名称未設定-2



Disc2 第1話『Get Wild』


 ある日の放課後のことだ。

 入谷弦人はいつものように五階にある軽音楽部の元部室の扉を開けた。
「おー、グーテン・ターク(こんにちは)、ゲント!」
 瑠璃色の瞳を輝かせ、エヴァ・ワグナーが元気よく挨拶してくる。なにか返事をしようとした弦人だが、視線はそのままエヴァが広げているものへと吸い寄せられた。
 東京近辺の路線図だ。
「なんでお前、路線図なんか広げてるんだ?」
「ふっふっふ、よくぞ聞いてくれました、ゲント。これはわたしのトーキョー攻略記念地図です!」
「攻略地図?」
「ヤー(はい)!」
 エヴァはいつものテンションで返事をする。
「わたしがいままでに制覇した駅名にチェックをつけているのです! このペースなら日本にいるあいだに完全制覇できそうですよ!」
「またわけのわからないことを始めやがって……」
 地図を見ると、エヴァの言うとおり、駅名のあちこちに×印がつけられていた。
 渋谷、原宿、秋葉原、高田馬場、新大久保、巣鴨……。どうやら山手線沿いに攻めているらしい。
 全攻略するなら、地下鉄や中央線沿線、あるいは私鉄はどうなるのかという疑問が頭をよぎったが、所詮はエヴァ・ルールのもとに作成されている攻略図である。突っ込むだけヤボというものだろう。
 それでも一つ、弦人は気になる点があった。
「なんで新宿にはチェックを入れないんだ?」
「あー、シンジュクですか」
 エヴァはぽつりと言った。
「そこはラスボスです」
「はっ?」
「ヤー。難攻不落、ヨソ者を惑わす恐ろしい駅です……」
 なにかを思い出したのかエヴァの身体がガタガタと震えだす。
「路線は入り組んでいますし……人は多いですし……あと地下鉄に入ると、駅名が変わったり……出口だと思ったら乗換えの改札で、しかも別の料金を取られたり……出口を求めてさ迷っていたら変な商店街に出てしまったり……。あれは魔窟です、ゲント……あんな駅で毎日普通に乗り降りしている日本人が信じられません……」
「そういえば新宿駅の一日の乗降者数は世界一らしいな。俺も外国人から道を聞かれたりするし」
「日本の駅はそういうのが多すぎます! アキハバラとかなんですか! どうして外に出るのにまた別の路線のホームに出ないといけないんですか! まるでラビリンスです! もっとシンオークボやハラジュクの質素さを見習うべきです!」
「仕方ないだろ。都心の駅なんてどこの国も似たようなもんだろうが」
「でもでもシンジュク駅はもっと改善しないとダメです! あんなに複雑じゃ伝言板に"XYZ"と書きに行くこともできないですよ!」
「なんだ、それ。三次連立方程式の解法か?」
「違います! "XYZ"="もうあとがない"! シンジュクに住むスイーパー、サエバ・リョーへの伝言に決まっているじゃないですか!!」
「エヴァ」
「なんでしょうか」
「……それはどっちの話だ?」
「どっちというのは?」
「二次元と三次元」
「もうなにを言ってるんですか、ゲント。次元の違いなんてささいなことじゃないですか!」
「つまりアニメの話なんだな」
「【シティーハンター】の話です!」
 弦人は諦めながら嘆息する。
 きょうもエヴァは平常運行のようだ。
「なんでそう、お前の口からは一昔前のマンガの名前がポンポン出てくるのか不思議なんだが……」
「ジャンプ作品はアニメ好きなら押さえていて当然です! むしろグローバルスタンダードですよ!」
「自分の趣味を都合よくグローバルスタンダードって言い換えるのはやめろ」
「むー、人気があるのは本当なのに……」
 しばらくむくれていたエヴァだが、ふとなにかを思いついたように両手を打った。
 弦人はすぐに直感する。
 また、いつものアレが始まった。
「そうですね。ここは【シティーハンター】の魅力を知ってもらうためにもやっぱりあの曲を流して――」
「きょうはあのMP3プレイヤー持ってきていないぞ」
「なんでですかー!!」
「だから言ってるだろ、毎度毎度は持ってこないって。自分の持ってるやつで聴けよ」
 以前、弦人はエヴァが独断と偏見で選んだアニソン100曲入りのMP3プレイヤーを押しつけられ(詳しくは『エヴァ・ワグナーのアニソン三昧 第1話』を参照)、以来なにかとエヴァのペースにハマりながら、アニソン講義を延々と聴かされる日々を送っていた。
 またエヴァが自分の持っているMP3プレイヤーを出すパターンかと思ったが、なぜか悲痛そうに顔を歪める。
「……じつは今朝、充電するの忘れまして。…………MP3プレイヤーのバッテリーが…………切れてまして……」
「ああ……」
 ちょっとだけ、弦人はエヴァの切なさに共感する。聴きたいときに音楽プレイヤーのバッテリーが切れることほどテンションが下がることもない。
 なんとなく可哀そうになった弦人はエヴァに声をかける。
「……あれだったら、俺のMP3プレイヤー貸してやろうか? すこしは暇つぶしになるだろうし」
「それ、アニソンは何曲入っているのですか!?」
「いや、一曲も入ってないが」
「グフッ!!」
 一度復活したエヴァはふたたび心臓を射抜かれたかのように机に突っ伏した。一度期待がこみ上げた分ダメージがでかかったのか、しくしくと泣き始める。
「……うう、ゲントは本当にKYです。……アニソンが一曲もないとか、本当にKYプレイリストです……」
「おい、コラ」
「どういうことですか! アニソンバンドのメンバーなのに、アニソンを聴かないとは! もっとメンバーとしての自覚を持ってください!」
「お前に音楽の趣味までとやかく言われる筋合いはない」
 ビキッと弦人の額に血管が浮かび上がる。
「だいたいアニソンバンドだからってアニソンしか聴かないのも、俺はどうかと思うがな。もっとほかの曲も聴いてみろよ。アニソンは自由なジャンルなんだろ? それこそほかのジャンルの音楽もいろいろ聴くべきなんじゃないのか?」
「それはそうですけど……」
「この機会だ。たまにはアニソン以外にも聴いてみろ。大抵のジャンルは入っているから」
 弦人は自分のウォークマンを机の上に置いた。
「アニソン以外の有名どころは大体おさえてある。ディープ・パープルがロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団と共演したライブとか、レッドツェッペリンとか、あ、ロバート・ジョンソン、ルイ・アームストロングもおススメだな。日本のポップスも入れてるし……。最近はダンスミュージックにもハマってて……」
「ダンスミュージック?」
 ぴくりとエヴァが耳を動かす。
「……もしかしてコムロ・テツヤとか?」
「え? ああ、TM NETWORKの有名曲なら入ってると思うが」
「ちょっと貸してください!」
 急に元気になるエヴァを訝しく思いながら、弦人は自分のMP3プレイヤーを渡した。すぐにプレイリストを漁るエヴァは、突然喜びの叫びをあげる。
「サイコーです、ゲント! さすがです! いやー、空気の読める人はやっぱり違いますね!」
「……なにがだ?」
 コロッと態度を翻したエヴァに、弦人は眉をしかめた。
 するとエヴァは弦人の問いかけに答えず、さっさとMP3プレイヤーをスピーカーに接続する。
 スピーカーから流れる、シンセサイザーの問いかけるような煌びやかな旋律、それにかけ合わせるように駆け上がるドラムのビート。
 センチメンタルとハードボイルドがおり混ざったテクノ感溢れるメロディが切なく響く
 イントロを聴いた時点で、弦人にはどの曲かすぐにわかった。
 というか、そもそも。
「『Get Wild』ってアニソンなのか?」
「もちろんです! 【シティーハンター】を代表する名アニソンですよ!」
 すっかりいつもの調子を取り戻したエヴァはぐっと握り拳を作りながら語りだす。
「【シティーハンター】はシンジュクを拠点とする凄腕のスイーパー、サエバ・リョーとパートナーのカオリの活躍を描いたハードボイルド漫画です。OPもEDもとにかく都会的で非常にセンスの良い楽曲揃いなのですが、そのなかでも知名度、人気ともに高いのが【シティーハンター】の初代ED曲であるこの『Get Wild』なんです! もう二十五年以上も前の曲なのにカッコよさが色褪せない、まさに神曲ですよ!」
「まぁ、相当ヒットした曲らしいからな。音楽番組のなつかしソングでもよく流れるからなんとなく入れていたんだが……。でも小室哲哉もアニソン手掛けてたんだなぁ」
「なにを言いますか。ガンダムの劇場版、【逆襲のシャア】の主題歌である『BEYOND THE TIME~メビウスの宇宙を越えて~』もTM NETWORKですし、そもそも日本で一番売れたアニソンであるシノハラ・リョーコの『恋しさと せつなさと 心強さと』だって作詞・作曲、プロデュースはコムロ・テツヤなんですよ。コムロ・テツヤがいまのアニソン界に与えた影響はとても大きいんですから!」
「まぁ、アニソンどころか日本の音楽界に影響を与えた人ではあるからな」
 エヴァは興奮した口調で語りながら、曲に合わせて肩を揺らす。
 誰も振り返らない都会のなか、孤独に生きる一人の男。
 夜の街に輝くネオンサインのごとく、どこか哀愁漂うシンセサイザーの音色。
 誰かの痛みを抱えながら奔走する人間の誇りを刻みつけるように叩かれるバスドラム。
 鋭く洗練されたメロディはやがて盛り上がりを見せ、サビで一気に爆発する。
 男性ボーカルに合わせてエヴァは嬉しそうにフレーズの一部を歌った。
「くぅ~……やっぱりこのフレーズの気持ちよさはダントツです! フルメタルジャケット弾で撃ち抜かれたかのようです! 80年代にこんなクールな曲があったなんて、本当に信じられません! しかし、やはりなんといってもこの曲で印象深いのはイントロ部分です!!」
「ああ、わかるわかる。あのキーボードから入って、続くベースの音のカッコよさといったらもう……」
「普通、アニメのEDってCM明けに流れるものですけど、【シティハンター】はこのEDの演出がとにかくドラマチックで神がかっているんです。アニメのラスト30秒前からかかるEDのイントロ……。あるときは空港で去りゆく依頼人やライバルを見送り、あるときは粋なひと言を残しつつ、流れる前奏……。そしてEDの映像に入った瞬間に流れるAメロの歌い出し! これほど素晴らしいEDの入り方もそうそうありません! 【シティーハンター】の代名詞とも呼べる演出法です! 」
「いや、俺が言いたいのはそういうことじゃなくてだな……」
「EDだけでなく、その後の二期、三期、TVスペシャルでも挿入歌として使われているんですよね。特に【シティーハンター2】の50話! クライマックスで流れたこの曲が流れた瞬間の鳥肌と言ったらもう……!」
「頼むから、俺がついてこられる範囲で話してくれ」
「せっかくですから、ゲントも【シティーハンター】を見たほうが良いです! そしたら、きっと『Get Wild』のことをもっと好きになれると思いますから! あ、どうせだったら、今度みんなでシンジュク駅を探索しましょう! きっとどこかに伝言板が見つかるはずですから!」
 弦人はため息をつき、淡々とエヴァに告げた。
「もうないぞ、お前の言う伝言板っていうのは」
「えっ?」
「携帯電話があるからな。もうその手の伝言板をだしている駅ってほとんどないんじゃないのか?」
「そう、なんですか……」
 エヴァは虚をつかれたように肩を落とした。
 それっきり言葉を失くし、じっと考え込む。
「…………そんなに落ち込むことか?」
「……だって……ずっと……書きこむの……楽しみにしてたものですから……」
「ほかの駅じゃダメなのか? まだ伝言版が残ってる駅なんていくらでもあるだろ?」
「シンジュクじゃないと意味ないです……シンジュク駅の伝言板に"XYZ"って書くのが長年の夢でしたのに……なんで撤去しちゃうんですか……文化遺産として保護すべきものじゃないんですか……」
「だから言ってるだろ、二次元と三次元をごっちゃにするなって」
 それでもエヴァは未練がましく、路線図を見つめている。
 まだチェックがついていない新宿駅。攻略のためのゴールが失われた駅。
 曲は間奏を終え、最後のパートへと到達する。
 荒々しく、タフであれ。
 チャンスと、幸運を掴め。
 四半世紀経ったいまも、聴く者の心を離さない刺激に満ちたサウンド。
 そのあいだに、世紀は変わり、街の姿も変わり、多くのものが生まれ、それ以上に多くのものが消えていった。
 昔の新宿駅がどうだったのか、弦人が知る由もない。
 過去を振り返るには、まだまだ弦人の積み重ねてきた時間は長くないのだ。
 だからこそ、落ち込むエヴァに弦人は言った。
「今度、俺が新宿駅を案内してやる。お前の気が済むまでな」
 エヴァがびっくりしたように目を瞠る。
 そこまで驚かなくても、と思いつつ、弦人は話し続けた。
「伝言板はないが、まー、新宿に行く機会は多いだろうし。駅に慣れとくのは悪いことじゃないだろ。それでチェックをつければいい。だろ?」
 弦人の言葉に、エヴァは視線を落とす。
 やがて嬉しそうに、本当に嬉しそうに、顔をほころばせた。
「約束ですよ。わたし一人では、絶対に迷ってしまいますから!」
「わかった、わかった。いいから、もうこの地図しまっとけ。ほかの連中だってそろそろ来るだろうし」
「ヤー! わかりました!」
 いつのまにか曲は終わり、部屋のなかは静かになる。
 エヴァは鼻歌を口ずさみながら、地図をたたみ始めた。
 弦人も自分のMP3プレイヤーを片づけながらまだ見たことのない【シティーハンター】に思いを馳せる。
 まだどういうアニメなのか、イマイチ弦人は理解していない。
 が、なにかの機会には見ておくのも悪くはないかもしれない。
 それでまた『Get Wild』の新たな魅力を発見できるのなら。
「そういえば、【シティーハンター】でずっと気になっていることがあるんです」
 ふとなにかを思い出したようにエヴァは口を開いた。
「どうしても意味がわからない日本語がありまして」
「ふーん。どんな日本語だ?」
「えーとですね……」
 エヴァはひどく真剣な顔で尋ねた。

「"もっこり"って日本語なんですけど、わかりますか?」

 弦人はそのまま硬直し、エヴァを見つめる。
「……エヴァ、世の中には知らなくても良い言葉っていうのがあってだな」
「そんなことないです! だっていつもアニメでは、もっこりもっこりと叫んでます! きっと作品を読み解く重要なキーワードに違いありません! だから教えてください! いまのゲントの顔、絶対知っている顔です!」
 ぐっとエヴァに迫られ、弦人は壁際にまで追い込まれる。
「さぁ、ゲント。教えてください! もっこりとはどういう意味なのか! さぁ! さぁ!!」
 絶体絶命の窮地に追いやられた弦人はそっと天井を仰ぐ。
 そしてもういまは無き新宿駅東口の伝言板を思い描きながら、そっと心のなかで呟いた。

 XYZ――館陽高校五階の空き部屋にて至急来られたし。

 ワイルドにも、タフにも、まだまだ自分はなれそうにない。

楽曲データ
『Get Wild』 歌:TM NETWORK 
作詞:小室みつ子 作曲:小室哲哉 【シティーハンター】OP
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