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Disc2 第6話『タッチ』



 ある日の放課後のことだ。

 入谷弦人はいつものように五階にある軽音楽部の部屋の扉を開けた。
 冷たい風が部屋のなかから入り込んでくる。見ると、エヴァが窓を全開にしながら、窓枠に顔をもたれかけていた。
 寒いから閉めろ、と声をかけようとした弦人は外から聴こえてくる演奏に気づく。
 力強い金管楽器のハーモニー。腹の底に響くような低音。ポップなのにどこか哀愁を帯びた耳に残るメロディー。おそらく吹奏楽部が練習しているのだろう。
 演奏に合わせて、エヴァは気持ちよさそうに鼻歌を口ずさんでいる。
 さすがの弦人もエヴァがなにに反応しているのかはわかった。
「この曲、『タッチ』だよな?」
 エヴァが意外そうに振り返る。そしてにっこりと笑った。
「やっぱり有名なんですね、この曲」
「まぁな。甲子園の試合でもよく演奏されてるし」
「たしか応援歌の定番なんですよね。うんうん、アニソンが国技の応援歌に使われるなんて、さすがは"アニソンの神様"のいる国です!」
「野球は国技じゃないぞ」
「え、ちがうんですか?」
 エヴァは意外そうに目を丸くする。
「【巨人の星】、【ドカベン】、【MAJOR】、【おおきく振りかぶって】とヤキュー・アニメがこんなにありますし、日本はヤキューが世界で一番強いと聞いていたのでてっきりそうなのだと……。それにほら、日本には有名な格言があるじゃないですか。『途中でヤキュー回のあるアニメは名作』って!」
「勝手に変な格言を捏造するな」
 金管楽器の演奏が途絶えたところで、弦人は窓を閉める。
「……でも、言われてみれば野球が盛んなのってアジアや中南米くらいなのか。ヨーロッパじゃやらないのか?」
「うーん、ほとんど見たことないですね。それにヤキューって怖そうじゃないですか。金属バットとか、強盗が使う武器をそのままスポーツの道具に流用するなんて、ほんとにバイオレンスなスポーツ……」
「そもそも金属バットは武器じゃないからな」
「あとヤキューって、ボールをどこに飛ばせば点数が入るのですか? ゴールらしきものも見当たりませんし」
「お前、ほんとに野球アニメ見たことあるの?」
「ありますよ! 言っておきますが、アニメを楽しむのと、ヤキューのルールを理解するのはまったく別物ですよ! 視聴者が見ているのは、ヤキューの試合ではなく、キャラクターたちの熱いドラマなのですから!」
 そこでエヴァはなにかに気づいたように言った。
「そういう意味では、【タッチ】はヤキュー・アニメではないんですよね。アサクラ・ミナミという永遠のヒロインを生み出した、偉大なラブコメなんですよ!」
「……メインは野球だろ?」
「ら・ぶ・こ・め・です!!」
 わざわざ区切りながら、エヴァは強調する。
「そもそも主人公のタツヤが最初にしているスポーツはヤキューではなくボクシングですし、最終回でもコーシエンでの試合は描かれずに終わっています! それに、視聴者の心に残っているのはヤキューをするタツヤではありません! レオタード姿のミナミなんです! あんな完璧な幼なじみヒロインとおとなりさんなんて、本当にうらやまけしからんです!」
「エヴァ、日本語は正しく使え」
 どうやら、また変なスイッチが入ってしまったらしい。
 こうなった以上、エヴァが次に投げる球も決まっている。
「というわけで、ゲント」
 エヴァが両手を差し出す。
 ど真ん中のストレート。わかっていても、手が出せない剛速球。
 弦人は見逃し三振のバッターよろしく、諦めて例のアレを出した。
 エヴァの選んだアニソンがたっぷり詰まったMP3プレイヤー。
 受け取ったエヴァはいつものようにMP3プレイヤーをスピーカーに繋げる。
 すかさず、あの印象的なイントロが部屋中に炸裂した。
 青春の煌きと痛みを同居させたようなメロディーの響き。
 エッジの効いたギターのフレーズに乗せて響く、女性ボーカルの伸びやかな歌声。いまの感覚からすれば素朴に思えるメロディーだが、一度聴いたら忘れられない輝きを放っている。
「このところはタイアップ曲ばかりだったからな。久しぶりにこういうアニソンらしい曲を聴いた気がする」
「うーん、でもこれもある意味ではタイアップ曲なんですよね」
「そうなのか?」
 エヴァはこくりと頷いた。
「アニメの【タッチ】が始まった当時はアイドルブームが巻き起こっていた時代でして、アニソンでも新人アイドルのタイアップが多くなっていたんですよ。例えば、【魔法の天使クリィミーマミ】ではデビューしたばかりのオータ・タカコが主演声優と主題歌を担当してますし、【ロボテック】……あ、日本では【超時空要塞マクロス】のリン・ミンメイで有名なイイジマ・マリも、やはり似たような経緯でデビューしていますね」
「ってことは、『タッチ』もその流れにある曲なのか?」
「ナイン(いえ)、もともとはその流れに乗るはずだったのですが、当時のアニメ監督が反対したそうでして、最終的にベテランのイワサキ・ヨシミが起用されることになったのです。イワサキ・ヨシミはわかりやすいアイドルソングではなく、都会的な雰囲気の楽曲を歌っていたことで評価された歌手だったので、【タッチ】の世界観を表現できる歌声を求められての抜擢だったようですね。結果的にその判断は正しく、以降、【タッチ】のOP、EDのほとんどは彼女が担当することになるわけです」
「岩崎良美か……。そういえば同じ頃に岩崎宏美って歌手もいたけど……」
「あ、ちなみに、その二人は実の姉妹です」
「え、そうなのか?」
「ヤー(はい)。さらに言うと、イワサキ・ヒロミは『センチメンタル』、『聖母たちのララバイ』、イワサキ・ヨシミは【タッチ】の第二期EDの『青春』でそれぞれコーシエンの試合の入場行進曲にも採用されているんですよ」
「……また妙な巡り合わせがあるもんだな」
「アニソンは様々な音楽が入り込みやすいジャンルですから。いろんな業種の人が入ってくるんですよ。作詞を担当したカン・チンファはコイズミ・キョーコやナカモリ・アキナなどのアイドルの歌も担当してますし、作曲のセリザワ・ヒロアキはあの名曲、『アニメじゃない―夢を忘れた古い地球人よ―』も手がけてます。あ、あれも参加している人たちがすごく豪華なんですよ! なんならいまから聴いてみます――」
「っていうかお前はなんでそんなに80年代の日本の音楽業界に詳しいんだ?」
「すべて師匠からの教えです! しっかり英才教育を受けてきましたから!」
「そんな英才教育、受けたくねーよ……」
 エヴァの話によれば、幼い頃エヴァの家にいた家庭教師が日本のアニメやアニソンに詳しかったらしく、エヴァのアニソン文化に関する知識もすべてその家庭教師からの経由らしい。弦人からしてみれば、師匠というよりすべての元凶としか思えなかったが。
 エヴァはMP3プレイヤーに目を向ける。アイドルソングらしさを残しながら、決して軽くはない空気を抱えた楽曲は、弦人の耳にも心地よく響いた。
「どうですか、ゲント。こんなに透明感のある爽やかな歌声なのに、痛みと切なさに満ちた楽曲……。まるでタツヤとカズヤ、ミナミの運命を予感させるようじゃないですか……」
「あー、そういえば、この漫画。途中で双子の弟が死ぬんだっけ?」
「ちょっと! そんな一言で済ませないでください! 初めてアニメであの場面を見たとき、わたしすごくびっくりしたんですから! ラブコメの三角関係で、あんなふうにキャラクターが退場するなんて、ほかの作品でも見たことがないです!」
 曲を聴きながら、エヴァは湿った声を出す。
「普通、アニメでキャラクターがあんな風に死んでしまうと、その後の展開は暗くなりがちなんですけどね。【タッチ】がすごいのは、その後もテンションを変えずに話を続けたことです。かと言って、カズヤが作品から忘れられたわけではありません。残されたタツヤは"ミナミをコーシエンに連れて行く"というカズヤの夢を果たすべく、ヤキュー部に入るのですが、亡くなったカズヤの存在がミナミとの関係に影を落とし続けることになりまして。それをもっとも端的に表現したのが、この『タッチ』の歌詞なわけですよ!」
「ふーん」
 弦人は改めて曲に耳を澄ます。
 サビに入った曲は、あの有名なフレーズに差し掛かる。
 いままでは何気なく聴いていただけだったが、エヴァの言葉を受けて、歌詞の意味がまったく別の意味を帯び始める。
 夢半ばで死んだ弟から兄へと受け継がれるバトンタッチ。
 想いを通いあわせているのに、二人をすれ違わせ続ける影。
 たしかに、アニメを楽しむのに野球のルールを知っているかどうかは関係ないのかもしれない。この曲が、あるいはアニメが描いているのは、もっと普遍的な、野球を知らない国の人間でも感情移入できるようなありふれた想いなのだから。
 そんなことを考える弦人だが、ふとサビのフレーズを聴くうちに、あるイメージが唐突に頭に浮かんだ。
 ……いやいや、なにを考えているんだ、俺は。
 弦人が慌てて頭を振ったそのときだ。
「ちなみに、わたしの師匠はこの曲を聴くたびに、"おっぱいをタッチする"イメージが浮かぶそうですけど」
「なんでお前はそうやって深追いしてくるんだっ!」
「え、だって気になるじゃないですか! この曲を聴いたら、どこにタッチしてるのかってみんなが思うはずです!」
 エヴァの師匠と同レベルの発想だったことに、弦人は改めてショックを受ける。そうするうちに、締めのフレーズが鳴り、スピーカーの演奏が止まった。
 エヴァはMP3プレイヤーを停止すると、なにかを思い立ったように、再び窓を開いた。
 そして吹奏楽部が再開した『タッチ』の演奏に耳を澄ます。
「この演奏も、試合の応援に使われるんでしょうか?」
「少なくとも今年はないだろうな。うちの高校、秋の大会にもう負けたはずだし」
「でも、来年は演奏しますよね!」
「……たぶんな」
 来年も、その次の年も。
 きっと球場には『タッチ』の演奏が響き渡るだろう。
 球児への熱いエールを籠めた哀しくも力強い演奏が。
「そうです!」
 と、エヴァがとびっきりの笑顔になって言った。
「来年、"レーゲン・ボーゲン"も球場で応援演奏しましょうよ! 『タッチ』だけじゃなく、Base Ball Bearの『ドラマチック』とか、ヤキューの応援にうってつけの曲がたくさんありますし!」
「できるわけないだろ。どうやってアンプを設置するつもりだ?」
「生音でやれば大丈夫です!」
「グラウンドまで聴こえないだろ」
「気合で届かせます!」
「根性論で片付けるな」
「あっ、応援演奏するなら、ちゃんとヤキューのルールも勉強しないとですね! いまからルールブックを読みこまねば!」
「……やめとけって。いくら"アニソンの神様"でも、野球へのご利益はないだろ」
 弦人は言いながら、ある予感を覚えていた。
 一度火が点いたエヴァは誰にも止められない。
 フォークも、チェンジもなく、剛速球で壁をぶち壊す。
 それがエヴァ・F・ワグナーなのだから。
「ナイン(いえ)、きっと味方してくれますよ!」
 そしてきょうもまた、エヴァは剛速球の宣言をかますのだった。

「エヴァ・F・ワグナーは世界中の誰よりも"アニソンの神様"を信じていますから!」
 

楽曲データ
『タッチ』 歌:岩崎良美
作詞:康珍化 作曲:芹澤廣明 【タッチ】OP
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