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第5話『ムーンライト伝説』

 ある日の昼休みのことだ。

入谷弦人はいつものように五階にある元軽音楽部の部屋の扉を開け――ようとして、ドアノブを握る手を止めた。
部屋のなかからのんきな鼻歌が聴こえてくる。
不審に思った弦人はしゃがみこみ、扉の隙間からなかを覗き込んだ。
すると部屋のなかで一人の少女が、机に置いた鏡に向かって懸命に髪を結わえていた。
実った麦の穂のように豊かな黄金色の髪を束ねて、頭のてっぺんに奇妙な団子を二つこしらえようとしている。
しかしなかなか納得いく形にならないのか、何度も首を傾げて髪を解いて結い直す。
相手の仕草に合わせて、弦人もおなじように首を傾げた。
――なにやってんだ、エヴァの奴。
ドイツから来た留学生、エヴァ・ワグナーの珍奇な行動に弦人は戸惑いを隠せない。
なんとなく部屋に入りづらい空気を感じ取り、弦人はそのまま事の成り行きを見守ることにする。
エヴァは鼻歌を口ずさみながら――ほぼ間違いなくアニソンだろう――、ふたたび丁寧に髪を束ねていく。金色の髪が絹の糸のように細い指先に絡み合い、机の上にまで垂れかかる。白いうなじが襟元から無防備に覗いており、慌てて弦人は視線を逸した。
 弦人はしばらく熟考したのち、意を決して扉を開ける。その瞬間、エヴァはびっくりしたように椅子から飛び上がり、弦人のほうを振り向いた。
「おおっ、ゲントでしたか! びっくりさせないでください……」
「ここはお前の部屋じゃない。俺がいつ来ようと俺の勝手だ」
そこで弦人はエヴァの頭にできた作りかけの団子に目を向けた。
「なにやってんだ? イメチェンでもするつもりか?」
「いめ、ちぇん? ジャッキー・チェンの親戚ですか?」
「どんな発想の飛躍だよ……」弦人は呆れながら、「イメージチェンジ。服装とか髪型を変えるってこと」
「おお、なるほど! 日本人お得意の四文字省略ですね!」
 変なところで感心しながら、エヴァは恥ずかしそうに頭を抑えた。
「イメチェンといいますか……ちょっとチャレンジしてみたかったのですが……なかなか思うように纏めることができなくて……」
「両サイドにお団子でまとめたいのか?」
「ナイン(いえ)、ただのお団子じゃないです。ツキノ・ウサギのようにお団子にまとめてから残りをツインテールにして垂らしたいのです」
「つきのうさぎ?」
「制服もセーラー服だったらカンペキだったんですけどね。日本の高校って、最近ではセーラー服が少なくなってるんですね、知らなかったです……」
「セーラー服?」
「……まさかと思いますが、ゲント」
 エヴァが驚愕の眼差しで弦人を見つめる。
「【美少女戦士セーラームーン】を知らないのですか?」
「セーラー、ムーン」
 ぎこちなく繰り返してから、弦人の頭で閃く。
「聞いたことあるな。なんだっけ、たしか、月に、月に代わって……」
「おお、ゲント! それです! あと一息!」
「…………おしりペンペン?」
「惜しい! というか、ゲント。いまどき、おしりペンペンはセンス古すぎです!」
「なんでドイツ人に日本語のセンスをダメだしされなければいけないんだ?」
「日本語だけじゃないですよ! 【セーラームーン】を知らないなんて。まったく日本の教育はどうなってるのですか!」
「少なくとも、【セーラームーン】は基礎教養ではない。っていうか、そんなに有名なのか?」
「有名なんてものではありません。全世界のアニメオタクのあいだで【セーラームーン】を知らない者はいないと言っても良いくらいです! アニソンのカラオケでは、『ムーンライト伝説』を歌うのがお約束ですよ!」
「………………」
 なぜか、弦人は非常に嫌な予感を覚えた。
「そうですね、良い機会です。【セーラームーン】を知らないゲントのためにここは……」
「例の音楽プレイヤーなら教室だぞ」
「心配ご無用! ちゃんと持ってきていますから!」
 エヴァは得意満面の顔で自分のMP3プレイヤーを取りだした。ずっと持ち歩いているのか弦人が借りているモノよりもあちこち表面が擦れている。
「ちょっと待ってくださいね、いま準備しちゃいますから!」
「……エヴァ。そっちは何曲入ってるんだ?」
「え? そうですね、ざっと一万曲くらいでしょうか」
「全部アニソン?」
「それ以外になにを入れるんですか?」
「だよな……」
 早速、エヴァは自分のMP3プレイヤーにスピーカーを取り付ける。弦人に向けた背中には結びかけの髪が揺れていた。
 やがてスピーカーからせり上がるようなドライブ感のあるイントロが流れる。一度聴いたら忘れられない旋律の後、憂鬱さを秘めたシンセのメロディが続く。ゆったりとした女性たちの透明感あるボーカルも抑えた感情を予感させた。
 弦人もなにかの折りに耳にしたことはあるが、改めて曲を聴き、眉をひそめた。
「この曲、【セーラームーン】の曲だよな?」
「ヤー(はい)。正真正銘、【セーラームーン】を代表する名曲、『ムーンライト伝説』です」
 エヴァは熱を帯びた口調で断言した。
「【セーラームーン】はいわゆる戦闘美少女もののアニメの先駆け的な存在でして、いまでも絶大な人気を誇っています。コスプレでも定番のジャンルの一つですね。コスプレイヤーの友人がいて、セーラーマーキュリーの格好をしているのですが、もうそれが最高にカワイイんです! あ、画像ありますけど見ますか?」
「『ムーンライト伝説』の話じゃないのか?」
「おお、そうでした。とにかく、そんな超人気アニメである【美少女戦士セーラームーン】は一期シリーズから、【R】、【S】、【SuperS】、【セーラースターズ】と実に五つのシリーズがありますが、このうち一期から【SuperS】、さらに【セーラースターズ】の最終話EDにも使われたのが、この『ムーンライト伝説』なのです。まさに【セーラームーン】という作品、いいえ、90年代を代表するアニソンなのです!」
「シリーズを代表する曲って割には……なんか暗い曲だよな……。この歌詞、子供が聴いてもわからないだろ……、もしかしてセーラームーンも【エヴァ】みたいなアニメなのか?」
「ナイン、ちゃんと女の子向けのアニメですよ。あ、でも大きなお友達もたくさんいるそうですが」
「大きなお友達? 背が高い女の子に人気があるのか?」
「ゲントもなかなかユニークな発想をしますよね……」
 エヴァは気を取り直すように咳払いする。
「これはわたしも聞いた話なのですが、もともと『ムーンライト伝説』って別の曲のカバーなのだそうです」
「え、そうなのか?」
 驚く弦人に、エヴァはこくりと頷いた。
「当時のアイドルデュオが歌っていた曲のメロディを流用しているそうでして。もとがかなりエキゾチックな雰囲気なので、それに合わせて作詞をしたのかもしれませんね。たしかに子供の頃には聴いてもよくわかりませんでしたが、こうやっていまになって改めて聴き返してみると、本当に素敵な歌詞だって思うのです」
 いつも明るいエヴァの横顔が、不意に儚げに見え、弦人の身体に緊張が走った。
「【セーラームーン】のツキノ・ウサギは前世で悲劇に終わった恋人と現代で巡り合い、ふたたび恋に落ちます。この歌はそんな運命に翻弄された二人の恋を、とてもロマンチックな歌詞で彩っているのです。たとえ生まれ変わってもおなじ人を想い続ける。どんなに時が経っても、この恋の純度は変わることがない……。特に一番の歌詞のAメロ部分は最高です。ここだけ、等身大の女の子の姿が垣間見えて……。想像するだけで、胸の奥が切なくなるくらいです!」
 そうやって語るエヴァは急に一人で照れ始め、もじもじとし始める。まるで恋に憧れる乙女のようだった。
 そんなエヴァの姿を見て、弦人はぽつりと呟いた。
「お前は、そういうの、経験あるのか?」
「うん? 『そういうの』とは?」
「いや、だから……」弦人は口を濁しながら言った。「恋、とか」
 なんとなく気になった。このアニソンバカがいったいどんな恋路をたどってきたのか。
 いったい、どんな人間に彼女は惹かれるのか。
 エヴァの瑠璃色の瞳が弦人を映しだす。しかしエヴァは弦人ではなく、もっと遠くを見るような眼差しになっていた。
「そうですね……。わたしも、いまだ叶わぬ恋のままですが……」
「へ、へー。そうなのか」
「ヤー。とても遠くにいる人で、わたしにとっての憧れで、だからこそ近づきたい。そんな人がいるのです……」
エヴァはゆっくりと自分の手を顔の前にかざす。遠くにあるものを掴み取ろうとするかのように。
「あの屈強な肉体……魂を揺さぶる歌声……若獅子のような咆哮……誰よりも激しいライブパフォーマンス……。本当に、いつも聴いていると胸の奥がドキドキしてたまらなくなります……」
「うん?」
 話が微妙に噛み合っていない。弦人は恐る恐る尋ねてみる。
「ちなみにそれ、誰のこと?」
「なにを言いますか! アニソン界の若獅子、エンドー・マサアキのことに決まってるじゃないですか!」
 エヴァは力を籠めて咆哮した。
「『勇者王誕生!』、『戦士よ、起ち上がれ!』、『BELIEVE IN NEXUS』。ほかにもカゲヤマ・ヒロノブとコンビを組んだ鋼鉄兄弟の『BRAVE HEART』など衝動たぎる数々の名曲たち! わたし、七歳の頃に聴いてから、大好きになってしまって……。曲を聴くたび、ライブを見るたび、胸のドキドキが止まらなくなる……。ああ、そうです……この感情に名前をつけるなら、それが恋……」
「曲聴いてアドレナリン出しまくってるだけじゃないの?」
「そんな! 人の恋バナを否定しないでください!」
「……いまの恋バナなのか?」
 あと恋バナって単語は知っているんだな、と弦人は心のなかで付け加えた。
「もう! だったら、そういうゲントは恋バナはあるんですか!?」
「俺か?」弦人はそっぽを向いてから、「……べつにない」
「本当ですか? いまの間は怪しいですね……」
「だからないって。……あっても、話すようなことじゃないだろ」
「そう、ですか」
 まだエヴァはごねるかと思ったが、意外にも納得した顔で引き下がった。
「……ゲントの言うとおりですね。本当に大切な想いは、胸の内に秘めておくほうがいいかもしれませんね」
 弦人はなにも言えず、黙って俯いていた。
 ふと弦人はこの歌詞に出てくる二人の恋の行方が気になった。
 前世では悲劇に終わったという二人の恋は、現世ではいったいどうなったのだろうか。ハッピーエンドを迎えたのか。それとも――。
 するとエヴァは結びかけの髪に手をかけて、弦人を見つめる。
「ところでゲント、お願いがあります」
「なんだ?」
「この髪、結ぶの手伝ってくれませんか?」
 あまりに唐突な申し出に、弦人は面食らう。
 エヴァはこともなげに話を続けた。
「一人じゃ上手く結べそうになくて……。お団子頭のツインテールに結って欲しいのですが」
「女子って、あんまり髪の毛を人には触らせないものだと思っていたけど……」
「バンド仲間なら問題ないです! ……あ、それともいまは忙しいですか?」
 エヴァに気遣わしげに問いかけられ、弦人は深々とため息をついた。
「……忙しかったらここにはこない。あんまり期待はするなよ」
 弦人の返事に、エヴァはぱっと顔を明るくした。
「ヤー! ありがとうございます! あ、でも大事に扱ってくださいね」
 じゃないと、とエヴァは悪戯っぽく笑って言った。

「“アニソンの神様”に代わって、おしおきです!」


■楽曲データ
『ムーンライト伝説』 歌:DALI
作詞:小田佳奈子 作曲:小諸鉄矢 編曲:池田大介 【美少女戦士セーラームーン】OP
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