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「――おーい、無視していくことないだろー」
聞き覚えのある声に、ぞくりと背筋が凍りついた。
「まあ、こんな恰好だしな。気づかなくても無理ないか」
足下から這い出る見えない手に全身を絡め取られるかのように、私の体は硬直した。
……どうして。いるわけがない。この学園にいてたまるものか。
「つうかー、せっかく喋りかけてやってんだから、そろそろこっち向けよ」
振り返ることを全力で拒否したい。
地に根が張ったように動けないでいる私に代わり、篁(たかむら)が声のする方へと顔を向けた。
「……三谷(みたに)君……なの?」
二度と聞きたくなかった名前を篁が口にした。
聞き間違いであってくれ。篁の勘違いであってくれ。
そう願いながら、私もまた視線だけを後ろへとやった。
「よ、久しぶりだな」
そこに立っていたのは、衛兵NPCと似た銀の甲冑を纏ったプレイヤーだった。背には楕円形の盾を担ぎ、腰にはデザイン性の低いシンプルな鞘を携えている。そのプレイヤーが目深にかぶったヘルムを取り外し、脇に抱えた。
表れた顔立ちを見て、私は愕然とした。
忘れたことはない。忘れたくても忘れられない。
あの時心に巣食った恐怖が、こうして対峙することで克明に甦っていく。
「入学式でゲロむらを見かけた時は思わず噴いたぜ。リアルで挨拶しに行ってやろうかとも思ったけど、せっかくだから3Rの中でって考えたわけよ。それにしても、瀧(たき)まで一緒だったなんてなあ」
「三谷君、地元の中学に行かなかったんだ……」
「ああ、それな。俺の従兄弟がここの高等部にいてさ、前からこの学園の話を聞いてたんだよ。面白そうだったから、俺も中学は絶対ここに通おうって決めてたわけ。まさかお前らがいるとは思ってもみなかったぜ」
本当にまさかだ。こいつが栄臨学園に進学するとわかっていたなら、悩む余地すらなく選択肢から外していたのに。
三谷の後ろには、仲間らしきプレイヤーが二人いた。矢筒と弓を背負った者、魔法職と思しきローブを纏った者。ともに初心者の域を早くも抜け出たような身なりをしている。
「その人が三谷君の言ってたオナ小? うちらのPTに入れんの?」
「せっかくスタートダッシュしたのに、出遅れてる奴が育つの待つのか?」
「いやいや、心配しなくても、ちょっと懐かしんで声かけただけだって」
「ふぅん。ゲロむらって何?」
「そいつのあだ名?」
「ああ、本名は会堂(かいどう)篁ってんだけど、昔さ――」
篁をいじめるきっかけになったエピソードを、三谷は嬉々として笑い話にした。それが相手をどれほど傷つけるのか、考えすらせず。
「三谷君は、もう何日も前から3Rをプレイしてるの?」
「ああ、一週間前に入寮してすぐにな。ちなみに俺たち全員レベル7。新入生の中じゃ、多分トップだぜ。ゲロむらは?」
「僕たちはさっき始めたばかりで、まだレベル2だよ」
「そんなもんだろうな。だってそれ、思いっきり初期装備だし。ゲロむらの職業〈騎士(ナイト)〉だろ? 実は俺も〈ナイト〉なんだよ。ま、俺はそんなショボい装備、一回も使ってないけどな」
「そうなんだ……」
篁が感情のこもらない声で相槌を打った。
「なんでかって言うとな、その従兄弟が所属してるギルドがよ、なんとあの《栄光賛歌(グロリア)》なんだぜ。お前らも聞いたことくらいあるよな? 城主ギルドの《栄光賛歌》」
3Rに五つだけ存在する城を所有するギルド。そのうちの一つだったか。
「で、その従兄弟に色々と工面してもらってるわけ。昔から俺、ずいぶん可愛がられててさ。今回も世話焼いてもらってんだよ。へっへ、いいだろ」
望んでなどいないのに、三谷は聞くに堪えない自慢話を吐き続ける。
いつも思っていたが、三谷はいじめていた相手に、自分がどう思われているかを考えたりしないんだろうか。恨まれているとは毛ほども考えないんだろうか。何故こうも馴れ馴れしく話しかけられる。
「城主ギルドのメンバーは城主バッヂってのを制服につけてるんだけど、あれマジすげえのな。すれ違う奴、みーんな道開けるわ頭下げるわ。なんかもう、栄臨学園の天下人って感じ。そんなギルドがバックについてるなんて、俺もう勝ち組じゃん? とか思ったりしてな。お前らもでっかいギルドは味方につけといた方がいいぜ」
「生憎、そんな知り合いもいなくて」
「はは、そりゃそうだわな」
三谷は自分の優位を再確認し、はんっ、と篁を鼻で笑った。
「そんなお前らに、うまい話を教えてやるよ」
「うまい話?」
「レベル1からでも受けられる反復クエストがあるんだけどよ。そこの報酬アイテムが、要求レベル10の装備を製作するのに必要な素材アイテムになるんだよ。一回一時間くらいかかるけど、モンスターとか全然出てこないし、超簡単だぜ」
親切からの助言かと一瞬思ったが、それは大きな間違いだった。
「このアイテムを……そうだなあ、とりあえず三十個かな。それだけあれば俺の装備分は集まるし。これを一週間以内に集めて持ってきたら、従兄弟にお前らのことも口利きしてやってもいいぜ」
一回一時間。モンスターは出ない。
それは言いかえれば、長時間拘束され、その間レベル上げができないということだ。
自分はレベル上げ以外で時間を割きたくないから、代わりにこちらの時間を犠牲にしろと、三谷はそう言っている。恥ずかしげもなくそれを提案している。
「三谷君、僕たちは――」
「やるだろ? やっといた方がいいぜ」
笑いながら、有無を言わせぬ圧力をかけながら、三谷はそれを強制しようとする。
最初に城主ギルドがバックにいると言ったのも、この話を断らせないためだろう。
「まあ、やりたくなけりゃ、それでもいいんだけどよ」
その時はどうなるか、わかってるよな。
口に出さずとも、私にはそうはっきりと聞こえた。
――誰がやるか。
その台詞を私は……いや、三谷が現れてから、私はただの一度も声を出すことができないでいる。三谷への恐怖が私の一切を縛りつけ、満足な呼吸さえままならない。
「やるよ。だけど約束してほしい」
三谷と視線を合わせられず、俯いていた私は思わず顔を上げた。
篁は真っ直ぐ三谷を睨み返している。
「約束?」
「その依頼をちゃんとこなしたら、これきりにしてほしい。小学生の頃みたいなことは、もうやめてほしいんだ」
「は、はあ? 何言ってんだ?」
三谷がチラリと、後ろの仲間を気にするような素振りを見せた。
「君だって、誰かをいじめていたなんて知られたくないだろ」
「……ゲロむらのくせに、偉そうだな」
「お願いだ」
篁が気丈に返す。何もできない私と違い、篁は一歩も引かない。
「……ケッ。考えるだけ考えといてやるよ」
息が詰まる遣り取りを終え、三谷はくるりと背を向けた。
「んじゃ、俺らはレベル上げしてくるから。そのクエストは(112.188)にいるNPCのとこ行けば受けられるぜ。頑張れよ」
篁が三谷の背を見送っている間、私は情けない気持ちでいっぱいになった。
一昨日来やがれと言い返すこともできない。篁を労うこともできない。
そんなことより、私はただ安堵していた。三谷がこの場から去っていくことに安心していた。それが何よりも情けない。
「あれ? 三谷君、あの子たち結局PTには誘わないの?」
「当たり前じゃん。レベル2とか、足手まといでしかないだろ」
「でも、ねえ?」
「うん、だよな」
三谷たちは歩き去らず、こっちを見て何かを話している。
「どうかしたのか?」
「あっちの女の子、かなり可愛くない? メガネと三つ編みおさげって超合うんだけど」
「同感。PTに入るかどうかは別として、フレンド登録くらいしときたいかも」
なんだ? そんなところで、いつまでも何を話している。どこへなりとも行ってくれ。
三谷がこっちを、私を見ている。それだけで、縛られたように体が固まってしまう。
「可愛い、か。……なるほど。……イイかもな 」
何を思ったか、三谷は立ち去るどころか、へらへらと笑いながら再び近づいてきた。
「あー、悪い悪い。ゲロむらのことは話したけど、瀧のことを紹介してなかった」
いらん。紹介とか必要ない。疾く早く速やかに視界から消えてくれ。
「こいつの名前は瀧智早(ちはや)。実は俺、小学生の頃、こいつと付き合ってたんだわ」
そんな訳のわからないことを言っていないで、さっさと――…………
時間と思考が停止した。
一瞬、街の喧騒も耳に届かなくなり、ローディングでも始まったのかと錯覚した。
――今、こいつは何を言った?
理解の及ばぬうちに、三谷が馴れ馴れしく私の肩を抱き寄せた。
そこでようやく自分の置かれている状況を認識した。
怒りより何より寒気がした。触覚のないアバターであろうと、三谷に触れられているという嫌悪感に鳥肌が立つ。
「離、せ」
消え入りそうな声をなんとか喉から紡ぎ出すが、三谷は顔を近づけ、私にだけ聞こえるよう耳元で囁いてくる。
「お前って、よく見るとやっぱ可愛いのな。悪いようにはしないから、そういうことにしとけって。お前くらいの女子がカノジョだったら俺も鼻が高いし、将来有望なプレイヤーがカレシってことにしとくと、お前も何かと都合がいいだろ」
嫌だと言え。
フザケるなと怒鳴れ。
私たちに関わるなと突き放せ。
「マジでー。三谷君、ウラヤマー」
「ああ、だから三谷君を追いかけて、この学園に来たってことか」
篁にはできたのに。私には……どうしてできないんだ。
「そういうわけだ。ゲロむら、瀧は今日から俺らとPT組むから。ゲロむらは一人でクエスト頑張ってくれ。仕方ないからアイテムは二十個にまけてやるよ」
見られている。
嫌だ。見ないでくれ。
三谷に肩を抱かれている姿を、篁にだけは見られたくない。
――見ないでくれッ……。
篁がどんな顔でこっちを見ているのか確かめるのが怖くて、私は無我夢中でヘッドマウントディスプレイをかなぐり捨て、ログアウトの手順を踏まずに電源を切った。
荒い呼吸を落ち着かせ、次に目を開けて映ったのは、自分以外に誰もいない寮の部屋。
「……もう嫌だ」
遅すぎた台詞は誰の耳にも届かない。
ただ逃げただけの自分が情けなくて、不甲斐なくて、泣きたくなった。
◇
翌日、私は終身刑を言い渡される日を迎えた囚人みたいに重苦しい気分で登校した。
篁に合わせる顔がない。あまりに私が情けないせいで、篁から蔑みの目で見られるかもしれないと思うと、授業中も針のむしろに座らされているような気持ちだ。
嫌われたり……なんてことは……。
頭を振り乱し、恐ろしい想像を掻き消した。
面と向かっては無理だけど、少し落ち着いたら篁にメールしよう。
――などという逃げ腰の願いは空しく、昼休み、心の準備ができていないうちに、篁が直接教室を訪ねてきた。
私は廊下に呼び出され、下される判決に脅えて体を震わせた。
「意気地なし」と罵られるだろうか。「もっとしっかりしろ」と諌められるだろうか。
ぐっと目を閉じ、私は突きつけられる言葉に身構えた。
「智早は、しばらく3Rに来ない方がいい」
用件は簡潔に告げられた。
サアッ……と、顔から血の気が引いていく。
終身刑どころじゃない。死刑判決を言い渡された気分だ。
しばらく智早の顔も見たくない。そう言われたのだと私は解釈した。
あんなことをされても無抵抗だった私に、とうとう愛想を尽かしてしまったんだろうか。「智早は強いね」そう言ってくれた篁の期待を裏切り、幻滅させたからだろうか。
「篁、私は……違うんだ。本当に、次はちゃんと……」
必至に弁解しようとする私の言葉を、篁は悲しそうに首を振って遮った。
「智早は、そんなこと気に病まなくていい。僕が全部なんとかするから」
それはどういう意味だ?
また、全部篁に押し付けろと言うのか。
また、見て見ぬ振りをしろと言うのか。
「私は、弱いままでいたくない」
「智早は強くなんかなくていい」
「怖くても、もう逃げたりしないから……」
「もう二度と、智早を怖い目には遭わせない」
決意じみたものを感じさせた。
私の知っている篁から、完全に弱々しさの消えた強い声だった。
何も言えなくなった私の髪に手が添えられ、そっと篁の肩に抱き寄せられた。
「た、かむら……?」
篁にこうされたのは、これで二度目だ。
「どんなことをしてでも、智早は僕が守る」
呟くように告げられ、スッと体が離れた。
三秒にも満たない一瞬の抱擁。気づいた生徒はいないだろう。
「一週間、僕に時間を欲しい」
それだけを言い残し、理由を明かさないまま篁は立ち去っていった。
抱きしめられた驚きで、問い返す余裕はなかった。
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スクールライブ・オンライン
著者:木野 裕喜
出版:宝島社
(2013-06-10)
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