Disc2 第3話『DAYBREAK'S BELL』
ある日の放課後のことだ。
入谷弦人はいつものように五階にある元軽音楽部の部屋の扉を開けた。
「あ、入谷先パイ……」
ちょうど部屋にいた宮坂琴音が顔をあげる。キーボード担当の後輩は困ったように眉をひそめていた。
部屋のなかにはもう一人、エヴァが窓際に座っていた。いつものハイテンションは鳴りをひそめ、いまはなぜかぼーっと窓の外を眺めている。
「どうしたんだ、エヴァの奴」
「わかりません……琴音がここへ来たときには、エヴァ先パイあの状態で……」
琴音が困惑するのも無理はない。いつもうるさい奴が静まり返っている光景というのはなかなか不気味な空気を漂わせるものだ。
と、いきなりエヴァは外を眺めながら深々とため息をついた。
「どうしてこの世界からは争いがなくならないのでしょうか……」
弦人と琴音は思わず顔を見合わせた。
「……いまのどういう意味ですか? 世界平和か、あるいは新手の宗教とかに目覚めたちゃったんですか……?」
「あいつはとっくに入信ずみだろうが、アニソン教に」
「いえ、そういう意味ではなく……」
「気にするな。どうせ大した話じゃないだろ。争いつったって、近所の猫が喧嘩したとかそんなレベルの……」
「ああっ!」
エヴァはさらに嘆きを深めた。
「本当にわかりません……。二十一世紀になっても人はわかりあえないなんて、そんなの悲しすぎます……」
「人の争いって言ってますよ、入谷先パイ……! 猫どころじゃないですよ……!」
「……落ちつけ。年中アニソンしか考えてないバカだ、あいつは。そんな大それた悩みを持つわけが」
「で、でも、わからないじゃないですか……。に、日本人とは、そーゆうことの感覚が違うのかもしれませんし……。ドイツって徴兵制があるって聞いてますし……」
「それ、最近は廃止されたんじゃなかったか? いや、でも、まさか……」
と、いきなりエヴァは椅子から立ち上がった。びくっと弦人と琴音は顔を上げる。
エヴァはまるで怒りをぶつけるように高らかに叫んだ。
「いまこそ世界は変革すべきです! 戦争根絶です! 戦闘への武力介入です! ソレスタルビーイングは二十四世紀ではなく、現代にこそ必要なんですよ! 今日のわたしは、アシュラすら凌駕する存在です!」
アニソンバカがきょうはおかしな方向に壊れていた。
エヴァの様子に、琴音も青ざめた顔で部屋に飛び込む。
「え、エヴァ先パイ、落ち着いて~! は、早まっちゃダメ~!」
「離してください、コトネ! わたしは、わたしはやらなければならんのです!」
「いつものエヴァ先パイに戻って~! い、入谷先パイも!」
「あ、ああ……」
エヴァを取り押さえようとする琴音に圧倒されていた弦人は我に返って足を踏み出そうとした。が、そこで足もとに落ちているプリントに気づく。
弦人はプリントを拾い上げ、中身を確認する。
そして、一切を了解した。
「……世界史って、お前の得意分野じゃないのか?」
エヴァがぎくりと肩を震わせた。目を逸らしながら、誤魔化すように声を上ずらせる。
「わ、わたしが外国人だからって、世界でくくるのは乱暴です! ウラル山脈より向こうの歴史なんてわたし、わかりません! それに戦争の話は嫌いですよ! Zweiter Weltkrieg(第二次世界大戦)の話だけでもうんざりすることだらけなのに……」
「それでもこれは褒められた点数ではないよな」
弦人はそう言って、エヴァの世界史のテストの答案を机に置いた。戦争に関する記述が誤答だらけ。赤点ギリギリといったところか。
もっとも生粋のドイツ人が普通に日本語のテストを解いているというだけでも十分に凄いことではあるのだが。
「世界史……そういえば先パイたちは文系でしたね。琴音は理系を取るつもりなので世界史も日本史もさっぱりなのですが……」
「大丈夫です、コトネ。わたし、日本史については【戦国BASARA】でばっちり予習しましたから!」
「アニメと現実を混同するのはやめような?」
「でもケンカはあれくらいバカなノリでやるべきです。現実の戦争はもっとひどくて、痛ましくて、それにちっとも面白くありません。なくなればいいんですよ、戦争なんて」
そう言うエヴァの横顔はいつもより無表情で、寂しげだった。
いつもとは違うアニソンバカの顔に、弦人は戸惑いを覚えた。
「……そ、そういえば、さっきの、それすたるなんとかとかって……なんのアニメでしたっけ……」
硬直した空気を壊そうとしてか、琴音が口を開く。弦人もぎこちなく頷いた。
「そう、だな。ちょうど、例のヤツも持ってきてるし」
「ホントですか!」
急にエヴァの顔が明るくなった。振り向いたエヴァの顔を見て、弦人は安堵まじりのため息をつきながら、例のMP3プレイヤーを手渡した。エヴァ厳選のアニソンが詰まった、特製のMP3プレイヤー。
「そうですねぇ、個人的に好きな曲はたくさんあるのですが……やはりこのアニメを代表する曲といったら……」
エヴァはうきうきとスピーカーに接続し、曲を選んでから、再生ボタンを押した。
その途端、スピーカーからギターの物哀しい旋律が響く。
直後に続く、鍵盤楽器の歌い上げるようなメロディと、繊細かつ畳みかけるようなパーカッション。
まるで新しい日を告げる鐘のようなメロディ
どこのバンドの曲かと思った弦人だが、男性ボーカリストの呼びかけるような歌声を聴いて、すぐに思い至る。
「なるほど、今度はL'Arc~en~Cielか」
「ヤー(はい)。わたしたち"レーゲン・ボーゲン"とおなじ、"虹"の名前を冠したバンドです!」
「そういえば、L'Arc~en~Cielってフランス語だと"虹"って意味でしたっけ……コトネたちとお揃いですね……」
「そうですね。J-POPを代表するL'Arc~en~Cielですが、じつはアニソンとの縁も深いんですよ? 【るろうに剣心】劇場版の主題歌にも起用された曲がその名もずばり『虹』ですし、【鋼の錬金術師】の『READY STEADY GO』もL'Arc~en~Cielのライブでは定番曲になってるんです」
「ふーん。それで、この曲は二つのうちのどっちなんだ?」
「ナイン(いえ)、どちらでもありません。『DAYBREAK'S BELL』、【機動戦士ガンダム00】1stシーズンの第一期OP曲です!」
「……またガンダムか」
弦人はちらりと部屋の戸棚に飾られた、ガンダムのパチモンプラモへ目を向ける。
「日本で最も知名度のあるロボットアニメですから、たくさんシリーズがあるんですよ。ほかにも【機動武闘伝Gガンダム】や【機動新世紀ガンダムW】とか、いちばん新しいシリーズでは【機動戦士ガンダムAGE】や劇場公開された【機動戦士ガンダムUC】も……」
「あ、うん。全部聞くつもりはないからな」
「面白いですよ? モビルスーツもカッコイイですけど、なにより戦争を正面から描いた群像劇ということで、まるでホメロスの叙事詩を見ているような壮大なドラマに浸れます! この気持ち……まさしく愛です!!」
「あ、その台詞……ネットで見たことあります……」
エヴァの口調に熱が入る。
いつものエンジンがかかったらしい。
「この【機動戦士ガンダム00】は比較的最近の作品なのですが、なんといっても特徴的なのはシリーズで初めて西暦を舞台にした作品だということです! そのため、現在の世界情勢が作品にもリアルに反映されています。そして主人公たちは、戦争が絶えない世界の歪みを断ち切るために、ガンダムに乗って戦争根絶に乗り出していく……」
そう言って、エヴァは流れる曲に耳を澄ます。
殺しあわないといけない世界の歪みを嘆きながら、切なる願いを乗せて歌うhydeの激しく、哀切な声。
バンドの奏でるメロディも、激しいテンポの曲にも関わらず、どこか抑制的で、祈るような響きを放っている。
「アニソンの、特にOP曲ってもっとアップテンポな曲のイメージが強いんだが、なんだかこれはバラードみたいだな……」
「琴音も思いました……全体的に暗いというか……ピアノの音が印象的ですね……」
「そうですね。ゲントやコトネの言うとおり、ロボットアニメとしてのカタルシスには欠ける曲かもしれません。でも、ある意味、これほどテーマに寄り添ったタイアップ曲もなかなかありませんよ」
エヴァは静かに語る。
「いつまでもおなじ過ちを繰り返す人に絶望しながら、それでも戦いに赴く大切な人への無事を願い、草花に満ちた平和な未来へ向けて祈りを捧げる……。実際、歌詞に描かれた風景はそのまま【機動戦士ガンダム00】という作品のラストシーンにもなったくらいです。1stシーズンおよび2ndシーズン両方の最終回でも流れてますし、まさに【機動戦士ガンダム00】を代表する一曲です。いつか、この世界も、アニメでのラストのような風景になればいいんですけどね」
弦人は静かに、エヴァの話に耳を傾ける。
たぶんほかの人間の口から聞いていたら、一笑に付していたかもしれないが、なぜかエヴァから聞くと妙に実感がこもって聞こえた。
ドイツはもともと複雑な歴史を抱えた国で、移民の問題や人種差別など、日本では実感しづらいシビアな問題に直面している。
こうして能天気そうに振舞っているエヴァも、あるいはそういう理不尽さを目の当たりにしてきたのかもしれない。
「まぁ、確かにな」
弦人は口を開いた。
「戦争は、俺も嫌だな」
「……そうですよね、戦争が好きな人なんていません」
エヴァはそう言うと力拳を握った。
「だから、第一次バルカン戦争のこととかわからなくても問題ありませんよねっ!」
「いや、そこは知っておけよ」
「どうしてですか! 戦争なんて、早く人類の黒歴史にすべきじゃないんですか!」
「バルカン戦争って完全にヨーロッパ圏内じゃねーか。完全にお前の専門分野だろうが」
「うう、バルカン半島なんて未知の場所ですよ……アルプス山脈より向こうはもう異世界なんですよ……」
「さっきウラル山脈って言ってなかったか?」
「だいたい日本人はヨーロッパとひとくくりにしすぎです! ヨーロッパは広いんです! バルカン同盟の国がどこかなんて、わかるわけ……」
「ブルガリ……セルビア……ギリシャ……モンテネグロ……ですよね?」
それまで黙っていた琴音がぽつりと答える。
エヴァはギギギ、と振り向いた。
「え、えっと……第一次ではバルカン同盟の国とオスマン帝国と戦争して……その後、今度は領土の国境をめぐって同盟諸国での戦争になったんですよね……? この戦争の結果が、あとの第一次世界大戦の要因になったって……。中学の地理の先生が……ヨーロッパ史オタクだったので……」
「そ、そんな……理系志望の後輩に……歴史で遅れを取るなんて……」
エヴァは愕然としたようにその場に崩れ落ちた。「エヴァ先パイ!?」と琴音が慌てて駆け寄る。
「し、しっかりしてください……エヴァ先パイ……! だ、だだだ大丈夫ですか?」
「ふ、ふふふ、コトネ……」
力なく笑いながら、エヴァは右手を掲げ、それを拳銃の形にしてみせた。
「狙い……撃たれましたぜ……」
「エヴァ先パイ!? 全然意味がわからないですよ!?」
崩れ落ちるエヴァを前に慌てる琴音。
弦人は肩を竦めてから、そっと窓の外に目を向けた。
夜明けの鐘ならぬ、終業のベルが校舎に鳴り渡る。
きょうも高田馬場は異常なし。
アニソンバカの平和な一日はまだまだ終わりそうにない。
■楽曲データ
『DAYBREAK'S BELL』 歌:L'Arc~en~Ciel
作詞:hyde 作曲:ken 【機動戦士ガンダム00】1stシーズンOP
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