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第6話『太陽曰く燃えよカオス』

ある日の放課後のことだ。
   
 入谷弦人はいつものように五階にある元軽音楽部の部屋の扉を開けた。
瞬間、むわっと埃の舞った空気が弦人の身体を包みこんだ。
「ケホケホッ! ……なんだ?」
 部屋のなかはいつもとすっかり有様が変わっていた。
 机や床の隅にはガラクタが山積みになり、戸棚もあちこち動かされている。そんな混沌とした状況のなか、マスクをつけた三人組が掃除用具を持ってせわしなく動いている。
「あ、琴音。その戸棚のなかもよく拭いておいて。アタシはこっちの裏側見てみるから」
「は、はい……わかりました……」
「よろしくねー。……で、エヴァ。アンタはおんなじ場所をいつまで拭き続けてるの?」 
「……徹底的に掃除しなくては……徹底的に掃除しなくては……徹底的に掃除しなくては……徹底的に掃除しなくては……」
「……ダメだ、こりゃ」
 九条京子はハタキを持って戸棚の上を拭き、宮坂琴音は雑巾でガラスをこすっている。そしてエヴァはなぜか目を血走らせながら床の一点を拭き続けていた。
「おー、入谷。ちょうど良いとこに来た」
 弦人に気づいた京子が声をかける。
「……今日、大掃除の予定なんかあったか?」
「うーん、ちょっとね。精神保安上の理由で」
「なんだそれ? ただの大掃除だろ?」
 わけがわからないでいると、突然エヴァが動きを止めた。
「これはタダの大掃除ではありません! 奴らを……奴らを……駆除するための掃討作戦です!!」
 いつになくエヴァの顔は鬼気迫った表情になっていた。弦人は初めて見るエヴァの様子に困惑しながら尋ねた。
「掃討作戦?」
「ヤー(はい)……そうです。さっき、わたしはいつものように鍵を開けて入ったのですが……」
 エヴァはガタガタと恐怖に震えた顔で話し始めた。
「いつものように部屋でノリノリでアニソンを聴いていたら……カサカサ、カサカサ、と奇妙な物音が聞こえてきまして……。まったく姿は見えませんでしたが、だんだんこちらに近づいてくるのはわかりました……。わたしは気を引き締めて警戒しました。が、甘かったのです……。物音が聞こえなくなって安堵した瞬間、後ろから……後ろから奴が……奴が……! わたしの、わたしの靴のそばまで這い寄ってきて……!」
「それってもしかして……」
 弦人にも話のオチが見えた。
「――ゴキブリのことか?」
「いやあああああああああああああああああああああああああああ!!!」
口にするのもはばかられる生き物の名前を耳にし、エヴァはとんでもない悲鳴をあげてその場にうずくまった。
「え、エヴァ?」
「日本のやつこわい日本のやつこわいドイツのやつより大きい、日本は神様の国じゃなく邪神様の国だったんです……とんでもないコズミックホラーです……。いあいあG……いあいあG……いあいあGぃいいいいいいい!!!!!」
「……こりゃ相当だな」
「でしょ?」
 京子が弦人に同意しながらため息をつく。
「アタシと琴音が来たとき、錯乱状態で大変だったんだから。問題のGはゴキジェットで処理したけど」
「秒殺でした……。もうゴミ箱に捨てましたけど……」
「まー、エヴァも不安がっちゃってね。とりあえず部屋を綺麗にすればアレも出ないだろってアタシが言い聞かせて……」
「それで大掃除ってわけか」
「そういうこと。いま、小松にはG避けグッズを買いに行ってもらってる。まー、ほとんどあの子を安心させるためだけどね」
「なるほど。でもたしかにこの部屋、いろいろ棲んでそうだもんな……一匹いたら三十匹いるっていうし……」
 もともと軽音楽部の部室であり、いろんな人間が好き勝手に使ってきた経緯があるため、音楽とは明らかに無関係な、それこそ名状しがたい用途不明の物が転がっていたりする。机の上にはゴミとも私物ともつかないものが山のように積まれていた。
「本当にいろいろこの部屋、ありますね……。このバールのようなものなんて……なにに使うのでしょうか……?」
「考えても仕方ないだろうな」
 弦人は鞄を置き、大掃除に加わろうとする。だが、そこでエヴァのほうをちらりと一瞥した。よほど精神的ショックが強かったのか、エヴァはまだガタガタと震えている。
「……ありゃ相当トラウマになってるわね。さて、どうやって正気に戻そうか……」
 弦人はため息をついてから、エヴァから借りているMP3プレイヤーを取り出した。
 机の上にスピーカーを設置し、適当にランダム再生する。
「そんなもん、アニソン聴かせれば一発だろ」
 次の瞬間、スピーカーから掛け声のようなフレーズが響き渡った。やたらとノリの良いメロディに、エヴァの耳がピクリと動く。
そしてエヴァは勢いよく床から立ち上がった。
「ほら、元気にな――」

「(」・ω・)」うー!(/・ω・)/にゃー! 
 (」・ω・)」うー!(/・ω・)/にゃー!」

「……………………」

「(」・ω・)」うー!(/・ω・)/にゃー!
 Let's\(・ω・)/にゃー!」

 先ほどとは真逆のベクトルの狂気を感じ、弦人は寒気を覚えた。
「……もしかして変なクスリでも飲んだのか?」
「失礼な! 『太陽曰く燃えよカオス』では定番のお約束ですよ!」
「だからお前のなかのお約束を持ちこまれても……」
「アタシは知ってるけど」
「入谷先パイ……知らないんですか……?」
「え、有名なのか?」
 驚く弦人をよそに、京子と琴音はうんうんと頷き合う。
「いまのフレーズ。ツイッターでもよく見かけてたし」
「ネットで流行りましたから……歌を聴いたことがなくても、このフレーズは目にしたって人も多いです……」
 弦人は唖然としながら、もう一度スピーカーに目を向ける。ディスコを思わせるハイテンションなリズムに乗って、どこか脱力した可愛らしいボーカルが奇妙なアクセントとなって曲を盛りたてる。歌詞の意味はまったくわからないが、聴けば聴くほどカオスの渦に巻き込まれそうになる曲だった。
「『太陽曰く燃えよカオス』、アニメ【這いよれ!ニャル子さん】のOP曲です! 歌っている三人は作中のキャラを担当した声優の方たちですが、やはり日本の声優はみんな歌が上手いですね! これを聴いているだけではしゃぎたくなってしまいます! あれ? ゲント、どうしました? そんなにSAN値が下がったような顔をして」
「……俺にはお前がなにを言っているのかサッパリわからないのだが」
 いつものテンションを取り戻すエヴァと反比例するように、弦人はげんなりした顔になる。
「だから【這いよれ!ニャル子さん】ですよ! クトゥルフ神話に出てくるニャルラトホテプをヒロインにしたアニメです!」
「……ニャルラトホテプって邪神の一つだよな」
「まーまー。なんでもかんでも美少女に変えてしまうのは日本の伝統文化じゃないですか。ドイツ語で言うと、traditionelle Kultur」
「そんな伝統芸能は知らん」
「へー。この曲があのAAの元ネタなのね。あんまり声優ソングは聴かないからよく知らなくてさー」
 言いながら、京子は興味深そうに曲を聴いている。一方、琴音もいつになく上機嫌に鼻歌を口ずさんでいる。
「琴音……ニコ動で毎週見てました……。『(」・ω・)」うー!(/・ω・)/にゃー!』はしっかり単語登録済みです……」
「それ、使いどころあるの?」
「あります……問題なしです、いろいろ応用できます……。ツイッターのリプライに困ったときとか、とりあえずこれで誤魔化せますし……」
「その応用法はどうなの?」
「でも、わかる気はするな……」
 弦人は歌を聴きながら、琴音の言葉に妙に納得してしまう。
「妙な勢いがあるっていうか……なんか歌詞の意味とかどうでもよくなるというか」
「そうですね。でも案外聴いていくといろいろ深い曲なんですよ?」
 とエヴァは言い添える。
「基本的に歌詞のモチーフもクトゥルフ神話ですから、内容がすごくネガティブなんですよね。普通の楽曲の構成ってどんなに暗くてもサビでポジティブに盛り上げることが多いんですけど、この歌のサビなんて、闇を賞賛していたり、カオスを褒めたたえていたり、牧師さんが聴いたら『不謹慎だ!』って怒るような内容でしょうね。で、そんなネガティブさを吹き飛ばすのが『(」・ω・)」うー!(/・ω・)/にゃー!』なんです!」
「反動、みたいなものってことか?」
「そうです! ちなみにこの名フレーズを生みだしたのは、アニソンファンにはなじみ深い作詞家、ハタ・アキ!」
「有名な人なのか?」
「え? それ本気で言ってるんですか? アニソンへの冒涜ですよ?」
「す、すいません……」
 エヴァの冷たい声音に、思わず弦人も敬語になる。だがエヴァはすぐにいつものトーンへと戻った。
「ある意味、『もってけ!セーラーふく』にも通じるものがありますが、このナンセンスさが抜群にですねー、心地いいのですよ! なんですかねー、無秩序な安心感といいますか、秩序を打ち破ってる快感といいますか。デタラメだからこそ安心する? みたいな」
「それはつまり――」
エヴァの言わんとすることが弦人にもわかった。
「アニソンならではのデタラメ感、ってことか?」
「ヤー!」
エヴァは嬉しそうに頷いた。
「だからこそ、この曲はアニソンファンに強いインパクトを残したのだと思います。言っておきますが、世界中のアニソンファンのあいだでもこの曲はかなりホットですよ? みんな、カンペキに掛け合いができますから! あ、ほら! 間奏がきますよ! みんなでやりましょう!」
「おー、面白そうね!」
「琴音も……やりたいです……」
「だから俺はやらないって……」
「じゃあ行きますよ! いっせーの!」
 
 (」・ω・)」うー!(/・ω・)/にゃー! 
 (」・ω・)」うー!(/・ω・)/にゃー!

「いや、だから俺は……」

 (」・ω・)」うー!(/・ω・)/にゃー! 
 (」・ω・)」うー!(/・ω・)/にゃー!

「誰がそんなことやるかって……」

 (」・ω・)」うー!(/・ω・)/にゃー! 
 (」・ω・)」うー!(/・ω・)/にゃー!

「…………………………」

 (」・ω・)」うー!(/・ω・)/にゃー!

「Let's\(・ω・)/にゃー!」

 エヴァ、京子、琴音、そして弦人は一斉に両腕を頭上に掲げた。
 三人は揃って、弦人のほうを見てぷっと噴きだす。
 弦人は唇の端をひきつらせながら、三人を睨んだ。
「……なにか言いたいことでも?」
「ナイン(いえいえ)! ゲントがノッてくれたのが嬉しくて!」
「べつに乗ったわけじゃ……」
「まーまー。人生、ハッチャけたほうが楽しいわよ?」
「入谷先パイ……楽しそうでした……」
「だから、お前らに合わせただけで楽しいわけじゃなくてだな……」
 弁解する弦人だが、嬉しそうに笑うエヴァを見て口を閉ざした。
 やっぱり笑っている顔のほうがエヴァには合っている。すくなくとも錯乱しているエヴァに接するのは調子が狂う。普段のときでも調子が狂うが。
「はー、やっぱり落ち込んだときはアニソン聴くのが一番ですね! わたしの正気度もみるみる上がって……」
 そうやってエヴァが笑っていたときだ。
 彼女の目がある一点に注がれる。みるみるうちにその顔は青ざめていき、「ああ!」と声を震わせながら、人差し指を突き出す。
「窓に! 窓に!」
「窓?」
 首を傾げつつ弦人は窓のほうを振り返る。
 次の瞬間、ピタッとなにかが弦人の額に付着した。
 真っ黒い物体、肌に引っかかる爪の感覚、表面を撫でるなにかの感触、意思を持ったようにカサカサと動き回る気配。
 エヴァの恐慌状態は頂点に達し、ついに狂気の笑いを浮かべ始めた。
「は、はははははは、く、クー子を召喚です! 焼却処理です! ふんぐるい むぐるうなふ くとぅぐあ ふぉまるはうと んがあ・ぐあ なふるたぐん……」
「ちょっと! しっかりしなさいエヴァ! 唱えても邪神は召喚できないわよ!」
「さっきから……エヴァ先パイ、原典にくわしすぎですね……」
「そ、そうだ! い、入谷のほうのGもなんとかしないと!」
「じゃあ……またゴキジェットで……!」
「人の顔に吹きかけちゃダメーーーーー!」
 
 パシッ。グチャッ。

 京子と琴音がぴたりと騒ぐのをやめる。弦人は無言で自分の額を叩いてから、そこにあった物体を力の限り握りつぶした。
「たっだいまー! 大掃除はかどってるー? ってあれ、みんなどうしたの?」
 小松孝弘はレジ袋を手に持ったまま不思議そうに弦人たちを見返す。
「エヴァちゃん笑ってるし、キョーちゃんも琴音ちゃんも楳図かずおの漫画みたいな顔になってるし……。あとゲンちゃん、額をハンカチでふいてどうしたの? なんか汚れてるけど?」
「いいや、なんでもない」
 額をハンカチで拭きとってから、弦人はそれを思いっきりゴミ袋に投げ捨てる。そして聞く者が腹の底から震えあがるような冷たい声で言った。

「ちょっと、古き者どもの襲撃に遭っただけだ」


■楽曲データ
『太陽曰く燃えよカオス』 歌:後ろから這いより隊G(ニャル子(阿澄佳奈)、クー子(松来未祐)、暮井珠緒(大坪由佳))
作詞:畑亜貴 作曲・編曲:田中秀和(MONACA) 【這いよれ!ニャル子さん】OP
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