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姉の葬儀はサイレント・タンの保護区内で行われた。基本保護区、自治区には墓地があり、レディオも姉をその墓地に入れることに異存はなかった。レディオはまだこの保護区に住むつもりでいる。姉と最後にすごした家には姉の匂いが充満している。その匂いが抜けるまで、姉を感じられなくなるまで、レディオはその家を出るつもりはなかった。
よく晴れた朝、葬儀の朝、墓地の墓の前には三人の男と棺、クレーンと作業員が二人。
レディオの前で牧師が聖書を読み、レディオの横ではファウストが『ブラックベリー』を弄っている。
「――では祈りの言葉を捧げます」
レディオは目を閉じ首を垂れる。ファウストは『ブラックベリー』をポケットにねじ込み慌てて首を垂れる。
『天にまします我らの父よ・み名をあがめさせたまえ』
「レディオさん、I・J・フィリオですが」
ファウストは祈りの言葉の途中、小さな声でレディオに語りかける。
『み国を来たらせたまえ』
「やはり買ってますね、彼は炭で染色されたシルクのシーツを買っています」
『み心の天に成る如く・地にもなさせたまえ』
「ヒトミ・チャンドラとも繋がりがあります。二人は四年前恋人関係にありました」
『我らの日々の糧を今日も与えたまえ』
「異常性癖の裏も取れました。レイプされたコールガールが、ニードルを腕と太腿に刺されたと証言しています」
『我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ』
「それと、これは推測ですが、彼、今回が初めてではないと思います。サイレント・タンがここ三年で四人、行方不明になったり死体で発見されています。発見された死体にはニードルで刺された痕跡があります」
『我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ』
「I・J・フィリオ、あれは黒です」
『国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり』
「必ず捕まえます」
『アーメン』
「アーメン」
レディオは顔を上げ目を開く。そして目の前の光景に強い驚きを覚えた。
祈りの言葉を捧げる時、目の前には棺と牧師、緑の芝生と青い空しかなかった。でも今は、今は棺とレディオとファウストと神父を囲むように喪服を着たサイレント・タンが百人? いやもっとだ、数百人のサイレント・タンが、保護区全体のサイレント・タンが喪服を着て、つまり姉への哀悼の意を示して姉の周りを囲んでいるのだ。
「これは?」
ファウストも驚いている。
「し、式を続けてよろしいのですか?」
牧師も動揺している。
「お願いします」
レディオも声を緊張からうわずらせ答えた。
「は、はい、それでは讃美歌を歌いたいと思います」
牧師は震える手でポータブルオーディオプレイヤーを操作し、付属の小型ステレオからパイプオルガンの調べが流れ出す。
【神ともにいまして】
『神ともにいまして・行く道を守り・天のみ糧もて・力を与えませ』
レディオは歌いながら観察していた。そして考えていた。
なぜ気がつかなかったのだろう? 目を閉じていても気配で気がつくだろう普通。数百人の人間が移動してきたのだ、気配が、音が起こらないはずがないだろう。
『また会う日まで・また会う日まで』
音? そうだ、音がしなかった。姉と暮らしている時一番つらかったのは音だ、テーブルを擦る音、衣服を擦る音、肌を擦る音、シーツを擦る音、サイレント・タンの右手人差し指は常に何かを擦り、サインを描いていたからあの音が大嫌いだった。
『神の守り・なが身を離れざれ』
でも祈りの最中、音は止んでいた。サイレント・タンは指を動かしていなかった、情報をアウトプットしていなかった、では何をしていたのか?
祈っていたのだ。
姉に対し、姉の死に対し、哀悼の意を捧げてくれていたのだ。動きを止め、神に祈りを捧げてくれたのだ。
そして今は音が聞こえる。サカサカ、サカサカ。衣服や肌を人差し指で擦る音が聞こえる。今彼らは何をしているのか? 簡単だ、彼らは歌ってくれているのだ。哀悼の歌を、祈りの歌を、讃美歌を。
『荒野を行くときも』
レディオは左手で胸を押さえ、右手で鼻を押さえ涙がこぼれないように天を仰ぐ。
『嵐吹くときも』
下唇を噛み、嗚咽を押さえつける。
『行く手を示して』
レディオは自分がかつて到達できなかった答えに今到達することができた。
『絶えず導きませ』
サイレント・タンの思考はクローズドではなくオープンだ。情報を収集、発散するだけではなく個体間で情報交換を行っている。つまりサイレント・タンには共通の言語がある。コミュニケーションが取れる。
『また会う日まで・また会う日まで』
コミュニケーションが取れているからこそ、集団で、喪服で、同時に、葬儀に参加することができたのだ。この今体験している現状こそがサイレント・タン同士がコミュニケーションを行っている証拠なのだ。
『神の守り・なが身を離れざれ』
なんと優しい存在なんだろう。自分は今までこの保護区の中でサイレント・タンとすれ違った時挨拶を一度でもしたことがあっただろうか? 自分は心の奥で、いや心の表層部でサイレント・タンを見下していたのだ。コミュニケーションも取れない不完全な引きこもりだと見下していたのだ。
なのに、彼らは姉の死を自分と一緒に悲しもうとしてくれている。
なんて優しい存在なんだろう。
なんて素晴らしい人々なんだろう。
神に、神に感謝します。
『み門にいる日まで』
レディオは喪服の上着のポケットから『アイフォーン』を取出し、歌いながらサイレント・タンたちを録画し始める。
『慈しみ広き』
やはりそうだ、彼らサイレント・タンは今同じ言語で歌っている。きっと姉の言語だ、姉に敬意を表し、姉の言語で歌ってくれているんだ。同じ言語で、きっと慣れていないのだろう。指先に恐れや戸惑いが出て震え縮こまりを感じる。やっぱりそうなんだ。
『み翼の蔭に』
サイレント・タンは一人一人独自の言語を持っていて、それを相互に理解し合い会話、コミュニケーションをとっていたんだ。
『絶えず育みませ』
だから分からなかったんだ、一つの言語として解明できなかったんだ、サイレント・タンは一人一言語を持ち、それを相互理解してコミュニケーションをとる『ランジーン』だったんだ。
『また会う日まで・また会う日まで』
姉とコミュニケーションをとることは可能だったんだ。
『神の守り・なが身を離れざれ』
姉は、サイレント・タンはコミュニケーションが取れる『ランジーン』だったんだ。
レディオは流れ続ける讃美歌と涙に、感謝し、そして救いを得た気がした。
讃美歌が終わり、姉の棺が掘られた穴の中に、クレーンに吊られゆっくりと降りていくのを見ながらレディオは誓う。
姉さん、僕は姉さんが大好きだった。
必ず犯人は捕まえ、司法の場で制裁を下すよ。
姉さんが何を僕に言いたかったのか、僕は解明し理解するよ。
姉さん、愛してくれて、愛してくれて、本当にありがとう。
姉さん、愛してたよ、僕は姉さんを愛していました。
今まで伝えられないで、気がつかないで、本当にごめんなさい。
穴の中の棺に土をかけ、祈り、式の終わりと共にレディオは振り向き、数百人のサイレント・タンに話しかける。
「私は姉の言葉がまったく分かりませんでした。姉が何を伝えようとしているのか、僕は分かりませんでした。
僕は姉が僕に何を語りかけていたのか、それを知りたい。
どうかみなさん協力して欲しいのです。僕にみなさんの言葉を教えてください。
お願いします。僕に、姉の言葉を理解させてください」
レディオは深々と頭を下げ懇願した。
「お願いします。僕に、姉の言葉をください」
葬儀があった翌日から、レディオの家には二人づつサイレント・タンが訪れるようになった。
レディオが用意した映像をサイレント・タンに見てもらい、自分の言語で翻訳してもらう。レディオが用意した映像は姉の映像だ。レディオは姉の映像を研究のために録画し、保管していた。
レディオを目の前にした姉は、よく同じパターンのサインを描き示すことが多かった。特に最後の夜、姉が殺された夜、レディオが二度目に姉を殴った夜、姉はずっとこのパターンのサインを描き続けていた。まずこのサインを理解したかった。姉がサイレント・タンになってから一番多く使っていたサインだ、一番多く自分に発していた感情であり情報だ、レディオそれを理解したかった。
映像を見てもらい、同じ情報を自分の言語で描いてもらう。
レディオはそれを録画する。
姉のサインとの差異を見て共通点を探す。
一週間で十四人の言語を収集し、少し分かってきたことがある。サインにはやはり法則性がある。一秒間で二つ、一分間で百二十、サイレント・タンは規則正しくサインを描く。これは前から分かっていたこと。レディオは新しい法則に気がついた。一つ一つのサインが一単語ではない、三つのサインが一つの文章を形成している。つまりサインは三つが一つの括りとして決まっているのだ。
最初のサインは少し短め、二つ目のサインは爪先で一ヶ所をポインティングするように、三つ目のサインが長く、一番複雑。この三つで一つの情報を伝えるように出来上がっているのだ。
でもそこから先が難しかった。やはり共通点が見つからない、姉を含めて十五人のサイレント・タンは三つのサインが一つの情報、それ以外の共通点がなく、まるで違うサインで情報を発していた。しかしレディオは諦めなかった、姉の言語は一部解明できているのだ、讃美歌、葬儀の時サイレント・タンたちが歌ってくれた讃美歌は姉の言語で歌われていたはずだ。讃美歌の歌詞は訳せているのだ、だから焦る必要はない。ゆっくりとでいい、焦らず、根気よく、差異を潰し、共通項を見つけて行けばいいのだ。
レディオは核心に迫れぬまま、でも、前進を続けていた。
電話が鳴る。久しく聞いていなかった音にレディオは少し身震いし、受話器に耳を当てる。
「ファウストです」
「お久しぶりです」
「レディオさん、いい話と悪い話と最悪な話があります」
「すべては繋がっている話ですよね」
「そうですね」
「では結論からお願いします、つまり最悪な話から」
「分かりました、I・J・フィリオ、昨日殺人罪で逮捕しましたが即日保釈、裁判では敗戦が濃厚です」
「? なぜですか? 証拠は十分なので逮捕に踏み切ったのではないのですか?」
「証拠は十分です、お姉さまの体に付いていた繊維はI・J・フィリオの寝室のシーツと一致しましたし、お姉さまの膣内からI・J・フィリオの血液が採取できました、頬の噛み傷、歯型がI・J・フィリオと一致しました」
「それならなぜ負けるんですか?」
「I・J・フィリオがお姉さまとのセックスは合意の上でのことだった、その後の殺人については知らないと言い出したのです」
「は? 姉はサイレント・タンですよ? 合意も何も意思の疎通が取れるはずないじゃないですか」
「夜、男の自宅に一人で来た、そしてセックスの時拒まなかった、これを持って合意だろうと」
「一人で来た? 姉はヒトミ・チャンドラと共に行動していたはずです」
「一人で来たと、彼の家の防犯カメラにはお姉さまが一人で玄関の前に立っている映像が残っていて、それを提出されました」
「セックスの時拒まなかって、あんなグシャグシャの死体、拒んだか拒まなかったか分からないじゃないですか」
「だから、拒まなかった証拠にはなりません」
「そんな……セックスの後、姉はどうしたのですか?」
「一人I・J・フィリオの家を出て帰ったそうです」
「そんな……」
「I・J・フィリオは『ランジーン・デッド・ラン』の花形選手です。まだ若い、これから数年、十年近く、デッド・ランに金を落とし続ける男です。裁判には凄腕の弁護士が何人もつきますし、これはあまり言いたくはないのですが、国はI・J・フィリオを擁護し、無罪にする方向で動いているようです」
「国? なぜアメリカ合衆国がI・J・フィリオを庇うのです?」
「簡単な話です『ランジーン・デッド・ラン』は国を挙げての『ランジーン』宣伝事業の一環だからです。アメリカ合衆国は『ランジーン』をI・J・フィリオを守る。強い意志を見せる。そういうことでしょう」
「被害者だって! 私の姉だって『ランジーン』ですよ!」
「『ランジーン』としての価値の問題でしょう」
「姉は価値無き者として切り捨てられたと」
「そうですね、そして私も切り捨てられます。私は来月頭付けでこの殺害事件から外されます。ランジーン人権保護課に飛ばされます、そこで早期退職を迫られることになるでしょう、それを断れば暴動鎮圧の最前線やレイシスト組織壊滅など危険な仕事をさせられ早く命を落とすように仕向けられるでしょう。これが悪い話です」
「それじゃあ姉の事件はどうなるのですか?」
「このまま犯人は捕まらず、迷宮入りでしょうね」
「……最悪ですね、本当に最悪の話だ」
「すいませんこんな結果になってしまって、最後に、一つだけいい話をさせてください」
「もういいです、もう、何も、」
「それではこれは私の独り言だとでも思ってください。
いい話。
ヒトミ・チャンドラを保護しました」
「え……」
「ヒトミ・チャンドラを保護しました。彼女はI・J・フィリオのアキレス腱です」
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