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呼び出しのブザーが鳴っているのを無視して『ラビット』は台所に立っていた。作っているのはジャム、オーブンで焼いている牛肉のソースにするためのジャムだ。
シェルターの食材は月に一度交換されているのである程度の野菜、果物がある。今作っているのはオレンジのジャム。オレンジを細かく千切りにし、大量の砂糖で煮込むありきたりのジャムだがただ焼いただけのステーキよりキャスパーの口を喜ばせるだろうと『ラビット』の心は弾んでいる。
呼び出しのブザーが鳴る、『ラビット』は無視して、鍋の中のジャムをヘラでこね続ける。
「すいませーん、私の話を聞いていただけないでしょうかー」
無視して『ラビット』は鍋の中のジャムをこねる。
「すいませーん、このままでは帰れないのですけどー」
無視してジャムをこねる。
「すいませーん、そのジャム失敗しますよー」
『ラビット』は手を止める。
「臭いでわかりますよー、そのジャム、レモンの絞り汁を足してくださいー、それと塩を少々入れてくださーい。塩は砂糖よりも先に味覚として脳に感知されますー、その味が意識に上る前に砂糖の甘みが脳を襲いますー、一度塩味を感知した脳は次に来る甘みをより強く感じるんですー。少量の塩は甘みを増し、レモンの絞り汁はジャムの色を鮮やかにしますー。臭いでわかるんですよー、そのジャム失敗しますよー」
『ラビット』は塩を一つまみ鍋の中に入れる。かき混ぜ指先で掬い味をみる。
確かにさっきまでより格段に甘く感じる。
『ラビット』はレモンを探す。しかしキッチンにはレモンがない。レモンはシェルターから持って上がっていない。取りに行かなければならないが、取りに行っている間に、鍋が焦げ付いてしまうかもしれない。ジャムを台無しにしてしまうかもしれない。しかしこのままではレモンは入れられず、ジャムは失敗してしまう。
「ここを開けてくださいー、私が鍋の番をしますよー」
ドアの向こうから聞こえる声が提案する。
『ラビット』は少し考え、ドアを開け、外に立っていた男を家の中に招き入れた。
「レモンはいくつですか?」
「この量なら一つでいいですよ、それとソイソースはありますか?」
「ソイソース?」
「そうです、お肉に使うジャムはソイソースが隠し味になるんです」
「分かりました、今取ってきます」
『ラビット』はシェルターに下りる階段の前に差し掛かり、鍋をこねる男に言葉を投げかける。
「下には降りてこないでくださいね、きたら殺してしまいます」
「了解でーす」
男は鍋から視線を放さず軽く左手を挙げ答えた。
階段を下り、シェルターの厚い金属のドアを開け中に入る。暗闇、暗闇の中の広い部屋。部屋の中には食材が並ぶ棚が三列あり、その奥には大きな通信機器、その奥は本当の暗黒で何も見えない。『ラビット』は暗黒に向かい微笑む。
「今日の夕食は美味しくできそうです。楽しみにしていてくださいね」
暗闇の中、なんの気配もない。『ラビット』はにこやかに暗闇を見つめ、舌なめずりをして、レモンとソイソースを抱えシェルターを出て行く。
キッチンに戻ると、男はオーブンの中を覗きこんでいた。
「何か問題がありますか?」
「いえ、問題というか、なんというか」
「言いたいことがあるのなら仰って下さい」
「これいいお肉ですよねー」
「はい、いいお肉だと思いますが、なにか?」
「脂身が多すぎるんですよー、脂身が多いから焦げも早いし、そもそもジャムのようなソースにはこの脂身は合わないですよー」
「そうなのですか?」
「はいはい、それにこれ、オーブンがしっかり熱せられる前にお肉入れましたよね? これ駄目なんだよなー、お肉の油が溶けて臭いがつくんですよー、気にしない人は気にしませんがこれって嫌いな人は嫌うんだよなー」
『ラビット』はドキリとした、今までそこまで考えて料理を作ってこなかった。いい食材がそろっているはずだ。だからその食材で作ればいい料理ができるはずだ。それしか考えてなかった。そもそも『ラビット』は食に対し無頓着だ。おいしいとか、まずいとか考えて食事をしたことはなかった。もしかしたら、もしかしたらだが、今まで自分はキャスパーにまずい食事を強要していたのかもしれない。『ラビット』は恐怖で体が震えた。
「……あの」
「はいなんですか?」
男はオーブンの前にしゃがんだままクルリと振り向く。メガネをかけた目がギョロギョロしてる東洋系の男だ。
「……あの、その料理、今からでもおいしくすることは可能でしょうか?」
男はニマッと笑う。
「可能ですよ、条件さえクリアーできれば」
「条件?」
「はいはい、今からこの食材で作る料理は温かい内は美味しいですけど冷めると結構まずいです。つまり今から作ってすぐ食べていただかないといけない料理です。
作ったらすぐ食べる。その条件をクリアーできるのなら、おいしくできますよ」
『ラビット』は壁に掛けてある時計を見る。十七時三十分。
「完成までどのくらい時間を要しますか?」
男は顎に手を当て少し考え込む。
「オーブンは温まっているので十五分、いや、二十分てところでしょうか」
二十分、つまり料理の完成は十七時五十分になる。いつも夕食の時間は十八時と決めているが十分の誤差、ここは目を瞑るしかない。
「分かりました、料理は完成次第食べることとします。リカバリー、お願いいたします」
「オウケイです」
男はオーブンから鉄板ごと肉を取り出す。肉をまな板の上に乗せ薄く包丁で削いでいく。
薄く削いだ肉をまな板の上に広げていく、その上に煮込んでいたジャムを大匙一つ乗せる。
「すいません、外にローズマリーと、トマトが栽培されていました。ローズマリーは枝の先十センチ、柔らかいところを四本と、トマトはまだ緑色のものを二個取ってきてください、急いでくださいね」
『ラビット』は慌てて家の外に飛び出す。
「アマンダ・テールノーズが家の外に出てきた! 録画しろ!」
「いやよかった、元気そうで何よりだ。でもなんだあの恰好は?」
「あれはあれでしょう」
「やっぽりあれか?」
「そうでしょう? あのスカート丈と手袋、ベール、純白のウェディングドレスでしょう」
「なんてこった、『ラビット』は連れ込んだ男と結婚するつもりだってことか!?」
「ウェディングドレスにそれ以外の意味は考えられません」
「最悪だ、上になんて報告すりゃいいんだ……」
「それより早く言われたとおりに行動しないと」
「そうか! 全員行動開始!」
男はまな板の上に広げた肉に大匙一のジャムを乗せ、刻んだローズマリーを振りかける。八等分に切った青いトマトを乗せ、肉で全体を包む。
新しいオーブンの鉄板ににんにくの欠片をこすりつける。その上にジャムを包んだ肉を四つ乗せ、上からブランデーを数滴たらす。オーブンの熱を確かめ、鉄板をオーブンの中に入れる。
「八分間焼きます、でも状態を見ながらですよ、焦げそうならすぐに出します」
男はオーブンの前にしゃがみこみ、クルリと顔を『ラビット』に向ける。
「私はファウストリバー・ライトブルーと申します。FBIランジーン人権保護担当保安官です。どうぞ気軽にファウストとお呼び下さい」
にっこりと微笑む。
「お肉が焼けるまで少し時間があります。一つお聞きしてよろしいですか『ラビット』?」
「はい、なんなりと」
「あなたこの家に誰かを監禁していますか?」
少しの沈黙とタンパク質、糖質の焼ける匂い。『ラビット』の目は細くなって口は笑みを作る。
「監禁? なんのことをおっしゃっているのやら、わたくしはここで一人で暮らしています。今までも、これからも」
「そうですか、二週間前あなたは空が見たいと山に登られ全裸で全裸の男性を担ぎ帰ってこられました。その男性はこの家に入り出てきてはいません。その男性を監禁しているのではないですか?」
「なんの話でしょう? わたくしはこの家から一歩も外に出ていません。空を見たい? そんなこと感じたことも思ったこともありません。わたくしはこの家から出ず、この先出るつもりもありません。男性? 一切わたくしの記憶にはございません」
ファウストはオーブンを開け覗き込み、くんくんと匂いを嗅ぎ閉める。
「いやー私シークレット・サービスの人間に聞いたんですよ。あなたが全裸で全裸の男性を担いでこの家に入っていったって。それじゃシークレット・サービスの人間が嘘ついてるのかな? それとも、」
ファウストはニカッと笑い『ラビット』を見る。
「あなたが嘘をついているかですよね」
『ラビット』はより目を細める。
「わたくしは嘘をついていませんよ、嘘をついているのはシークレット・サービスの人間でしょう。それにわたくしは『ラビット』、こう言ってはなんですがこのアメリカ合衆国でそれなりの要人であるはずです。
もし、わたくしが一人の男性を監禁していたとして、
その男性を虐待していたとして、
あなたはわたくしを裁けますか?
わたくし『ラビット』を裁けますか?
あなたはアメリカ合衆国に反旗を翻すことができますか、一人で」
ファウストは『ラビット』を見て、目を細め口の端を引き上げる。
オーブンを覗き込み、肉の焼けた鉄板を引きだしコンロの上に乗せる。
「司法はね、弱者のための機関なんですよ『ラビット』さん。
私はね、弱者のための公僕なんですよ。
弱者を守り、
生命と財産を守り、
身を挺して他者のためならんとする。
それが私の仕事なんですよ『ラビット』さん。
アメリカ合衆国は強者の国です。
アメリカ合衆国は開拓者の国です。
自分の身は自分で守る、それをアイデンティティとする国です。
でもそれだけでは生きていけない人がいるでしょう? 弱肉強食、国の成長の根幹、資本主義国家の定義は弱肉強食でしょう。強い者が総取りこれがアメリカ合衆国でしょう。でも弱者はいます。どこにでもいます。社会の中のどこにでも、弱者はいます、道に付いたガムの染みのように、いつもは気づかれないほど矮小な存在ですけれどその数は膨大にいるのです。
弱者を切り捨てることは悪です。
弱者も人間であり、コミュニティーの一員なのです。
国とはコミュニティーであり、それ以上でもそれ以下でもないのです。
だから司法なのですよ『ラビット』さん。
だから公僕なのです『ラビット』さん。
私はアメリカ合衆国に反旗を翻したりはしません、コミュニティーの一員なので。
私が司法を行使するのはアメリカ合衆国のためです、コミュニティーの一員なので。
弱者を守ることはコミュニティーの一員を守ること。仲間を守ること。つまりはアメリカ合衆国を守ることなのです。
私はあなたを裁きますよ。アメリカ合衆国を守るために、アメリカ合衆国国民として」
ファウストは焼けた肉を皿に移し肉汁で肉の周りに格子模様を描く。
「どうですか? 肉のジャム包み黒犬風、お熱いうちにどうぞ、熱いうちしかおいしくないので」
皿を『ラビット』に差し出す。『ラビット』は皿を受け取る。
二人は視線をお互いの瞳から外さない。
目を細め口の端を釣り上げ張り付いた笑顔を保つファウスト。
目を細め頬の筋肉から顔全体に笑みを作る『ラビット』。
「さあお熱いうちにどうぞ」
「そうですね、暖かいうちにいただきます」
『ラビット』は皿を持ったまま地下のシェルターに向かう。
「わたくしはシェルターの中でいただきます。素晴らしいお料理ありがとうございました」
「いえいえ、ファミリーの中のインディーズメニューですよ、お口に合えば幸いです」
ファウストは椅子に座り『ラビット』を見送る。
『ラビット』は地下のシェルターに下りていき、ドアを開ける。
心が弾んでしまいます。今日の料理はとてもおいしい、きっとキャスパー様も気に入っていただけるはずです。
この頃キャスパー様は食事を取りたがりません。少しずつですがお痩せになっている気がします。口数も少なくなり、性行為の際の力強さも感じられなくなってきました。でもこれで大丈夫です。おいしい料理、かいがいしい奉仕、きっとお心も晴れ元気になって下さることでしょう。キャスパー様、キャスパー様、キャスパー様、キャスパー様、キャスパー様、キャス…………
シェルターの照明をつけ振り返り固まる。
「キャスパー様!」
絶叫と共に持っていた皿を落とす。
砕け散る皿、飛び散る料理、叫び声、暗転する視界、膝から崩れ落ち、嘔吐し、手に特大のモンキーレンチを持ち立ち上がる。駆けだす。シェルターのドアを開け階段を駆け上がる。リビングで食事を取っていたファウストの目の前に特大モンキーレンチを叩きつけテーブルごと皿を割る。
シューシューシュー、肩で呼吸をし、顔は怒りで上気し、口は裂けるほど開かれ犬歯までが見えている。ゆっくりと特大モンキーレンチを持ち上げファウストの鼻先に突きつける。
「キャスパー様をどこにやった!」
ファウストはナイフとフォークを持ったまま張り付いた笑顔を崩さずに答える。
「さぁ?」
『ラビット』の最愛の人、天啓、キャスパーは、忽然とシェルターの中から消えていた
のだった。
<ランジーン×ビザール テイクスリイ⑤ へ>
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「ソイソース?」
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「下には降りてこないでくださいね、きたら殺してしまいます」
「了解でーす」
男は鍋から視線を放さず軽く左手を挙げ答えた。
階段を下り、シェルターの厚い金属のドアを開け中に入る。暗闇、暗闇の中の広い部屋。部屋の中には食材が並ぶ棚が三列あり、その奥には大きな通信機器、その奥は本当の暗黒で何も見えない。『ラビット』は暗黒に向かい微笑む。
「今日の夕食は美味しくできそうです。楽しみにしていてくださいね」
暗闇の中、なんの気配もない。『ラビット』はにこやかに暗闇を見つめ、舌なめずりをして、レモンとソイソースを抱えシェルターを出て行く。
キッチンに戻ると、男はオーブンの中を覗きこんでいた。
「何か問題がありますか?」
「いえ、問題というか、なんというか」
「言いたいことがあるのなら仰って下さい」
「これいいお肉ですよねー」
「はい、いいお肉だと思いますが、なにか?」
「脂身が多すぎるんですよー、脂身が多いから焦げも早いし、そもそもジャムのようなソースにはこの脂身は合わないですよー」
「そうなのですか?」
「はいはい、それにこれ、オーブンがしっかり熱せられる前にお肉入れましたよね? これ駄目なんだよなー、お肉の油が溶けて臭いがつくんですよー、気にしない人は気にしませんがこれって嫌いな人は嫌うんだよなー」
『ラビット』はドキリとした、今までそこまで考えて料理を作ってこなかった。いい食材がそろっているはずだ。だからその食材で作ればいい料理ができるはずだ。それしか考えてなかった。そもそも『ラビット』は食に対し無頓着だ。おいしいとか、まずいとか考えて食事をしたことはなかった。もしかしたら、もしかしたらだが、今まで自分はキャスパーにまずい食事を強要していたのかもしれない。『ラビット』は恐怖で体が震えた。
「……あの」
「はいなんですか?」
男はオーブンの前にしゃがんだままクルリと振り向く。メガネをかけた目がギョロギョロしてる東洋系の男だ。
「……あの、その料理、今からでもおいしくすることは可能でしょうか?」
男はニマッと笑う。
「可能ですよ、条件さえクリアーできれば」
「条件?」
「はいはい、今からこの食材で作る料理は温かい内は美味しいですけど冷めると結構まずいです。つまり今から作ってすぐ食べていただかないといけない料理です。
作ったらすぐ食べる。その条件をクリアーできるのなら、おいしくできますよ」
『ラビット』は壁に掛けてある時計を見る。十七時三十分。
「完成までどのくらい時間を要しますか?」
男は顎に手を当て少し考え込む。
「オーブンは温まっているので十五分、いや、二十分てところでしょうか」
二十分、つまり料理の完成は十七時五十分になる。いつも夕食の時間は十八時と決めているが十分の誤差、ここは目を瞑るしかない。
「分かりました、料理は完成次第食べることとします。リカバリー、お願いいたします」
「オウケイです」
男はオーブンから鉄板ごと肉を取り出す。肉をまな板の上に乗せ薄く包丁で削いでいく。
薄く削いだ肉をまな板の上に広げていく、その上に煮込んでいたジャムを大匙一つ乗せる。
「すいません、外にローズマリーと、トマトが栽培されていました。ローズマリーは枝の先十センチ、柔らかいところを四本と、トマトはまだ緑色のものを二個取ってきてください、急いでくださいね」
『ラビット』は慌てて家の外に飛び出す。
「アマンダ・テールノーズが家の外に出てきた! 録画しろ!」
「いやよかった、元気そうで何よりだ。でもなんだあの恰好は?」
「あれはあれでしょう」
「やっぽりあれか?」
「そうでしょう? あのスカート丈と手袋、ベール、純白のウェディングドレスでしょう」
「なんてこった、『ラビット』は連れ込んだ男と結婚するつもりだってことか!?」
「ウェディングドレスにそれ以外の意味は考えられません」
「最悪だ、上になんて報告すりゃいいんだ……」
「それより早く言われたとおりに行動しないと」
「そうか! 全員行動開始!」
男はまな板の上に広げた肉に大匙一のジャムを乗せ、刻んだローズマリーを振りかける。八等分に切った青いトマトを乗せ、肉で全体を包む。
新しいオーブンの鉄板ににんにくの欠片をこすりつける。その上にジャムを包んだ肉を四つ乗せ、上からブランデーを数滴たらす。オーブンの熱を確かめ、鉄板をオーブンの中に入れる。
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「私はファウストリバー・ライトブルーと申します。FBIランジーン人権保護担当保安官です。どうぞ気軽にファウストとお呼び下さい」
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「はい、なんなりと」
「あなたこの家に誰かを監禁していますか?」
少しの沈黙とタンパク質、糖質の焼ける匂い。『ラビット』の目は細くなって口は笑みを作る。
「監禁? なんのことをおっしゃっているのやら、わたくしはここで一人で暮らしています。今までも、これからも」
「そうですか、二週間前あなたは空が見たいと山に登られ全裸で全裸の男性を担ぎ帰ってこられました。その男性はこの家に入り出てきてはいません。その男性を監禁しているのではないですか?」
「なんの話でしょう? わたくしはこの家から一歩も外に出ていません。空を見たい? そんなこと感じたことも思ったこともありません。わたくしはこの家から出ず、この先出るつもりもありません。男性? 一切わたくしの記憶にはございません」
ファウストはオーブンを開け覗き込み、くんくんと匂いを嗅ぎ閉める。
「いやー私シークレット・サービスの人間に聞いたんですよ。あなたが全裸で全裸の男性を担いでこの家に入っていったって。それじゃシークレット・サービスの人間が嘘ついてるのかな? それとも、」
ファウストはニカッと笑い『ラビット』を見る。
「あなたが嘘をついているかですよね」
『ラビット』はより目を細める。
「わたくしは嘘をついていませんよ、嘘をついているのはシークレット・サービスの人間でしょう。それにわたくしは『ラビット』、こう言ってはなんですがこのアメリカ合衆国でそれなりの要人であるはずです。
もし、わたくしが一人の男性を監禁していたとして、
その男性を虐待していたとして、
あなたはわたくしを裁けますか?
わたくし『ラビット』を裁けますか?
あなたはアメリカ合衆国に反旗を翻すことができますか、一人で」
ファウストは『ラビット』を見て、目を細め口の端を引き上げる。
オーブンを覗き込み、肉の焼けた鉄板を引きだしコンロの上に乗せる。
「司法はね、弱者のための機関なんですよ『ラビット』さん。
私はね、弱者のための公僕なんですよ。
弱者を守り、
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アメリカ合衆国は強者の国です。
アメリカ合衆国は開拓者の国です。
自分の身は自分で守る、それをアイデンティティとする国です。
でもそれだけでは生きていけない人がいるでしょう? 弱肉強食、国の成長の根幹、資本主義国家の定義は弱肉強食でしょう。強い者が総取りこれがアメリカ合衆国でしょう。でも弱者はいます。どこにでもいます。社会の中のどこにでも、弱者はいます、道に付いたガムの染みのように、いつもは気づかれないほど矮小な存在ですけれどその数は膨大にいるのです。
弱者を切り捨てることは悪です。
弱者も人間であり、コミュニティーの一員なのです。
国とはコミュニティーであり、それ以上でもそれ以下でもないのです。
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だから公僕なのです『ラビット』さん。
私はアメリカ合衆国に反旗を翻したりはしません、コミュニティーの一員なので。
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弱者を守ることはコミュニティーの一員を守ること。仲間を守ること。つまりはアメリカ合衆国を守ることなのです。
私はあなたを裁きますよ。アメリカ合衆国を守るために、アメリカ合衆国国民として」
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目を細め頬の筋肉から顔全体に笑みを作る『ラビット』。
「さあお熱いうちにどうぞ」
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『ラビット』は皿を持ったまま地下のシェルターに向かう。
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心が弾んでしまいます。今日の料理はとてもおいしい、きっとキャスパー様も気に入っていただけるはずです。
この頃キャスパー様は食事を取りたがりません。少しずつですがお痩せになっている気がします。口数も少なくなり、性行為の際の力強さも感じられなくなってきました。でもこれで大丈夫です。おいしい料理、かいがいしい奉仕、きっとお心も晴れ元気になって下さることでしょう。キャスパー様、キャスパー様、キャスパー様、キャスパー様、キャスパー様、キャス…………
シェルターの照明をつけ振り返り固まる。
「キャスパー様!」
絶叫と共に持っていた皿を落とす。
砕け散る皿、飛び散る料理、叫び声、暗転する視界、膝から崩れ落ち、嘔吐し、手に特大のモンキーレンチを持ち立ち上がる。駆けだす。シェルターのドアを開け階段を駆け上がる。リビングで食事を取っていたファウストの目の前に特大モンキーレンチを叩きつけテーブルごと皿を割る。
シューシューシュー、肩で呼吸をし、顔は怒りで上気し、口は裂けるほど開かれ犬歯までが見えている。ゆっくりと特大モンキーレンチを持ち上げファウストの鼻先に突きつける。
「キャスパー様をどこにやった!」
ファウストはナイフとフォークを持ったまま張り付いた笑顔を崩さずに答える。
「さぁ?」
『ラビット』の最愛の人、天啓、キャスパーは、忽然とシェルターの中から消えていた
のだった。
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