第四話 夢

 

 その日も全く成果が上がらず、カリーナは肩を落として屋敷に戻ることになった。
 これで、入門先を探せる期間は残り一日しかない。

 ──もう、諦めるしかないのだろうか?

 カリーナがそう失意の中で落ち込んでいると、今日は珍しく早い時間に帰ってきたアイザックが、今夜は夕食も家族で一緒に食べようと提案してきた。

 何やら、カリーナに大事な話があるらしい。
 朝食は毎日のように一緒にとっていたが、夕食はいつも別々だったのだ。
 久しぶりに夕食を共にできることを嬉しく思う気持ちと、今日も何の成果も上げられなかったことを告げねばならない気の重さを抱えたまま、カリーナが食卓の席に着くと……

 アイザックが、いつも通りの、にこやかな表情で言ったのである。

「カリーナ、お前をラッセルの名から解放してあげようと思う。もう学校にも、行かなくてよい。明日からは家を出て、自由に生きなさい」

 一瞬、何を言われたのか分からなかった。
 いや、理解するのを、頭が拒否した。
 信じたくなかった。

 でもアイザックの言葉は、しっかりとカリーナの耳に届いてしまっており、頭の中を何度も反響してジワジワと絶望に染め上げていく。
 口調は柔らかいのに、その内容は酷く冷たかった。

 カリーナはたった今、ラッセル家から捨てられたのだ。

 どこか遠くに軟禁されるのと、どちらがマシだったのだろうか?
 と、妙に冷えていく思考の中でそんなことを考える。

「馬鹿な!?」
「カラム、行儀が悪いぞ」

 急に立ち上がったカラムを、アイザックが窘めた。
 だがカラムは、それに構わず言葉を続ける。

「お考え直し下さい、父上! いくらなんでも、それは──」
「私としても心が痛むが、これは決まったことだ」

 アイザックはそう言うと、聞き分けのない子供を優しく諭す時のような微笑みを、カリーナに向けた。

「賢いカリーナなら、分かるね?」

 アイザックの視線に晒され、カリーナは小さく震える。

 いつも通りだ。
 いつもの、大好きな父親の、どこか安心できる穏やかな笑顔だ。
 口では悔いの言葉を並べながら、いつもと本当に何も変わらない。

 カリーナは、父のその張り付けたような笑顔に、初めて恐怖を感じた。
 そんな彼女の怯えを察したのか、カラムはカリーナの肩を掴んで、食堂の扉を指差した。

「カリーナ! お前は自室に戻っていろ!」
「こらこら、カリーナと一緒に食事できるのは今日が最後になるんだぞ。追い出したら可哀想じゃないか」

 おどけるようなアイザックの声を背に、カリーナはふらふらとした足取りで食堂を後にする。
 彼女が廊下に出ると、途端にカラムとアイザックが激しく口論する声が、扉越しに響いてきた。
 とはいっても、声を荒らげているのはカラムのみで、アイザックの声音は終始落ち着いたものだったが。

 カリーナは廊下に佇み、必死に自分を庇うカラムの声を聞く。
 あのカラムが、こんなにも自分のことを気に掛けてくれていたとは、考えもしなかった。
 家に迷惑を掛けている自分を嫌っているのだと、カリーナは勝手に思い込んでいた。

 そして逆に、父親はもっと自分を愛してくれているのだと思っていた。
 もしこのまま出来損ないでいても、あの優しい父親なら自分を捨てたりしないだろう。
 そんな吐き気がするほど甘いことを、心のどこかで考えていた自分に気が付く。

 ここにきて、ようやくカリーナの止まっていた感情が、現実に追いついてきた。
 焦燥感が胸の内から湧き上がり、居ても立ってもいられず、その場から走り出す。
 部屋に戻って学院の制服に着替えると、カリーナは急いで家の外に飛び出した。

 そのまま屋敷の敷地外に出ても、誰にも止められることはなかった。
 普段なら、こんな時間に門の外へ出ようとしたら、衛兵に止められていたはずだ。
 この屋敷で働く者達が、もうカリーナのことをラッセル家の一員と認識していないのだろう。
 そう思い知らされ、彼女の胸中で荒れ狂う焦りが、ますます膨れあがる。

 このままでは、本当に捨てられる。
 どこでもいいから、弟子入りさえ果たせれば……もしかしたら、お父様が考え直してくれるかもしれない。
 そんな思いを抱いて、カリーナは必死に足を動かす。

 屋敷を出て、貴族の邸宅が集まる地域を抜け、下町の一番近い位置にある魔法使いの家へ。
 魔灯に照らされた道を行き、流派の一つを担当している者の元へと押しかけた。

 カリーナの記憶が正しければ、成績でいうと中堅クラスの生徒が集まる流派だったはずだ。
 その家の扉を、カリーナは縋るような思いで叩いた。

「誰かいませんか!? お願いします! 誰か!」

 何度も、何度も叩く。
 彼女の行為に、近くを通りすがった人々が顔を顰めた。
 だが今のカリーナに、そんなことを気にする余裕はない。

 しつこく彼女が呼びかけているうちに、とうとう扉が荒々しく開かれた。
 カリーナの声を掻き消すように、白髪頭をした壮年の男の怒鳴り声が響く。

「誰だ、こんな遅い時間に!」
「夜分遅く、失礼しますわ。わたくしは、カリーナ・ラッセルと申します」

 カリーナが頭を下げて自分の名前を口にし……それを聞いていた男が、あからさまに嫌そうな顔をした。

「ああ、お前が件の問題児か」
「えっ……」

 不穏な雰囲気に、カリーナは嫌な予感を覚えた。
 戸惑いと不安から瞳を揺らす彼女に、男は呆れたように大きく溜息をつく。

「魔法使いギルドから、お前をうちに弟子入りさせないように通達があった。おそらく、中級以上の流派全てに同じような知らせが回っているだろう。……お前、ギルドでも騒ぎを起こしたらしいな?」
「そ、そんな……」
「そもそも、うちは五級以下の生徒を受け入れるつもりはない。いい加減、夢ではなく現実を見るんだ」

 そう言い残して、男はさっさと奥に引っ込んでしまった。
 カリーナは呆然と、閉じられてしまった扉を見つめる。
 男に言われた言葉を頭の中で反芻しながら、やがて行く当てもなく、ふらふらと歩き出した。

 夢と、現実。
 男は、夢ではなく現実を見ろと言った。
 現実とは、このどうしようもない現状のことだろう。
 では夢とは?
 自分の夢は、どこでもいいから並の流派に入門することだったか?
 父に捨てられないことだったか?

 カリーナはそこで、ふと昔のことを思い出していた。

 幼い頃。
 まだ、何も知らなかった頃。
 夜空に手を伸ばせば、暗がりに瞬く星が掴めるのだと思っていた頃。
 カリーナは、特級魔法使いになることを夢見ていたのだ。
 今も語り継がれる英雄譚を絵本で読み、憧れた。
 努力さえ怠らなければ、なれると本気で信じていた。

 夢から遠ざかりすぎて、忘れていた。
 もっと大人になれば、下らない夢だったと鼻で笑えるのだろうか?
 笑い話に、できるのだろうか?

 あの時よりは、まだ大人になったという自負はある。
 だが、今のカリーナが抱いた感情は、もっと別のものだった。

 どこをどう彷徨ったのか、いつの間にかカリーナは、薄暗い路地裏の突き当たりに立っていた。
 彼女以外に人は見当たらず、他人の視線はない。
 だからだろうか?
 カリーナは胸に湧き上がった感情を、ぽつりと吐き出していた。

「悔しいですわ……」

 言ってしまった。
 今まで胸の奥底に押し込み、封をして、見ないようにしてきた感情。
 それが、呟いてしまった一言をきっかけに、溢れ出てくる。

 同級生達から向けられる嘲笑。
 貴族達から浴びせられる侮蔑。
 知人から向けられる憐憫の眼差し。
 そして、笑って自分のことを捨てた父親の顔。

 これまで歩んできた様々な場面が、思い起こされる。
 カリーナは、その全てがどうしようもなく──

 悔しかった。

「……ひっ……ぐ……」

 嗚咽が漏れる。
 歯を食いしばっても、堪えられなかった涙が目尻からこぼれ落ちる。
 泣いてしまったことで、ますます自分が情けなく惨めに思え、そうなるともう止められなかった。

「くや…しい……くやしいっ……くやしい!」
 
 喚いたところで、どうにもならない。
 それが分かっていても、カリーナは声を吐き出さずにはいられなかった。
 子供が駄々をこねるようにして、何度も何度も同じ言葉を繰り返す。

 しばらくそうしていると、誰もいないと思っていた彼女の背に、ふと呂律の乱れた男の声が掛かった。

「こんなところで一人で泣いて、どうしたのかな~」

 酒臭い匂いを漂わせた、体格の良い男だ。
 ニヤニヤとしながら舐め回すような視線を向けられ、カリーナは悪寒でぶるりと背筋を震わせる。 
 昂ぶっていた感情が、急速に冷えていくのを感じた。

「……何でもありませんわ」

 カリーナは頬を濡らしていた涙を慌てて拭うと、男の横を通り過ぎて路地裏から出ようとした。
 しかし──

「ちょっと待てよ。心配して声を掛けてやったのに、お礼ぐらい言えねーのか?」

 男が、カリーナの腕を掴んで引き留めた。
 乱暴に引っ張られたことに顔を顰めつつも、男の言うことにも一理あると思い、素直に謝罪する。

「たしかに……そうですわね。非礼をお詫びしますわ」

 カリーナが頭を下げると男は上機嫌になり、今度は腰を掴んで引き寄せようとした。

「おう、俺が慰めてやるから、ひとまず宿の部屋で落ち着こうじゃねーか」
「そ、それは結構ですわ!」

 腕を前に出して拒絶するも、男の力は強く、離れることができない。
 見たところ魔法使いでもない、ただの酔っ払いの男に良いようにされ、カリーナは歯噛みした。
 こんな時、四級以上の……いや、せめて五級並みの力があれば、カリーナは楽に逃げおおせていただろう。
 気は進まないが、叩き伏せることも可能だったはずだ。
 だが現実のカリーナは、この男を前に、何もすることができない。

「離してっ!」
「うるせえ! 大人しく──」

 男が腕を振り上げ、カリーナはぎゅっと目を瞑って痛みに備えた。
 だがいくら待っても、予想していたような衝撃がこない。

 気になっておそるおそる目を開くと、男がゆっくりと地面に崩れ落ちていくところだった。
 代わりに、いつの間にか男の背後にいた青年が、声を掛けてくる。

「おい、大丈夫か?」

 黒髪黒目の、やけに顔立ちの整った魔法使いだ。
 目尻が鋭く冷たい印象を受けるものの、纏っている雰囲気のせいか、あまり怖くはない。

 はっきり言って、格好はとても見窄らしかった。
 魔法使いの装備品は、強い魔法が込められているものほど色合いが派手になっていく傾向がある。
 同業者の間では、装備品の質が魔法使いの優秀さを表しているように見られているので、見栄で分不相応な装備品を揃えている者はいても、その逆はあまりいない。
 だから、今カリーナの目の前にいるこの男は、大した魔法使いではない……はずなのだが。

 ローブの胸あたりに付けられた、流派の範士マスターであることを示す記章に、カリーナの視線は
釘付けになっていた。
 色は、上級を示す金色。
 四級以上の生徒を弟子に迎えている魔法使いだ。
 だがバッジに描かれた紋様は、全ての流派を把握しているはずのカリーナでも、知らない種類であった。

「おーい、聞いてるか?」

 青年の呼びかけに、カリーナは我に返った。
 そして、気が付く。
 カリーナは、全ての流派を回って頼み込んだ末、全てに断られてしまっていた。
 でも、まだ一つだけ残っていたのだ。
 自分が訪ねていない流派が。

 カリーナは、ごくりと唾を飲み込む。

 また、断られるかもしれない。
 いや、断られるのが当然なのだ。
 七級の劣等生である自分を、弟子にしてもらえるわけがない。
 期待したところで、すぐに落胆することになるのは目に見えている。

 でも川に溺れる者が、助かりたい一心で藁を掴んでしまうように、気が付けばカリーナは青年に話し掛けていた。

「あ、あの!」
「んん?」

 急に声を張り上げたせいか、目を丸くして驚いている青年に、カリーナは深々と頭を下げた。

「お願いします! わたくしを、貴方の弟子にして下さい!」
「……えぇ?」

 カリーナの叫ぶような訴えに、青年は困惑したように眉を顰めたのだった。

<<つづく>>

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最強勇者の弟子育成計画
栖原 依夢
宝島社
2014-11-22

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