ランジーン002

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 レディオはPCの前で頭を抱えていた。分からない! 言語が解明できない! 昨日かかってきた電話、ファウストはヒトミ・チャンドラを保護できる期間は三日間、そこまではなんとか伸ばせるがそれ以上は無理だと言った。つまり自分がその三日間の内にサイレント・タンとのコミュニケーション方法を確立し、ヒトミ・チャンドラから証言を聞き出せればI・J・フィリオを追い詰めることができるのだ。逆にいえばそれができなければ、姉を殺した男は無罪となり、姉の事件は犯人が分かっているのに迷宮入りする。
 分からない、時間があれば、手掛かりは掴んでいるのだ、もっとじっくり研究できれば答えに到達できるだろう。しかし今は時間がない、昨晩は一睡もしていないが核心に近づくことは一ミリもできなかった。時間がない、明朝早くファウストとの合流場所に行かなければヒトミ・チャンドラに会うことさえできない、時間がない、時間が!
 何も思いつかない。浮かんでくる法則はすべて試したものばかりだ、新しい情報が必要なのだ! 新しい外的環境が! 答えが導き出られるような外的情報が必要なのだ! タブレットの中の映像を再生する。自分の歌う声と喪服姿のサイレント・タンの男が人差し指を衣服に擦りつけ【神ともにいまして】を歌う映像、姉の葬儀の時の映像だ。
 こんなものは何百回と見たじゃないか! タブレットを壁に投げつける。
 自分の人差し指を動かし【神ともにいまして】を歌う。
 こんなことは何百回とやったことじゃないか! 右手で壁を殴る。
 殴った壁には小さな額縁が掛けてあり、そこには姉と自分の写真が飾ってあった。額縁のガラスが割れ、右手の甲をザックリと切った。
 血が溢れ床に零れ落ちる。痛みより熱さを感じる。近くにあった布を手の甲に当て止血をする。
 何をしているんだ、時間がない、こんなことをしても答えまでたどり着けない。時間がないんだ、明日の朝までしか時間がないんだ、外的情報が、環境が、全てが足りない、何が足りないんだ? 何があれば届くんだ? どんな要因があれば情報は拡散するんだ? どの拡散が答えという収束を生むんだ? 分からない、なんで分からないんだ!!
 血が滴る右手をデスクに叩きつける。右手から血玉が飛び散る。頭を抱え、親指の付け根を噛み、レディオの思考は高速に回り続けるがゆえに全くの停滞を生んでいた。
 涙が出る。悔しくて、悔しくて涙が出る。悔しくて、怒りで、憤怒で、自虐で、負の感情の高ぶりが体を支配して涙が目からボタボタと零れ落ちた。レディオは流れ落ちる涙を無造作に右手に巻かれた血だらけの布で拭き、
 
 布で拭き、ふと、布に書いてる文字に目が留まった。

『ランジーン・デッド・ラン ○×年 ニューヨーク大会』

 これは姉と『ランジーン・デッド・ラン』を見に行った時に買ったTシャツだ。I・J・フィリオのサインも入っている。広げると血の染みと胸のロゴ、そしてI・J・フィリオのサイン。やはりあの時のTシャツだ。匂いを嗅ぐ、姉の匂いはしない。自分の血液の臭いしかしない。姉を殺したI・J・フィリオのサイン、姉の匂いもしないなんの魅力もないTシャツからレディオは目が離せなくなっていた。
 
 情報の拡散と収束。
 レディオは今、視覚野からある特別な、でも、ありきたりの単語を読み取り、何度も何度も反芻し脳内全体に情報として拡散していた。

 情報の拡散と収束。
 レディオは新しい外的情報に、新しい答えへの収束を確信していた。

 情報の拡散と収束。
 つまりは『ランジーン』、そうつまりは『ランジーン』なのだと、『ランジーン』なのだとレディオは確信した。
 キーボードを叩く。やはりそうだ、この法則なら全ての言語が同一の規格上で説明がつく、何人ものサイレント・タンのサインの映像を再生しレディオは強い確信を持つ。
 レディオは投げ捨てたタブレットを拾いマジックで三センチ角の正方形を描く。サイレント・タンたちのマネをし、その正方形の中で【神ともにいまして】を歌う。やはりそうだ、こんな真似普通の人間じゃできない、サイレント・タンじゃなきゃできない、でもこれは確実に彼らがやっていることだ。
 素晴らしい、なんて素晴らしく、なんて繊細で、なんて優しさに満ち溢れた言語なのだろう。
 レディオは確信に到達した。
 つまりは『ランジーン』なのだ。
 サイレント・タンは存在自体が『ランジーン』の申し子であり、それは、
 『ラング』(言葉)
   と
 『ジーン』(遺伝子)
 なのだ。
 レディオは声をたてて笑った。
 到達したのだ、真理に。
 到達したのだ、姉の言葉に。
 レディオは到達したのだ、I・J・フィリオに。


 ファウストに案内された場所はハーレムの中にあるアパートメントだった。部屋は三つ、護衛の人間は四人、四人ともスーツを着ているが一人はツノを眉間に埋め込んでいて見るからに『ランジーン』でほかの三人は分からなかった。
 一番奥の部屋にヒトミ・チャンドラは車椅子に座っていた。緑色のジャケットと黒いパンツ、長い黒髪は彼女が日系二世だと主張している。キョロキョロ、キョロキョロ。落ち着きなく動く視線と、表情のないかんばせ。
「準備があるので少し待ってください」
 レディオはデイパックからタブレットと接続されたラップトップを取り出す。サイドテーブルをヒトミ・チャンドラの右側に寄せ、タブレットを乗せ、話しかける。
「このマジックで書いた枠の中に描いてください。センサーは弱いので慣れるまで違和感があると思います。こちらも調整しますので、あなたもアジャストしていってください」
 ラップトップのコンセントを繋ぎ、電源を入れる。
 モニターに文字が浮かびだす。
「うるいかで・ぎざざ・でらしう・どこ・のもみいい・でらぽそ」
「失敗ですか!?」
 ファウストの言葉を無視して、レディオはエンターキーを押す。無数の意味不明の言葉が画面上を埋め尽くしどんどん増殖していく、増えすぎた言葉は押し出されるように消去されていく。
「失敗ですか!?」
「失敗じゃないです。今最適化が行われているところです」
「最適化?」
「はい、全てが自宅でできなかったので、なに簡単なパズルです。すぐに最適化されます、ほら、」
 画面に浮かぶ文字が意味を成し、単語として、文章として読み取れるレベルにまで洗練されていく。
「文法、文章形成は大目に見てください。とりあえずこれでコミュニケーションが取れます、まず私が質問していいですか?」
「待ってください! その前にビデオを回します! 手元と! PCと! 全体が取れるやつ! 三台! 三台ビデオ持ってきて!」
 叫ぶファウストの命令に右往左往する護衛官たち、その間も右手人差し指から発せられる情報は止まらず、モニターに映る文字も止まらなかった。
「分かるの・私のことば・分かるの・映っている・私のことば・映っている・モニター・文字・他者との相互理解・サイレント・タン以外と・別とコミュニケーション・嬉しい・嬉しい・嬉しい…………」
 ビデオに録画が始まったようだ。それでは質問を始めよう。
「ミライザ・エステルを知っていますか?」
 レディオがヒトミ・チャンドラに話しかける。
「ミライザ・エステル・知ってる・美しい人・サイレント・タン・ホテルにいた・フィリオ・会いたがっていた・弟・弟はレディオ・ミライザは愛していた・弟を愛していた・殺された・ミライザは殺された・犯され殺された・見ていた・私は見ていた…………」
「姉が殺されるのを見ていた?」
「見ていた・刺されて・レイプされて・殴られて・抵抗した・殴られた、太もも・胸・殴られる・いたい・顔は殴らない・顔は美しいまま・美しい顔・歪まない顔・それが彼の目的・歪まない顔・サイレント・タンの顔…………」
「姉はレイプされ、殺されたのですね?」
「殺された・レイプ・殺された・針を刺される・血が噴き出る・殴られる・殺された…………」
「誰に殺されたのですか?」
「いつもいる・男・男・『ランジーン』・選手・針を刺すのが好き・フィリオ・フィリオ…………」
「I・J・フィリオですか?」
「そう・そう・I・J・フィリオ・フィリオが殺した・フィリオが犯した・血を噴出させた…………」
「あなたはそれを見ていた?」
「見ていた・初めて・今まではなかった・連れてくるの四回目・サイレント・タンを連れてくる・フィリオはレイプ・私は知らない・初めて見ろと言われた・見た・辛い・辛い・痛い痛い痛い・刺されて噴き出す・血が噴き出す・指が動いてた、指が動いてた、助けて・最初はずっと・助けて・その後謝罪・ごめんね・ごめんね・辛くてごめんね・犯されてごめんね……………」
「それを見ていたのですね。I・J・フィリオはあなたの目の前でミライザ・エステルを犯し、殺したのですね?」
「殺した・殺した・刺して・犯して・殴って・血を噴出させて・殴って・犯して、突き刺して殺した……………」
 レディオは振り向きファウストを見る。ファウストは長い犬歯が見えるほどの笑顔を見せる。
「ミライザ・エステルをどのように呼び出し、連れて行ったのですか?」
「サイン・サイレント・タンだけの・分かるサイン・音が出る・ノックする・特殊な・サインがある」
 ヒトミ・チャンドラは液晶タブレットの端を人差し指でリズミカルに叩く。
 トン、トトトトト、トントットトン。
「サインがある・私たちのサイン・会いたい・話がしたい・交流したい・情報を知ってほしい・知らせたい・欲求は満ちている・繋がりに飢えている・サインがある・おねがい話を聞いて・サインには必ず答える・サイレント・タンなら必ず・それほど私たちは欲している・情報の相互理解に・繋がりに…………」
「姉になんと言ってI・J・フィリオの家まで連れて行ったのですか?」
「方法がある・繋がる方法・サイレント・タン以外と・コミュニケーションできる方法・知ってる・フィリオは知ってる・サイレント・タンなら誰もが夢見る・他者との繋がり・異種族との繋がり・欲している・繋がりを・コミュニケーションを…………」
「姉を騙したのですね」
「騙した・怖い・殺されるのが怖い・逃げられない・地下室・暗い部屋・足は食べられた・私に足はない・逃げられない・毎日犯され殴られる・逃げられない・針で刺される・逃げられない・命令を破る・殺される・失敗する・殺される・四人目・ミライザで四人目・初めて殺すところ・見せられた・悲しかった・怖かった・後悔した・だから逃げた・殺される・私は殺される…………」
「大丈夫ですよ、あなたのことはFBIが必ず守りますから」
 ファウストが笑顔でヒトミ・チャンドラに語りかける。そしてレディオを見る。
「四人とも犯人はI・J・フィリオです。証言が得られました。裁判で逆転有罪にして一生臭い飯を食わせてやります」
 ファウストはポケットから『ブラックベリー』を出しどこかに電話をかけながら部屋を出て行く。レディオも後に続こうとPCの電源を落とそうとした時、左腕の袖を掴まれた。グングン、ヒトミ・チャンドラが袖を強く引く。モニターに言葉が羅列されていく。
「あなたがレディオ・あなたがレディオ・レディオ・レディオ・弟のレディオ・宝物のレディオ・ミライザのレディオ・あなたがレディオ・レディオなの…………」
「私がレディオです」
「ミライザの話・指の動き・殺されているとき・ミライザの指の動き・レディオ・レディオ・レディオ・愛してる・愛してる・愛してるの・私はあなたを愛してるの・狂おしいほど・千切れるほど・飛び散るほど・弾けるほど・落ちるほど・沈み込むほど・天駆けるほど・迸るほど・あなたの鼓動が聞こえると私は全てを止めてその音と揺蕩うの・あなたの鼓動が聞こえると私は全てを止めてその音を弄ぶの・あなたの鼓動が聞こえると私は全てを止めてその音に身を任せるの・あなたの揺れる黒髪は真夜中を連れてきて・あなたの黒い瞳は漆黒を連れてきて・あなたの白い歯は朝靄を連れてきて・あなたの温もりは陽だまりを連れてくるの・衣服の擦れる音はまるで氷河が軋むような清涼感を与えてくれて・鼻をすする音は優しいビブラートで私を包み・首を鳴らす音は私に驚きと切なさを・指を鳴らす音は私に警告と緊張感を・喉を鳴らす音は際限ない悦楽の想像を・舌を鳴らす音は私にマゾヒスティックな快楽を・落ち込む顔は私にサディスティックな快楽を・悲しい顔は私に母性愛を・勇ましい顔は私に父性愛を・食べる口元はエロティックな想像を・掴む指はエロティックな想像を・髪をかき上げる仕草は同性愛を・細める目には異性愛を・全ての欲望をあなたは私に感じさせてくれる・全てが私の心を捕えて離さない・愛してるの・愛してるの・愛してるの・愛は捧げることで・愛は全て捧げることで・愛に流動性はなく・愛は普遍的で不動・変わることがないの・変われないの・全て捧げるしかないの・全て奪われるしかないの・全てあなたのために生きる・あなたのために生きる・生きることは尽くすことなの・あなたの全てに尽くすことなの・尽くして・尽くして・尽くして・全てをあなたに捧げることが愛の普遍的な形なの・だから私を食べて・私を飲んで・私を引き千切って・私を弄んで・私の全てはあなたの戯言のためにあり・私の命はあなたの戯言で失われることを望んでいます・全てを捧げます・全てを捧げます・だから殺してください・私を殺してください・あなたの手で・私を引き裂いてください・全てを捧げます・愛している・愛している・愛している・………………………………………………………………………レディオ・あなたは愛されていた・ミライザが死ぬ瞬間まで・ミライザはあなただけ・あなただけを愛していた・愛していた・愛していた…………」
 
 救われることはない。救われる言葉じゃない。もう死んでいて、まだ姉の死は何も解決はしていない。姉を殺した男は罪を認めていないし、鎮魂はまだ終わってはいない。
 救われる言葉じゃない。自分がもう飲み下せないほどの愛情を得ることはないのだから、もう自分は救われない、救われる道理はない。
 ただ涙がこぼれた。レディオの瞳から涙がボトボト零れ落ちた。姉の愛情は失われていなかった。消え去ってはいなかった。見えなくなって、感じられなくなって存在が認識できなくなっていただけで、はっきりと存在した。
 自分は姉に変わらず愛されていたのだ。『ランジーン』になった姉にも、サイレント・タンになった姉にも変わらず愛されて、愛情を注がれていたのだ。愛してくれと懇願した分、いやそれ以上に愛されていたのだ。
 自分は捨てられたわけじゃなかったのだ。
 
 これ以上の救いの言葉がどこにあるだろうか?
 
「あとは勝つだけですよレディオさん」
 戻ってきたファウストに肩を抱かれる。
「裁判に勝ちましょうレディオさん、勝って、勝って救われましょう」
 レディオは下唇を噛み、上を向く。勝つ、姉のために、失われた命のために、死んでいったサイレント・タンたちのために、ヒトミ・チャンドラのために、自分が、自分が救われるために、勝つ。

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