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サイレント・タン。ミライザ・エステルの変わり果てた姿がそこにあった。
サイレント・タン、言葉を必要としない『ランジーン』。
彼らは情報をアウトプットする時、言葉を使わない。空気を振動させない。すべて右手人差し指で何かをなぞることによってのみアウトプットされる。二十四時間、睡眠中も人差し指は動き続け、三センチ角の平面に、彼らでしか理解できない言語サインで、永遠にアウトプットされる情報はいまだ解明できず、彼らの中でしか理解されない。
ファミリーの中でしか彼らの出す情報は解読できず、ほかの『ランジーン』、まして人間とは意思の疎通をとることができない。
レディオは姉の発する情報を、感情の発露を全く理解することができなくなっていた。
医師との面談、レディオの感情は爆発した。
「サイレント・タン? 『ランジーン』? ふざけるな! 姉さんはもう成人しているのだぞ! 成人してからここまで完璧な『ランジーン』になることが可能なはずはないだろうが!」
「そう言われますがこれが現実なのですよレディオさん」
医師はMRIと脳CTの画像をデスクの上のモニターに表示しながら冷静に言い放つ。
「お姉さまの脳はこの画像から見ても完全に『ランジーン』です。つまりは感染と発症、このタイムラグだと私は考えています。お姉さまはもうずいぶん前から『ランジーン』、サイレント・タンだったのでしょう。サイレント・タンでありながら、人間として暮らしてきたのでしょう。
このような事例を見ることは私も初めてなのですが、感染症にはよくあることですよ。つまりはキャリア、お姉さまは『ランジーン』キャリアだったのです」
「ふざけるな!」
レディオは怒りに任せ医師のデスクに拳を叩きつけるが医師は無表情で電子カルテを立ち上げる。『ランジーン』申請書。医師は一枚の紙をプリントアウトしレディオの前に差し出す。
「これが申請書です、診断結果を書き込んでおきましたので二十日以内に行政機関に提出してください」
レディオは申請書を医師の手から奪い引き裂いて投げ捨てる。
「ふざけるな!」
医師はため息をつき、今までかけていたメガネをはずす。椅子に深々と座り直し足を組み左手で拳を作り顎に当てる。立ち上がり憤るレディオを下から見上げ、蔑むように言葉を放つ。
「ではどうするのですか? あなたは何を望んでいるのですか? お姉さまは『ランジーン』だ、これは紛れもない事実なんですよ? これは私のせいですか? それとも誰かほかの人間のせいですか? 違うでしょう? 現実を見てください。あなたがいくら憤っても現実は変わらないのですよ? あなたのお姉さまミライザ・エステルは『ランジーン』になった。これは事実です。抗いようもない事実なんです」
レディオは泣きながら膝から崩れ落ちた。
レディオは姉の治療を懇願したが受け入れられなかった。
治療以外『ランジーン』から人に戻る方法はない。
しかしミライザはこの治療を受けることができない。アメリカ合衆国では治療は法律で禁止されている。「『ランジーン』には『ランジーン』である権利があり、これは何人たりとも拒むことはできない」これは「『ランジーン』保護とその人権の保障についての法律」の最初に書かれている一文で、これにより『ランジーン』は『ランジーン』であることを拒めなくなった、家族でも、親子でも、恋人同士でも、自分自身でも。
ミライザは海外でも治療を受けることができない。ミライザは感情の発露をファミリー内でしか行うことができない。ミライザの右手人差し指から発せられる情報をサイレント・タンしか理解できないからだ。海外で治療を行うには本人の意志確認が必ず必要で、ミライザの意思確認はサイレント・タンしかできず、サイレント・タンはサイレント・タンとしか情報交換できないため誰もミライザが治療を受けたいのかどうか確認する術がないのだ。だからミライザは治療が受けられない。
ミライザを『ランジーン』から人間に戻す方法はないのだ。
朝起きてレディオはキッチンに立つ、ミライザは料理をすることができなくなっていた。人差し指が二十四時間激しく動く右手では包丁は掴めないし、二十四時間人差し指から情報をアウトプットするために、二十四時間情報をインプットし続けなければならないため、ミライザはキョロキョロキョロキョロ視線を動かしているため、料理など危なっかしくてさせるわけにはいかなかった。
朝食を作ると二人はテレビの前でカウチに座りテレビを見ながら朝食を食べる。ミライザはとてもテレビを好んだ。テレビから流れてくる情報を見ながら、聞きながら、インプットしながらアウトプットし続けた。
朝食が済んだら手を繋ぎ、地下鉄に乗り、ソーホーに出る。二人は道のベンチに腰掛け、街の中で行き交う人の波を眺める。何時間でもミライザは眺め続け、横でレディオはラップトップを開き、仕事をした。
夜になると二人は同じベッドに入り、レディオはミライザの胸に頭を埋め、話しかける。
「もう、笑いかけてはくれないんだね」
「もう、おしゃべりしてはくれないんだね」
「もう、抱きしめてはくれないし、キスをしてはくれないんだね」
「僕の頭を撫でてはくれないし、僕に『愛してるレディオ』って言ってはくれないんだね」
「愛してるって言ってよ」
「愛してるって言ってよ」
「前のように僕を愛してるって言ってよ」
「優しく笑いかけて、ハグして、キスして、愛してるって言ってよ」
「ねえさん、愛してるって言ってよ」
レディオは感情のアウトプットが右手の人差し指のみになって、笑いかけてくれず、ハグしてくれず、話しかけてくれず、キスしてくれない姉の胸に頭を埋めて、少し泣いて、眠りに落ちるのだった。
レディオは諦めきれなかった。レディオは姉との感情的繋がりを全く持てないことを許せなかった。レディオは精神的にまだ子供だったし、レディオには才能があったし、何よりレディオは姉を心の底から愛していた。
情報の拡散と収束。
情報なのだ、姉が右手から発しているのは情報なのだから、解析できないはずがない。
情報の拡散と収束。
レディオはもう一度姉と繋がりを持つ方法を模索し始めた。
レディオはサイレント・タンの研究に没頭した、ハーレムからサイレント・タンのファミリーが住む保護区(サイレント・タンは四百人ほどの大所帯だが、意思の疎通が取れないため自治区認定ができない、このようなケースの『ランジーン』は一定量のファミリーを形成すると保護区が与えられる。)に住まいを移し、サイレント・タンの中で彼らの情報伝達方式を研究した。
まず行ったのは、彼ら同士が本当に情報交換を行っているのかを確かめるテストだった。サイレント・タンだって食事はするし、排泄はするし、清潔を保つためにシャワーを浴びる。レディオはサイレント・タンの行動を観察することにより、サイレント・タンの思考がクローズドなのか、オープンなのかを見極めようとしていた。
結果から言うとまったく理解できなかった。オープンなのかクローズドなのかまったく判別できなかった。サイレント・タンは右手の人差し指で三センチ角の平面に文字のようなサインを一秒間に二つ、一分間に百二十、記入することで情報のアウトプットをしているのだが、そのサインが複雑すぎて文字なのか、単語なのかそれすらも分からなかった。
本当に言語なのだろうか? サイレント・タンには共通の言語が存在するのだろうか?
サイレント・タン同士で情報交換を行っているのだろうか?
自分に理解できないこの言語を、サイレント・タン同士で理解し合ってるとは到底思えない。
そして、サイレント・タン同士でコミュニケーションができていないのなら、自分と姉は、より、コミュニケーションできるはずがないではないか。
レディオは絶望していた。サイレント・タンの複雑なサインの解明に到達できない自分の才能の限界に絶望していた。もう姉とコミュニケーションをとる方法を取得できないその恐怖に絶望していた。
もうレディオはサイレント・タンの、姉の、発する情報の解読をすることを止めていた。
一年たった。
悲しみの一年だった。
一年たったある日、レディオは朝食を作りカウチの前のサイドテーブルに置いた時、テレビから流れる、昨晩録画してあった『デッド・ラン・ルーキーズ』を食い入るように見ている姉の背中に気軽に言葉を投げかけた。
「姉さん、『ランジーン・デッド・ラン』、ライブで見に行ってみる?」
ミライザは全力でレディオに向かって振り向いた。今まで話しかけても、髪を撫でても、抱きしめても、キスをしても全ての反応を右手の人差し指のみで行っていた姉が力強くレディオに反応したのだ、レディオは驚き、そして少し、少しだけ悲しかった。
レースには反応するんだ…………。
今まで自分にはまったく反応しなかったのに、レースには、『ランジーン・デッド・ラン』には反応するんだ。
反応したこと、動作による情報のアウトプットが起こったことは素直にうれしかったけど、やはり少し悲しかった。自分が一番でありたかったから。姉の中で一番でありたかったから。だから悲しかった。
レディオは姉が『ランジーン』になってから初めてこの日、姉のことを殴った。
二月、○×年最初の『ランジーン・デッド・ラン』ニューヨーク大会。
八万人収容の専用スタジアムは人が溢れていた。
レースはいつも八レースおこなわれる。シャッフルされた三十二人の選手が四人一組で八レース、一位と二位にはポイントが付き、年間ポイント上位四名が『キング・オブ・デッド・ラン』に出場することができる。
レディオは一番良い席のチケット買っていた。スタート地点から第一障害までを見ることができる席で最前列だ。姉と二人席につきレースが始まるのを待っていた。第一レースが始まる。『ランジーン・デッド・ラン』は四人一組でのレースでコースの幅が四メートルしかない。四人の男が全速力で走るには狭く必ず接触プレーが起こるように作られている。ルールは簡単だ、一番早くゴールしたものが勝者だ。禁止事項は三つ、コース内で止まること、コースから出てしまうこと、己の生まれ持った身体能力のみでレースに参加すること。この三つ以外にルールはない。殴ってもいいし、貫いてもいい、噛みついてもいいし、捻り殺してもいい、『ランジーン・デッド・ラン』はその名の通り異能者の『デッド・ラン』なのだ。
あおりのPVが終わり第一レースが始まる。色とりどりのプロテクターに身を包んだ異能者がスタートホーンに合わせてクラウチングスタートを切る。軽量強化プラに包まれた屈強な肉体同士がぶつかり合い、ゴッって音が観客席にまで聞こえる。
「すごい迫力だね姉さん、どう?」
姉は変わらずにキョロキョロ、でもなんとなく興奮しているのは分かる。
二人の前を四人の異能者が体を軋ませながら走り抜けていく。
姉の視線が四人の集団を凝視し、走り抜けるのを見つめている。その横顔は昔、まだ姉がサイレント・タンになる前、カウチに二人並んで座りワンプレートで夕食を食べながら『ランジーン・デッド・ラン』を熱中して見ていたあの時の姉の横顔のようで、不意にこみ上げてきた涙と感情にレディオは困惑した。
レディオは感じた。悲しみは枯れないものなんだと。
レディオは枯れない悲しみは愛情から湧き出るものなんだと感じた。
そして情報のアウトプットを邪魔しないように、姉の左手を強く握りしめた。
八レースが終わるのはあっという間だったと感じた。姉は全てのレースを食い入るように見ていたし、楽しんでくれていたようだし、レディオは満足した。
席を立ち二人してグッズ売り場の列に並ぶ。レディオの取っていた席には大会記念の限定Tシャツとマフラータオルと豪華なパンフレットが付いていたが、それ以外にも会場で売られているグッズは種類があるし、姉に全ての種類のグッズをプレゼントしたいとレディオは考えていた。どれが気に入るか分からないし、Tシャツも全種類買おう、気に入ったものがあれば姉も着てくれるはずだ。そんなことを考えながらレディオは姉の手を引き、列に並んでいた。
嬌声が上がる。グッズにサインするため選手が登場したのだろう。
列の進みが悪くなる。しかたないことだ。
姉が興奮したのだろう、いつも以上にキョロキョロ、これもしかたがないことだ。
二人は列に並んで十五分、売り場の前までたどり着いた。姉が一枚のTシャツを手にする。そしてそれをズイと前に差し出す。そこにはサインを描いている選手がいた。
選手は姉からTシャツを受け取りサインを描きながら話しかけてきた。
「あなたは『ランジーン』なんですか?」
「はい、姉は『ランジーン』です」
「あぁ、サイレント・タンですね」
「サイレント・タンをご存じなのですか?」
「はい、私にもサイレント・タンの友人がいますから」
友人? この言葉にレディオは反応した。
サイレント・タンの友人? 目の前にいる『ランジーン』はサイレント・タンではない。話しているし、右手人差し指も動いていはいない。サイレント・タンはサイレント・タンとしか情報の共有と交換ができないはず、サイレント・タンと友人? 情報の共有と交換ができないのに友人? それはありえないだろう。
「失礼なお話ですが、サイレント・タンと友人関係にある、信じられないです」
「そうですか?」
選手は姉にサインしたTシャツを渡しながら笑顔を見せる。
「はい、会話もできず、何を考えているのかも分からない相手と友情が芽生えるでしょうか?」
「芽生えますよ、何せ」
選手の伸ばした指先が、姉の頬に触れる。
「こんなに、美しいのですから」
優しく指先で姉の頬を撫でる。
「私はサイレント・タンの表情が大好きなのです。感情が全くない表情は、そのかんばせの美しさをダイレクトに伝えてくれます。
人の顔は美しい。
私は美しいと感じているのです」
選手は椅子から腰を上げ、姉の頬に軽くキスをする。
「またレースを見にいらしてください。こんなに美しい人にレースを見られていると思うと、私の足に、体に力が流れ込みます」
選手は優しく微笑み、次の客のTシャツを受け取り、サインを描く。レディオは姉の手を引き会場を後にする。
レディオは姉が左手の甲でキスをされた頬を何度も撫でることに苛立ちを覚えていた。
「姉さん、今日は楽しかった?」
もちろん返事はない。ただ姉は頬を撫でている。
宿泊先のホテルに帰り、テイクアウトした夕食をワンプレートに乗せカウチの横のサイドテーブルに置く。
姉はテレビの再放送で今見てきたばかりの『ランジーン・デッド・ラン』ニューヨーク大会を食い入るように見ている。
姉にキスをした選手がテレビ画面に映る。
姉が左手の甲で頬を撫でる。
レディオは姉が『ランジーン』になってから二度目、姉のことを殴った。
そして翌朝、レディオの姉ミライザ・エステルは、体中を引き千切られてセントラルパークで発見された。死因は出血によるショックだった。ミライザの左頬には大きな歯形がクッキリとついていた。
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