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 第十一話 能力測定


 自分の師匠は、あの伝説のアデル・ラングフォードだった。
 そんな衝撃の事実を聞かされた次の日、カリーナはふらふらとした足取りで学院にまで来ると、ぼんやりとした様子で自分の席に座っていた。

 世界中の誰もが知っている、人類最強の魔法使い。
 そんな人が身近にいて、カリーナの弟子入りを認めてくれている。
 数日前の自分が聞けば、とうとう頭がおかしくなったのかと、哀憐の情を抱くことだろう。

 どこか現実味が薄すぎて、今も明晰夢を見ているような気分だった。
 次の瞬間に実家のベッドで目が覚めて、今までのことが夢だったとしても、カリーナはあっさりと受け入れてしまう自信がある。
 「ああ、良い夢だったな」と、寂しくはあっても、いつもより機嫌良く一日を過ごせるだろう。

 昨日の衝撃が未だに抜けようとせず、ふわふわと雲の合間を漂っているかのような心地だった。

 近くに座っているエミリアが何を言っても、半ば思考が止まっているカリーナには届かない。
 ひたすら虚ろな目を前に向けて、座っている。
 やがて、いつもより少し遅れてやってきたヘレナが、ご機嫌な様子でそんな彼女の肩を叩いた。

「おっはよー、カリーナ! ちょっと昨日さ~、市場ですっごい掘り出し物見つけちゃって」
「……はあ」

 ヘレナは持ってきた小袋から、手のひら大の真っ黒な宝珠らしきものを取り出すと、見せびらかすようにして掲げる。

「ジャーン! 【常闇の宝珠】だって! 店の人によると、夜の力が封じ込められてるとかなんとか。魔道具のわりには格安だったんで買っちゃった」
「……はあ」
「ほら、ここを擦ると黒い煙っぽいのが出てくるんだよ。なんか闇っぽくない?」
「ヘレナ、それ騙されてる」
「えっ」

 エミリアの忠告に、ヘレナはそれがどういう意味なのかを訊ねようとして──

「……はあ」

 そこでようやく、カリーナの様子が変であることに気がついた。
 怪しげな煙を立ち上らせている宝珠を片手に持ったまま、空いた方の手を彼女の目の前で振ってみる。

「おーい」
「……はあ」

 カリーナの瞳が自分の手を追っていないことを確認すると、ヘレナは宝珠を袋にしまいながら、怪訝そうな顔でエミリアに目を向けた。

「カリーナ、どうしちゃったの?」
「知らない」
「ん~……まさかっ!?」

 寸秒ほど思案した後、ハッと何かを察したような表情を浮かべたヘレナは、カリーナの両肩に手を置いて切迫した声を上げた。

「カリーナ! しっかりして!」
「え? え? 何ですの?」

 肩を激しく揺さぶられて、ようやく我に返ったカリーナが、どうしてか深刻そうな雰囲気を漂わせている友人を不思議そうに眺める。
 ヘレナはそんな彼女に、沈痛な面持ちで話を続けた。

「初めてをこんなことで散らしちゃったのがショックなのは分かるよ。でも、絶対に泣き寝入りしちゃ駄目。私も一緒に行くから、しっかりと魔法使いギルドに事の顛末を報告して、そのド腐れ師匠に抗議を──」
「何の話ですの?」

 戸惑う彼女に、ヘレナは大きい声で話すに
は憚れるようなことを、小声で耳打ちをする。
 その内容を理解すると、カリーナは耳の端まで茹で上がったように赤面した。

「──っ! だから師匠は、そんなことをする人ではありませんわ!」
「なら一体、どうしたのさ?」
「そ、それは──……」

 ヘレナに聞かれ、カリーナは思わず言い淀んだ。

「師匠の正体がアデル・ラングフォードだったことに動揺していた」と馬鹿正直に喋りそうになったところを、口をつぐんで堪える。

 実はそのアデルから、騒ぎになるのを避けたいから本名は黙っておいてくれと頼まれていたのだ。
 師匠の名誉を守りたい思いはあるが、それ以上に約束を破ることはできない。

「い、言えませんわ……」

 そう言って悔しそうに目を逸らしたカリーナに、ヘレナとエミリアは顔を見合わせた後、今度は本気で心配しだした。

「ほ、本当に何もなかったんだよね?」
「怪しい」

 どうしてかしつこくなった二人の追及にカリーナが戸惑っていると、丁度そこで教師らしき魔法使いが、数人ほど教室に入ってきた。
 彼らが一抱えほどもある水晶玉を運んでいるのを見て、ヘレナが今思い出したように声を上げる。

「あ、そういえば昨日が期限だっけ?」

 彼女が言う期限とは、学院の生徒が弟子入り先を選ぶことができる最後の日のことである。
 そして今日は、自分が入門した流派を学院に報告するのと同時に、各々の基礎能力を測定することになっていた。

 教師の呼びかけに、生徒が席を立って中央に置かれた水晶玉……基礎能力を測定する魔道具に集まり始める。
 カリーナは、さらに追及してくる二人から逃げるようにして、水晶玉の前に並び始めた生徒に交ざったのだった。


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 測定した基礎能力が書かれた札を手に、ヘレナが自分の席に戻ってくると、彼女はどこか浮かない顔でエミリアに結果を聞いた。

「どうだった?」
「魔力値203、肉体強度119、感応値189」

 エミリアが自分の札を見せながらそう言うと、ヘレナが軽く口笛を吹いて称賛する。

「流石はエミリア。基礎能力だけなら、もう一級魔法使い以上じゃない?」
「それは大袈裟。ヘレナはどうだった?」
「上から104、70、91。前回からあんまり伸びなかったな~」

 ちょっと悔しそうにそう言うと、次に自分の札を凝視して固まっているカリーナに顔を向ける。
 ヘレナは少し迷う素振りをした後、彼女にも声を掛けた。

「カリーナは、どうだったの?」
「いえ、それが……」

 カリーナが自分の札を二人に見せると、中に書かれていた数字にヘレナが驚きの声を上げた。

「46、23、31……って、いくら何でも短期間で伸びすぎじゃない?」
「ええ。わたくしも、そう思いますわ」

 ひと月ほど前に測定した時は、カリーナはたしかに七級クラスの基礎能力しかなかった。
 なのに今は、六級の中堅クラスぐらいの数字はある。
 これは測定した教師が、魔道具の誤作動を疑うほどにありえない成長だった。
 実際、何度も測り直しをしたほどである。

「へ~、こういうこともあるんだねぇ」
「でも、よかった」

 エミリアの言葉に、ヘレナも頷く。

「そうだよね。おめでとう、カリーナ」
「二人とも、ありがとう」

 まるで自分のことのように喜んでくれる二人に、カリーナは頬を弛ませる。
 とそこで、教室の中央から生徒のざわめきが広がった。
 水晶玉の置かれている場所から、金髪を縦巻きにした少女……レベッカが、取り巻きを引き連れて出てくる。

 彼女は自分の席に戻る際に、一度カリーナの席の前で立ち止まった。

「あらカリーナさん、ごきげんよう」
「……ごきげんよう。これは、何の騒ぎかしら?」
「ああ、あれは私の基礎能力値を見た生徒が、勝手に騒いでいるだけよ」

 そう言って、レベッカが自分の札を見せる。
 そこに書かれてあった数字に、カリーナは驚いた声を上げた。

「146、97、137……」
「別に、大した数字ではないでしょう?」

 レベッカはそう言うが、同学年の中では二番目に高い数字である。
 たしかにエミリアとは差があるが、それはエミリアが異常なだけだ。
 レベッカの能力値も、本来なら十分に天才と呼べる領域のものである。

 だがカリーナやレベッカを知る生徒が驚いたのは、その数字の高さではなかった。

 レベッカはたしか、前の測定では魔力値123、肉体強度85、感応値118といった数字だったはずなのだ。
 それが今日の測定では、大幅に数字を伸ばしている。
 カリーナの成長もおかしかったが、レベッカの成長はそれをさらに上回っていたのだ。

「ところでカリーナさんは、夏の魔法大会には出場するのかしら?」
「ええ、そのつもりですわ」
「まぁ、辞退なさらないなんて勇気があるのね」
「……」

 明らかな嫌みに、カリーナが押し黙る。
 隣のヘレナが何かを言おうとしたが、それはエミリアが彼女の口を塞いで押し止めた。
 ヘレナは平民なので、ここで下手なことを言って貴族のレベッカと揉めると、ヘレナの身が危ないからだ。

「カリーナさんとは、是非とも最初に戦いたいわね。だって魔力を温存できるもの」
「……それはどうも」
「それでは、私はこれで」

 言いたいことを言って、満足そうにレベッカが立ち去る。
 そんな彼女の背中に刺々しい目を向けていたヘレナは、エミリアの手から解放されるとしゅんと肩を落とした。

「うう、庇ってあげられなくてごめん……」
「ヘレナ、気になさらないで。仕方がありませんわ」

 落ち込むヘレナを慰めていると、エミリアがカリーナの肩をつついて、教室の入り口を指差した。

「カリーナ、あれ」
「え? ──あっ」

 そこに立っていた人物に、カリーナは慌てて席から立ち上がると、駆け寄って行った。
 まだ生徒達の測定は終わっておらず、今日の授業は始まっていないので、彼女の行動を咎める者はいない。

 カリーナは、あれからたった数日しか経っていないのに、随分と長い間会っていなかった気がする家族……自分の兄にあたる、カラム・ラッセルの前に立った。
 険しい顔をしている兄の迫力に、思わず目を逸らして俯いてしまう。

「カラムお兄様……」
「カリーナ。一体、今までどこに?」
「入門した流派の家に、お世話になっておりました」
「弟子入り先が見つかったのか」

 声がちょっと弾んだような気がして顔を上げてみると、カラムはどこか嬉しそうな表情を浮かべていた。
 今まで兄が見せたことのなかった表情に、カリーナは目を丸くする。
 そんな彼女の様子に気が付いたカラムは、何かを誤魔化すように咳払いをした後、表情を引き締めた。

「すまない、カリーナ。俺では父上の決定を、覆すことはできなかった。今のあの屋敷に、お前の帰る場所はない」
「……お兄様が謝ることではありませんわ」

 カリーナがそう言うと、カラムは彼女の肩に手を置き、膝を折って視線の高さを合わせた。

「いいか、よく聞くんだカリーナ。父上は、お前が何か大きな功績……例えば学院の魔法大会で入賞するなどすれば、ラッセル家に呼び戻してもいいと言っていた」
「そうですの……」

 奇しくもそれは、昨日アデルが言っていたことと同じだった。
 魔法大会で良い成績を残せば、実家に帰ることができる。
 そんな話が、現実味を帯びてくる。

「だが正直、お前の力では厳しいと俺は思っている。それどころか、もし七級のまま成長できなければ、将来的に魔法使いとして生きていくことも苦しくなってしまうだろう」

 カラムの言う通り、以前のカリーナがあれ以上成長できないようであれば、魔法使いとして働いていくことは無理だっただろう。魔法に関する仕事をさせようにも、魔力値や感応値が低すぎて使い物にならなかったはずだ。
 それほどに、彼女の能力は低かった。

「お前がもし魔法学院をやめたいと言うなら、俺も一緒にお前の住む場所や働き口を探そう。贅沢な暮らしはできないが、きっと今よりは穏やかに過ごせるはずだ。……お前には、その方が幸せかもしれない」
「……」
「お前は、これからどうする?」

 カラムにそう問われ、カリーナは瞼を閉じてしばし考え込んだ。
 兄の言葉に甘えて、新しい道を探すのも悪くないかもしれない。
 ただしその場合は、魔法使いの道を諦めることになるだろう。

 自分の弟子入りを認めてくれたアデルや、短い時間だが自分に魔法を教えてくれたウリエルの顔が、脳裏に浮かぶ。
 提示された選択に、迷うことはなかった。

「ありがとうございます、お兄様。でも、ここに残りますわ」

 思えば、自分の師匠のことを……ラングフォード流に弟子入りしたことを伝えれば、今すぐにでも戻ることができるかもしれない。
 アデルの名前には、それだけの力がある。
 だが、それは嫌だとカリーナは思った。
 自分の力で、認めさせたかった。

 人によっては、子供の意地だと笑うかもしれない。
 でもこのままで終わるのは、あまりにも悔しい。
 そう、カリーナは思ったのだ。

「わたくしは必ず、お父様を見返してみせます」
「……そうか」

 カリーナの答えに、カラムは重々しく頷いたのだった。


<<つづく>>


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最強勇者の弟子育成計画
栖原 依夢
宝島社
2014-11-22