Disc2 第2話『メリッサ』
ある日の放課後のことだ。
入谷弦人はいつものように五階にある元軽音楽部の部屋の扉を開けた。
「おー、グーテン・ターク。ゲント」
「おっすー、入谷」
すでに部屋には、エヴァ・ワグナーと九条京子がテーブルについている。なぜか京子は紅茶入りのティーカップを手に持っていた。
「……いつからお茶飲み同好会になったんだ、ここは」
「こないだお店を回っていたら、ハーブティーを見つけまして! 試しに淹れてみたんです!」
「ふっふっふ。こないだ発掘したお湯のポットが早速役に立ったわ」
「ほんとになんでもあるんだな、この部屋」
「はい。ゲントもどーぞ。おいしいですよ!」
にこりとエヴァが笑いかける。弦人はティーカップの取っ手を持ち、紅茶を口元へ運ぶ。
レモンのような清涼感のある匂いが鼻をくすぐった。
「ふーん、レモンバームティーか」
「え、アンタ、紅茶の種類とかわかんの?」
「ああ、母さんがよく淹れてたからな」
「はー。このサッパリした味と香り、本当にクセになります!」
エヴァは心から幸せそうな顔でお茶を飲む。
どうでもいいが、エヴァだけはなぜか湯呑みだった。
京子もまったりした顔でうんうんと頷く。
「このちょっとした甘味とレモンの香りがほどよく合って……ああ、これ良い……兄貴の入れる濃すぎる麦茶よりずっと良い……」
「麦茶って水にパックを入れるだけだよな?」
それでもエヴァの淹れたお茶が美味しいことは、弦人も同意だった。
なぜだろう。
たかがお茶なのに……すごく、心が安らぐ……。
「よくドイツでも飲んでたんですよー。夏に飲むと爽やかな気持ちになれて良いんですよねー。高血圧、頭痛、ストレスなどの改善にも作用し、脳の活性化や若返りにも効果があると言われている、長寿のハーブなんです。まさに紅茶界の"賢者の石"です!」
「はー、これが賢者の石かー……そうねー……お茶一つでこんなに安らいだ気持ちが得られるのなら……等価交換なんてあってないようなもんよねー……」
「そうです……なにかを犠牲にしなくても……人はこうして賢者の石を手に入れられるのです……」
「なんの話してんの、お前ら」
まったり女子二人組に首を傾げつつ、ふと弦人はレモンバームティーについてあることを思い出す。
「そういえばこれ、母さんは別の名前で呼んでたな」
「もー、ゲント……名前なんて関係ありませんよ……バラという名前を別の名前で呼んでみても、美しい香りはそのままなんですよ……」
「はぁ……、エヴァったら……詩人ねぇ……」
「……えーと、確か……あ、思い出した。メリッサって名前がついてんだよな、これ」
ぴくりとエヴァと京子が動きを止める。
弦人はそれに気づかず話を続ける。
「ミツバチって意味のギリシャ語らしいな。この香りがミツバチを引き寄せるらしくて、そんな呼び名がついたって聞いたことが――」
「ゲント」
「なんだ?」
「例のやつです」
安らいでいた弦人の心がいきなり現実へと突き落とされる。
エヴァと京子が待望の眼差しでこちらを見つめていた。
……折角の心穏やかなティータイムだったのに。
もしくはこう言い変えよう。
せっかくのアニソン以外の音楽に浸れる時間と思っていたのに!
弦人は最後の抵抗を試みた。
「悪いな、エヴァ。じつはきょうも家に置いて」
「エヴァ大佐、被疑者の荷物からMP3プレイヤー、確保しましたーーー!」
「人の鞄を勝手に漁るなっ!」
例のやつ――エヴァから借りているアニソン100曲入りのMP3プレイヤー。
京子から受け取ったエヴァは悠々とスピーカーにセットし、テーブルの上に置いた。
弦人は大きくため息をつく。
……いや、アニソンバンドだし、アニソンを聴くのはべつに良い。それは構わない。
問題はこのアニソンバカだ。
こいつと聴いていると、いつの間にか向こうのテンションに引きずられて、毎度毎度妙な疲労感に襲われるのである。話が脱線しまくるし、うるさいし、音楽の話をしているのかアニメの話をしてるのかわからなくなるし。
弦人が諦めているなか、エヴァはMP3プレイヤーの再生ボタンを押した。
疾走するようなベースのイントロと煽り立てるような手拍子。
そのまま男性ボーカルの高い声が切なくも激しいメロディとなって曲を出だしから盛り上げる。
ボーカルを追いかけるようなコーラスが傷ついた魂の慟哭となって響き渡る。過去に犯してしまった過ちと、そこから立ち上がろうとする意思を祝福するようなメロディ。
聞こえてきたサウンドに、弦人は目を瞬いた。
「これ、ポルノグラフィティだよな?」
「そうです!」
なぜかエヴァは突然両手をパンと叩く。まるで祈りにも似た姿だった。
「ポルノグラフィティの名曲にして、アニメ【鋼の錬金術師】一期の記念すべき初代OPの、あの『メリッサ』ですよ!」
「鋼の……なに?」
「え、アンタ、【鋼の錬金術師】知らないの?」
京子の言い草にむっとなりながらも、弦人はその通称でおぼろげに思い出す。
「あー、そういえば、そんな漫画があったなー。よく書店でも見かけたような……」
「書店で見かけるどころじゃありません! 世界的にも【鋼の錬金術師】は大人気の作品なんですから!」
エヴァが興奮したように力説した。
「錬金術が広まった世界。死んだ母親を蘇らせるために人体錬成を行う禁忌を犯し、手足を失った兄と肉体を失ってしまった弟がすべてを取り戻すために"賢者の石"を追い求める冒険ファンタジー! もともとは少年誌で始まったダークファンタジー漫画なのですが、とにかくテーマ、世界観、ストーリー、キャラクター、どれをとっても一級品で奥が深く、わたしの周りの友人たちもみな絶賛してました。海外での人気もすごく高いんですよ!」
「いいよねー。特に第一期はオリジナル展開だったけど、それがまた面白くてさー、主題歌もよく聴いたわよ。『READY STEDY GO』も『リライト』もいいけど、やっぱりアタシはこの曲が一番しっくりくるかな」
「……それってラルクとアジカンの曲じゃなかったか?」
「ヤー(はい)! どれもその年のオリコンランキングにランクインした曲ばかりです! 【鋼の錬金術師】の楽曲はどれも人気が高いですからね。コンピレーションアルバムが出たときなんて、アニメCDとして初のオリコン首位獲得を達成していますし!」
弦人はそれを聞いて、顔をしかめる。
「……でもエヴァ。それってタイアップ曲ってことだろ? 要するにアーティストの人気に乗っかっただけなんじゃ……」
「タイアップであろうとアニメにはまっていれば問題ありません! すくなくとも『メリッサ』は紛れもなく、【鋼の錬金術師】の主題歌に相応しい曲です!」
エヴァは強く力説する。
「歌詞もメロディもしっかりと【鋼の錬金術師】の世界観を表してますし、特にサビの歌詞なんて、主人公のエドとアルの心情そのものじゃないですか! 絶望のなかでも自分の足で立ち上がった姿、自分の罪に苦しみながら安らぎを求めて前へ進もうとする罪人……。もうわたし、この曲を聴くだけでアニメのシーンが思い浮かんできてしまって……。特に七話が……七話が……。うう、ニーナ……」
「あー、あれは衝撃よね……。アタシはあと、あのヒューズ中佐のところが……中佐、あなたはまだ生きるべき人だったのに……」
「とりあえず、お前らがハガレン好きなのはわかったから」
というか、好きすぎるだろ。
弦人はかなりドン引きしていた。
「は、すいません! どうもダメですね、アニソンを聴くとつい作品の思い出までもが蘇ってきてしまって。はー、やっぱり『メリッサ』は名曲ですよ……」
「そうかい」
アニソンは懐の深いジャンルである。ちゃんとアニメにさえ合っていれば、タイアップだろうとカバー曲だろうと、エヴァにはまるで関係がない。あるいはタイアップであるかどうかを気にする自分のほうが、偏見にまみれているのかもしれない。
「エヴァの言うとおりよ! もうホント、一般の友達の前でも盛り上がれるアニソンとしてこんなに重宝できる曲もないんだから!」
「それは知らねえよ」
「アンタも食わず嫌いしてないで、アニメ見てみたら? 入谷だってきっと楽しめると思うわよ?」
「べつに俺は……」
「そういえば小松も【鋼の錬金術師】読んだって言ってたなぁ」
「えっ」
「こないだコトネと話してたら、ハボックが好きって言ってましたね」
弦人が押し黙っていると、片肘を京子がつついてきた。
「いいの~? これからバンドのみんなで【鋼の錬金術師】トークになったときに、アンタだけ付いてこられなくなるわよ?」
「……アニメの話にうつつを抜かしている暇はない。お前らとは違うんだ、俺は」
するとエヴァがなぜか悲しそうな目になり、弦人を見つめる。
「ゲント……こちらの輪に入ってくれないのですか……?」
「だから、そうじゃなくてっ!」
弦人は頭を抱えたくなる。『メリッサ』の曲が弦人の耳を通り抜けていく。
ドラマチックな冒険を予感させる演奏。悲劇を歌っているのに祝福しているようにも思える曲に、弦人の心もノリ始めている。
しばらくして弦人はため息混じりに答えた。
「……今度、レンタルしてみるよ。とりあえず一巻だけな」
「そうこなくっちゃです! きっとハマると思いますから!」
なにがそんなに嬉しいのか、エヴァはまばゆい笑顔を浮かべていた。
弦人はこそばゆい気持ちになりながらも、悪い気もしていなかった。
まぁ。
たまにはこうやって自分から歩み寄ることも必要で――。
「どうせなら、そのまま無印を見て、FAにも突入しちゃってください!」
「え、FA?」
「そうです! 無印も悪くはないんですけど、やっぱり原作準拠のFAを見てこその【ハガレン】……」
「なに言ってんの、エヴァ。FAもいいけど、なんといっても一期の面白さが至高」
「ナインナイン(いえいえ)、無印のエンドはほろ苦すぎます! あれじゃあ、ウィンリィが可哀想じゃないですか! FAを見てこそ救いがあると……」
「だったら原作読めばいいのよ! アタシは無印のあの雰囲気のほうが好きよ? もうラースが萌えキャラ過ぎて……!」
「なにを言いますか! ラースと言ったら大総統を置いてほかにいません!」
「……意見が分かれたようね、エヴァ」
「……ヤー、キョーコ。わたしも残念です……」
なぜかエヴァと京子が対峙しあう。
そもそもFAってなんだ。フリーエージェントのことか?
だがこのまま黙って睨み合っている横にいるのも正直、気まずい。思い切って、弦人は二人のあいだに割って入った。
「無印でもFAでもいいだろ? ほら、両方面白いということでここは引いて……」
「入谷は黙っててくれる? アンタ、オタク分野について無能なんだから」
「むっ……!」
その場に崩れ落ちる弦人を無視し、二人は無言のにらみ合いを続ける。
やがてエヴァのほうからぽつりと口を開いた。
「このままにらみ合っても埓が明きません、キョーコどうします?」
「そうね……いつまで引っ張ってもしょうがないし……どうせなら……」
キョーコの目がMP3プレイヤーへと向けられる。
「そうですね、かくなる上はこのまま、FAの曲も再生しながら、議論をしましょう! これははっきりと白黒つけるべきです!」
「上等! 受けて立とうじゃないの!」
「まだ聴くのかよっ」
弦人はげんなりしながら、天井を仰いだ。
どうやらちょっと歩み寄るくらいでは難しいらしい。
弦人がアニソンの真理に到達する日はどうやらまだまだ先のことのようだ。
■楽曲データ
『メリッサ』 歌:ポルノグラフィティ
作詞:新藤晴一 作曲:ak.homma 【鋼の錬金術師】OP
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