《3》
シャツにオーバーオール、帽子を目深に被り、おまけに顔に白タオルを巻きつけて覆えば誰もマジカルデイジーとは思わない。変質者か強盗犯だと思うだろう。その証拠にすれ違う人の七割がぎょっとした表情でデイジーを二度ないし三度見する。二割は慌てて目を逸らし、隣で歩く緑色のアフロを見てさらにぎょっとする、一割はテレビカメラを探す。
辱めとしか思えない道行きの行き着く先は廃屋だった。
街の中にあって、それはあきらかに廃屋だ。単に古いだけでなく、元は民家だったのだろうが、全く人の気配がない。傾ぎ、煤け、雑草も生え放題、トタンの屋根が一部剥がれている。
偉い人は右手にハンディカメラを持ったまま、立ち入り禁止の札が下った鎖を潜り、鍵を開けた。中の空気は淀んでいて埃っぽい。
「これよりここを片付ける。一生懸命やるように」
十分後。
「それこっちに持ってきてー。ダンボールの中に入れてまとめよう」
「あ……はい。ねえパレット。これっていつ終わるの?」
「さあ……」
「ほら無駄口叩いてる暇あったら手ぇ動かして!」
三十分後。
「あの、この畳腐ってるんですけど……」
「じゃあそれも捨てるところに入れておいて」
「畳の下の床も腐ってるんですけど……」
「床板剥がしておいて。修理するから」
一時間後。
「そうそう、釘はそうやって打つの。やっと理解できたねー」
「あ、ありがとうございます」
二時間後。
「釘足りなくなったからそこのホームセンターで買ってきて。お金は出すから」
「ゴミ袋も買い足しておきますね」
五時間後。
「デイジービィーム!」
「よしよし、これでゴミは消えた」
「ご飯と豚汁できたよー」
「それじゃちょっと遅いけど晩御飯にするかー」
「パレット、そんなに小さい身体でよくお料理作れるよね」
「はっはっは、年季が違うのさ」
翌日の朝まで作業は続き、三人で廃屋を甦らせ……は少し大げさだが、人が暮らせるくらいにはなった。大家だというお婆さんには大感謝され、ぎゅっと手を握られてありがとうありがとうとお礼をいわれるとなんだかデイジーも嬉しくなった。
◇◇◇
新人漫画家、園田かりん十八歳は首を捻った。毎週視聴していたマジカルデイジーだが、今日放送されたものはどうにもおかしい。
マジカルデイジーが魔法を使うでもなく、普通にボロ屋の片付けと修理をする。
たとえば、先々週放送されたマジカルデイジーでは、穴掘りから宝探しが始まった。このように、何気ない日常から冒険が始まるという流れはマジカルデイジーに限らずありがちだ。きっとそんな流れになるのだろうと思って見ていたら、修理と片付けだけで終わってしまった。ボロ屋の家主である老婆に感謝され、みんなで笑う。パレットの「古い物でも修理すればきちんと使うことができるんだね」という道徳の授業で見せられた教育番組のような感想をもって締め。フェードアウト。オチがない。
しかも、いつものコスチュームではなく、普通の長袖Tシャツにジーンズ地のオーバーオール、顔は布で覆い、頭には野球帽というアメリカの田舎町でチェーンソーを振るっている殺人鬼のような格好だ。かりんは思う。こんなの魔法少女じゃない。
マジカルデイジーの魅力は、朝の番組なのにも関わらず、魔王でも悪の秘密結社でもない、リアルな反社会的団体とガチで戦うアバンギャルドさにある。今までに放送されてきた朝の魔法少女アニメ……「ひよこちゃん」や「キューティーヒーラー」とはここが違う。
かりんが好んで視聴していた理由がそれで、マニア的に評価されている部分もそこだ。今日の放送は、そんなマジカルデイジーの魅力を完全に損なってしまっていた。
なにがどうしてこうなったのか。
掲示板を見てみると、見たことがないくらい荒れていた。マジカルデイジースレは、現行アニメの中でも比較的緩やか、穏やかで、過ごしやすいスレッドだったのに、どこからか流入してきた荒らしも含めて目を覆わんばかりの惨状になっている。
かりんはのしのしと部屋を横断し、戸棚にしまってあったポテトチップスを取り出して袋を開けた。昨日の晩まで決意していたダイエットしようという思いはすでにない。マジカルデイジーがおかしくなってしまったストレスを解消する方が優先される。
午後になればアシスタントさんが来る。締め切りも間近い。微妙なポジションの漫画家は売れっ子以上に働かないと立場を維持することができない。しかし、その前に溜まっているストレスを発散しなければならない。
ポテトチップスをバリバリと貪りながらキーボードを叩いた。今日の内容についてはかりんだっていいたいことが山ほどある。魔法少女愛好家として、マジカルデイジーのファンとして、いいたいことが後から後から湧いてくる。
主張したいことを前面に出しながらも、常駐コテ「ジェノサイ子」として、掲示板の平和を守らなければならないのだ。かりんに課せられた使命は多い。マジカルデイジーを守るために働かなければ。
「そうだなぁ……署名活動でもしてみよっかな」
◇◇◇
窓越しに空を見上げた。青一色の一面に、白い飛行機雲が走っている。一幅の絵としてそのまま通用しそうな見事な青色だ。こんな悔しい思いで見上げるのでなければ、きっと気持ちのいい青空なのだろう。たとえ散らかったホテルの一室で見上げた空だとしても。
自分はけして間違っていないはずだという思いが募る。
野球帽を取り、ベッドの上に投げた。アフロのカツラを外し、眼鏡をかけて白衣を羽織った。立方体パズルを首からかけ、ショートパンツに足を通す。
仕事を外された。
魔法少女アニメが好きだった。だからこそ情熱を抱いていた。そんな熱い思いが理解されなかった。
正しい魔法少女を知ってほしいと思い、一生懸命頑張って番組制作を手伝ったのに、評価は最低、ただちに帰還するよう魔法の国から命令された。ここからが本当のマジカルデイジーになるはずだったのに。アニメという手段を得、正しい魔法少女の正しい活動内容を知らしめるはずだったのに。少女が指導したアニメの内容が大衆には受け入れられず、抗議と不平が殺到し、慌てたテレビ局によってマジカルデイジーは元の反社会的アニメに逆戻りする。
――衆愚だ。ポピュリズムだ。迎合でおもねりだ。
少女はホテルの窓を開けようとしたが動かなかった。安全のため窓が開かないようになっている、いわゆる嵌め殺しというやつだ。
「魔法少女アニメなんて! 大っ嫌いだあ!」
開かない窓に向かって叫ぶとガラスが震えた。
《おわり》
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