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BONUS TRACK『鉄腕アトム』

 ある日の放課後のことだ。

 入谷弦人はいつものように高田馬場駅のホームへと続く階段を昇ろうとした。
「ゲント! ちょっと待ってください!」
 追いすがる声に、弦人は後ろを振り返った。見ると、エヴァ・ワグナーが人混みを掻き分けながら、こちらに駆け出している。
 追いついたエヴァは息を切らしながら、弦人にしかめっ面を向けた。
「もう、ひどいじゃないですか! わたしたちを置いてけぼりにするなんて! 一人でどんどん進まないでください!」
「お前らの歩くのが遅いんだろ。『先に行くぞ』って断ったはずだが」
「先に行くなんてダメです! これから練習場所に向かうのですから、メンバー全員で足並みを揃えないと! こういうところから団結力が問われるんですよ!」
「団結力ねぇ……」
 弦人はちらりと後方に目を向けた。自分とエヴァから離れたところに、うるさく騒いでいる団体が見える。
「だから、ぜぇぇったいラーメンにはスープが必要だって! 油そばなんて邪道よ邪道!」
「わかってないな、キョーちゃんは。あれは東京のウエストサイド、多摩地方が生んだ食の芸術だよ? 調味料を加えながらこってりした麺をすする、それがいいんじゃないの! 琴音ちゃんはどう? 好きなラーメンとかある?」
「琴音は……某ラーメン店のトッピングがトラウマで……ラーメン頼んだら、もやしの山が出てきて……」
「ああ、あれはねぇ……」
「ぼくも一度特盛で頼んだけど、心をへし折るような量だったな……」
 残りの三人――九条京子、宮坂琴音、小松孝弘はラーメン談義を繰り返しながら、のんびりと歩いてくる。これからバンドの練習場所へ向かうというのに、あまりに緊張感がないため、弦人は苛立たしげに眉をひそめた。
「あいつらはもっと急ぐってことを知らないのか……」
「ゲント、あくせく先を急いでもろくな結果にはなりません。道中を楽しむのも、またオツなものですよ」
「言っただろ? 俺はグダグダするのが嫌いなんだよ」
「うーん、そういうものですかねぇ」エヴァは首を傾げる。「もっとゲントは周りをよく見たほうが良いと思いますけど」
「……その台詞、アニソンバカのお前にだけは言われたくない」
 そんなやり取りをしているうちに、三人が弦人たちのもとまで追いついてきた。
「お、やっと入谷に追いついた」
「ゲンちゃん! 油そばは邪道じゃないよね!? ラーメンの一種だって認める派だよね!?」
「琴音はラーメンよりも……ソーキそばのほうが好きです……」
「いつまでラーメントーク続けるつもりだよ」
「なにを言ってるのさ! 高田馬場に住んでいるならラーメントークは必須でしょうが!」
「俺はそんなに行かないから……。そんな話、俺だけじゃなくてエヴァもついていけな」
「ラーメンだったら、一空堂のトンコツスープが絶品です! わたし、よく通いつめてます!」
「お前もかっ」
 しばらくして弦人を除いたメンバーはラーメン談義で盛り上がる。弦人は呆れながらも、メンバーの速度に合わせて歩を遅くした。
 ホームに到着してからも、メンバーの会話は続く。弦人たちは電車の到着を待つあいだ、持ってきていた文庫本を鞄から取り出した。家にあった古い詩集で、題名に惹かれて、このところ何度も弦人はその詩集を開いていた。
「それでですね、白いスープと黒いスープのがあるんですけど、わたしは断然白いスープのほうをおススメしま……」
 得意げに話していたエヴァが不意に口を閉ざした。
 ホームじゅうに鳴り響く、科学の子のメロディ。
 ちょうど逆方面の電車が出発しようとしているらしい。
 弦人の耳にも馴染んだその発車BGMに、もう一つ鼻歌が重なり合う。
 エヴァが楽しげに唇を閉ざし、『鉄腕アトム』をハミングする。
 やがてBGMが鳴り終わり、電車が出発する。エヴァはハミングを終え、ワクワクした顔で言った。
「やっぱり良いですね、タカダノババ駅は。アニソンがBGMになっている駅なんて素敵すぎます!」
「そんなにありがたがるものか?」
「でも言われてみれば、これもアニソンに含まれるのかぁ……。どっちかつーとぼくなんかは童謡っぽいイメージがあるけど」
 孝弘が感心したように頷く。それを受けて、エヴァはさらに話を続けた。
「まだアニソンなんて概念がなかった時代の歌ですからね。ちなみに『鉄腕アトム』のテーマ曲ってタカダノババ以外にも、ニイザ駅っていうところでも使われているそうですよ。サイタマにある駅らしいのですが」
「へー、ほかにもあるんだ。アニソンが発車ベルに使われているところってほかにあんまりないものね。お台場のほうじゃ、『踊る大捜査線』のテーマ使ってるらしいけど」
「恵比寿駅もそうですよね……あのビールのCMの曲……タンタタン、タラララン、ってあれ、曲名がありましたっけ……」
「『第三の男』のテーマだろ。アントン・カラス作曲の」
「お。ゲント、ようやく話に加わってくれましたね」
「……うるさい」
 弦人が呟くと、メンバーはおかしそうに笑った。無反応を装いつつ、弦人は話を続ける。
「しかし、そんなに感動するところか? 【アトム】の曲なんてどこでも聴けるだろ」
「なにを言いますか。【アトム】といったら、日本初の本格的な連続テレビアニメですよ! アニソンの歴史はここから始まったといっても良いくらいです!」
「……そういえば、【アトム】って曲はよく聴くけど、アニメも原作も見たことないな。手塚治虫は【ブラックジャック】なら読んだが……」
「あ、アタシは【火の鳥】」
「ぼくは【ブッダ】かな」
「え、そういう流れ……? こ、琴音は……【どろろ】が好きです……」
「おー、みんな読んでますね! テヅカ・オサムはドイツにいた学校の先生が好きでして、よく授業のテキストでも使われてました。でもテヅカ作品っておなじ顔のキャラが別の作品に出てきたりするので、時々ややこしくなりますよね……」
「ああ、手塚漫画のスターシステムは有名だからな。ヒゲオヤジとかハムエッグとか」
「けど、考えてみれば不思議よね」
 京子が首を傾げながら言った。
「入谷の言うとおり、アタシたちはリアルタイムでアニメを見たわけじゃないし、原作を読んだわけでもないのに。こうして『鉄腕アトム』の曲を口ずさめるのってさ。どこで覚えたんだろ」
「昔のアニソンってそういうの多いですよね……『宇宙戦艦ヤマト』とか、『タッチ』とか……。アニメは見てないから……余計に曲のイメージで覚えているというか……」
「わかるなー。メロディラインもシンプルだから、却って覚えやすいし。何度口ずさんでも飽きないよね」
「たしかにな……。あ、でもアニメは知らなくても、アレはやるだろ?」
 幼少の頃を思い出しながら、弦人は言った。
「シャンプーで髪の毛固めて、アトムの角を真似するとか」
「……いや、アタシはやらないけど」
「琴音も……」
「ゲンちゃん、昭和の子供じゃないんだから……」
「えっ」
 あるあるネタを披露したつもりが、まさかの全否定に、弦人は固まってしまう。
 しかし一人だけ食いついてくる者がいる。
「わかります! ゲント! わたしも弟とお風呂入ったとき、弟の髪をいじってやってました! よく怒られてましたけど!」
「やるなっ、バカ」
「エヴァちゃん。お風呂の話、もっとくわしく。できたら洗う場所の順番から」
「アンタ、ぶっ飛ばされたい?」
「洗う場所ですか? そうですね、わたしの場合は」
「エヴァも答えなくていいから!」
「小松先パイ……本当にチャレンジャーですね……」
「でも、原作を知らなくても誰もがその姿や特徴を知っているキャラクターってやっぱりすごいですよね」
 エヴァは感心したように言った。
「『鉄腕アトム』だけじゃなく、昔のアニソンは特に印象的なフレーズが多いですから。それがいまにも伝わって、アニメを見ていないわたしたちにもイメージを伝えてくれているのかもしれませんね」
「……そういうものかもしれないな」
 弦人は昔使っていた音楽の教科書に『宇宙戦艦ヤマト』が記載されていたことを思い出す。たとえアニソンに興味がなくても、アニソンそのものの記憶を、日本人はどこかで受け継いでいるのかもしれない。
 あるいはいまのアニソンもまた、時代のうねりを乗り越えて、未来に生きる人々に伝わっていくのだろう。
 時代を越えて紡がれる音楽は、強い。そのメロディはこれから先も、人々の心のなかで響き続ける。
「そういえば『鉄腕アトム』の歌は日本の有名な詩人が歌詞を書いているらしいですね。ドイツでも名前が知られている人なんですけど。なんていう名前だったでしょうか……ここまで出かかっているのですが、ええと、ええと……」
 悩ましげに眉をひそめるエヴァの視線がふとあるところで止まる。弦人はなにげなくエヴァの視線をたどっていた。
 視線の先にはあったのは弦人が持っている詩集。谷川俊太郎の『二十億光年の孤独』。
「この人です!」エヴァは『二十億光年の孤独』を指差した。「このタニカワ・シュンタローの作詞です!」
「谷川俊太郎が、『鉄腕アトム』を?」
 弦人は意外に思いながら、詩集に目を落とした。
「あ、この人、現文で習ったわね。スヌーピーの翻訳をした人でしょ?」
「日本の詩人で……よく名前出てきますよね……」
「うーん、でもさすがに詩までは読んだことないな。つーかゲンちゃん、詩なんて読むの?」
「たまたま家にあったのを持ってきたんだ。もともと興味あったから……」
「へー、どんな詩なの?」
 メンバーが興味津々な眼差しで弦人を見つめる。
 渋々と弦人は口を開いた。
「べつにありふれた詩さ。この広い世界で仲間を求めている、ちっぽけな寂しがり屋の詩」
 二十億光年の宇宙にぽつんと浮かぶ小さな地球と、その地球で暮らしているちっぽけな地球人。
 孤独を抱えた地球人はときに火星人の姿を夢想しながら、このひずんだ世界でどこかにいるであろう仲間を求めている。その見知らぬ仲間もまた、自分たちのことを求めていることを信じて。
「だったら」
 エヴァはなにかを思いついたようにパンと手を叩いた。
「きっと寂しかったから、人はアトムを作ったのかもしれませんね」
「寂しかったから?」
「そうです。宇宙人を探そうとして、でも、見つからなかったから、代わりに作ったんですよ。自分たちの友達になってくれる科学の子を」
「……その発想は飛躍しすぎじゃないか?」
「そうですか? でも、寂しいのは誰だって一緒です。寂しいからこそ、わたしたちはバンドを組むんですから」
 弦人はなにも答えず、黙って俯いた。
 やがて駅のホームに電車が滑り込んできた。楽器を抱えたメンバーたちは次々に電車のなかへと入っていく。
 やがて電車の発車BGMの『鉄腕アトム』のテーマが鳴り、扉が閉まる。
 始発から終電まで、この駅を出る電車を送りだすメロディ。
 エヴァは大きく伸びをしながら言う。
「はー、早く演奏したいですね! じつはわたし、発声練習を始めたんですよ! いまのわたしは、これまでと一味違いますよ!」
「あら、エヴァ。言っとくけど、アタシだって結構練習してんだから」
「琴音も……新しくいろいろ編曲してきたので……」
「ぼくも、試してみたい奏法があんだよね。やってみてもいい?」
「……だから小手先なテクニックはやめろって」
「良いじゃないですか、ゲント。遊びを入れるのも大切ですよ! 何事も全力でやるのが大切なんです!」
「ああ、そうかい」
 本当にこの国にはあちこちにアニソンが溶け込んでいて、意外な形で別のものと結びついたりしている。
 それらのアニソンが見えない引力となって、自分たちを結びつけた。
 この国には“漫画の神様”だっているのだ。
 だから、きっと一人くらいどこかにいるはず。――“アニソンの神様”だっているはず。
“アニソンの神様”に届く歌を演奏するまで、エヴァの歩みは止まらない。
 そして自分たち五人の演奏は、まだまだ続いていくのだ。
「それじゃあ、いきますよ!」
 そう言って、“アニソンの神様”に愛されたアニソンバカの少女――エヴァは拳を振り上げた。

「十万馬力で今日も練習、頑張りましょう!」


■楽曲データ
『鉄腕アトム』 歌:上高田少年合唱団
作詞:谷川俊太郎 作曲:高井達雄 【鉄腕アトム】OP
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※リンク先(TezukaOsamu.net)にある動画は1980年版アニメの第1話。楽曲データは以下の通り。
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『鉄腕アトム』 歌:アトムズ
作詞:谷川俊太郎 作曲:高井達雄 編曲:三枝成章 【鉄腕アトム(1980)】OP
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