ランジーン002

◆プロローグ----------------------------------------------◆
 アマンダ・テールノーズは声を聴いた。朝起きて顔を洗い、歯を磨いて鏡を見た瞬間の出来事だった。
 聞いた声の内容は口では言い表すことができない、しかしアマンダ・テールノーズはその声の内容を理解した。ああそうなのかと思った。私は選ばれたんだなと思った。
 私は改変のため選ばれ、死ぬのだなと。
 そして声が止んだ時アマンダ・テールノーズは精神的に消失していてそこには改変のために作られた言葉の獣『ラビット』だけが存在した。
 改変のために作られた言葉の獣『ラビット』。
 彼女はほかの『ランジーン』とは全く違う。
 彼女は『イゲンシ』を増やし種を拡張するための存在ではない。
 彼女は自己以外の『ラビット』を望まない。
 彼女の脳に、DNAに『イゲンシ』に記憶されている使命は一つだけ、

『…………の国を作りなさい』

 そう、彼女は特殊な存在、改変の獣、種の生存戦略を放棄したそれこそ生命体である存在意義を放棄した存在。
 それだけに意義ある存在。
 アメリカ合衆国『ランジーン』社会を作った最初の『ランジーン』は、厳密に分類すれば種を拡大させる生物の根幹を失っている時点で『ランジーン』ではなかった。

 わたくし『ラビット』の半生ほど面白くもないものはありません。わたくしはわたくしとして目覚めて、息を吸い始めて、言葉を発し始めて、目を赤くし始めて、わたくしとしての最初の瞬間からわたくしが何を成し遂げるべき存在なのかを完全に理解していましたし、わたくしの人生の結末を手に取るように理解していましたし、結末に至る人生すべての過程を詳細に理解していましたので、わたくしは一度も驚いたことも、感動したことも、喜んだことも、悲しんだこともありません。つまらない人生でございます。いや、このように決まり切った物事をただなぞるように生きてきたわたくしの半生を人生などと呼んでしまうことにすら抵抗を感じてしまいます。
 それでもお聞きになりたいのでしたら、わたくしはお話いたしましょう。
 わたくしがどのように生き、どのようにアメリカ合衆国を掌握したかのお話を。
 さして面白い話でないですが。

 わたくしはまず家族を懐柔することに全精力を注ぎました。何をしたか、それは簡単なことなのです。わたくしはアマンダ・テールノーズの両親を性的快楽で懐柔しました。
 わたくし『ラビット』には特殊な力が備わっています。それは八ヤードを優に超える跳躍力でもなく、五十メートルを六秒で走り抜ける脚力でもなく、魅力です。
 わたくしは魅力ある生き物なのです。
 まず幼さと美しさの中間にあるかんばせ、
 細く弱々しい体躯に似つかわしくない大きなバストとヒップ、
 黄金色に輝く癖の全くない髪の毛と染み一つない青白い肌。
 私の外見はとても蠱惑的で表情一つで清純な天使のようにも、淫らで背徳的な猫のようにも見える素晴らしいものです。
 ただそれだけではありません。
 わたくしの真っ赤な目は眼球運動を微細に、低振幅高振動で行うことにより反射する光を信号に変え、私の目を見ている人間の理性的判断を奪うことができます。
 わたくしは陰部と耳の後ろにあるアポクリン腺からは強いフェロモンに似た甘い匂いを自在に分泌することで、私に対する性的欲求を急激に上げることができます。
 わたくしの左腕の上腕神経は神経伝達物質を過剰分泌することにより、左掌から純度の高いエンドモルフィンを分泌することで、接触した部位、特に性器に強烈な快楽を与えることができます。
 わたくしはその特性を使いまずは両親、そして母親の叔父である下院議員フォロフォック・テールノーズ氏を懐柔しました。
 両親はまず、異性である父親から、ベッドサイドにわたくしが寝入っているか確認しに来た父親の性器をズボンの上から掴み、ベッドの中に引きずり込み体中を舐めまわし、わたくしの性器の匂いを胸いっぱいに嗅がせ、何度も射精させ、懐柔しました。母親は共にシャワーを浴びている時に懐柔しました。母親の叔父であるフォロフォック・テールノーズ氏も彼のオフィスにご挨拶に伺った時、スタッフが目を離した隙、トイレに連れ込み懐柔しました。それから多くの政治的、宗教的に権力ある人間を、わたくしはわたくしの魅力により懐柔してきました。
 ここで申し上げたいのは、わたくしに懐柔された人々が、人格的に破綻があるわけではないということを強調させていただきたいのです。
 わたくしの魅力はそもそも人体で抗えるものではないのです。
 毒を飲めば死にます。
 食せば腹も満ちます。
 水を飲めば潤いますし、塩を舐めれば塩辛く、砂糖を舐めれば甘く感じます。
 それが人体であり、人間という生き物なのです。
 人間には体の構造上、絶対に抗いきれない魅力、それがわたくしの能力なのです。
 
 そしてわたくしは国を作りました。
 わたくしが生まれて最初に聞いた言葉『…………の国を作りなさい』、この言葉の通り、わたくしはこのアメリカ合衆国の豊饒な大地に国を作りました。「『ランジーン』保護とその人権の保障についての法律」、わたくしはこの法案を通すことにより、国を作りました。吹き荒れる『ランジーン』への妬みと差別、保障の充実を口実に種の優位性を口汚く吐き出す『ランジーン』達。軋轢は止まず大きくなり、差別と対立は日を増すごとに大きくなり、混乱と暴力は日を増すごとに大きくなり、危険と事件と死亡者数は日を増すごとに増え続けていきました。
 わたくしはここに完遂したのです。
 わたくしは最初に聞いた言葉をここに結実させたのです。

『混乱の国を作りなさい』

 わたくしは目を見開いて初めて聞いた使命を、ここに手に取れる形で、目に見える形で、匂い立つ形で、完成させたのです。

 混乱の大地アメリカ合衆国。
 世界一『ランジーン』を嫌う国アメリカ合衆国。
 歪んだ国、アメリカ合衆国。
 わたくしの作ったアメリカ合衆国。
 わたくしは成し遂げたのです。

 そして新たな問題が発生してしまいました。
 わたくしはわたくしとして目覚めて、息を吸い始めて、言葉を発し始めて、目を赤くし始めて、わたくしとしての最初の瞬間からわたくしが何を成し遂げるべき存在なのかを完全に理解していましたし、わたくしの人生の結末を手に取るように理解していましたし、結末に至る人生すべての過程を詳細に理解していましたので、わたくしは一度も驚いたことも、感動したことも、喜んだことも、悲しんだこともありません。つまらない人生でございます。いや、つまるつまらないの感情すら芽生えません、このように決まり決った物事をただなぞるように生きてきた人生でした。
 決まりきっていたのはここまでなのです。
 わたくしは完遂しましたが、わたくしはこの先の人生をどのように過ごしたら良いのかが分かりません。
 私の作ったアメリカ合衆国、しかし作り上げてしまった後、やるべきものが見出せません。死を選ぶことも、決まっていませんので、死を選ぶこともできません。
 種として、『ランジーン』として異質な存在であるわたくしは先の展望もなくただただ終わりきった存在になってしまいました。
 
 わたくしは『ラビット』、アマンダ・テールノーズの脳内に宿り、彼女を乗っ取った言葉の獣、種を繁栄させる生存戦略の外の存在、混沌のアメリカ合衆国を作った存在。
 わたくしは『ラビット』、使命を完遂した存在。
 わたくしはこの先何をすればよいのでしょうか?
 完遂の後に、混乱の後に、遂行の後に、懐柔の後に、終了の後に、わたくしはどのように生きればよろしいのでしょうか?
 頭の声は聞こえません。
 生まれた時から耳鳴りのように聞こえ続けた声は、今、全くわたくしの耳には聞こえません。
 声は終わりきったわたくしを置いてどこかに旅立ってしまいました。

 終わりきったわたくしは何をすればいいのでしょうか?

 御教授下さい。
 御教授下さい。
 御教授下さい。
 御教授下さい。
 御教授下さい。
 御教授下さ………………………………………………………………………………………

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