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第3話『irony』

 ある日の昼休みのことだ。

 入谷弦人は、五階にある軽音楽部の元部室の扉を開けた。
「あ……入谷先パイ……こんにちは……」
 カチューシャをつけたショートヘアの女子生徒がぺこりと頭を下げる。たれた目と小柄な身体は、どこか子犬を連想させる。制服のリボンタイは一年生を示す緑色。さっきまで耳に着けていたのか、首にはヘッドフォンがかけられている。
 宮坂琴音、弦人が所属するアニソンバンドのキーボード担当である。なにかの作業中だったのか、机の上でノートパソコンを開いていた。
「宮坂、一人だけか?」
「た、たぶん……。琴音が、鍵で入ってきたので……」
「そうか」
 弦人はそれだけ言って机の上に鞄を置く。琴音も気遣わしげに弦人を見るが、やがてパソコンに向き直り、キーボードを叩き始めた。弦人も特に話しかけたりはせず、椅子に座る。
 静かな時間が部屋にゆっくり流れていく。
 お互いにそれぞれのテリトリーには踏み込まない。ほかの騒がしいメンバーとは違い、琴音はあまり積極的に向かってくるような人間ではない。なので、弦人にとっては心地よい距離感を保てる相手でもあった。
 こういう時間もたまにはいい。
 騒がしい奴もおらず、アニソンから離れてこうしてゆっくり過ごすのも……
「グーテン・ターク(こんにちは)! おお、コトネとゲントですか! 珍しい組み合わせですね!」
 ギリッと弦人は奥歯を噛みしめる。静かな時間がいま終りを告げた。
 部屋に入ってきたのはドイツからの留学生にしてこのアニソンバンドを結成した張本人、エヴァ・ワグナー。黄金色の髪に瑠璃色の瞳と、どこからどう見ても西欧人の少女だが、彼女の喋る淀みのない日本語はまるでネイティブスピーカーのようだった。
「あ、エヴァ先パイ……こんにちは……」
「それ、コトネのPCですか? あ、もしかして新曲の作業中とか!?」
「えっと……そ、そんなところです……」
「おお、楽しみですね。“しろうさぎP”の新曲、投稿されたら絶対に見ます!」
「や、え、エヴァ先パイ……! 嬉しいけど……面と言われるのは恥ずかしい、です……」
 いつもどおりのハイテンションさでエヴァは琴音に絡んでいく。その様子を見て、弦人はため息をついた。
「相変わらず騒がしい奴だな、お前は……」
「騒がしい? そうですか?」
「元気が有り余ってるんじゃないか? すこしは分けて欲しいくらいだ」
「ふふふ、褒めてもらい光栄です! 毎日、アニソンから元気をもらってますから! いいですよー、朝からアニソン聴きながら走るのも。『空色デイズ』とか、『SKILL』とか!」
「お前はいつになったら皮肉って日本語を覚えるんだ?」
「ironie(皮肉)のことですか? いやですよー、ゲント。それくらい知ってるに決まってるじゃないですか!」
「…………ああ、そうだったな」
「あ、あの……」琴音が不思議そうに口を挟んだ。「ドイツ語だと発音ってイロニーなんですか……? 英語だとアイロニーって言ってた気が……」
「ああ、ironyですね! そうですね、綴りは似ているんですけど、英語とではアクセントも違いますね……。うん、でも、そうですね。アイロニー……irony……」
 弦人のなかに嫌な予感が走る。
 エヴァの頭のなかで繰り広げられている連想がどこへ行き着くのか、手に取るようにわかった。やがてエヴァはくるりと振り返る。
「ゲント、こないだ渡したプレイヤーを出してください! 聴きたい曲があります!」
「今日は持ってきてないが」
「えーっ」
「……なぜ毎回毎回持ってきているのが当たり前だと思ってるんだ?」
「むー、ぜひともゲントに聴かせたいアニソンがありましたのに」
「余計なお世話だ」
「エヴァ先パイ……『irony』なら、このパソコンに入ってます……」 
「ホントですか!」
 琴音の助け舟に、エヴァは手を叩いて喜ぶ。
「wunderbar(素晴らしい)! スピーカーはありますか!?」
「えっと、小さいのだったら……」
「問題ありません、コトネ! もう、ゲントにもコトネの姿勢を見習って欲しいですね!」
「……………………」
 イラっとした気持ちを、弦人は飲み込む。
 その後ろで、琴音はごそごそとパソコンにスピーカーをセットしていた。心なしか、琴音はすこし楽しそうだった。
 やがてスピーカーから、まっ白な歌声が響く。
 折り重なった少女二人の呼びかけるようなボイス。四つ打ちのリズムとポップなメロディに沿って紡がれる、少女の揺れ動く気持ち。
 自分が想っている相手とどうやって接したらいいのかわからない。どんなに一緒の時を過ごしても、相手の気持ちが見えなくて焦る。自分のこの気持ちをどうやって伝えればいいのかわからない、そんな不器用なラブストーリー。
 ClariSの『irony』。エヴァから借りたMP3プレイヤーのおかげで弦人もすっかり曲とアーティストの名前を覚えてしまった。
「やっぱりClariSの曲は歌声も歌詞も最高にカワイイです! 聴いていると胸がときめいてきます! JCは最高です! ゲントもそう思いますよね!?」
「JC? 青年会議所(Junior Chamber)のことか?」
「……入谷先パイ。女子中学生です……ジョシ・チューガクセー……」
「中学生……え、これを歌ってるのって中学生なのか?」
「ヤー(はい)。この曲でデビューした当時、現役中学生二人組がアニソンを歌うということでずいぶんと話題になりましたから」
 エヴァはいつものように熱っぽく語りだす。
「ClariSはクララとアリスという女の子二人組のユニットです。アニメのタイアップを数多く歌っている彼女たちですが、そんな彼女たちのイメージを強烈に印象づけたのが、このデビュー曲『irony』なんです。二人のハーモニーによって綴られる等身大の恋愛模様。大好きな人との距離感と素直になれない自分の気持ち、近づきたいけどどうすればいいかわからない、そんな甘酸っぱさに満ちたこの歌詞の胸キュン度の高さといったら!
 もちろん単体で聴いても十分魅力的な曲ですが、『irony』を語る上でなんといっても欠かせないのが、この曲がOPを務めたアニメ【俺の妹がこんなに可愛いわけがない】です! このアニメに出てくるヒロイン、キリノの心情と歌詞が絶妙にリンクしてまして、本編ではほとんど描かれないキリノの本心を歌った曲とも解釈できるようになってるんです。ふだんは兄貴に対して生意気に振る舞っているキリノが本当はこんな気持ちを隠していたんじゃないかって想像するだけで、それはもう! それはもう! ニヤニヤが止まらなくなってたまりませんっ!! ゲントもそう思いませんか!?」
「だから、いちいち同意を求めるな。アニメだって見てないし」
 答えながら、弦人はすっと目を細める。
「中学生でデビューっていっても、ようするにアイドルユニットだろ? アイドルソングには興味がないからなんともだし……」
「ClariSは……ただのアイドルじゃないです……」
 弦人とエヴァは揃って声がしたほうを振り向いた。
 パソコンに向かっていたはずの琴音がいまは身を乗り出しており、ぎらぎらとした眼光を放っていた。
「もともとこの二人は……動画投稿サイトにボカロやアニソンをカバーした動画をアップしてまして……それが音楽評論雑誌の目に止まってデビューしたんです……。言ってみれば、琴音たちとおなじファンの立場から……彼女たちは出てきたんです……。琴音、デビューする前から動画を見ていて……CDも全部期間限定盤で集めてます……。今度CD貸します、入谷先パイ。ジャケットのイラストも豪華な絵師さんばかりですごく可愛いですから……」
「み、宮坂?」
「それに、『irony』の作曲・作詞を担当しているのは、あのlivetuneのkzさん……! もともとボカロ曲のカバーを歌っていた中学生の女の子二人と……初音ミクブームの一翼を担ったボカロPとのコラボ……! こんな神コラボはめったにないです……! なんだったら琴音が代わりたいくらいです……!」
 弦人は唖然となって琴音を見つめていた。
 琴音がこんなに喋っているところを弦人は初めて目の当たりにした。
 まるでスイッチが入ったときのエヴァのようだ。
「それに【俺妹】関連なら、『nexus』もお勧め……! すごくメロディがキラキラしてるし……桐乃だけじゃなく、黒猫の気持ちにもリンクしてて……」
「わたしも『nexus』好きです! あれはクラブとかで聴いてみたいですね! すごく盛り上がれそうです!」
「じ、じつは、琴音、一度だけkzさんのイベントに参加したことが……」
「本当ですか! わー、羨ましいです!」
 いつのまにか二人で盛り上がり始め、弦人はすっかり蚊帳の外に置かれる。ついさっきまで琴音に対してほのかに抱いていた仲間意識があっというまに崩れ去った。
 普段はおとなしい琴音もやはり立派なアニソンバカの一人なのだ。
 弦人は椅子に寄りかかりながら、ぼーっと壁を見つめる。自然とClariSの歌声が耳に沁みこんでくる。
 ironyは日本語では皮肉と訳されるが、もとの語源では「虚偽、装った無知」、つまり外見と実体のかい離を意味している。そう考えると、素直になれない気持ちを歌ったこの曲にはピッタリのタイトルなのかもしれない。
 考えてみれば、自分もこのアニソンバンドに入るまではひどく時間がかかった。
 人間はそう簡単に、自分の気持ちに素直になれない。自分の気持ちの在処すらなかなか見つけられない。そして自分の在り方に気づいた時、ようやく一歩目を踏み出せるのだ。
「自分の気持ちに素直に、か」
 なにげなく呟いた言葉が、しんと部屋に響き渡った。弦人が気づいたときにはすでに手遅れで、エヴァが弦人を向いてうんうんと頷いている。
「そうですよ、ゲント! いつまでも皮肉ばかり言ってないで、ちゃんと素直にならないとダメです!」
「俺はいつでも自分に正直なつもりだが」
「このバンドに入るのに……あんなに面倒な遠回りしてた人とは思えない台詞ですね……」
「前のことを蒸し返すのは反則だろ」
 弦人は顔をしかめながら二人を睨む。だが迫力に欠けるのか、エヴァと琴音はおかしそうにくすりと笑うだけだった。
「ほんとうにゲントが参加してくれるまでは手こずりましたからね。最初に会ったときのゲントに、いまのゲントの姿を見せてあげたいくらいです!」
「そんなに変わってるつもりはない。ただ……」
「ただ?」
「ちょっと前の俺がいまの俺の姿を見たら、きっとこう呟くような気がする」
『irony』の再生が終わる。弦人はぶっきらぼうに淡々と言った。

「――俺のバンド仲間がこんなにアニソンバカなわけがない、ってな」

■楽曲データ
『irony』 歌:ClariS
作詞・作曲・編曲:kz 【俺の妹がこんなに可愛いわけがない】OP
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