このライトノベルがすごい！文庫　スペシャルブログ

　姉について、自分は姉が『ランジーン』になった時、今まであんなに優しかった姉が自分に優しさを分け与えてくれなくなった時、姉は死んだものとして考えるようになった。
　昨日の夜、姉が自分以外の異性に興味を示す動作を見せた時、姉の愛情はもう自分に向かない、だからこれは姉じゃない、姉じゃない何かだと考えるようになった。
　優しく自分だけを愛してくれた姉と、『ランジーン』になった姉は連続性がある存在ではなく、別起源の存在だと考えるようになった。
　そして『ランジーン』の姉が死んだ。
　
　涙腺から派生した情報は涙という伝達方法を使い舌先に、舌先に到達する。
　塩味、レディオの舌先は塩味を感知し、情報が脳内に拡散し、記憶媒体である海馬に収束する。
　舌先に思い出が蘇る。安い、化学調味料まみれの中華料理の味、夜遅くまで働いていた姉が買ってくる夕食はよくこの安い味がする中華料理のテイクアウトだった。
「ただいまレディオ、今日も遅くなっちゃったね、ごめんね。今ご飯温めるからね、いっしょに食べよう」
「今日は何を勉強していたの？　まぁ！　もうこんなに難しい問題をやっているの！　レディオはスゴイね、お姉ちゃんはレディオのことを誇りに思うよ」
「お姉ちゃんにレディオの話を聞かせて、お姉ちゃんにレディオが今日何をして、何を学んで、何を感じたかすべて聞かせて、こっちにおいでレディオ」
「こっちにおいで、お姉ちゃんの膝の上に座って」
「レディオの頭は太陽の匂いがするね」
「レディオの首筋は乾草の匂いがするね」
「レディオの体はブルテリアのような抱き心地だね」
「大好きだよレディオ」
「レディオ大好きだよレディオ」
「お姉ちゃんはレディオより大切なものはなくて、レディオしか大切じゃないんだよ」
「さぁ、お風呂に入ろうレディオ」
「髪を洗うから目を瞑っていてレディオ」
「ドライヤーをかけるからジッとしていなきゃダメだよレディオ」
「寝る前に暖かいミルクはいかが？　レディオ」
「こっちにおいで、もう寝ましょう、ほら、もっとこっちにおいで、お姉ちゃんにお休みのキスをさせてレディオ、大好きだよ、大好き、おやすみなさいレディオ」
　思い出は舌先から脳の中に伝播し、視覚的に聴覚的に触覚的にレディオを襲う。

　情報の拡散と収束。

　舌先から派生した情報は脳内に拡散し、涙腺に収束していく。
　また一粒の涙がレディオの瞳から流れ落ち、頬を濡らす。
　そしてその涙が頬濡らす感覚に、レディオは自分の悲しみの深度を知る。
姉は一人だった。姉は『ランジーン』になっても、一人の姉で、変わらない存在だった。
　姉に愛してくれと、愛してくれと連呼し、飲み下せないほどの愛情を受けてなお愛してくれと連呼し、愛情の受容器のみとして存在していたはずの自分が、姉を愛していたこと。姉に愛されたいと望むことの発端は姉を愛していたからだという誰にでも分かりそうな回答に自分が今到達したこと。失った消失感の中到達した回答は愛する先を失った今全く役には立たず、愛情渦巻く自分の体内にはもうその愛情を発露する先はいないのに、ただただ愛情渦巻く体内は、愛情の渦は、回ることによりその速度を上げて、強さを上げて、出口を求めて、自分の皮膚を突き破り外界に出たいと叫び声を上げて、渦巻いて、渦巻いて、そして発露の先はないのだからただ渦巻いて。
　レディオは叫んだ。
「ぎゃー！」
　頭を抱え、涙をまき散らし、床に膝つき喉が裂けるほどレディオは叫んだ。
　愛情の発露を行えなくなったレディオはその体内に渦巻く愛情の熱と速度と痛みに耐えかねて叫んだ。
「ぎゃー！　ぎゃー！　ぎゃー！」
　失ったものがなんなのか、正確に理解した瞬間耐え切れずに叫んだ。
　そして数人の警官に取り押さえられ、触られると穢されるような気がして暴れるレディオは鎮静剤の注射を打たれ、微睡む意識の中で感じていた。
　
　このまま死を迎えるのだろうか？　死は救いなのだろうか？
　死以外救いはあるのだろうか？　愛情の渦は死以外で止まるのだろうか？

　…………姉はなぜ死んだのだろうか？


「お目覚めですか？」
　ベッドの上、微睡み、ぼやけるレディオの視界の中にメガネをかけてる男、目がギョロギョロしてる東洋系の男が映った。
「わたくしファウストリバー・ライトブルーと申します。今回お姉さまの殺人事件を担当しますＦＢＩランジーン担当保安官です」
　男は右手を差し出す。レディオも右手を差し出そうとするが体が動かない、レディオの体はベッドに拘束具で固定されていた。

　二人の男がセントラルパークのベンチに座りコーヒーを飲んでいる。
「ライトブルー保安官、」
「ああ、私のことはファウストって呼んでください。皆そう呼びますので」
「ファウストさん」
「はい、なんですか？」
「姉はやはり殺されたんですよね？」
「それはもう、ばっちり殺されましたよね、あれだけグシャグシャなら自殺とかってありえないでしょ？　あんな死にかた自分じゃできないですよ」
　ファウストが『キープアウト』と書かれた黄色いテープが貼られている一角を指さす。
「ここから見ると現場がよく見えますが、ここから以外は死角です、夜人通りは皆無ですし犯人はいい場所を選びましたね」
「そうですか、姉はあそこで殺されたのですか」
「いえ、お姉さまはあそこで殺されたわけではありません、あそこで千切られ潰されてはいますが、レイプされ殺された場所はあそこではありません」
「ここ、セントラルパークではない？」
「はい、殺害現場はセントラルパークではありません。
　まず第一に、あそこに残されている血痕の血液量が足りません。
　お姉さまは腹部を数百回ニードルにより刺されたことが直接の死亡原因ですが、そのためには腹腔内に出血した血液が溜まっていないとおかしいんです。お姉さまの腹腔内には血液がほとんど溜まっていませんでした。お姉さまは肝臓の門脈から出血しています、これはかなり太い血管です、少しずつ血液が漏れ出していたとしても、腹腔内はすぐ血液で満たされるはずです。でもお姉さまの腹腔内には血液がほとんど溜まっていなかった。
　なぜか？
　簡単な話です。腹腔内に溜まった血液を犯人が外に出したからです。
　私が考えるに、方法はこうです。
　まずニードルを刺す。
　腹腔内に血液が漏れ出す。
　腹腔内が血液で満たされる。
　ストローのようなものを腹に刺す。
　外部からの圧迫、今回はきっとお腹を両手で押したりしたのだと思います。
　ストローから血液が鯨の潮吹きのようにぴゅーと、ぴゅーと噴き出す。
　腹腔内の血液が体外に排出される。
　こんな手順だと思います。
　なのであそこにある血痕だと血液量が足りないんです。まぁストローの先に容器などつけて排出された血液を貯めた、なども考えられますが、それはどうでしょう？　私には犯人の目的は血液の採取ではないと考えています。
　犯人の目的は殺害ではないと考えています。
　犯人の目的は性的欲求の発露。つまりはレイプです。その過程で殺してしまっただけで、殺すことが目的だったとも、血液の採取が目的だったとも思えません。やはり血液は他の場所で抜かれ、殺害されてからここに遺棄されたと考えるのが普通かと思います」
「生きたまま姉は腹にストローを刺され血液を抜かれたのですか？」
「そこは判断がつきませんね、生きていたか、死んでいたか、まぁ死んでいただろうと推測できますがね」
「………………ではどこで姉は殺されたのですか？」
「手掛かりはあります」
「手掛かり？」
「はい、お姉さまの体に付着していた細かい繊維、その中に当日着ていたであろう洋服の物とは違う少し変わった繊維が見つかりました」
「繊維？」
「お姉さまの背中から臀部、髪の毛に炭で染色された黒いシルクの繊維が検出されました。調べたところこれはかなりの高級な布地らしいですよ、肌触りがよく、最高級のシーツなどに使われている布地らしいのです」
「シーツ、つまりはベッドですか？」
「そうです、お姉さまはこの最高級素材で包まれたベッドの上でレイプされ殺害されたのです。そこで腹腔内の血液を抜かれ、ここに運ばれ、引き千切られ潰され捻られたのです。　
　犯人の特徴はこうです。
　男。
　異常性癖者。
　高級シーツを買えるほど経済的には豊か。
　ストローで腹腔内の血液を噴出させることができるほど人体の知識を有する。
　そして、素手で肉体を引き千切り、潰し、捻れるほどの力を有する。
　Ｎ・Ｙ在住、または長く滞在してことがある。この死体遺棄現場はかなりの死角です、ここを選んだ時点で犯人はＮ・Ｙをよく知る人物だと考えていいでしょう。
　
　結論として、犯人は裕福なＮ・Ｙ在住の身体能力が高い『ランジーン』ですね」
　ファウストはにっこりと笑いながらレディオを見る。
　レディオの眉間に深い縦じわがよる。
「犯人は『ランジーン』？」
「そうでしょう？　こんなひどい食い散らかしかた『ランジーン』じゃなければできませんよ」
　にこりとファウストは笑い立ち上がる。
「犯人像はこんなところです。では少し歩きましょうか」
「どこへ行くのです？」
　レディオも後を追うように立ち上がる。
「少し見ていただきたいものがあります。今回の事件を担当する私の仮設オフィスができましたので、そこでお話したいと思います」
「何を話し、何を見せていただけるのですか？」
「犯人のことではなく、あなたのお姉さまのこと、『ランジーン』、サイレント・タン、ミライザ・エステルのことを話したいと思います」
　レディオはファウストの後を追い、セントラルパークを出て一つの雑居ビルの中に入る。
　デスクが三つ、その上にそれぞれタワー型ＰＣが置かれている。職員が一人、スーツ姿のアングロサクソン、ファウストとレディオが入室すると視線を向け、軽く会釈をする。そしてまたＰＣに視線を戻し作業に没頭する。
「こちらへ」
　ファウストはＰＣの前に座り、自分のイスの横に別のイスを引き寄せレディオに着席を求めた。レディオは頷き、席に付くとＰＣのモニターに視線を移す。
「お姉さまは昨晩、自らの意志で滞在先のホテルを出てまず、ここに向かっています」
　ファウストが指差す先、ＰＣの画面にはレディオ達が宿泊していたホテルの入り口が映されている。夜、昨晩の映像だろうだろう。動画、つまりは監視カメラの映像だろう。
　ダッフルコートを着た姉が画面に映る。キョロキョロ、キョロキョロ、姉の前に一台のバンが止まる。黒い日本車、姉は車に乗り込む。
「この車が映った映像を市内からかき集めました」
　交差点で信号待ちをしている黒いバン。
　高速に入る黒いバン。
　そして一軒のスーパーマーケットの前で止まる黒いバン。姉が後部座席から降りてくる。運転手が降りる、黒いスーツの男、バンの後ろを開き車椅子を出す。姉が降りた扉と反対の扉、後部座席の扉が開き運転手が車椅子に女性を乗せる。姉が車椅子を押し、歩き出す。
　ファウストが動画を止め、車椅子の女の顔をクリックする。
　画面が変わる。
　女の顔のアップと、別ウィンドウには女の経歴が表示される。
　
　『ヒトミ・チャンドラ』
　　サイレント・タン

　ファウストが横目でレディオを見る。
「『ヒトミ・チャンドラ』この女性に心当たりはありますか？」
「いえ全く、ただ僕も姉もサイレント・タンの保護区で生活していますから、そこで何かつながりはあるかもしれません」
「それはないですね」
　ファウストはきっぱりと言い放つ。
「この『ヒトミ・チャンドラ』はサイレント・タン保護区内で生活をしていません。
よく見てください、本当にこの女性『ヒトミ・チャンドラ』を知らないですか？」
　レディオは穴が開くほどＰＣの画面を、ヒトミ・チャンドラの顔を見る。だがまったく覚えのある顔ではない。
「すいません、僕の記憶の中に彼女の顔はありません。忘れてしまっているのかもしれませんが」
「そうですか……」
　ファウストがモニタに別の写真をアップさせる。さっきより若い、髪の毛が少し短いヒトミ・チャンドラの写真だ。
「これも？」
「はいこの写真のヒトミ・チャンドラも見覚えはありません」
「そうですか……お姉さまはＰＣなどで他者と交流をしたり、あなたが知らないところで他者と交友関係を持っていたりはしますか？」
「姉はサイレント・タンです。右手人差し指以外から情報を発することはありません。キーボードを叩くことはありません。ＰＣの前に座っている姉を見たことはありません。姉と私はほとんどすべての時間を共有していました。私が知らない姉の知り合いがいると思えません。
　特に姉が『ランジーン』になってからの知り合いはすべて私も見知っています。私が知らない姉の知り合いは姉が働いていた時、姉が仕事を止める前の知り合い達だけです」
「そうですか……それはないと思うんですよね、『ヒトミ・チャンドラ』がサイレント・タンになったのが十五年前、お姉さまが働いていたデトロイトとは遠く離れたハワイで暮らしていましたから。サイレント・タンになってから知り合ったものと思っていたのですが……そうですか分かりました。では、お姉さまの足取りを再生しましょう」
　ＰＣの画像が動き出す、姉の押す車椅子がスーパーマーケットの前から移動する。カメラが変わる。交差点の映像、姉が車椅子を押し横断歩道を渡る。カメラが変わる。大きな金網の門が自動で開く。車椅子を押して門をくぐる姉、門が閉まり映像が止まる。
「ここから先は？」
「ここから先の映像はありません、この門は『ランジーン』居住区の門です。Ｎ・Ｙに住む『ランジーン』で自治区、保護区に住んでいない者の六割がこの居住区で生活しています。この居住区内は特区で、この中で済む者は税制面、経済面で優遇されています。
　この中に監視カメラはないんですよ。
　この中に監視カメラを設置することは『ランジーン』保護とその人権の保障についての法律によって禁止されているんです。なのでこの映像が生前のお姉さまを捕えた最後の映像ということです」
　ファウストが力なく笑う。
「この映像より後、お姉さまはこのＮＹの中でどの監視カメラにも映ってはいません」
「つまりは……」
「そうです、お姉さまはこの保護区の中に入り、次に姿を現したのはセントラルパークでグシャグシャの死体となった姿です。
　お姉さまはこの保護区の中に入り、誰かに殺され、
　車で運び出され、
　セントラルパークで捨てられた。
　こう考えるのが適切かと思います」
　レディオはＰＣのモニターを人差し指で擦る。姉の後ろ姿、そしてその奥に広がる闇を人差し指で擦り、ＰＣの液晶画面が圧力により歪む。
「つまり、この中に姉を殺した犯人がいるのですね？」
　ファウストは胸のポケットからタバコを出し銜える。横で働くスーツの男がコホンと咳払いをして抗議するがお構いなしに火をつける。
　大きく煙を吸い込み、口から大きな煙の輪を吐き出す。
　吐き出した煙の輪が、ＰＣのモニターに当たり、砕け、散布する。
「それ以外考えられないでしょう。
　犯人は『ランジーン』居住区の中にいる。
　必ず」
　ファウストは鋭い目でＰＣモニターに映る闇を睨みつける。
「私はこの鬼畜を必ず捕まえます」
　ファウストはレディオの肩に優しく手を置き、強く握りしめる。


　レディオは滞在先のホテルに戻りコーヒーを淹れソファーにもたれかかる。頭の芯に熱があることを感じるが、体は泥のように重い。でも眠気はない、寝て全てを忘れ、起きたら姉がいる。そんな空想が頭の隅をよぎるがすぐに打ち消される。ソファーに掛けてある姉のセーターから匂う姉の香り、姉の香りを嗅ぐと現実なんだと、ここは現実で姉は死んだんだと強く分かる。コーヒーを啜り、ファウストに渡された書類、『ランジーン』居住区の居住者リストの束をめくり始める。レディオはこの書類の中で二つの事実を掴んだ。
　一つ、この居住者リストの中にヒトミ・チャンドラの名前がない。つまり彼女はこの居住区の住人ではない。
　二つ、このリストの中に姉と自分が知る人物の名前がある。一人だけ。
　Ｉ・Ｊ・フェリオ、姉が殺された夜、姉の左頬に触れた『ランジーン・デッド・ラン』の選手だ。
　レディオは手元にタブレットを引き寄せ検索をかける。Ｉ・Ｊ・フィリオ、二十四歳、カナダ生まれで今はアメリカ合衆国国民、去年『ルーキー・オブ・ザ・デッドマン』を取得し今一番期待されているランナー。美しい銀髪と、精悍なマスクで『デッド・ラン』のアイドル。
　レディオはより深く検索をかける。
　二度の離婚歴、傷害事件で一度逮捕されるが証拠不十分で釈放、未成年のファンと淫らな行為をしたと二度逮捕、示談成立で釈放。
　傷害事件、コールガールを自宅に呼び暴行した疑い。コールガールは顎の骨と肋骨七本、両大腿骨を粉砕骨折させられたと訴えていた。
　未成年との淫らな行為、未成年二人と同時に性行為を行った、その過程で二人の手の平を針金で貫通させ、ベッドに縛り付け、背中にナイフで切り傷をつけたと言われている。
　サディスティックな性癖。
　姉との面識。
　彼は姉が消えた『ランジーン』居住区に居住している。
　そして言葉。
「私にもサイレント・タンの友人がいますから」
「こんなに、美しいのですから」
「私はサイレント・タンの表情が大好きなのです。感情が全くない表情は、そのかんばせの美しさをダイレクトに伝えてくれます。
　人の顔は美しい。
　私は美しいと感じているのです」
　
　レディオは確信する。姉を殺したのはこの男、Ｉ・Ｊ・フィリオだと。

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ランジーン×コード tale.3.5
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