特別短編タイトル12










《3》

 卵焼きは置いておく。次に立てた作戦は傘だ。
 雨の日に傘をさして登校したものの、その傘が帰りには無い、なんてことになっていたらどうだろうか。空はまだ雨模様で傘が無ければ困ってしまう、なのにどこかの誰かが持っていってしまったようで、弱っているところへクラスメイトがやってきて「どうしたの酒己さん。え? 傘を盗まれた? それは大変、私の傘に入って一緒に帰りましょう」とくれば、鉄のハートも溶けるというものではないか。
 幸いにして季節は梅雨時だ。作戦の立案後二日で空はぐずつき始め、登校風景では色とりどりの傘が並び、鬱陶しい雨を嘆き合う生徒達の中で香織は一人ほくそ笑んでいた。
 登校時間を達子に合わせ、さらに玄関前でだらだらと時間をかけて靴紐を結び直したり雨露を払ったりして時間を調整し、達子が来るのを確認してから教室に向かった。達子の傘、傘立てのどこにさしたかをしっかりと確認した。これで準備は万端だ。
 授業中、気分が悪いと手を上げて心配されながら教室を後にし、誰にも見られていないことをしっかりと確かめた上でレイン・ポゥに変身、玄関に走って達子の傘を下駄箱の隙間に押しこみ、次は保健室前に走って変身を解除、その後は三十分間保健室のベッドで横になっていた。
 作戦の成功を確信しながら放課後を迎え、そそくさと帰り支度をして教室を出る達子の後ろをこっそりとつけていく。達子が困った顔を見せた時、香織が手を差し伸べる。そのシミュレーションは保健室のベッドで何度となく行った。完璧に上手くいくはずだ。なぜか仕事に臨むときと同じくらい、もしかしたらそれ以上にドキドキしている。
 達子は下駄箱で靴を履き替え、傘立てに向かい、一度見、二度見、三度見直して自分の傘がそこに無いことを確認した。よしここだ、と香織が手を差し伸べる直前、達子は雨の降る中を歩き始めた。
 人に頼るくらいなら濡れ鼠の方がマシだと判断したのか。いや、そうではない。達子の後を追った香織は瞠目した。
 足取りは軽快とはいいがたく、動きはどちらかといえば鈍い。だが目的がはっきりとしている。動きに迷いが無く、体捌きが熟達していた。傘を差す生徒達の中をするすると抜けていき、一人雨に濡れているという異常さを目立たせない。校門を抜けてすぐに民家の軒先へ到達し、軒下から軒下へと辿っていく。ルートが確保できている。出来る限りの努力で濡れない位置を歩き続けている。上手い。尾行しながら唸らされた。
 酒己達子は香織が思っていたよりも強かった。

◇◇◇

 体育館が空いているようだからホームルームの時間を使ってドッジボールをしよう。
 担任がそう提案し、教室内には喜びと歓声が満ちた。生徒同士がハイタッチを決めたりハグしたりと大袈裟に嬉しさを表現している。
 香織は見逃さなかった。周囲に合わせて拍手をしてはいるものの、達子の表情に若干の影が差した。達子の観察を続けていた香織でなければ確実に見逃していただろう。
 どうやら達子はドッジボールがお気に召さないようだ。確かにドッジボールという攻撃性を全開にする競技は達子のキャラクターに適していないかもしれなかった。
 香織は周囲の生徒達とは別の意味でガッツポーズを決めた。これはチャンスだ。
 達子が苦手とする競技でフォローする……たとえば達子に向けて投げられたボールを止めたり、達子にパスを投げて敵に当てさせたりすれば、好感度も増してゲーム終了後に「楽しかったね」とか「やったね」とか讃え合ったりできるのではないだろうか。それはもはや友達同士と呼んでも差し支えないだろう。
 幸いにして二人が別のチームになることもなく、達子と香織が一つのグループに入ったままクラスが二つに分けられた。
 普段は爪を隠しているが、本来の香織はけして運動能力で秀でている。達子がどれだけどん臭かろうとフォローしてやることはできるはずだ。
 だがその機会は中々訪れなかった。ボールが飛び交い、当てられた者が照れ笑いを浮かべながら外野に向かい、しかしフォローしてやりたい相手はボールを避け続けている。達子には当てる気が無く、ボールを受ける気も無く、回避というよりポジション取りに専念して「当たらない位置」に移動し続けている。
 ――まあいつまでも続くもんじゃないさ。
 クラス全員が参加する大人数ドッジボールのため、外野から内野に戻るというルールは無い。つまり内野が減れば減りっ放しだ。人数が減り続ければ、避けているだけの人間がいつまでも残っていられるわけがない。いい感じに押しつ押されつのシーソーゲームだ。達子にも遠からず危機が訪れるだろう。その危機を颯爽と救うのが香織だ。
 と、妄想に耽っていたところ、一瞬足がもつれた。背後に回ったボールへの反応が僅かに遅れ、あわやというところで伏せて回避し、周囲の喝さいを浴びつつ「どーもどーも」と起き上がると、達子が内野から消えていた。外野でやる気なさげに立っている。
 香織は混乱した。なぜ達子が外野にいる。伏せる前まで一緒に内野にいたし、今のボールに当たったりもしていないはずだ。香織のチームで内野にいる者はもはや残り少なく、敵チームは嵩にかかって攻めてくる。
 敵の猛攻を回避しつつ、状況を反芻してみた。どう考えても、香織がクラス中の注目を集めた隙に、そっと外野に出たに違いない。
 彼女にとっての内野は「目立ち」「運動を強制され」「当たれば痛い」という苦痛の園で、なるべく早くいなくなりたかった。本来、外野に出るためには痛い目という対価を払うしかなかったが、香織のおかげで達子は無料で外野という安住の地を獲得した。確かに、達子を助けることにはなったが、こんな助け方は想定してなかった。
 香織はもはやこのドッジボールに意義を見いだせないまま回避を続け、チャイムが鳴るまで内野に居続けた。虚しかった。

◇◇◇

 達子への監視を強めた。不自然さを出さないように見る、といった甘さは捨てる。少しくらいの不自然なら問題は無い。
 達子は気負う事なく自然に振る舞っている、ように見える。だがこれだけの時間達子を観察し「それは違うのではないか」と考えた。達子は自然に振る舞っているのではなく、注意力と観察力によって「一人が不自然ではない」位置にいるのだ。
 目の配り方、視線の動きがカタギのそれではない。自分の身にトラブルが振りかからないよう細心の注意の上で行動している。似たようなことは香織もしていたが、果たしてここまで自分を殺すことができていたかどうか。
 侮るな。そして恐れるな。だが今の自分は恐れようとしている。得体の知れない相手に気圧され飲みこまれようとしている。
 このままではダメだ。方向性を変えなければ。
 香織はやり方を変えることにした。とにかく正攻法で押す。十分休憩の時間、達子はブックカバーに覆われた本を取り出した。座席は窓側後ろ。中を覗くのは難易度が高い。だが、力押しでいくならばいける。
 友達と楽しく話しながら、近くにあった椅子の背もたれをトン、と押して自分は引く。椅子は物理法則に従って倒れ、大きな音を立てる。クラスにいる生徒達の視線が椅子に集まる。この瞬間だ。
 香織は大袈裟に驚くふりをして素早く後ろに三歩下がった。ここでちょうど達子の背後をとる。視線のみを走らせて本の内容を確認、すぐ元の位置に戻った。
 「ごめんごめん」と椅子を起こしながら内心ほくそ笑んだ。あの漫画なら香織も知っている。ゲームが原作でそこそこ人気のある少年漫画……確か姉が持っていたはずだ。
 家に帰ってから確認してみると、確かに姉の本棚にあった。内容くらいは知っておいたほうがいいだろう、と本棚から漫画を抜き取り読み始めた。全部で三冊しかないのですぐに読み終わる。もう一度読み返す。続きが気になるが、ここには三巻までしかなかった。
 検索し、三巻までしか出ていないことを確認した。四巻は一か月後に刊行予定となっている。ついでに、と感想を見て回る。ここが面白い、このキャラクターが好きだという感想の中に一つ気になるものがあった。黒幕は主人公の幼馴染ではないのかというものだ。
 一巻の序盤から登場している。挙動におかしなところもない。だが投稿者は漫符の有無について熱く語っている。敵が急襲した場面で全員が漫符の汗をかいていたのに、幼馴染一人だけは特にそれがなかったのだ、と。
 読み直してみると確かに一人だけ汗をかいていない。これが伏線なのだろうか。
 気になる。誰かと話したい。だが香織の友人でこの漫画を読んでいる者はいないはずだ。話すとしたら、そう、達子。これはより一層急を要する事態になったのかもしれない。

 それからも事あるごとに、事がなければ自分で起こして達子を観察した。達子に関する脳内データベースに情報が蓄積していく。
 ――これなら、いける……かも!
 家に帰ってからも脳内の達子データベースと達子ライブラリーと達子フォトアルバムで完璧にシミュレートし、明日こそは決意を新たにし、床につく。
 そんな日々が続いた。

◇◇◇

 トコがレイン・ポゥに話したことに嘘は無かった。マスコットキャラクターになってからここまで一生懸命働いていたことはたぶん無い。酒己達子以外の魔法少女候補を見て回り、これならいけそうだという手応えを感じた。
 後はレイン・ポゥが酒己達子と友達になってくれればそれでいい。
「ふぅ」
 枕の上に横になった。疲れた。魔法少女とは違い、マスコットキャラクターには睡眠が必要だ。ようやく安眠できる……そう思ってうとうとし始めた時、勢いよく部屋のドアが開いた音で目が覚めた。バタバタと走る足音が続き、目を開けるとそこには目に涙を浮かべた香織の顔がある。
「ちょっとトコ! 聞いてよ! ひどいんだよあいつ! 何度も話しかけてるのに聞こえないふりしてさ! 何様のつもりなんだっつーの! こっちの真心を弄んで!」
 香織は延々と怒鳴り続け、トコは「これは当分眠ることができないな」という諦念を込めて肩を竦めた。
「しょうがないなあ……こっちはとりあえず片付きそうだからさ。後はわたしに任せてよ。トコさんの話術にかかればJCの一人や二人……」
「それはやだ!」
「やだってなんでさ」
「最後まで私が一人でやりたいんだよ! わかれよそれくらい!」
 わかんねーよという言葉を飲みこみ、ため息を吐いた。魔法少女はいつだって我儘だ。
「とりあえず卵焼きの作り方教えて」
「作り方教えてって……それじゃ一人じゃねーじゃん」
「もうすぐ遠足あるからそこで滅茶苦茶うめえ卵焼きやって虜にする」
「なんか発想の段階でおかしくない?」
「いいから! 教えて! 遠足にこそチャンスがあるから! 次のイベントこそはもっと仲良くなってやる!」
 
《おわり》

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