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第10話『Don't say "lazy"』
ある日の放課後のことだ。
入谷弦人はいつものように五階にある軽音楽部の元部室の扉を開けた。
「……あれ?」
いつもは騒がしい部屋は無人でほかのメンバーの姿もない。机の上には置き手紙と共に部屋の鍵が放りだされていた。
『ちょっとわすれ物してきました! すぐもどります! Eva』
「一番乗りはアイツか……」
弦人は鞄と一緒に持ってきていたギターケースを床に下ろす。適当に椅子に座りながら、なにげなく部屋のなかを見回した。
今日はこれからメンバー合同で演奏練習を行うことになっている。とある事情によりこの部屋での演奏は禁止されているので、いったんこの部屋に集合してから練習場所へ向かうのが、このバンドの日課になっていた。
わざわざこの部屋に集まる理由もないと思うのだが、バンドのボーカル曰く、まずはここでメンバーの顔合わせをしないと気が落ち着かないらしい。
宙を見つめていた弦人だが、不意に胃が痙攣し、空腹を訴え始める。今日は弁当を忘れ、購買でも目当てのパンを買えなかったため、ろくに食事を摂っていなかった。
練習場所へ向かう前に、コンビニでおにぎりでも買っておくか。そう考えながら、いまの空腹を紛らせるために弦人は鞄からMP3プレイヤーを取り出した。
アニソン初心者である弦人のために、バンドのボーカルが貸してくれたプレイヤー。無理やり押し付けられた代物なのに、最近はこのプレイヤーの曲ばかり聴いている気がする。
弦人はしばらくプレイヤーを眺めてから、おもむろに部屋に放置されていたスピーカーに接続する。
そしてプレイヤーの再生ボタンを押そうとするが、寸前で伸ばした指を止めた。
弦人の耳は些細な音にも敏感に反応する。だから、部屋に向かっている足音についてもすぐに察することができた。
バタバタと階段を駆け上る足音、いつも浮足立ちながらアニソンを求めてかけずり回っているバカの息づかい。
どうせ再生するなら、あのアニソンバカの到着を待ったほうが良い。
大きくなった足音は扉の前で止まる。そしてガラッと音を立てて扉が開かれた。
「グーテン・ターク(こんにちは)! おや、ゲント一人ですか?」
青い目をしたボーカル担当、エヴァ・ワグナーは今日もテンション絶好調の様子だった。
「……バタバタうるさい。もっと静かに来れないのか」
「そんなに響いてましたか? 忍び足で来たつもりでしたが」
「あんなに騒がしい忍び足は聞いたことないがな」
「うーん、うるさく聞こえるのはあれですよ! ゲントが地獄耳だからですよ、きっと!」
「……耳が良いって言いたいんだろうが、言葉の意味違うからなそれ」
「そうなんですか?」
首を傾げるエヴァだが、ふと彼女の目が机の上に向けられる。スピーカーに繋がられたMP3プレイヤーを見て、エヴァは口元をほころばせた。
「もしかしてゲント、いまアニソン聴こうとしてました?」
「……これから練習する曲を聴くだけだ」
「ふっふっふ、ようやくゲントもこちら側の人間になってくれましたね! あんなにわからず屋だったゲントがいまではすっかり立派なアニソン好きになってくれて嬉しいです!」
「だから練習のためだって言ってるだろ。そんなダークサイドに堕ちた覚えはない」
弦人は呆れながらため息をついた。
「……それで、忘れ物とやらは大丈夫なのか?」
「ヤー(はい)! ちゃんと取ってきました!」
と言ってエヴァが持ち出したのはタッパーの容器だった。なかにはアルミホイルに包まれた物体が入れられている。
「なんだ、それ?」
「チーズケーキです! 昨日テレビを見ていましたらスイーツ特集がやっていまして。ついつい食べたくなって試しに焼いてみたんです! ホームステイ先の家族にも大好評でした! みんなで食べようと思ったんですけど、どうですか?」
「……お前、これから練習だってわかってるのか?」
「わかってます、ゲント! でも、たまにはこういうことも必要ですって! 桜高軽音部みたいに、お茶を飲んでお菓子を食べながらまったりと過ごすのも……」
「俺たちには必要ない。っていうか、そんなダメバンドとうちを一緒にするな」
「ゲント、それは違います」
エヴァは真面目な顔で言った。
「桜高軽音部と言えば、日本、いいえ、世界中を席巻した超人気バンドじゃないですか! ダメバンドなんてとんでもないですよ! ロンドンでも演奏してるくらいですよ!」
「……いやいや、聞いたことないって。桜高ってどこの学校だよ」
「もうゲントも頑固ですね! そこまで言うなら聴いてみますか?」
「聴くって、なにを?」
「だから桜高軽音部の演奏をです。ちょうど今日の練習曲ですし」
「練習曲って……」
弦人は設置していたMP3プレイヤーを振り返った。
「あの『Don't say "lazy"』のことか?」
「ヤー! そのとおりです! 桜高軽音部といったら、“ゆるやか軽音ライフ”を描いた人気アニメ、【けいおん!】のことに決まってるじゃないですか!」
弦人は脱力しそうになった。
いい加減、このパターンには何度も遭っているのに、本物のバンドと思って話していた自分が恥ずかしくなる。
「アニメのバンドかよ……。ってたしか【けいおん!】って……ええと、あれだろ? 女子高生が学校でガールズバンドを組むってアニメだったか……? Mステのランキングにも出てたような……」
「そうです! そうです! なんだゲントも知ってるんじゃないですか!」
「レンタルショップでアニソンコーナー見てたときに、特集の棚ができてたからな。でも、俺が見たときには放課後ティータイムって名前のバンドだった気が……」
「放課後ティータイムの名前になるのはアズニャンが加わって五人になってからですね。それまでは特にバンド名も決まってなくて、桜高軽音部が公式名義になっているんですよ」
「あずにゃん? 猫の名前か?」
「もうなに言ってるんですか、ゲント! アズニャンといったらアズニャンです! アニソン業界でも必須の単語ですよ! ムスタングのアズニャンモデルだって出てますし、ある大物J-P0Pアーティストだってツイッターでその名前を絶叫したくらいなんですから!」
「……お前って、ほんとどこからそういうネタ拾ってくるんだ?」
「それだけ【けいおん!】人気は社会現象になったってことですよ! いまのアニソンを語る上で、【けいおん!】を外すことはできないんですから!」
「そういうものなのか?」
「そういうものです! 百聞は一見に如かずです! というわけで、ゲント」
エヴァが期待のこもった目で弦人を見つめる。
弦人はため息をついた。
「俺はアニソン再生係じゃないぞ……」
文句を言いながら、MP3プレイヤーに指を伸ばした。
次の瞬間、スピーカーから軽快なハイハット、躍動感のあるスネアドラムのビートが響く。それを合図に、こちらに訴えかけるような女性ボーカルの声が炸裂する。
反抗と戸惑いの入り混じったボーカルとその裏で、疾走を続けるベースの低音。ゴシックな香りに彩られたキーボード、思春期の少女が抱く衝動を形にしたような激しいギターのリフ。もっとアイドルっぽい曲を想像していた弦人は、クールなバンドサウンドの楽曲に感心する。楽器の構成も自分たちと同じであるため、演奏している姿がすぐ想像することができた。
エヴァは相変わらずの熱っぽい口調で語り始める。
「『Don't say "lazy"』は【けいおん!】のED曲ですね。【けいおん!】のOPとEDは主人公たちのバンドが演奏しているという設定なのですが、OPは主人公でギタリストであるヒラサワ・ユイが歌っているのに対し、EDはベーシストのアキヤマ・ミオがボーカルを担当しています。わたしたちで言えばゲントがOP、タカヒロがEDを歌うって感じですかね。あ、どうせなら【けいおん!】の曲を演奏する際には、ゲントやタカヒロがボーカルをやるというのも面白いかもしれませんね」
「それじゃあボーカルのお前がいる意味ないだろ」
「大丈夫です! わたしはカスタネットを叩いてますから! うんたん♪ うんたん♪ って」
「なぜカスタネット……」
「なにを言いますか。【けいおん!】と言ったら、カスタネットですよ」
ついていけない弦人は頭を振ってから、つぶやいた。
「でも、この曲だけ聴くと普通のロックバンドの曲っぽいよな。高校生っぽくないというか……」
「ヤー! OPや劇中の楽曲はポップな曲が多いんですけどね。【けいおん!】のEDは、もし主人公たちがメジャーデビューを果たしたらというコンセプトで作られているんです。映像も本物のミュージックビデオみたいでとってもカッコイイんですよ! それにEDでメンバーの着ている衣装がまたカワイくて! やっぱりバンドはコスプレです! 次のライブもなにかオシャレな衣装を用意して……」
「本当にお前はコスプレ推しだな」
「なにを言いますか。ライブは目立ってナンボですよ!」
「……ドイツ人の口からナンボって単語を聞くとすごい違和感があるんだが」
「まぁまぁ。それだけ素晴らしい神曲だってことです! それにこの曲、ものすごい大ヒットを記録してまして、同じ日に発売されたOPの『Cagayake!GIRLS』とともに、オリコンの一位と二位を独占したんです。アニソンの歴史のなかでも特筆すべき事件であるのはもちろん、日本の音楽界のなかでも相当異例の出来事だったらしいですよ」
「一位と二位を独占って……。お茶ばかり飲んでるバンドが?」
「もう、だからそういう言い方はよくないですよ! アニメと現実をごっちゃにするなって言っているのはゲントのほうじゃないですか!」
「……それはそうだが」
「メンバーがあまり練習しない、っていうのはよく聞く批判ですけど。でも、わたしは大好きですよ。アニメを見て、曲を聴いて、なんでしょうね、バンドのメンバーがすごく愛おしくなるんです! 日本も、ドイツもおなじだなって。女の子はみんなおなじこと考えてるんだなって」
「おなじこと?」
エヴァは恥ずかしそうに頷いた。
「ああやって友達と他愛のないおしゃべりをしたり、ときどき練習を頑張ったり……。あのメンバーから漂う空気感がですね、ものすごく心地いいんです。わたしも日本へ行ったら、制服姿でおしゃべりしたいなって思ってまして。そういう等身大の雰囲気が、楽曲にもよく出ているんです。だから、わたしはこのアニメと楽曲が大好きなんですよ。こういう学園生活はやっぱり憧れますよね」
「そんなものかね……」
今回ばかりは、弦人も納得しきれず曖昧に口を濁す。
弦人は軽音楽部に所属した人間として、いろいろなバンドを見てきた。そして上に行くバンドというのは大抵、研鑽を積んでいるものだ。すくなくとも、自分はこれまでそうしてきたつもりだ。
だからだろう。エヴァの言う“ゆるやかな軽音ライフ”が、自分の肌には合わない気がした。
ひょっとして、と弦人は考える。
エヴァが望んでいるバンドの在り方もそういうバンドなんじゃないだろうか?
みんなでダラダラ部屋に集まりながら、アニソン聴いて、お菓子食べて、好き勝手に喋ったりして。
………よくよく考えたら、最近はまさにそんなことばかりしているわけだし。
「なぁ、エヴァ」
「なんですか、ゲント」
エヴァがこちらに顔を向けて首を傾げる。弦人は何気ない風を装いながら尋ねた。
「お前は、“ゆるやかな軽音ライフ”のバンドのほうがいいのか? 練習ばっかりやるんじゃなくて」
虚を突かれたように、エヴァは押し黙る。「うーん」とひとしきり考え込んでからポツリと答えた。
「それは、たしかに憧れはありますけど……。でももっと大事なことがありますから」
「大事なこと?」
「ヤー。どうすれば楽しく演奏ができるのか、ということです」
スピーカーから響くギターがひときわ激しさを増していく。
「楽しいという気持ちがなければ、聴いている人の心には響きません。だからわたしは毎日を楽しく過ごしたい。大好きなアニソンを聴いて、仲間たちと全力で練習して、楽しく過ごしていきたいんです。そうしたらきっと放課後ティータイムに負けない演奏ができるようになると思いますから」
「……そうか」
弦人は無表情を保ちながら答える。
「だったらいいさ。いまごろ、まったりとかゆったりとか言われても、俺はついていけないからな。放課後ティータイムな空気は俺には合わない」
「って言いながら、ゲント」
エヴァはこちらを見ておかしそうに笑っている。
「結構、ノリノリですよね」
そこで初めて、弦人は自分が曲に合わせてリズムを刻んでいることに気づいた。
弦人はすぐに身体を止め、ますます眉間のしわを深くする。エヴァは口元をニヤニヤさせながら言った。
「きっとゲントも【けいおん!】を見たら、気に入ると思いますよ」
「なんだ、その予言は……」
ぶつくさと文句を言う弦人は、ふと廊下のほうへ耳を澄ました。
階段を昇るいくつもの足音、騒がしい喋り声。
いつの間にか耳に馴染むようになっていた仲間たちの声だ。
「やっほー。お待たせー、エヴァ、入谷!」
「遅くなりました……先パイたち……」
「あれれ? エヴァちゃん、ゲンちゃん。二人でなに聴いてるの?」
九条京子、宮坂琴音、小松孝弘が一斉に部屋へと入ってくる。入ってきた彼らに、弦人は嘆息しながら言った。
「だからもっと静かに来いって。なんでお前らは揃いも揃って、そんなに騒がしいんだよ」
「なによ、アタシは普通に来てるだけよ。騒がしいのは小松のほうだってば」
「え、またぼくのせい!? トークで盛り上げてるだけじゃん! ねぇ、琴音ちゃん!」
「そうですね……。小松先パイが、うんざりしている京子先パイに延々喋りかけていたのを『盛り上げてる』っていうのなら……そうなんでしょうね……」
「…………あの、調子に乗ってゴメンなさいです」
「ほらほら琴音。あんまり責めちゃダメよ。って、エヴァ。そのタッパー、どうしたの?」
「ヤー! チーズケーキです! 昨日作ってきたんで、みんなで食べませんか?」
「へー! 美味しそう! 食べよう、食べよう!」
「エヴァちゃんの手作り!? やっべ! テンション上がってきた!」
「小松先パイ……立ち直り早いですね……。あ、琴音……紙皿用意してきます……」
「おいおい、ちょっと待って」
弦人はすぐにメンバーを諌めた。
「せめて練習が終わってからにしろ。だいたい俺はこうやってダラダラ過ごすのがだな……」
弦人の腹から派手な音が鳴り響いた。
胃袋がきゅぅぅぅと痙攣しているのがわかる。
弦人は瞬きしてから、メンバーの顔を見回した。なぜかみんな、慈愛の目でこちらを見つめている。
「ゲント」
エヴァが優しく呼びかけた。「無理は禁物ですよ?」
しばらく葛藤したのち、弦人はぶっきらぼうに降参の言葉を口にした。
「――まずは、お茶にするか」
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著者:大泉 貴
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青い目をしたボーカル担当、エヴァ・ワグナーは今日もテンション絶好調の様子だった。
「……バタバタうるさい。もっと静かに来れないのか」
「そんなに響いてましたか? 忍び足で来たつもりでしたが」
「あんなに騒がしい忍び足は聞いたことないがな」
「うーん、うるさく聞こえるのはあれですよ! ゲントが地獄耳だからですよ、きっと!」
「……耳が良いって言いたいんだろうが、言葉の意味違うからなそれ」
「そうなんですか?」
首を傾げるエヴァだが、ふと彼女の目が机の上に向けられる。スピーカーに繋がられたMP3プレイヤーを見て、エヴァは口元をほころばせた。
「もしかしてゲント、いまアニソン聴こうとしてました?」
「……これから練習する曲を聴くだけだ」
「ふっふっふ、ようやくゲントもこちら側の人間になってくれましたね! あんなにわからず屋だったゲントがいまではすっかり立派なアニソン好きになってくれて嬉しいです!」
「だから練習のためだって言ってるだろ。そんなダークサイドに堕ちた覚えはない」
弦人は呆れながらため息をついた。
「……それで、忘れ物とやらは大丈夫なのか?」
「ヤー(はい)! ちゃんと取ってきました!」
と言ってエヴァが持ち出したのはタッパーの容器だった。なかにはアルミホイルに包まれた物体が入れられている。
「なんだ、それ?」
「チーズケーキです! 昨日テレビを見ていましたらスイーツ特集がやっていまして。ついつい食べたくなって試しに焼いてみたんです! ホームステイ先の家族にも大好評でした! みんなで食べようと思ったんですけど、どうですか?」
「……お前、これから練習だってわかってるのか?」
「わかってます、ゲント! でも、たまにはこういうことも必要ですって! 桜高軽音部みたいに、お茶を飲んでお菓子を食べながらまったりと過ごすのも……」
「俺たちには必要ない。っていうか、そんなダメバンドとうちを一緒にするな」
「ゲント、それは違います」
エヴァは真面目な顔で言った。
「桜高軽音部と言えば、日本、いいえ、世界中を席巻した超人気バンドじゃないですか! ダメバンドなんてとんでもないですよ! ロンドンでも演奏してるくらいですよ!」
「……いやいや、聞いたことないって。桜高ってどこの学校だよ」
「もうゲントも頑固ですね! そこまで言うなら聴いてみますか?」
「聴くって、なにを?」
「だから桜高軽音部の演奏をです。ちょうど今日の練習曲ですし」
「練習曲って……」
弦人は設置していたMP3プレイヤーを振り返った。
「あの『Don't say "lazy"』のことか?」
「ヤー! そのとおりです! 桜高軽音部といったら、“ゆるやか軽音ライフ”を描いた人気アニメ、【けいおん!】のことに決まってるじゃないですか!」
弦人は脱力しそうになった。
いい加減、このパターンには何度も遭っているのに、本物のバンドと思って話していた自分が恥ずかしくなる。
「アニメのバンドかよ……。ってたしか【けいおん!】って……ええと、あれだろ? 女子高生が学校でガールズバンドを組むってアニメだったか……? Mステのランキングにも出てたような……」
「そうです! そうです! なんだゲントも知ってるんじゃないですか!」
「レンタルショップでアニソンコーナー見てたときに、特集の棚ができてたからな。でも、俺が見たときには放課後ティータイムって名前のバンドだった気が……」
「放課後ティータイムの名前になるのはアズニャンが加わって五人になってからですね。それまでは特にバンド名も決まってなくて、桜高軽音部が公式名義になっているんですよ」
「あずにゃん? 猫の名前か?」
「もうなに言ってるんですか、ゲント! アズニャンといったらアズニャンです! アニソン業界でも必須の単語ですよ! ムスタングのアズニャンモデルだって出てますし、ある大物J-P0Pアーティストだってツイッターでその名前を絶叫したくらいなんですから!」
「……お前って、ほんとどこからそういうネタ拾ってくるんだ?」
「それだけ【けいおん!】人気は社会現象になったってことですよ! いまのアニソンを語る上で、【けいおん!】を外すことはできないんですから!」
「そういうものなのか?」
「そういうものです! 百聞は一見に如かずです! というわけで、ゲント」
エヴァが期待のこもった目で弦人を見つめる。
弦人はため息をついた。
「俺はアニソン再生係じゃないぞ……」
文句を言いながら、MP3プレイヤーに指を伸ばした。
次の瞬間、スピーカーから軽快なハイハット、躍動感のあるスネアドラムのビートが響く。それを合図に、こちらに訴えかけるような女性ボーカルの声が炸裂する。
反抗と戸惑いの入り混じったボーカルとその裏で、疾走を続けるベースの低音。ゴシックな香りに彩られたキーボード、思春期の少女が抱く衝動を形にしたような激しいギターのリフ。もっとアイドルっぽい曲を想像していた弦人は、クールなバンドサウンドの楽曲に感心する。楽器の構成も自分たちと同じであるため、演奏している姿がすぐ想像することができた。
エヴァは相変わらずの熱っぽい口調で語り始める。
「『Don't say "lazy"』は【けいおん!】のED曲ですね。【けいおん!】のOPとEDは主人公たちのバンドが演奏しているという設定なのですが、OPは主人公でギタリストであるヒラサワ・ユイが歌っているのに対し、EDはベーシストのアキヤマ・ミオがボーカルを担当しています。わたしたちで言えばゲントがOP、タカヒロがEDを歌うって感じですかね。あ、どうせなら【けいおん!】の曲を演奏する際には、ゲントやタカヒロがボーカルをやるというのも面白いかもしれませんね」
「それじゃあボーカルのお前がいる意味ないだろ」
「大丈夫です! わたしはカスタネットを叩いてますから! うんたん♪ うんたん♪ って」
「なぜカスタネット……」
「なにを言いますか。【けいおん!】と言ったら、カスタネットですよ」
ついていけない弦人は頭を振ってから、つぶやいた。
「でも、この曲だけ聴くと普通のロックバンドの曲っぽいよな。高校生っぽくないというか……」
「ヤー! OPや劇中の楽曲はポップな曲が多いんですけどね。【けいおん!】のEDは、もし主人公たちがメジャーデビューを果たしたらというコンセプトで作られているんです。映像も本物のミュージックビデオみたいでとってもカッコイイんですよ! それにEDでメンバーの着ている衣装がまたカワイくて! やっぱりバンドはコスプレです! 次のライブもなにかオシャレな衣装を用意して……」
「本当にお前はコスプレ推しだな」
「なにを言いますか。ライブは目立ってナンボですよ!」
「……ドイツ人の口からナンボって単語を聞くとすごい違和感があるんだが」
「まぁまぁ。それだけ素晴らしい神曲だってことです! それにこの曲、ものすごい大ヒットを記録してまして、同じ日に発売されたOPの『Cagayake!GIRLS』とともに、オリコンの一位と二位を独占したんです。アニソンの歴史のなかでも特筆すべき事件であるのはもちろん、日本の音楽界のなかでも相当異例の出来事だったらしいですよ」
「一位と二位を独占って……。お茶ばかり飲んでるバンドが?」
「もう、だからそういう言い方はよくないですよ! アニメと現実をごっちゃにするなって言っているのはゲントのほうじゃないですか!」
「……それはそうだが」
「メンバーがあまり練習しない、っていうのはよく聞く批判ですけど。でも、わたしは大好きですよ。アニメを見て、曲を聴いて、なんでしょうね、バンドのメンバーがすごく愛おしくなるんです! 日本も、ドイツもおなじだなって。女の子はみんなおなじこと考えてるんだなって」
「おなじこと?」
エヴァは恥ずかしそうに頷いた。
「ああやって友達と他愛のないおしゃべりをしたり、ときどき練習を頑張ったり……。あのメンバーから漂う空気感がですね、ものすごく心地いいんです。わたしも日本へ行ったら、制服姿でおしゃべりしたいなって思ってまして。そういう等身大の雰囲気が、楽曲にもよく出ているんです。だから、わたしはこのアニメと楽曲が大好きなんですよ。こういう学園生活はやっぱり憧れますよね」
「そんなものかね……」
今回ばかりは、弦人も納得しきれず曖昧に口を濁す。
弦人は軽音楽部に所属した人間として、いろいろなバンドを見てきた。そして上に行くバンドというのは大抵、研鑽を積んでいるものだ。すくなくとも、自分はこれまでそうしてきたつもりだ。
だからだろう。エヴァの言う“ゆるやかな軽音ライフ”が、自分の肌には合わない気がした。
ひょっとして、と弦人は考える。
エヴァが望んでいるバンドの在り方もそういうバンドなんじゃないだろうか?
みんなでダラダラ部屋に集まりながら、アニソン聴いて、お菓子食べて、好き勝手に喋ったりして。
………よくよく考えたら、最近はまさにそんなことばかりしているわけだし。
「なぁ、エヴァ」
「なんですか、ゲント」
エヴァがこちらに顔を向けて首を傾げる。弦人は何気ない風を装いながら尋ねた。
「お前は、“ゆるやかな軽音ライフ”のバンドのほうがいいのか? 練習ばっかりやるんじゃなくて」
虚を突かれたように、エヴァは押し黙る。「うーん」とひとしきり考え込んでからポツリと答えた。
「それは、たしかに憧れはありますけど……。でももっと大事なことがありますから」
「大事なこと?」
「ヤー。どうすれば楽しく演奏ができるのか、ということです」
スピーカーから響くギターがひときわ激しさを増していく。
「楽しいという気持ちがなければ、聴いている人の心には響きません。だからわたしは毎日を楽しく過ごしたい。大好きなアニソンを聴いて、仲間たちと全力で練習して、楽しく過ごしていきたいんです。そうしたらきっと放課後ティータイムに負けない演奏ができるようになると思いますから」
「……そうか」
弦人は無表情を保ちながら答える。
「だったらいいさ。いまごろ、まったりとかゆったりとか言われても、俺はついていけないからな。放課後ティータイムな空気は俺には合わない」
「って言いながら、ゲント」
エヴァはこちらを見ておかしそうに笑っている。
「結構、ノリノリですよね」
そこで初めて、弦人は自分が曲に合わせてリズムを刻んでいることに気づいた。
弦人はすぐに身体を止め、ますます眉間のしわを深くする。エヴァは口元をニヤニヤさせながら言った。
「きっとゲントも【けいおん!】を見たら、気に入ると思いますよ」
「なんだ、その予言は……」
ぶつくさと文句を言う弦人は、ふと廊下のほうへ耳を澄ました。
階段を昇るいくつもの足音、騒がしい喋り声。
いつの間にか耳に馴染むようになっていた仲間たちの声だ。
「やっほー。お待たせー、エヴァ、入谷!」
「遅くなりました……先パイたち……」
「あれれ? エヴァちゃん、ゲンちゃん。二人でなに聴いてるの?」
九条京子、宮坂琴音、小松孝弘が一斉に部屋へと入ってくる。入ってきた彼らに、弦人は嘆息しながら言った。
「だからもっと静かに来いって。なんでお前らは揃いも揃って、そんなに騒がしいんだよ」
「なによ、アタシは普通に来てるだけよ。騒がしいのは小松のほうだってば」
「え、またぼくのせい!? トークで盛り上げてるだけじゃん! ねぇ、琴音ちゃん!」
「そうですね……。小松先パイが、うんざりしている京子先パイに延々喋りかけていたのを『盛り上げてる』っていうのなら……そうなんでしょうね……」
「…………あの、調子に乗ってゴメンなさいです」
「ほらほら琴音。あんまり責めちゃダメよ。って、エヴァ。そのタッパー、どうしたの?」
「ヤー! チーズケーキです! 昨日作ってきたんで、みんなで食べませんか?」
「へー! 美味しそう! 食べよう、食べよう!」
「エヴァちゃんの手作り!? やっべ! テンション上がってきた!」
「小松先パイ……立ち直り早いですね……。あ、琴音……紙皿用意してきます……」
「おいおい、ちょっと待って」
弦人はすぐにメンバーを諌めた。
「せめて練習が終わってからにしろ。だいたい俺はこうやってダラダラ過ごすのがだな……」
弦人の腹から派手な音が鳴り響いた。
胃袋がきゅぅぅぅと痙攣しているのがわかる。
弦人は瞬きしてから、メンバーの顔を見回した。なぜかみんな、慈愛の目でこちらを見つめている。
「ゲント」
エヴァが優しく呼びかけた。「無理は禁物ですよ?」
しばらく葛藤したのち、弦人はぶっきらぼうに降参の言葉を口にした。
「――まずは、お茶にするか」
■楽曲データ
『Don't say "lazy"』 歌:桜高軽音部(平沢唯(豊崎愛生)、秋山澪(日笠陽子)、田井中律(佐藤聡美)、琴吹紬(寿美菜子))
作詞:大森祥子 作曲:前澤寛之 編曲:小森茂生 【けいおん!】ED
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アニソンの神様
著者:大泉 貴
販売元:宝島社
(2012-09-10)
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