憶に間違いがなければ、これは、わたしが一番最初に積み上げた石碑です」
「未だに必要な情報とは、どういうことでしょうか」
「見ての通り、この石碑は、作りかけなのです。
わたしの身長に、少し及ばないでしょう。
ですから、この石碑は未だに点数になっていないのです。
おかしなものを置いてしまうと、たぶん崩れてしまう。
わたしは、ときどきこの石碑のことを思い出し、最後の一石を探すことにしています」
「だから、忘れないと」
「ええ、名前も忘れてしまったわたしですが、ちゃんと覚えているのです」
少女はそういって、石碑を見つめながら、目を細めた。
表情の読みにくい少女だが、きっとこの石碑を愛おしく思っているのだろう。
そんな気がした。
否応にも、残り時間が気になってくる。
僕にできることは、平静を装い、彼女を気持ちよく送り出すことくらいだ。
「ところで、石を積むとき、あなたはどんなことを考えているのですか」
だから質問も、当たり障りのないものにする。
「特に何も考えていません。
強いてあげるなら、ただただ、目標の点数に達したいと」
少女はそこで口をつぐみ、僕の顔を見つめながらいった。
「そう、思っていました」
過去形だった。
僕の中でいやな妄想が広がっていく。
とはいえ、直接的には聞かない。あくまでも間接的に攻めてみる。
「そういえば、持ち点は、どのくらいあるのですか」
「今回の分を差し引いても、1000000点はゆうに超えていると思います」
期待していた答えとは違い、死を選ぶには、十分な持ち点だった。
「そんなに。てっきり僕は、今回の分で使い切ってしまったかと」
我ながらひどい。言葉が上滑りしているのが、よく分かった。
表情も、なんとか笑顔を貼り付けているが、いつはがれてしまうか不安になる。
心の中では、核心をつきたい、核心をつく問いかけをしたいと思っている。
「時間だけはありましたから。それに……」
少女が何かをいっている。言葉を、ていねいに並べている。
でも、聞き取れない。僕の頭の中はもう、少女の死に対する思いで一杯になっている。
「あの」
自分でも驚いてしまう。僕は必要以上の大声を放っていた。
もう駄目だ。止められない。
「昨日実は、あなたが外出している時に、鉱石に手を触れてしまいまして、
なぐさめ品のなかに、石化という項目を見つけました。
あれはいったい、どういったものなのですか」
それでも、直接死について問い詰めるわけではなく、ぎりぎりのところで迂回する。
少女は、大きく目を見開いた。やはり、隠していた情報だったのかもしれない。
「石化とは、いうなれば入れ物の変更です。
人格を情報化して、鉱石の中に移しかえるのです。
要するに、このなぐさめ品を選ぶことで、わたしは意思だけの存在となり、
永遠に石の中で生き続けることになります。
すでに永遠の命を与えられている、わたしのなぐさめ品に、
なぜこんなものが混じっているかというと、これはわたしのための恩赦なのです。
わたしは、永遠に石を積み続けなければなりませんが、
それは石を積む体があっての話です。
体が無くなれば、石を積むことはもう出来ません。
罪から逃れることが出来る、数少ない手段です」
「そして、もう1つの手段が、909000点を投じることなんですね」
いってしまった。それを確かめたからといって、どうにかなるわけでもないのに。
「はい。2つのいずれかのなぐさめ品が手に入れられるくらい、石が積まれたとき、
すでに相当の年月が過ぎていることになります。
その頃になれば、さすがに許してやってもいいんじゃないか。
直接そういわれたわけではないのですが、おそらくは、そういうことなのだと思います」
まさか、あなたはそんな選択をしないですよね。
僕の脳裏をかすめる、最も残酷な言葉。
僕だって賢くはないが、愚かではない。
想像をしきることはできないが、少なからず想像に近づくことはできる。
僕のつたない想像力でだって、少女の1000年の人生が、
決して華々しいものではないことは分かる。
死が、唯一の救いである可能性だってあるのだ。
「そんな顔をしないでください」
僕が次の一手に悩んでいると、少女の声がした。
「直感で分かります。それは苦しんでいる顔です。
あなたの価値観では、わたしが死ぬのは駄目ですか」
「駄目というか」
悲しい。いやだ。このまま死んでしまうだなんて。
でもそれは、駄々をこねる子供ような欲求だ。
僕は内なる思いをしずめながら、声をしぼり出した。
「それがあなたの唯一の救いだとしたら、尊重しなくてはと思います」
「お願いです。あなたは、わたしが生きていたほうが、うれしいですか。
わたしは、それをすごく聞きたいです。どうかお願いします」
うれしいに決まっている。
遠い世界で、石を積むことだけしか知らないまま、誰かが死んでいくのは悲しい。
出来れば、生き続けて欲しい。生き続けていれば、
取り巻く状況が変わって、解放される可能性だってある。
でも、それはいったい、いつになることだろう。
100年後。1000年後。それとも。
少女の世界のことを何も知らない以上、それを言葉にするのは、あまりにも無責任だ。
「いいたくありません」
僕はきっぱりといった。
「考えはあるけれど、あえていわないということですね。
きっと、わたしの立場になって考えてくれているのでしょう」
「いいえ。あなたの立場になって考えきれないから、情けなくも苦しんでいるのです」
少女はうすく笑い、地面に転がる石ころに手を置いた。
「あなたが、誰かと会話をしたいという願い、しかと聞き入れました。
ですが、あなたを過度にあがめたり、あなたに過度な敵対心を抱いたり、
あなたに過度な好奇心を持つ、危険な人に近づけるわけにはいけません」
「どうしたんですか、突然」
「あなたのことを、等身大で受け止めてくれる人を、探します。
何かを正しいと決めつけず、しなやかに物事を考えられる人です。
選ばれた人は、我々の価値観に近いといえるでしょう。
あなたもその方から、我々のしきたりを学ぶのですよ」
抑揚のない声だった。それが、少女の意見でないことは分かる。
「鉱石を通じ、どなたかに、そう告げられたということでしょうか」
僕は思いきって、たずねてみた。
「どうでしょうか。もしわたしが、わたしを管理する立場なら、
そういう人を選ぶだろうなという、単なる想像かもしれませんよ」
少女は立ち上がると、僕の目をまっすぐに見た。
「ですが、これだけはいわせてください。
わたしがあなたに出会えたのは、たぶん、あなたがあなたであるからなんです」
胸の中が熱くなり、何かがこみあげてきたが、その正体は分からなかった。
分からないなりに、心の中でつぶやいてみる。
なんだよ。それじゃあ僕が、まるで特別な人みたいじゃないか。
「違います。僕ではないほうが良かったんです。
僕は普通の人間で、広い視点で考えることができない。
だから、あなたのことを、笑顔で送り出すことができない」
「あなたほどの特別な人が、わたしのことで苦しんでくれている。
こんなにうれしいことはありません」
「僕は、特別なんかじゃない」
僕は大きな声を出していた。
「特別なわけがない。僕は、どこにでもいる普通の人間です。
普通の人間だから、特別、心が強いわけでもない。
だから、汚らわしいことも平気でするし、君を笑顔で送り出すことができない」
限界がきていた。ええい、ままよと思った。
「そうですよ。その通りです。
僕はあなたに死んで欲しくないと思っています。
ああ、いってしまった。情けない。でも、仕方ないじゃないですか。
僕は、あなたの死を受け止められるほど、つよい人間じゃないんです」
もう、止まらなかった。
「死んで欲しくない。絶対にいやだ。
思慮が足りなくて、本当にごめん。
でも、君が死んでいくのは、すごく悲しい。
君に死んで欲しくないと、心から思っているんだ」
喉の奥が熱くなるとともに、気管がすぼまり、みにくい音がした。
「情けない。結局耐えきれず、自らの平凡さを、言葉で証明してしまった。
それも、最低なかたちで。
でも、本当にいやだ。最低だけど、君が死ぬのはあんまりすぎるんだよ」
僕は、子供のように、ぽろぽろ泣いた。
それはもう、子供のように、ぽろぽろと。
「わたしは、あなたの言葉で、救われます」
少女はそういって、ていねいに目尻を下げた。
「わたしに感情を抱いてくれて、ありがとう」
ちくしょう。吐き気がする。助けて。本当に助けてください。
ごめんなさい。泣いて何になる。馬鹿じゃないの。安い同情の涙だねえ。
止まらない。嗚咽が止まらないよ。自分が嫌いだ。
このぼけなすの、安い同情心が大嫌いだ。
ああ。石碑が僕のことを罵倒しているように見える。
ごめんなさい。僕は絶えられなかった。
でも、ちゃんとした知性の持ち主なら、絶えられるのだろうか。
死ぬなという言葉を、最後まで胸の中にしまっておくことができるのだろうか。
僕には無理だった。無理だったよ。
少女が、こんな浅はかな世界で、死んでしまうのなんて、絶対にいやだ。
ぼけなすにも、別れの時は公平にやってくる。
少女は、はしごを回収し、出会った時と同じように穴の縁から僕を見つめた。
その時はじめて、少女の瞳の中心が単純な円形ではなく、
布の上に墨を落としたような、にじんだ形をしていることが分かった。
僕は、結局彼女のことを、何も知ることができなかったのかも知れない。そう思った。
「お別れですね」
少女がいった。錯覚だろうか。僕には彼女が寂しそうな顔をしているように見えた。
「ええ。先ほどは、情けないところを」
今さら体裁を繕っても、しょうがないのかもしれない。
それでも僕は、懸命に笑顔を作り上げた。
「すてきな思い出をありがとう。わたし、あなたのことは、一生忘れません」
少女のまっすぐな言葉が胸につきささる。僕の胸中は、複雑そのものだった。
その言葉は、僕しか知らないからいえるのだ。
世の中にはもっと素敵な人間が、たくさんいる。
その人と出会えていたなら、もっとすてきな思い出を作れていたはずなのに。
2つの世界をつなぐ穴が、少しずつ小さくなっていった。
「あの」
これでお別れなんて。僕は後悔はしたくないと思い、いった。
「まだ間に合います。はしごを下ろしてください。こちらで一緒に暮らしましょう」
少女は首を大きく振った。
「だったら、僕がそちらへ」
僕は覚悟が決まらぬまま、声を張り上げた。
「ありがとう。本当にありがとう。その言葉だけで、十分です」
少女の声もまた、今までにない色合いのあるものとなっていた。
穴が、彼女の顔の大きさほどになる。
「さようなら。さようなら」
これで終わりだなんて、ひどすぎる。何か救いはないだろうか。
僕はぎりぎりのところで、1つの案をひねり出した。
そうだ。少女のために、物語を書こう。
彼女は様々な物語を、鉱石を通じて読むことができる。
だったら僕だって、有名な作品を書けば、彼女に読んでもらえるかもしれない。
「あの、最後に1つ、いわせてください」
僕が僕なりに、わずかな救いを見出し、それを告げようとした、その直後のことだった。
少女は顔を引っ込めてしまい、小さな穴が灰色一色になった。
それは、質感が一定ではなく、なんだかごつごつとしていた。
一体何かと思えば、灰色の部分が少しずつ盛り上がっていき、
やがてすとんと、部屋の地面に何かが落ちた。
「わたし、絶対に死にません。それがその証拠です――」
少女の、はじめての感情のこもった声。
次の瞬間、穴は完全に閉じてしまった。
感傷にひたる間もなく、胸に冷たいものが走る。
ゆっくり。ゆっくりとだ。
まさかとは思いつつ、恐る恐る、目線を床のほうへと移していく。
鉱石があった。
ええと。あれ。
これは確か、なぐさめ品を支給するためのもので。
ということは、つまり。
誰にでも分かる結論だ。それが、誰にでも分かる結論だということは分かる。
だけど、その誰にでも分かるはずの結論が、どうしても言葉となって出てこない。
自分の平凡な脳みそが、答えをひり出すのを、拒絶しているのが分かる。
部屋のくされ時計が、かちかちと音を立てる。
ここに、鉱石があるということ。少女が、鉱石を手放してしまったということ。
つまりだ。つまりもう、少女は死ぬことができない。
それどころか、もう二度と、なぐさめ品を手に入れることができない。
もちろん、物語を書いても、無駄だ。
受け取る手段が、ない。
確かに、絶対に死なない証拠だ。彼女がいうのだから、確固たる証拠なのだろう。
そして、残酷なことに、こういいかえることもできてしまう。
この日、永遠に石を積み上げるだけの装置が誕生した、と。
石積みの少女 ③へ
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