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スクールライブ・オンライン Episode智早

スクールライブ・オンライン Episode智早【9(終章)】

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スクールライブ・オンライン Episode智早【9(終章)】


 イメージが噛み合わない。
 あそこにいるプレイヤーは、本当に私の知っている篁(たかむら)なのか?
「君のバックには確か《栄光賛歌(グロリア)》がついてるんだっけ? ここで君を倒せば、《栄光賛歌》が報復に来たりするのかい?」
「え……そ、そうだ! 俺に手を出したら、《栄光賛歌》が黙っちゃいな――」
「君も知ってるんだろ? 《栄光賛歌》と《高天原(セレスティア)》に、どれくらい力の差があるのか。それを考えると、むしろ逆だと思うんだよね。《高天原》に所属する僕に、君がこれまでしてきたことが知れたら、《栄光賛歌》は《高天原》と事を荒立てないために、君を見限ると思うよ。というか君、別にメンバーでもなんでもないんだろ?」
「ん、だよ……それ。お前だって、同じ中等部の一年のくせに……」
「同じ? 君と一緒にしないでほしいな。僕は将来、栄臨学園最強のプレイヤーになる。これは《高天原》の総意であり確定事項だ。そしていずれ《高天原》のギルドマスターになる。そういう選ばれた人間なんだよ。それにひきかえ、そんな僕と事を構えた君のこれからは悲惨だね。はは、どうなるか楽しみだ」
「そん、な……やめ、やめてくれ! 頼む!」
「ま、安心しなよ。君にいじめられてたなんて、僕だって誰にも知られたくない。だから君と僕のことは、ここで決着をつけよう」
「い、いや……俺は、もう……もう、やめようぜ。まいった」
「断る。時間は無制限。どちらかのHPが0になるまで戦う。そういうルールだ」
 見たこともない禍々しい表情で、篁が無慈悲に剣を持ち上げていく。
「勝負再開だ」
 言うが早いか、既に戦意を喪失している三谷(みたに)を袈裟切りにする。二人のHPバーは私には見えないが、膝をついた三谷に相当のダメージが入ったことだけはわかる。
 力が入らないのか、三谷は手から剣と盾を地面に落とした。
「ま、まいったって言ってるだろ。降参だ!」
 体を震わせ、懇願する三谷の肩を篁は足の裏で押し、仰向けに倒した。
 負けを認めている三谷を、篁はまるで虫ケラを相手にするように見下ろしている。
「この手で、智早(ちはや)の肩に触れてたよね」
 そして無感情に、三谷の掌にグサリと剣を突き立てた。
「ヒ、ヒギィィ!」
 三谷も例外ではなく、私たちは全員3Rビギナーだ。特に攻撃に対して視覚的に慣れていない。痛覚はないと頭でわかっていても、自身の体を貫き、切り裂く光景に体が竦み、恐怖する。
「僕を虐げるのは我慢できた。だけど、智早にしたことだけは見過ごせない」
「あ、あれは、あいつらの前で、ちょっとイイ顔したかっただけで」
「そういえば昔、智早を突き飛ばしたこともあったよね。それもこの手だっけ?」
「も、もうやめ、ぎゃっ!?」
 篁は突き刺さった剣を引き抜き、先の繰り返しのように同じところへと突き立てた。
 それも、一度や二度ではなく、
 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も
 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も
 私はその惨劇が恐ろしくて、腰が抜けたようにその場にへたり込んだ。
「おっと、つい夢中になっちゃった。これだけでもHPが0になるんだね」
 篁の頭上に【You Win!!】、三谷の頭上に【You Lose】の文字がフラッシュした。
「お、終わ……たのか?」
「よし。じゃあ――」
 篁は穏やかな表情で、狂気に満ちた言葉を口にする。
「もう一度最初からやり直しだ」
「ヒッ、ヒイィィィ!!」
 篁がウインドウを操作し、三谷の眼前に決闘申請が表示された。
「い、嫌だ……許してくれ! 謝る……全部謝るから!」
「僕はお願いしてるわけじゃない。承諾しろ」
 今や立場が完全に逆転してしまった三谷に拒否権はなかった。意志に反して三谷の指は承諾を選択させられる。死刑執行と変わらないカウントダウンが再び始まった。
「頼む、これで終わりにしてくれ……」
「今度はどんな風に教育してやろうかな。手足を一本ずつ斬っていって、最後に首を刎ねる感じでやってみようか。さあ、早く剣と盾を拾え」
 ここまで一方的な戦いを、決闘と呼べるのだろうか。
 いや、こんなのは決闘とは言えない。ただの殺戮だ。
「僕はね、痛いのが嫌いなんだ」
 落ち着いた声で篁は語る。剣を握る三谷の右腕が、肘までしかない長さになった。
「殴られて痛いのも嫌だけど、僕が殴って相手に痛みを与えることも嫌だった」
 同じように、盾を持っていた左腕が、肩の先から丸ごと消失した。
「栄臨学園に入ってよかったよ。ゲームの中だと、いくら傷つけても痛くないからね」
 まるでバッティングのように、三谷の両足を撫で斬りにした。
「来るな……来るなあああああッ!!」
「それはなんの悲鳴だい? まさかバーチャルなのに、痛いとでも言うのかい?」
 三谷がミノムシのように這って篁から逃げようとする。
「せっかく強くなったんだから、もっと抵抗してくれなきゃつまらないよ」
 這いずる三谷の背中に、斬った証である赤いラインが何本も刻まれていく。
「も、もうログアウトする……」
「無理だね。この訓練所でのログアウトはできないように設定しておいた」
「……そんな、こと……」
「できるさ。ここは《高天原》が統治するランフィード領なんだよ?」
 次第に三谷の声は、泣き声と区別がつかなくなっていった。
「ごめ、なさい。ごめんなさい。ごめんなさい! ごめんなざい! ごめんなざい!」
「ちなみに強制終了なんかしたら、どうなるかわかってるよね?」
 あの優しかった篁が……。

 ――三谷君たちと、友達になりたかった。

 そう言っていた篁が……。
 あの時、八千房(やちふさ)先輩たちから《高天原》の名前を聞いていたら、三谷が《栄光賛歌》の名前を出した時点でどうにでもできた。
 あの時、毅然とした態度で三谷を拒絶することができていたら。逃げずに篁の傍にいることができたら、こんな凄惨な光景は生まれなかった。
 後悔が、涙となってこぼれていく。
 リアルでの私は、いつの間にか泣いていた。
「もうやめでくだざい! お願いひます! 許ひてくだざい!」
「あはは。三谷君はおかしなことを言うね。僕が君にやめてくれと言って、君は一度でもやめたことがあったのかい?」
「ごめんなざい! ごめんなざい! ごめんなざい!」
「三谷君、勘違いしないでもらいたいんだけど、僕は君に謝ってほしいなんて思ってないんだよ。ただ味わってほしい。弱者が強者に虐げられる痛みを感じてほしい」
「ごめ……ごめ、なさい……」
 光を映さぬ三谷は、うわ言のように「ごめんなさい」と呟く。
「それにね、謝る必要はないから」
 そう言って、次に放った篁の一言は、三谷から完全に希望を奪い去った。
「僕はね、君がいくら謝ったところで、最初から許すつもりなんてないんだよ」
 篁の剣が、もはや茫然自失に陥っている三谷の体を幾度となく切り刻んでいく。
 三谷のHPが0になれば、また最初からやり直し。それを延々繰り返す。
「もうやめろぉッ!」
 私は外野から、悲鳴にも似た声を張り上げた。
 篁の手が止まり、こちらに顔を向けられる。
「お前のやっているそれは、もういじめだ。その痛みを知っているお前が、それをやってはいけない」
「いじめじゃないよ。教育だ。それに、僕だからやらなくちゃいけないんだ」
「お前が、何を言っているのかわからない……」
 理解が及ばず困惑していると、瀕死の三谷が私に向けて手を伸ばした。
「……た、瀧(たき)……助け――」
「汚い目で智早を見るな」
 ズンッ、と。三谷の両目に篁が剣を突き入れた。顔面に剣が刺さったまま、三谷が背中から倒れる。もう何度目かわからない決闘の勝敗が決した。
「智早、僕はもう一つ学んだことがある。――この学園での生き方だ」
「生き方?」
「いじめられるのは嫌だ。当たり前だよね。あれは人格まで支配されてしまう。それを防ぐためにはどうすればいいか考えたんだ。智早は味方を増やせばいいと言ったけど、その仲間が裏切ることだってありえないわけじゃない。現に僕は、いじめられる前までは友達だと思っていた連中に裏切られたしね」
「篁……」
「だから支配されないためには、こうやって相手を支配してしまうのが確実な手段なんだ。そうすれば虐げられることもない。裏切られることもない。……仲間なんて、必要ない」
 それが、篁の行き着いてしまった結論なのか。
「僕が学園を全て支配すればいじめなんて起こらない。支配させないためには、僕が支配してあげればいい。僕ならそれができるんだ」
 私は絶望に打ちひしがれ、そして知った。
 私の知っている篁は、もういないのだと。
「全て支配だと。なら私のことも、支配するつもりなのか……」
「智早にそんなことするわけないだろ。智早は、智早だけは僕にとって特別なんだ」
 小学生の頃、篁に特別だと言ってもらえた私は、心が全て満たされるほど嬉しかった。
 それなのに、同じ言葉が今は、心が引き裂かれてしまうほど悲しくて仕方がない。
「……智早……僕はずっと、智早のことが――」
「言うなッ!」
 私は篁の言葉を遮った。聞きたくなかった。
「今のお前に、何を言われても…………嬉しくない……」
 三谷にできなかった拒絶を、私は篁にした。
 篁はほんの一瞬だけ辛そうな顔を見せ、私に背を向けた。
「……いつか、智早にもわかる時がくるよ」
 そう言って、半透明に光るパネルを出現させた。訓練所を覆う膜が解除され、この決闘のために仕様変更されていた設定が全て初期化される。
 篁はそれ以上何も言わず――ログアウトしていった。
 しばらくすると、倒れていた三谷のアバターも消えた。ログアウトしたようだ。
「……篁……」
 どれくらいそうしていただろう。
 ようやく立ち上がることができるだけの気力を取り戻した私は、鉛のように重い体を動かし、薄暗い訓練所から地上に出た。全部夢であってくれたらと思うが、胸に突き刺さる苦い感情が、あまりにもリアルすぎた。
「……バカ者が……」
 篁と私。どちらへも向けた悪態は、誰の耳にも届かず街の喧騒に飲み込まれた。

 翌日、三谷は学校を欠席した。寮から一歩も出てこないそうだ。
 さらに三日後、誰に別れの挨拶をするでもなく、三谷は別の学校へ転校していった。

          ◇

「智早ちゃん、それじゃあ決めたのね?」
「はい」

 十分すぎるほど落ち込んだ。
 十分すぎるほど己の無力を痛感した。
 絶望の淵で考えに考え、悩みに悩んだ末に私が出した答えは一つだけだ。
 ――優しかった篁を取り戻したい。
 だけど、なんの力もない今の私では無理だ。
 強くならなければ。
 私は鏡の前で鋏を握り、結わえたおさげに近づけた。
 篁が否定してしまった仲間。
 本当に大事なのは、支配する力ではなく、支え合う力なのだと篁に教えてやる。
 そのためにも力をつけなくてはならない。
 順当に考えれば、製造系の《鍛冶師(ブラックスミス)》では、篁と決闘しても勝つことはできない。この先、プレイヤーとしての強さは開いていくばかりだろう。
 ブラックスミスは一人じゃ何もできない。仲間ありきの職業だ。
 仲間がいてこそ、その真価を発揮する。
 だから探すんだ。
 私の力を役立ててくれる仲間を。
 見つけるんだ。
 篁の目を覚ますことができる、そんなパンチを放てる仲間を 。

「私を《高天原》へ入れてください」

 絶対に強くなってやる。
 そう誓い、私は長かった髪を切り落とした。 


 ――五年の月日が流れた。
 八千房先輩たちが卒業した後も、約束されたレールを歩み続けた篁は、学園一の高レベルプレイヤーに登りつめた。そして、当然の流れで《高天原》のギルドマスターとなり、生徒会長の地位にまで就いた。最強の実力と、最高の権力を篁は手に入れたのだ。
 あの日からずっと、篁の根幹にある考え方は変わっていない。トップに立つ篁が、力と権力こそが全てと考えている以上、それがそのまま栄臨学園のスタンダードとなる。そういう体制が確立されてしまった。 
 私たちが栄臨学園に入学した時点で、既に城主ギルドは特権階級として扱われていたが、篁が権力を手にした頃から、城主ギルドは特権階級の枠に収まらず、支配階級へと推移していった。篁は、表向きには模範となるプレイヤー、良き生徒会長として振る舞いながら、レベルの高い者、城主ギルドに所属する者に逆らうという意識そのものを、生徒たちから排除していった。
 それを私は、ただ傍観しているしかできなかった。
 私もまた、《高天原》にバックアップしてもらった甲斐あって、製造ランキング1位のブラックスミスとして学園に名を馳せるに至った。
 だが、それだけではなんの意味もない。
「――少年。そこの少年」
 長かった。何度諦めようかと考えたかわからない。
 篁との思い出が、夢か幻だったのではないかと、記憶から陰りそうにさえなっていた。
 やっと見つけた。
 私の蓄えた力を揮ってくれる人物。
 私に力を貸してくれる協力者。
「僕、ですか?」
「うん、君だ」
 ――新藤零央(しんどう・れお)
 この少年との出会いが、私の物語を大きく動かしていくことになる――。

         


          
《END》


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スクールライブ・オンライン Episode智早【8】

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スクールライブ・オンライン Episode智早【8】


 一週間が経った――。
 あれから篁(たかむら)とは一度も会っていない。メールもしていない。
 この数日、食事もろくに喉を通らない。私はこんなにもメンタルの弱い人間だったのかと思い知らされ、さらに落ち込んでしまう。
 そういえば、三谷(みたに)としていたあの約束を、篁はどうしただろう。
 篁の言っていた一週間とは、三谷との約束を果たすための時間だったのか。だとしたら、結局篁一人でやらせてしまったことになる。それを考えると、また少し気が沈んだ。
 私は寮の自室で、特に目的もなくPCを立ち上げた。PCに触れるのも久しぶりだ。
 受信箱には、ずいぶんとメールが貯まっている。そのほとんどは、学園から新入生への連絡事項だったが、その内の一つに八千房(やちふさ)先輩からのメールも届いていた。
 日付は一週間前、勧誘された日の晩だ。
 返事もせずに、申し訳ないことをしたと反省する。一応メールをチェックしようとしたその時、当の八千房先輩から私のPC宛てに〈着信〉がきた。
 とりあえず謝っておこうと思い、〈通話〉を選択する。
『ハロー、智早(ちはや)ちゃん。元気してる?』
 体は正常だが、元気はない。
「御無沙汰しています。すみません。メールが届いていたのは気づきましたが、ちょっと忙しくて、これから目を通そうと思っていたところです」
『あ、そうなの? 気にしなくていいわよ。智早ちゃんのメンバー枠は、ちゃんと残してあるから。いつ頃入るのか気になっただけ』
 変に思った。私が加入を渋っていたのは知っているはずなのに、八千房先輩の言い方では、私がギルドに入ることが決定しているように聞こえる。
「すみません。その話なんですが、私と篁はお断りしようと」
 八千房先輩との通話が終わったら、篁に連絡を入れよう。
 早くも思考を別に移し始めた矢先、八千房先輩から驚くべき内容を聞かされる。
『またまたー、何言ってるのよ。篁君はとっくにウチのギルドに入ってるじゃない』
「………………え?」

 モウ、ハイッテル?

「……いつから……ですか?」
『え、まさか知らなかったの? えっと、君たちと会った翌日には返事くれたから、それからすぐによ。智早ちゃんは、少し後になるって篁君から聞いてるけど』
 知らない。何も聞いていない。
『えと……もしかして、二人は喧嘩中だったりとか……』
「最近、少しタイミングが合わなかったもので」
『そ、そっか、ならいいんだけど』
「篁は他に何か言っていましたか?」
『んー、なんか訳ありみたいだし、これ言っちゃってもいいのかしら』
「知っていることは全て教えてください」
『……篁君、今日誰かと待ち合わせしてるって言ってたわ。あの子にしては、ちょっと怖い顔で』
 私は半ば気が動転しながらヘッドマウントディスプレイを手に取った。しばらく使っていなかったせいで埃が溜まっている。
「八千房先輩、今から3Rにログインするので、ゲーム内でも通話させてもらっていいでしょうか」
 了承をもらい、ヘッドマウントディスプレイを装着。電源を入れ、IDとパスワードを入力。……ローディングが異様に長く感じる。早く、早くしてくれ。
 ログインが完了すると、そこはランフィードの街中だった。最後に立っていた場所だ。
 すかさず篁のログイン状況を確認する。
 ――ログインしている。場所は……〈ランフィード第一訓練所〉? どこだそれは。
「八千房先輩、今さらですが、教えてください」
『何かしら?』
「八千房先輩のギルド……篁が入ったギルドは、なんという名前なんですか?」
 予想はできた。
 普通は、他人の面倒なんて見てる暇があったら、自分のレベル上げに力を入れる。
 レベルと地位が何より大事。
 そう言っておきながら、八千房先輩が「それはもういいの」と口にした意味。
 その答えを、八千房先輩はもったいぶることなく答えた。
「《高天原(セレスティア)》よ」
 この地、ランフィードを統治する城主ギルドじゃないか。
 八千房先輩は普通の生徒じゃない。とっくに頂上にいる。
 レベルも地位も、全てを手に入れている。だから「もういい」なんだ。
 もうレベル上げにこだわる必要がないから、私たちのように、これから現役となる世代を育成し、卒業後の自分たちの地位を盤石にすることを考えた。
「もう一つ教えてください。《栄光賛歌(グロリア)》というギルドがありますよね? 3Rでは、どの程度の格付けなんですか?」
『《栄光賛歌》? そりゃあ城主ギルドだもの。誰に聞いても力のある大手ギルドだって答えるわよ』
 当然か。しかし八千房先輩は続けた。
『ただ、《栄光賛歌》が統治してる領土は頻繁に城主が変わるのよね。多分、来期の攻城戦では他のギルドに城を獲られちゃうんじゃないかしら。前期、城を獲るために財力を使い果たしちゃった感があるし』
「なら、《高天原》と《栄光賛歌》、どちらが力のあるギルドですか?」
『智早ちゃん、その質問は少し勉強不足ね。といっても、あたしもあんまり自分のギルドを持ち上げるのって好きじゃないんだけど』
 それだけ聞けば、あとは聞かなくてもわかる。
『《栄光賛歌》程度じゃ相手にもならないわね。《高天原》の足元にも及ばないわ』
 レベルと地位が何より大事などという考えには賛同できないと言った私の意見に対し、篁は言った。
 レベルも地位も低いせいで大事な人を危険にさらしたり、守れなかったりするくらいなら、僕はそれを望むかもしれない。
 篁は望んでしまったんだろう。
 そして――手に入れた。
「八千房先輩、ランフィード第一訓練所というのはどこにありますか」
 手に入れた力で、篁は何をするつもりなのか。
 嫌な予感を押し殺し、私はランフィードの街を走った。

          ◇

 息急き切らせて辿り着いた場所は、ランフィード城の地下にある衛兵の訓練所だった。煉瓦を敷き詰めた立方体の空間。地下だけあって窓はなく、壁にかかった蝋燭の灯りだけが光源となっている。地上へ延びる階段から流れてくる風が灯りを揺らし、そこにいる者の影を不気味に蠢かす。その様は幽幽としており、訓練所というより牢獄を思わせた。
 ここではプレイヤーが、NPCを相手に模擬戦闘ができるらしい。また、プレイヤー同士の決闘場としても用いられる。
「やあ、智早。そろそろ来ると思ってたよ」
「よう瀧、ゲロむらに決闘を申し込まれたんだけど、これって何よ?」
 この場にいた二人は訓練所の中央で既に対峙していた。三谷は以前にも見た銀色の甲冑を身に纏っている。しかし一方の篁は装備らしい装備を何も身に着けていない。
「つか、ゲロむら、クエストちゃんとやってたのか。約束の一週間、昨日で過ぎてんぞ」
「クエスト? なんのことだっけ?」
「ああー、わかった。お前、ナメてんだろ。そんなにいじめられ足りねえのか」
 この場には私たち以外に誰もいない。三谷は自分を偽ることなく、感情のままに憤ってみせた。それなのに 篁は静かに微笑んでいるようにも見える。
「智早はそこで見ていてよ」
 私は観戦者として扱われ、薄い膜が張られているかのように、一定距離から二人に近づくことができなくなった。決闘を邪魔させないためのゲームシステムか。
「篁、何をするつもりだ」
「見たまま決闘だよ。彼は少しやりすぎたからね。懲らしめてやろうと思って」
「い・ち・い・ち、癇に障る奴だな」
「時間は無制限。どちらかのHPが0になるまで戦うデスマッチ制でいいよね?」
「ああ、いいぜ。お望みどおりいじめてやるよ」
 止めなければいけない。このままでは何か良くないことが起こる。
 それは確信に近い予感だった。
「勝敗に何か賭けようかとも思ったけど、やめておくよ。これは教育でもあるからね」
「教育してやるのは俺だよ。俺に逆らったらどうなるか、しっかり教えてやるよ」
 篁が宙に浮かんだコントロールパネルを指先で操作した。同じように、三谷も宙に指をかざした。すると二人を結ぶ中空に30のカウントダウンが表示された。「篁、やめろ! その先へ行ってはダメだ!」
 懸命に叫び続けるが、それでもカウントは進む。
「おい、さっさと装備を出せよ。もったいつけてんじゃねえぞ」
「もったいつけたくもなるさ。君には存分に驚いてもらいたかったからね」
 カウント15を切ったところで篁が指を弾き、ようやくアイテムウインドウを出現させた。
「智早、僕は誰よりも強くなるよ。僕は《騎士(ナイト)》だ。僕が智早を守るんだ」
 そう宣言した篁の全身が、三谷と同じく銀色に覆われていく。
 しかし、その外見はまるで違った。あの形状がリアルに存在するでもしない限り、実際の耐久性などは測りようがないが、ゲームとして考えるなら、二人の装備、どちらが格上なのかは火を見るより明らかだった。
 三谷が装備しているような量産型の甲冑ではなく、肩や肘に鋭角なフォルムが形成され、心臓や腹部に真紅の宝石があしらわれている。機能性以上に力の象徴として魅せることに特化したデザインかもしれないが、一目見ただけで惹きつけるその勇姿は、まさに騎士と呼ぶに相応しい出で立ちだった。
 最後に一本の煌びやかな剣が篁の右手に収まり、武装を完了した。
「盾は必要ないかな。――じゃあ、始めようか」
 そしてカウントが0に。
「な、なんだそれ。どうせ見せかけだろ。そんなもん、ただのハッタリだ!」
 勝負開始と同時、三谷は手にした剣にMPを込めていった。刀身が発光していく。
「ハッタリか。そうかもしれないね。試しなよ」
「ッラアアア! これはレベル7に上がった時に覚えたスキルだぜ!」
「知ってるよ。ナイトが育成の序盤で一番多用するスキルだ」
 一撃で篁の胴体を両断せんと、三谷が剣を右肩に担ぐようにして振り被った。
 対する篁の剣もまた、三谷のものと同じように発光し、同じように右肩に担いだ。
「ちょっとレベルが上がって自信ついちゃったかよ? 残念だったな。俺はこの一週間で、レベル10にまで上がってんだよ!」
「へえ、頑張ってるんだね。まあ僕は――レベル20になったけど」
「それもハッタリだろうが!」
 互いに防御は頭になく、放たれる一撃は、ナイト同士の同じスキル。
 しかも、まったく同じフォーム。まったく同じ太刀筋。あれでは剣と剣が衝突する。
 耳をつんざく金属音が大きく反響し、閃光がこの部屋の隅々まで照らし出した。
「――――んなッ!?」
 三谷が驚愕に目を剥いた。
 互いの剣が弾かれたのではない。競り合ってもいない。
 剣を弾き飛ばされ、尻もちをついたのは三谷だけで、篁は楽に剣を振り抜いていた。
 同職業だからこそ、この結果だけで一目瞭然。
 ――篁の攻撃力は、三谷のそれを圧倒的に上回っている。
「やっぱり同じスキルでも、レベルと武器が違えば威力にかなりの差が出るんだね」
「ほ、本当に……レベル20だってのか……」
「そんな嘘ついてどうするのさ」
「でも、だって、一週間でか!? ありえねえッ!」
 信じがたい事実を前に、三谷の声が上ずっている。私だって信じられない。
「〈壁〉っていう育成法らしいよ」
「か、壁?」
「高レベルの盾職が敵のターゲットを固定し続け、被育成者はひたすら攻撃に専念する。他の支援者が支援魔法をかけてくれたり、敵の耐久力を下げてくれたりして効率を上げる。経験値の公平分配が設定されていなければ、獲得経験値は敵に与えたダメージ量に応じて配布されるから、被育成者が経験値を総取りできる」
「な、なんだよ、そのVIP育成。無茶苦茶だ!」
「うん、無茶苦茶だね。僕自身、そう思ったよ。だけどその無茶苦茶を、僕はこれからも続けていく。ざっと計算したところ、高等部に上がる頃にはレベル60を超える。高等部の三年生――僕が《高天原》のギルドマスターになる頃には、レベル80に届くだろうね」
「……《高天原》って……なんだよ。なんで城主ギルドの名前が出てくるんだ」
「察しが悪いね。君はそこまで馬鹿なのかい?」
「いや……でも、そんな……バカな話があるかよッ! なんで城主ギルドが、ギルドメンバーでもない奴のレベル上げを手伝うんだよ!」
「ギルドメンバーさ。僕は城主ギルド《高天原》に所属している」
「は、はあ? ありえねえ。中等部のうちからギルドに……しかも城主ギルドとか……」
「君の言葉を借りるなら、僕は勝ち組っていうのかな?」
「……な、何する気だよ。まさか……俺に今までの仕返しをしようってのか?」
「まずは、お礼を言っておこうかな」
「は? お礼?」
「君のおかげでわかったんだよ。というか、思い知ったんだ。綺麗事をいくら望んでも叶わないことだってある。綺麗事を望んでいるうちに、大切なものを奪われてしまうことだってある。奪われないためには、自分が強くなるしかない。敵を圧倒する力を手に入れるしかない。これが、僕が栄臨学園に入学して最初に学んだ現実の理だよ」
「ま、待とうぜ。話し合いでも解決できるんじゃねえかな」
「本当にそうであってくれたなら、こんなことにはならなかったのにね」
 辛そうに、篁はそれを口にした。
 そしてそれが、対等な人として三谷に掛ける、篁の最期の言葉だった。
「じゃ、教育を始めようか」
         


          


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スクールライブ・オンライン Episode智早【7】


「――おーい、無視していくことないだろー」

 聞き覚えのある声に、ぞくりと背筋が凍りついた。
「まあ、こんな恰好だしな。気づかなくても無理ないか」
 足下から這い出る見えない手に全身を絡め取られるかのように、私の体は硬直した。
 ……どうして。いるわけがない。この学園にいてたまるものか。
「つうかー、せっかく喋りかけてやってんだから、そろそろこっち向けよ」
 振り返ることを全力で拒否したい。
 地に根が張ったように動けないでいる私に代わり、篁(たかむら)が声のする方へと顔を向けた。
「……三谷(みたに)君……なの?」
 二度と聞きたくなかった名前を篁が口にした。
 聞き間違いであってくれ。篁の勘違いであってくれ。
 そう願いながら、私もまた視線だけを後ろへとやった。
「よ、久しぶりだな」
 そこに立っていたのは、衛兵NPCと似た銀の甲冑を纏ったプレイヤーだった。背には楕円形の盾を担ぎ、腰にはデザイン性の低いシンプルな鞘を携えている。そのプレイヤーが目深にかぶったヘルムを取り外し、脇に抱えた。
 表れた顔立ちを見て、私は愕然とした。
 忘れたことはない。忘れたくても忘れられない。
 あの時心に巣食った恐怖が、こうして対峙することで克明に甦っていく。
「入学式でゲロむらを見かけた時は思わず噴いたぜ。リアルで挨拶しに行ってやろうかとも思ったけど、せっかくだから3Rの中でって考えたわけよ。それにしても、瀧(たき)まで一緒だったなんてなあ」
「三谷君、地元の中学に行かなかったんだ……」
「ああ、それな。俺の従兄弟がここの高等部にいてさ、前からこの学園の話を聞いてたんだよ。面白そうだったから、俺も中学は絶対ここに通おうって決めてたわけ。まさかお前らがいるとは思ってもみなかったぜ」
 本当にまさかだ。こいつが栄臨学園に進学するとわかっていたなら、悩む余地すらなく選択肢から外していたのに。
 三谷の後ろには、仲間らしきプレイヤーが二人いた。矢筒と弓を背負った者、魔法職と思しきローブを纏った者。ともに初心者の域を早くも抜け出たような身なりをしている。
「その人が三谷君の言ってたオナ小? うちらのPTに入れんの?」
「せっかくスタートダッシュしたのに、出遅れてる奴が育つの待つのか?」
「いやいや、心配しなくても、ちょっと懐かしんで声かけただけだって」
「ふぅん。ゲロむらって何?」
「そいつのあだ名?」
「ああ、本名は会堂(かいどう)篁ってんだけど、昔さ――」
 篁をいじめるきっかけになったエピソードを、三谷は嬉々として笑い話にした。それが相手をどれほど傷つけるのか、考えすらせず。
「三谷君は、もう何日も前から3Rをプレイしてるの?」
「ああ、一週間前に入寮してすぐにな。ちなみに俺たち全員レベル7。新入生の中じゃ、多分トップだぜ。ゲロむらは?」
「僕たちはさっき始めたばかりで、まだレベル2だよ」
「そんなもんだろうな。だってそれ、思いっきり初期装備だし。ゲロむらの職業〈騎士(ナイト)〉だろ? 実は俺も〈ナイト〉なんだよ。ま、俺はそんなショボい装備、一回も使ってないけどな」
「そうなんだ……」
 篁が感情のこもらない声で相槌を打った。
「なんでかって言うとな、その従兄弟が所属してるギルドがよ、なんとあの《栄光賛歌(グロリア)》なんだぜ。お前らも聞いたことくらいあるよな? 城主ギルドの《栄光賛歌》」
 3Rに五つだけ存在する城を所有するギルド。そのうちの一つだったか。
「で、その従兄弟に色々と工面してもらってるわけ。昔から俺、ずいぶん可愛がられててさ。今回も世話焼いてもらってんだよ。へっへ、いいだろ」
 望んでなどいないのに、三谷は聞くに堪えない自慢話を吐き続ける。
 いつも思っていたが、三谷はいじめていた相手に、自分がどう思われているかを考えたりしないんだろうか。恨まれているとは毛ほども考えないんだろうか。何故こうも馴れ馴れしく話しかけられる。
「城主ギルドのメンバーは城主バッヂってのを制服につけてるんだけど、あれマジすげえのな。すれ違う奴、みーんな道開けるわ頭下げるわ。なんかもう、栄臨学園の天下人って感じ。そんなギルドがバックについてるなんて、俺もう勝ち組じゃん? とか思ったりしてな。お前らもでっかいギルドは味方につけといた方がいいぜ」
「生憎、そんな知り合いもいなくて」
「はは、そりゃそうだわな」
 三谷は自分の優位を再確認し、はんっ、と篁を鼻で笑った。
「そんなお前らに、うまい話を教えてやるよ」
「うまい話?」
「レベル1からでも受けられる反復クエストがあるんだけどよ。そこの報酬アイテムが、要求レベル10の装備を製作するのに必要な素材アイテムになるんだよ。一回一時間くらいかかるけど、モンスターとか全然出てこないし、超簡単だぜ」
 親切からの助言かと一瞬思ったが、それは大きな間違いだった。
「このアイテムを……そうだなあ、とりあえず三十個かな。それだけあれば俺の装備分は集まるし。これを一週間以内に集めて持ってきたら、従兄弟にお前らのことも口利きしてやってもいいぜ」
 一回一時間。モンスターは出ない。
 それは言いかえれば、長時間拘束され、その間レベル上げができないということだ。
 自分はレベル上げ以外で時間を割きたくないから、代わりにこちらの時間を犠牲にしろと、三谷はそう言っている。恥ずかしげもなくそれを提案している。
「三谷君、僕たちは――」
「やるだろ? やっといた方がいいぜ」
 笑いながら、有無を言わせぬ圧力をかけながら、三谷はそれを強制しようとする。
 最初に城主ギルドがバックにいると言ったのも、この話を断らせないためだろう。
「まあ、やりたくなけりゃ、それでもいいんだけどよ」
 その時はどうなるか、わかってるよな。
 口に出さずとも、私にはそうはっきりと聞こえた。
 ――誰がやるか。
 その台詞を私は……いや、三谷が現れてから、私はただの一度も声を出すことができないでいる。三谷への恐怖が私の一切を縛りつけ、満足な呼吸さえままならない。
「やるよ。だけど約束してほしい」
 三谷と視線を合わせられず、俯いていた私は思わず顔を上げた。
 篁は真っ直ぐ三谷を睨み返している。
「約束?」
「その依頼をちゃんとこなしたら、これきりにしてほしい。小学生の頃みたいなことは、もうやめてほしいんだ」
「は、はあ? 何言ってんだ?」
 三谷がチラリと、後ろの仲間を気にするような素振りを見せた。
「君だって、誰かをいじめていたなんて知られたくないだろ」
「……ゲロむらのくせに、偉そうだな」
「お願いだ」
 篁が気丈に返す。何もできない私と違い、篁は一歩も引かない。
「……ケッ。考えるだけ考えといてやるよ」
 息が詰まる遣り取りを終え、三谷はくるりと背を向けた。
「んじゃ、俺らはレベル上げしてくるから。そのクエストは(112.188)にいるNPCのとこ行けば受けられるぜ。頑張れよ」
 篁が三谷の背を見送っている間、私は情けない気持ちでいっぱいになった。
 一昨日来やがれと言い返すこともできない。篁を労うこともできない。
 そんなことより、私はただ安堵していた。三谷がこの場から去っていくことに安心していた。それが何よりも情けない。
「あれ? 三谷君、あの子たち結局PTには誘わないの?」
「当たり前じゃん。レベル2とか、足手まといでしかないだろ」
「でも、ねえ?」
「うん、だよな」
 三谷たちは歩き去らず、こっちを見て何かを話している。
「どうかしたのか?」
「あっちの女の子、かなり可愛くない? メガネと三つ編みおさげって超合うんだけど」
「同感。PTに入るかどうかは別として、フレンド登録くらいしときたいかも」 
 なんだ? そんなところで、いつまでも何を話している。どこへなりとも行ってくれ。
 三谷がこっちを、私を見ている。それだけで、縛られたように体が固まってしまう。
「可愛い、か。……なるほど。……イイかもな
何を思ったか、三谷は立ち去るどころか、へらへらと笑いながら再び近づいてきた。
「あー、悪い悪い。ゲロむらのことは話したけど、瀧のことを紹介してなかった」
 いらん。紹介とか必要ない。疾く早く速やかに視界から消えてくれ。
「こいつの名前は瀧智早(ちはや)。実は俺、小学生の頃、こいつと付き合ってたんだわ」
 そんな訳のわからないことを言っていないで、さっさと――…………

 時間と思考が停止した。

 一瞬、街の喧騒も耳に届かなくなり、ローディングでも始まったのかと錯覚した。
 ――今、こいつは何を言った?
 理解の及ばぬうちに、三谷が馴れ馴れしく私の肩を抱き寄せた。
 そこでようやく自分の置かれている状況を認識した。
 怒りより何より寒気がした。触覚のないアバターであろうと、三谷に触れられているという嫌悪感に鳥肌が立つ。
「離、せ」
 消え入りそうな声をなんとか喉から紡ぎ出すが、三谷は顔を近づけ、私にだけ聞こえるよう耳元で囁いてくる。
「お前って、よく見るとやっぱ可愛いのな。悪いようにはしないから、そういうことにしとけって。お前くらいの女子がカノジョだったら俺も鼻が高いし、将来有望なプレイヤーがカレシってことにしとくと、お前も何かと都合がいいだろ」
 嫌だと言え。
 フザケるなと怒鳴れ。
 私たちに関わるなと突き放せ。
「マジでー。三谷君、ウラヤマー」
「ああ、だから三谷君を追いかけて、この学園に来たってことか」
 篁にはできたのに。私には……どうしてできないんだ。
「そういうわけだ。ゲロむら、瀧は今日から俺らとPT組むから。ゲロむらは一人でクエスト頑張ってくれ。仕方ないからアイテムは二十個にまけてやるよ」
 見られている。
 嫌だ。見ないでくれ。
 三谷に肩を抱かれている姿を、篁にだけは見られたくない。
 ――見ないでくれッ……。
 篁がどんな顔でこっちを見ているのか確かめるのが怖くて、私は無我夢中でヘッドマウントディスプレイをかなぐり捨て、ログアウトの手順を踏まずに電源を切った。
 荒い呼吸を落ち着かせ、次に目を開けて映ったのは、自分以外に誰もいない寮の部屋。
「……もう嫌だ」
 遅すぎた台詞は誰の耳にも届かない。
 ただ逃げただけの自分が情けなくて、不甲斐なくて、泣きたくなった。

          ◇

 翌日、私は終身刑を言い渡される日を迎えた囚人みたいに重苦しい気分で登校した。
 篁に合わせる顔がない。あまりに私が情けないせいで、篁から蔑みの目で見られるかもしれないと思うと、授業中も針のむしろに座らされているような気持ちだ。
 嫌われたり……なんてことは……。
 頭を振り乱し、恐ろしい想像を掻き消した。
 面と向かっては無理だけど、少し落ち着いたら篁にメールしよう。
 ――などという逃げ腰の願いは空しく、昼休み、心の準備ができていないうちに、篁が直接教室を訪ねてきた。
 私は廊下に呼び出され、下される判決に脅えて体を震わせた。
「意気地なし」と罵られるだろうか。「もっとしっかりしろ」と諌められるだろうか。
 ぐっと目を閉じ、私は突きつけられる言葉に身構えた。
「智早は、しばらく3Rに来ない方がいい」
 用件は簡潔に告げられた。
 サアッ……と、顔から血の気が引いていく。
 終身刑どころじゃない。死刑判決を言い渡された気分だ。
 しばらく智早の顔も見たくない。そう言われたのだと私は解釈した。
 あんなことをされても無抵抗だった私に、とうとう愛想を尽かしてしまったんだろうか。「智早は強いね」そう言ってくれた篁の期待を裏切り、幻滅させたからだろうか。
「篁、私は……違うんだ。本当に、次はちゃんと……」
 必至に弁解しようとする私の言葉を、篁は悲しそうに首を振って遮った。
「智早は、そんなこと気に病まなくていい。僕が全部なんとかするから」
 それはどういう意味だ?
 また、全部篁に押し付けろと言うのか。
 また、見て見ぬ振りをしろと言うのか。
「私は、弱いままでいたくない」
「智早は強くなんかなくていい」
「怖くても、もう逃げたりしないから……」
「もう二度と、智早を怖い目には遭わせない」
 決意じみたものを感じさせた。
 私の知っている篁から、完全に弱々しさの消えた強い声だった。
 何も言えなくなった私の髪に手が添えられ、そっと篁の肩に抱き寄せられた。
「た、かむら……?」
 篁にこうされたのは、これで二度目だ。
「どんなことをしてでも、智早は僕が守る」
 呟くように告げられ、スッと体が離れた。
 三秒にも満たない一瞬の抱擁。気づいた生徒はいないだろう。
「一週間、僕に時間を欲しい」
 それだけを言い残し、理由を明かさないまま篁は立ち去っていった。
 抱きしめられた驚きで、問い返す余裕はなかった。
         


          


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スクールライブ・オンライン Episode智早【6】

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◆1巻・あらすじ&主要キャラクター紹介はこちら◆
 
◆2巻・立ち読み&主要キャラクター紹介はこちら◆



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スクールライブ・オンライン Episode智早【6】


 女子寮に戻った私は冷や飯で適当に炒飯を作り、昼食をとった。わりと料理は得意だと篁に言ったら、意外そうな顔をされたのが少し腹立たしかった。今度無理やりにでも手料理を口に突っ込んで「うまい」と言わせてやろう。
 腹も満たされたところでPCを立ち上げ、【Real Reflects Record】の公式サイトを開いた。なにはともあれ、まずはアバターの作成だ。
 このゲームに関して、プレイヤーの分身となるアバターの外見を事細かくカスタマイズする必要はない。アバターの外見は、入学前に行われた身体測定や学生証発行時のスキャニングなどで、リアルと寸分の狂いなく再現されるからだ。
 決めなければならないのはただ一つ。

――――――――――
▽《鍛冶師(ブラックスミス)
――――――――――

 数ある中から希望する職業にカーソルを合わせ、迷うことなく決定。

〝Chihaya Takiは《ブラックスミス》を選択しました。

 これでよし。
 表示内容に頷いた私はベッドに腰掛け、学生生協で購入したヘッドマウントディスプレイを頭に装着して電源を入れた。これ一つでハードとソフトの役割を果たしており、また思考操作によるプレイが前提となっているため、コントローラーといった外部機器も存在しない。既に3Rはダウンロードされている。私は大きく一度だけ深呼吸をし、ログインIDとパスワードを思考入力して【GAME START】を選択した。
 入力欄が消えた後に残ったのは、全方位の暗闇だけ。
 数秒の暗闇が続いた後、視界にヒビが入っていく。あたかも脆くなった壁のように暗黒世界が崩れていき、そこから漏れ出る明かりがどんどん大きくなっていく。画面はすぐに真っ白な空間で満たされた。
 まだ目が光に慣れぬうちに、視界の遥か遠くに何かが出現した。こちらにぶつかる勢いで急接近してくるそれが【Real Reflects Record】のロゴだと気づく頃には、回避不可能な距離まで迫ってきており、私は反射的に身構えた。そのまま衝突するかと思いきや、ロゴはちょうど視界いっぱいに収まる位置で停止した。初心者には少々心臓に悪い演出だ。
 続けてロゴがモノクロに変わり、〈Now Loading〉の文字が現れた。
 オンラインゲームはこれが初めてだが、私は別にそこまで期待していなかった。なんでもいいから篁と一緒に熱中できるものが見つかればそれでよかった。
 しかし、いよいよとなると、どうしたって胸が高鳴ってくる。
 ――篁(たかむら)は、もう来ているだろうか。
 おそらくは、とっくにログインして私を待っているだろう。あいつはヘタレなくせに、そういうところは意外と紳士なのだ。他にも、意識しないと気づかないような、ちょっとした優しさを、私はこれまでにいくつも見つけてしまった。
 そんな篁に、小学生だった頃の私は何もしてやれなかった。篁はそうは思っていないだろうけど、私は自分の力不足をいつも嘆いていた。篁がいじめられていると知りながら見て見ぬ振りをし続けるのは、身を裂かれるような思いだった。
 篁のために何かしてやりたい。だけど私に何ができるだろう。
 栄臨学園への入学が決まってから、私はずっとそれを考えていた。
 そうして思ったことは、篁には辛かった日々を記憶の中から褪せさせてしまうくらい、この栄臨学園で楽しい学生生活をおくってもらいたいということだった。
 私たちのことを誰も知らないこの学園なら、まっさらな人間関係を始められる。
 明日にでも、篁に杏奈(あんな)や瀬川(せがわ)君を紹介しよう。きっと友達になれる。
 篁が冗談めかして言った友達百人、まずはそれを実現してやろうじゃないか。
「覚悟していろよ」
 ローディングが終わり、再び暗転。
 そして次に切り替わった景色は一面の草原だった。
「……すごいな……」
 正直、たかがゲームと侮っていた。
 空を流れていく雲、ビギナーを歓迎するように周囲を飛びかう小鳥たち。足下に生えた草の一本一本までが、風にたなびく様をリアルに表現している。
「待たせたかい?」
「僕も今来たところだよ」
 予想どおり、篁は先に来ており、笑顔で私を出迎えてくれた。
 3Rに視覚と音声以外の感覚はない。しかしこれほどの再現性。私の実体は寮の部屋にあるはずなのに、私には篁がすぐ近くにいると感じることができた。
「あは、仮想世界でもメガネは再現されるんだね」
「言うに事欠いてそれか。篁こそ、なんだその装備は。〈お鍋の蓋〉と〈ひのきの棒〉か? うどんでも御馳走してくれるのか?」
「それを言うなら智早(ちはや)だって、思いっきり〈布の服〉じゃないか。腰に掛けてある武器も何それ、トンカチ? 釘でも打つの?」
「私は職人だから別にいいんだ。それよりお前のどこが騎士(ナイト)だ。それじゃ近所の悪ガキにしか見えないぞ」
 普段とは違う装いを冷やかし合い、私たちは腹をかかえて笑った。
 私も篁もレベル1。ゲームも、それ以外のことも、何から何まで初心者だ。
 この世界での初顔合わせを一頻り堪能すると、私たちは、どこまでも広がる広大な大地へと目を向けた。
「それじゃあ、行ってみますか」
「エスコートを頼むよ。ナイト様」

          ◇

「ちょっと休憩する?」
「む、もうこんなに時間が経っていたのか」
 視界の右下にデジタル表示された時計は【14:36】。気づけば二時間くらいプレイに没頭していたらしい。アバターを何時間立たせていようと足が疲れることはないが、私たちはなんとなく雰囲気的に腰を下ろした。
「どう?」
「まあまあだな」
「まあまあで、レベルが2に上がった時、あんなにはしゃがないと思うけど」
「は、はしゃいでなんかいない!」
 否定しているのに、何がそんなに嬉しいのか、篁はニコニコと満面の笑みを崩さない。そんなおめでたい顔を見ていると、ムキになるだけ馬鹿らしく思えてくる。
「……癪だが……想像していたより、何倍も楽しい」
 レアアイテムが出たわけでも、何かクエストを攻略したわけでもない。ただフィールドにいるモンスターを倒していただけなのに、気の合う者とプレイするだけのことが、私にとっては感動に値する体験だった。私たちの職業は違っても、レベルアップに必要な経験値量は同じだ。二人同時にレベルアップした時、私は不覚にも、篁に飛びつくほどはしゃいでしまった。もちろん生身ではなくアバター同士での抱擁だが。
「この体験を、本当に教育とリンクできるのなら、人間を育てるという誇大文句も、あながち幻想ではないんじゃないかと思えた」
「僕が勧める本にはいつも辛い点をつける智早にしては、えらく過大評価したね」
「どちらも吟味してみての感想だ。この上なく妥当な評価だよ」
「このゲームに関しては、僕も同意見かな」
 だからこそ合点がいかないことがある。それを篁も感じている。
「八千房(やちふさ)先輩、この学園ではレベルと地位が何より大事で、他のことになんて誰も興味ないって言ってたけど、本当なのかな。こんなに楽しいのに」
「加入は無理強いしないと言っていたし、嘘をついてまで勧誘したとは考えにくいが」
 今は何もかもが新鮮で、一時的に楽しいと感じているだけなのかもしれない。飽きたら私もそんな風に考えるようになってしまうんだろうか。
「事実はどうあれ、それが全てという考えには賛同できないな。なんというか、せっかくのゲームがそれではつまらない気がする。人の評価をゲームの成績だけで決めるというのも変な話だ。レベルが高い=優秀。そんな評価はおかしいだろう。それだと、引きこもりニートの廃人プレイヤーは、もれなく優れた人間ということになってしまう」
「はは、言えてる。でも、この学園なら、そのゲームの成績さえよければ、いじめられたりなんてしないんだろうね」
 ぽろりと漏らした篁はすぐに、しまった、という顔をした。
「ごめん。カッコ悪いこと言っちゃった」
 あの辛い日々の記憶は、今も篁の心を苛んでいる。
 それはおそらく、私にも言える。思い出したくもないトラウマだ。
 私は頭をぶんぶんと振り、努めて明るい声を出した。
「どうせなら、いじめられないくらい仲間を作ればいい。いじめる人間より味方する人間の方が圧倒的に多ければ何も問題はない。そうだろう?」
「あはは、確かにそのとおりだね」
 しかし笑い声は一瞬。篁の声のトーンが落ちた。
「……だけど、レベルも地位も低いせいで大事な人を危険にさらしたり、守れなかったりするくらいなら、僕はそれを望むかもしれない」
「篁……」
「僕が不甲斐ないせいで智早を怖い目に遭わせるのは、もうごめんだから」
 私にはその言葉が、静かな決意、そして自身への戒めのように聞こえた。
 私のためを思っての言葉だ。
 嬉しいはずなのに、私は何故か、優しい篁の口からそんな台詞が出たのが辛かった。
「心配無用だ。この学園には、あいつらみたいな輩はいない。篁は、楽しいことだけ考えていればいい。篁が暗い顔をしていては、私も楽しめないじゃないか」
「……ありがとう」
「礼を言うような場面じゃないだろう」
「ううん、智早がいてくれて……智早と出会えて……本当によかった」
「そ、そんなことをしみじみと言うな。とにかく、ゲームは楽しんだ者勝ちだ」
 照れた顔を見られたくなくて、休憩は終わりとばかりに私は立ち上がった。
「そうだ。ねえ智早、いったん街の中に入ってみない? ドロップした物がいくらで売れるのか調べてみたいし、これで何が買えるか見にいってみようよ。さすがに、いつまでも棒っきれで戦うのはちょっと。全然ナイトっぽくないし」
 私もそれに賛成した。
 初心者のスタート地点周辺なだけあって、目視できる範囲に大きな街が一つある。徒歩以外の移動手段を持たない私たちは、草食動物たちが草を食む景色を楽しみながら、のんびり歩いていくことにした。
「しかし、二時間やってもレベルが一つしか上がらないのか」
「いやー、早い方だよ。どんなRPGにも言えることだけど、レベルが高くなるほど必要経験値が跳ね上がっていくからね。どんどん上がりにくくなるはずだよ。何しろ3Rは、卒業まで六年間プレイするつもりでレベル設定されてるからね。高等部の三年生でもレベル70台がやっとだって公式サイトの掲示板に書いてた」
「気が遠くなるな」
「長く遊べていいじゃない」
 私はちょっと面倒臭いと思った。このあたりは女子と男子の違いだろうか。
 街に到着すると、まずその外壁の高さに圧倒された。街の周囲をぐるりと囲み、フィールドからは中の様子がまったく見えない。まるで要塞みたいだというのが私の印象だった。
『ようこそ、《ランフィード》へ』
 外壁の一画にある門前で直立している衛兵らしきNPCが、私たちに向けて挨拶をしてきた。なるほど、この街は《ランフィード》というのか。
 衛兵の脇を通って門をくぐる。その際、篁が衛兵の銀色に光る鎧や盾を物欲しそうに眺めていたのがおかしかった。
「結構人がいるみたいだね。はは、僕らと似たりよったりな装備の人もチラホラいるよ。今日から始めた人も多いのかな」
 私たちは入学式のあった今日から3Rを始めたが、春休み中に入寮していて、一番早い生徒なら、既にプレイし始めて一週間くらいは経っているだろう。
 街の中はざわざわとした喧騒に包まれ、活気に満ちていた。遠くに見える城まで大通りが伸びており、街路を挟んで商店街のように露店が開かれている。
 マップの位置情報が更新され、この街の詳細を引き出すことができるようになった。
「この街を中心とした領土を統治しているのは《高天原(セレスティア)》というギルドだそうだな」
「城主ギルドってやつだね。《高天原》の他には《陽炎騎士団(ミラージュナイツ)》《淑女の社交場(ソーシャルレディ)》《無敵艦隊(アルマダ)》《栄光賛歌(グロリア)》だったかな。全部で五つしかないらしいよ」
「下調べしてきたのか?」
「軽くだけどね。レベル10までなら他の領土への無料転送が使えるらしいよ。だいたいの人は、その間にどこをホームグラウンドにするか決めるんだってさ」
「レベル10か。まだまだ先の話になりそうだな。大抵の初心者は、まずこのランフィードを訪れるだろうから、しばらくこの街を拠点にして仲間を探すというのはどうだ?」
「名案だね」
 作成資金や上限人数などの面で敷居の高い〈ギルド〉という枠組はなくとも、中等部の生徒たちの間で独自のコミュニティは形成されるはずだ。
 今後の予定を立てながら大通りに沿って歩いていく。
 それにしても――……と、私は隣を歩く篁の横顔を覗き見た。
 小学生の頃の私たちはクラスが違ったし、万が一にも私にいじめの矛先が向くのを恐れた篁が、極力一緒にいるところを見られない方がいいと言ったので、篁が図書委員の当番である日に人目を忍んで会うしかできなかった。だけどこれからは、こうして毎日自由に会える。そんなことが、堪らなく嬉しい。
 意識しだすと、妙な緊張感が湧き上がってきた。
 ――二人して並んで街を歩くとか……なんだか……アレみたいじゃないか。
 篁はどんな風に思っているだろう。ゲームに夢中で、そんなことまで考えていないだろうか。私が意識しているだけか。
 別に、篁とどういう関係になりたいとか、そんなことは期待していない。
 一緒にいられる時間が増えた。
 それだけでいい。
 それだけでも、今は十分に幸せだから。
 ――少しずつ、な。
 
 しかし、私は直後に思い知る。
 この時が幸せの最高潮であり、そして……最期なのだと。
         


          


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スクールライブ・オンライン Episode智早【5】

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スクールライブ・オンライン Episode智早【5】


「いやはや、まさか廊下に立たされるとはな」
「入学初日から何やってんのさ……」
 篁(たかむら)は呆れたように言うが、なかなかにレアな体験ができて私は満足している。
「彼女とならすぐ仲良くなれそうだ。むしろ既に親友の域に達していると言っても過言ではない。ふふ、幸先がいい」
「傍から聞いてると、その穂村(ほむら)さんって人が気の毒でしかないけど」
 杏奈(あんな)のあれは、噂に聞くツンデレというやつだろう。今のところまだツンばかりだが、じっくりたっぷりねっとりと時間をかけ、少しずつデレさせてやろう。その時こそ、彼女の胸を存分にこの手で堪能してやろうじゃないか。楽しみだ。
「智早(ちはや)、手をわきわきさせてどうしたの? なんか不気味だよ?」
「なに、ちょっとしたシミュレーションだ」
 初日は入学式とガイダンスだけで終了。通常授業の開始は明日からになる。
 正午を回ったばかりのこの時間、荷解きなど、新生活に必要な作業はあらかた終えている私と篁は、見学がてらに中等部の校舎周りを散策していた。垂れ幕や入学おめでとうのアーチなど、新入生歓迎の文字がそこかしこで見受けられるが、中でも特に活気があるのは部活の勧誘だろう。新入部員獲得のため、様々な部活が勧誘合戦に精を出している。
「智早はすごいなあ。僕は当たり障りのない自己紹介しかできなかったよ」
「とにかくインパクトを与えたかったからな。その意味では成功したと思う。それに学園生活は始まったばかりだ。いくらでもチャンスはある」
「そうだね。目指せ、友達百人ッ! なんちゃってね」
「他人と関わりを持つのは、さほど難しいことじゃないとわかったのは収獲だ。どうやら食わず嫌いだったようだな」
「智早って口下手なわけじゃないし、性格だってはきはきしてるから、自分から友達を作ろうと思えば、いくらでも作れるんだよ」
「篁は少し性格が暗いものな」
「う……そういうことをはっきり言うところもイイ性格だよね」
「それにしても、さっきは楽しかった。どうしてもっと早く友達を作ろうとしなかったのかと悔やむほどだ。他人と接していると、まるで世界が広がっていくような気がする」
 門出を祝うかのように眩しい春の日差し。新しい日々が始まるということも手伝って、気持ちが晴れ晴れとしていく。――が、隣を歩く篁は、何やら浮かない顔をしている。
「どうかしたのか?」
「あ、いや……あの頃に比べれば、どんな毎日でもマシに思えるけど、僕は、智早が離れていってしまいそうで少し寂しい気もする……かな。仲のよかった友達に、自分よりも仲のいい友達ができたみたいな寂しさっていうか。クラスもまた別々だし。一年生の間くらい、出身校から配慮してくれてもよかったのに」
「何を言う。友達のありがたみに気づかせてくれたのは、他ならぬ篁だろう。私はこれからも、篁とこうして学園生活をおくっていくつもりだぞ」
「……そっか。……うん、変なこと言ってごめん」
「まったくだ」
 クラスが別になって残念に思っているのは、お前だけじゃないんだからな。
「ところで、ホントに決めちゃったの?」
「ああ、もう決めた」
「絶対の絶対?」
「絶対の絶対だ」
「どうしても?」
「どうしてもだ」
 この問答は、入学前から幾度となく行われている遣り取りだ。
「何度言われようと、私は《鍛冶師(ブラックスミス)》を選択する」
 篁ともめているのは、3Rで選択しなければならない職業についてだ。担任が明日までにと言っていたが、何も昨日今日で突然選択に迫られたわけじゃない。十数種類ある職業の概要は、入学パンフレットにもちゃんと書いてあり、基本的に入学式を経るまでに決めておくものだ。なのに、篁がこのようにいつまでもごねてくる。
「篁は、何故そこまで私に《聖職者(プリースト)》を推してくるんだ?」
 ブラックスミスは製造職兼、準火力職。プリーストは回復職だ。
「だ、だって智早がプリーストになってくれたら、ペアでもいろんなところに行けるじゃないか。それに、衣装もカワイイのが多いらしいし、見てみたいし……
「性に合わない。それなら篁がプリーストになればいいだろう」
「いや、僕は《騎士(ナイト)》って決めてるから」
 ナイトは盾職兼、火力職といったところか。篁がナイト……それこそ似合わない。
「なんのこだわりだ?」
「だってナイトといえば、大切な人を守る誉れ高き職業だから」
「だから?」
「いやだから、大切な人を守る……」
「同じことを二度も言うな」
「ごめん……」
 すぐそうやってしゅんとする。
 篁が何を言いたいのか、理解できないわけじゃない。
 理解できてしまうから……照れ臭い。
「まあ、篁がそういうキャラクターを演じてみたいという熱意は伝わってきた。せっかくのRPGだ。好きな職業を選べばいいさ。肝心の大切な人とやらが誰なのか、そもそもいるのかどうかもまったくもって見当がつかないが……その、なんだ……志望動機としては …………カッコイイんじゃ、ないか?
 言って、顔が熱くなるのを感じた。柄にもないことを言ってしまった。
「あ、はい……」
 篁も顔を明後日の方向にやっているが、後ろからでもわかるくらい耳が真っ赤だ。
「た、篁が絶対ナイトをやりたいと言うように、私にもやりたい理由があるからな」
「そ、そうなの? どんな理由?」
「単純に、何かを造ることに興味があるのも理由の一つだが、自分の造った物が、他者の手で活用される。私はそこに人との繋がりを感じられる気がする。作家が作品を読者に読まれ、楽しんでもらうことに喜びを見出すように、ブラックスミスにも同じことが言えると思う。きっと気持ちがいいと思うぞ。自分の手掛けた作品が世に広まっていくのは」
「……そんなこと考えてたんだ」
「どうしてもと言うなら、私の造った装備で篁のことも強くしてやらんでもないぞ」
「うわー、まだアバターを作ってすらいない人が言う台詞じゃないね。でもまあ、未来の名工に期待させてもらおうかな。目標は製造ランキング1位?」
「なれるものならな。そういうわけで、私はこれまで疎かにしていた分まで積極的に他人と交流していくつもりだ。篁も付き合え」
「もちろん」
 新たなスタートに心躍るが、それでもやっぱり一人より二人の方が心強い。
「ところで、ブラックスミスと同じ製造職の《アルケミスト》だけど、実はこれも衣装が可愛いって知ってた?」
「しつこい」
 ただ少し、鬱陶しい時もあるが。

          ◇

「ねえねえ、君たち。さっき職業選びについて話してた?」
 ちょうど校舎周りを一周したところで、唐突に行く手を遮るようにして声をかけられた。
 セミロングの快活そうな女性が一人、私たちに向けてにっこりと笑いかけている。
 篁が、「それがどうかされましたか?」と丁寧に返した。
 相手は上級生で間違いないだろうが、スカーフの色が中等部の青色じゃなくて赤色だ。ということは、高等部の生徒。中等部の校舎になんの用だろうか。
「聞き間違いだったらごめんね。君たち、《ブラックスミス》と《ナイト》になるの?」
「はい。僕がナイトで、彼女がブラックスミスになるつもりで」
 素性のわからない人間にすらすら答えるのはいかがなものかと思ったが、篁は前に出て、私を背に隠すようにしている。一応警戒しているようだ。
「おおー。おおー。イイネイイネ!」
 バシバシと篁の肩を豪快に叩き、得体の知れない先輩は一人で興奮していく。
「えっと、ご用件は――」
 篁が用向きを尋ねようとした時、
「ゆーちゃ~ん、いい子見つかった~?」
 遠くから、おっとり間延びした声が走ってきた。
 はふはふと、息を荒げながらやってきたのは、春の季節が擬人化したらこんな見た目になるんじゃないかと思わせるほど、ふわふわと柔らかくて華やかな愛らしい少女――……
 ――じゃ……ない。学ランを着ている。
「有力候補を見つけたわよ。しかも、ブラックスミスとナイト、両方いっぺんに」
「うっそー、ゆーちゃん、すんごーい」
 さばさばした女の先輩と、甘ったるい猫撫で声を出す(おそらく)男の先輩。なんだかとてもチグハグなコンビに思えた。
「あ、ごめんね。自己紹介するわ。あたしは高等部三年生の八千房豊(やちふさ・ゆたか)。こいつは……えー……うん、覚えなくていいわ。記憶容量の無駄遣いだから」
「ゆーちゃん酷ッ! ボクだって一生懸命探してたのに」
「あーはいはい、悪かったわ」
「まったくだよ。あーあ、走ったら汗かいちゃった。ゆーちゃん、汗拭くから今穿いてるパンツちょうだい」
 瞬間、八千房と名乗った先輩が、セクハラ発言をした男の先輩の膝裏に鋭いローを叩き込んだ。そしてうつ伏せに倒れた男の先輩の後頭部をぐりぐりと踏みつける。
「ねえ瑞穂(みずほ)、第一印象って、とっても大事なことだと思うのよ。おわかり?」
 流れるような一連の動作。二人の間で幾度となく繰り返されてきたのだとわかる。
「反省じまず」
「わかればよろしい」
「でも最近、ゆーぢゃんに踏まれるのが気持ぢ良く痛痛痛痛ッ嘘やっぱり超痛いッ!」
 これは俗に言う、どつき漫才というやつだろうか。
「何度もごめんね。いきなり身内のみっともないところ見せちゃったわ。とまあ、こんな風に、見た目とのギャップが物凄い奴なのよ。こんなだけど、正真正銘男だから」
 杏奈、やっぱり私は変態じゃない。本物の変態とは、足蹴にされながらも恍惚の表情を浮かべている、こういう人のことを言うのだ。
 自己紹介は中断されたが、頭を踏みつけられながらもなんとかしてスカートの中を覗き込もうとしている、瑞穂という名前らしい先輩は変態。八千房先輩がその飼い主だということだけはよくわかった。
「あれー? よく見るとその子、入学式で新入生代表の挨拶してた子じゃない?」
 八千房先輩の足の下から這い出した瑞穂先輩が篁を指差した。
「え、嘘ッ! マジで!?」
「マジマジ。だってボク、有望な人材を探すために新入生に交じって入学式出てたもん」
「有望な人材って、どうせ可愛い子がいないかチェックしてただけでしょうが」
「ゆーちゃんは、ボクのことならなんでもお見通しだね。おっぱい見して」
「目玉抉るわよ」
「それで、えっとー、名前なんだっけ。上も下も苗字みたいだなーってことだけ覚えてるんだけど、女の子じゃないからあんまり印象に残ってないんだよね」
「あ、はい。会堂(かいどう)……篁といいます」
「そうそう。そんな名前だったね。で、後ろの彼女の名前は――……て、ん? あれれ!?」
 瑞穂先輩が、今度は私に目を留め、驚きに目を見開いた。
「君、僕がぺろぺろしたい新入生ベスト10に選んだメガネっ娘じゃない! ゆーちゃん、決まり決まり! この子たちで決まりだよ!」
「まだ何も説明してないっての」
「ねね、君と同じクラスに、髪が長くて、おっぱいがDカップくらいある子いるでしょ!? あの子もベスト10入りしててね、今度二人まとめてぺろぺろしに行グフッ!?」
 不意打ちによる足払い。瑞穂先輩は受け身も取れず、後頭部から地面に落下した。
「ご、ごめんね、おっぱい小っちゃいゆーちゃんに、この話は辛ガハッ!?」
 下は硬い地面。いくら女子の体重とはいえ、先の比ではない強烈な踏みつけを顔面にとは……。鼻血の海に沈む瑞穂先輩は気を失い、ぴくりとも動かなくなった。
 私は瑞穂先輩を視界から外し、存在しないものとして扱うことにして「瀧智早です」と八千房先輩に名乗った。
「ホンッットごめん……。ああもう、これ第一印象最悪よね……」
 八千房先輩は頭を抱え、深く苦労の滲み出る溜息をついた。
「それはいいですから、あの、そろそろご用件を……」
 しびれを切らした篁が話の続きを促した。
「えっとね、君たちを勧誘したいと思ってるの」
「勧誘、ですか?」
「勧誘といっても、部活じゃないわよ。ギルドの勧誘ね。ギルドってわかる?」
「はい。3Rの、プレイヤー同士で構成されたグループのことですよね」
「そ。そのギルドに、君たち二人に加入してもらえないかなって」
「僕たちを、ギルドに?」
 中等部の生徒がギルドに入る。
 それがどれほど例外的なことかを知らない私たちじゃない。
「質問いいでしょうか」
 私はすっと挙手し、そう言った。
「ええ、どうぞ」
「どうして高等部に上がった一年生ではなく、中等部の一年生を勧誘するんですか?」
 私たちのように、これから初めてプレイしようなんて初心者がギルドに入っても、既存メンバーとの間にレベル差がありすぎるため、PTを組んでも経験値を公平分配することはできない。確かレベル差が10以内でないと無理だったはず。それはシステム上のルールとして誰でも知っていることだ。
 また、ギルドには人数制限 がある。拡張する手段もなくはないようだが、それでも人数枠は極めて貴重だ。そのため、卒業したメンバーの穴を埋めるために、少しでも戦力になる人員を補充しようとするのが当然と言える。特に、攻城戦と呼ばれるギルドVSギルドでは、中等部の生徒なんて、なんの役にも立たないのだから。
 つまり、中等部の生徒をギルドに迎え入れるメリットがない。
 PT戦や攻城戦など鼻から頭にない、お気楽ギルドなら話は別かもしれないが。
 「一言で言えば、先物買いね。今の君たち……いいえ、今年、来年、再来年の君たちには何も期待してないわ。期待してるのは、君たちが……そうね。高等部の二年生、三年生になった頃かな。ランキングの高いブラックスミスは重宝されるし、ナイトやクルセイダーみたいにこう、背中で仲間を守る、みたいな正統派の盾職(タンカー)は、カリスマとしてハマり職だから、ギルドを率いていくリーダーとして打ってつけってわけ。アサシンなんかだと、イメージ的にちょっとね」
「そんな先のことを……。ですが、八千房先輩は卒業していますよね?」
「そりゃね。でもこの学園の特徴で、卒業した後でも、在学中はどこどこのギルドに所属していました。そういう経歴はステータスとして残るのよ。だから、君たちが将来ウチのギルドを盛り立ててくれたら、卒業したあたしたちにとっても得になるってわけ」
「それは、先輩たちが私たちの育成を手伝うということですか?」
「そうね。普通は、他人の面倒なんて見てる暇があったら自分のレベル上げに力を入れるものなんだけどね。この学園じゃ、レベルと地位が何より大事で、他のことになんて誰も興味ないから」
「それならなおさら」
「けどまあ、それはもういいの」
 もういい、とはどういう意味だろう。
「僕からも質問いいですか?」
「もちろん。気になることはじゃんじゃん訊いて」
「僕たち二人が入ったからって、将来的にそれほど変わるものですか? 不確定な未来を期待するより、卒業された方たちの空枠を、できるだけ優秀な人材で補強することに努めた方いいような気がするんですけれど」
「おお、篁君、12歳とは思えないほど賢いわね。このバカに見習わせたいくらいよ。智早ちゃんもしっかりしてるし、ますます有望だわ」
「それで、具体的にはどうしようと考えているんですか?」
 話が逸れそうになったので、私がやや強引に引き戻した。八千房先輩が野心家なのは伝わってくるが、頂上を獲るための明確なプランでもあるのだろうか。
「そこはほら、あれよ。今からスパルタで鍛えれば」
 ただの体育会系思考だった。話にならない。
「篁、正直私は気が乗らない。ギルドに入ることができれば、かなり有利にレベル上げができるかもしれないが、それによるデメリットもなくはないと思う」
「そうだね。周りが誰もギルドに入ってないのに、僕たちだけ特別扱いを受けていたら、多分浮いた存在になっちゃうかもしれない。ギルドにはどこか排他的なところがあるって聞いたことがあるし」
 周囲から浮いた存在。それは避けたい。以前の二の舞はごめんだ。
 それに、八千房先輩の言うスパルタを受けていたら、同級生たちとPTを組む機会も少なくなってしまうだろう。できることなら他の初心者たちと足並みを揃え、その上で篁と楽しみながらプレイしたい。
「んー、まーそういう可能性も否定はできないわね。ていうか、君たちホント賢いわね。お姉さん、ちょっとビックリよ」
「智早、どうする?」
「お誘いはありがたいが」
「ああ、そんなすぐ結論を急がないで。いったん保留にして、少し考えてみてほしいの。君たちホント有望なんだもの。まだウチのギルドのこととか何も紹介してないし。それでもダメなら無理にとは言わないから。ね、お願い」
 そういうことならば、と私たちはこの件を持ち帰らせてもらうことにした。色よい返事こそしなかったが、八千房先輩はそれで十分だと引き下がってくれた。
 と、ここで変態――もとい、瑞穂先輩が復活した。
「チッ、よかった、生きてたのね」
「うぅ……ゆーちゃん、マジ手加減なしなんだから」
「乙女心を傷つけた代償としては安すぎるくらいよ」
「ごめんね。だけど何事にも全力であたるそのスタイル、ボクは嫌いじゃないよ。もちろん、ゆーちゃんのスレンダーなスタイルも大好きさ。Bカップだって立派なおっぱいだ」
「うふふ、ありがとう。死ねばよかったのに」
「あはは、ゆーちゃんの照れ屋さん」
 薄ら寒い遣り取りに、私と篁はどう反応していいのかわからない。
「それで、(ボクが気を失ってる間に)話は終わったの?」
「まあね。とりあえず保留ってことになったわ」
「えー、もったいなーい。即決しちゃえばいいのに。智早ちゃん、絶対ウチに来てね!」
「確約はしかねます」
「瑞穂、無理強いしないの」
「じゃあもし智早ちゃんが入ってくれなかったら、ゆーちゃんがメガネかけてね」
 この人にとって、私の存在意義はメガネに集約されているんだろうか。
「イヤよ。あたし、視力はいいもの」
「もう、さっきからなんなのさ! 世の中イヤイヤで渡っていけるほど甘くないんだよ!?  苗字におっぱいついてるくせに、一度もおっぱい見せてくれないどころか、パンツもくれない! メガネもかけてくれない! そんなわがままがいつまでも通ると思ってるの!?」 
「OK。じゃあパンツあげるわ」
「ホント!? やったあ、言ってみるもんだね――……て、ゆーちゃん何その構え? それパンツじゃなくてパンチ――アガペッ!?」
「あたしの苗字は、や・ち・ふ・さ。ちぶさじゃないっつってんでしょうが。何百回言わせりゃわかるのかしらね、このゴミ虫は」
 こんな変態がギルドメンバーだと、ギルドマスターはさぞや大変だろう。
「はあ~……。こんなのがうちのギルドマスターとは、つくづく嫌になるわ」
 ――断ろう。そう判断するのに十分な要因だった。
「とにかく、詳細は追ってメールするわ。無理なら無理でいいから、気軽に返事してね」
 学生IDを教え合い、八千房先輩たちとはここで別れた。八千房先輩は、再び気絶した瑞穂先輩を丁重に背負い、といったことはなく、普通に足首を掴んで引きずっていった。
 その後ろ姿を、私たちは唖然として見送った。
「変わった人たち……だったね」
「変わっているというのは美徳だと思っていたのに、認識が変わりそうだ」
「あ、そういえば、肝心のギルドの名前を聞いてないや」
「後でメールすると言っていたし、そこにはちゃんと書かれているだろう。どのみち私は断るつもりだが」
「……そっか」
「なんだ、歯切れが悪いな。篁はギルドに入りたいのか?」
「いや、ちょっと惜しいかなって思っただけだよ。僕は智早がいれば、それでいいし」
「なッ!? そ、そんなクサい台詞をさらりと言ってのけるとは……。貴様、女たらしか」
「え、クサかった? あ、うわ……そう言われると……わわ」
 まだ肌寒さの残る四月上旬だというのに、真夏日の日差しを浴びているように顔が熱い。
 最近、篁と喋っていると、こういう空気になることがままある。
「りょ、寮に戻ったら、早速プレイしてみるか?」
「そ、そうだね。お昼を食べたらログインしてみようか」
 私たちは取り繕うようにして話を逸らし、帰路についた。

 これは、誰のミスでもない。
 それでも時間を戻すことができれば――……
 あの時に先輩たちからギルド名だけでも聞いておけば、こんなことにはならなかったのにと、私は後悔することになる。
         


          


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スクールライブ・オンライン Episode智早【4】

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◆1巻・あらすじ&主要キャラクター紹介はこちら◆
 
◆2巻・立ち読み&主要キャラクター紹介はこちら◆


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スクールライブ・オンライン Episode智早【4】


 私と篁(たかむら)は、地元の中学には通わないことにした。お互い、一から出直すという意味でも知り合いのいない地で生活をスタートしようと思ったからだ。
「皆さん入学式お疲れ様でした。もうこの学園のシステムはご存じかと思いますが――」
 入学式の後、割り振られた教室に移動し、担任教師からガイダンスを受けている。篁とは違うクラスになった。
 新天地となるのは、中高一貫の学校――私立栄臨学園。全寮制だが、栄臨学園の名を知らない者はいないので、両親の説得はそれほど難しくなかった。
 それなりにレベルの高い入試ではあったが、私と篁の学力なら余裕だった。否、余裕どころか、篁は成績トップ合格者として新入生代表の挨拶までこなしてしまった。
 謙遜した篁は、「たまたま入試に関係ある科目が得意だっただけで、智早(ちはや)は図工とか家庭科とか得意じゃない? 体育も女子の中じゃ一番だし。だからその、ね?」と、こちらは別になんとも思っていなかったのに、私が悔しがっていると思って必死にフォローしてきたのが逆に癇に障った。
「春休み中からIDとパスワードは配布されているので、既にプレイし始めている人もいるかと思いますが、まだの人は明日までに、希望する選択授業と職業(クラス)を登録しておいてください。くれぐれも、自分との相性を考えて選んでくださいね。選び直しは認められませんので」
 栄臨学園は単純に進学校としても有名だが、それよりも特筆すべきシステムが存在する。
 【Real Reflects Record】――通称【3R】という、学内専用多人数同時参加型ロールプレイングゲームが、なんと教育の一貫として推奨され、授業にまで組み込まれているのだ。公式にも“人を育てるゲーム”としてキャッチコピーが掲げられている。
 私と篁はまだ未プレイだが、入学に合わせた今日から始めるつもりでいる。
 勉学だけじゃなく、ゲームの成績も同じように――いや、それ以上に評価される学校。こんな変わった学校に入学しようという生徒たちだ。変わり者も多いだろう。私のような性格の人間が、今さら一般的な女子の会話に混ざろうとしても至難の業だろうし、篁も友達と楽しくゲームでキャッキャウフフすることに憧れていたので、この学園のシステムは都合がいい。
 そういうわけで、私たちはこの栄臨学園を舞台に新しい生活を始めることにした。
 私の場合、少し視野を広めてみたいと考えている。傍から他人を観察するのも悪くはなかったが、やはり実際に触れ合ってみないことには物事の真価なんてわからない。篁とのことがいい例だ。
 さしあたって、私はこのクラス内で友人を作ろうと思う。
 以前、篁に「私にはどうして女子の友達ができないのだろう」と相談を持ちかけたことがある。私は篁と違っていじめられていたわけではないのに、友達と呼べる人間が一人もいなかった。一人でいることを好み、こちらから絡みにいかなかったのも原因ではあるが、話しかけられれば応対するし、日直や掃除当番もそつなくこなしていた。それなのにクラスメイト、特に女子は私を避けていた。もしや私の体が異臭でも放っているのかと、自分の肉体的欠陥を疑ってしまったほどだ。
 しかし、それについて篁は頬を赤く染めながら、こう見解を示した。
「智早が他の女子より……可愛いからじゃ……ないかな。近くにいると、どうしても比べちゃうから、それが嫌だったのかも」
 だそうだ。どうやら私は可愛い部類に属するらしい。
 そこで狙いをつけたのが、私以上に可愛いと思しき女子だ。運がいいことに、右隣の席に座る女子がそれに該当すると思われる。何故なら、女の私ですら見惚れるほどに可憐。可愛いというか、この歳で既に美人と呼ぶに相応しい器量を備えている。ピンと伸びた背筋に黒髪ストレートロング。竹取物語のかぐや姫が現実に現れたみたいな印象を私は受けた。それになんと言っても、胸が大きい。無意識に、私は自分の胸に手を添えて比べてしまっていた。最近、成長期に入ったと自負していたが、それは井の中の蛙だったようだ。 篁の言っていたとおり、女子とは、常に他者と己を比較してしまう生き物なんだな。
 つい癖で人間観察をしていると、相手がこちらの視線に気がついた。
「初めまして。わたくし、穂村杏奈(ほむら・あんな)と申します」
 相手は訝しむ様子もなく、ニコリと穏やかに微笑み返してきた。
 おぉ、笑うとさらに。持って帰りたい。
「君は美人だな。大人びていて、とても同じ学年とは思えない」
 思わず率直な感想をこぼしてしまった。
「わ、わたくしが美人だなんて、そんなことありません」
 照れた顔もまた美しい。さらって帰りたい。
「それをおっしゃるなら、アナタの方がずっとお可愛らしいですわ。知的でミステリアスな雰囲気の中にも、たおやかさと愛らしさがあると申しましょうか。まるで、物語に登場する文学少女が本の中から出てきたようですわ」
 賛辞に対する返礼だろうが、嫌味に聞こえないのは彼女の人柄の為せる業だろう。
「ありがとう。私は瀧(たき)智早だ」
「こちらこそよろしくお願いいたします。この学園には知り合いが誰もおらず、少し不安でしたの。同じクラス、隣の席のよしみで仲良くしてくださいまし」
 外見どおりと言えばそうだが、一人称が「わたくし」で、語尾に「~まし」などとつける人間が現代日本にもいるんだな。実に興味深い。
「君は変な喋り方をするね。あと、胸がすごく大きい」
 またしても口を衝いて出たざっくばらんな意見に、彼女の笑顔がピシリと固まった。
「そ、そうですか? 多少、一般的ではないとは思いますが、そのように面と向かって変だと言われたのは初めてです。胸についても、そんなきっぱりと……」
「挨拶は、やはり『ごきげんよう』なのかい?」
「……ええ、まあ。……ですが、郷に入っては郷に従う心構えくらいは」
「いやいや、君はそのままでいい。そのままの方が面白いから、ぜひ『ごきげんよう』でとおしてほしい」
「お、面白い? そういうアナタの方こそ口調が女子らしくないのではありませんこと? 変わっているというなら、アナタも変わっていらっしゃると思いますが」
「よく言われる。しかしどちらかと言えば君の方が変わっているだろう。胸も大きいし」
「そんなことありませんわ! わたくしの実家では皆こういう喋り方ですのよ! それと胸は関係ありません!」
「はっはっは、愉快なご家族だね。ちなみに胸の大きさは遺伝かい?」
「何故口調一つでそこまで笑われなくてはなりませんの!?」
「変わっているというのは悪いことじゃない。普通と違うということは、特別という意味でもあるからだ」
 それを私は篁から教わった。
 あの時の気持ち、胸の温かくなる感覚を、目の前の彼女にも伝えたい。
「つまり、わたくしは特別変だとおっしゃりたいんですの!?」
 おかしいな。期待していた反応と違うぞ。
 察するに、この台詞を使うのは時期尚早すぎたということだろう。初めて自分から友達を作ろうなどと思ったものだから、少々気が急いてしまったようだ。まあいい。少しずつ積み重ねていこう。
「ところで杏奈」
「もう呼び捨て!?」
「君の通っていた小学校は、ランドセルだったのかい?」
「それは……そうでしたが。それが何か?」
 私は杏奈の肢体を上から下まで余すことなくじっと見つめた。こうして横合いから眺めるとよくわかる。小学生を終えたばかりでありながら、大学生と言われても信じてしまいかねないほど自己主張を惜しまぬふくよかな胸。あの胸がランドセルとセットで存在していた時期があるなど、正気の沙汰ではない。
 今みたいにセーラー服ならともかく、いやセーラー服でもまずいが。こんなに胸の大きな美少女、かつ幼女時代の彼女に「ごきげんよう」などと無垢な笑顔で言われる場面を想像すると……誘拐したくなるな。
「ゆ、誘拐!?」
「ん、声に出ていたか」
 私はどうも、思ったことがすぐ口に出てしまうようだ。
「わ、わたくし……何かアナタの恨みを買うようなことをしましたの?」
「誤解しないでほしい。誘拐といっても、いかがわしいものじゃない」
「いかがわしくない誘拐ってなんですの!?」
「ちょっと脱がせて生で拝みたいとは思ったが、誓って変なことはしない」
 変なことはしないと言ったにもかかわらず、杏奈は青い顔をして私から机を離した。
「ア、アナタ、そういう趣味の人でしたの?」
「勘違いしてもらっては困る。断言してもいいが、私はノーマルだし、杏奈を笑い者にするつもりだって微塵もない。私が示しているのは、いたって純粋な信頼の意思表示だ」
「そう……でしたの? わたくしとしたことが、早とちりで申し訳――」
「あと、ほんの少しの性的好奇心だけだ」
「どこが純粋ですの!? 不純物が混じっていますわ!」
「そりゃあ君、許可をもらえるなら揉むくらいはするさ。揉みしだくさ」
「変態がいますわ……」
「何を言っているんだ。女子が女子の胸を揉むのはスキンシップ、友情の証。イヌが尻を嗅ぎ、サルが毛繕いをするのと同じこと。なんら恥じる行為ではない」
「先生、席替えを希望します」
「まあそう結論を急ぐことはない。私程度を変態と格付けしてしまっては、男子などどうなる。相対的に、この教室の半数が性犯罪者ということになってしまうよ?」
「そんなはずありませんわ!」
「杏奈、この世に女子の胸に興味がない男子なんていない。いつだって頭の中はおっぱいがいっぱいだ。一度性に触れたら最後、欲望の赴くまま、どこまでも突き進む飢えた獣に成り果てるだろうさ」
「そ、そんなはずも……ありませんわ」
「おや、声に自信がないね。ふふ、価値観が揺らぎ始めたかな?」
 私は小学校在学中、図書室に置いてあった〈体のしくみ〉関係の書籍を全て読破している。今では思春期男子の心理など手に取るようにわかる。
「ならこうしよう。杏奈がこの教室の中から男子を一人選ぶといい。その男子が女子の体になど興味がない不能――もとい、性欲を超越した聖人君子ならば、私が間違っていたと非を認め、杏奈へのセクハラは今後控えよう」
「セクハラだという自覚はありましたのね!?」
「ただし、その人物が性に興味津々であることが証明されたならば、その時は杏奈、挨拶代わりに毎日一回、君の胸を揉ませてもらおうか」
「い、いいでしょう! こう見えてわたくし、人を見る目には自信がありますのよ!」
 杏奈はぐるりと視線を一巡させ、私の左隣に座る男子に目を留めた。
「では、そこの彼を指名いたしますわ!」
 杏奈がビシィッ、と指差したのは、髪をブラウンカラーに染め、入学初日から学ランの第二ボタンまで外した男子だった。
「お、俺ですか?」
 意外な。てっきり、見るからにガリ勉な真面目系男子を選んでくるかと思ったのに。
 とはいえ、こちらとしては都合がいい。
 私はその男子の胸についた名札を確認した。
「瀬川(せがわ)君か。さっそく問おう。君は女体に興味津々かい?」
「あの……それに答えた場合の、俺のクラスでの立場は保障されてるんでしょうか」
「もちろんだ。男子からは正直者と称えられるだろう。女子からは毛虫のように嫌われ避けられるかもしれないが、プラスマイナスゼロということで問題ない。ちなみにノーコメントの場合は、イエスと同義ということでよろしく」
「それ問題大アリ……つうか、女子に嫌われるとか完璧マイナスじゃ……」
「そんなことはない。少なくとも私は君がどんな性癖の持ち主だったとしても普通に接する自信がある。君が日常的に『おっぱい見たーい。おっぱい揉みたーい』と連呼していても引くことはない」
「そんな奴いたら、男子から見てもドン引きなんですけど……」
「それはそれとして、どうなんだい? 君も男なら正直に答えたまえよ。さあさあッ」
「…………そりゃ……男なんで………………まあ、それなりには」
「杏奈、聞いたかい? これがリアルだ」
「そ、そんな……ッ!」
 杏奈は愕然とするが、私にとってはなんら驚くことのない事実だった。とはいえ、隠さず答えた瀬川君は評価されるべきだ。彼には何か礼をしなくてはなるまい。
「瀬川君、ご苦労。これを見て目の保養にでもしてくれ」
 私はスカートの端を掴み、ひょいっと軽く持ち上げた。
「キ、キャアキャアアアッ!? いいいきなり何するんですの何してくれてるんですの!?」
 杏奈の下着は白かった。
「恥ずかしいことを正直に答えてくれた彼へのささやかな礼だ」
 その瀬川君は指で鼻梁を摘み、机に突っ伏していた。はだけた学ランから覗くカッターシャツに赤い染みがついている。
「だったら自分のを見せなさいな! どうしてわたくしのスカートをめくるんですの!?」
「自分で自分のを? いやいや、そんなはしたない真似はさすがに私にもできないさ」
「そこになおりなさいッ!!」
 言うが早いか、真っ赤になってスカートを押さえていた杏奈が立ち上がり、鋭い手刀を脳天目掛けて振り下ろしてきた。私はそれを白羽取りで受け止めた。
「いいリアクションだ。ますます気に入った」
「わたくしは何から何まで気に入らないことだらけですわ!」
 篁とタイプは違うが、杏奈もまた、打てば確かに響く逸材だ。
 ギリギリとせめぎ合う私たちに、瀬川君以外の第三者から声がかかる。
「そこ、えー……瀧さんに穂村さん、親睦を深めるのは結構ですが、今は静かにしてください。ガイダンス中ですので」
 教師の注意にハッとした杏奈が手を引っ込め、羞恥に染まりながらしおしおと着席した。
「くっ、いらぬ恥をかいてしまったじゃありませんの」
「大声を出しているのは杏奈一人だけれどね」
「誰のせいだと……」
「しかし、これで私の勝ちは決まったな。彼もやはり男の子だということだ」
「ま、まだですわ。まだ彼が、アナタの同類だと証明されたわけではありません」
「杏奈、諦めろ。彼の頭の中は今真っ白になっている。(ショーツの色的な意味で)」
「諦めませんわ、認めませんわ! だってだって、彼はとても綺麗で真っ直ぐな目をしていますもの! きっと女性に対しても誠実ですわ!」
 誠実=エロくない、が成立するわけではないと思うが。
「下着を見ただけで鼻血を出してしまったのも、言ってみれば純情な証拠。好きな女性のことを一途に想い、たとえその身を賭してでも愛する人を守ろうとする。そんな義侠心に溢れた男性に違いありません!」
「杏奈、意地になって持ち上げすぎてやしないかい?」
 杏奈は身振り手振りを交えて瀬川君の無実を説いた。それこそ、被告人として法廷に立たされてしまった最愛の夫を懸命に弁護する妻のように。
「女性に興味があるのは、男子ならむしろ健全! 絶対に変態などではありません!」
「いや杏奈、それを言ったら勝負が成り立たないというか」
 私の声が聞こえていないのか、杏奈は私の机を挟んで身を乗り出し、ズズイと瀬川君に顔を近づけた。話は変わるが、その体勢、とても胸が強調されている。
「ですから、普通ですわよね? アナタは変態なんかじゃありませんわよね?」
 必死になりすぎた杏奈は、ちょっぴり目尻に涙を蓄えた上目遣いで、そうであってくれと訴えかけるようにして懇願した。さらには瀬川君の手を取って軽く引き寄せたことで、制服を内から盛り上げた杏奈の胸に、彼の手がほんのわずかに触れている。
 あの程度で当たるとか、どれだけ前に突き出ているのやら。
「ほ、穂村さん? あの、当たって――」
「普通だと、言ってくださいまし……ぐす」
 杏奈、それは問いかけじゃなく、もはや〈おねだり〉と呼ぶべきじゃないかい?
 本気で涙ぐみ、瀬川君を真摯に見つめる様子からも、計算による行為ではなく無意識の産物であることがわかる。いやもうね、反則ではないかと。
「はい、普通です。女性に興味があるのは俺に限ったことじゃないですが、俺、穂村さんのためなら死ねます。浮気とか絶対しません」
 瀬川君はキリリと精悍な顔つき(ただし鼻の両穴にティッシュ)で杏奈にそう宣言した。
 ……惚れたか。
 勝負の最中に相手を籠絡してしまうとは、杏奈、末恐ろしい子。
「ほら見なさい! この場に変態はアナタしかいません!」
 打って変わって自信満々、勝ち誇った態度で私に向き直った。
「杏奈、瀬川君の気持ちに応えてあげるのかい?」
「ええ、彼とは良いお友達になれますわ」
 形勢は逆転したとばかりに踏ん反り返っている。杏奈はわかっていないようだが、事実上の「ごめんなさい」だった。
 瀬川君は、またしても机に突っ伏してしまった。
「認めよう。私の負けだ」
「あら、潔いこと」
「私が間違っていた。世間知らずな私は、どうやら知識だけで物事の全てを理解したつもりになっていたようだ」
 まさかあの状況で、瀬川君がエロスではなく愛に目覚めてしまうとは。私の完敗だ。
「私はこれまで、あまり人と関わろうとしない人生を歩んできた。当然、友達なんてできやしない。一人もいなかったわけじゃないが、それでも寂しい生き方をしていたと思う。人付き合いに関して、私は絶対的に経験値が不足しているようだ。その弊害が、こうして不器用なやり方で表れてしまった」
「アナタ……」
 私が至らないせいで、杏奈と瀬川君には迷惑をかけた。二人に謝らなくては。
「すまなかった。全ての非は私にある」
 そして、他にも間違いに気づいたことがある。
「友達を作るのに、こんな駆け引きのようなことは必要なかったんだな。今さら後悔しても遅いが」
 杏奈がそっと、私の手を包み込むようにして自分の手を被せてきた。
「いいえ。わたくしは、過ちを認めることができるアナタに敬意を表します。まだ十分にやり直しができますわ」
 いつしか、教室の中で喋っているのは私たちだけになっていた。クラスメイトたち全員が私たちの遣り取りが行き着く先に注目している。先ほど注意してきた担任でさえ、ガイダンスを中断して見守ってくれていた。
「無理して個性を出そうとせずとも、アナタの気持ちはちゃんと伝わりました。ですから今度は、ありのままの自分を見せてくださいな」
「ありのままの自分、か。そうだな……。たった一言で済むことだったのに、ずいぶんと回り道をしてしまったようだ」
「ええ、仕切り直しましょう」
 そう、ただ一言口にするだけでよかったのだ。
「杏奈」
 私は杏奈を。
「瀧智早さん」
 杏奈は私を。
 真っ直ぐに見つめ、私たちは互いに素直な気持ちを打ち明けた。
「私に、君の胸を揉ませてくれ」
「わたくしと友達に――て、アナタどれだけ揉みたいんですの!?」
 教室全体が盛大にズッコケた。
「あと、ついでに友達になってくれ」
「つ、ついで……ぉおお断りですわッ!」
 憤怒の形相で杏奈がいきり立ち、私が迎え撃つ。
「第二ラウンドだな。はたして君の技が私に通用するかな?」
「ええい、ちょこざいな! 成敗してくれます!」
 杏奈の攻撃をひらりひらりとかわしていくにつれ、私はかつてないほど気持ちが高揚していくのを感じた。誰かをいじってからかうことが、これほど楽しいとは。
 初めてできた女子友との交流に、このまま花咲かせていたいところだが、喧騒に包まれた状況を見兼ねた担任がこめかみに青筋を立て、この場を収拾する一言を言い放った。
「そこの二人、廊下に立っていなさい」          


          


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スクールライブ・オンライン Episode智早【3】

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◆1巻・あらすじ&主要キャラクター紹介はこちら◆
 
◆2巻・立ち読み&主要キャラクター紹介はこちら◆




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スクールライブ・オンライン Episode智早【3】


 保健室で、ズブ濡れになった制服から体操服に着替え、保健医が髪を乾かしてくれた。その時も、私は一言も口を開かなかった。
「智早(ちはや)、大丈夫?」
 後から保健室に来た篁(たかむら)が、今は隣で傷の手当を受けている。
 篁に話しかけられ、私はここで初めて顔をのそりと持ち上げた。
 篁の口元に絆創膏が貼られている。
「……篁こそ」
「え、ああ、これ? 大したことないよ」
 殴られたら痛い。それを知っている篁が、殴られるとわかりきっている行動をとった。
 どうして。
 決まっている。矛先が私に向いたから。私を守ろうとしたからだ。
 不用心に蜂の巣を突く真似をし、自分だけでなく、その被害が篁にまで飛び火した。
「……すまない」
「いいって」
 罪悪感で押し潰されそうだ。
 謝罪を済ませた後は、無言が場の空気を支配した。気を遣ったのか、それともいたたまれなくなったのか、手当を終えた保険医が篁に「会堂(かいどう)君、落ち着いたら瀧(たき)さんを教室に連れていってあげてね」と言って退室していった。
「そ、そういえば、智早が髪を解いてるところ見たの、初めてかも」
「私はクセ毛だから、普段はまとめないと面倒なんだ」
「へえー、そうなんだ」
 二人きりが気まずいせいで、篁が必死に会話を探している。それは私も同じだ。 
「……篁、こないだ勧められた『秘密の花園』だが、読了したぞ」
 イギリス生まれのアメリカ人作家、フランシス・ホジソン・バーネットの小説だ。バーネットの作品の中で最もポピュラーで、永遠に語り継がれる珠玉の名作と言われている。
「え? あ、そうなんだ。女子にどんなのを勧めればいいかって考えて選んだんだけど、どうだった? 映画化なんかもしてるし、ハズレではなかったでしょ?」
「タイトルから予想していたものとまったく違った。孤独な少女が血の繋がらない伯父に引き取られることになった時は、いよいよか、と期待したのに、結局ラストまで健全なストーリーに肩透かしを食わされた。それについて文句を言いたい」
「何を期待してたのかは聞かないでおくよ……」
「私も、さすがに口にするのは抵抗がある」
「オタマジャクシとか大声で叫んでた人が、よく言うよ」
 そこでまた会話が途切れる。
 ……ダメだ。息が詰まる。
 無理してフザケた話題を投入しても、この空気の中では異物にしかならない。
 私は諦め、覚悟を決めて先ほどのことについて話し始めた。
「篁が、人に飛び掛かるとは思わなかった」
 これは保険医が話していたことだ。私はその現場を直視できず、ただ震えていた。
「さすがに僕も、カッとなっちゃったからね」
「すまない」
「智早が謝るようなことじゃないよ。こんなのかすり傷だって」
 そう言って、つんつんと口元の絆創膏に触れてみせる。本人は気づいていないようだが絆創膏には大きな血だまりができており、とても痛々しい。
 私が気に病まないよう、強がっていることは容易に想像できた。
 私は座ったまま姿勢を正し、篁に目を合わせず俯いたまま尋ねる。
「訊いてもい――……いや、訊いてもよろしいでしょうか」
「なんで敬語!? やめてよ」
 あまりにも申し訳なくて、つい。
「教えてほしい。篁は、今までどうしてあいつらに抵抗しなかったんだ? さっきみたいに、やろうと思えばやれたんじゃないのか?」
「やらないよ。こないだ言ったじゃない。痛いのは嫌なんだ」
 やらないと、やれないは違う。
「私は篁のことを、臆病だと思っていた。篁の気が弱いからされるがままでいるのかと、そう思っていた」
「過去形なの?」
「篁は臆病なんかじゃない。あいつらに向かっていった」
「それは智早が……。それなら智早だって最初」
「違う。私と篁は全然違う。私は、知らなかっただけだ」
「知らなかったって、何を?」
 さっき受けたプレッシャーと痛み、そして恐怖を思い出し、ぶるると体が竦んだ。
「……体験しないと、わからないものだな……」
 実際に自分の身に降りかかったことで、これまでの認識がごっそり覆った。
「…………あれが、いじめか」
 怖かった。恐ろしかった。何もできなかった。
「あんな怖い思いは、二度としたくない」
 たった一度の暴力で心が折られ、自分がどれほど弱い人間かを思い知らされた。
 臆病というなら、私こそが臆病だ。
「篁はあれを、ずっとずっと味わってきたはずだ。それなのに、どうして耐えられる?」
 私の質問に、篁はカリカリと頭を掻いた。
「……僕から手を出したら、終わりだと思ったんだ」
「非暴力、不服従か? しかしいじめが終わるなら、それは願ってもないことだろう?」
「ううん。そうじゃなくて……なんていうのかな……」
 言い出しにくいことなのか、篁は唸った。
 ややあって、次に篁が言った言葉の意味を、私はすぐには理解できなかった。
「僕が手を出したら、それこそ三谷(みたに)君たち……彼らと、友達になれる機会が永遠に失われるって考えてたんだ」
 想像の斜め上すぎて、耳を疑いさえした。
「友……達? 自分をいじめている相手と?」
「うん。三谷君たちと、友達になりたかった。卒業まで、もう何ヶ月かしかないのにね」
「いや、でも、どうして……」
「彼らが放課後、どこか遊びに行く約束とかしてるの、すごく羨ましかったんだ」
 その光景を思い浮かべているであろう篁の表情が、柔らかく綻んだ。
「教室で他愛無い話をしたり、友達と一緒にゲームしたりするの、ずっと憧れてた」
 自分を虐げてきた相手への恨みや怒りの感情をまったく言葉に乗せず。
「僕も彼らの中に、ちゃんと友達として混ざれたらいいなって思ってた」
 本当にそうあれたらいいと願っていることが、こっちにまで伝わってきた。
「篁は、すごいな。すごすぎる」
 篁の懐の大きさを知り、逆に己の矮小さを痛感した。
「すごくなんかないよ。自分からは何もしなかったし。相手が勝手に改心してくれるのを待ってただけなんだ。どっちみち叶わなかったよ」
 だけど、その願いを完全に潰えさせたのは、他ならぬ私だ。
「すまない……」
「智早のせいじゃないよ。というか智早、さっきから謝りすぎ。えと、なんだっけ。次に謝ったら殴る――のは無理だけど、怒るよ?」
「怒ればいい」
「えー……」
「篁を非難しておきながら、篁と違って、たった一回あれを味わっただけで、もうあいつらと関わりたくないと思ってしまった」
「うん」
「篁は、あいつらと友達になりたいと言ったが、それを聞いて私は……絶対にやめてほしいと……思ってしまった」
「うん」
 私は弱くて、臆病で、そして卑怯だ。
 あんなに恐ろしく、心も体も冷たくなる行為に耐えてきた篁に私は――。
「……これが最後だ。謝るのは、これで最後にするから……」
「うん」
「……こないだ図書室で、情けないなんて言って……すまなかった……」
 私は握りしめた両手に視線を落としながら、唇を噛みしめた。
「気にしてないよ」
 篁はただ頷き、私を許した。
「智早は強いね」
「何を言っている。強いのは篁だろう」
「女子なら普通、あんなことされたら泣いちゃうと思うけど」
「女らしくなくて悪かったな」
 少しだけ泣きそうになったことは伏せておこう。
 それと何故か、篁に女らしくないと言われたのが、ほんの少しばかりショックだった。
「悪いなんて言ってないよ。それどころか、嬉しかったなあ」
「嬉しい? なんの役にも立てなかったぞ?」
「役に立つとか、そういうことじゃないんだ。そりゃあ、あんな無茶はもうやめてほしいけど、智早のしてくれたことは……ホント…………ホントにね――……」
「何が言いた――」
 ギョッとした。
 同時にドクン、と心臓が一度だけ大きく跳ねた。
「ホント……涙が出るかと思うくらい……嬉しかったんだ」
 ぼろぼろと、篁の瞳から止めどなく涙が零れていった。
「お、おい。篁……何を……」
 出るかと思うくらいというか、思いっきり出ている。
 なんだ。どうして突然篁が泣き出すんだ。ここで泣くのは女の私なんじゃないのか?
 篁は笑顔で、涙腺が壊れたのかと思うほど涙を流し続ける。
「僕は智早がいてくれて、すごく救われた。僕にも五年生のあの時までは、友達だった人もいたけど、皆、僕がいじめられるようになって離れていった」
 篁は強い。それでも平気なはずはなかった。
 篁に刻まれてきた傷の数と深さは、私が受けたものなんかと比較にならないんだから。
「智早だけだ。僕と一緒にいてくれたのは」
 それを言うなら篁だって……。
 私の場合、一人でいることを良しと考えてはいたけど、誰かと一緒にいることが、こんなに居心地のいいものだと教えてくれたのは篁だ。
「ふ、ふん。私は普通とは違うからな」
 照れ臭い気持ちを憎まれ口で隠した。
「智早、〈普通〉の反対が何か知ってる?」
「変わり者。異常ということだろう?」
「違うよ。普通の反対は――…………〈特別〉っていうんだよ」
 そう言って、篁は正面から私を抱きしめた。
「た、篁?」
 またしても心臓が跳ねた。しかも今度は一度ではなく、バクバクと休むことなく跳ね続ける。篁が触れている部分から熱が全身へと伝わり、体中が熱くなっていく。
「智早は僕にとって、特別だ」
 ――特別。
 …………ああ。
 だからか。
 喋っていて話が弾む。打てばその度に響くツッコミセンスも貴重だ。
 こんなに気の置けない奴は他にいない。
 それに何より、一緒にいて飽きない。一緒にいて心が安らぐ。
 いつの間にか篁は、私にとってそんな存在になっていた。
 だから私は、篁があいつらにいじめられているのが我慢できなかった。
 こんな簡単なことだったなんて。こんな簡単なことに気づけなかったとか、人付き合いに関する自分の経験値不足にほとほと呆れてしまう。
「私にとっても、篁は特別かもしれない」
 そう言って、私もまた篁の背に手を回した。
「かも、なの?」
「不満か?」
「そんなことはないけど」
 とりあえず、一番気の合う奴。今はこれでいい。その先があるかは……まあ、未定だ。
「ねえ、智早」
「なんだ?」
「約束してほしい。あんな危ないことは二度としないって」
「……言われなくても、できる気がしない。偉そうなことを言った自分が恥ずかしい」
「いいんだよ。智早は女の子なんだから」
「なんだそれは。男女差別か?」
「ち、違うよ。……少しはカッコつけさせてくれてもいいのに」
「泣きながら言われてもな」
 肩越しに篁が溜息をついた。
 咄嗟に軽口で返したが、私はそこまで鈍いわけじゃない。
「智早は、そのままでいてね」
「篁もな。私としては、篁がマゾヒストであってくれた方が面白かったが」
「あはは。やっぱり智早って変わり者だね。ちなみにこれは褒め言葉だよ」
「なら、許す」
「変わり者でいてくれて、ありがとう」
 私は篁の優しさと温かさを感じながら、この時間がずっと続けばいいのにと願った。

 それから卒業までの数ヶ月、結局、篁へのいじめがなくなることはなかったが、篁は泣きごと一つ言わずに耐え忍んだ。私も約束どおり……見て見ぬ振りをした。
 そして三月、私たちは小学校を卒業した。


          


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スクールライブ・オンライン Episode智早【2】

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スクールライブ・オンライン Episode智早【2】


「秋は短いな。もうすっかり冬の気温だ」
 室内との温度差で曇った窓ガラスを眺め、私はしみじみと呟いた。
 篁(たかむら)には図書委員の仕事があるので、私は篁のいる受付カウンターに一番近い机で宿題をするようにしている。正直、小学校の図書室には興味を引く本があまりないので退屈だ。読書より、篁と話をしている方が、よほど暇つぶしになる。
「読みたい本があれば希望申請もできるよ。審査が通ればだけど」
「『マゾヒスティック・オルガスムス』というタイトルの本を頼む」
「え? 何それ」
「そういえば姉妹編として『サディスティック・エクスタシー』なるものも紹介されていたな。ついでなので、そちらも一緒に申請してもらおう」
「内容はわからない、というか、あまり知りたくないけど、多分通らないかと……」
「やれやれ。了見が狭いな」
 それにしても、篁のこの反応、やはりおかしい。
「少し前から気にかかっていたことなんだが、篁はマゾなのに、この手の話にいまいち食いつきが悪いように思えるのは気のせいだろうか」
「ちょ、誰がマゾ!?」
「私の前で謙遜する必要はない。それとも既にマゾヒズムを極め、新たな性癖を開拓している最中なんだろうか。だとすれば、私はいささか篁を過小評価していたようだ」
「いや謙遜とかじゃなく!」
「ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』は読んだかい?」
「え、何いきなり。読んだことはあるけど」
「(マゾだけに)満足したかい?」
「まあ、それなりに」
「やはりね」
「やはり何!? 何そのドヤ顔! 僕はマゾじゃないってば!」
「いや、ちょっと待ってほしい。さっきから篁の話を聞いていると、まるで自分のことをマゾではないと言っているように聞こえる」
「ダイレクトにそう言ってるじゃないか!」
「なんだと? 私の勘違いだとでも言いたいのか!?」
「なんで喧嘩腰!? そんなに自信あったの!? なんか申し訳ないけど智早(ちはや)の勘違いだよ! てか、ずっとそう思ってたの!?」
 しかしそうなると、腑に落ちないことがある。この際だ。問い詰めてみることにする。
「篁がマゾでないなら、どうしてされるがままになっているんだ? 私はてっきり悦んでいるものだとばかり思っていた」
「な、なんのこと?」
「誤魔化すな。篁が受けているいじめのことだ」
 私の歯に布着せない指摘に、篁がビクリと体を強張らせた。
「……知ってたん、だね。……うぁー、女の子に言われると、結構くるなあ……」
 バツが悪そうに、観念したように篁が肩を落とした。
「知ってるのに、智早はどうして僕と普通に喋ってくれてたの?」
「篁がいじめられていることと、私が篁と喋る喋らないに、なんの関係がある?」
「普通、いじめられるような奴とは喋りたいと思わないんじゃない?」
「普通普通と言うが、それは誰が決めた普通だ? 篁は私が異常だと言いたいのか?」
「異常なんて、そんなことは」
「普通じゃないなら異常だろう」
「智早のことは、変わってるなあと思ったりはするけど、それが悪いだなんて思わない。僕は、智早が一緒にいてくれて……嬉しいし、一緒にいると、楽しいよ……」
「私だって、篁といる時間は楽しい」
 誰になんと言われようと、それは覆ることのない事実だ。
 篁は右へ左へと視線をやった後、俯き耳を赤くしながら「……ありがとう」と言った。
「意味もわからず謝る癖が影を潜めたと思ったら、今度は意味もわからず礼を言われる。変だと言うなら、篁こそ変だ。というか篁、顔が真っ赤だぞ。暖房の効きすぎか?」
「そ、そうかもしれない。うん、ちょっと暑いよね」
 窓を数センチだけ開け、私は話を本題に戻した。
「そもそも、篁は何故いじめられているんだ? 気が弱いから目をつけられたのか?」
「言わなきゃダメかな?」
「言ってしまえ。吐いて楽になれ」
「…………当たり。それだよ」
「それ?」
「吐いちゃったんだ。五年生の遠足で、バス酔いして」
「ふむ、それで?」
「それだけだよ」
「それだけでいじめに発展したというのか? 気分が悪ければ吐くことくらいあるだろう」
「あるよね。でも、それが原因でいじめに発展することも……あるんだ」
「幼稚だな」
「智早は人間ができてるから、余計そう感じるのかも」
「なんだそれは? 私と篁の何が違う? マゾヒストじゃないのなら、どうしていじめられたままでいる?」
「怖いからだよ。情けないけど」
「怖い? 群れて一人を攻撃するような卑怯者たちがか?」
「うん、怖い」
「それは篁が抵抗の意志を見せないから、相手も付け上がっているんだろう」
「抵抗したら、それまでの倍の数、倍の力で殴られるんだ。やめてくれ、くらいは言ったりするんだけどね」
「それでは足りないということだ。殴り返すくらいの気概を見せれば」
「それは、嫌だな」
「どうしてだ!?」
「だって、殴られたら痛いんだ。それを知ってるのに、その痛みを誰かにぶつけるなんてできないよ。誰だって、痛いのは嫌だ」
「だから、いじめられたままでいる方がマシだと?」
「マシだとは思ってないけど。とにかく……暴力は嫌なんだ」
「その意志薄弱が、いじめをのさばらせているわけか。男のくせに、本当に情けないな」
「……そうだね。自分でも情けないと思うよ」
 女にここまで言われて言い訳もなしか。
「……気分が悪い。今日はもう帰る」
 吐き捨てるように言い、私は篁を置いて図書室を出た。

          ◇

 篁があんな腑抜けた奴だとは思わなかった。
 ここ数日の私は、生理でもないのにずっと苛々しっぱなしだ。
 校内清掃の時間、教室で集めたゴミを、焼却炉に叩きつけるようにして投げ入れた。
 客観的な視点から他人の性癖等に興味を持つことはあっても、自分の希望と違うことでむしゃくしゃするなんてことは、これまでにない感覚だ。
「なんだというんだ、いったい」
 訳のわからないモヤモヤが気持ち悪い。
 篁のことなんかもう知らんと毒づきながら、ゴミ捨ての役目を終えた私は、肩を怒らして廊下を歩いていた。すると、品のない声が耳に入ってきた。
「ゲロむらやーい、ゲーロむらー」
 ……なんて間の悪い。
 今一番会いたくない人物、見たくない光景が進行方向にあり、思わず口元がヒクついた。
「そこまだ汚れてんだろ。ちゃんと掃除しろよ」
 連中に分担という考えは頭になく、篁一人が膝をついて雑巾がけをしている。その周りを三人が囲んでアレやコレやと口を出すだけ。時折、篁の背に蹴り入れている。
 私は少し離れた所から、その様子を見つめた。
「そこも。ほらそこも。うわっ、そこにこびりついてるの、それもしかして、ゲロむらのゲロじゃね? うげー、ばっちーばっちー。さっさと拭き取れよ」
「ご、ごめん、すぐやるから……」
 また謝っている。
「お前、週に何回くらいゲロ吐いてんの? つうか、去年からずっとゲロ臭いんだけど。ちゃんと風呂入ってんのか?」
 一人が集中的に暴言を浴びせ続けている。あの中で一番背が高く、一番態度がでかい。奴がいじめのリーダー格だ。
 いつの間にか握りしめていた拳に力がこもる。
 抵抗もせず、やられてばかりの情けない篁に苛立っているのは確かだ。
 だけどそれと同じくらい、周りの連中にも腹が立って仕方がない。
 お前たちは何様だ。お前たちのどこに他人の尊厳を貶める権利がある。一回嘔吐したからなんだというんだ。お前たちは生まれてこの方、一度も吐いたことがないというのか。この先、一度も吐かずに人生を終える自信でもあるのか。そもそもお前たちが直接被害を受けたのか。頭からゲロをかけられたのか。
 不平不満が次から次へと浮かんでくる。
 なのにわからない。
 どうして私が他人のことで苛々しなくちゃならないんだ。
 苛立つ理由に見当がつかないせいで、余計に苛々が募る。
 答えは出ない。だけど、一つだけはっきりしていることがある。
「お前たち、いい加減にしたらどうだ」
 私はこれ以上、あんな風に虐げられている篁を見るのは我慢ならないということだ。
 私の登場に、篁が驚いて目を剥いている。
「はあ? 誰だよ、ゲロむらを庇う気――て、瀧(たき)智早だ」
 振り向き様、不躾に私の名前を口にしたこいつの名前を私は知らない。名を名乗れと言う場面でもないし、このまま〈お前〉でとおさせてもらう。
「えーと、なんか用かよ?」
「一人に寄って集ってみっともない。週に何回とか、そういう話はマス●―ベーションの回数だけにしておけ」
「は? マス……何だそれ?」
 これだから無知な連中は嫌だ。せっかくユーモアを織り交ぜて、波風が立たないように気を遣ってやったというのに。
「智早、僕のことはいいから!」
「うるさい、篁は黙っていろ!」
「おいおい、ゲロむら、なんで瀧のこと呼び捨て? てか、瀧も篁って、え? お前ら、そういう関係? うーわー、ふじゅんいせーこーゆーってやつか?」
「……ゲスめ」
 もう知らん。本当に知らん。不満をそのままぶつけてやる。
「さっきから黙って聞いていれば、ゲロゲロと耳障りだと言っているんだ! お前たちはカエルか? 品性の欠片もない。父親の精嚢でオタマジャクシからやり直せ!」
 私の啖呵が理解できないのか、リーダー格の男子が、仲間二人に向けて自分の頭を指でトントンと叩くジェスチャーをした。
「こいつ、何言ってんだ?」
 まるで、私の方がいかれていると言っているかのように。
 私は血が沸騰しそうになり、さらに声を荒げた。
「お前たちのようなアホは、両生類以下の単細胞生物だと言っているんだ! その頭の中には脳みそが詰まっていないのか!? 群れないと何もできない卑怯者め!」
「はあぁ!? いきなり出てきて、ずいぶんなこと言ってくれるじゃんか、あぁ!?」
 怒鳴ることで相手を威嚇する。低能な輩がやりそうなことだ。
 やっぱり篁は情けない。こんな連中、怖くもなんとも――
「女のくせに出しゃばんなよッ!!」
 ドンッ! と胸に強い衝撃が襲い、私は背中を壁にぶつけ、その場に尻もちをついた。
「ち、智早ッ!」
 篁が叫んだのと同時、
 凍るように冷たい何かを頭の上から浴びせられた。
 …………。
 ………………え?
「あーあ、瀧さんが廊下にバケツの水ぶちまけましたー。俺たち何も悪くありませーん。瀧さんが一人でやりましたー。うはあ、雑巾絞った水でビッショ濡れ。きったねー」
 ぽた、ぽた、と髪から床に滴る雫を呆然と見やる。
 ……バケツ……水……?
 何が起こった?
「あれえ? 今度はいきなりだんまり? さっきの威勢はどこいったんですかー?」
 何もわからない。
「ははは、カッコつけて出てきといて、いいザマー」
 何も考えられない。
「あ、これビビってる? 絶対ビビってんよ。なっさけねー」
 寒さではない震えが体を襲う。

 ――体が……動かない。

「よお。ちょっと可愛いからって、調子乗ってるからそうなるんだよ」
 ドスの利いた声が耳元で囁かれる。
 私にはそれが、首に冷たい刃物でも当てられているように感じた。
「いいか? これに懲りたら二度と偉そうに口出すなよ。わかったな」
 ぐっしょりと濡れたおさげを引っ張られ、無理やりに頷かされる。
「三谷(みたに)君、女の子になんてことするんだ!」
 篁の怒鳴り声がしたかと思うと、相手の気配が私から遠ざかった。
「こ、の……。ゲロむらのくせに体当たりかましやがった。やんのかコラァッ!」
 すぐ近くで争う声が聞こえる。
「おい、こいつにも水ぶっかけてやれ!」
 鈍い音が間断なく響く。誰かが殴られている。そんな嫌な音だ。
 それでも私は、縫い付けられたように地面を凝視し続けた。
 自分の身に起きたことが信じられず、放心したように頭が真っ白になっている。
「くっそ、離せ。離せっつってんだろ!」
「智早に……謝ってよッ!」
 しばらくすると、騒ぎを聞きつけた教師がやってきた。
 誰かにタオルを被せられ、保健室へ連れて行かれた。
 その間、私は誰に何を言われても、一度も顔を上げられないでいた。

          


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スクールライブ・オンライン Episode智早【1】

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スクールライブ・オンライン Episode智早【1】


――それが恋に変わるのは、もうしばらく先の話だ 。


 小学六年生の秋、気になる男子ができた。
 同じクラスになったことがないから、彼のことは名前も知らない。まあ、そのあたりは重要ではないし、特に興味もないのでどうでもいい。
 最近とみに視力が落ちたことで使い始めたメガネのズレを正し、秋晴れの日差しが差し込む図書室の窓に目をやる。運動場では、今も彼が他の生徒たちとドッヂボールに興じている姿があった。
 今日は何を話しているんだろう。彼への興味が尽きない私は、髪を左右に分けて結んだ三つ編みおさげを指先で弄びながら、図書室の窓を半分ほど開いた。
「トロくさい奴だな。さっさとボール取りに行けよ。十秒以内で」
 苛立ちめいた声に、「あうッ」と彼のくぐもり声が重なった。
「あーあ、残念、二秒遅かった。今日も帰りはカバン持ちの刑な」
 どこに非を見たのか、臀部を蹴られた彼は「ごめん」と謝罪した。
 一方的な暴力に、理不尽な叱責。あれを〈いじめ〉と断ずることに疑問の余地はない。
 低俗で、野蛮で、時間の無駄遣い。六年生にもなって、よく飽きないものだと感心する。彼らは昨日も、今日も、そして明日も同じ行為を繰り返すだろう。
 彼は見るからに気が弱そうで、体格も平均的。何をされても愛想笑いを浮かべるだけ。弱い者いじめが好きな連中には格好のオモチャに映るだろう。
 彼へのいじめを知った最初の頃、私には不思議でならなかった。いじめる人間の心理がではなく、いじめを受けているという過酷な境遇に身を置き、なんの打開を試みることもなく甘んじている彼のことがだ。
 いじめをやめさせることなんて、赤子の手を捻るように簡単だろうに。やろうと思えば息継ぎをする間に解決できる。人の道を切々と語り聞かせる必要も、汗水流して護身術を習う必要もない。例えば、連中の目の前で窓ガラスを叩き割ってやればいい。いじめなどというチープな行為を楽しむ連中は、派手な演出(パフォーマンス)と狂気(インサニティー)に慄き、その日を境に自ら関わりを断とうとするだろう。
 それをしないのは、何か弱みでも握られているからなのかと思って見ていたが、私が観察している限りで、いじめをしている連中が弱みらしきものを引き合いに出している場面は見たことがない。
 となると、別なところに理由があるんだろう。
 いじめを容認する彼の心理について、私は持てる知識を総動員し、一つの仮説を立てた。
 この仮説に至ることができたきっかけは先日――
 行きつけの書店で、聞き慣れぬ響きを放つタイトルがついた文献に目を留めた。
 タイトルは、『マゾヒスティック・オルガスムス』。
 この時点でオチが読めたという人は、相当なキレ者に違いない。
 必殺技みたいなタイトルに、無知な私は興味を引かれ、棚から一冊を抜き取った。ありがたいことに、タイトルの解説が1ページ目に記されていた。
【マゾヒスティック】
 マゾヒズムの性向をもつさま。被虐的。
「〈性向〉は、人の性質の傾向。〈被虐〉は、残虐な取り扱いを受けること。いじめられること。これらは知っているが、マゾヒズムとは……む、派生語としてちゃんと書いてあるじゃないか。この本、できるな」
【マゾヒズム】
 相手から精神的、肉体的苦痛を与えられることによって性的満足を得る異常性欲。
「なんと、人間の心理とは実に奥が深い」
 余談ではあるが、この頃から私は急速に性知識を蓄えていくことになる。
 私はさらに文献を紐解いていく。〈オルガスムス〉とはいったい――。
「……――あ。何を」
「お嬢ちゃんにはまだ早いよ」
 いつの間にか近づいてきた店員が私の手から文献を奪い、無理やり児童文学コーナーへと追いやった。立ち読み禁止ということか。しかし、かろうじてタイトル前半の意味だけは解読できた。そして真理への糸口を得た。
 世の中には、マゾという嗜好を持つ者。いじめられることで快感を覚える人間がいる。
 おそらく、彼もその類なんだろう。そう推測して以来、マゾの生態について興味を抱いた私は、気づけば彼のことを目で追うようになり、今に至る。
 回想から戻ってくると、運動場ではボールが遥か彼方に転がっていき、彼がまた蹴られている姿が目に入った。それを見た私は、憂いが滲み出る溜息をついた。
「まったく、バリエーションが少なくてつまらないな。叩くか蹴るか、あとは雑用を押しつけるだけなのか。そんなことでは彼も満足できないだろうに」
 苦痛に歪める彼の表情を、この時の私はそんな風に解釈していた。

          ◇

 放課後になり、私は図書室へ向かった。いつもなら昼休み中に済ませるのだが、つい彼の観察に没頭して時間を忘れ、貸出時間を逃してしまったのだ。
 私は読書に関してこれと決めた嗜好はなく、雑多に読み漁るタイプだ。作家やジャンル、流行を追い続けるようなこともない。知識の探究家を気取っているわけじゃないが、それでもクラスメイトといるより、一人で本を読んでいる時間の方がよほど有意義に感じる。
 私にはどうにも同級生のしていること全般が幼稚に見えてしまう。本の虫として過ごしてきたせいか、この口調も女の子らしくない、子供らしくないと親によく言われる。感性が人とは異なる成長を遂げてしまったのかもしれない。おかげで友達はいない。
 クラスメイトたちが私に関心を持たないのは無理もない。こんな根暗メガネを相手にしても退屈だろう。それを改善しようとしない私に、そもそもの問題がある。
 改善? 問題?
 不意に過った言葉に首を捻る。
 私は無意識のうちに自分の性格を問題と考え、直したいと考えているんだろうか。
 改善してどうする? 改善した後はどうしたい? 友達を作りたいのか?
「…………ないな」
 一瞬の思考でそう片付ける。少々、言葉の選択を誤っただけだ。
 さて、今日はどういった本を借りて帰るとしようか。廊下を歩きながら頭を巡らせる。目下、興味を引かれているマゾの生態について記された文献でもあれば喜ばしいんだが。ロシアの作家、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』でも読めば、何か新しい知識を得られるだろうか。
 そんなことを考えながら図書室に到着し、扉をスライドさせた。
「…………」
 私はこの時、〈面食らう〉という体験を、十二年生きた人生で初めて味わった。
 ところで〈面食らう〉と〈面食い〉はまったく違う意味だが、どこかに共通性があるのだろうか。――などと思考を脇にズラすことで、私は動揺を隠した。
 何に面食らったかというと、入ってすぐ左手にある貸出コーナーの受付カウンターに、例の彼が座っていたのだ。何故ここに。カバン持ちの刑が執行されているはずでは?
 私が入り口で突っ立っていると、彼がこちらに顔を向け、「貸出時間は十六時までです」と言ってきた。彼は図書委員らしい。
 ともかくこれはチャンス。いつも彼は他の男子と一緒にいる、というか、無理やり連れ回されているので、このように一対一で対峙する機会などなかった。ここで一気にマゾの神秘に迫れるかもしれない。
「君、オススメの本があれば教えてほしい」
 カウンターの前に立ち、開口一番でそう言うと、彼は人の良さそうな目をぱちくりとさせた。
「えっと、ごめんなさい。今週のオススメとか、そういう企画はやってなくて」
「君のオススメで構わない」
 むしろ君の好みを知ることが、解明への手がかりになると言えよう。
「僕の? ……僕は、その……欧米文学なんかが好きなんだけど……」
 何故申し訳なさそうに言うのか。
「中でも好きなのは、フランツ・カフカとか。あ……でも、ちょっと小難しすぎるかも」
「カフカ。確か、数多くの女性体験のある作家だったか? 不倫経験もある」
「瀧さん、カフカを知ってるの?」
「知っているのは女性遍歴だけだな。作品自体は読んだことがない」
「変わってるね……」
 そういうことに興味津々なお年頃なのだよ。
「それで、カフカのどんな作品がオススメなのかな?」
「んと、この作家の書く物語はストーリーが面白いっていうより、ツッコミどころがたくさんあってね、そこが逆に面白いんだ。中でも僕の一押しは『変身』かな。主人公が朝起きたら虫になってるって話なんだけど、その変身に気付いた家族がほとんど驚かないところにまずツッコミを――」
「ストップ。勧めてくれとは言ったが、ネタばらしは困る」
「ご、ごめん」
 もう遅い。あらすじを聞いただけで、ストーリーがだいたい読めてしまった。
 おそらく、主人公は虫になった醜い自分を他者に見せ付けることで、次第に、蔑まれ、石を投げつけられることに悦びを見出すようになり、さらなる快感を貪らんがために奮闘するという物語だ。そうして主人公は、いつしかその悦びを世に布教しようと、同士を求めて旅に出る――と、彼の好みから推測すれば、こんなところだろう。
「まあいい。それよりさっき君は私の名前を口にしたが、名乗った覚えはないと思うが。君とはクラスが一緒になったことはないし、話をしたのもこれが初めてのはずだ」
「あ、ごめん」
 また謝った。よく謝る奴だ。
「瀧智早(たき・ちはや)さん、だよね?」
「いかにも。私は瀧智早だ」
「うん、よろしくね」
「よろしく、じゃない。どうして知っているのかを知りたいんだ」
「ご、ごめん」
 また……。いい加減、イラッとしてきた。
「えっと、瀧さん、よく図書室で本を借りていくでしょ? それで貸出カードを整理してたら、よく名前を見かけて」
「それは妙な話だ。その情報からは、本をよく借りる瀧智早という人間が存在するということだけで、私がその瀧智早なる人物だと断定できた理由にはならないと思うのだけど」
「ご、ごめ――痛ッ!?」
「さっきから謝りすぎだ。次に謝ったら殴る」
「眉間に手刀は殴ったうちに入らないんだね……」
 しかし考えてみれば、彼的に殴られることはご褒美。もしや、意図的に殴られるよう誘導しているんだろうか。だとすると、かなりの策士。
「理由は別にないんだけど。瀧さん目立つし、多分、六年生は全員知ってると思うよ」
「目立つ? 休み時間ごとに図書室に入り浸るような根暗メガネがか?」
「ね、根暗メガネ? でも瀧さん、かわ……いし…… 」
「川? 石?」
「や、なんでも……ないです」
「私は目立つのか。それは知らなかったな。単独行動ばかりしていることが、逆に目立つ結果になっていたということか。どうでもいいが」
「や、そういうわけじゃ……」
「それはそうと、君の名前を教えてもらおうか」
「僕の?」
「私の名前は知られているのに、私が君の名前を知らないというのは何やら負けた気分だ」
「勝ち負けなの? ……えっと、僕は、会堂篁(かいどう・たかむら)です。篁は、こういう字を書きます」
 小学校では習わない字を使うらしく、名乗りながらメモ用紙に書いてみせてくれた。
「下の名前も苗字みたいだな」
「うん。それでよくからかわれるんだ」
「気に障ったかい?」
「悪口だったの?」
「そんなつもりはないが」
「だったら全然気にならないよ。僕は篁って名前、嫌いじゃないし」
 そう言って、目の前の彼は優しく微笑んでみせた。
 おどおどするだけじゃなく、こんな表情もできるのかと、私はすこし感心した。
「いや待て。君の場合、悪口だったということにした方がよかったんだろうか」
「なんで!?」
「隠さなくていい。私はこう見えて、大概のことなら許容できる」
「え、どういうこと?」
「まあせっかくだ。嫌いじゃないというなら、君のことは篁と、下の名で呼ばせてもらおう。私のことも智早で構わない。〈ちゃん〉も〈さん〉も付けず、呼び捨ててくれ」
「いきなり呼び捨てとか……いいの?」
「私だけ呼び捨てなのに、私のことを呼び捨てにさせないのは不公平というものだ」
「さっきから、瀧さんのそのこだわりはなんなの?」
「瀧さんじゃない。智早だ」
「あ、ごめ――て謝ってないよ。ぎりぎり飲み込んだよ。その厚さはもう鈍器だからね」
 私は頭上高く振り上げていたハードカバーを返却コーナーに戻した。
「ところで、〈篁〉とはどういう意味だい?」
「え、さあ」
「ご両親も、それなりの願いを込めてつけた名だろうし、何かしらの意味があるはずだ」
 こういうことは、調べないと気が済まない性質だ。
 私は辞書コーナーから漢和辞典を引っ張り出し、ページをめくっていく。二人して紙面を覗き込むと、互いの肩が触れてしまい、篁が「ひぇ」と変な声を出した。
 【篁】……竹が群がって生えている所。たけやぶ。
「意味がわからない。タケノコのように、にょきにょき育てという願いだろうか」
「そこはすくすく育て、じゃないの?」
「篁物語と何か関係あるかもしれない」
「悲恋の物語だね」
「つまり、篁に悲恋の人生を送ってほしいという両親の願いが」
「そんな親いないって……。智早の由来は、早く頭の良い子になりますように、かな?」
「だろうな。捻りがない。産まれた時、智早にするか、早智(さち)にするかで迷ったそうだが、智早にしてくれと私が希望した」
「へえー…………え?」
「冗談だ」
 どちらからともなく吹き出し、私たちはくすくすと笑った。
 いじめられっ子でマゾヒスト。どんな奇人変人かと思いきや、なかなかどうして。
 そういえば私も、人前で笑うなんて、いつぶりだろうか。
 図書委員の仕事は曜日替わりらしく、篁は木曜日の放課後が図書委員の当番だそうだ。
 私はこの日から、毎週木曜日の放課後は、欠かさず図書室に通うようになった。

 これが数年後、最高の《鍛冶師(ブラックスミス)》と最強の《騎士(ナイト)》と呼ばれるようになる、私と会堂篁のファーストコンタクトだった。




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