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 第一話 目覚め



 目を覚ますと、いつものベッドの上……ではなく、硬い机の上でうつぶせになっていた。

 頭を支えているのも、柔らかい枕ではなく自分の腕。
 けっこう長い時間眠っていたのか、ちょっと痺れている。

 腕に走るピリピリとした感覚に顔を顰めながら辺りを見回してみると、自分が住んでいる部屋ではない……だが、どこか見覚えのある内装が目に映った。

 年季の入った濃い茶色の木で造られた床や天井。
 分厚い本がギッチリと詰まった棚に、白い光の玉が浮いている不思議なランプ。
 パチパチと音を立てながら、中で火が揺らめいている暖炉。

 西洋アンティークな雰囲気の、心温まる良い感じの部屋だが……俺の部屋ではない。
 俺の部屋はもっと狭かったし、こんなにお洒落じゃなかった。

 俺が寝泊まりしていたのは、日本にならどこにでもある学生アパートの狭い部屋だったはずだ。
 壁に飾られているのは高価そうな絵画ではなく、お気に入りのアニメのポスターだった。
 棚の上に飾られているのは木彫りの芸術品ではなく、ポリ塩化ビニルとかプラスチック製のフィギュアだった。
 それが一体、どうして……?

 まだ覚醒しきっていない頭を懸命に働かせ、寝る前の記憶を掘り起こそうと試みる。
 たしか俺は、自分の部屋でゲームをしていたはずだった。
 人気RPGシリーズの最新作にハマり、通っている大学が夏休みだったこともあって、何日も徹夜でプレイしていたのだ。
 膨大な時間を使ってレベルを最大にまで上げ、あらゆるアイテムを揃え、おまけ要素も全てやり尽くしてから、ラスボスである魔王を倒しに行って──

 とそこまで思い出したところで、俺はこの部屋が、そのゲームの主人公であるアデル・ラングフォードの自室に似ていることに気が付いた。
 もちろんゲームなので、こんなにリアルには描写されていなかった。
 だがゲームを現実で再現したら、きっとこんな風になるだろうと思える。

「まさか……」

 俺はある可能性に思い至って、机の傍にある窓へと目をやった。
 今は夜なのか、外が暗いせいで瓶底のような分厚い窓ガラスに、自分の顔が映る。

「──っ、誰だよ!?」

 彫りの深いイケメン顔に、思わずそう叫んでしまった。

 いや、それが自分の顔なのは分かっている。
 だが現実の自分とはあまりにも違いすぎて、まるで見知らぬ他人が、窓の外からこの部屋を覗いているように見えたのだ。

 アデルの設定がゲーム通りなら、髪や瞳の色は日本人と同じ黒色だし、年齢も十九歳とリアルの俺とそう変わらないのだが……顔立ちは、完全に外国人のそれである。
 上背も高くなっているし、もはや元の俺の面影は欠片も残っていない。
 今は自分のものになっているアデルの顔が、どこか気味悪く思えた。

 俺はその嫌な気分を振り払うようにして、窓を開け放つ。
 月明かりの下、広い庭を挟んだ向こうにとした森が見えた。
 ここがアデルの家ならば、あれは幻幽の森と呼ばれる場所のはずである。

「マジかよ……」

 空に浮かぶ月は二つ。
 幻幽の森からチラチラと立ち上る、六色に輝く精霊の光。
 間違いない。
 ここは、自分がハマっていたゲーム、【エレメンタル・スフィア】の中の世界だ。

「……痛い」

 確認のために頬をつねってみたが、ちゃんと痛い。
 どうやら、夢ではないらしい。

 俺はとした気持ちで、椅子の背に体重を預けた。

 なぜ?
 どうして?
 一体、何が起こった?
 元の世界の俺はどうなっている?

 様々な疑問や不安が頭に浮かぶが、当然答えは出ない。
 しばらく混乱したまま椅子に座り込み、長い長い時間をかけて、ようやく俺は「何も分からない」から、「今は考えてもしょうがない」という結論に至った。

 きっと、頭の良い人間ならもっと早く割り切るのだろう。
 だが、俺は凡人なのだ。
 こんな時は、つくづくそう思う。
 追い詰められるとやたら理屈っぽくなるが、建設的なことは何一つ言えず、口から出るのはプライドを守るための屁理屈ばかり。
 俺は自分を、そんなちょっと情けない人間であると思っていた。

 自虐で危うく気分が落ち込みそうになったので、さっさと思考を切り替えることにする。
 ひとまず過去のことに結論が出たら、次に頭に浮かぶのは未来の話。
 分かりやすく言うと、「これからどうしよう?」という単純なものだ。

 油断すれば混線しそうになる思考の手綱を握るべく、考えるべきことをピックアップしてみる。
 今重要なのは、この世界で生きるための衣・食・住だろう。
 ゲームである【エレメンタル・スフィア】のことは知り尽くしているが、この世界の何もかもがゲームと一緒であるとは限らないのだ。
 一つ一つ確認していく必要がある。

 まず服はゲームでの装備品であった魔法使いのローブなどを着ているので、問題なさそうだ。
 強いて言うなら、実にゲーム的なデザインの装備品なので、ちょっと恥ずかしいということぐらいか……。
 ゲームのキャラが着ている分には、「なんか強そうで格好いい!」と素直に思えるのだが、実際にリアルで着ていると、単なる中二病のように思えてしまった。
 後で、できるだけ地味な服を探して着替えようと思う。

 次に確認するのは食。
 一人暮らしをしていたので、軽い自炊ぐらいはできる……のだが、一般的な大学生でしかなかった俺には、畑などを作って自給自足する知識はない。
 動物を狩っても、解体とかできる気がしない。
 下手に調理して、お腹を壊しても困るし。

 つまり今の俺が食べる物を手に入れるには、どこかで買い求めなければならないのだ。
 その費用のことを考えると、まとまったお金もいるだろう。

 そういえば、ゲームで貯めていたお金はどうなっているんだ?
 と、考えた瞬間、目の前に半透明なパネルのようなものが浮かび上がった。

 所持金 999999999G

 表示されたウィンドウは、ゲームと全く同じデザインをしていた。
 中に書かれてあった数字も、俺がゲームで貯め込んでいた金額そのままである。

 試しに念じてみると、手の中に金貨らしきものが一枚だけ出現して、所持金の表示が99999
9998Gになった。
 1Gにどれくらいの価値があるのか分からないが、一応金貨っぽいし、大丈夫じゃないだろうか? 流通しているお金がゲームと一緒とは限らないが……それならそれで、貨幣を交換する手段もあるだろう。多分。
 これだけあれば、近くに街さえあれば生活に困ることはなさそうだ。

 ふと所持金以外のことも気になったので、他にも何かないか色々試してみる。

 まず、アイテムボックスなるものはあった。
 中にはゲームで集めた装備品や消耗品がたっぷりとあり、出し入れ自由だ。
 どうやらクリア後の所持品が反映されているようで、レアなものから平凡なものまで、ゲームにあったものは全て取り揃えられている。

 メニュー画面からは、料理スキルも選択できるようだった。
 それに使える食材もアイテムボックスの中に入っていたが、これは腐ってしまわないか不安だ。
 今はこのまま中に入れておいて、駄目そうなら他に移すか処分するかしよう。

 あと、マップ表示もできた。
 真ん中に表示されている黒い点が俺で、今は他に何も映っていない。
 これがもしゲームと同じなら、人や魔物が近付いてきた時、敵意を持っているなら赤、味方なら緑、それ以外は灰色で表示されるはずだ。
 自分を中心として半径二十メートルぐらいの範囲しか表示されないので、今はあまり役に立たない。

 ステータスも表示されたのだが……これはゲームと違い、随分と様変わりしていた。
 HP、MP、知力、敏捷、筋力、精神といった項目が消え、代わりに魔力、肉体強度、感応値の三つが追加されていたのだ。

 魔力値  1789
 肉体強度 1421
 感応値  2300

 ……これは多いのか少ないのか判断がつかない。
 自分の記憶が正しければ、MPと魔力値の数字が同じなので、MP=魔力値なのだろう。
 他の項目は……肉体強度はともかく、感応値が何なのかよく分からない。
 これは追い追い、調べる必要がありそうだ。

 ひとまずステータスのことは置いておいて、次に俺は家の中を見て回った。
 だいたいはゲーム通りの造りをしていたが、家の中はともかく、外はめちゃくちゃ荒れていた。
 薬草などの生産に使っていた畑は、長く伸びた雑草に埋もれていたし、飼っていた家畜は全て姿を消していた。
 柵がほとんど崩れてなくなってしまっているので、逃げ出したのだろうか?

 逆に、家の中はちょっと不気味なほど綺麗だった。
 どこにも、埃一つ落ちてない。
 まるで、時間が止まってしまったかのような印象を受ける。
 もしかして、そういう魔法でもかかっているのだろうか?

 整いすぎて生活感が薄いのが気になるが、住に関しても心配することはなさそうだった。
 生きていくための全部が揃っている。
 寝床なんて、元の薄い布団なんかよりも、ずっと柔らかそうなベッドがあった。

 一通り確認して気持ちに余裕ができると、今さらながら……本当に今さらながら、胸の奥からジワジワと歓喜が湧き上がってくる。
 何せ、ファンタジーである。
 書籍でもゲームでも、俺はファンタジーが大好きだったのだ。
 しかもここは、俺がのめり込んでいた【エレメンタル・スフィア】の世界。
 もう元の世界に帰れないかもしれないという不安よりも、この世界に対するワクワクとした気持ちが勝り、俺はジッとしていられなくなった。

 まずは魔法を試してみようと、庭先に飛び出した……のだが、そこでふと気が付く。

 どうやって魔法を使えばいいのだろうか?

 ゲームなら敵と対面した時に戦闘画面に移行するのだが、念じてみてもコマンドは出てこない。
 アデル・ラングフォードは、凄腕の魔法使いという設定だ。
 だからか、身体能力の方はそれほど高くない。あくまで、魔法の力と比べたらの話だが。

 つまり魔法が使えないとなると、最大の取り柄がなくなってしまう。
 俺は、顎に手を当てて考え込み……ふと、戦闘の時にあったシステムを思い出した。

【エレメンタル・スフィア】では、主人公が魔法を使う際、ちょっとしたパズル要素があるのだ。
 それは有名な某落ちゲーに似ているもので、集まってくる六色の玉……赤、緑、青、茶、黄、黒のうち、同じ色の玉が四つ揃えば消えるというものである。

 例えば火属性の魔法が使いたければ赤の玉を、水属性の魔法が使いたければ青の玉を集める必要があり、難しい魔法であればあるほど、多くの玉が必要になってくる。
 使おうとしている魔法に必要な数を揃えられなければ魔法は失敗するし、もたもたしていると敵に反撃されたりもする。
 二属性の魔法を同時に使いたければ同時消し、連射したければ連鎖などといった小技もあった。

 ゲームの中では、それらの玉は魔法使いにしか見えない精霊だという設定だったはずだ。
 試しに俺は、その精霊を集められないか念じてみる。
 すると、どこからともなく現れた光の玉が、俺の眼前に集まり出した。

 俺は某落ちゲーも、ネット対戦で上位に入るほどにやり込んでいる。
 その気になれば長い連鎖や同時消しもやれそうだが、今回は赤い玉を四つ揃えるのみにしておいた。
 四つの赤い玉が融合し、弾けるようにして消えたところで、頭に浮かんだ火の呪文を読み上げる。

「【ファイア】」

 夜の闇の中に、ボッと明るい火が灯った。
 指先に灯ったそれに、目を見開いて凝視するも、すぐに消えてしまう。
 だが今、俺はたしかに魔法を使ったのだ。

 ……やばい、楽しい。

 もう、めちゃくちゃ興奮した。
 現実では絶対にありえなかったことが、この世界では当然のようにできるのだ。
 元々、寝る時間を惜しむほどに大好きだったこのゲーム。
 この世界で、やってみたいことがどんどん増えてくる。
 ひとまず今は、使える魔法がどんな風になっているか、順番に確認していこう。

 こうして俺は、そのまま朝を迎えるまで、様々な魔法を試していったのだった。


<<つづく>>

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最強勇者の弟子育成計画
栖原 依夢
宝島社
2014-11-22