《1》
上段回し蹴りを避けることができなかった。
虹を出すことはできない。つまり虹で攻撃を防ぐことはできない。必死で腕を顔の横まで上げる。頭部を刈り取らんと放たれた一撃は、腕一本挟んだくらいで勢いを殺しきることができず、ガードもろともに跳ね飛ばされた。
背中でブロック塀を砕き、それでも止まらず、ゴロゴロとコンクリートの上を転がる。虹さえ出すことができればガードもできたし反撃もできた。無様に転がることもなく虹で身体を支えることだってできた。当たり前のようにできていたことが、今はできない。
出ろ。走れ。何度念じても虹は出ない。真っ暗闇の中で自分の姿さえ見ることができない。それでも虹が出ればわかる。出ていないのも当然わかる。
空気の揺らぎと落下音を感じて腰を曲げ身を縮めた。
一瞬前まで頭があったところをなにかが通過し、コンクリートの路面に打ちつけられた。破片が飛び散って顔にぶつかる。打ちつけられたなにかに手を伸ばすが、するりと抜けられた。気配が闇に溶ける。音も聞こえない。
視線だけは感じる。相手が一方的にレイン・ポゥを見ている。
――もう一度来い。来れば今度こそ捕まえてやる。
わざともたついた動きで身体を起こした。ここぞとばかりに攻め立ててくれば、動きは比較的読み取りやすくなる。そこを掴めばいい。視界ゼロでも掴み合いなら条件は五分だ。
だがその思いも見透かされていたのか、敵は手を出してこなかった。慣れている。自分の魔法、その魔法を使っての戦い方を知っている。こういう相手が一番怖い。
暗闇使い。付近にあるすべての光を奪う。その中では、魔法の虹も存在を許されない。虹が出せないということは、レイン・ポゥにとって武器と防具が同時に奪われたようなものだ。
逃げているわけがないのに気配がまるで感じられない。その場にいないとしか思えない。視界ゼロの真っ暗闇の中、頼りにできる感覚が一つもない。闇がじわじわと肌から染み入ってくるような気がする。立っているだけで体力を消耗する。
飛んできた。恐らくは石礫だ。これなら避けることができる。敵が暗中での戦闘に熟達しているとはいえ、石礫の音を消すことはできない。
避け、投げられた位置を割り出そうとした矢先、別の方向から再度石礫が投げ入れられた。それも避け、また一投、回避、次は二つの石が同時に飛び、それを回避――し損ねた。
石と石の間に糸が……感触から恐らくはワイヤーのような物が張られていた。獣を生け捕りにするための投擲武器と同じ作りだ。二の腕と胴体にぐるぐると絡まる糸に注意を奪われた次の瞬間、甲高い声が闇を裂いて響き渡った。
「来るよ!」
声の意味を考える前に足が動いた。糸で絡めとり、その隙を突いて攻撃しようという敵の姿を想像する。トコから嫌というほど教えられた。魔法少女の武器は想像力だ。暗闇の中にいても想像は自由にできる。
姿勢、体格、タイミング、位置、この難敵ならばどこからどのような攻撃をするか。イメージがリアルと重なっていく。
利き足を踏みしめた。コンクリートを踏み割り、その下の地面に爪先を抉りこみ、全身全霊の力を込めて真後ろに蹴りを突き入れた。
鳩尾から筋肉と内臓を通り、衝撃は脊椎にまで突き抜けた。足の裏から全ての感触が、想像に過ちのなかったということが、伝わってくる。肉を打ち骨を折り内臓を破った。
敵は蹴り入れられた脚を掴もうとしたが、すでに力が残っていない。血反吐が喉の奥から溢れ、そのままずるりと崩れ落ち、コンクリートの上に倒れる音が聞こえ、レイン・ポゥは、ここでようやく脚を戻した。
視界を埋めていた魔法の闇が徐々に晴れていく。闇の中にいた時は奈落の底のようだったが、晴れてしまえば、どこにでもある平凡な夜の住宅街だ。マンション前の小さな公園は、不審者を嫌ってか、鬱陶しいくらいにギラギラと街灯で照らされている。
力づくで糸をぶち切る。両端の石が跳ね、転がり、縁石に当たって止まった。
血溜まりの中で突っ伏している女の身体に爪先をかけ、ひっくり返した。変身はすでに解除されている。学校の制服。スカート丈が短い。明るい色の髪が乱れている。制服なのに化粧をしていた。所謂ギャル系というやつだろうか。
ターゲットで間違いない。首に足を乗せ、踏み折った。
「危なかったね」
街灯の上から螺旋を描いて小さな生き物が降りてきた。可愛らしい少女を掌に乗るサイズまで縮め、半透明な虫の羽を背中につけたという姿は物語に登場する妖精にそっくりで、白い絹のワンピースや仄明るく光る身体が強く「妖精ですよ!」と主張している。
「あたしが声かけなかったらやられちゃってたんじゃない?」
「外からだと闇の中が見えてたの?」
「ううん。魔法の端末の新機能使ったんだ。近くにいる『魔法の才能を持つ者』をサーチしてくれるってやつね。本来はレーダーやソナーみたいな使い方するわけじゃないんだけど、そこはほら応用術ってことよ」
「ああ、そう……ていうかさ。ターゲットが使う魔法が偶然相性最悪でしたで済ませられるもんなの? 人間でいる時に襲撃しようとしたら魔法少女に変身してましたーなんてのをバッドタイミングで終わらせていいわけ?」
「正直、終わらせちゃいけないと思うね」
「その正直さに乾杯。ひょっとしてこれ罠だったりしたんじゃないの?」
「罠だったらもっと罠らしく人数増やすなりするとは思うけど……」
妖精は一瞬表情を失くし、すぐ元の笑顔を作って空中で一回転した。
「その辺はもうちょっと深く調べてみた方がいいかもだね。出資者さんに聞いておくよ」
◇◇◇
この世界に入りたての頃は、魔法少女というのは馬鹿ばかりだと思っていた。
だが世の中には予想外に利口な魔法少女が多かった。贈収賄、情報漏洩、横流し、その他様々な悪事に手を染めて小銭を稼ぐ悪徳魔法少女は数多く、レイン・ポゥはそういった連中を殺す仕事を請け負ってきた。
もっともレイン・ポゥは正義の代行者ではない。「魔法の国」のある部門の利益を守るために人を殺して報酬を得ている悪党の中の悪党だ。レイン・ポゥが殺す相手はほとんどが別の種類の悪人だったが、知らなくていいことを知ってしまったというだけの一般人や、正義感が強く融通の効かない朴念仁などもそれなりに含まれていた。
その日、トコから新しい提案があった。
「この仕事、今は上手くいってるけどいつまでも上手くいくとも限らない……ってことがこの前のあれでよくわかったよね。保険はかけておいた方がいい」
「保険? 具体的にはどういうの?」
「身近にサポートしてくれる魔法少女仲間を何人か作っておくの。チーム組んで活動する魔法少女とか定番じゃん? もちろんこっちの真の仕事は秘密にしておいてさ。素人を巻き込んでも危険が増すだけだし。いざというときに盾にしたり捨石にしたりできる仲間を用意しておいて、こっちはとっとと逃げるってワケ」
「わっるいこと考えんねえ、おい。その仲間ってのはトコが探してくるの?」
「探してくるけどレイン・ポゥにも協力してもらうからね」
「面倒臭いなあ」
両腕を広げてベッドの上に転がった。殺したり殺されかけたりで疲労困憊しているというのに、帰ってきても気の休まることがない。
香織は魔法少女に安息を求めているわけではないが、絶えることなく緊張感でスリリングに生きていきたいとも思わない。楽しく稼ぎ、楽しく遊び、享楽的に生きる。享楽的に生きるために努力をする。このボロいアパートで見たくもない姉の顔を見ながら生きていくのは中学生までだ。高校生になったらここを出てトコと二人暮らし、より楽しく生きていく。顔を見たくないのはお互い様で、姉もきっと喜ぶだろう。
せっかく魔法少女になり、それまでのクソみたいな生活から脱出できたのだ。悪事が露見したら、「魔法の国」に捕まってしまったら、新しい人生を失ってしまう。それだけは絶対に嫌だ。元の生活になど戻りたくはない。トコの提案はもっともだ。
学校の仲間を捨石になんてできない! と止めるような感性は持ち合わせていない。初めて人を殺した時は少しくらい震えたりしたかもしれないけどよく覚えてないやというハードボイルド気取りの魔法少女がいるだけだ。自分のために誰かを犠牲にするというのはトコ哲学の基本であり、香織もそれは正しいと考えている。
ベッドに寝転がったままで枕元のトコに訊ねた。
「私になにをして欲しいん?」
「なに、そこまで面倒なことじゃないよ」
トコは指を一本ずつ折って数えていった。
「素質があると見たのは学校内に五人いた。こっちが声をかけたときにどれだけ乗ってくるかが問題だけど、馬鹿は馬鹿だから喜んで手伝ってくれるだろうし、馬鹿に引っ張られてる阿呆はどうせ引きずられる。利己主義者にとって魔法少女はお得だろうから大丈夫。先生は生徒を盾にしてお願いすれば問題ナッシング。で、最後の一人よ」
「最後の一人がなによ」
「魔法少女しようぜ! って笑顔で誘っても逃げちまいそうなやつなのよ」
「そういうタイプってそもそも素質無かったりするんじゃないの?」
「大抵はそうなんだけどね。何事にも例外はあるってことさ」
トコは足を正して正座の態勢を取り、香織に向かって手を合わせた。
「というわけで緊急ミッション! その子と友達になってきて!」
「はあ?」
《つづく》
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