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 『ラビット』が料理を持ちシェルターに下りて行くとキャスパーがいなかった。
 キングサイズのベッドにつけられた足枷は外れていた、両手の自由を奪っていた手錠は外れベットの上に転がっていた。キャスパーのために作った王冠は床に転がり、キャスパーのために作ったマントは床に投げ捨てられ、キャスパーのために作った拷問器具は壁に掛かったままだった。
 血塗られたシーツもそのままだった。
 『ラビット』はサディストではなかった。なので拷問には性的興奮を覚えなかった。拷問の目的は一つだけ、教育である。『ラビット』は自分にキャスパーの愛情が全て向くよう拷問を行いながら教育していた。
「キャスパー様? 問題ですよ? キャスパー様はなぜここにいるのでしたっけ?」
「知らねーよ! お前がさらってきたからだろうが!」
「不正解ですよ? このままでは足の指があっち向いちゃいます、あっち向いちゃいます」
「ホント勘弁してくれよ! 助けてくれよ! お前が言うことはなんでも聞くから!」
「回答になってませんよ? あっち向いちゃいます、あっち向いちゃいました」
「ひぎゃぁぁぁぁぁーーー!!!!」
「キャスパー様? 問題ですよ? キャスパー様はなぜここにいるのでしたっけ?」
「ひぎゃぁぁぁぁぁーーー!!!!」
「なぜここにいるのでしたっけ?」
「あっ!あっ!あっ!あっ!」
「あっち向いちゃいました」
「ひぎゃぁぁぁぁぁーーー!!!!」
「仕方ありませんねキャスパー様、答えを教えて差し上げます。サービスですよ、御褒美は下さいね、 キャスパー様はなぜここにいるのか? 答えは簡単です、ここが二人の愛の巣だからですよ」
「…………………」
「あっち向いちゃいました」
「ひぎゃぁぁぁぁぁーーー!!!!」
 このように教育しキャスパーを自分を愛する人間に作り直そうとしていた。

 布に綿をつめた王冠を作り被せ、べロアで作ったマントを羽織らせ、その前に跪き足の甲にキスする瞬間を最高の悦楽としていた。服従と教育、拷問と奉仕、『ラビット』は自分が望むもの全てをキャスパーに押し付け、演じさせようとしていた。
 その最愛の人キャスパーが忽然と消えた。
 どのように? 分からない。
 いつ? 分からない。
 しかし分かることもある。キャスパーを消したのはこの男だということだ、目の前の男、メガネをかけた神経質そうな東洋人、ファウストリバー・ライトブルー、司法の体現者にして弱者の公僕、自分からキャスパーを奪った男。
 ファウストは右手にフォーク、左手にナイフを持ったまま『ラビット』を見上げる。『ラビット』は特大モンキーレンチをファウストの鼻先に突き付け憤怒の表情を浮かべる。『ラビット』は憤怒の表情、ファウストは張り付いた笑顔、両者は動かないまま視線を外さない。
「キャスパー様をどこにやったの」
 初めに口を開いたのは『ラビット』だった。
「キャスパー様? さぁ? 知りませんよ」
 おどけたように首をかしげ、首に付けていたナプキンを外しそれでナイフとフォークを包む。
「地下室にいた男性よ、私の天啓なの、返して」
「地下室に男性がいたのですか? それは知りませんでした」
「とぼけないで、あなたが消してしまったのでしょう、返して」
「私は人間一人消すことなんてできませんよ、買いかぶり過ぎです」
「ふざけないで、本当に殺すわよ」
「殺されたくはないですが本当に知らないのです」
「ふざけないで」
「ふざけてはいません」
「本当に殺すわよ」
「殺されても知らないものは知らないのです」
 モンキーレンチを床と垂直に引き上げ振り下ろす。
 モンキーレンチの先端がファウストの左つま先にめり込む。
 涼しい顔のファウスト、手ごたえで『ラビット』も気がついているだろう、ファウストの履いている革靴は先端に強化セラミックが入っていて耐圧耐衝撃構造になっていることを。『ラビット』はもう一度モンキーレンチを床と垂直になるまで振り上げる。狙いはファウストの左膝だ。
「一つ聞きたいのですが」
 ファウストは笑顔のまま話しかける。
「なに?」
 『ラビット』はモンキーレンチを振り上げ静止したまま答える。
「キャスパー君でしたっけ?」
「そうキャスパー様、私の道しるべ」
「なんと言えばいいのでしょうか、そのキャスパー君、本当にいましたか?」
 『ラビット』はモンキーレンチを振り下ろす。ファウストは左手のひらでモンキーレンチの先端を受け止める。膝に当たる寸前、膝に当たる寸前でモンキーレンチは受け止められ静止する。
「もう一度聞きます、本当にキャスパー君はいましたか? 今いなかっただけではなく、最初から、あなたが空を見に行った日から本当にキャスパー君はこの家にいましたか? あなたはそれを証明できますか?」
「何を言っているの? キャスパー様はいらっしゃった、地下のシェルターに、あの日から私が天啓を受けたあの日からキャスパー様はあそこにいたわ、ふざけないで」
「本当に?」
「くどい」
「ではそれを証明できますか?」
「証明? 何を言っているの? 毎日一緒にいた私がいたと言っているの、それが何よりの証明だわ」
「それは証明にはなりませんよ、いたと感じていた、いるつもりになっていた、そんなことは往々にしてあり得ることです。よく考えてみてください。私はここで料理を作っていた、あなたが見ている目の前で、その後あなたはシェルターに下りて行った、私はそれを見送った。
 さぁ、私のどこにキャスパー君を隠す時間があったと思いますか?」
 『ラビット』は苛立ちを感じていた。もうこの男の話を聞きたくない、早くこの男の頭をカチ割ってしまいたい、モンキーレンチを早く振り上げたい、しかしこの男が押せば引き、引けば押す絶妙のタイミングで力を入れるため、モンキーレンチが男の手から離れない、早く頭をカチ割ってしまいたい、『ラビット』は強い殺害衝動に襲われ、殺害を急いでいた。
 ファウストは張り付いた笑みを崩さない。握りこんだモンキーレンチの先を離さない。ここは生命線だ、次モンキーレンチが振り下ろされれば防げないだろう。左手の感覚は痛みにより消失している。たぶん複雑骨折は免れないだろう。だから次は防げない、このモンキーレンチは離せない、ファウストは張り付いた笑みを崩さないまま決死の攻防を繰り返していた。
「私はあなたについて考えていたのです」
 モンキーレンチをファウストの左腕から引き剥がそうとする『ラビット』の気を削ぐためにファウストは喋り出す。
「あなたは『ラビット』であり『ランジーン』ですよね?」
「………………それがなに」
「あなたは『ラビット』という名前の『ランジーン』ですよね」
「………………だからなに」
「私はそこに疑問を持っているのです。あなたは『ラビット』ですか? それともアマンダ・テールノーズですか? どちらですか?」
「………………私は『ラビット』、アマンダ・テールノーズの中から生まれた『ランジーン』、私は『ラビット』よ」
「そこがおかしいんですよ」
「なにが!?」
「だってそうでしょう? 私はファウスト、ファウストリバー・ライトブルーで、黒犬でありケルベロスです。私はファウストという人間で、人格で、ケルベロスという『ランジーン』になりました。それが普通です。
 『ランジーン』には解離性のタイプもいますよね、イマジネーション・コンパニオンを作り出し共に戯れ、共に生きる多重人格の『ランジーン』もいます。でもあなたは違いますよね? あなたの中にアマンダ・テールノーズはいますか? 『ラビット』以外の人格はいますか? もしいないとするならば、これはおかしなことですよね?」
「なにがおかしいの? アマンダ・テールノーズの人格は脳内変化を起こした際に死んだのよ、生き残ったのは私、私『ラビット』よ、多重人格ではなく人格変化、脳科学的に間違ったことではないわ」
「いやいや、脳科学的におかしいでしょう? 人格変化とは性格変化と同義でしょう? つまり性格変化を起こし別人格のように見える、それだけでしょう? もともとは同じ人格でしょう? おかしいじゃないですか、アマンダ・テールノーズが死んでいるのに、あなたはなぜ生きていられるんですか? 主人格が死んだらその人間が死んだと同じ事でしょう? つまりあなたは死んでいるってことでしょう?」
「は? 何わけが分からないことを言っているの? 私は生きてるわよ! 生きてあなたと喋っている! アマンダ・テールノーズが死んでも私は生きてここにいるわ!」
「アマンダ・テールノーズは死んでいるのですか?」
「死んでいる!」
「あなたは多重人格ではないのですね?」
「しつこい!」
「では答えは一つです」
 ファウストはモンキーレンチの先端を放し立ち上がる。左手を前に突き出し『ラビット』の動きを制する。右手で胸のポケットからキューバ産の最高級葉巻コイーバを取出し火をつける。
 煙を口の中いっぱいに溜め、細い糸のようにゆっくりと吐き出す。
「答えは一つですよ、『ラビット』さん、あなたは『ラビット』という名前ではなく、アマンダ・テールノーズだってことです」
「は? 彼女は死んだわ!」
「死んだのではなくあなたになったのです。人格変化ですよ、あなたがさっきご自身の口から言われた言葉じゃないですか? あなたは『イゲンシ』と融合し『ランジーン』になる際、人格変化を起こしたのでしょう、あなたは人格変化とそれに伴う自己催眠によりアマンダ・テールノーズであることを止め、『ラビット』になった。それだけのことです。あなたは『ラビット』ではないのです。アマンダ・テールノーズの中から生まれた存在ではないのです。
 あなた元々いた、あなたは何も変わっちゃいない、あなたが行ったことは全てあなたの意志で、あなたの考えで行われたことなんですアマンダ・テールノーズ。
 あなたは『ラビット』という名前の『ランジーン』だ、しかしあなたの名前は『ラビット』ではない。
 あなたの名前は、アマンダ・テールノーズだ」
「だから何! 私がアマンダ・テールノーズで! 『ラビット』ではないなら何! キャスパー様を! キャスパー様を返して!」
「だからそれですよ」
 ファウストは少し首を傾げ、上目使いで、コロンボポーズでアマンダ・テールノーズに微笑みかける。
「あなたは今、『ラビット』はいないと言った。いや、正確にはいなくても構わないといったところでしょうか?
 ほらごらんなさい。
 自分自身の存在ですら曖昧で、あやふやなのです。
 考えてみてください、私たちは『ランジーン』なのですよ? 『ランジーン』は自己認識を『イゲンシ』により改変された存在なのです。性格変化あり、多重人格あり、精神疾患のオンパレードなのですよ? 
 私は言いましたよね?
 さっき言いましたよね?
 自己と『ランジーン』を分離させ、その存在と戯れる多重人格の『ランジーン』もいると。イマジネーション・コンパニオン、幼少期、正常な精神の持ち主でもよく出る疾患の一つです。例えば子供が妖精を見るとか、川で河童と相撲を取るとかよく聞く話ですよ。
 私はお聞きしたいのです『ラビット』。
 これは純粋な質問なのです『ラビット』。
 本当にキャスパー君はいましたか?
 本当に?
 イマジネーション・コンパニオンではなく?
 あなたの『ランジーン』が作り出した幻想ではなく?
 本当に存在するのですか?
 もう一度よく考えてください」
 アマンダ・テールノーズは考える。
 イマジネーション・コンパニオン、『ランジーン』が作り出す幻想、妖精のように戯れる自己、妖精、妖精?
 妖精と聞いたアマンダ・テールノーズは『夏の夜の夢』に出てくる妖精王オベロンを連想する。妖精王オベロン、惚れ薬により自らの妻を卑しいロバ頭に惚れさせ、男に女を裏切らせ、女に屈辱と困惑を叩きつけた妖精王オベロン。
 人の感情を自由に操り、屈辱と恥辱を与える王オベロン。
 あぁオベロンなのかもしれないな、そうアマンダ・テールノーズは思った。
 「混乱の国を作りなさい」こう囁き続けた声は、自分のオベロンなのかもしれないと思った。
 目が覚め、『ラビット』として聞いた声は自分の声で、自分自身が作り出した声で、その声に依存し、自己暗示をし、自己の欲望を満たすためにこの混乱の国、アメリカ合衆国を作ったのかも知れないな、そうアマンダ・テールノーズは思った。
 聞こえていた声は、自分自身の声。
 天啓ではなく自己の欲望。
 だから次に受けた天啓は、キャスパーという天啓は、キャスパーは…………彼もオベロンなのだろうか?
 アマンダ・テールノーズはモンキーレンチを取り落す。膝をつき、両手で顔を覆う。考えたくはない、ただ考えてしまった、天啓は、キャスパーは、私の愛しい人は、いや違う! そんなはずはない! あんなに愛し合ったではないか! だが拭い去れない、感じてしまったし理解してしまった、分かってしまった、彼は、キャスパーは、私が作り上げたイマジネーション・コンパニオンである可能性があることを。
 ファウストはアマンダ・テールノーズの肩に手を置き優しく問いかける。
「アマンダ、あなたは本当にキャスパーという名の人物をこの家で監禁していたのですか?」
「していたはず、ベッドだって、あんなに愛し合った記憶だって、」
「記憶は曖昧なものですよ、忘れることも、作り変えることもいくらでもできるものなのです。現にそうでしょう? あなたはアマンダ・テールノーズの記憶を持ち合わせてはいないでしょう? 記憶は曖昧にして嘘つきですよ」
「血が! ベッドには血がついていた!」
「本当にキャスパーの血液ですか? あなたのかもしれないし、たとえば家畜やほかの人間の血液かもしれません、あなたが記憶を作り変えるために無意識に自傷し残した血液なのかもしれませんよ?」
「記憶があるの! 彼の記憶が! 彼がくれた言葉が!」
「記憶は曖昧、嘘つきですよ?」
「言葉は!? 彼は私の心にぴたりとはまる素敵な生きる指針をくれたわ!」
「他人があなたの心にぴたりとはまる言葉を紡げるでしょうか? その言葉こそあなたが、アマンダ・テールノーズが生みだした言葉なのではないでしょうか? あなたが生みだした言葉をイマジネーション・コンパニオンであるキャスパー君に言わせることで得心を得る。少し飛躍があるかもしれませんが、納得できる理論ですよね?」
「いたわ! キャスパー様は確実にいた!」
「だから証拠がないのですよ」
「そうだわ! 空を見に行ったあの日キャスパー様を担いだ私をシークレット・サービスの人間が見ている! ほらその人に聞けば分かるわ! キャスパー様はいた! 彼はいたのよ!」
「空を見に行った?」
「そうよ二週間前! 私が天啓を受けた日の出来事よ!」
「何を言っているんですかアマンダ? あなたはここに越してきてから一度もそのドアから出たことがないですよ?」
「嘘よ!」
「いえいえ、本当ですよ? あなたはこの家から出たことがない。空など見に行ってはいない。どこでキャスパー君と接触したのですか? 教えてください、もしキャスパー君がこの世にいるのならね」
「嘘よ!」
「嘘はつきませんよ、嘘をつく価値がありません」
「嘘よ!」
「嘘ではありませんよ、確かめに行きましょう、地下へ、シェルターの中へ」
 ファウストはアマンダ・テールノーズの腕を引き階段を下りる。シェルターのドアを開き照明のスウィッチを入れる。

 アマンダ・テールノーズは泣き崩れ床にひれ伏す。

 目の前にあったのはキングサイズのベッドではなく、拷問道具でも、手錠でもなく足枷でもなかった。一脚の椅子に染みついたアマンダの愛液、背もたれにはべロアのマントが掛けられ、座面には王冠が、布に綿をつめて作られたアマンダ手製の王冠が置かれていた。
「これがキャスパー君の正体ですよ」
 ファウストは冷たく言い放った。

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