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第2話『COLORS』

 ある日の放課後のことだ。

 入谷弦人は、五階にある軽音楽部の元部室の扉を開けた。
「あり? 入谷が来た」
 素っ頓狂な声を出したのは、部屋に一人でいたセミロングの女子生徒だ。
勝ち気そうな瞳と、口元から覗いた可愛らしい八重歯が特徴的な彼女の名前は九条京子、弦人が所属しているアニソンバンドのドラム担当である。
「珍しいわね、アンタが用もないのにここへ来るなんて」
「そうか? わりと来ているほうだと思うが。もともとここに入り浸っていたのは俺だし」
「ははは、それもそうね。にしてもいま考えてみれば贅沢な話よね、この部屋を一人で占有するなんて」
「大人しく明け渡してやっただろ、文句を言われる筋合いはない」
「なんでアンタはいつも無駄に偉そうなの……。あ、ちょっと待って」
 京子は鳴りだした自分の携帯電話を取り出し、着信に応じる。
「ハイハーイ、沙希? うん、いま部室。どしたの? え? あー、貸してた数学の教科書ね。いいよー、明日でも。……課題がわからないから教えてくれ? アンタねー……。わかった、いまそっちに行くから。うん、うん。それじゃ」
 電話を切ると、京子は鞄を持って立ち上がる。
「つーわけだから、ちょっと出てくるわね」
「そうか。お前も大変だな……」
「まー、このポジション、アタシはけっこー気に入ってるからね。んじゃ、また」
 京子は不敵に笑って見せてから、扉を閉めて出て行った。
相変わらずせわしない奴だ、と思いながら、弦人は部屋を見渡す。
 当然のことながら部屋には弦人以外に誰もいない。
 にぎやかなメンバーのせいでいつも騒がしいこの部屋も、いまは嘘みたいに静寂に包まれていた。
 まだこの部屋をアニソンバンドが使う前、弦人はよくこの部屋で一人、いろんなジャンルの音楽を聴いていた。アニソンバンドに入ってからはめっきり聴く機会もなくなってしまったが、いまのうちに一人で音楽を聴くのも悪くないかもしれない。
 そう思って早速、弦人は自分の鞄を開ける。いつも持ち歩いているウォークマンを取り出そうとして、ふと自分の物ではないMP3プレイヤーが入っていることに気づく。
「あー、そういえばこれがあったな……」
 とあるアニソンバカの手によって厳選されたアニソン100曲入のMP3プレイヤー。わざわざアニソン初心者である弦人のために編集してきたらしく、相手に押されて結局、借りていたのだった。
 そういえば渡されて以来、弦人は中身をきちんと聴いていなかった。
 弦人は件のMP3プレイヤーを手にして考える。
 とりあえずこれでも暇つぶしくらいにはなるはずだ。
 それにあの留学生の思惑にはまるのも癪だが……これも勉強だと思えばいろいろ割り切れるはずだ。たぶん。
 そう自分に言い聞かせながら、弦人は部屋のなかからスピーカーを取り出し、プレイヤーに接続、ランダム設定で再生を開始した。なかの機構が駆動したのち、スピーカーから音楽の再生が始まる。
 せりあがるようなドラムのリズムとともに、鳴り響くドラマチックな旋律。壮大なイントロに、弦人の心は自然と惹きつけられる。
 そのイントロが終わった瞬間、男性歌手二人の力強いボイスが炸裂する。調和したツインボーカルがいやがおうにも聴く者の心を盛り立てた。
 悪くない。
 タイトルもなんというアニメの曲かもわからないが、アニソンにいまだ抵抗感がある弦人でもこの曲なら無理なく聴くことができた。
「……っていうか、これ」
 弦人は首を傾げた。
「ひょっとして歌ってるのって……FLOWか?」
「そのとーりです、ゲント!!」
 一人だけの空間が、唐突に打ち破られた。
 扉をがらりと開け、黄金色の髪をなびかせながら入ってきたのは、ドイツからの留学生――エヴァ・ワグナー。アニソンバンドを結成するためにはるばる日本からやってきたアニソンバカにして、弦人をアニソンバンドに引き込ずりこんだ元凶。
 その元凶は弦人を見つめながら熱っぽい口調で語りだす。
「【コードギアス 反逆のルルーシュ】の初代OP曲である『COLORS』です! やっぱりFLOWの歌はアニソンに合いますねー。この心をかきたてる高揚感……いいですね、いいですね!」
 そう言ってエヴァは鞄を机に放り、弦人そっちのけで、メロディに合わせて鼻歌を口ずさみ始める。
 なにも答えることができない弦人は、とりあえずエヴァと一緒に黙って曲に耳を傾ける。
 曲の入りこそ劇的だったが、いまスピーカーから流れるメロディは叙情的な色を帯びていた。なにかに悩み葛藤を続ける男の姿。無力でありながらも、諦めきれずにあがいている人間の姿が綴られていく。口ずさむエヴァの表情も切ない。
 だが楽曲の空気が緩んだ瞬間、彼女の顔がぱっと明るくなる。
 静かな曲の進行とともに示される、一筋の救いの手。
 そしてサビへと突入。するとエヴァはドラムに合わせて楽しそうに拳を振る。
 他者との出会いをきっかけに、葛藤していた誰かはやがて立ち上がる。
 なにかが変わることを信じて、歩きだす。
 繰り返し歌われる冒頭の歌詞がここにきて、その意味を浮かび上がらせる。
 切なげな色を宿しながら、曲全体は爽やかで明るい。弦人はエヴァの横顔を盗み見る。いかにもエヴァ好みの歌な気がした。
 エヴァは満足そうにふーっと息を吐き、こちらに向き直る。
「ゲント、どうですか? この曲はゲント好みだと思うのですが」
「いや、お前好みだろ」
「そうですか? でもFLOWは知ってましたよね?」
「『贈る言葉』のカバーを歌ってたバンドだろ? J-POPはそんなに聴かないけど、それくらいだったら……にしても、FLOWってアニソンも歌ってたんだな」
「なにを言いますか、ゲント! むしろFLOWほどアニメとタイアップしているバンドもないですよ!」
「そうなのか?」
「ヤー (はい)! コードギアスだけでなく、【交響詩篇エウレカセブン】、【NARUTO‐ナルト‐】、【HEROMAN】、【ペルソナ~トリニティ・ソウ ル~】などなど数多くのアニメに彼らの楽曲が使われ、見る人に強い印象を残しています。アニメタイアップの曲ばかりを集めたベストアルバムを出しているほ どですし、海外でも彼らの知名度は高いんですよ!」
「でもアニソンバンドってわけじゃないだろ?」
「そうですね。ロックバンド、それも近 いのはパンク・ロックですかね。でもどの曲もアニメとの相性はピッタリです! 特に『COLORS』の疾走感とエネルギー、それでいて爽やかさを失わない メロディが本当に最高です! この曲はアニメ自体も大変人気でしたから! スリリングなストーリー展開、美麗かつ魅力的なキャラクターたち。学園、サスペ ンス、異能、ロボットなどあらゆる要素を惜しげもなく積み込んだ豪華絢爛なピカレスクロマン!」
「またアニメの話か」
「ゲント」
 するとなぜかエヴァは真剣な眼差しをこちらに向けて言った。
「アニメをバカにしていいのはバカにされる覚悟のある者だけです!」
 弦人は白けた表情でドヤ顔のエヴァを見つめる。
 元ネタはわからない。が、たぶんそのアニメに関するものだろう。
「……そんなに好きなら、ライブで歌えばいいじゃないか。うちのバンドでもコピーできるだろ」
「そうですね。歌っていても非常に気持ちの良い曲ですし! でも、どうせなら二人で歌ってみたいんですよね」
 エヴァは表情を曇らせながらため息をついた。
「FLOWは男性二人のツインボーカルですから。ライブでやるなら、二人のボーカルによって生み出される疾走感を出したいんですよね。そうですね、あと一人、歌ってくれる人がいたらきっとバンド映えすると思うのですが……」
 ちらりとエヴァは弦人を一瞥する。
「俺は歌わないからな」
「まだなにも言ってないですよ!?」
「わかりやすいんだよ、お前は」
 弦人は頭を振った。
「ほかの奴に頼め。小松だったらノッてくるんじゃないか?」
「タカヒロですか? それも楽しそうですね! あ、でも」
「でも?」
「この曲を歌うのだったら、タカヒロよりも、案外……」
「ただいまー、あ、エヴァも来てたの?」
 エヴァの言葉に割り込むタイミングで、京子が帰ってきた。
「おお、グーテン・ターク(こんにちは)、キョーコ!」
「ぐーてんたーく! 二人揃ってなに聴いてんのー? 」
 悪戯っぽく笑いながら近づく京子だが、スピーカーから流れる曲を耳にしてピクリと肩を震わせた。
 エヴァは京子を見て、嬉しそうに顔をほころばせる。
「キョーコ! ちょうど良かったです! 今度、この曲をライブでやろうと思うのですが、一緒にツインボーカルしませんか!?」
「アタシが? いやいやいや、ムリに決まってんでしょ。ドラムやりながら歌うのなんて」
 京子は笑って否定する。キーホルダーがじゃらじゃら付いた鞄を机の上に置き、適当に空いていた椅子に座った。
「大丈夫です! リンゴ・スターだってドラムやりながらリード・ボーカルしてましたし!」
「いや、ビートルズに喩えられても……。そもそも、そんなに歌だってうまくないよー。アタシとやってもエヴァの歌を邪魔しちゃうだけだって」
「そんなことないです! ほら、こないだ一緒にカラオケ行ったときも、FLOWの『GO!!!』歌ってたじゃないですか! すごく上手だったですよ!」
「……あ、うん。そうね。まー、好きだからね、FLOW」
 なぜか京子の声に動揺が滲んでいる。そのまま鞄からペットボトルを取り出し、口に含んだ。黙って彼女の様子を見つめていた弦人は、ふとあることを思いつく。
「九条」
「ふ? あぁり?(なぁに?)」
「アニメをバカにしていいのはバカにされる覚悟のある者だけだ」
 ぶっと京子はウーロン茶を噴き出した。
「ア、アンタ、突然なに言いだすのよ!」
「すまん。ちょっとした実験だ」
「は、はぁ? じ、実験とか、意味わかんないし! 第一、それを言うなら『撃っていいのは撃たれる覚悟のあるやつだけだ』、でしょうが!」
「なるほど、元ネタはそういうのか」
「あっ」
「そういえばキョーコ、前にルルーシュが好きって言ってませんでしたっけ?」
「そ、それは……」
 京子はばつの悪そうな顔で視線をさまよわせてから、諦めたように項垂れた。
「…………お願いだから美代や沙希たちには内緒にしてて」
「わかってます! だからキョーコ!」
 エヴァは京子の肩をがっしりと掴んだ。
「一緒にFLOW歌いましょう! キョーコとだったら、絶対に楽しく歌えます!」
「またこのパターンか……。だからエヴァ、アタシは……」
「ほらほら! もう一回、再生しますから!」
「ちょ、ちょっと、エヴァ!」
 京子の制止を聞かず、エヴァは曲をもう一度再生する。初めから繰り返される歌に、エヴァはうきうきとリズムを取った。
 子もなにかを諦めたように立ち上がる。弦人は京子に同情しつつ助け舟は出そうとしない。あの勢いに巻き込まれることだけは避けたかった。
「ほら、キョーコ! やりますよ!」
「う、うん……」
 エヴァの勢いに押されて、京子はとぼとぼと歌い始める。
 どうやら歌詞カードを見ずとも歌えるくらいには聴きこんでいるらしい。あえて弦人はそれ以上、追及しないことにした。
 エヴァが自分のパートを歌い終えると、間髪入れず京子があとを継ぎ、ハーモニーを形作っていく。初めは渋っていた京子の顔が生き生きと輝き始める。まるで水を得た魚のようだ。歌いながらエヴァと顔を見合わせ、お互いに笑い合った。
 息の合ったコンビネーションだ、と弦人は素直に感心する。このパフォーマンスなら、バンドでやってみるのも面白いかもしれない。
 と、いきなりエヴァは颯爽とポーズを取り始めた。やたら大仰に左腕を振りかざし、右目を手で塞ぐ。自分のパートを歌い終わった途端、左目で弦人を睨みながら叫んだ。
「エヴァ・ワグナーが命じる。ゲントよ……わたしの歌を聴きなさい!!」
「…………」
 前言撤回。やっぱりこの曲はライブでやらないほうがいい。
 一方、京子はというと――
「あ、それ楽しそう!」
 と言って、エヴァのポーズを真似る。
最初は嫌がっていたのが嘘のようにノリノリなテンションで言った。
「キョーコ・リ・ブリタニアが命じる!」
「名前が変わってるけど」
 弦人のツッコミも、京子の耳には入らない。エヴァとおなじようなポーズをとったまま高らかに宣言した。
「世界よ! 我に従えーっ!」
「うぃーっす。なんだ、みんなもう揃って……」 
 絶妙なタイミングで扉を開けたのは、ベース担当の小松孝弘だ。ちょうど叫んだ直後の京子とばっちり目が合った孝弘はキョトンとした顔で京子を見つめていた。ポーズを決めていた京子は口を開けて、わなわなと肩を震わせる。その顔が一気に紅潮し始めた。
「……え、えーと……ち、違うの小松……これは……」
「……大丈夫、キョーちゃん。わかってるから」
 孝弘はなぜか慈愛に満ちた笑顔を浮かべながら親指を突き立てた。
「いまの王様ゲームだよね! じゃなきゃ、そんな恥ずかしいポーズや台詞、言ったりするはずないもの! ほら、だから安心してぼくの胸に飛び込んで――」
 次の瞬間、孝弘の眉間にドラムスティックが飛んできた。
 悶絶する孝弘を余所に、京子はゼーゼーと息を切らす。
「ぜ……ぜ……ぜ……」
 京子の目に涙が溜まってゆく。そして堰を切ったように大声で叫んだ。

「全力で見逃してええええぇぇぇぇぇぇぇ!!!」

 そのまま京子は部屋を飛び出していった。
 あとに残されたエヴァたちは何も言えずに押し黙る。やがて『COLORS』の再生が終わり、スピーカーが沈黙した。
 しばらくしてエヴァはしみじみといった風情で呟いた。
「撃たれる覚悟を決めるのも、ほんとうに大変ですね……」
 その言葉に、弦人はただ黙って頷くことしかできなかった。 

■楽曲データ
『COLORS』 歌:FLOW
作詞:KOHSHI ASAKAWA、KEIGO HAYASHI 作曲:TAKESHI ASAKAWA 編曲:FLOW、KOICHI TSUTAYA
【コードギアス 反逆のルルーシュ】OP
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