特別短編ロゴ3


 四月なかばの、ある日のこと。
 結城黄は、放課後の星霊学園高等部へと、いつものごとく侵入していた。
 この春、黄もめでたく中学三年生となった。バスケ部所属も変わっていない。しかしまだ数日前に負った怪我が完治していないので、部活を休むように顧問に言われ、暇を持て余した黄は高等部に遊びにやって来たのだ。
 中等部の生徒が高等部に行くことは、特に禁止されていない。しかし黄のように当たり前に歩きまわっている中学生は、そうそういないだろう。
 黄の足取りは堂々とし、慣れたもの。いまだ鼻の頭に絆創膏は貼ってあるが、身体にはもう痛みは残っていないので、動きは軽々としている。
「ふんふふ~ん、もかちゃん、もかちゃ~ん♪」
 微妙に音程を取りながらの鼻歌で、目的の人物の元へ向かっている。いつにも増してご機嫌だ。
 すっかり桜も散って寒さも緩み、上着がいらなくなるくらい暖かくなってきた。心地よい気温で、黄の表情も緩みきっている。
 校庭を横切り、高等部校舎の昇降口にたどりつくと、わざわざ手で持ってきた上履きへと履き替え、いそいそ階段を上がっていく。通りすがる生徒たちが謎の中学生の出没にぎょっとしているが、その視線にも慣れている。黄は構わず、三階を目指す。
 小谷桃果はそこにいるはずだ。
 小谷桃果とは、黄がつい最近知り合った高等部一年生の女生徒である。メガネをかけ、おどおどした大人しい女の子で、しかし意外に芯が強いことも知っている。その桃果を巡っての事件が一段落したばかりであり、彼女の様子を見に行きがてら、一緒に遊ぼうというのが黄の目的だった。
「よっと」
 階段をのぼりきり、三階へと到達。
 長い廊下へと続く曲がり角を折れようとしたところで、その曲がり角で立っている女生徒に目が留まった。
「んー?」
 コソコソ身を隠して、曲がり角の先を覗いている様子の女子。あきらかに不審である。
「何してんの? 何が見えるのー?」
 黄は何気なくその背中へと声をかけた。
 女子の両肩がビクゥッと強張った。とてとてとその女子へと近付いていき、黄も女子の見ていた曲がり角の先へと、背中越しにひょっこり顔をのぞかせた。
 廊下の先に見えたのは、一人でぽつんと歩いている女生徒の背中だった。ショートボブ、華奢な体型、きっちりと着た制服姿。
 見覚えのある背中に、黄の瞳が途端に輝いた。
「あ、いたいた! おーいもかちゃー――むぐぅ」
 黄は大きな声で桃果を呼び止めようとしたが、隣にいる女子に口を塞がれてしまった。そのままずるずると引きずられ、再び曲がり角の向こうへと連れられていく。
「何考えてんの!? こっちはこっそり監視してんだから、邪魔しないでくれるかなぁ!?」
 慌てた様子で言ってくる女子を、口を塞がれたままの黄は見上げ、ようやくその顔を確認した。
 女子の方も、黄とばっちり目があって、その目が驚きからか見開く。
 口を塞いできていた手を、パッと離してくれた。黄はちょこっと恨みがましい眼をその女子へと向ける。
「何するのー先輩、ヒドイよもー」
「あ、ご、ごめんね黄ちゃん。まさか黄ちゃんだったとは思わなくて」
 誤魔化すように苦笑いを浮かべて言ってくる女子は、黄の顔見知りだった。
 高等部の調理部に所属している、一年生の女子だ。小柄で愛らしく、つい最近まで中学生だったので、まだ顔立ちに幼さが残っている。肩まであるふわふわした髪がよく似合っている、甘いお菓子のように女の子らしい雰囲気である。名前は知らなかった。
 調理部によく足を運ぶ黄は、何度も彼女の姿を調理室で見ている。しかし、まだ調理部員になりたてほやほやの彼女とは、ほとんど会話を交わしたことはなかった。
「てゆか先輩、監視って? もかちゃんを? なんで?」
 先ほど見た限り、三階廊下を歩いていたのは桃果一人だけだった。おそらくこの先輩女子は桃果を監視していたのだろう。
 黄が首を傾げると、女子はうろたえてバタバタと両手を振った。
「ち、違うのっ! 別に小谷さんを亡き者にしようとかそんなん考えてないからね!?」
「へーもかちゃんを亡き者に……へーぇ」
 言いながら、黄の顔は自然とにやけていく。
 なんだか面白そうだ。黄の小悪魔アンテナがビビビと起動した。ニマニマした顔のまま、その女子へと詰め寄っていく。
 その女子も背が低かったが、更に小柄な黄は見上げるかたちになってしまう。
「それはぜひ、事情聞きたいなぁ。お話聞かせて聞かせて♪」
 キラキラした眼のおねだりモードで詰め寄ると、女子が今更自分の失言に気付いたのか、真っ青になって後ずさりをはじめた。
「う、うぁ……お願い黄ちゃん、緋色先輩だけには内緒にして……」
「もちろんっ先輩のお願いだもん、言うわけないよ! フヒヒッ」
 黄が全開笑顔とブイサインで返すと、女子は安心したのかホッと表情を緩めた。
 黄の笑顔には時に裏があることを、彼女はまだ知らない。


 星霊学園は中等部からのエスカレーター式なのだが、入学試験に受かれば他の中学からでも普通に入ることができる。
 調理部の一年女子、渡瀬葵はそんな生徒の一人だった。
 エスカレーター式だけあって、入学直後の新一年生の教室は、ほとんどの生徒が顔見知りで慣れ親しんでいた。そんな中、知らない顔ばかりに囲まれた葵は、一人で席についたまま、緊張で身を縮こまらせていたらしい。
 同じクラスにもう一人、誰とも会話をしていない女子がいたので、ほんのり親近感が沸いたとか。
「それが、もかちゃん?」
「そう、小谷桃果」
 現在黄と葵の二人は、階段の一番上の段に、二人並んで座っている。
 事情を聞かせろと言った黄に、仕方なくといった風に葵が話をしてくれているところだ。
 桃果の名前を出した葵は、忌々しげにキュッと唇を噛んでいる。面白そうだと興味津々だった黄も、その様子には胸がチクリと痛む。
 黄は桃果のことが大好きだったし、あきらかにいい感情を抱いていない葵の様子には悲しくなる。もかちゃんはいい子なんだよ、と声を大にして言いたい。
 しかし、まずは事情を聞かなければはじまらない。黄は口を挟みそうになるのを堪え、葵の次の言葉を待った。
「小谷さんは成績優秀らしくって、入学式でも代表挨拶してたし、なんか優等生って感じ。でもクラスの子たちが話しかけてもほとんど返事もしてくれなくて、すぐ逃げちゃうの。変な本ばっか読んでて変な子だって、それがクラスのみんなの感想かな……私は自分の友達作りに必死で、それでも小谷さんが気になってたから、いつかは友達になりたいな、なんて思ってたの……なのに」
 葵が言葉を止める。黄がその顔をのぞき込むと、眉間に皴を寄せてギリギリと音が鳴るぐらい激しく歯軋りをしていた。
「うわぁ」
 黄は葵のあまりの形相に、恐れおののく。ふんわり優しげな雰囲気の女の子だと思っていたのだが、内には激しい衝動を抱えているらしい。葵はそんなドン引きの黄に気付いていないのか、険しい顔のままで膝に置いた拳をブルブル震わせていた。
「なのに、なのに……っ」
「お、落ち着いてあおちゃん。もかちゃんが何したの? そんなにひどいこと、あおちゃんにしたの?」
「そうよ!」
 葵がおもむろにガバリと立ち上がった。
 黄は唖然として葵を見上げる。何かのスイッチが入ってしまったらしい。
「あの子、あの子はね……っ緋色先輩の恋人なの!! 付き合ってんの!! 私が大好きな緋色先輩を、あの子は横からかっさらったの! びええぇぇ」
 葵が立ったまま、顔を覆って激しく泣き出した。
 それを見て、黄の思考はしばらく停止した。
 ……もかちゃんとひいちゃんが、恋人?
「え、何言っちゃってんのあおちゃん? 頭わいてんの?」
 緋色、とは高等部三年生の、黄の実姉である。調理部の部長でもあるから、葵の言っている緋色先輩というのが、自分の姉であるのは間違いないだろう。しかし自分の姉が、黄も仲良くしている桃果と恋人関係だと唐突に言われても、思考がまったくついていかない。
 葵は顔を覆ったまま首を強く振っている。やわらかそうなフワフワ髪が揺れた。
「だってだって見たんだもん!」
「な、何を見たの?」
 知りたいようで知りたくない。声もうわずった。
「最近緋色先輩、私たち調理部員じゃなくて小谷さんにばっか構ってるから、それでなんか気に食わなくて、小谷さんのこと見張ってたの。そしたら二人で下校してた!」
「あ、な、なーんだ。一緒に帰ってただけか。もっとすごいのかと思った」
「そんなもんじゃない!」
「ヒッ」
 顔を上げた葵が、涙に濡れた凄まじい形相をクワッと黄へ向けてきた。
「寄り添ってた! 仲良さそうに!」
「ひいちゃんともかちゃん仲良しは仲良しだから、そゆ風に見えただけかも……?」
「小谷さんがこけそうになって『あ……っ』とか言ってよろめいた時、緋色先輩がさっと片手で抱きとめて『大丈夫桃果?』ってすっごいもうとろけそうな甘い顔で言ってて、しかもその後頭ナデナデして、緋色先輩のその顔を見た時に、確信したの! 間違いない、二 人 は 付 き 合 っ て る
 キッパリと断言した葵に、黄もなんだか不安になってきた。
 緋色はいついかなる時も誰にでも厳しい姉だが、そういえば桃果に対しては態度が甘すぎる気がする。むぅ、と口に手をあてて考え込んでしまった。
 と、ハッと顔を上げる。
 そういえば、前に桃果も恋をしているような素振りを見せたことがある。
 桃果の好きな人って、もしかして……
「うわぁうわああどうしよおお、あおちゃん!? もかちゃんとひいちゃん、付き合ってるのかなぁあああ!?」
「緋色先輩のあの目は、恋する乙女の目だった。間違いない。私の緋色先輩を奪うなんて、小谷桃果、許すまじ……」
 ブツブツと漏らす葵は、涙目になって喚いている黄に気付いていない様子だ。
 どうやら彼女は、自分の世界にかなり入り込んでしまうタイプらしい。
「ゆ、許すまじってどうすんの? 亡き者にするって、冗談じゃなくて本気だったの?」
「私は本気よ。刺し違える覚悟はあるわ」
「わー! 目が怖い! 落ち着いてあおちゃんっうわああどうしよう!? ひいちゃんともかちゃんが付き合ってたら私、どう接すればいいのさぁあ!?」
 言ってる黄が全く落ち着いていない。
 緋色と桃果が付き合っているのだとしたら、自分は一体どうすべきなのか。祝福すべきなのか。姉と友達が道ならぬ道を突っ走っていくのを止めるべきなのか。愛があれば性別なんて関係ないよねっと応援すべきなのか。
 黄はしばらくの間、全速力で踊り場を走り回っていたが、息切れしてようやく立ち止まる。
 葵の方を見ると、俯いていまだに一人でブツブツと呟いている。「まずは画鋲を上履きに仕込むべきか」とか言ってるのが聞こえてきた。その顔は青ざめ、病的ですらある。よほど思いつめているらしい。
 葵の様子を見て、黄に正常な思考回路が戻ってきた。
 やっぱり緋色と桃果が付き合ってるなんて、ありえない。黄は一番そばで、緋色と桃果を見てきた。二人には確かな絆があるとは感じていたけど、それが恋愛感情だとは思えなかった。
 しかし、二人は大丈夫だとしても、完全に思い込んで桃果を親の仇のように恨んでしまっている葵の方は、どうにかしなければいけないだろう。
 思い込みが激しい性格のようだし、黄がいくら言っても信じてくれないのはなんとなく目に見えていた。
 そこでハタ、と気付く。
 葵も、桃果同様に星霊学園高等部の一年生の、女子だ。
「あおちゃんって……女の子が本気で好きとか、そっち系の人?」
 他の調理部員たちも緋色のファンクラブを自負しているぐらいだし、緋色のことが大好きなようだが、その眼差しはどちらかというと憧れからくるものに見える。
 しかし葵の緋色への固執っぷりは、他の部員と比べても頭一つ抜き出しているような気がする。
 黄が冷静な声で問うと、葵がようやく顔を上げた。白々しいほど明るい表情だった。
「違うよーそれじゃあ私、アブノーマルみたいじゃないの。何言ってんのやだなぁ黄ちゃんってばーもう」
「え? じゃあひいちゃんのこと好きじゃないの?」
「好き! やばいくらい好き! 愛してると思う!」
「じゃあ恋愛感情とかじゃなくて、やっぱり憧れみたいなもの?」
「そんなんじゃない! 緋色先輩に対する想いは、本気! かなり真剣なの!」
「……ぐ、具体的に、ひいちゃんと何かしたい、とか?」
「や、やだあっ黄ちゃんってばエッチ!! そんなの言えない言えないっ」
 頬を染めた葵に、バシッと背中を叩かれた。けっこう腕力があるのか、痛かった。
「えーと……一応確認するけど、あおちゃんって女の子だよね?」
「私のことが男に見えるの!?」
「いや見えないけどさ……なんか頭が混乱中……ふにぃ」
 黄が情けない声をあげると、葵が何故か得意げな表情になっていた。
「いいわ、話してあげる。私と緋色先輩の素敵ななれそめエピソード。私がどんなに緋色先輩が好きか、黄ちゃんにも知ってもらいたいし」
 頬を染めてうっとりした表情になっている葵を見て、黄はげっそりした。
 これは、長くなるかもしれない。
 今日は桃果と遊ぼうと、わくわく会いに来たのに。どうしてこうなった、と思いながら、黄は肩を落とすのだった。

≪つづく≫

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