第十二話 大会
学院から帰ってきたカリーナは、やけにやる気に満ち溢れていた。
いや、今までも十分にやる気はあったが、今日は一段と覇気が強いというべきか。
なにせ屋敷に帰ってくるなり、彼女は地面に額が着いてしまいそうな勢いで頭を下げ、俺にこう言ったのだ。
「どんなに苦しい修行でも耐えてみせます。どうかわたくしを、次の魔法大会で勝てるようにして下さい!」
「あら~、凄いやる気ね~」
カリーナの気迫に、ウリエルも頬に手を当てながらちょっと驚いている。
……そういえば、彼女は昨日から王都に帰っていないのだが、ギルドの仕事とかは大丈夫なのだろうか?
朝も起きるのが遅く、昼近くまで爆睡していたし……
まあ俺が心配することでもないし、あまり考えないようにしよう。
さて、カリーナから苦しい修行とやらを所望されたわけだが……ぶっちゃけ、魔法を教えられない俺に、そんなことを言われても困る。
多分、一番効率的なのは、毎回ご飯を限界まで食うことだ。
いっぱい食べたら、それだけステータスが早く上がるからね。
でも、それでは納得しない気がする。
例えば、俺がまだ日本にいた時に「ご飯をお腹いっぱい食べてるだけで東大に受かるよ」と言われても信じなかっただろう。
そこに科学的根拠があったとして、懇切丁寧に説明されても絶対に信じなかったと思う。
適当にそれっぽいだけの修行をでっち上げると、ウリエルに看破されそうだし……
俺が黙って悩んでいると、その沈黙をどう受け止めたのか、カリーナが不安そうな顔をしていた。
なので、ついその場しのぎの言葉を口にしてしまう。
「どんなにつらい修行でもか?」
「はい!」
物凄く良い顔をして頷かれた。
どうしよう、大食いにでも挑戦させてみるか?
いや、それで無理をして吐かれたら元も子もないし……
他に思いつくのは、カリーナが扱える属性で、俺が教えられそうな応用があるぐらいだ。
でもそれには、元になる魔法を覚えていないと話にならない。
俺はウリエルに、カリーナが大会までにその魔法を覚えられそうかどうか聞いてみた。
「ん~……その魔法だと、あと半年は時間が欲しいわね」
「半年か……」
夏の大会までは、残り二ヶ月とちょっとしかない。
その約三倍も時間が必要となると、やはり無理だろうか……
とそこまで考えたところで、俺は超有名な漫画にあった、一日で一年の修行ができる異次元空間のことを思い出した。
流石にあれを再現することはできないが、要するに一日の修行時間を長くすればいいのではないだろうか?
【エレメンタル・スフィア】には時間に干渉できるような魔法はないので、なるべく修行以外の時間を削るようなことしかできないが、これは名案だと思った。
「よし、じゃあ今から大会前日までは寝ないで頑張ってみよう。それなら学院に行っている時以外は、ずっと魔法の練習ができるからな」
「はい! …………えっ?」
いい返事をしてから、カリーナの表情が固まった。
それはそうだろう。
単に二ヶ月間ずっと寝るなというだけなら、体を壊して欠場するのがオチだ。
だがこの世界には、俺が元いた世界では不可能だったことを可能にする魔法があった。
「ああ、体のことは心配するな。この間、お前に【パーフェクト・ヒール】をかけたら目の下にあったクマが消えたし、それで寝不足や疲労も回復できると思う」
「そんな魔法があるんですか?」
「え?」
カリーナの反応に疑問符を浮かべると、何かを察したウリエルが苦笑した。
「【パーフェクト・ヒール】なんて、人間で使えるのはアデルと、あともう一人ぐらいよ。普通の魔法使いは、存在すら知らない人も多いわ」
そうだったのか……。
カリーナと初めて会った時に彼女が衰弱していたのは、てっきり嫌がらせで回復魔法をかけてもらっていなかったからだ思っていた。
これは後になって知ったことだが、回復魔法のある光属性は扱える人間自体が稀少らしい。
でも天使だと、逆に光属性の魔法を使えない者の方が珍しいのだとか。
その回復魔法を使って休まず特訓するという案に、ウリエルものってきた。
「カリーナさんは座学の成績がとても優れているから、大会までは午前中にある授業も休んで大丈夫じゃないかしら? これで、一日のほとんど全てを魔法の修練に当てられるわ。ただちょっと心配なのは……」
彼女はそこで一旦言葉を止めると、顎に指を当てて小首を傾げた。
「人間にそんなことをして、本当に大丈夫なのかしらね?」
……たしかに、よく考えたら色々と問題がありそうな気がする。
あくまで気がするだけで、あまり学があるとは言えない俺には、具体的にどうなるのかは分からない。
いくら疲労がないといっても、生物が持つ根源的な欲求の一つを完全に封じてしまうのは、精神に何か悪い影響があったりしないだろうか?
俺がそう迷っていると、カリーナが再度頭を下げて、後押しをしてきた。
「それでお願いしますわ」
「う~ん」
まあ危なそうなら途中で止めたらいいか。
そう考えて、俺は自分の思いついた方法をカリーナにやらせることにする。
……とそこで、俺は昨日うっかり忘れていたことを思い出した。
「あ、そうそう、本当は昨日に渡そうと思ってたんだけど──」
「え?」
俺はアイテムボックスから、【反魔鏡のローブ】という、黒い生地に金糸で魔法陣みたいなのが縫われてある防具を取り出した。
ちょっとだけだが各ステータスを上昇させる力があり、さらには下級魔法なら自動で反射してくれる機能が付いたものだ。
俺がリサーチした店で展示してあったものよりも、グレードが一つ上くらいの装備である。
「お前用の、装備だ」
「──っ」
それを無造作に手渡すと、何故かカリーナはそのまま気を失って後ろに倒れてしまった。
いきなり寝てしまうとは、先が思いやられるな……。
こうして、二ヶ月後の魔法大会まで、彼女の集中特訓が始まったのである。
ちなみにカリーナに渡した装備は、ウリエルから「ちょっと、学生の大会でそれは反則よね~」とのお言葉を頂き、ひとまず一般的なレベルのローブと交換することになった。
王都の店にあったものより、少しだけ良い装備を選んだつもりだったのだが……何かが間違っていたらしい。
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ランドリア王国の王都では、年に一度、数日間にわたって大きなお祭りが開かれる。
このお祭りの間に、トウェーデ魔法学院の生徒が互いの魔法を駆使して戦う魔法大会や、制作した魔道具を披露して評価点を競い合う品評会なども開かれ、それらを見物しようと大陸中からやってきた人々によってわうのだ。
人が集まるのを狙ってやってきた商人や旅芸人も競い合うように出店し、観光客だけでなく王都に住んでいる民衆も、この数日間は昼夜を忘れたように騒ぎ続ける。
そんなお祭りが始まった、最初の日の朝。
観光客による長蛇の列に並んで王都に入ったカリーナは、見慣れたはずの街並みを見回して感慨深げに目を細めた。
「ああ、王都が懐かしく思えますわ……」
「そうか」
たった二ヶ月ぶりなのだが、今のカリーナの様子は、まるで都会に疲れて十年ぶりに故郷に帰ってきた中年のようであった。
やはり長期間全く眠らずにいるのは、けっこう精神的にきつかったらしい。
特に最後らへんは、性格が変わってちょっとおかしくなっていたし。
最終日に一日使って泥のように眠ったら元に戻ったが、もう二度とやらせないでおこうと思う。
俺達が魔法大会が行われる試合会場に向かっていると、途中でカリーナの知り合いらしい学院の生徒と出会った。
黒髪をポニーテールにした活発そうな少女と、銀髪を顎の下あたりで切り揃えた感情の起伏が薄そうな少女だ。
二人はカリーナの姿を見るなり、どこか焦った様子でこちらへと駆け寄ってきた。
「カリーナ、今までどこで何をしていたの!? 急に学校に来なくなったから、心配したよ」
「心配した」
捲し立てるポニーテールの少女に追従して、銀髪の少女も頷く。
体をペタペタと触って、どこか異常がないか確かめていく二人に、カリーナは苦笑しながら軽く頭を下げた。
「お二人とも、ご心配をお掛けしましたわ」
「それで、そっちの人は?」
どうしてか、ポニーテールの少女から睨みつけるような視線を向けられた。
さりげなくカリーナとの間に体を入れて、俺から彼女を守れるような位置取りをしている。
その姿は番犬のようで、今にもグルルッと唸ってきそうな感じだ。
俺はそんなにも不審者に見えるのだろうか?
「わたくしの師匠ですわ。師匠、こちらはわたくしの友人の、ヘレナとエミリアですわ」
「アキラだ、よろしく」
紹介され、俺はできるだけ爽やかに見えそうな笑顔を作ってみる。
「よろしく……」
笑顔のおかげか警戒心は和らいだ気がするが、今度は俺の服装を見つめて怪訝そうな表情を浮かべていた。
エミリアも、俺の顔をジーっと見つめてくるが、こっちは無表情で感情が読み取れない。
だが、ほんの僅かだけ目を見開いているような気がする。
二人の反応に疑問符を浮かべていると、いきなり背後から少女の高笑いが響いてきた。
振り返ると、いかにもお嬢様っぽい少女が、こちらへ向かって歩いてくる。
金髪の縦ロールとか、こっちの世界に来てから初めて見た。
「お久しぶりね、カリーナさん。てっきり、もう王都にはいないものかと思っていたわ」
「レベッカ……」
目に見えてカリーナの顔が強張った。
どうやらこのレベッカという少女とは、あまり仲が良くないらしい。
「それにしても、貴女のような生徒を弟子にする物好きはどんな方なのか、以前から気になっていたのだけれど……」
彼女はそう言いながらこっちに目を向けると、俺の服装を見てあからさまに鼻で笑った。
「なんて見窄らしいのかしら。貴女には、お似合いの師匠ね」
「──っ!」
途端、柳眉を吊り上げたカリーナが何かを言う前に、俺は彼女の肩に手を置いて宥めた。
「ああ、俺にはお似合いの弟子だよ」
「師匠……」
──お前は「アデル・ラングフォード」に相応しい弟子だ。
そんな言葉の裏にあるものを察してか、カリーナが感動したような目を向けてくる。
そんな彼女の様子に、レベッカは面白くなさそうに眉を顰めた。
「……それではカリーナさん、ごきげんよう。大会では、よろしくお願いしますね」
ちょっと引っ掛かる言葉を残し、踵を返して立ち去っていく。
カリーナが勝ち上がるとは欠片も思ってなさそうなレベッカが、彼女に「よろしく」と言った。
その意味は、試合会場の前に張り出された初戦の組み合わせを見てすぐに分かった。
「そんな、初戦からレベッカだなんて……」
古代ローマのコロッセオにも似た造りの建物の前で、ヘレナがカリーナの隣に並んでいた名前を見て呆然と呟いた。
聞くところによると、あのレベッカという少女は、エミリアに次いで優勝候補だと囁かれてるほどの生徒らしい。
「まあ優勝を狙うならいつ当たっても同じだろ」
「そうですわね」
初戦から強敵と当たってしまったのに、どこか余裕のあるカリーナの態度に、ヘレナが不思議そうにしていた。
まあ二ヶ月前の彼女しか知らないなら、しょうがない反応だろう。
逆に、全然悲観してなさそうなエミリアの様子の方が気になる。
俺やヘレナは、大会参加者が集う控え室までは同伴できないので、カリーナ達とは一旦ここで別れることになった。
「見ていて下さい、師匠。師匠が侮辱された分は、キッチリとお返ししてきますわ!」
「おう、その意気だ。頑張ってこい」
パシンと拳と手のひらを打ち合わせて意気込むカリーナ。
ちなみに彼女には、俺が日本で培った格闘技の極意を教えてある。
……通信空手一級だけどね。
接近戦になってしまえば、魔法より殴った方が早いのだ。
あくまで通信教育の知識だけど、ないよりはマシだろう……多分。
性格が豹変していた時に教えたせいか、砂に水がしみ込むように格闘技の動きを習得していったし、今の彼女は魔力抜きでも日本にいた頃の俺よりも強いと思う。
いや、日本の俺が貧弱すぎるんだけども。
「二人とも頑張ってね!」
「ええ、期待していて下さいな」
「行ってくる」
ヘレナの応援に、二人が手を振りながら会場に入っていく。
ちなみに、ヘレナは四級の成績でありながら戦闘系の流派には入っておらず、大会には参加しないそうだ。
「ヘレナも、試合を観戦していくのか?」
「はい、友達の晴れ舞台ですから、もちろんですよ。私が参加する魔道具の品評会は明日からですので、時間も余ってますし」
「そうか。だったら──」
特別席を用意してもらってるから、そこで観戦しないか?
と言いかけたところで、いきなり背後から何者かに抱きつかれた。
背中に、ふにょんっと二つの幸せな感触がする。
「おはよう、アデル! 私、寂しかったわ~」
「……昨日まで屋敷で会ってただろう」
すりすりと頬ずりをしてくるウリエルに、ヘレナは顎が外れてしまいそうなぐらいに口を開けて驚いていた。
「ウ、ウリエル様!? それに、アデルってまさか──」
「あっ」
せっかく偽名で自己紹介したのに……
ウリエルに抗議の目を向けると、彼女は悪びれた様子もなく、ちろっと舌を出していた。
きっと、わざとだ。
だが、意図が分からない。
俺はこの時、ウリエルの視線がヘレナの腰にある小袋に向けられていることが、妙に気に掛かったのだった。
<<つづく>>
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<<つづく>>
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